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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年12月23日

ドコービルの厩。

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▲“聖地”ドコービル家に陽が沈む。ポータブル軌道=軌匡は、コの字型に配されたこの巨大な農家から全世界に広がっていった。'95.10.26

街がクリスマスの賑わいに包まれるこの季節になると思い出すのが、ベツレヘムの厩ならぬドコービルの厩です。かれこれ14年前、フランスのガレージキットメーカー=デュトン・プロダクションのレイモンド・デュトンさんをパリ郊外のお宅に訪ねた際、わざわざ駆けつけてくれたのがドコービル博物館設立準備委員会のファーレー会長でした。

091223decauville2n.jpgポータブル軌道(可搬式軌道=軌匡)の発案者であるポル・ドコービルはパリ郊外の大農場の長男に生まれ、自らの農地から甜菜を運搬するために、独自の可搬式軌道を考案したとされます。時に1873(明治6)年。5年後にはパリ万国博覧会で金賞を獲得し、ドコービル・システムは一気に世界へと伝播してゆきます。恒久軌道としてのナローゲージが、4フィート(1219㎜)や4フィート8インチ(1422㎜)といった19世紀初頭のマザーゲージからダウンサイジングして発達したのに対して、ドコービルは突如としてフランスの農場の片隅に、いわば “降臨”したのです。
▲納屋の中に残されたオリジナル・ドコービルの軌道。'95.10.26
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091223decauville4n.jpgファーレー会長にぜひ見せたいものがあると促されてクルマを飛ばすこと30分あまり、案内されたのは時代がかった巨大な農家の納屋でした。なぜこんなところに連れて来られたのか訝しがる私に向かって、ファーレー会長はおもむろに切り出しました。
「今あなたの立っているここがドコービル家です。ドコービル・システムの生みの親であるポル・ドコービルはこの家で生まれ、この家で最初の軌匡を生み出したのです。そして足元にわずかに残された軌道こそがオリジナル・ドコ-ビルなのです。」
▲博物館設立に向けて保存車輌も集められつつあった。写真は戦後製のTMB15形小型ディーゼル機関車。'95.10.26
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なんの心構えもないまま、突然目の前に現れたベツレヘムの厩ならぬドコービルの厩。この線路がなければ、その後百年にわたって世界を席捲したインダストリアル・ナローゲージも、ひいては自分自身の趣味もなかったのかと思うと、ただただ言葉がありませんでした。

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▲ドコービル家の中庭にて。ご当主の奥様と出てくるのはドコービル博物館設立準備委員会のファーレー会長。'95.10.26

“聖地”ドコービル家に博物館を…と奔走されていたファーレー会長をはじめとした設立準備委員会ですが、残念ながらその後、公開に至ったという情報は伝わってきていません。
去り際に夕日の中で見たドコービル家の光景は、生涯決して忘れることなく深く心に刻まれています。

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