鉄道ホビダス

アイルランドに欧州最大のナローゲージ網を訪ねる。(7)

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第七回:ひたすら続くピート・ボグ。
初めて目にするピート・ボグは想像を絶する広さで目の前に広がっていました。“bog”=重いものは沈みこんでしまう湿地・泥沼=とはよく言ったもので、チョコレートムース状のボグは深いところで12mにも達すると聞きます。実際足を踏み入れてみると、はじめはちょっと柔らかい地面程度に感じた足元からじわじわと水分が沸き出てきて、知らぬ間にどんどん足が沈んでいってしまうのがわかります。恐怖映画などでよく「底なし沼」なるものが登場しますが、ピート・ボグこそ現代の底なし沼なのです。
▲シャノンブリッジ付近のピート・ボグ。地平線まで続く底なしの大地だ。それにしても、好きで選んだインダストリアル・ナローの道とはいえ、寒風吹きすさぶこの線路の横に一人で立っていると流石に自己嫌悪に陥る。'02.10.21

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アイルランドは実に国土の17.2%がこのピート・ボグに覆われており、古くから暖房用としてピートが活用されてきました。冬になると家々からは暖炉でピートを焚く煙が上がり、街中はその独特の香りで包まれることになります。ただ、面白いのはこれだけ潤沢にピートが産出されるにも関わらず、アイリッシュ・ウィスキーの香りつけ(麦芽の乾燥)にはピートは用いられず、ピートで香りつけされるのはイギリス本国のスコッチ・ウィスキーの方です。
▲ブラックウォーターワークスからピート・ボグへと一直線に続く本線軌道。機関車にはすべて列車無線が装備されているとはいえ、この底なしの大地に乗り出してゆく運転士の気分はいかばかりか…。'02.10.21

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ピート・ボグはその95%が水分の湿地帯だけに、動植物の生態系も特異なものがあります。それだけに、近年、ラジカルな環境保護団体がピート採掘による“環境破壊”を訴えており、ボード・ナ・モナもその対応に苦慮しつつあるようです。実際、軌道による大規模採掘は縮小傾向にあり、私が訪問した後にも、何箇所かの路線が廃止されたと伝え聞きます。
▲フィールドのあちらこちらに梯子状の「軌匡」が山積みされている。この「軌匡」をパタパタと並べて列車は底なしの大地へと向かう。'02.10.21

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さて、ブラックウォーターワークスを辞して、まずは動いている本線の姿を見学しようとシャノン河沿いのシャノンブリッジを目指しました。シャノンブリッジの町はその景観から一応は観光地のようですが、実際に足を踏み入れてみると拍子抜けするほど小さく、町のインフォメーションでさえご覧のようなささやかさ…。そのまま通過しようと思ったのですが、ここで昼飯を食っていないことに気づきました。考えてみればダブリン空港で朝マックを食べたきり何も口にしていません。それではと町中を見渡したものの、コンビニがあるわけもなく、手軽に食事ができるようなところは見当たりません。こうなると頼みの綱は“パブ”です。
▲シャノンブリッジの町のささやかなインフォメーションセンター。パブの雑貨屋スペースで埃をかぶって売っていた絵葉書より転載。

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どんなに小さな村であろうと、教会とパブは必ずあると言われますが、実際に、えっこんな所にも、と思う場所にさえパブはあります。日本人の感覚からすると、ロンドンなどの都市部にあるウォールナットのカウンターが備わったバーを思い浮かべますが、田舎の町や村にあるパブは実は雑貨屋を兼ねた何でも屋です。公共を意味する“パブリック”を語源とするパブは、本来はこのような雑貨屋を意味していたそうで、その奥で立ち飲みでビール(エール)を供したのが原形とされています。このシャノンブリッジで見つけたパブもまさにそのプリミティブな姿を留めており、狭い入口を入るとパンやら箒やら文具やらを売っている雑貨屋、右側の扉を押しやると小さなテーブルとカウンターがあって一杯呑めるという構造でした。
▲アスローン地区の本線・準本線軌道網。左の赤点がブラックウォーターワークス。右下の尺が10キロを示しているから、この地区だけでどれほどの軌道延長になるか想像できよう。(The Narrow Gauge No.171より)

話は脱線しますが、英国やアイルランドのこういった田舎で昼食をとるのに一番おすすめなのがパブのスープです。もともとが“パブリック”な使命を帯びてもいるため、たとえランチタイム(?)が終わっていようとも、空腹で飛び込んでくる旅人のために必ずスープは用意されています。スープといっても洒落たコンソメスープではなく、ベーコンやら野菜やらがたっぷりと入ったいわばシチューのようなスープで、これが日本で言えばどんぶり一杯近く出てきます。それにパン何きれかとバターが必ずつきますから、日本人の胃袋には充分すぎるほどです。ヨーロッパ大陸のデリケートな味からすると、概してやたらとしょっぱく、「これは旨い」と言える代物ではありませんが、待たされることもなく実に便利な食事です。ちなみに頼む時は“soup of the day”と言えば判ります。このシャノンブリッジのパブで食べた“soup of the day”も結構なボリュームで2.5ユーロ。朝マックより安いのが嬉しい限りです。

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