鉄道ホビダス

さまよえる「101建設隊」。

jieitai2.jpg
茨城県は霞ヶ浦の方にBタンクが“捨てられている”という話を聞いたのは、かれこれ十年ほど前のことでした。お化けと同じでこのような未確認情報はことあるたびに出ては消えするのが常ですが、この時ばかりは目撃地点も特定されており、さっそく確認に出かけてみることにしました。

ところが、目撃されたとされる地点に辿り着いたものの、空地が広がるだけで機関車の姿など影も形もありません。これはタッチの差で解体されてしまったかと落胆しつつ、念のためと周囲を聞きまわってみると、なにやらトラックに積まれて「百里基地」の方に消えて行ったとか…。

このまま退散するのも癪ですから、とりあえず唯一の手がかり百里基地、つまり自衛隊百里基地周辺を探し回ってみることにしました。雲を掴むような話だけに半分諦めていたのですが、意外なほど早く件のBタンクを発見することができました。県道沿いのそれほど大きくない空地は何やら得体の知れない廃トレーラーのようなもので埋め尽くされ、その端にぞんざいにポンと置かれたBタンクは半ば傾いて放置されていました。

ひと目で協三工業製の標準型Bタンクだと判りましたが、それ以上にこの機関車、どこかで見た記憶があります。周囲を見て回るうちにハタと思い出しました。そう、陸上自衛隊朝霞駐屯地内の輸送学校に保存されていた「101建設隊」のBタンクではないですか! どうりで回りを埋め尽くす廃材はすべて自衛隊関連らしきものばかり。事情はよく判りませんが、どうやらここは自衛隊の廃材を扱う業者さんのバックヤードのようです。
▲トレーラーやらキャタピラーのついた得体の知れない廃車体やらの片隅でじっとひそんでいるBタンク。この時点では状態はそれほど悪くはなかったが、果たして今は…。'97.5.28

jieitai1.jpg
「陸上自衛隊101建設隊」は戦後になって存在した唯一の“鉄道聯隊”で、1960(昭和35)年2月17日に立川駐屯地で結成されました。当初の隊員は200名。ほどなくかつての鉄道聯隊の本拠地のひとつ千葉県習志野に移転、津田沼に残っていた旧鉄道第二聯隊の機関庫を起点に、津田沼?高津間3.5kmの実習線を設けて演習を行っていました。1959(昭和34)年に大宮機関区で廃車となった9677がこの101建設隊に譲渡されて活躍していたのはよく知られており、キャブ側面に陸上自衛隊の紋章である桜マークを入れた同機が津田沼の煉瓦庫に佇む写真も、何人かの先達の手により残されています。

この101建設隊は結成3年後の1963年、いわゆる“サンパチ豪雪”の際に新潟地区の鉄道復旧に出動したのをはじめ、翌年には新潟地震の鉄道復旧に動員されるなどの活躍をしました。しかし次第に鉄道が戦略兵器や兵站の要として重要視される時代ではなくなり、1966(昭和41)年4月1日付けで鉄道部隊としての使命は終了し、部隊自体も1900(明治33)年以来の伝統の地・津田沼を去っていきました。

一方、この協三工業製Bタンク(15t/製番15010)は東日本重工業(三菱重工業)古河工場専用線(2.2km)用に仕向けられたもので、1956(昭和31)年6月付けで自衛隊に転じています。101建設隊解散後、100式鉄道牽引車や97式軽貨車などとともに朝霞駐屯地内に設けられた「輸送学校」に保存されていたのですが、駐屯地内の整理に伴って放出されてしまったもののようです。

あれから何度か、近くを通りかかるたびに様子を見ていましたが、ここ5?6年消息を確認していません。さまよえる101建設隊の生き証人は、果たして今もあの廃材置き場で何度目かの冬を迎えているのでしょうか…ちょっと気に掛かります。
▲1989年に朝霞駐屯地を取材した際には綺麗に保存されていただけに何とも残念。丸窓の後姿には哀愁が漂う。

レイル・マガジン

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.