鉄道ホビダス

「大判」の落日。

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昨今の急激なデジタル化の波は、私たち鉄道誌の取材や撮影にも大きなフローの変換を迫っています。国鉄本線蒸機が消滅する30年ほど前は、雑誌の誌面に耐えられるカラー原稿は中判以上のポジと相場は決まっていて、壁面に投影して個人的に楽しむのならいざ知らず、印刷を前提としたプロは間違いなく中判カメラ以上の機材を使っていました。

それが乳剤の劇的な進化とカラー製版(分解)技術のこれまた革命的な進歩によって、20年ほど前には35ミリ判でもそれなりに見られる印刷が可能となりました。こうなるとまず割を喰うのは機動性に著しく劣る大判カメラです。4×5インチ判以上の大判カメラは、たとえフィールドカメラと通称されるタイプであってもその取り回しは極めて悪く、35ミリ判と比例してフィルム性能を飛躍的に向上させた6×6や6×7といった中判カメラに取って代わられ、アウトドアの取材ではほとんど見かけることがなくなってしまいました。

そんな大判が最後にその優位性を護った“職場”がスタジオでした。フィールドのような機動性を要求されず、ライティングなど撮影条件の設定が可能なスタジオでは、しっかりした“ブツ撮り”に大判のビューカメラはなくてはならない存在でした。判の大きさもさることながら、ビューカメラならではの各種のアオリ機能によって、変形や被写界深度の変更などが可能で、模型の撮影などには絶大な威力を発揮します。本番前にポラ(ポラロイド)で仕上がりの予想が出来るのも有り難い点でした。
▲次号『RM MODELS』の巻頭ページを撮影中の青柳カメラマン。ひと昔前まではひっぱりだこだったトヨビュー(左)もすっかり体を持て余しぎみ。

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ところがここにきてこの大判の出番がガックリと減ってきています。まずデジカメでは当たり前の再生画面によってポラの必要性がなくなり、アオリ機能による垂直出しなども画像処理ソフトによる後処理によって容易くできるようになってしまったからです。となると残る美点は被写界深度ですが、もともと、フィルム面積が大きくなることによって同じ画角のレンズの焦点距離が長くなる=被写界深度が浅くなるという自己矛盾(?)をアオリによって矯正していた部分もあり、CCDカメラのように極端に小さい投影面積であればそれだけでパンフォーカスが実現できてしまう道理となります。下馬評では来年にも35ミリデジタル一眼は2000万画素時代に突入するとか…。コンパクトの性能もまだまだ向上するはずで、これまでにも増して、いよいよ大判カメラは追いつめられることになりそうです。

ちなみに、気付いてみると私ももう8年も大判カメラを使っていません。RGGの荒川好夫さんから頂戴したエクター127mm(5in)付きのスピードグラフィック(スピグラ)で、一時は愛用していたのですが、体力的にも音をあげてしまい、今や部屋の片隅でオブジェと化してしまっています。ただ、仕事としてはともかく、個人的には大判で写真を撮るという行為そのものがモチベーションを高めてくれる気がしてなりません。
▲最後に大判=スピードグラフィックを使った時の悪戦苦闘の様子を岩沙克次さんが撮ってくれた。'97.10.25 銚子電鉄笠上黒生

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最後に余談をひとつ。かつてプレスカメラの代表であったスピグラは、それをどれだけ自在に操れるかが報道カメラマンの力量であったといいます。新聞社写真部員に課せられたのは万歳三唱の間に2枚撮るというものだったそうです。現在のモードラから考えれば何をばかな…と思われるでしょうが、これは私などには信じられない神業です。そのフローを再現すると、まず最初の万歳で手が上がった瞬間に1枚目のシャッターを切り、すぐさまフラッシュ(ストロボではない!)のバルブを手の甲で叩き落とし、口にくわえていた代えのバルブをはめる…恐らくここらで2回目の万歳…撮影済み面のフィルムホルダーの引き蓋を閉じ、ホルダーをひっくり返して引き蓋を抜く、シャッターをチャージする…ここで3回目の万歳の手が上がりシャッターを切るといった具合です。何か蒸気機関車と「SL甲組」の関係にも似て、引き込まれる世界ではあります。
▲弊社地下のスタジオ全景。中間にパーテーションがあり、1スタと2スタに仕切れるようになっている。この日は奥では『クアント』が撮影中だが、もちろん大判など使わず35ミリのデジカメ。

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