鉄道ホビダス

31年目のイブに…。

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街にジングルベルの音色が流れはじめると、あの日、1975(昭和50)年12月24日に思いを馳せるのは決して私だけではないでしょう。改めるまでもなく、D51 241〔追〕が牽く夕張線6788列車が追分に到着したその時をもって、国鉄本線上から蒸気機関車の姿が消えたその日です。
▲追分発夕張行723Dは紅葉山で登川からの832Dを待って5分ほど停まる。今日はD51 286〔追〕単機の1791レを横目に、7時38分発車。未明からの雪は一層その強さを増してきた。'75.3.25

momijiyama1n2n.jpg12月14日の蒸機牽引旅客最終列車とうってかわり、貨物最終列車の日程は直前まで決まりませんでした。国鉄としてみればC57 135が派手なヘッドマークを付け、テレビで中継まで行われた室蘭本線225列車をもって“最終”としたつもりだったのかも知れませんが、ファン心理としてはそうはゆきません。貨物の最終がいったいいつになるのか…さまざまな憶測が乱れ飛ぶなか、結局12月24日と決まったのはわずか数日前のことでした。奇しくも時はクリスマス・イブ。見たい、行きたいと思いつつも、学生の身とあればおいそれと渡道できるはずもなく、遥か北の大地に響いているであろう最後の汽笛に思いを馳せて一夜を過ごしたのでした。
▲723D車窓から。紅葉山、沼ノ沢、清水沢、鹿ノ谷…、夕張川に沿って生涯忘れ得ぬ駅名が並ぶ。'75.3.25

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▲今でこそ石勝線の単なる途中駅のイメージしかない追分だが、当時はまさに室蘭本線と夕張線を分かつ一大ジャンクション=追分だった。夕張線を下ってきた1000t運炭列車は、この大ヤードで組成され、実に2400t列車となって一気に東室蘭へと下ってゆく。'75.3.25 追分

同世代の仲間にはこの1975(昭和50)年12月24日以降を“余生”と言って憚らない者さえいます。昭和30年代から存分に蒸気機関車を撮影できた先輩の皆さんはともかく、昭和40年代からカメラを向けはじめた現在の50代半ばから、私のように40代後半の世代は、文字通り「遅れてきた青年」でした。デフが切り詰められようと、前照灯がLP405に代えられようと、とにかく1975年12月24日までの残された時間をがむしゃらに駆け抜けるしか術がなかったのです。それだけに、現役蒸機を存分に見た、撮ったという成就感にはほど遠く、31年前のクリスマス・イブを境にした一種の脱力感は、深層心理のなかに今もって尾をひいているのかも知れません。

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▲すでに出炭量は激減していたとはいえ、夕張線の主役はまだまだ運炭列車だった。返空セキを牽いて夕張川橋梁を渡ってゆくのはラストランナーの1輌となったD51 465〔追〕。'75.3.28 川端-滝ノ上

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