鉄道ホビダス

室木線とハチロク。

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JR九州の58654がリタイアしてしまい、可動状態にある8620形は梅小路蒸気機関車館の8630だけとなってしまいましたが、実はこのハチロクという機関車、数ある国鉄蒸機の中でも、個人的に好きな形式のひとつです。

とはいえ、昭和30年代ならいざ知らず、私の世代だと8620が幹線を行く姿など見られるはずもなく、目にすることができたのは、五能線をはじめとしたローカル線での仕業ばかりでした。そんな状況の中にあって、とりわけ印象に残っているのが飯山線と室木線です。一般的には花輪線龍ヶ森に挑む姿が称揚されますが、軽快なモーガル8620にはあまりに過酷で、個人的にはどうもしっくりときません。

飯山線では朝の飯山発長野行きの通勤列車222レだけがハチロクの牽引でしたが、長野の2輌、18688と88623はどちらも見事に磨き込まれており、軽快なブラスト音を響かせて雪晴れの信濃川河畔をゆく姿は、うっとりするほど美しいものでした。

その飯山線に比べると、室木線のハチロクは今ひとつ精彩を欠く存在でした。鹿児島本線の遠賀川から室木まで11.2キロを走る盲腸線には、とりたててこれといった見所もなく、沿線の炭礦が比較的早く閉山してしまったこともあって、運炭鉄道としての本来の姿さえ見ることはできませんでした。それにも関わらず、私のイメージの中では、なぜかハチロクにはこのとりとめのない盲腸線がぴったりで、ハチロクと聞いてまず頭に浮かぶのが室木線のことなのです。
▲筑豊の夏の昼下がりはけだるい暑さが辺りを支配している。ジョイントを踏むTR11台車の音さえもがねっとりと纏わりついてくるようだ。逆機のハチロクからは、時折、思い出したように3室の汽笛が甲高く響く。'72.8

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9600の牙城だった北九州で、若松機関区にだけは5輌の8620が配置されており、室木線と香月線に運用されていました。なかでも室木線は一日6往復の全列車が8620牽引の混合(実際に貨車が付くことは少なかった)列車でした。若松を深夜2時過ぎに出たハチロクは、一旦中間まで行って東折尾に折り返し、さらに折尾で一時間あまりを過ごした後、早朝5時過ぎに室木に到着します。6時04分室木発の遠賀川行き始発822レを皮切りに2往復半をこなし、昼過ぎには若松からやってくる僚機に午後の部をバトンタッチする運用でしたから、午前と午後で別の号機が室木線を担当する形となります。

夏の粘りつくような暑さの中、遠賀川のホームで写真を撮っていると、38629の機関士と助士がしきりに添乗していけとすすめます。たいした勾配もなく、名目上は混合列車とはいえ入換作業もないとあって、キャブの中も実にのんびりしたムードです。東京から来たというので世間話でもしたかったのでしょうが、真夏の蒸機のキャブ内の地獄の暑さはすでに体感として知っていますから、いや客車にいますから結構ですと固辞し、オハフ61の窓を全開にして室木へと向かいました。

今や新幹線の高架下となってしまい面影もありませんが、当時の室木駅は何線かの側線を擁し、盲腸線の終着駅としては想像以上の規模でした。この先、小さな山を越えるとコッペルやアルコの働く貝島炭礦の長井鶴に出るはずです。

室木駅の発車を撮影して待合室で次の列車を待っていると、村祭りでもあるのか、半被を着た子供がやってきて、私の様子を遠巻きに見ています。そのうちに一旦姿が消え、今度はお父さんらしき人と一緒に現れました。そしてそのお父さんが遠慮がちに「写真を撮ってもらえませんか」と言うではないですか。これほどかしこまって頼まれたのは初めてです。この時は二眼レフにモノクロフィルムしか入っていなかったのですが、室木駅のホームで法被姿のその子を撮影し、帰京後さっそくキャビネにプリントして送ってあげました。しばらくして筑豊の片隅から丁寧なお礼の葉書が届きましたが、室木と聞くたびに、変哲のない路線をゆるゆると走っていたハチロクの姿とともに、あの親子のことを思い出してしまいます。
▲室木で転線中の38629〔若〕。構内にはトラが留め置かれていたが、すでに貨物設備はなく、ホッパービンのコンクリート土台だけがその風化した姿を晒していた。ちなみに、この時のフィルムはフジのリバーサルで、画像処理で補正してもこの程度にまでしか修正できないほど変色してしまっている。'72.8

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