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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年5月26日

私の「京都市電最後の日々」。

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▲烏丸通りを挟んで東西2ヶ所のターミナルを擁した京都駅前電停も、最後に残されたのは東側の1本のみだった。「6号系統」の案内表示が下がるホームで満員の乗客に困惑ぎみの1920。当時の乗車料金は均一90円。'78.3.28 京都駅前
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4月、5月の2回にわたってお届けしたRMライブラリー『京都市電最後の日々』は、おかげさまでたいへん好評をいただいております。なんと言っても高橋 弘さん撮影の先鋭かつフォトジェニックな写真の数々が、京都の街並みにいかに市電が似合っていたのかを改めて思い知らせてくれます。

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▲東山線を行く1925車内。1900形は900形直接制御車のワンマン化改造車で、現在その大半が広島電鉄で活躍中。'78.3.28 (アーカイブ「“京都市電1900”との邂逅」参照)
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京都市電というとなぜか思い浮かぶのは夏。盆地特有のあの纏わりつくような暑さに、撮影を中断して喫茶店に入ってばかりいた記憶があります。そんな“逃避”の中で見つけたのが、東山線「叡電前」電停横にあった喫茶店、その名も「交叉点」でした。市電健在なりし頃の叡電前(元田中)は、名前のとおり京福電気鉄道叡山線(現・叡山電鉄)との平面交差地点で、路上の電停を降りて目の前の叡電・元田中駅へ乗り継ぐことが可能でした。

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▲最後の車庫となった烏丸車庫で出庫に備える1867。22系統は外周環状線を巡る系統で、6系統とともに最後に残された系統板であった。'78.3.28 烏丸車庫
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喫茶「交叉点」はその平面交差をちょうど見下ろす二階にあり、もちろん市電と叡電を眼下に見下ろせる窓際の席が一番のお気に入りでした。当時はまだ叡電はポール集電のまま。市電とポール電車の平面交差という今さら思えば願ってもない被写体が目の前にあったわけですから、クーラー(エアコンではなく…)の誘惑に惑わされることなく、もっと真剣に撮影に取り組んでいればと反省しきりです。

090526n005.jpgちなみにこの平面交差には、かつて市電東山線から叡電への連絡線が設けられており、1955(昭和30)年まで6年あまりの間、この連絡線を使って市電が叡電の山端(現・宝ヶ池)まで乗り入れていたそうです。これは宝ヶ池に新設された競輪場への足の便を確保するためで、『京都市電最後の日々』上巻には叡電線内を走る市電1000形の貴重な写真も収められています。
▲叡電前電停横の喫茶「交叉点」のお気に入りの席にて…。左手間に見えるのは当時愛用していた英国製の単独露出計ウェストン・ユーロマスター。'78.3.28 叡電前
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時は流れ、私が最後に京都市電を訪れたのは廃止半年前の1978(昭和53)年3月末のことでした。この時も「交叉点」に寄り、窓際の席で暫し市電と叡電との出会いを楽しみました。早いものであれから31年…夏の訪れとともに、再びあの叡電前「交叉点」のことが思い出されてきます。

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