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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2009年1月26日

熱海の“へっつい”を見る。(下)

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▲昨日ご紹介したモノクロ写真よりさらに4年前、1976(昭和51)年撮影のカラー画像を長谷川武利さんがメール添付でお送りくださった。駅前再整備直後と思われ、ソテツも移植されたばかりのようだ。’76.2.21 P:長谷川武利
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昨日の小ブログをご覧になったブログ「わが国鉄時代」でお馴染みの長谷川武利さんから1976(昭和51)年2月に撮影された「熱海鉄道7号機」のカラー写真をお送りいただきましたので、まずはさっそくご覧いただきましょう。周囲に柵も説明板もない、展示場開設間もない時分と思われます。長谷川さんは当時、毎週のように湘南,伊豆方面に157系「あまぎ」を追っていたそうで、この写真もその途中で撮影されたものだそうです。

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▲現在の展示場の状況。機関車を取り巻く植栽が繁茂してきており、正面がちでないと全体が見えにくくなってしまっている。’08.9.28
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ところでこの熱海鉄道7号機とされる“へっつい”ですが、実のところその出自は諸説あって定かではありません。1919(大正8)年から1922(大正11)年にかけて、家族旅行で幾度かこの軌道に乗った経験をお持ちの小熊米雄さんは、「熱海の軽便鉄道を回顧して」(『鉄道ファン』1962年4月号)の中で「増備された車両のうち機関車は6両で(中略)東京石川島造船所製がNos.2~4、越中島鉄工所製がNos.5,6、従ってNo.7は池貝鉄工所製という仮定が成立し(後略)」と記されておりますが、臼井茂信さんは『機関車の系譜図』の中で「定説では<池貝>または<雨宮>とされるが<越中島>と推定できる」と越中島説を唱えておられます。

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▲かつてはペイントだったサイドタンクの「熱海」の文字は現在ではプレートとなっている(左)。右はサイドタンクの給水口部。’08.9.28
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090125n007展示場の説明看板には「熱海軽便鉄道7機関車」と題して以下のような解説文が添えられています。「この機関車は明治40年から大正12年まで、熱海=小田原間の25キロメートルを2時間40分かかって走っていたものです。この鉄道は関東大震災により廃止されましたが、その後、各地の鉄道建設工事に活躍したのち神戸市の国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを熱海市が払い下げをうけ修復して、ゆかり深い故郷へ貴重な交通記念物としてかえってきたものです」。また車輌の要目として「車両の長さ3.36m、高さ2.14m、幅1.39m、重さ3.6t、時速9.7km」と記されていますが、やはりここでも製造会社についてはいっさい触れられておりません。
▲きわめてプリミティブなキャブ内。加減弁は蒸気管に直付けされたバルブ状のもの。’08.9.28
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▲斜めに突き出たL型のハンドルは手ブレーキ(左)。右側運転台で、逆転機は極めて簡単な梃子式(右)。座席もとって付けたような華奢なもの。’08.9.28
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もうひとつ興味深いのは煙突です。保存車はソロバンのタマのような形状のチムニーキャップを載せたストレート・スタックですが、わずかに残された現役時代の写真・絵はがきを見るにつけ、熱海鉄道の“へっつい”はことごとく巨大な火ノ粉を装備していること気づきます。よほど火ノ粉の飛散がひどかったのか、先述の「真鶴」のなかで志賀直哉は「丁度熱海行きの小さい軌道列車が大粒な火の粉を散らしながら、息せき彼等を追い抜いていった」と書き留めています。蛇足ながら“へっつい”の語源ともなったこの「真鶴」、文庫本7ページほどの小品ながら、なんとも味わい深い作品です。

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▲雨宮製3.5t機組立図。典型的ないわゆる“へっつい”で、本機は大日本軌道浜松支社のもの。ボイラー中心高は2ft5in(736㎜)で、まさにヘソの高さ程度。主要なスペックは最大寸法3784×1371×2612㎜(長×幅×高)、シリンダー径95㎜×ストローク254㎜。
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最後に雨宮製“へっつい”の組立図をお目にかけましょう。雨宮機はサイドタンク後方下部が切り取られているのが特徴です。

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