鉄道ホビダス

会津線1393列車の受難。

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1973(昭和48)年12月23日。只見線の撮影を終えて西若松で325Dに乗り込む頃には、前夜来の雪はひときわ激しさを増しつつありました。会津地方にこもって今日で3日目、まだ一度も太陽を拝むことはかないません。
▲時計の針はとっくに14時を回っている。ますます強くなる吹雪をついて1393レが上三寄を目指す。先頭に立つのは会津若松区のC11 192。この時点では次の湯野上までたどり着けないとはまったく想像できなかった。'73.12.23 門田?上三寄

aizu1n6.jpg当時の会津線は会津若松?会津田島間に2往復の貨物列車が設定されていました。しかし、下り一番の1391レは会津若松5時42分発、上りの2本目1392レは会津田島発が17時41分と冬場の撮影は不可能で、いきおい残りの2本にかけることとなります。ただこの2本、1392レと1390レは14時48分に湯野上で交換する設定となっており、撮影する側にしてみると実に効率のよいものでした。それだけに午前中は只見線なり日中線なりで過ごし、昼前の325Dで会津線に入るのがいわば定食コースだったといえます。
▲ブラスト音さえかき消される吹雪の中、眼前を横切ってゆく1393レ。'73.12.23 門田?上三寄

aizu1n7.jpgそんなわけでこの日も325Dの車中の人となったわけですが、門田を出る頃には吹雪は一層激しさを増してきて、このままでは意中の舟子乗降場付近で“引き”のある絵など撮りようもない状況となってきました。だいいち山中ではそれこそ遭難しかねません。やむをえず上三寄で下車。なるべく線路沿いの、しかも多少なりとも吹雪をかわせる場所をと、防雪林脇で1393レを待つことにしたのですが、雪はいよいよひどくなり、遅れに遅れた1393レが眼前を通過する頃にはほとんど視界も利かない状態となってしまいました。
▲さながら煙幕のような視界の彼方に去ってゆく1393レ。このしばらく後に前途運行不能となってしまうとは…。'73.12.23 門田?上三寄

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▲湯野上で交換してくるはずの1390レは待てど暮らせどその姿を見せない。327Dが猛吹雪を掻き分けるように大遅延で下ってゆく。'73.12.23 門田?上三寄

aizu1n9.jpg先述のように1393レは次の湯野上で1390レと交換するはずです。いくら吹雪がひどいといってもここで引き下がってはみすみす獲物を逃すことになると、ひたすら寒さに耐えることとなりました。ところがお目当ての1393レは定刻15時16分を回ろうと一向にやってくる気配がありません。吹雪は雄叫びとなり、ほかの音はなにも聞こえないほど。そんななかで待つこと一時間近く、ようやく息をついた吹雪の合間に、逆の上り方から姿を現したのはC11 80〔会〕単機でした。
▲さらに待つこと一時間以上、上り方から汽笛が聞こえたと思うと、C11 80〔会〕が単機で姿を現した。'73.12.23 門田?上三寄

目を凝らしてみれば、上三寄の場内信号機の腕木は停止現示。懸命に汽笛を鳴らしながら、それでもC11 80は最徐行で構内へと消えてゆきました。こちらも事ここに至ってどうやら只ならぬ状況らしいと気づき、ほうほうの体で駅を目指したのでした。

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▲場内信号の停止現示を越え、ひっきりなしに汽笛を吹鳴しながら上三寄場内へと入ってゆくC11 80による救援列車。すでに辺りには夜の帳が迫っている。'73.12.23 門田?上三寄

果たして、さきほど防雪林付近で撮影した1393レは湯野上に辿り着くことなく吹き溜まりに突っ込んでスタックしてしまっており、C11 80はその救援に遣わされた機関車だったのです。上三寄駅の待合室でひたすら運転再開を待ち、ようやくやってきた上り330Dで会津若松に戻った時には、もうすっかり夜になっていました。
あれから33年、あの1393レはその後どうなったのか、気になってなりません。

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