鉄道ホビダス

「ながでん」秋たけなわ。

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趣味の大先輩・宮澤孝一さんのお誘いで、このところ何かと話題の多い長野電鉄に行ってきました。懸念された天候もまずまずで、本格的な紅葉にはちょっと早いものの、たわわに実った名産のリンゴをかき分けるように走る2000系の姿を堪能することができました。
▲今年は収穫期を前にした台風もなかったせいか、沿線のリンゴの樹は信じられないほどの実りよう。つっかえ棒が必要なほど実ったリンゴの向こうを2000系特急がゆく。ちなみに、リンゴ畑に敷かれた銀色のレジャーシートのようなものは、反射によりリンゴの実の色づきをよくするためのものだそう。'05.10.29 夜間瀬-上条

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すでにご存知のように、7月に東急電鉄から8500系8輌が到着、9月2日からの営業運転開始を前に、4編成あった生え抜きの名車・2000系のうちB編成(2004+2052+2003)が8月29日付けで廃車となってしまいました。残る3編成は長野?湯田中間の特急運用に使用されているため、今後の8500系の増備で淘汰されることはありませんが、小田急電鉄から譲渡された10000系が来秋運用に入ると、当然のことながらその地位が脅かされることになります。
▲朝陽付近を快走する2000系A編成の湯田中行き特急13A。微妙な曲線で構成されたエクステリア・デザインは、誕生後48年を経た今日でも決して色褪せていない。

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そんなわけで、2000系が元気なうちに…と足を向けたわけですが、実は長野オリンピック以降、長野電鉄を訪れるのは初めてで、その変貌ぶりには今浦島の心境でした。実は四半世紀前、1980年に当時編集アシスタントをしていた『蒸気機関車』誌(キネマ旬報社)で、徹底ガイドと銘打った9ページもののガイドをやったことがあり、長電に関してはちょっとは予備知識があるつもりだったのですが、そんな自負は微塵に吹き飛んでしまいました。
▲須坂構内で休む3500・3600系たち。総計37輌の最大勢力となった“日比谷線”は今やすっかり長電の顔となっている。

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とにかく沿線に住宅やら会社、工場やらの建物が増えたことに驚かされます。有名な夜間瀬の橋梁にせよ、イメージの中では未改修の河川敷と背後の鬱蒼とした山というシチュエーションだったのですが、実際に現場に立ってみると、背後の山腹はもとより周辺は建物だらけ、河川敷はゲートボール場と化しています。そのほかにも手軽に俯瞰撮影が出来たポイントも、樹木が伸びて視界が効かないなど、時間の流れを痛感する一日でした。
▲須坂駅ホームでT編成8501Fの544レを見送る。東急東横線利用者としては、長野で見る8500系は何とも不思議な光景。

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ところで、今では長野?湯田中間を「長野線」、屋代?須坂間を「屋代線」と称していますが、私の感覚では屋代?木島間が「河東線」、長野?須坂間が「長野線」、信州中野?湯田中間が「山ノ内線」という意識が拭い去れません。2002(平成14)年3月に信州中野?木島間の通称「木島線」が廃止になり、同年9月に正式に線名を変更したそうですが、ことに「山ノ内線」が「長野線」に“併合”されてしまったがどうもしっくりきません。まぁ、それだけ歳をとったということなのでしょうが…。
▲1970年代後半、長野電鉄に足繁く通った時期があった。お気に入りは河東線の旧型車たちだったが、当時の河東線は上野から湯田中直通の急行「志賀」が屋代経由で運転されていたこともあって“本線”の風格が感じられた。写真は屋代で発車を待つ川造型モハ611+モハ603の須坂行き。'79.9.9

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