鉄道ホビダス

2009年9月11日アーカイブ

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▲『汽車之友』明治41年2月号のD9形229号(のちの6205)口絵。ブルーに着色されているが、一般向けの絵本などと違い“専門誌”だけに実機の色彩に近いのではなかろうか。 (本多邦康さん提供)
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本誌8月発売号で梅小路蒸気機関車館入りを詳しくお伝えし、小ブログでもその搬出の様子をお伝え(アーカイブ「1080搬出の記録」参照)した1080号機については、多くの皆さんからお便りを頂戴しておりますが、大阪の本多邦康さんからはたいへん興味深い史料をたくさんお送りいただきました。参考までに…というにはあまりにもったいない史料の数々ですので、本多さんにお願いしてここに公開させていただくことにいたしました。

090911n021.jpg梅小路への1080号の移籍を非常に喜んでおります。1080号を今後もぜひブログとRMに取り上げてください。さて我が家の資料からD9に6200・6270形および梅小路と1070形に関して少しお送り致します。 まずは6237号の絵葉書と、技術雑誌『汽車之友』(汽友社)からD9形229号及びD9の表紙です。6237号はのちに東武へ払い下げ。D9形229号は、1070形へ改造されていますが、どちらもデゥープス製ではなく、ニールスン製D9です。
▲『汽車之友』第22号表紙。月2回刊と謳われているから驚き。 (本多邦康さん提供)
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『汽車之友』は明治35年創刊の日本でもっとも古い蒸気機関車従事員向けの機関車技術雑誌です。229号の着色写真は青みがかった緑に塗られているのがわかります。市販の絵葉書と違って、鉄道部内者向けの技術雑誌のため、着色の精度が高いのではと期待しています。黒岩保美氏がご健在であれば非常に喜ばれたことでしょう。

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▲絵葉書に見るD9形6237号機(もと619)。のちに東武鉄道に払い下げられ、同社の47号機となり、1959(昭和34)年まで存命した。 (本多邦康さん提供)
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次は昭和15年当時梅小路機関区長だった今村一郎氏の著書『機関車と共に』(昭和37年発行)です。昭和2年秋頃、梅小路の京都~園部の補機運用専用に1070形2台があてられていたが、蒸気不昇騰を頻発して使っていなかった云々の記述があります。ちなみに文中のM区長は昭和一桁当時の梅小路庫の名物機関庫主任本山邦久氏を指します。

この記述は梅小路区に配置されていた1070形の実態について、当事者が語ったきわめて貴重な証言であり、さらには鉄道省内のヒエラルキーも見て取れる興味深いものですので、あらためてテキスト入力した該当部分をご覧に入れましょう。

「いまはなくなったかも知れないが、昔は機関車の毎日の使用状況を番号別に取りまとめて、毎月機関区から局に報告されておった。
 神戸鉄道局が大阪に移転するすこし前であったから、昭和2年秋のことであったと思う。課長の馬場さんが私を呼んで、梅小路機関区所属の1070形が2両とも2ヶ月以上に亘ってほとんど休車しておるのは何故かとの質問である。そのころ梅小路機関区のこの形式は、山陰本線京都園部間の補機に専用しておったが、ここ2ヶ月ほどほとんど8620形を補機に使用して指定の1070形を使っていないのである。これについては何べんも検修の担当者から機関区に対して指定の形式を使用するよう注意し、あわせてその理由をたずねておったが、機関区からは、機関車状態が不良で蒸気の騰発が悪いため勾配線での使用に耐えないといって来ておったので、私からその旨をお答えすると、馬場さんが、なおもう一度君から直接区長に話して見よとのことである。私が区長に課長のこの旨を伝えて実情を尋ねたところ、区長曰く「この1070形は2両とも蒸気騰発が悪く、とても勾配線の補機仕業には使えない。一般状態が悪いのだから次回入場の際徹底的に修理するしかあるまい」とのことである。私からこの区長の返事を聞いた馬場さんは少し荒い語調で私に、現車について直接調査して見よといわれた。
 私はその道の大家であるM区長(Mさんはその後吹田区長から門鉄、名鉄の機関車課長、大阪運輸事務所長を歴任された機関車界の大先輩)が調べて判らないものを、私が行って見たとて判る筈がないからといって辞退したが、判らなければ判らなくともよい、兎に角直接調べて見よといって私の辞退を聞入れて下さらない。私は仕方ないので出かけることにしたが、手ぶらで出かけても仕様がない。蒸気不騰発といえば先ず吐出筒口の適否如何ということになるので、私は鷹取工場に話をして1070形に適合する吐出筒口を大小4個と、吐出管の中心を修正する傾斜板数枚を用意して機関区へ出向いた。
 そして先ずこの機関車を重連で使用してその状態を見たのであるが、給気運転中の排気の音調が不良でほとんど連続しておる。一見して弁室かシリンダの漏れの普通でないことが観取できた。それで途中で調査を打ち切って機関車を機関区に引取り、試みに弁室の漏洩検査をやって見たところ、漏洩のため気室の圧力が缶圧力まで上がらない。漏洩時分は5秒にも達しないのである。弁室を開けて見たら、いつか油をきらしたものらしく、弁座も弁も大変な掻疵である。流石のM区長も全く顔色なしといった恰好であったが、私としては調べに来ただけの甲斐はあったわけであった。」
(『機関車と共に』より)

中部地方の名古屋鉄道局の大正10年8月1日改正(まだタンク改造されていない)の機関車運行表の抜粋が以下です。「甲組」ならぬ名古屋機関庫「己組」が、6200形(6270形も含むと思われる)8輌で名古屋から熱田・千種・白鳥・名古屋港・大垣の仕業を受け持ち、「庚組」が、6250形4輌で名古屋から名古屋派出・亀山間、「辛組」が6250形6輌で名古屋から熱田・多治見間を受け持っているのが見てとれます。

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▲きわめて貴重な大正10年名古屋鉄道局の機関車運行表。運用表と交番順序表が組み合わされたものだが、運用表の表記方法が現在と異なる点にも注目。 (本多邦康さん提供)
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本多さんからお送りいただいた目から鱗の資料はまだまだ続きます。

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