鉄道ホビダス

EF15最後の日々。

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「猫跨ぎ」という言葉があります。鰊御殿時代のニシンのごとくあまりに大量に採れすぎ、大好物のネコでさえ興味を示さなくなる様を言い表した言葉ですが、私たちの世代にとってEF15はまさに「猫跨ぎ」だったような気がします。一時代前であればD51であり9600だったのでしょうが、1970年代ともなると、さすがに蒸機となればそれだけで一目も二目も置かれる状況で、いきおい取捨選択の対象は身近な電気機関車に向けられることとなります。
▲運用離脱まで残すところ一ヶ月あまり、最後に残されたEF15の仕業は地味な砕石輸送の工臨だった。吾妻線工192レの先頭に立つ高崎二区のEF15 200。無粋な2灯のシールドビームがいただけない。'85.2.3 祖母島-金島

ef15n3n.jpg池袋・新宿・渋谷といったターミナルのホームで電車を待っていても、まるで“空気”のごとく目前を通過してゆくのがEF15でした。いまさら思えば決して格好良くないわけでもなく、充分に興味の対象となりえたと思いますが、なぜか当時はまさに「猫跨ぎ」で、とりたてて意識する存在ではありませんでした。それよりもEF10、EF13といった形式の方が断然“ありがたく”感じられたのです。
そんな状況でしたから、いまさら見返してみるとEF15の写真はどれもこれもおざなりなものばかりで、あえて意識して撮ったものはほとんどありません。
▲吾妻線のバラス輸送は小野上が発駅だった。この小駅から高崎操駅まで、一日一往復のささやかな事業用列車がEF15に最後に残された「仕事」であった。'85.2.3 小野上

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▲返空ホキを牽いて小野上を目指すEF15 200〔高二〕。1982(昭和57)年にEF12が形式消滅するまではEF12が受け持っていた仕業だった。'85.2.3 祖母島-小野上

そんな「猫跨ぎ」もいつしか都心ではその姿を見なくなり、ついには形式消滅するらしいという噂が耳に入ったのは1985(昭和60)年に入ってからのことでした。なんでも関東で運用が残されているのは高崎二区の165号機と200号機の2輌だけとのこと。ちょうど2月に伊香保温泉への小旅行があり、それでは行きがけの駄賃にと不遜な考えで吾妻線へと向ったのは、空っ風の吹きすさぶ寒い日でした。
当時の高崎二区のEF15の運用は、基本的には吾妻線小野上からのバラスト輸送工臨のみ。寒さに耐えながら見つめるファインダーに映ったのは、こともあろうに“ブタ鼻”の200号機ではないですか。日本車輌(富士電機)製の国鉄電機という点では極めて“レア”な存在ではありますが、どうにもこの出で立ちだけはいただけません。

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▲EF15を期待して待ったものの、現れたのはこれまたシールド2灯のEF60 17〔高二〕だった。“期待して…”とは言ったものの、EF60が現れてもさしてがっかりもしなかったのは、しょせんEF15への期待度の希薄さゆえか…。ちなみにこの17号機は1981(昭和56)年7月23日付けで浜松区より高二区へ入り、この写真の翌年1986(昭和61)年11月に一休、翌1987(昭和62)年3月31日付けで廃車されている。'85.2.3 八木原

ピーク時の1978(昭和53)年には実に50輌のEF15を擁していた高崎第二機関区ですが、次第に勢力をそがれ、1983(昭和58)年に46、114、115、130、148、152、154、156、159、162、163、164、166、167、176、183、191号機が一挙に廃車(転属)となると、ついに残されたのは165号機と200号機の2輌のみとなってしまいました。そしてこの2輌も1985(昭和60)年3月をもって運用離脱、3月31日に重連でさよなら列車を牽引してその歴史に終止符を打ちました。私が最後に目にした200号機の正式な廃車は翌年1986(昭和61)年1月18日付け(車車達第1025号)、総走行距離は229万5846キロだったそうです。

2輌のうち165号機は現在でも「碓氷峠鉄道文化村」に保存されています。先日ひさしぶりに園内でその姿に接し、あの頃もっと真剣に向き合っておけばよかったと後悔しきりでした。

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