鉄道ホビダス

「原生花園」の頃。(上)

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釧網本線の原生花園臨時乗降場に降り立ったのは、いまからちょうど33年前の8月12日のことでした。特に原生花園とC58の組み合わせを狙いたいと願ったわけではなく、流氷の冬場に足しげく通った北浜-浜小清水周辺が夏はどんな表情の変化を見せるのか、それを自分の目で確かめてみたい、そんな軽い動機だったような気がします。
▲“アンノン族”に“カニ族”…「知床旅情」の大ヒットもあって道東は時ならぬ大賑わいだった。溢れんばかりの乗客が待つ仮設ホームに入ってくるのは釧路区のC58 410の牽く網走行き634レ。'73.8.12 原生花園(臨)

genseikaen2.jpgそれにしてもこの年の北海道はえらい暑さでした。すでに渡道4日目にしてグロッキーぎみ、おまけにどこに行っても煙はスカスカとあって、“休養日”と決め込んで原生花園に足を向けたのです。当時、道東は“知床ブーム”の真っ只中で、網走湾越しに知床の主峰・羅臼岳をのぞむ原生花園にも“アンノン族”やら“カニ族”やらが溢れかえっていました。森繁久弥さんが作った「知床旅情」を加藤登紀子さんが歌って大ヒットしたのが1970(昭和45)年。1964(昭和39)年に仮乗降場として設置された「原生花園」駅もまさに開闢以来の大賑わいというわけです。
▲鋼体化客車に冷房などあろうはずもない。開け放った窓から照りつける西日を遮るのは木製の“鎧戸”だけだ。'73.8.12 原生花園(臨)

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▲土産物屋が並ぶ国道付近と対照的に、海岸では小舟を浮かべての漁が行われていた。日焼けした漁師夫妻に原生花園の賑わいはどう映じたのだろうか…。'73.8.12

当時の釧網本線網走口には4往復ほどの客車列車と2往復の貨物列車が設定されていましたが、いずれも決して美しいとは言えない釧路区のC58牽引で、流氷バックの季節ならまだしも、陽炎が立つ海岸砂丘では絵になろうはずもなく、結局、広角28ミリにトライXを詰めたカメラを肩に、蒸機ではなく海岸の日常風景を撮りに行ってしまいました。

この当時、鉄研と同時に写真部にも属していた私は、薗部 澄さんの『ふるさと』をはじめとした日本の原風景をテーマとした一連の写真に強く惹かれており、そんな思いもあって、ゆく先々で鉄道のいわば“周辺”にレンズを向けてきました。この時もおそらくそんな思いが優先したのでしょう。原生花園の浜からオホーツクに小舟で漕ぎ出そうという漁師夫妻に「撮らせてください」と頼み込んで、その出漁までをしつこく撮り込んでいます。いまさらネガを見返してみると、この出漁シーンだけで36枚撮り一本。「C58はどうしたんだ!」と33年後のおやじが叱責しようとも、決して動じない何かがあの時はあったのです。

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▲1973(昭和48)年8月号の「道内時刻表」。当時は何の気なしに使っていた時刻表だが、いまさら見返してみると“蒸機牽引マーク”など懐かしさがこみ上げてくる。
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