鉄道ホビダス

2009年5月アーカイブ

090531tobu001.jpg
▲特急電車モハ5701号「ネコひげ」展示イメージ。(提供:東武博物館)

この1月に近江鉄道ED4001と東武鉄道の元特急車5700系モハ5701号の東武博物館への搬入(アーカイブ「ED4001とモハ5701が東武博物館に到着」参照)の様子をご紹介しましたが、なんとリニューアルオープンにあわせて両者が登場時の姿に復元されて公開されることが発表されました。

090531ntobu002.jpg先週、東武鉄道と東武博物館が発表したもので、東武博物館のリニューアルオープンは7月22日(水)。主なリニューアルポイントは以下のようなものだそうです。
1:東武鉄道が戦後初めて新造した特急電車5700系モハ5701号の車体前面部を、登場時の流線形である「ネコひげ」に復元して展示します。
2:東武鉄道最初の電気機関車ED101形101号を、登場時の姿に復元して展示します。これにより、東武鉄道の歴史を語る最初の蒸気機関車・電車・電気機関車が一同に揃います。
3:電車のシミュレーションでは、フルハイビジョン映像で運転体験がお楽しみいただけます。
4:大パノラマ(ジオラマ)では、新しい時代の東武沿線の風景に模様替えします。
▲登場時の姿に復元された電気機関車101号。(提供:東武博物館)
クリックするとポップアップします。

tobu006nn.jpg
▲近江鉄道から東武博物館に搬送されるED4001の車体。(提供:東武博物館)

ファンにとってなんと言っても興味深いのは5700系モハ5701号の「ネコひげ」への復元でしょう。リリースによれば、5700系は戦後初の特急ロマンスカーとして1951(昭和26)年から1953(昭和28)年にかけて12輌が新造され、1951(昭和26)年9月に浅草~東武日光・鬼怒川温泉間の特急電車としてデビューしました。2輌固定編成で、当初は車体や機器の構造からA~C編成の3つのグループに分類され、A編成のグループに属していたモハ5701号は、車体の前面部が流線形で、あたかも猫のひげのようにみえるヘッドマークが付いていることから「ネコひげ」の愛称で呼ばれていました(後に貫通ドア付きの前面に改造)。最高速度は95km/h。56人乗りのシートは、すべてひじ掛け付きの前後転換式のほか、私鉄では初めて蛍光灯が使用されたのも特筆されます。日光線特急で活躍した後は伊勢崎線急行に転用され、後年は団体用となり1991(平成3)年7月に引退するまで活躍を続けました。私鉄特急史に残る名車と称せましょうが、流線形の「ネコひげ」時代を実見された方は少なく、果たしてどんなものだったのか、今から復元車を見るのが楽しみです。

tobu004nn.jpg
▲リニューアル後のエントランスイメージ。(提供:東武博物館)

tobu003nn.jpgこのリニューアルオープンにあたり、オープン日の7月22日(水)から同館において、「開館20周年・リニューアル記念イベント」が開催されます。リリースによると概要は以下のとおりです。
1:記念品進呈
開館20周年・リニューアル記念「クリアファイル」と「ポストカード」を先着10,000名さまにプレゼントします。
(1)開催日 2009年7月22日(水)から
先着10,000名さまに達した時点で終了いたします。
(2)時間 10:00~16:00
(3)場所 インフォメーション
(4)対象 入館された方
2:開館20周年&リニューアル記念特別展
今年、開館20周年を迎え、ならびにリニューアルオープンを記念して、新展示車輌である特急電車モハ5701号と電気機関車101号をはじめとする、全展示車輌の搬入から展示までを紹介するほか、東武博物館における20年の歴史をたどります。
(1)開催日 2009年7月22日(水)~9月23日(水・祝)
月曜日は休館。ただし、9月21日(月・祝)は開館。
(2)時間 10:00~16:30
入館は16:00まで。
(3)場所 記念物・保存物展示コーナー、東武博物館ギャラリー
▲新しく導入される50050形電車(ワンハンドルタイプ)シミュレーション(イメージ)。
(提供:東武博物館)

tobu005nn.jpg
▲開館20周年・リニューアル記念「クリアファイル」と「ポストカード」。(提供:東武博物館)

このほかデハ1形5号電車前ほかでは「プラレール」を使った7種類のアトラクション「プラレールフェスタ」(7月28日~8月9日)も開催され、夏休みの東武博物館は各方面から大きな注目を集めるはずです。
■東武博物館
場所:東京都墨田区東向島4-28-16(東武伊勢崎線東向島駅下車)
開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日休館)
入館料:おとな 200円・こども(4才~中学生)100円

towa16_bunner.jpg

E233系2000番代報道公開。

090530n07.jpg
▲置き換え対象の203系、207系900番代と並んだE233系2000番代。置き換えが完了すると、いよいよ常磐緩行線からも国鉄型電車が姿を消すことになる。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

先日、東急車輛からの出場時の姿をお伝えした常磐緩行線用E233系2000番代の報道公開が5月27日、配属先の松戸車両センターで行われました。

090530n01.jpg
▲9月上旬から常磐緩行線に投入予定のE233系2000番代。乗り入れ先の千代田線内では同じくE233系をベースに開発された小田急電鉄4000形と顔を合わせることになる。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

090530n06.jpgこのE233系2000番代は、既存の203系および1本のみの存在である207系900番代の置き換え用として投入されるもので、中央快速線や京浜東北線で活躍するE233系をベースとしながら、乗り入れ先である東京メトロ千代田線の車輌限界に合わせて、E233系では初めて、裾絞りのないストレート車体を採用、前面に非常用の貫通扉を設置したものです。
▲E233系2000番代の特徴の一つである前面の非常用貫通扉。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

090530n02.jpg
▲車内。腰掛のモケットはブルー系が採用されている。また扉上の案内表示器は各1画面ながら京浜東北線用と同じく17インチワイド(16:9)LCDが採用されている。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

編成は既存の常磐緩行線用の203系、207系900番代、そして209系1000番代と同じく、4・7号車にサハを連結した6M4Tの10輌編成。パンタグラフを持つモハ233形は3・6・8号車で、このうちE233系の特徴の一つである予備パンタは6号車に搭載されています。

090530n03.jpg
▲車イススペースは209系1000番代と同じく2・9号車に設置。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

090530n05.jpg
▲既存のE233系と同じく3画面の液晶が並ぶ運転台。'09.5.27 松戸車両センター P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

千代田線直通用としては103系1000番代から数えて5系列目となる、このE233系2000番代は、9月上旬から営業運転が開始される予定で、今年度は1本ながら、来年度以降は17本が順次導入されます。

towa16_bunner.jpg

真島満秀さんを偲んで。

090529n006.jpg
▲真島満秀さんが遺された写真集や著作の数々。近年ではJR6社の「青春18きっぷ」ポスターや鉄道博物館のオフィシャル写真の数々が思い浮かぶ方も多いはず。'09.5.28
クリックするとポップアップします。

昨晩は3月14日に急逝された鉄道写真家・真島満秀さんを偲ぶ会が、東京・新宿のハイアットリージェンシー東京で行なわれました。生前の幅広い交友を物語るように、鉄道関係のみならず、多岐にわたるジャンルの縁の方々200人あまりが集い、しめやかな中にもそれぞれの熱い思いの詰まった偲ぶ会となりました。

090529n001.jpg
▲献花に埋め尽くされた祭壇。愛用のハッセルブラッドを構え、語りかけるような真島満秀さんの眼差しが200名を越える参列者を見続けた。'09.5.28
クリックするとポップアップします。

090529n002.jpg真島さんは1946(昭和21)年に長野でお生まれになり、コマーシャル・フォトの分野で活躍されたのち、主にレーシング・カメラマンとして表舞台に立たれるようになります。1970年代中盤、主にヨーロッパを転戦されるなかで小さなアクシデントに遭われ、その際乗り合わせた列車のアテンダントの心温まる対応に「鉄道」への思いを新たにされ、以後、鉄道撮影に傾倒されることになったとうかがいます。1982(昭和57)年からは交通公社(JTB)時刻表の表紙の撮影を開始、近年では「青春18きっぷ」の一連のポスターが大きな共感を呼びました。
▲取材風景を収めたビデオも上映され、勢力的に撮影をされる姿がモニター上に甦った。'09.5.28
クリックするとポップアップします。

090529n005.jpg
▲会場も一隅は真島さんのプライベートタイムの写真で埋め尽くされた。生前のあの笑顔がいっぱい…。'09.5.28
クリックするとポップアップします。

「鉄道写真は、機能としての“車輌写真”のみならず、鉄道がいかに生きている人々や自然と関わっているかを撮らなければならない」というポリシーのもと、これまでに発表された膨大な写真は、レイル・ファンのみならず、それまでとりたてて鉄道を意識しなかったであろう多くの人々に鉄道の魅力をアピールし続けてきました。

090529n003.jpg090529n004.jpg
▲ライカM6(手前)をはじめとした真島さん愛用のカメラたちと、ロケに常に一緒だったカメラバッグ。'09.5.28
クリックするとポップアップします。

そして今回の偲ぶ会であらためて気づかされたのが、真島さんが創ってこられたのは写真ばかりでなく、“人”だったということです。主宰された真島写真事務所からは猪井貴志さんをはじめ、中井精也さん、山崎友也さんなど、現在鉄道写真界の第一線で活躍されている多くのプロカメラマンが育っています。また、直接の指導を受けないまでも、真島さんからの心情的薫陶を受けて育ったカメラマンも多く、そのいわば“DNA”はこれからもあらゆる場面で花開いてゆくに違いありません。

090529mashima002.jpg
ところで、7月30日から東京・品川のキヤノンギャラリーSで真島さんの遺作展“「鉄道回廊」一期一会を求めて”が始まります。キヤノンギャラリーの担当者の方にうかがったところでは、この写真展、決して遺作展ではなく、真島さんが生前企画し、開催を楽しみにしておられたものだそうで、それだけ急逝されたということなのでしょう。詳しくはまた小ブログでもご紹介申し上げますが、会期は9月14日までのロングラン。真島さんがどんな“一期一会”を求めて全国を歩いていたのか、ぜひ会場でその答えを探してみたいと思います。

090529mashima.jpg

あたらめてご冥福をお祈りいたします。Rail Magazine編集長 名取紀之

叡電前「交叉点」は今…。

090527n021.jpg
▲昨日、高橋 修さんが撮影してきてくれた元田中(かつての叡電前)の現況。京都市電はここで叡電と平面クロスしていた。バックに見える日除けひさしの出ている二階がもとの喫茶「交叉点」。'09.5.27 P:高橋 修

一昨日ご紹介した京都市電「叡電前」電停の喫茶「交叉点」(→こちら)ですが、RMライブラリー『京都市電最後の日々』の著者・高橋 修さんが、昨日、現地の様子を見てきてくれました。高橋 修さんは同書でもご紹介しているように、お父様の高橋 弘さんがご主人をなさっている、同じ市電東山線の五条坂電停前の写真店のご子息。お仕事の合間を縫って、わざわざ見にいって下さったようです。

09528eiden001.jpg予想通り喫茶「交叉点」はなくなっていましたが、同じ2階には別のカフェが入居しており、叡電向きのガラス張りの席はまだ健在のようです。当時の外観写真が残っておらず正確にはわかりませんが、記憶の限りではビル建物そのものも基本的に当時のままと思われます。木造の踏切小屋をはじめとした周囲のストラクチャーは大きく変貌を遂げてしまっていますが、あの懐かしい空間がいまだに残されているのはなんとも嬉しい限りです。
▲叡電前での京都市電と叡電との出会い。画面右には古風な踏切小屋が見える。私が最後に叡電前を訪れたわずか2週間後の撮影。'78.4.10 P:高橋 弘 (RMライブラリー『京都市電最後の日々』下巻より)

090528eiden002.jpg
▲八瀬遊園(現・八瀬比叡山口)に到着しようとするデナ500形。とりたてて気にもせずに撮った写真だが、今から思うとこんな木橋があたりまえのように残っていた時代だった。'78.3.28 三宅八幡-八瀬遊園 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

090528eiden004.jpgところで、この最後の訪問時のネガを見返してみると、「交叉点」で一服したのち、元田中から叡電に乗って八瀬遊園、現在の八瀬比叡山口へと向かったことがわかります。当時の叡山本線は、京都電灯、鞍馬電気鉄道時代からの引継車であるデナ21形の天下。昭和初期生まれのポール電車が、八瀬への33.3‰勾配を盛大な吊り掛け音を響かせながら登っていました。期せずしてこの年に叡電はパンタグラフ化されてしまうのですが、撮影時点では当然ながら気づいていませんでした。
▲デナ22の車内。古風な外観ながら床板をはじめ、かなり更新が図られているのがわかる。'78.3.28 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

090528eiden003.jpg
▲三宅八幡に到着する出町柳行きデナ22。シンプルトロリーの架線にトロリーポールの組み合わせはこの年を最後に見られなくなってしまった。'78.3.28 八瀬遊園-三宅八幡 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

“定点観測”をお送りいただいた高橋 修さんには重ねてお礼申し上げますが、ネット時代の情報速度を改めて思い知らされた気もいたします。それにしても、いつの日か、あの懐かしい二階席で、叡電ならぬ叡山電鉄の電車をゆっくりと眺めてみたいものです。

※明日29日(金曜日)15時30分から約20分間、NHKラジオ第1「金曜旅倶楽部」で「SL復活!初夏 肥薩線の旅」と題して生トークを放送いたします(→こちら)。ぜひお聴き下さい。

towa16_bunner.jpg

“たま電車”が人気。

090527n0911.jpg
▲メディアでもたびたび取り上げられ大人気の“たま電車”2275+2705。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

2月25日付けで改造途中の様子(アーカイブ「“たま電車”まもなく完成」参照)をいち早くお伝えした和歌山電鐵の“たま電車”ですが、3月21日にデビューを飾って以来、たいへんな人気で、モチーフとなったスーパー猫駅長「たま」を凌いで新聞・テレビに取り上げられ、集客にも大きく貢献しているそうです。

090527n0663.jpg
▲その車内。水戸岡鋭治さんによるこだわりぬいたインテリアは想像を遙かに超えたもの。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

前回はまだ内装が完全に完成しておらず、詳細をお見せすることができませんでしたが、桃根 医さんから詳しい画像データを頂戴いたしましたので、今日はその驚くべき内装をたっぷりとお目に掛けることにいたしましょう。

090527n0677.jpg090527n0670.jpg
090527n0673.jpg090527n0672.jpg
090527n0765.jpg090527n0685.jpg
▲シートはことごとく違ったデザインとなっている。木製のベンチの脚部も猫脚になっているなど、とにかく見所満載。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

090527n0802.jpg090527n0947.jpg
▲木製のベビーサークル(左)とオリジナルグッズ・コーナー(右)。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

ドーンデザイン研究所を主宰する水戸岡鋭治さんが徹底的にこだわられただけあって、シートはもとより壁面から床まで、ふたつとして同じ部分がないほどのまさにワンダーランド状態。目を凝らして見ているだけで全線30分弱の乗車時間はあっという間に過ぎてしまいそうです。

090527n0680.jpg
▲まるで図書館のように関連図書が自由に閲覧できるコーナーも設けられている。もちろん弊社の『NEKO』も常備。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

090527n0647.jpg090527n0730.jpg
▲側ドア内側には無数のたまちゃんが…(左)。床にも足あとがついているから驚き(右)。'09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

090527n0637.jpg090527n0957.jpg
▲たまちゃんはあらゆる所に顔を出す。なんとインテリアライトもたまちゃんの後ろ姿! '09.4.10 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

なお、本誌今月号でもご紹介しているとおり、和歌山電鐵の親会社にあたる岡山電気軌道にも4月30日からこの“たま電車”の路面電車版が登場しています(「台車近影」参照)。種車となったのは7101号。本家“たま電車”は101匹のたまちゃんが描かれていますが、路面電車版は35匹。それでもオリジナルのモケットなど内装もオリジナルの“たま電車”に負けじと注目を集めています。

towa16_bunner.jpg

090526n001.jpg
▲烏丸通りを挟んで東西2ヶ所のターミナルを擁した京都駅前電停も、最後に残されたのは東側の1本のみだった。「6号系統」の案内表示が下がるホームで満員の乗客に困惑ぎみの1920。当時の乗車料金は均一90円。'78.3.28 京都駅前
クリックするとポップアップします。

4月、5月の2回にわたってお届けしたRMライブラリー『京都市電最後の日々』は、おかげさまでたいへん好評をいただいております。なんと言っても高橋 弘さん撮影の先鋭かつフォトジェニックな写真の数々が、京都の街並みにいかに市電が似合っていたのかを改めて思い知らせてくれます。

090526n002.jpg090526n003.jpg
▲東山線を行く1925車内。1900形は900形直接制御車のワンマン化改造車で、現在その大半が広島電鉄で活躍中。'78.3.28 (アーカイブ「“京都市電1900”との邂逅」参照)
クリックするとポップアップします。

京都市電というとなぜか思い浮かぶのは夏。盆地特有のあの纏わりつくような暑さに、撮影を中断して喫茶店に入ってばかりいた記憶があります。そんな“逃避”の中で見つけたのが、東山線「叡電前」電停横にあった喫茶店、その名も「交叉点」でした。市電健在なりし頃の叡電前(元田中)は、名前のとおり京福電気鉄道叡山線(現・叡山電鉄)との平面交差地点で、路上の電停を降りて目の前の叡電・元田中駅へ乗り継ぐことが可能でした。

090526n004.jpg
▲最後の車庫となった烏丸車庫で出庫に備える1867。22系統は外周環状線を巡る系統で、6系統とともに最後に残された系統板であった。'78.3.28 烏丸車庫
クリックするとポップアップします。

喫茶「交叉点」はその平面交差をちょうど見下ろす二階にあり、もちろん市電と叡電を眼下に見下ろせる窓際の席が一番のお気に入りでした。当時はまだ叡電はポール集電のまま。市電とポール電車の平面交差という今さら思えば願ってもない被写体が目の前にあったわけですから、クーラー(エアコンではなく…)の誘惑に惑わされることなく、もっと真剣に撮影に取り組んでいればと反省しきりです。

090526n005.jpgちなみにこの平面交差には、かつて市電東山線から叡電への連絡線が設けられており、1955(昭和30)年まで6年あまりの間、この連絡線を使って市電が叡電の山端(現・宝ヶ池)まで乗り入れていたそうです。これは宝ヶ池に新設された競輪場への足の便を確保するためで、『京都市電最後の日々』上巻には叡電線内を走る市電1000形の貴重な写真も収められています。
▲叡電前電停横の喫茶「交叉点」のお気に入りの席にて…。左手間に見えるのは当時愛用していた英国製の単独露出計ウェストン・ユーロマスター。'78.3.28 叡電前
クリックするとポップアップします。

時は流れ、私が最後に京都市電を訪れたのは廃止半年前の1978(昭和53)年3月末のことでした。この時も「交叉点」に寄り、窓際の席で暫し市電と叡電との出会いを楽しみました。早いものであれから31年…夏の訪れとともに、再びあの叡電前「交叉点」のことが思い出されてきます。

rml118bn

090525n001.jpg
▲機関庫(?)に眠る謎のガソリン機関車。機関庫と言ってもほとんど倉庫で、お目当ての機関車は戦前のある日、仕業を終えて入庫して以来ずっとこの暗闇に潜んでいるらしい。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

もとの機関庫と思われる木造二階建ての倉庫は、今ではほとんど使われなくなっているようで、古めかしい木製の扉には南京錠が掛けられて、さながら開かずの間といったところでしょうか。お願いしてその扉を開けていただくと、ひさしぶりに差し込んだ光の先にまるで骸骨を連想させる小さなガソリン機関車の姿が…。倉庫内に照明装置はまったくなく、扉から差し込む外光だけが頼りですが、次第に目が慣れてくると、機関車ばかりか平トロやらレールやら車輪やら、軌道関係用品の一切合財がこの倉庫に詰め込まれているのがわかります。

090525n003n.jpg機関車は原始的なフリクション変速装置を持つ軌間2フィート6インチ(762㎜)、3t程度の超小型機で、見渡した限りではアイデンティティーを証明するものはまったく見当たりません。唯一、不似合いなほど大きなラジエーターのシェルに“Buick”(ビュイック)の七宝製エンブレムが残されています。古いトラックに詳しい姉妹誌『Model Cars』編集部に鑑定を依頼したところ、1920年代後半から1930年代初頭にかけてのものだとか…。ただ、このラジエーターを見て機関車自体がただちにビュイックと何らかの関係があると見るのは早計で、この手の機関車にありがちな、製造後に振り替えられた可能性も否定はできません。
▲ラジエーターシェルには七宝製のビュイックのエンブレムが光る。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

090525n002.jpg
▲キャブ構体はほとんど骨だけとなってしまっているが、雨ざらしでないだけ外見ほど状態は悪くない。左に平トロが立てかけてあるのが見える。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

090525n003.jpg
▲原始的なフリクション変速装置もほとんど欠品のないまま残されている。ちなみに円板は出力側がφ565、変速側がφ600(いずれも実測)であった。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

090525hensoku.jpg
▲フリクション変速方式の模式図。機械式ミッションを使った変速機より格段に構造が簡単。 (『トワイライトゾ?ン・マニュアル 3』より)

フリクション変速方式はギアを使った機械式変速機が普及する前に用いられていた極めて原始的な変速方法です。エンジンの出力軸(クランクシャフト)に直結した円板(フライホイール)に、これと直角方向で左右にしゅう動できる円板(摩擦輪)を押し当てることによって動力を伝達、変速・逆転を行なう方式で、“摩擦”がすべてなだけに牽引力が限られている反面、構造が極めて単純でメンテナンス性に優れているメリットもあります。以前ご紹介した渡邊製GL(アーカイブ「古典ガソリン機関車救出作戦」参照)を含め、わが国に残存しているフリクション・ドライブの内燃機関車はわずか5輌ほど、極めて貴重な個体と言えましょう。

090525n006.jpg090525n005.jpg
▲直列6気筒ガソリンエンジンの給排気側(左)と電気側(右)。“Buick”の陽刻は確認できたものの、残念ながら形式を特定することはできなかった。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

それにしても機関車自体の出生を暗示させるものはまったく見当たらず、謎解きは今後の課題と言えましょう。実測によるディメンションは全長2850㎜、全幅1110㎜、ホイールベース950㎜で、類似のプリムスCL形より多少小ぶりです。

090525n007.jpg動力近代化の旗手として投入されたこのガソリン機関車でしたが、先述のように脆弱な軌道状態ではとても使用に耐えず、いくばくもなく使われなくなってしまったのだそうです。現在機関車が載っているレールにしても、実測で高さ50㎜ほどですから、換算すれば6㎏/m程度と、とても機関車が運行できそうもない軽レールです。いったいいつ頃使われなくなったのかは定かではありませんが、戦後は再び馬力に戻っていたということですから、戦前、しかも燃料事情が逼迫するはるか以前に眠りについたのではないでしょうか。
▲主台枠のステップ部分。基本的には初期のプリムスCL形等と類似した形態である。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

遙か半世紀以上も眠り続けているこの謎のガソリン機関車、いつの日か天草陶石の歴史の語り部として保存されることを願ってやみません。
最後に、ご親切に案内下さった上田陶石の皆さんに改めてお礼申し上げます。

towa16_bunner.jpg

090524n001.jpg
▲高浜川沿いに上流の採掘現場を目指す軌道跡と思われる小道。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

天草陶石の埋蔵量は4~6億トンとされ、そのほとんどは天草灘に面した天草下島西部に分布しています。鉱床は南北約13キロに達し、海岸線に沿ったその名も海岸脈、その南側の村山脈、内陸部に入った皿山脈に分類されます。

090524fig.jpgこの中で搬出港への便の良い海岸脈・村山脈に対し、内陸部に位置する皿山脈(最大幅25m、総延長7km)は有望な鉱脈であるにも関わらず搬出手段が乏しく、これを解決する策として考案されたのがインクラインと馬車軌道の敷設でした。高浜村の名士である上田家は高浜焼(1762~)の元祖でもあり、江戸時代から明治時代中期までたゆみなく陶石の探査開発を行っていたといいます。それだけに本格的な量産体制を確立するためには効率的な輸送手段の確保こそが不可欠だったのでしょう。インクラインと馬車軌道の敷設は1912(明治45)年と記録されています。
▲天草陶石鉱床図。皿山脈の採掘現場からインクラインでおろされた陶石は、高浜川沿いの軌道を使って高浜港へと搬出された。 (上田陶石提供)
クリックするとポップアップします。

090524n005.jpg
▲高浜港に近い上田陶石本社付近の軌道跡。軌道は左の台貫(秤)の辺りを抜けていたという。画面前方が採掘現場方向、右の建物がもとの「機関庫」。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

皿山脈から採掘された陶石はインクラインで高浜川沿いの馬車軌道におろされ、高浜港まで約4キロほどの道のりを馬に牽かれて下ってゆきます。出荷先は主に佐賀県。ミル(製粉機)等はなく、原石のまま船積みして出荷していたそうです。

090524n003.jpg残念ながら軌道の所有者であった上田陶石合資会社本社にもほとんど写真は残されておりませんが、「上田軌道開通拾周年記念」と銘打たれたお皿を見せていただくことができました。軌道の開設が先述のように1912(明治45)年とすれば、1922(大正11)年に作られたものでしょうか、ノリタケ製の品の良いお皿の表面にはかなりの高度を持ったインクラインの姿が焼き付けられています。
▲「上田軌道開通拾周年記念」と記された皿。ノリタケに特注したものだという。
クリックするとポップアップします。

090524n004.jpg
▲その皿に焼き付けられたインクラインの全容。皿山脈の陶石はこのインクラインで馬車軌道へとおろされた。
クリックするとポップアップします。

すでにこのインクライン稼動時の状況を知る方はおられないそうですが、逸走したインクライン台車が下部軌道で待機している馬に当たってしまった事故などが、いまだに語り継がれているようです。

090524n002.jpg
▲わずかに残された馬車軌道時代の写真。ガソリン機関車が使用に耐えず、再び馬力に戻された戦後の写真と思われる。軌間は762㎜、レールの細さに注意。
クリックするとポップアップします。

開通後しばらくは馬力で運転していた軌道ですが、さらに輸送の効率化を図ろうとガソリン機関車が導入されます。これまた当時を知る方がおられず資料も残されていないため、いったいいつ頃どういった経緯で導入されたものかは不明ですが、中古で購入されたのはフリクション変速の古色蒼然としたガソリン機関車でした。ところが、機関車を導入したものの、軌道は馬車軌道時代のままで、レールも6㎏/m程度。脱線やら何やらでとてもまともに稼動できる状態ではなく、いくばくもなく再び馬力に戻ってしまったと伝えられています。

090524n006.jpg
▲目をこらしてみると、薄暗い倉庫の奥にはさながら骸骨のような謎のガソリン機関車の姿が…。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

ただ驚いたことに、このガソリン機関車は今もって同社の倉庫の中に残されているのです。もとの機関庫だったという木造二階建ての倉庫の扉を開けてもらうと、灯りのない倉庫の奥に、まるで時間が止まったかのように謎のガソリン機関車が眠っていました。

towa16_bunner.jpg

090523n004.jpg
▲天草下島西海岸を縫うように走る国道389号線沿いで見かけたチルド車輪の残骸。フィレット(踏面からフランジへのR)がほとんどなく、手押し用のものと思われる。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

天草灘に面した天草下島西部には、陶磁器の原料となる陶石の鉱床が広がり、古くからこの陶石を採掘・運搬するための軌道が発達してきました。とは言え、いずれも小規模な鉱山だけに線路延長もせいぜい数百メートル程度、動力車が存在しても超小型の蓄電池式電気機関車(バッテリーロコ)くらいで、しかもそれらの軌道もこの十年ほどで次々と姿を消してしまっています。そんな天草にかつてガソリン機関車を用いた比較的規模の大きな軌道が存在したと聞き、先日、現地を訪ねてみることにしました。

090523n001.jpg陶磁器というと有田焼や瀬戸焼が思い浮かびますが、有田焼(1616年~)に次いでわが国で2番目に古い陶磁器生産地が何と天草なのです。江戸時代初期の1650年頃から生産されていたとされますが、その背景には「天草石」と呼ばれた極めて高純度の天草陶石の存在がありました。陶石とは磁器の原材料となる鉱石のことで、天草陶石は上部白亜紀層・古第三紀層中に入り込んだ流紋岩が熱水変質作用で陶石化したものだそうで、粘土等の他の部材と混合することなくまったく単独で高品位の磁器を作ることが可能です。
▲天草陶石は極めて高品位の陶石で、いっさい他の部材と混合することなく磁器が出来るという。触ってみるとまるで白墨のようなきめの細かさ。
クリックするとポップアップします。

090523fig1.jpg

この天草陶石は1712年頃には製陶原料として出荷されるようになり、以後、主に佐賀県方面に運ばれてきました。実は有田焼も多くはこの天草陶石を原料としたものなのだそうです。1771年にはあの平賀源内が海外輸出に最適の商材として「天下無双品」と形容したという逸話も伝えられています。2003年度の年間出荷量は約3万トン、全国の陶石生産量の実に8割を天草陶石が占めているのです(熊本県天草地域振興局パンフレットより)。

09523n002
▲天草町高浜地区にわずかに残る坑内掘りの陶石採掘軌道。軌間は1フィート8インチ(508㎜)、動力車は存在しない。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

090523n005.jpg
▲村山脈と呼ばれる鉱床から軌道によって陶石が搬出される。前方に見えるのは国道389号線。'09.4.17
クリックするとポップアップします。

この陶石は鉱脈から露頭となって露出しており、いわゆる露天掘りで採掘されている例がほとんどで、わずかに坑内掘りが存在します。前者はもちろんローダーとトラックを使った運搬、後者の場合は坑道に軌道を敷設するかたちとなりますが、先述のとおりいずれも小規模なものです。それに対して目指すガソリン軌道は採掘現場から港へ4キロにもわたって路線をのばしていたと聞きます。

towa16_bunner.jpg

090522n001
▲新型スカイライナー外観。形式は初代スカイライナーの形式を継承してAirport Expressを意味する「AE形」とされた。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

車体デザインコンセプトが「風」であるのに対して、車内デザインコンセプトは「凛」。無駄なものを削ぎ落としながらもきめ細かな配慮がなされた、透明感と美しさにあふれた空間をめざしてさまざまな新機軸が盛り込まれています。

090522n009
▲4号車のサービスコーナー部には丸窓が採用されている。なお、床下は台車以外の大部分がスカートによって覆われている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

客室内は従来比25㎝高いドーム型の天井と、温白色の間接照明が落ち着き感のある空間を演出しています。床は日本の伝統的な柄である「市松模様」をアレンジした模様となっており、これも注目でしょう。座席は在来のAE100形よりシートピッチを10mm拡大した1050mm、座席幅も20mm拡大され、クッション材の一部に営業用鉄道車輌としては初の素材バネックス®が採用されたことも特筆されます。この素材は底つき感のない快適な座り心地を実現するものだそうで、実際の営業運転時にぜひとも体感してみたいものです。

090522n007
▲左手操作型のワンハンドル型を採用した運転台。窓ガラスには熱線吸収ガラスが用いられている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090522n006
▲「市松模様」をアレンジした床と温白色の間接照明によって落ち着きある客室空間となっている。シートのクッション材の一部には営業用鉄道車輌としては初の素材バネックス®が採用されている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090522n008荷物スペースもAE100形の約2倍に拡大され、さらに防犯カメラを設置するなどセキュリティも強化されています(防犯カメラはデッキ部にも設置)。また、5号車には、車いすスペースおよび大型の多機能トイレと洗面所が、4号車には自動販売機とカウンターを設けたサービスコーナーが設けられています。
▲シートの脚台には前後2箇所ずつACコンセントが設けられている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090522n002
▲出入口部の荷物スペースから客室内を見る。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090522n004
▲防犯カメラの設置などセキュリティーにも配慮された荷物スペース。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090522n005
▲5号車に設けられた大型の多機能トイレ。右は洗面台。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

車内案内表示器は、鉄道車輌用としては最大級の26インチのLCDディスプレイを仕切扉上部に設置し、日本語、英語、韓国語、中国語の4ヶ国語が表示されます。さらに、運転室に設けられたカメラにより、前面展望を映し出すことも可能だそうです。

nipporistnfig.jpg
▲日暮里駅完成後イメージ。 (京成電鉄提供)
クリックするとポップアップします。

090522fig2.jpg090522fig3.jpg
▲日暮里駅3階下りホーム工事状況(左)と、日暮里駅新高架橋工事の状況(右) (京成電鉄提供)
クリックするとポップアップします。

車内放送は自動放送装置を採用、日本語・英語(一部中国語・韓国語を含む4ヶ国語)による案内放送のほか、向谷 実さん作曲のBGMの放送も行なわれるそうです。ちなみに向谷さんは自動放送直前のチャイムやメロディホーンの作曲もされておられ、ご自身のブログ(→こちら)でも開発に関わる思いを語っておられます。営業運転時にはぜひとも耳にしてみたいものです。
なお、この新型スカイライナーについては本誌6月発売号でたっぷりとご紹介できる予定です。

0905n22n003
▲上の画像をクリックすると「今日の一枚 The Movie」にとび、客室内の動画をご覧になれます。昨日の外観動画とあわせてご覧ください。
※音声付きですので再生時には周囲の環境にご注意ください。 なお、Macでは再生できないことがあります。

rml118bn

090521n001.jpg
▲在来のAE100形と顔を合わせた新型スカイライナー「AE」形。今回登場したのは6M2Tの8輌編成だが、将来的には10輌編成化が想定されている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

昨年春の制作発表(アーカイブ「“新型スカイライナー”のデザインを発表」参照)から注目を集めていた京成電鉄の新型スカイライナーの第一編成が完成、昨日、宗吾車両管理所で報道公開が行なわれました。JR東日本の新型「成田エクスプレス」E259系の発表(アーカイブ「新型“成田エクスプレス”E259系続報」参照)からわずか2週間、成田空港アクセスの新時代を担う良きライバルが出揃ったことになります。

090521n002.jpg
▲コンセプトカラーであるウインドブルーとストリームホワイトが、4灯の前照灯を中央に集中させた特徴的な先頭部形状とあいまって強い印象を与える。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090521n003.jpgこの新型スカイライナーは初代スカイライナーを踏襲した形式「AE」。エクステリア、インテリアのデザインは世界的に活躍中のファッションデザイナー・プロデューサーの山本寛斎氏が担当され、車体デザインは“風”をデザインコンセプトにし、車体先端から肩部に連なるシャープなエッジと窓下の細い2本のブルーのラインがスピード感あふれる“風”を表現しています。このスピード感を表現するために用いられているカラーリングはウインドブルーとストリームホワイト。ウインドブルーは日本古来の伝統色である藍色を山本寛斎氏が現代的にアレンジしたもので、深みのある紺にメタリックを配して創りだしたオリジナルカラーが、日本と世界を結ぶ列車であることを発信しています。一方のストリームホワイトは、ほかのいっさいの色を排した白の中の白を目指し、スピード感とシャープさを一層ひきたてています。
▲SKYLINERの頭文字「S」を疾風をイメージして毛筆によりデザイン化した車体側面のロゴマーク。「i」の文字には日の丸をアイコンとして組み込むことで、日本を代表する空港特急であることをアピールしている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090521n004.jpg
▲車体はアルミニウム合金製。営業運転最高速度160㎞/h、設計最高速度170㎞/h、加速度0.555m/S2(2.0km/h/s)と発表されている。'09.5.20 宗吾車両管理所 P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

性能的な大きな特徴は、先頭車にフルアクティブサスペンションを採用した新型台車の開発・採用により、最高速度160㎞/h運転を可能としたことで、あわせて高速走行時の安全性を追及し、安定したブレーキ性能を確保するために、放熱性に優れ雨水の影響を受けにくいディスクブレーキが全車輌に装備されている点も特筆されます。

090521n005.jpg
▲新型スカイライナーのルートとなる成田新高速鉄道路線図。平成22年度の開業を目指しており、開業後は新型スカイライナーと一般特急がそれぞれ1時間あたり最大3本運転される予定。 (京成電鉄提供)
クリックするとポップアップします。

この新型スカイライナーが走行する成田新高速鉄道は、北総線の現在の終点・印旛日本医大駅から先、成田空港までを結ぶ新線を含む、全長64.1kmの新しい成田空港アクセスルートで、現在、平成22年度の開業を踏まえて工事が急ピッチで進められています。この成田新高速鉄道ルートの開業と最高速度160㎞/h運転の新型スカイライナーにより、都心~成田空港間の所要時間は最短36分と大幅に短縮されることになります。明日は引き続いてさらに詳しい情報と魅力的なインテリアの数々をお目にかけることにいたしましょう。

090521n006.jpg
▲上の画像をクリックすると「今日の一枚 The Movie」にとび、動画をご覧になれます。
※音声付きですので再生時には周囲の環境にご注意ください。 なお、Macでは再生できないことがあります。

rml118bn

090519n001
▲七条線の七条千本付近。ちょうど現在の梅小路蒸気機関車館前で山陰本線との平面交差を避けるため道路中央の市電の軌道敷だけが掘割に潜っていたが、市電が廃止される頃には山陰本線が高架化され、地上には滅多に列車が通らない京都市場への貨物線が残るのみとなっていた。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)

今月のRMライブラリーは先月に引き続き、高橋 弘さん、高橋 修さんによる『京都市電 最後の日々』の下巻をお届けします。上巻では1970(昭和45)年に廃止された伏見・稲荷線から、四条・大宮・千本線、烏丸線を収録しましたが、下巻では1976(昭和51)年廃止の今出川・白川・丸太町線から、河原町線、七条線、そして京都市電の最後の砦であった外周環状線(東山・北大路・西大路・九条線)まで、京都市電最後の3年間に廃止された路線を収録しています。

090519n0021200年以上の歴史を誇る京都の街ですが、上巻でもご覧いただいた通り、現在の京都の主要幹線道路は、明治以降の市電の発達とともに形成されたと言っても過言ではありません。しかし、1970(昭和45)年から順次廃止が進んだ結果、1978(昭和53)年の廃止時には、市街の外郭を走る環状線の内側は、東山七条~京都駅前間が残るのみとなり、白梅町や洛北高校前など主要な交差点には、全廃が前提だったためか、環状線内側に分岐するポイントだけが撤去されることなく残された、大変寂しい姿となっていました。

090519n003
▲1976(昭和51)年に廃止された今出川・丸太町線は共に市内北部の東西を結ぶ路線。沿線には北野天満宮や同志社大学、京都大学などがあり、錦林車庫がある白川線を介して半環状線を形成していた。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)
クリックするとポップアップします。

090519n004
▲京都駅烏丸口を出ると、市電の乗り場は西側が烏丸線・東山線方面、東側が河原町線・伏見線方面の2つに分かれていた。すっかり様変わりした京都駅だが、京都タワーだけは今も変わりない。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)
クリックするとポップアップします。

090519n005
▲最後まで残った外周環状線の東側一辺である東山線。高橋さんのご自宅もこの沿線で、ここで撮影された作品も数多い。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)
クリックするとポップアップします。

090519n006
▲数多くの神社仏閣や京大、同志社に代表される学校、最盛期には7箇所にも及んだ他社線との平面交差、そして街の三方を囲む山々…。京都ならではの情景も数多く収録されている。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)
クリックするとポップアップします。

090519n007
▲京都の夏を締めくくる五山の送り火、左大文字から西大路線を見る。京都の街から市電が消えるまで、あと1ヶ月半。 (RMライブラリー『京都市電 最後の日々』下巻より)
クリックするとポップアップします。

ちなみに、言うまでもなく鉄道趣味の大先輩であり、これまで数々の名作を発表されてきた高橋 弘さんですが、そのお宅は清水寺の入口である東山線五条坂電停の目の前であり、戦前期から1978年9月30日、烏丸車庫へ向かう京都市電最後の電車まで見続けてこられた方でもあります。高橋さん撮影の情感あふれるプリントで再現するありし日の京都市電と京都の街並み、ぜひ上巻とともにお手許にお揃えください。

rml118bn

常磐緩行線用E233系登場。

090519n008.jpg
▲クハE233-2001(10号車)を先頭に回送を待つ東急車輛出場編成。列車番号は正面扉のガラス下部に表示されている。'09.5.19 逗子 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

2007(平成19)年春のリリース発表(アーカイブ「常磐緩行線にもE233系」参照)以降、長らく登場が待たれていた常磐緩行線・東京メトロ千代田線直通用E233系が本日、DE10 1594の牽引により東急車輛を出場しました。車体標記から推測するに、番代は2000番代と思われます。

090519n007.jpg
▲クハE232-2001(1号車)。1号車には女性専用車のピンク色のステッカーが側面窓に貼られている。'09.5.19 逗子 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090519n006.jpg090519n005.jpg
▲モハE233-2401(9号車)。パンタグラフはMM'の連結部分側に設置されている(左)。モハE232-2201(2号車)。車椅子用のスペースを示すステッカーがMM'の連結側に貼られている(右)。'09.5.19 逗子 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

今回誕生した常磐緩行線用車は東京メトロ千代田線直通対応のため、車体断面が中央線や京浜東北線のE233系のような幅広のものではなく、かなり印象が異なります。また正面に扉が設置されていることも同系列車としては初めてです。

090519n004.jpg090519n003.jpg
▲クハE232-2001のスカート部分を真横から見る(左)。ATC・ATS-SNの標記が確認できる。右はクハE233-2001のスカートを斜め上から見たところ。なお、赤色のコックは、逗子駅までの牽引に際して使用されているものである。(横須賀線車輌の車内から撮影) '09.5.19 逗子 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090519n002.jpg090519n001.jpg
▲サハE233-2001(4号車)の屋根(左)。搭載機器は少なく、フラットな印象を受ける。右はモハE233-2001(6号車)。この車輌のみパンタグラフが2基搭載されている。'09.5.19 逗子 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

カラーリングは、正面はブラックフェイスを基調として、ラインカラーのエメラルドグリーンの帯を側面まで巻いています。また、正面や側面の表示機はフルカラーLEDとなっています。リリースによると新造輌数は180輌。運用区間は取手?綾瀬?(東京メトロ千代田線)?代々木上原で、このE233系投入によって現在運用中の203系・207系が消えてゆくものと思われます。なお、この常磐緩行線用E233系については、本誌6月発売号で詳しくお伝えする予定です。
■編成:10輌
←取手
クハE233-2001+モハE233-2401+モハE232-2401+サハE233-2201+モハE233-2001+モハE232-2001+サハE233-2001+モハE233-2201+モハE232-2201+クハE232-2001
→綾瀬

towa16_bunner.jpg

090518n001.jpg090518n002.jpg

上の画像をご覧になってびっくりなさった方も多いのではないでしょうか。今週発売のRMとRMモデルズはともに貨物列車を大特集。佐藤哲也さん撮影の信越本線長鳥-塚山間を行く“レッドサンダー”EF510のRM表紙を、RMモデルズの表紙ではNゲージジオラマでそっくり再現し、前代未聞のコラボレーション表紙を実現いたしました。言うまでもなく、左のRMが実物、右のRMモデルズが模型です。

090518n003.jpg

本誌RMの特集はすっかり恒例となった「貨物列車2009」。今年もJR貨物の全面的なご協力をいただいて、3月ダイヤ改正後の機関車・電車(M250)・貨車の現況を詳しくお伝えいたします。もちろん毎年ご好評をいただいている別冊JR貨物全機関車運用表(高速貨物・専用貨物列車最新時刻表付)も付録しています。 このほか、近日中の工場操業休止で動向が注目される美祢線・山陽本線・宇部線の石灰石輸送列車や、中央本線EF64の撮影地ガイドも必見です。

090518n004.jpg

いっぽうRMモデルズの巻頭特集は「貨物列車編成マニュアルPART1 JR編」。現代の物流の中心を担うコンテナ列車を中心として、模型での貨物列車の楽しみ方を大特集。自作コンテナを中心に積載したコンテナ編成、コキ200をタンクコンテナと共にフルスクラッチした作例、タキ1000の楽しみ方、さらには2軸貨車として最後の活躍を見せるワム80000など、実物の情報も盛り込んでお届けいたします。

090518n005.jpg特集以外で注目なのは、何といっても、あの松本零士さんが自らの世界観・鉄道感を語られるスペシャル・インタビューでしょう。「銀河鉄道999」は劇場版公開30周年。マーミット/マイクロエースのNゲージ製品発売でブーム再来の「銀河鉄道999」ですが、先日は西武鉄道でこの「銀河鉄道999」を全面にデザイン・ラッピングした3000系8輌編成(3011F)が登場したばかり。モデラーならずとも、このスペシャル・インタビューは必見です。

なお、RM、RMモデルズともに発売は今週21日(木曜日)。店頭に並んだコラボレーション表紙にぜひともご注目ください。

towa16_bunner.jpg

「梅隆鉄路」は今…。

kogasan0001.jpg
▲西埔から二砿への大橋梁はかつての姿のまま遺構となって聳えている。左の巨大広告看板が広東省の山奥のこの村にも大きな時代の変化が訪れていることを感じさせる。'08.1.4 P:古賀俊行

先週まで9回にわたってお伝えした「遙かなり梅隆鉄路」ですが、実は連載途中で思いもかけないレスポンスを頂戴いたしました。なんと昨年正月に現地を訪れた方がおられたのです。今日はその古賀俊行さんからのお便りと写真で、海外のサイトからも情報が途絶えて久しい「梅隆鉄路」の“今”をご紹介してみたいと思います。

kogasan0007.jpgいつも雑誌、サイト共に楽しく拝見させていただいております。さて、「編集長敬白」で中国南部の梅隆鉄路が紹介されており、大変興味深く拝読いたしております。私は三十代後半で、日本では生きた蒸機の最後に間に合わなかった世代で、ここ数年興味を持ち訪問しだした中国でも、蒸機、ナローともにその最末期になってしまい、もう少し早く関心を持っていれば、と後悔しきりなところです。そのようななかで、小生は最近、インターネット上の数少ない情報を頼りに中国の地方部のナローや炭礦等を訪問したりしているのですが、1年少々前、昨年の正月明けに、この梅隆鉄路(跡)を訪問したばかりでしたので、本記事には大変驚き、写真を拡大したりしつつ、食い入るように読ませていただきました。
▲かつての構内から見た梅県駅本屋。線路はすっかり剥がされてしまっている。'08.1.4 P:古賀俊行
クリックするとポップアップします。

kogasan0005.jpg
▲「梅県火車站」の看板が残る駅本屋正面。廃止から7年近くを経てすっかり荒廃してしまっている。'08.1.4 P:古賀俊行

小生が現地を訪問したのは昨年1月4日です。ベトナム北部ThaiNguyenのリューサ製鉄所の工建形SLを訪問した後、廈門から客家円楼地帯を経由して、前日宿泊の下関温泉からバスで昼前に梅州市へ入り、その後はその日の夜行で?州林鉄(跡)を訪ねるという強行日程でした。

kogasan0009.jpgkogasan0010.jpg
▲出札窓口(左)には最後の発車時刻表が残されていた。152レと154レの2本は1995年当時のまま。駅前には関連の学校らしき案内看板(右)が残る。'08.1.4 P:古賀俊行
クリックするとポップアップします。

kogasan0006.jpgkogasan0008.jpg
▲構内から見た梅県駅本屋(左)と「鉄路診所」と看板を掲げた診療所(右)。梅県の町には梅隆鉄路の面影がかろうじて残されている。'08.1.4 P:古賀俊行
クリックするとポップアップします。

梅県駅は市内外れ、恐らくは旧市街地の外れに位置し、五州バスターミナルからなら徒歩で行ける距離にあります。「旅行人ウルトラガイド客家円楼」の88ページ、梅州市内地図の隅の方に、この駅の存在が書かれています。梅県駅から東側(恐らく線路は北西方向ですので、引き込み線でしょうか)にも明らかに廃線跡と判る空間が残っていましたが、レール等は発見できませんでした。この訪問前には、西埔付近の発電所専用線として一部区間のみが依然供用中とのネット情報を得ていたのですが、時間不足もあり、確認出来なかったのが心残りです。

kogasan0004.jpg
▲すっかり草蒸した廃墟と化してしまった西埔駅構内。画面左に見える建物はあのC4がたむろしていた西埔機務段の検修庫。'08.1.4 P:古賀俊行

090517n051
▲画角は多少違うが、上の写真の13年前。画面右側のアパートで位置関係が同定できよう。'95.3.18 西埔 P:水野克成

さて梅県駅跡を見たあと、上述の五州汽車站から郊外の黄陂行のバスで次の目的地西埔へ向かいました。西埔はバスターミナルすらない炭礦街の道端で、バイクタクシーに「西埔火車站」と書いて、連れて行って貰った丘の上(直前にくぐった橋梁からの延長線上)には、駅舎や機関庫はおろか、線路や枕木、砂利すら見つけることが出来ず、本当にここが旧駅跡なのか確信を得られませんでした。

kogasan0003.jpgこの時点で既に16時半、ご存じかもしれませんが、中国の市外バスは終車が極めて早く、これを逃すとその後の日程に影響してしまい(冬休みの最後までに帰国できなくなると職場で叱られてしまうため)、やむなく後ろ髪を引かれる思いで現地をあとにし、興寧経由で梅州に戻った次第です。そのため、龍川、合水、既にすっかり暗くなってしまっていた興寧(それなりの規模の街である一方、手元には線路が何処にあったか判る資料もありませんでしたので)等はまったく訪問できていません。
▲粉炭置き場であろうか、広大な空き地となっている西埔駅構内。'08.1.4 P:古賀俊行
クリックするとポップアップします。

090517n052
▲同じくほぼ同位置の13年前。梅県方から西埔駅構内に入ったすぐの所で、駅本屋は画面の左へ200mほど行った場所にあった。'95.3.18 西埔 P:水野克成

最後になりましたが、C4形蒸機の話がありましたので、2007年2月12日、河南省許昌の禹鄲鉄路…河南省地方鉄路局許昌分局の許昌機輌段の中に保管されていた、C4形の写真も送らせていただきます。あまり状態がよいようには見えませんでしたが、「お金を出せば、火を入れれば走るよ」と言っていたので、C4としては、(ちょっと修理すれば)可動状態にある、唯一の個体かもしれません。

kogasan0002.jpg
▲河南省地方鉄路局許昌分局の許昌機輌段の中に保管されていたC4形。'07.2.12 P:古賀俊行

古賀俊行さん、ほんとうにありがとうございました。まさか梅隆鉄路跡を探訪された日本人がいようとは想像さえしていませんでした。すっかり“トワイライトゾ~ン”と化した梅県や西埔の画像には、どこか同定できるものが写り込んでいないものかとポジをひっくり返して、思わず夢中になってしまいました。広東省梅県を訪ねてから14年…梅隆鉄路はほんとうに遙か遠くに消えていってしまったようです。

towa16_bunner.jpg

090516n007
▲派手な仕業こそ持たなかったものの、おおかたの予想を覆して国鉄蒸機最終形式となった9600。ファンにとっては最も忘れ得ぬ形式のひとつ。 (『国鉄時代』vol.17誌面より)

現在発売中の『国鉄時代』vol.17は「北の9600、南の9600」と題して、北海道と九州の9600を中心に特集し、多くの皆さんからご好評をいただいておりますが、少々気になるのは意外にも付録DVDをまだご覧になっておられない方が多いこと。季刊『国鉄時代』では毎号皆さんからお寄せいただいた貴重な動画を付録DVDとしてお届けしています。商業的に撮影されたものと異なり、いずれ劣らぬ撮影者の思いのこもった映像ですので、“開封するのがもったいない”などとおっしゃらずにぜひともご覧いただきたいと思います。そこで今日はサンプル動画を含めて今号付録DVDの見所を改めてご紹介してみることにいたしましょう。
※音声付きですので再生時には周囲の環境にご注意ください。 なお、Macでは再生できないことがあります。

090516n003まずは3本立てのトップ、「老雄健在なりき」。8㎜の大家・宮内明朗さんの作品です。冒頭は青梅鉄道公園にある9608がまだ竜華機関区に所属していた時代のもので、よくよくナンバープレートを見ると、前面のプレートはローマン体で形式なし、という大変珍しいものです。続く豊肥本線立野の三段スイッチバックを上る映像はまさに9600の白眉とも言えるもの。撮影時は後補機ですから、まだ宮地機関区があった時代で、当時は瀬田から後補機を連結して外輪山越えの急勾配に挑んでゆきました。のちに宮地機関区が廃止され、補機付きの列車は熊本から重連になります。(サンプル動画は→こちら

090516n005
▲誌面では佐竹保雄さん撮影の極めて珍しい敦賀式集煙装置を装備した集煙装置付き59652をはじめ各種変型機もご紹介。 (『国鉄時代』vol.17誌面より)

次の高山本線の9600は、化粧煙突の継ぎ足しもなくデフも装備されておらず、LP42装備と好ましいスタイリング。運用本数が少なかったこともあり、意外と記録が残されていませんが、これは飛騨川の渓谷に歯切れのいいブラストを轟かせ、老雄が矍鑠と働いていた頃の貴重な動画です。

090516n004場面はかわって北海道倶知安機関区名物の二ツ目9600。複雑なパイピングを記録した細部映像は模型ファンならずとも見入ってしまいます。そして北海道の9600のハイライトは何と言っても常紋越えの補機仕業でしょう。人煙希な山中にテンポの違うブラストをこだまさせ9600+D51の重連が峠に挑みます。私も何度か訪れた常紋越えですが、なにしろ家一軒ない山中、宮内さん撮影の1968年当時はそれはもう寂しいものだったことでしょう。8㎜一式、スチールカメラ一式に加え、オープンリールの録音機まで担いで山中を歩きまわった宮内さんの苦労が偲ばれます。
▲画面をクリックするとサンプル動画がご覧になれます。

後半の白眉は米坂線・宇津峠です。錦秋の渓谷に9600重連旅客列車が目に染みるような白煙を残して走り去ります。この列車は長井にある神社の大祭のために増結され重連牽引となるもので、米坂線名物の一つです。また、豪雪を欠き分けてラッセル車キ100を押して付き進む9600の姿も迫力満点。上部トラス橋にさしかかり、ウイングが閉じる様子がよく分かります。(サンプル動画は→こちら

090516nn012.jpg
▲画面をクリックするとサンプル動画がご覧になれます。

2作品目、三品勝暉さん撮影の函館本線のD52は、五稜郭機関区での出区前点検から始まり晩秋の函館本線を北上します。同一列車を追跡するというわけではなく、随所に野田追などの上り列車の名シーンも織り込まれており、マンモス機がダイナミックな走りに魅了されました。中でも重量列車の引き出しシーンは、蒸気機関車の運転を語る上でも欠かせない資料映像とも言えましょう。また、多くの冷蔵車をつなげた編成は函館本線の典型的な貨物列車の組成で、これまた模型的視点でも注目です。

090516n010.jpg
▲画面をクリックするとサンプル動画がご覧になれます。

3作品目は瀧藤岩雄さんの南九州の蒸機。撮影した年代もやや新しいですが、テレシネにかなり力を注いだとおっしゃるとおり、映像の鮮明さでは群を抜いています。冒頭の雨に濡れた吉松機関区の整備シーンは、情緒たっぷりに蒸機華やかなりし時代のムードを醸し出します。その後、カメラは矢岳越えに向かいます。真幸のスイッチバック、大畑のループ線などはまさに山岳鉄道の醍醐味。一瞬ですが、トンネルに入るシーンでは集線装置が閉まり煙が後部から吐き出される光景も見られます。また、通常は後補機ですが、D51重連も登場します。次のセクションは電化前夜の鹿児島本線のハドソンC60・C61。美しく磨き込まれたボディが南国に陽射しにきらめき、九州の蒸気機関車の手入れの良さが際立ちます。“出演”しているC60 18は副灯は撤去されていますがまだ盛鉄式の誘煙小デフを装備しており、これは北国・青森で活躍していた名残。最後の日南線のC11+C56のお召列車はあいにくの雨。しかしながら大任を果たした後、志布志機関区で行なわれたお披露目では、雨も上って整備されたお召機の様子が美しい映像で残されていました。

DVDの封を切らないで保存なさっている皆さん、ぜひこの週末は開封してDVDデッキに入れてみてください。この一枚の丸い板は、レイル・ファン共有の玉手箱なのですから…。

wagakokutetujidai022.jpg

090514n011.jpg
▲クヤ209-2(7号車)。各種測定装置が配置されている。'09.4.24 日光線鹿沼 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090514n012.jpg
▲クヤ208-2(1号車)。滑走検知制御に用いる散水用の水タンクが車内に置かれている。'09.4.24 日光線鹿沼 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090514n013.jpg090514n014.jpg
▲左はモヤ209-3(6号車)。屋根上に架線状態監視装置を設置している。右はモヤ208-3(5号車)。モヤ208-4(2号車)も外観はほぼ同一だ。'09.4.24 日光線鹿沼 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

それでは昨日に引き続き、この在来線用試験電車“MUE-Train(ミュートレイン)”の各車輌の車内の様子や搭載する装置類等についてご紹介してみましょう。なお、今回公開されたのは、サヤ209-8(4号車)を抜いた6輌編成で、編成は宇都宮方よりクヤ208-2+モヤ208-4+モヤ209-4+モヤ208-3+モヤ209-3+クヤ209-2となっています。

090514n015.jpg
▲2号車に設けられた滑走検知制御のためのスペース。試験の際には、車内放送によるカウントダウンが行われた。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090514n016.jpg090514n017.jpg
▲6号車屋根上の架線状態監視装置(左)。P:JR東日本 6号車内の架線状態監視装置のスペース(右)。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090514n018.jpgクヤ209-2(7号車・大宮方先頭車)
運転室側より順番に、以下の5つの機器が設置されております。
・輪重・横圧測定(PQ測定)
・動揺防止装置(アクティブサスペンション)
・軌道材料状態モニタリング装置
・慣性正矢軌道検測装置(鉄道総研による開発)
・地上設備モニタリング用車上制御装置
モヤ209-3(6号車)
・架線状態監視装置
モヤ209-4(3号車)
・鉄道車輌用LED灯具の開発
モヤ208-4(2号車)
・滑走検知制御
▲元空気ダメの補助タンクも車内に設置されている。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

なお、今回の公開では、次世代の無線通信技術であるWiMAXを活用した高速データ通信の試験は行われませんでしたが、WiMAXのアンテナは1号車(クヤ208-2)に設置されており、2009年3月に埼京線・横須賀線・総武本線で列車走行時の電波強度や通信速度、また複数のWiMAXアンテナを用いた比較試験などの測定を行ったとのことでした。2010年度以降も引き続き行なわれる走行試験を通して、この“MUE-Train”がJR東日本の次世代在来線車輌の礎となってゆくにちがいありません。

取材協力・資料提供:東日本旅客鉄道株式会社・財団法人鉄道総合技術研究所

towa16_bunner.jpg

090514n001.jpg
▲総武本線で試運転にのぞむ“MUE-Train”。'09.3.28 総武本線佐倉―物井 P:竹内洋平
クリックするとポップアップします。

昨年10月に完成した在来線用試験電車“MUE-Train(ミュートレイン)”の報道公開が行なわれ、209系を改造したこの試験車輌の全容が明らかになりましたので、今日と明日はその特徴を要約してお伝えすることにいたしましょう。なお、諸元表を含めた詳細は今月発売の本誌誌上でご紹介する予定です。

090514n002.jpg
▲7号車の運転室側に輪重・横圧測定のスペースが設けられている。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)

090514n003.jpg090514nn004.jpg
▲輪重・横圧の測定データが逐次プリントアウトされる(左)。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)  7号車の台車に組み込まれた輪重・横圧測定用輪軸(右)。P:JR東日本
クリックするとポップアップします。

JR東日本は、「グループ経営ビジョン 2020 ‐挑む‐」に沿って首都圏を中心とした在来鉄道の革新に取り組んでおり、「車輌の性能向上に関する開発」、「次世代車輌制御システムの開発」、「営業用車輌を用いた地上設備の状態監視用機器の開発」を目的に走行試験を行なうために誕生したのがこの在来線用試験電車“MUE-Train(ミュートレイン)”です。

090514n005.jpg“MUE-Train”の愛称は「Multipurpose Experimental Train(多目的試験車)」の頭文字からとられており、京浜東北線で使用されていた209系を改造した7輌編成。複数の保安装置(ATS・ATC)を搭載しており、空気バネ式車体傾斜機構の試験で特急用車輌と条件を合わせるため車輌の高さを低くしているのも目をひきます。また、試験機器を搭載するため座席の一部を取り外しているほか、車体外装のデザインを白帯をベースにしたものに一新していることも外見上の大きな特徴となっています。
▲動揺防止装置におけるアクチュエータ(左)と切替ダンパ。P:JR東日本
クリックするとポップアップします。

090514n006.jpg090514n007.jpg
▲軌道材料状態モニタリング装置の外観(左)。P:JR東日本 右側が軌道材料状態モニタリング装置のスペース。'09.4.24 P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

“MUE-Train”を用いた当面の主な試験内容は、以下のとおりです。
(1)車輌の性能向上に関する開発
 ・空気バネ式車体傾斜機構の試験
 ・降雨時のブレーキ力向上試験
 ・台車の性能向上試験
 ・WiMAX(高速データ通信)の検証試験
 ・走行する車輌による風速の測定試験
(2)次世代車輌制御システムの開発
 ・モーター・ブレーキの制御装置と指令・状態監視装置の試験
(3)営業用車輌を用いた地上設備の状態監視用機器の開発
 ・レール・架線・保安装置(ATS)などの状態を計測する小型の車輌搭載用装置の試験

090514n008.jpg
▲ラインセンサカメラによる画像。提供:JR東日本

090514n009.jpg090514n010.jpg
▲ラインセンサカメラによる画像と同じ位置での3次元画像(左)と、画像を見やすくするためにカラーにしたもの(右)。提供:JR東日本
クリックするとポップアップします。

走行試験は、2009年度までを第1期走行試験として車輌の性能向上に関する開発を、2010年度以降を第2期走行試験として次世代車輌制御システムの開発を行い、また、営業用車輌を用いた地上設備の状態監視用機器の開発は両期間を通じて行う予定となっています。

取材協力・資料提供:東日本旅客鉄道株式会社・財団法人鉄道総合技術研究所

towa16_bunner.jpg

090513nn01
▲魚梁瀬の車庫に勢ぞろいした動態保存機たち。今回の重文指定は“建造物”が対象のため、残念ながら車輌に関しては答申されていない。'07.7.20
クリックするとポップアップします。

4年ほど前に「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」を結成、清岡博基会長(馬路村議会議長)を中心に重要文化財指定に向けての現地調査が進められてきた高知県の魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の遺構ですが(アーカイブ「『高知県中芸地区森林鉄道遺産調査報告書』が完成」参照)、熱意が実り、ついに国の重要文化財に指定されるはこびとなりました。

090513nn02去る4月17日に文化審議会(西原鈴子会長)が魚梁瀬森林鉄道の遺構を含む8件(新規7件、追加1件)を重要文化財(建造物)に指定するよう塩谷立文部科学相に答申したもので、7月下旬の官報告示を経て正式に指定される予定です。鉄道関連では旧筑後川橋梁(福岡県・佐賀県)などがすでに重要文化財となっていますが、森林鉄道の遺構が包括的なかたちで国の重要文化財に指定されるのはもちろん今回が初めてです。
▲奈半利川線の法恩寺三光院跨線橋。切石を布積で積み上げ、馬蹄形断面のトンネルを形作っている。'07.7.20
クリックするとポップアップします。

090513nn04
▲「赤鉄橋」の通称で親しまれ、現在は遊歩道の一部として保存されている安田川線明神口橋梁。1929(昭和4)年に木製トラス橋から架け替えられたもの。'07.7.20
クリックするとポップアップします。

魚梁瀬森林鉄道に関しては舛本成行さんのRMライブラリー『魚梁瀬森林鉄道』に詳述されていますが、総延長250キロに達するわが国屈指の森林鉄道(軌道)網で、1963(昭和38)年に廃止されるまで木材の搬出のみならず地域の重要な交通機関として親しまれてきました。今回指定の対象となるのは、安田町と馬路・北川両村にある切石を布積で積み上げた隧道など14箇所。奈半利町、田野町、安田町、馬路村、北川村と5町村にわたる歴史的遺構を横断的に保存・活用しようと取り組んできた清岡さんたちの活動が見事に花開いたことになります。

090513nn03今回、重要文化財指定に向けての答申がされたのは、魚梁瀬森林鉄道のほか、高島屋東京店(東京都)、忠谷家住宅(石川県加賀市)、旧遠江国報徳社公会堂(静岡県掛川市)、随願寺(兵庫県姫路市)、津嘉山酒造所施設(沖縄県名護市)、白岩堰堤砂防施設(富山県立山町)、小野家住宅(長野県塩尻市=追加指定)。このうち白岩堰堤はあの立山砂防軌道(アーカイブ「立山砂防軌道が“登録記念物”に」参照)が構築した縁の施設であることも特筆されます。
▲奈半利川線立岡停車場付近に残るコンクリート高架橋。1933(昭和8)年に築造されたという。'07.7.20
クリックするとポップアップします。

なお、この答申に先立つ2月には経済産業省の「近代化産業遺産」にも指定されており、一連の遺構の今後の利活用が期待されます。
■これまでにご紹介した魚梁瀬森林鉄道関連の記事
魚梁瀬森林鉄道をゆく(上)
魚梁瀬森林鉄道をゆく(中)
魚梁瀬森林鉄道をゆく(下)
魚梁瀬森林鉄道の保存車たち(上)
魚梁瀬森林鉄道の保存車たち(下)
『高知県中芸地区森林鉄道遺産調査報告書』が完成

towa16_bunner.jpg

090512n010.jpg
▲所属区所の鎌倉車両センターで前面貫通ホロを出した状態のE259系NE001編成。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

4月23日付けで試運転開始を速報(アーカイブ「E259系試運転開始」参照)したJR東日本の新型「成田エクスプレス」E259系ですが、先日所属区所である鎌倉車両センターでプレス公開が行なわれましたので、引き続いてこの注目の新N’EXをご紹介してみることにいたしましょう。

090512n002.jpg
▲新型「成田エクスプレス」E259系NE001編成(東急製)。最終的には6輌編成22本が誕生する。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(小野雄一郎)
クリックするとポップアップします。

090512n009.jpg新型「成田エクスプレス」E259系は6輌編成のみ製造され、編成は成田空港方1号車からクロE259(Tsc)、モハE259-500(M-500)、モハE258-500(M’-500)、モハE259(M)、モハE258(M’)、クハE258(Tc’)の4M2T編成。車体はアルミニウム合金で、床面は乗降を容易くするため253系に比べ50mm低く設定されています。運転台は高運転台構造が採用され、前面の貫通扉からは自動的に貫通ホロが出る構造となっています。
▲前面のプラグドアが開くと自動的に貫通ホロが繰り出す構造。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(青柳 明)
クリックするとポップアップします。

090512n006.jpg
▲成田空港方先頭車はグリーン席。腰掛は革張りとなり床は絨毯敷きとなった。側壁は木目調で落ち着きと豪華さが融合したデザインだ。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090512n005.jpg
▲253系増備車同様、回転式リクライニングシートを採用した普通席。荷棚下に調整可能な整風板が見える。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

側窓は253系より明るくなり、加えて上下方向に拡大。車体間には乗り心地向上を目的にE2系1000番代と同様、JR東日本の在来車では初となる車体間ダンパを装備。さらにTscとT’cにはアクティブ制御振動制御も備えられています。

090512n001.jpg
▲左手ワンハンドル操作の運転台。前面パネルには速度計など3画面をビルトイン。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

パンタグラフはモハE259、モハE259-500にシングルアーム式を搭載。モハE259-500にはE233系同様に、予備パンタグラフも用意されています。いずれも中央線の狭小トンネルにも対応しているため、菱型マークが車体側面の形式標記に添えられています。

090512n008.jpg090512n007.jpg
▲3段の階段を上ると運転台(左)。写真右側は前面貫通扉への通路。出入台と客室間の荷物置場はダイヤルロック式錠を設置(右)。安心して座席に座ることが可能となった。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

室内は1号車がグリーン車、2~6号車が普通車の2クラス。グリーン車は木目調のデザインで床には絨毯が敷き詰められています。腰掛はフリーストップ式回転リクライニングシートを2列+2列で配置。その表面は本皮張りを採用した豪華なものとなっています。アームレストにはパソコン・携帯電話などに使える電源コンセントが用意され、足元には高さ250mmまで収納可能な荷物スペースも備えられています。なお、253系に用意されていた個室はありません。

090512n004.jpg普通車はモノトーンで構成され、腰掛はフリーストップ式転換リクライニングシートを2列+2列でレイアウト。腰掛モケットは布、床はゴムとなっています。各車の荷物棚下には乗客の好みに応じて調整可能な整風板が設けられており、荷物棚は253系が採用したハットラック式ではなくオープン式となっています。なお、各車輌の天井には17インチ液晶モニタディスプレイが設置され、行き先、運行情報、フライトインフォメーション、天気予報などが日英中韓4ヶ国語(主要情報のみ)で表示されます。
▲全車の客室天井に設けられた17インチ×2の液晶モニタ。裏面にもモニタを設置している。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

090512n003.jpg
▲1号車の後位の大型洋式トイレ。木目調のデザインとなっている。'09.5.8 鎌倉車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

このE259系は4月23日にNE001+NE002の2編成が東急車輌から出場。横須賀線・総武線で公式試運転を行った後、すでに鎌倉車両センターに配置されています。営業開始は本年10月以降の予定ですが、在来の253系とは併結できないため単独運用が組まれることとなります。
取材協力:JR東日本

090512fig.jpg
▲グリーン車・普通車の車内レイアウト概要。 (JR東日本提供)
クリックするとポップアップします。

towa16_bunner.jpg

090511n006.jpg
▲今回の巻頭特集は日本海縦貫線のEF81。EF510たちに追われゆく立場となったオールラウンドプレーヤーの撮影ポイントを徹底紹介。
クリックするとポップアップします。

姉妹ブログ「お立ち台通信」には全国から寄せられた読者の皆さんおすすめの撮影地が、現在約950か所登録されています。駅から近く手軽に撮影できるポイントから、山奥の俯瞰撮影地までバリエーション豊かな国内最大級の鉄道写真撮影地ガイドデータベースに成長いたしました。

090511n002.jpgこのブログ「お立ち台通信」を単行本化したムック『お立ち台通信vol.3』が好評をいただいています。昨年に発売したvol.1、vol.2に引き続き、vol.3もブログでアップした撮影ポイントに加え、ブログ未アップの新規の撮影地も多く掲載されております。北海道エリア35か所、東日本エリア57か所、東海エリア17か所、西日本エリア39か所、九州エリア11か所、四国エリア23か所、私鉄・専用線13か所で、今回は貨物列車の比重が高く、機関車ファンには一層役立つ内容となっています。

090511n003.jpg
▲大阪近郊の手軽な撮影地として人気の福知山線。バラエティー豊かな入線車輌も大きな魅力。 (『お立ち台通信vol.3』誌面より)
クリックするとポップアップします。

特集はEF510の増備によって活躍の場が狭められることが予想される日本海縦貫線の主力機EF81をトップに、幡生~福岡(タ)間で活躍する門司機関区のEF81、山陽本線広島周辺で唯一撮影可能時間帯にEF65で残った5092レの3本立て。また、特集構成にはなっていませんが、四国・予讃線のEF65、伯備線のEF64 1000番代、福知山線の国鉄色タイプの183系などにもボリュームを持たせています。本文ガイドとともに夏の撮影計画の参考にしていただければと思います。

090511n001.jpg
▲北海道エリアを代表する石北本線の貨物列車は今回4ポイントを紹介。DD51プシュプルは根強い人気を誇る。 (『お立ち台通信vol.3』誌面より)
クリックするとポップアップします。

090511n004.jpg
▲伯備線はEF64の活躍する線区として近年とみに注目度が高まってきている。貨物列車を中心に5ポイントをノミネート。 (『お立ち台通信vol.3』誌面より)
クリックするとポップアップします。

A5判のコンパクトな体裁ですから、カメラバッグや車のドアポケットなどに入れておくと、急に予定が変更になった時など、大いに役立つに違いありません。ところで、950か所といえば全国をほぼ網羅しているようなイメージを受けますが、とんでもありません。まだまだこの何倍、いや何十倍もの撮影地が全国に散らばっているわけで、これからも皆さんの「お立ち台通信」へのご投稿をお待ちしております。

『お立ち台通信vol.3』
・A5判244ページ(オールカラー)
1200円(税込)

towa16_bunner.jpg

090421n001
▲興寧で折り返しを待つ合水行き。4気筒サイドバルブ・エンジンを持つこのガソリン機関車はもちろん機械式。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

ついに真相はわからず仕舞でしたが、興寧支線の列車は動いている筈のない“幽霊列車”とあって、果たしてこの編成が支線本来の姿だったのかどうかも不明です。

090421n002先頭にたつガソリン機関車は板台枠のL型車体を持ち、自重は8t程度でしょうか。メーカー品なのか“自作”なのかもわかりませんが、それなりのプロポーションと評せましょう。というのも、残念ながら現車に接することはできませんでしたが、合水ではインサイドフレームのトラクター然とした“僚機”の存在も報告されており、それと比較するとまだまだこちらは機関車然としていることになります。
▲そのバックビュー。合水工場で自作されたワンオフものなのか、はたまたメーカー品で類機がいたのかは不明。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

090420n062090420n061
▲ボンネット・リッドはこう開く(左)。ラジエータに冷却水を補給中。右は実にシンプルなコンソール・パネル。'95.3.19 興寧 P:水野克成
クリックするとポップアップします。

本機は先般ご紹介したインダストリアル・レイルウェー・ソサエティの“INDUSTRIAL LOCOMOTIVES OF THE PEOPLE’S REPUBLIC OF CHINA”にも写真入りで紹介されていますが、1991年11月に西埔で撮影された写真の解説には“shunting locomotive”(入換機)と記されており、本来は列車牽引目的の機関車ではなさそうです。

090421n003
▲ナロー用硬座車というと無味乾燥なYZ20形が思い浮かぶが、こちらはオープンデッキにアーチバー・トラックと実に魅力的な硬座車2616。窓配置からするともと合造車であろうか。形式標記(YZ?)はどこにも見当たらなかった。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

いずれにせよ興寧の構内はかなり広く有効長も充分にあり、かつては貨物営業も盛んに行われていた様子が伺えることから、全盛期にはC4形蒸機も入線してきていたのかも知れません。

090421n004そしてもうひとつ、この“幽霊列車”の白眉とも言えるのがオープンデッキの硬座車2616号です。中国のナロー用客車硬座車というと、趣味的にはあまり面白みのないYZ20形が思い浮かびますが、この2616号は模型にでもしたくなるような魅力的な車輌です。東北部のように耐寒の必要のない温暖な広東省だけにオープンデッキが存在しえたのでしょうが、寡聞にもナロー用硬座車でこれだけ立派なオープンデッキを持つものはほかに知りません。
▲梅隆鉄路の主力貨車である容積15.3?のボギー・ゴンドラに天板を取り付けただけの興寧支線用代用客車。荒天の際はさぞ悲惨なことだろう。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

090420n063
▲硬座車2616の車内。YZ20形より車体幅が狭いのか、客室内はかなり窮屈に感じられる。'95.3.19 興寧 P:水野克成

いっぽう、もう1輌の代用客車はひどいもので、C15形(?)無蓋車に屋根を載せただけ。見ている限りでは硬座車2616号と別料金となっているとも思えないず、それにも関わらず、むしろ代用客車に乗り込む人が多いのは驚きです。蒸し暑い気候だけに、どうやらオープンエアーの方が乗客には好まれるのでしょう。

090421n006ようやく目にすることのできた興寧支線の列車ですが、残念ながらタイムリミット、明朝の梅県発香港行きのチャーター便に乗るには今日中に梅県市内に戻らねばなりません。後ろ髪を引かれる思いで梅隆鉄路をあとにしました。建設が進む広汕線と同様に道路のインフラ整備も急速に進んでいるようで、昨年開通したという梅県への道路を飛ばしますが、これが開通したのか建設途中なのかわからないような有り様で、周囲の崖から崩れてきた土砂が路面を埋めていたりして、ひやひやもの。案の定、梅県まであと少しというところでパンクしてしまい、結局ホテルに辿り着いたのは夜遅くになってしまいました。
▲西大寺の単端か! 合水工場で見かけた2軸のレールカー。'95.3.18 合水
クリックするとポップアップします。

翌朝3月20日の梅県空港発CZ3079便で香港へ向かい、トランジットで成田空港へと戻ると、なにやら異様な雰囲気…。何かあったのかと思いつつ乗り込んだ列車の車内情報表示でこの日の朝起こった地下鉄サリン事件を知りました。

090416n007
▲発車までのひととき、列車は近所の子どもたちの遊び場と化す。時刻表もなくいったいどうやって発車時間を決めているのか、思いついたように運転士が乗り込むと、前触れもなくれ列車は動きはじめた。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

あれから14年。交通の便に恵まれなかった広東省の梅県地方も、広汕線の開通とともに今では大きな変貌を遂げているに違いありません。いっぽう、梅隆鉄路は訪問から6年後、2001年に廃線となり、現在では発電所の専用鉄道としてごく一部が残っているだけと伝え聞きます。
(完)

towa16_bunner.jpg

遙かなり梅隆鉄路。(8)

090416n005
▲興寧支線をゆく謎の旅客列車。梅隆鉄路本線のジャンクション合水と興寧間はこのように並行道路があり、支線の存在価値はすでに失われつつあった。’95.3.19 興寧ー龍田
クリックするとポップアップします。

先月21日に発生したホビダスサイトへの障害で最後の2回分がとんでしまい、もはや気の抜けたビール状態となってしまいましたが、続きはどうなったの…という声も頂戴しておりますので、今週末は「梅隆(meilong)鉄路」完結編を2回にわたってお送りしたいと思います。

090416n002合水(HESHUI)の梅隆鉄路本局ですでに列車の運行は終了したと聞いた興寧支線ですが、なぜか列車は動いていました。それも古色蒼然としたガソリン機関車がオープンデッキの硬座車と無蓋貨車改造の代用客車を牽くといういかにも怪しげな列車です。興寧駅の駅舎内にも時刻表示等はいっさいなく、外見だけでなく何か胡散臭い感じが漂っていました。結局、最後まで真相はわからず仕舞でしたが、どうやらこの列車、本局の意向とは関係なく闇で動いている白タクならぬ“白列車”だったようです。ラフな格好の乗務員?が乗客からチケットも渡さず現金を受け取っているのも怪しげですし、一部の住民だけが時刻を知っているのも疑惑を深めます。
▲興寧行きをクルマで追う。思いのほかスピードが速い。'95.3.19 龍田ー興寧
クリックするとポップアップします。

090416n001
▲興寧駅で折り返しを待つ合水行き。それまでほとんど人影のなかった閑散とした駅構内にどこからともなく乗客たちが集まってくる。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

ともあれ、お目当ての興寧支線の列車を目にすることができたのはラッキーと言うしかありません。結構な俊足ぶりで終点の興寧に到着した列車は、構内外れにある小さなターンテーブルで機関車を方転、ラジエータに冷却水を補給したのち、折り返しまでしばらくの休息となります。

090420n065090421n005
▲興寧の市街(左)は活気に溢れていた。当時は広汕線の建設真っ最中で、部分開業した興寧駅(右)には建設工事用に全国から集められた前進形や建設形が蝟集していた。写真は資材運搬列車を牽く前進2663。'95.3.19 興寧
クリックするとポップアップします。

この梅隆鉄路の興寧(XINGNING)駅は市街の外れに位置していました。わが国の地方都市でもよく見られるように、駅は旧市街に取り残され、繁華街が国道沿いに発展してゆくというパターンでしょうか。折しも広州からの新線・広汕線(中国鉄路局管理の地方鉄路)が建設たけなわで、新市街に建設中の新駅構内には全国各地から集められた前進形や建設形の蒸気機関車、それに蒸気ロコクレーン(アーカイブ「蒸気ロコクレーンのこと」参照)が集結していました。

090420n064
▲興寧の構内はかつての賑わいを思い起こさせるように広い。側線には小さな転車台があり、ガソリン機関車はここで方転する。'95.3.19 興寧 P:水野克成

余談ながら、この興寧の市街を歩いている時のこと。露店で新鮮そうな卵を売っており、香港を出てからというもの、お湯をかけただけの乾麺やら犬肉やらしか食べておらず、生卵でも呑んでスタミナをつけようと、買ったその場でコンコンと穴をあけて飲み込みました。この様子を見て同行の通訳氏はもとより売り子のおばさんやら通行人やらが驚くこと! のけぞらんばかりで、まるで大道芸でも見るような騒動に…。四本足は机、飛ぶものは飛行機以外何でも食材にすると言われる食の大国・中国でも生卵を食べる習慣はないのです。ちなみに、のちに知ったことですが、日本の鶏卵は卵かけご飯をはじめとした生食用に生産・管理されていますが、伝統的に生食の習慣のない海外では感染の危険があり絶対に火を通さずに食べてはいけないとのこと。いやはや、これには反省しきりでした。

towa16_bunner.jpg

090508n001.jpg
▲高野下駅を発車した“天空”試運転列車。現在はプレ運行中で、7月から本格的な運転を開始する予定。'09.4.20 高野下 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

南海電気鉄道では高野線橋本以南の観光路線化を目指し、「こうや花鉄道プロジェクト」を実施していますが、その一環として、このたび観光列車である2200系“天空”が誕生いたしました。この車輌は、高野線の増結運転を目的に導入された22001系を改造した2200系をベースに再改造したもので、さっそくその概要をご紹介いたしましょう。

090508n007.jpg今回“天空”用に改造された2200系は、高師浜線および通称汐見橋支線で使用されている2200系2輌1編成が種車。車内では「ワンビュー座席」や、4人掛けの「コンパートメント座席」を各車に設置した他、高野山・極楽橋側の2258号車に「イベントスペース」を、難波・橋本側の2208号車には外気を直接取り入れる「展望デッキスペース」が設けられるなど、観光列車化のための車体・車内の改造が施されています。
▲2258車体側面の“天空”のロゴ。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

また、高野線橋本以南へ入線するため、それまで撤去されていた山線用の装備が再度搭載されています。機器関連の主な改造点は…
①ワンマン機器の撤去
②床面高さ60mm下げ
③先頭部連結器を「密着自動連結器(NCBⅡ)」から「回り子式密着連結器(CSD90)」へ変更
④制御回路つなぎを山岳区間直通用に変更
などとなっています。

090508n002.jpg
▲高野下方先頭車2258。車内運転席後ろには展望座席(6席)が備わる。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

090508n013.jpg090508n032.jpg
▲橋本方先頭車2208(左)。こちらは在来車と連結されるため、通常は前面が出ることはない。右は連結部。コンパートメント部の窓が大きく改造されている。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

車輌番号は高野山側が2258、橋本側が2208。これは語呂合わせで付番されたもので、2258が高野山の「コーヤ」2208が橋本の「ハ」が由来だそうです。座席数は1編成で76席、2208号が39席、2258が37席となっています。営業時は全席座席指定の定員乗車で運転する予定ですが、座席を選ぶことはできません。

090508n009.jpg
090508n008.jpg
▲車内は西側(写真上)がワンビュー座席、東側(写真下)が従来の窓を和風に改造したものとなっている。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

“天空”の目玉として設けられた「展望デッキ」スペースは2208の高野山側に設置されています。もとの扉部スペースを区切った形で改造されたもので、天候が良い時には扉を開け高野山のパノラマを感じる事ができます。
東側の窓は現行のまま存置されていますが、西側の窓はパノラマビューを満喫出来るように1,750mm(幅)×800mm(高さ)の大型の固定窓に改造されています。

090508n003.jpg090508n004.jpg
▲2258のもとドア部分を利用した展望スペース(左)。小さなテーブルも設けられている。右はワンビュー座席。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

車体色はグリーンと赤の帯となっており、高野山側の2258は運転台側扉位置から上側に上がっています。なお、常時2000系・2300系などが連結される2208号は車体と同じ幅のままとなっているのが特徴です。

090508n010.jpg090508n012.jpg
▲2258のもとドア部分の東側は完全にドアが埋められ、イベントスペースとして畳席が設けられている(左)。右は運転室後方に設けられた6席の展望座席。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

090508n021.jpg090508n022.jpg
▲2208先頭部には「展望デッキ」スペースと名づけられたオープンエア空間が設けられている。好天の日にはドアが開放され(右)、存分に高野山の外気を堪能することができる。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

090508n005.jpg090508n011.jpg
▲4人掛けのコンパートメント座席(左)。右はドア上に掲げられた高野線の勾配図。'09.4.28 小原田検車区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

090508n006.jpg座席は2輌ともドア間が西側に向けての「ワンビュー座席」、2258号の運転台側座席を除き車端部は4人掛けの「コンパートメント座席」となっています。「コンパートメント座席」には折り畳み式のテーブルが取り付けられています。なお、「ワンビュー座席」は西側が従来の床面高さで後ろ側になる東側の座席は約100mmかさ上げされているのが特徴です。かさ上げ部は、床面導入部がスロープとなっています。また、車椅子スペースは2258号運転台側扉前に設置されており、2258号には「イベントスペース」として使える畳スペースも設置されています。
▲2輌合計76席の座席はすべて指定席。事前に指定席料金が必要となる。'09.4.28 橋本 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

両車の改造は千代田工場で行われ、車体部分を南海車両工業株式会社が、テーブル、椅子、床など木材部分を株式会社タカラが担当しています。この“天空”は、4月26日に完成披露会を白鷺駅で行った後、4月29日より6月までプレ運行が行われ、7月より本格運行を開始する予定です。
■取材協力:南海電気鉄道

towa16_bunner.jpg

090507n001.jpg
1000枚目「急行『利尻』到着」 ▲朝6時30分南稚内駅に到着するC5530牽引の急行「利尻」、タブレットを持った駅長さんにカメラを向けると少し胸を張り姿勢を正してタブレットの受け渡しをしました。'70.10.21 宗谷本線南稚内 P:鴨下精一さん (「わが国鉄時代」より)
クリックするとポップアップします。

姉妹ブログ「わが国鉄時代」が本日で1000枚目となりました。振り返ってみれば2005年7月27日、石橋良章さんから「真岡機関支区」をご投稿いただいてから足掛け4年、栄えある1000枚目のアップとなったのは、ここにお見せする鴨下精一さんの「急行『利尻』到着」です。

090507n002.jpg6時30分、札幌から250㎞あまりをかけてきた急行「利尻」が南稚内に進入してきました。朝日を浴びてさいはてのクイーンC55 30が美しく輝き、ホームに長々と影が延びています。真ん中の影は撮影者である鴨下さんのものでしょう。「タブレットを持った駅長さんにカメラを向けると、少し旨を張り姿勢を正してタブレットを受け取りました」とコメントが添えられています。以前ならごく当たり前のこんな光景も今では見ることができなくなってしまいました。

▲本州最後の蒸機列車を牽いて来た牽引機が方転後、乗務員さん達の手によって「さよなら」の飾りが片付けられていました。'75.1.15 山陰本線益田 P:高橋 明さん (「わが国鉄時代」より)
クリックするとポップアップします。

090507n005.jpg
▲夏休みの少年達で賑わう後藤寺駅の改札口の目前を、補機付き石炭列車が猛然と発車してゆきます。'73.8 田川線後藤寺 P:本荘裕二さん (「わが国鉄時代」より)
クリックするとポップアップします。

撮影者の鴨下さんは南稚内にお泊りだったのでしょうか。この急行「利尻」は6時36分に終着・稚内に到着し、7時56分にC55牽引の上り322レが発車します。「利尻」にシャッターを切った後カメラをザックにしまい、322レを撮るべく、はやる気持ちで朝露に濡れたクマ笹の丘にむかう鴨下さんの姿が思い浮かびます。好天ですから利尻富士の姿も神々しく照り輝いていたことでしょう。この日の宿はC55 30牽引の上り「利尻」? 明日は山線のC62「ニセコ」でしょうか…。

090507n003.jpg
▲朝、起きると天気は曇り…。 天気が悪いならここしかないとこの場所へ。雑木林の奥から日章旗が見えた姿と感動は、今でも記憶の彼方から甦ります。'80.10.11 東北本線栗橋-古河 P:遠藤 享さん (「わが国鉄時代」より)
クリックするとポップアップします。

撮影日は1970(昭和45)年10月21日。呉線の「安芸」「音戸」が同年の9月30日をもって消えて、残るは蒸機牽引の定期急行はC62牽引の「ニセコ1・3号」、D51牽引の「大雪6号」、そしてこのC55牽引の「利尻」となってしまいました。下り「日南3号」にC57が返り咲きますが、それはこの3年後のこと。C55牽引で残ったこの「利尻」は稲沢区より借り入れられたDD51に間もなく取って替わられます。この写真は「利尻」牽引の最末期の姿を捉えた貴重なものです。

090507n004.jpg
▲正月早々の山陰線は、鉛色の空と白い波頭が押し寄せるイメージ通りの世界だった。やがてC57が足早に現れた。しかし肝心の雪が無く、喜びも半減だった事を思い出します。'72.1.2 山陰本線馬路~仁万 P:永井修二さん (「わが国鉄時代」より)

一枚の写真から撮影現場のこと、車輌のこと、さまざまな事柄が浮かんでは消えます。もう一度丹念に1000枚の写真をご覧になってみれば、1000の思い出があなたを旧き佳き時代にタイムスリップさせてくれるはずです。ご好評をいただいた単行本『わが国鉄時代』も、このアーカイブを踏まえて第二巻目を準備中です。どうか引き続き「わが国鉄時代」を応援くださりますようお願いいたします。

wagakokutetujidai022.jpg

090501n010.jpg
▲19年におよぶトワイライトゾ~ンの歴史のなかで、ほとんど変わらなかったスポットのひとつが休止中の西武鉄道安比奈線。いつもトワイライトゾ~ンの原点を思い起こさせてくれる。
クリックするとポップアップします。

2年ぶり16冊目となる『トワイライトゾ~ン・マニュアル』が完成しました。国道交叉図から浮かびあがる昭和初期の私鉄・専用線、車輌工場内で働く奇妙な竪型ボイラー機、大都会にひっそりと残る鉄道遺構、はたまた日本の蒸気動車追記にいたるまで、今回も見所いっぱい、読みどころいっぱいの内容でお送りします。

090501fig巻頭は三宅俊彦さんの「住友金属鉱山別子鉱業所~専用鉄道の機関車たち~」。『列車名変遷大事典』に代表されるように、時刻表研究、運転史研究の分野で広く知られる三宅さんですが、実は古くから専用線の機関車研究にも並々ならぬ情熱を傾けておられ、この「別子」もその成果のひとつです。最初に導入されたクラウス製№1~4(現在、№1は別子銅山記念館に保存展示中)の各時代の写真に写り込んだ製造銘板を拡大照合し、振り替えが行なわれたことを推理されるなど、まさにトワイライトゾ~ンの“王道”ともいえるレポートです。

090501n008
▲三宅俊彦さんの「住友金属鉱山別子鉱業所~専用鉄道の機関車たち~」。国連軍に供出された№19~21の貴重な写真も収録されている。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

続く「北恵那鉄道創業期の電車」は、もと北恵那交通社長の清水 武さんが、会社倉庫の取り壊し時に発見された北恵那鉄道創業時の電気設備・車輌の英文見積・発注書類を解読して同社の成り立ちに迫る研究です。いわゆるラジアル・アクスル台車の機構にまで言及され、しかも掲載した同社1号の台車平面図は初見のものです。

090501n007090501n004
▲「北恵那鉄道創業期の電車」(左)と、中田俊朗さんの「欽明路トンネルの排煙設備跡」(右)。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

街道研究がご専門の冨嶋辰夫さんからご提供いただいた昭和9年の「鐵道交叉圖」も必見です。東京から下関まで、鉄道ではなく道路(国道)の東海道と山陽道を描いた内務省作成の図ですが、それぞれの国道に交叉する鉄道・軌道・専用線が克明に記入されており、見れば見るほど発見があります。たとえば山陽道片上鉄道踏切の横には「品川白煉瓦会社占用軌道」踏切が描かれていたり、従来の鉄道の側からの視点ではなく、道路の側からの視点である点がなんとも新鮮です。

090501n006
▲昭和9年の「鐵道交叉圖」はさながら東海道中膝栗毛のような手書き絵図。とはいえ、これでも内務省が作成した公文書である。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

0905n005090501n003
▲ひさしぶりにB滝さんも登場! 今なお現役のホキ800とその積み込み施設をレポート(左)。右は柴田東吾さんによる「国鉄狭軌軽便線保存客貨車撮りつぶし」。本誌の屋鋪さんの連載の向こうを張って国鉄狭軌軽便線保存車の撮りつぶしに挑んだ記録。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

このほかにも以下のような盛りだくさんな内容でお送りいたします。
住友金属鉱山別子鉱業所~専用鉄道の機関車たち~/蒲郡市内のロープウェー/北恵那鉄道創業期の電車/今も残るマウンテンギブソン台車/石原産業専用線ついに廃止/一枚の銘板から/昭和9年の「鐵道交叉圖」/ホキ800形ホッパ車と戯れる駅/消えた高麗川の専用線/常磐線桃内駅と旧線/国鉄宮原線は今/川崎重工の奇妙な蒸気?機関車/大都会の真ん中に立ち並ぶ溝つきレール架線柱/昭和41年 阪神武庫川線跡/中国山地の鉱山跡 きたにひかる/奥大井接岨峡でお宝発掘!!/三菱電機のバッテリーロコとシキ/九州鐵道の遺構(2)~九州のアーチ橋も開発の危機~/下松のスイッチャー/柵原鉱山訪問記/

090501n002小諸駅の油庫/神立の企業専用線廃線跡/マニ30、走る/太平洋石炭販売輸送・謎の車輌 /跨線橋にあった国鉄多度津工場の製造銘板/井原鉄道沿線の井笠鉄道の廃線跡/門司港西海岸地区の線路跡/呉 あれから40年/新幹線の建設工事車輌/発見!浪江森林軌道跡/東海道本線西宮市内の煉瓦構造物~極小トンネルとねじりまんぽ~/保存された「加藤くん」/高架下に残る築堤跡/長良川の東郷号/宇治市に残る軍用専用線/仙北鉄道築館線跡を訪ねて/欽明路トンネルの排煙設備跡/JR四国土讃線~全面復旧に活躍した車輌~/国鉄狭軌軽便線保存客貨車撮りつぶし~「国鉄」のナローを訪ねて~/消えた“寒天軌道”/名鉄本線横の土工用蒸機/内燃動車発達史・日本の蒸気動車 追記/連載 トワイライトゾ~ン年間総目次 '07年5月~'08年5月
〔巻末付録〕昭和二十年十月一日 貨物營業粁程表 連絡社線編

▲湯口さんの「内燃動車発達史・日本の蒸気動車 追記」は、再び独自の視点でわが国の内燃動車・蒸気動車の謎に迫る大作。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

090501n001
▲そして巻末付録の昭和20年10月版「貨物営業粁程表」の連絡社線編。こちらも読み解いてゆくとさまざまな“発見”がある。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアル 16』より)
クリックするとポップアップします。

巻末付録は昭和20年10月版「貨物営業粁程表」の連絡社線編。本表は昭和20年当時の連絡社線各線の貨物取扱駅と実際の営業キロ、および運賃計算上の貨物営業キロ、さらには取扱貨物や入線貨車の制限を一覧表にしたもので、終戦直後の貨物輸送の状況を知るうえで欠くことのできない貴重な資料です。前号の国鉄編と合わせてご活用ください。

※小ブログは連休中は休載させていただきます。5月7日より再開いたしますので、あしからずご了承ください。

towa16_bunner.jpg

レイル・マガジン

2009年5月   

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.