鉄道ホビダス

遥かなり千葉鉄聯。(下)

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千葉の第一聯隊跡を訪れたのは20年ほど前の冬のことでした。総武線車中から見えた津田沼の第二聯隊の煉瓦庫はすでに撤去されてしまっており、鉄道聯隊を語る建造物群は千葉に残されるのみとなってしまっていました。
▲第一聯隊機関車組立工場のトラバーサ側。8線のデュアルゲージが引き込まれている'85.1

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東千葉から分岐するレールセンター線(旧鉄聯演習線)はひたすら一直線で材料廠を目指します。当時の地形図(昨日掲載分参照)で見ると演習線起点にも「ちば」駅の表記がありますが、演習線でも人員輸送等の必要から定期列車が運転されており、時には沿線住民の便乗も許されていたと伝えられます。
▲東千葉駅(旧千葉駅)構内南端からのレールセンター線分岐の状況(左)。ひたすら直線で北を目指す(右)。鉄聯時代は600mmゲージも併設されていたはず。'85.1

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国鉄のレールセンターは旧第一聯隊都賀倉庫にあたる材料廠南側の一部を使用しているだけで、材料廠中心部はさながらゴーストタウンのように数々の建造物が残されたままになっていました。なかでも白眉は煉瓦造りの機関車組立工場と巨大な給水塔で、どちらもまるで昨日まで使われていたかの如き有り様でした。のちに臼井茂信さんからあの給水塔が解体されてしまったことを聞き、なぜもっと仔細に写真を撮っておかなかったのかと悔やまれてなりませんでした。
▲旧材料廠跡に残されていた第一聯隊給水塔。独特の形状をした貴重な遺構であったが、1985(昭和60)年春に解体されてしまった。

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臼井さんといえば、生前面白い逸話を伺ったことがあります。終戦時にこの第一聯隊材料廠の隣町にお住まいだった臼井さんは、軍事機密の名の下に謎だらけだった鉄道聯隊の軽便機関車を目の当たりにしようと兵器廠内の撮影を決行します。時に1945(昭和20)年10月。敗戦のわずか二ヶ月後のことです。敷地内にはコッペルギャードのEやクリエンリンドネル遊動輪装置のK2、さらには双合の片割れなどがとり残されており、この成果が後年、鉄聯の機関車を解明する大きな力となるのですが、実はこの時“お土産”を持って帰ろうとしたのだそうです。“お土産”とは、何と作業場にうち捨てられていたコッペルギャード、つまりルッターメール式遊動輪装置の歯車です。持ち上げるには余りに重く、荒縄で括ってずりずりと自転車で引きずって自宅へ持って帰ろうとしたものの、さすがに途中で精根尽き果てて路上に捨ててきたとか。
ひょっとするとどこかの路地に、今でも臼井さんが引きずってきた「鉄聯」の歯車が埋まっているのかも知れません。
▲旧機関車組立工場全景。手前のトラバーサ側の延長部分は大型機を格納するために増築されたものらしい。'85.1
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▲西日を浴びる旧材料廠建屋。これが遥かに「鉄聯」を感じられた最後の瞬間だった。'85.1
昨日の1万分の1地形図「千葉」はMacでポップアップすると解像度不足となるようです。恐縮ですがWindowsでご覧ください。

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