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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年10月18日

くぬぎ山の97式軽貨車を見る。

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▲「電車基地見学・展示会」で公開された新京成電鉄の97式軽貨車。手前が日本車輌製、奥が新潟鐵工所製。画面奥に軌匡の展示スペースが見える。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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昨日の復元軌匡に続いて、同じく新京成電鉄くぬぎ山車両基地で一般公開されていた97式軽貨車についてご紹介してみましょう。

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▲幸いなことに2輌ともに製造銘板が残されている。左は新潟鐵工所・昭和13年11月・No.482、右が日本車輌東京支店・昭和13年9月・No.287。日本車輌分には「千」の打刻も認められる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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旧日本陸軍鉄道聯隊の制式車輌である97式軽貨車については、本誌トワイライトゾ~ンをはじめ、小ブログでも幾度となくご紹介(アーカイブ「人吉機関庫で97式発見」「中国大陸に残る97式軽貨車」参照)してまいりましたが、ここくぬぎ山の97式一組はトワイライトゾ~ンの記事がきっかけで修復保存されることになった小誌としてもたいへん縁ある個体です。今回は軌匡の復元に関してお知恵を拝借した、千葉の鉄道研究の第一人者・白土貞夫さんと二人でご案内いただきました。

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▲ありがたいことに解体された別の個体の輪軸のみも保存されている。97式軽貨車最大の特徴である軌間可変機構が、まるで“標本”のようにわかる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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もともと新京成にはかなりの輌数の軽貨車が存在していたようですが、お話では、保存を検討し始めた段階ではすでにその大半が失われており、しかも残されたものも状態が悪かったり欠品があったりで、結局、可能な限り原形を損なわないように部品を寄せ集めて、最終的にこの一組を保存対象にしたとのことです。片方は新潟鐵工所・昭和13年11月製のNo.482、もう一方が日本車輌・昭和13年9月製のNo.287で、こちらの銘板には別途「千」の打刻が読み取れます。「千」の打刻はこれまでに各地で発見されてきた97式でも報告されており、カタカナの「チ」ではないかと推測していましたが、この“287”の打刻を見る限り、明らかに漢字の「千」で、しかも製造番号等の刻印とは異なる強度で、のちに打ち込まれていることがわかります。つまり、この「千」はメーカーの打刻ではなく、受け入れの鉄聯側が打ち込んだ、第一聯隊・鉄道材料廠の所在地「千葉」の「千」である可能性が高いと思われます。

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▲ピットから新潟製の個体を見上げる。残念ながらブレーキ装置は失われてしまっているが、軽め穴のあけられた梁や、朝顔カプラーの緩衝構造などが解明できる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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ちなみに新潟鐵工所・昭和13年11月製の個体は大井川鐵道新金谷車両区でも確認されており、こちらは№599と報告されています(トワイライトゾ~ン・マニュアル4「さまよえる軍用貨車の亡霊」)。新京成の個体と同月生まれながら製番には100番以上の差があり、シリアルナンバーとすれば驚くべき輌数が生産されていたことになります。しかも、97式軽貨車はその名のとおり皇紀2597年(1937年=昭和12年)に制式化されたもので、昭和13年製ということは制式化翌年。新潟のみならず、日車、汽車、川車といった大所から梅鉢にいたるまで、一定以上の生産能力を持つ車輌メーカーに生産を割り振っていたわけですから、その総輌数は想像を絶するものだったはずです。

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▲やはりピットから車軸の軌間可変部を見る。もちろん軌間は4フィート8インチ半(1435㎜)に設定されているため、カラーは内側に組み付けられている。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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ところで、今回の公開でありがたかったのが、輪軸のみの展示も行われていたことです。97式軽貨車最大の特徴は、その軌間可変機構ですが、通常はその要となる“カラー”(スペーサー)が組みつけられた状態しか目にすることができませんので、まさに目から鱗の展示でした。簡単にご説明すると、カラーを外すと滑りキー溝の切ってある車軸に対して車輪が左右に動き、それぞれの軌間の定位置にあわせて再びカラーを組み付けるというプロセスです。

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▲軌間可変車軸はこのような構造となっている。極めてアナログだが、車軸に切られた滑りキー溝に沿って車輪が動き、定位置で締結用カラーをボルト締めする。車軸には各軌間用のボルト溝が切られているが、4フィート6インチ(1372㎜)軌間は設定がなかったため、新京成側が独自に溝を切ったという(指差している部分)。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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▲軌間可変用のカラー。大小があり、この組み合わせでリゲージをはかる。右はもうひとつの特徴でもあるベアリング入りの軸受。メタル軸受が大半だった時代に陸軍はすでにベアリングを用いている。試しに押してみたが、現在でも片手で軽々押せるほどの転がりの良さだ。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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3フィート6インチ(1067㎜)をスタートとして、1953(昭和28)年に4フィート6インチ(1372㎜)に、さらに1959(昭和34)年に4フィート8 1/2インチ(1435㎜)にと、たびたび軌間が変更されてきた新京成電鉄にとってもこの軌間可変機能を持つ軽貨車はたいへん重宝だったようで、改軌工事の際などは資材を満載して電車に牽引されて大活躍したそうです。ただ、現場の方によればこの軌間変更はそう容易いものではなく、スプラインに沿って車輪を動かすのはとても人力では不可能とのこと。鉄道聯隊が果たしてどのようなノウハウを持っていたのかも興味を引かれます。

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