鉄道ホビダス

「SLニセコ号」に乗る。

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「日本鉄道保存協会」総会2日目は、JR北海道運輸部運用車両課の皆さんのご案内で小樽駅から「SLニセコ号」に乗車、倶知安へと向かいました。当日の牽引機はかつて日高本線の静内で撮影した記憶のあるC11 207号機。“二つ目”が特徴のC11ですが、さすがに参加者の多くは“ご同業”の保存鉄道だけあって、そんな外観とは関係なく、使用している石炭のカロリーは? ブレンドは? 清缶剤の混合比は? と超専門的な質問が飛び交っていました。一時は車軸の発熱で懸念された同機ですが、運用車両課さんによれば、コンピュータ管理の軸発熱センサーを搭載してからは完調だそうです。

私はちょうど相席となった『鉄道ジャーナル』誌の竹島紀元編集長から、名作16ミリ映画「雪の行路」撮影時のご苦労話などを伺いながら、久しぶりの蒸機牽引列車を堪能することができました。
▲小沢に降りるのは、よくよく思い返してみると1973(昭和48)年春以来。駅本屋も駅前もすっかり変わってしまって…というか、変わり果ててしまって、こちらが浦島太郎になってしまったよう。

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「SLニセコ号」は余市と小沢でそこそこの停車時間があります。余市のホームでは地元の皆さんが名産のリンゴをつかったアップルパイを販売し、これが結構な人気でしたが、一方の小沢はひっそり閑として何とも寂しい限りでした。

現役時代、つまりC62重連時代の急行「ニセコ」を追った方なら、小沢は間違いなく降車経験のある、しかもかなり印象深かった駅のひとつではないでしょうか。岩内線の分岐駅でもあり、小さいながらも活気に満ちた駅でした。ところが、立派な駅舎も小さな待合室だけに建て替えられ、あの頃の賑わいは想像さえできないような寂れようです。まぁ、この小沢に限ったことではないですが、線路が剥がされたやたら広い閑散とした構内に、キハ40が単行でやってくる函館「本線」は、なんともやるせないものがあります。
▲2933Dと交換する「SLニセコ号」。小沢駅上り方発車は数々の名シーンを生んだ伝説の場所だが、あの給水塔もシグナルブリッジも跡形もない。

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小沢といえば「トンネル餅」です。これまたC62重連時代から多くのファンに親しまれた“名物”でした。小沢に「SLニセコ号」が到着するや、駅前の末次商店に走ったのは、JTBパブリッシングでキャンブックスをはじめとした鉄道図書の編集長を務めておられる大野雅弘さん。すぐに踵を返してきて「ニセコ号の車内で売っているので店売りはないそうです」。たしかにカフェカーにしっかりと積み込まれていました。
▲末次商店製菓部謹製の「トンネル餅」だけは、パッケージも含めて何ひとつ変わっていなかった。餅といってもその実態は“素甘”のようなもの。

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▲あの稲穂トンネル内の「SLニセコ号」。窓はお閉めくださいとアナウンスがあるが、やはり客車内にはあの石炭の匂いが立ち込める。

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「SLニセコ号」が倶知安駅に滑り込むと、ホームでは倶知安町無形民俗文化財の「羊蹄太鼓」がお出迎え。ところが、この太鼓を叩いている方こそだれあろう、倶知安機関区の名物男だった高田緑郎さんなのです。“ロクさん”の愛称で親しまれた高田さんは、倶知安区の燃料掛として大スコを手に急行「ニセコ」の到着を待ち受け、機関車が停止するやテンダに登って石炭のかき寄せや給水にあたってきました。給水スポートと停車位置との関係、石炭や水の消費具合…大ベテランの“ロクさん”に誉められるのが「ニセコ」乗務員のささやかな目標でもあったと聞きます。連載「SL甲組の肖像」(本誌241号)にもご登場いただいた“ロクさん”は、大正4年のお生まれだそうですから御年90歳。期せずして高田さんと会えたことも大きな収穫でした。
▲もちろん高田さんの方は覚えていようはずもないが、私にしてみれば1971(昭和46)年以来、実に34年ぶりの「再会」である。

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▲最後に、これは倶知安駅で捉えた207号機の「後ろ形式」。昨年『梅小路90年史』の編集をする際に、同所保存機の全形式写真と、対角状の斜め後ろから撮ったいわば「後ろ形式」写真を収録したが、これが言うは易しでえらく大変だった。結局DEで1輌ずつ庫外に引きずり出してロッドの位置を合わせて…と気の遠くなるような作業となってしまった。そんな苦い記憶があるだけに、以後、「後ろ形式」は撮れる時には必ず押さえることにしている。

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