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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年12月20日

『昭和三十四年二月 北海道』ついに完成。(上)

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▲時刻は8時12分、山のくすんだ朝日が9237を照らし出す。北国の冬は石炭の匂いで充満していた。'59.2.9 大夕張鉄道大夕張炭山 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

今年の掉尾を飾るに相応しい一冊、広田尚敬さんの写真集『昭和三十四年二月 北海道』が間もなく発売となります。

091220n2931.jpgちょうど50年前の昭和34(1959)年2月2日19時25分、東北本線経由青森行き115列車で広田尚敬さんの北海道撮影行が始まりました。それまでにも青木栄一さんをはじめ(RMライブラリー『昭和29年夏 北海道私鉄めぐり』参照)何人かの先達が、北海道の鉄道、とりわけ私鉄・専用線に残された古典蒸機を求めて渡道されてはいましたが、冬季、しかも厳冬期の2月に撮影のために津軽海峡を渡った方は誰もおられませんでした。
▲ブックデザインはわが国を代表するブックデザイナー祖父江 慎さんの手によるもの。
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▲昭和34年2月2日夜、いよいよ無謀ともされた厳冬の北海道撮影行が始まる。115列車発車前の上野駅ホームで“機関車グループ”のささやかな壮行会。左から3人目の学生帽姿は本書の解説を担当してくださった『鉄道ファン』名誉編集長の宮田寛之さん。'59.2.2 上野 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

当時、広田さん24歳。大先輩の萩原政男さん(『鉄道ファン』初代編集長)からは「やめなさい。冬行ったら凍え死にます。それにお目当ての古典ロコは、雪と蒸気に包まれて見えませんよ」と忠告されながらも、夏に南九州、冬こそ北海道、寒い時にこその表情を写し撮りたいと、無謀とも思われる渡道を決意されたのでした。

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▲清水沢6時32分発の一番列車が大夕張炭山駅に到着。貨車からは天然冷凍品となった海辺の街からの荷物が次々とおろされる。'59.2.8 大夕張炭山 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

鉄道友の会の「機関車グループ」のメンバーでもあった広田さんは、この当時すでに鉄道写真コンクールの常連入賞者で、『鉄道ピクトリアル』誌上でも数々のグラフを発表されていただけあって、世代を超えて多くの方々がこの渡道を支援されました。国鉄工作局にお務めで、のちに「ゆうづる」のヘッドマーク・デザインなどでも知られる趣味の大先輩・黒岩保美さんもそのお一人で、事前に数々のレクチャーをされるばかりか、旅程に沿っていくつかの国鉄宿泊所まで紹介してくださったそうです。

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▲海抜244メートルの真谷地に向かう8100形5052。客車はコハフ1とホハ1。完全逆光のためフードが役に立たず、画面左上には覆った手が写り込んでいる。'59.2.8 北炭真谷地炭礦専用鉄道五区?六区 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

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▲夕張鉄道11号機のテンダーからすれ違う“アメB”夕鉄6号機を捉える。'59.2.7 夕張鉄道若菜 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

そして北海道の鉄道の第一人者で鉄道友の会北海道支部長でもあった小熊米雄さんは、ほとんど情報のなかった道内の私鉄・専用線の現状を伝えてくださり、24日間にわたる旅の最後には桑園の小熊さん宅を訪ねることになります。

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▲夕張鉄道の新二股から角田炭礦へは小さなポール電車が往復していた。当時はこんな山の中の炭礦街も活気に満ち溢れていた。'59.2.21 北炭角田鉱業所 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

こうして多くの皆さんに支えられながらスタートを切った厳冬の北海道撮影行ですが、カメラはなんとレンジファインダー機3台だけ。しかもレンズは標準50㎜と35㎜、そして85㎜の3本のみ。フィルムはもちろんモノクロで、しかも潤沢にあるわけではなく、ひとコマひとコマ指折り数えながらの撮影だったと聞きます。

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▲沼ノ沢で発車を待つ真谷地行き5051。三脚にセットしたレオタックスFのシャッターをTにセットし、マグネシュームをドンと発光させて写した一枚。'59.2.8 北炭真谷地炭礦専用鉄道沼ノ沢 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

寿都鉄道の8100を皮切りに24日間にわたったこの撮影行の作品は、これまで数枚を除いて発表されたことがなく、イヤーブックとして発行していた『鉄道写真』2001~2005にその途中までを連載いただきましたが、この『昭和三十四年二月 北海道』はその完成編としてお送りするものです。半世紀前、3台のレンジファインダーカメラでこれだけ圧倒的なドキュメント、いや作品が生み出されていたことに改めて驚かされるとともに、この一冊は広田写真、ひいては近代鉄道写真の“原点”を物語るものといっても過言ではないはずです。

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