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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年9月 6日

近江鉄道桜川駅の謎の廃車体を探る。(下)

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▲古枕木の柵、年季の入った木戸、彼方に広がる夏の田園…忘れられたように置かれた木造客車の廃車体。'09.8.15 桜川
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果たしてお目当ての木造客車の廃車体は、お盆の炎暑の中、しっかりとその姿を残していました。どうやらかつては保線用の用品庫兼詰所として利用されていたようですが、今ではまったく使われておらず、荒れるに任せたような状態です。

090905n001.jpg幸いなことにお願いして車内も見せていただくことができました。外観ではわからなかったのですが、車内に入るとなんと二重屋根がしっかりと残されているではないですか。しかもモニター部のさながら欄間のような意匠も見て取れ、やはりこの廃車体が尋常ならざる由緒あるものであることが察せられます。天井中央に目を転じると円形の穴を塞いだ跡も見受けられます。どうやら電灯化される以前のいわゆる“油灯”を下げた穴のようです。現在、さいたま市の鉄道博物館で展示されている明治期の客車(レプリカ)で、情景再現展示として掛員(フィギュア)が屋根から油灯を入れるシーンが見られますが(→こちら)、まさにあの油灯穴です。
▲貴生川方の妻面を見る。オフセットした出入り扉からすると、妻はどうやら詰所化する際に新たに設けられたものらしい。'09.8.15 桜川
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▲彦根方の車内。驚いたことに二重屋根がそのまま残されている。現在の屋根は2車併合改造した際に載せられたものに、さらに倉庫用のものが重ねられているようだ。'09.8.15 桜川
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▲凝った意匠の明り取り窓部もそのまま残る(左)。油灯(アセチレンランプ)用の穴も残されている(右)。湯口さんの調査によれば、1926(大正15)年8月24日付けでアセチレンランプを電灯に改良する旨の申請が出されている。'09.8.15 桜川
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▲貴生川方の車内。隅々まで検証したが、残念ながら福岡鉄工所製を示すものは見つからなかった。'09.8.15 桜川
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例によって簡単な実測もしてきましたので、帰京後「近江鉄道の木製ボギー客車」(『鉄道史料』98号)の著作もあり、なおかつ福岡鉄工所の研究でも知られる湯口 徹さんにご意見をうかがってみました。

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▲桜川駅の廃車体実測図。巻き取りメジャーによるアバウトな計測ながら、正体解明の手掛かりとして実測は欠かせない。
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湯口さんによると、この桜川駅の廃車体は1956(昭和31)年に改造名義でクハ1207・1208となった木製ボギー客車フホハニ32・33のいずれかのカットボディーではないかとのことです。しかも不思議なことに車端部を切断したのではなく、なぜか車体中央の荷物扉と窓7個分を切断し、新たに前後に妻板を設けたもののようです。

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▲2軸客車2輌を合体して誕生した近江鉄道のボギー客車のうちの1輌フホハ33。1933(昭和8)年にフホハユ2から改造されたが、側面郵便室扉は存置されている。独特のデッキ形状に注目。P:湯口 徹所蔵
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▲形式乙、は1・は2竣功図。明治31年5月大阪福岡鉄工所製造は1+は2、は3+は4を大正3年3月「近江鉄道工場ニテ併合改造」と記載されている。屋根上にはまだアセチレンランプのケースがあるのがわかる。提供:湯口 徹
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さらに奇奇怪怪なのは、この“種車”となった木製ボギー客車は1913(大正2)年に木製2軸客車2輌を“併合改造”して誕生したもので、元を正せば近江鉄道創業時の2軸客車、つまりは福岡鉄工所製の客車だったのです。明治31(1898)年に生まれ、彦根車庫の火災できわめてわかりにくい改番をされ、2輌を合体してボギー化され、郵便合造化され、モノクラスに戻され、再び荷物合造化され、台車と名義だけ電車に譲り…とこれ以上ないほどの数奇な運命を経て、辿り着いたのが桜川駅構内だったのです。

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▲末期のフホハニ32。荷物室の標記が見える。ちなみにこの時点で書類上はすでにクハ1208に車籍を譲っていたはずだが…。'56.2.9 米原 P:湯口 徹
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▲すでに台車を外されて留置されているフホハニ33。荷物扉上部の形状も酷似しており、この2輌のどちらかが切断されて現存していることになる。'56.2.7 彦根 P:湯口 徹
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▲フホハユ31・32組立図。桜川の廃車体は赤枠の部分が切断されたものと思われる。提供:湯口 徹
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湯口さんの資料と白土さんの「私鉄車両めぐり」をもとに、あらためてその複雑怪奇な道のりを遡ってみましょう。
年月日不明:車体を切断し倉庫化
昭和31年1月19日認可:台車を利用し改造名義で車籍だけクハ1207・1208に。
昭和18年3月6日認可:フホハニ32・33に再改造。
昭和15年12月18日認可:オープンデッキを密閉化。広幅の引き戸を新設し中妻を撤去。
昭和8年12月16日認可:郵便室仕切を撤去してロングシートを設置しフホハ32・33に改造。
大正15年11月16日認可:乙形は1・2を郵便合造車フホハユ1・2に改造。同時にイコライザー式台車に履き替え。アセチレンランプを蓄電池式電灯に変更。屋根上のランプケースを撤去。
大正2年9月15日認可:2軸客車2輌を併合改造。は1(初代)+は2(2代目)を乙形は1に、は3(2代目)+は4(2代目)を乙形は2に。
明治45年7月1日:彦根車庫火災に伴い、は3(初代)をは2(2代目)に、は4(初代)をは3(2代目)に、は5(初代)をは4(2代目)に改番。
明治31年5月:近江鉄道開業に備え、大阪・福岡鉄工所で、は1・3・4・5として誕生。

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▲かつては桜川のみならず各所にあったという木造客車を利用した倉庫だが、最後に残されたこの個体が近江鉄道創業時の客車であったとは、まさに奇跡的。'09.8.15 桜川
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は1・3・4・5の4輌のうちのどれかはわからないものの、この廃車体が近江鉄道が創業に際して用意した客車のうちの1輌であることはほぼ間違いなさそうです。御料車などの特別車輌は別として、現存する明治期の一般客車はきわめて数が少なく、先述のように鉄道博物館にしてレプリカを展示しているのが実状です。原形への復原は不可能としても、一昨年から公開されている近江鉄道ミュージアム(アーカイブ「近江鉄道ミュージアムを見る」参照)の一隅にでも創業期の車輌として置いていただけたら…そんな思いを抱きながら桜川駅をあとにしました。

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