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旭川電気軌道モハ1001。

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近くまで行ったのに立ち寄らなかった路線というのは、あとになって「行っておけばよかった」と悔しい思いが募ります。ましてや目の前で見ていながら、時間がないやらで結局撮影さえしなかった路線ともなれば悔しさ百倍です。
▲「東旭川農業環境改善センター」に保存されている旭川電気軌道モハ1001。積雪地帯にも関わらず上屋もない割にはすこぶる状態が良い。

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私にとって旭川電気軌道はそんな路線のひとつです。最終運転日は1972(昭和47)年12月31日。旭川はそれまでも宗谷本線のC55を求めて足を向けており、旭川四条駅前で客待ちをしている緑色の電車を何度か目撃していました。しかし、旭川駅ならともかく、ひとつ先の四条駅とあっては、わざわざそのためにひと駅乗るか歩くかせねばならず、時間が空いたら…と思っているうちに廃止となってしまいました。

旭川電気軌道は旭川四条から東川までの東川線13.8kmと、途中の旭川追分から旭山公園に至る東旭川線6.7kmからなる直流600Vの電気軌道で、地元有志の努力が実って部分開業したのが1927(昭和2)年のことでした。追って旭川市街軌道も開業、道央の主要都市・旭川は二つの路面電車の活躍する街としても知られることとなります。青木栄一さんのRM LIBRARY『昭和29年夏 北海道私鉄めぐり』では、路面電車の街・旭川の活気溢れる様子が読み取れますが、旭川市街軌道は1956(昭和31)年にははやくも全廃されてしまい、以後は旭川電気軌道だけが最北の路面電車として孤塁を護ってきました。
▲保存スペースには東旭川線の「役場前」電停を模したホームと来歴案内掲示板が備えられている。ちなみに、この「役場前」という電停の前後はなんのひねりもない「一丁目」「二丁目」「四丁目」「五丁目」という電停名が続いていた。

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旭川電気軌道というと即座に思い出すのが、諸河 久さんの旭川追分付近の道路脇を行く1001号の姿です。確か『毎日グラフ』の私鉄特集の表紙にもなったこの写真は、深まりゆく秋の空気感とともにダークグリーンの車体が実に印象的で、後年、『総天然色のタイムマシーン』(諸河 久・吉川文夫著/品切れ)をまとめる際にも表紙に使わせていただきました。
▲ノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根のツルッとした表情が印象的なモハ1001。1955(昭和30)年日車製の18m車で、扉幅1100mmの2扉。僚車が富山地方鉄道にもいた。

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そんな1001号が保存されていると聞いて訪ねてみたのは何年か前のことです。「東旭川農業環境改善センター」という名前だけでは地元の方も判らず、消防署で聞いてようやく辿り着いたのは、小学校に隣接した巨大な体育館のような農業センターでした。その建物の横に模擬ホームを設えて展示されているのは、まぎれもない30数年前に垣間見たあのダークグリーンの電車でした。懸念された保存状態もすこぶる良好で、旭川?旭川四条間の貨物連絡線からゴロゴロとワムを牽き出す姿が髣髴され、かえってそれが、何であの時2?3時間でも足を止めなかったのかと、かえって後悔の念を深めるのでした。
▲車体腰板に残る旭川電気軌道の社紋(左)と台車。台車は日車支店のNA-5形で、定山渓の1200も同形の台車を履いていた。

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