鉄道ホビダス

青井岳は今…。

aoidake1.jpg
aoidake.jpg
蒸機末期、冷水峠や大畑ループと並んで名撮影地として名を馳せたのが日豊本線の青井岳でした。宮崎?西鹿児島間は「本線」とはいうものの、日向灘沿いの文字通りの本線とは打って変わって九州山地に分け入ってゆく峠道で、ことに清武から日向沓掛、田野、門石信号場を経て青井岳へ至る区間は、連続する16.7‰勾配と300Rの連続急曲線が行く手を阻む難所中の難所でした。

それだけに当然見所も豊富で、多くの仲間が秀作をモノにしようとこの区間に足を伸ばしました。そしてそれが最高潮に達したのが、1973(昭和48)年の10月改正の蒸機急行「日南3号」1121レの奇跡的誕生です。すでに蒸気機関車牽引の定期急行列車は絶えて久しく、誰もがまさか再び蒸機牽引の急行が復活しようとはゆめゆめ思ってもいませんでした。ちょうどこの改正で南延岡?南宮崎間の自動信号・CTC化が完成し、列車無線装備車と未装備車の運用範囲区分を行った関係から、機関車の需給都合でやむなくC57牽引となってしまったのが真相のようですが、私たちファンにとっては、余命いくばくもない南国のライト・パシフィックに最後の花道が用意されたように思えてなりませんでした。
▲青井岳駅の今昔。宮崎機関区のC57 4次型192号機に牽かれた臨時急行が発車してゆく。'72.8 下は同アングルからの撮影が不可能だったため、やむなく跨線橋上から捉えたほぼ同方向の現状。'04.10

DH000009.jpg
さて、昨年の都城市立美術館での写真展「永遠の蒸気機関車」開催に合わせた記念シンポジウムの際に、あの青井岳駅に立ち寄ってみました。私は司会を仰せつかり、記念講演をされる齋藤 晃さんと打ち合わせをしている際に、空き時間を利用して“あの”青井岳がどうなっているか見に行ってみようということになったのです。ふたりとも実に三十数年ぶりの再訪です。
▲青井岳の象徴でもある境川橋梁は驚くほど変わっていなかった。ただ、川の東岸、かつての国道側には土砂が積み上げられてご覧のような有様。ちなみに現在の国道は改修されて西岸を通るようになっている。'04.10

aoidake.stn.jpg
果たして青井岳駅は記憶の中の姿とはまったく違った姿で目の前にありました。山間の小駅にしては堂々としていた木造の本屋は跡形もなく、そこにはバスの待合室に毛の生えたほどの建屋があるのみ。もちろん無人です。駅前から下の道路へと続く急な階段はあの日のままでしたが、階段下にあった商店はすでになく、とにかく辺りに人の気配が感じられないのがショックでした。

わずか20分ほどの訪問でしたが、30年という時の流れの大きさに唖然としつつも、「廃線跡」となってしまっていないだけ、まだ他の名撮影地よりマシかと話しつつ、再び都城へと踵を返したのでした。
▲これが現在の青井岳駅本屋? かつての賑わいからはほど遠いローカル線の閑駅という感じである。'04.10
※この21日発売の『国鉄時代』第4号には、1121レ「日南3号」を追った根本幸男さんのドキュメント映像などが付録DVDとなって添付されます。ご期待ください。

レイル・マガジン

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.