鉄道ホビダス

2009年1月アーカイブ

NARROW GAUGE NEWS 最新号より。

090131n001先日、帰宅すると見慣れたエアーメールが届いていました。会員になっている英国ナローゲージ・レイルウェイ・ソサエティー(NGRS)の会報です。NGRSでは隔月で会報“NARROW GAUGE NEWS”、季刊で“THE NAROOW GAUGE”を発行しており、毎回届くのを心待ちにしております。とりわけ今回は封筒を開ける時から期待にときめいてしまっておりました。というのも、昨秋ロンドン近郊で開催されたエキスポ・ナローゲージ(アーカイブ「EXPO NARROW GAUGEの旅」参照)を訪れた際、会場内にブースを構えたNGRS事務局にレポートを“投稿”してきたからです。折りよく編集長がおられ、出立前にうんうん唸りながら書いた英文のレポートと写真データを手渡しすることができました。「ちょうど11月号を校了してしまったところなので、1月号で使わせてもらいますよ」とのお言葉…その1月号が届いたのです。
▲“NARROW GAUGE NEWS”1月号表紙。カバーフォトはボスニア国境付近をゆくセルビアMokra Gora line(760㎜)の83-173。
クリックするとポップアップします。

090131n002090131n003
▲トップページにカラーで掲載されたわが大連復州湾塩場のレポート。総32ページ中、表紙を含めてカラーページは8ページのみ。ちなみに苦労して書いた英文原稿の大半がボツとなってしまったのはちょっと残念…。
クリックするとポップアップします。

“投稿”したのは昨年春に訪れた大連復州湾塩場の塩田ナロー(アーカイブ「遼東半島に未知の大ナローゲージ網を探る」参照)のレポート。いそいそと開封してみると、なんとトップページにカラーで掲載されているではないですか。ずっとモノクロページのみだった“NARROW GAUGE NEWS”は前号11月号からカラーページが新設されたばかり。その2弾目に抜擢されたのですから名誉なことです。それにしても、仕事がら日々多くの投稿に接してはいますが、いざ逆の立場になってみると、自分の投稿が採用されるのはなんとも嬉しいものです。

090131n004090131n005
▲こちらは“NEWS”よりより深く掘り下げた研究記事を収録した季刊“THE NARROW GAUGE”。B5判より一回り小ぶりで44ページ。最新号の表紙はティポン(インド)の現役蒸機ナロー。
クリックするとポップアップします。

090131n006090131n007
▲“ティポン・アドベンチャー2008”と題された連載レポートは、今号の総ページの半分22ページを占める大作。老舗ダージリン・ヒマラヤン・レイルウェイ・ソサエティーのツアーレポートだけに恐るべき詳細さ。
クリックするとポップアップします。

NGRS編集長には原稿とともにRMライブラリーなど見本誌を何冊か渡してきたのですが、冒頭の紹介文を見ると「日本語を翻訳できるメンバーは連絡を…」と書かれています。RMライブラリーでは小池 滋先生にお願いして毎号格調高い英文サマリーを巻末に付していますが、それとてあくまでサマリーでしかありません。彼らにとっては興味をひいた写真のキャプションひとつ、アルファベットどころか異次元の文字の羅列なわけで、改めて日本の国際競争力の弱さにまで思いを巡らせてしまいました。

090131n008この“NARROW GAUGE NEWS”は現在290号。隔月刊ですからその歴史の古さが知れます。NGRS自体は1951(昭和26)年の創立。イギリスのみならず世界各国のナローゲージをリサーチしており、その研究は歴史や技術、さらにはミニチュア・レイルウェイなど多岐にわたります。そしてその名のとおりニュースを中心とした“NARROW GAUGE NEWS”とは別に、密度の濃いレポートやテーマ研究をまとめた会報“THE NARROW GAUGE”が年4回=季刊ベースで発行されており、今回は2008/2009年冬号(No.205)が送られてきました。今号ではこれまた懐かしいインド・アッサム州のティポン炭礦の詳細レポートが掲載されており、思わず見入ってしまいました。私がティポン炭礦を訪れたのはかれこれ5年前の5月(アーカイブ「デイビッドに会いにインドへ行く」参照)。思えばこの時も“NARROW GAUGE NEWS”にレポートを投稿し、掲載(2004年7月号/No.263)してもらったことがありました。

▲“ティポン・アドベンチャー2008”はコルカタ(旧カルカッタ)近郊のナロー営業線訪問記から始まる。
クリックするとポップアップします。

090131n009090131010
▲“Shantipur”のインド国鉄ナロー線は延長27キロほどながら、2フィート6インチゲージで残る稀少路線。よたよたのボギー単端(?)が客車3輌を牽引しているという。(“THE NARROW GAUGE”No.205より)
クリックするとポップアップします。

今号のレポートでもうひとつ興味をひいたのが、コルカタ(旧カルカッタ)の北87キロほどにあるという2フィート6インチゲージの現役国鉄路線シャンティプール(Shantipur)システムです。1899年に開業したこの路線では1980年代まで蒸機が存在しており、手元のコンチネンタル・レイルウェイ・サークル発行“INDIAN LOCOMOTIVES/NARROW GAUGE 1863-1940”によれば、バグナルの1Bタンク機など魅力的な面々が顔を揃えていたようです。現在ではご覧のようなあまり食指の動かない単端が主役ですが、こんな路線をきちんと押さえてゆくのも“THE NARROW GAUGE”の真骨頂と言えましょう。

bunner02.jpg

090130n011.jpg
▲9000系6連による試運転列車。'09.1.26 阪神電気鉄道西大阪線西九条 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

3月20日(金曜日・祝日)の開業まで二ヶ月を切り、阪神なんば線の試運転が1月23日から始まっています。この試運転は西大阪線の列車がそのまま阪神なんば線内まで直通する形態で行なわれており、従来4連だった西大阪線の列車は、乗り入れ対応の1000系または9000系の6連となっています。

nanbamap003.jpg
▲阪神なんば線概念図。開通にあわせて「近鉄難波」は「大阪難波」に、「上本町」は「大阪上本町」へと駅名変更される。(阪神電気鉄道パンフレットより)
クリックするとポップアップします。

nanbamap001.jpg阪神なんば線は、現在の西大阪線の終点・西九条から近畿日本鉄道の近鉄難波(なんば線開業後は大阪難波と駅名変更)までを結ぶもので、開通にともない阪神電気鉄道は近畿日本鉄道と相互直通運転を開始します。つまり阪神三宮と近鉄奈良間が乗り換えなしで結ばれることとなり、利便性が飛躍的に向上することになります。また神戸(三宮)方面から大阪中心部、大阪南部、関西国際空港、和歌山市方面への新たなアクセスルートとしての活躍も期待されます。
▲三宮~大阪難波間の通勤定期を活用した地下鉄沿線へのアクセス例。新サービス「OSAKAどっちも定期」により、阪神本線(武庫川線含む)から阪神なんば線新線区間各駅への通勤定期があれば、阪神梅田駅での乗降も可能。(阪神電気鉄道パンフレットより)
クリックするとポップアップします。

090130n010.jpg
▲九条方面からの試運転列車がホーム延伸部に停車。その後、普通尼崎行として営業列車となる。'09.1.26 阪神電気鉄道西大阪線西九条 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

現在、西九条駅では、阪神なんば線に向かう列車は営業列車として従来のホーム部分で一旦停車。乗客を降ろした後、大阪環状線の上まで伸びたホーム延伸部の先頭まで移動。一旦停車後、試運転に向かっています。下りはその逆で、同様にホーム延伸部に一旦停車。再び前進して停車し、営業運転に入ります。なお、これにともない、西九条駅では1月23日から2月23日までの予定で、1番線ホームを降車専用ホームとしています。

nanbamap002.jpg
▲阪神なんば線開業後の運転系統別停車駅一覧。(阪神電気鉄道パンフレットより)
クリックするとポップアップします。

nanbafig01.jpg090130n014.jpg
▲なんば線開業をアピールする阪神電気鉄道のフライヤー(左)。右は西九条駅改築工事にともなう告知。'09.1.26 阪神電気鉄道西大阪線西九条 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

昨年3月のJR西日本おおさか東線部分開業(アーカイブ「おおさか東線まもなく開業」参照)、10月の京阪中之島線開業(アーカイブ「中之島線開業前日、さらば1900、そして天満橋行き…」参照)に続き、来る3月20日のこの阪神なんば線開通で、ふたたび大阪中心部の交通体系は新たな時代に入ることになります。

wagakokutetujidai022.jpg

南北線に9000系第5次車。

090130n001.jpg
▲前面デザインが変更された9000系第5次車。前面から側面に流れるラインもデザインも独特のものとなっている。 (東京地下鉄プレスリリースより)

東京地下鉄(東京メトロ)南北線用9000系の第5次となる増備車が誕生、今春営業運転に入ります。今回の増備車は、外観では前面デザインが変更されているのが大きな特徴と言えましょう。また従来車は4M2TであったMT比が今回の増備車では3M3Tに変更されており、パンタグラフもシングルアーム式となり、M1'車には1基、M1車には2基搭載されています。

090130n002.jpg
車体はセミダブルスキン構体を採用し、車体隅柱強化、溶接位置変更等により車体強度を向上させ、衝突安全性を高めているそうです。編成は赤羽岩淵方からCT1-M1'-T-M1-M2-CT2(下図参照)。
▲9000系従来車と第5次車の比較。 (東京地下鉄プレスリリースより)

客室内では、側扉上の案内表示器が液晶式となったほか、車端部の荷棚の高さを低くし、さらに優先席部の吊手も低く設置されています。また冷房能力も従来の42000kcal/hから50000kcal/hに向上しています(東京メトロ提供比較項目表参照)。このほかにも床面高さを10mm低くしてホームとの段差を縮小しているほか、車体に使用しているアルミ合金の種類を統一してリサイクル性を向上、床材や座席表地などを変更して火災対策の強化を図っています。

090130n003.jpg
▲3M3Tとなった9000系第5次車編成形態。 (東京地下鉄プレスリリースより)
クリックするとポップアップします。

この南北線用9000系第5次車は6連×2本、計12輌が新製され今春から営業運転に入りますが、注目の車号は写真から判断すると従来車の続番となるようです。なお、この9000系第5次車に関しては改めて本誌誌上でも詳しくご紹介する予定です。

waga_kokutetu_jidai.jpg

090128n002.jpg

先日もお知らせいたしましたが、日々皆さんからお寄せいただいている「わが国鉄時代」の単行本化第一弾、その名も『わが国鉄時代 1』が完成いたしました。すでに小社特約店店頭には並んでいるかと思いますが、今日は編集を担当した『国鉄時代』の山下より、内容のご紹介をさせていただきたいと思います。

090128n003.jpg
「銀河」と「あさかぜ」 ▲急行「銀河」(左の20系)で東京に戻る途中、横浜駅に停車中「あさかぜ」が追い抜くという放送を聞き、急いでホームに降りて写真を撮りました。'78.3 P:本荘裕二さん (『わが国鉄時代 1』より)
クリックするとポップアップします。

2005(平成17)年7月27日に石橋良章さんに「真岡機関区」をご投稿いただいたのが、ブログ「わが国鉄時代」のスタートでした。それから3年半、1月30日現在、約900枚もの写真が撮影時のエピソードとともにアップされ、一大アーカイブに成長いたしました。これもひとえにご投稿いただく皆様のお力添えあればこそ。本当にありがとうございます。

090128n004.jpg写真の数だけ思い出もあるわけですから、個人の記録であると同時に、当時の熱気や憧れを語り継ぐ、レイルファンすべての財産ともいえます。パソコンのモニターで気軽に見られるのがブログのいいところですが、この宝物をやはりインクの匂いのする一冊の本にまとめたいというのが、「習性」にも似た編集者の「欲」のようなものです。そしていよいよ1月30日『わが国鉄時代 vol.1』が発売される運びとなりました。
夜の札幌駅 ▲左は「利尻」、右は「狩勝」。夜の札幌駅は道内各地へ行く夜行列車で賑わう。周遊券を片手に、明日はどこへ行こうかと迷ったのも懐かしい思い出。'74.8.23 P:宮村昭男さん (『わが国鉄時代 1』より)
クリックするとポップアップします。

ご投稿いただいた写真は、撮った直後の快哉が伝わるような会心の作はもちろんのこと、時が経って見て初めて気づく温もりのある風景も少なくありません。機関士に見送られながら家路につく汽車通学の小学生、機関区の脇のドブではザリガニ釣の子供たちが盛んに糸を垂れ、長時間停車する普通列車の機関士はホームにしゃがんでアイスクリームに舌鼓…。この本は決して「写真集」という型にはまらない、撮影者の「青春記」なのです。

090128n005.jpg
吹雪を突いて ▲この年は旧型客車最後の冬と言われており、雪の中を行く列車を撮りに行きました。しかし旧客よりも雪の中を高速で疾走する特急列車の迫力に魅了され、クハ481(ボンネット)の撮影がメインとなってしまいました。'85.1.5 北陸本線倶利伽羅 P:田中一弘さん(左ページ)ほか (『わが国鉄時代 1』より)
クリックするとポップアップします。

巻頭に「蒸機全廃後の“自分探し”」をご執筆いただいた前原誠司民主党副代表も、汽車の思い出を反芻しつつ次なるターゲットを捜し求めた世代。京都から四国まで友人と自転車に乗ってDF50を撮影に出掛けたくだりはまさに輝かしい青春の1ページです。編集長の名取は35頁の「103系海水浴臨」を同じ日に平塚駅ホームの助勤アルバイトとして扱っていますし、私も143頁の「C62+C59のさよなら列車」を同じ日に沿線で撮っています。ページをめくるたびに撮影者の思い出を通して、遠い日の記憶が甦ってくるのは時代を共有した者の特権ですが、若きレイルファンの方々にも当時の熱気や憧れがひしひしと伝わってくるはずです。

090128n001.jpg
▲今回の付録の「日本国有鉄道案内図 昭和39年 北海道」。白熱灯の車内でこの路線図に見入った体験をお持ちの方も少なくないはず…。

特別付録の「日本国有鉄道案内図 昭和39年 北海道」は客車などの客室妻板の額に入っていたものを復刻いたしました。国鉄線だけでなく寿都鉄道、定山渓鉄道、歌登町営軌道などなど私鉄もまだ各地に残っていた時代、現在の路線図と比較すると隔世の感があります。
「vol.1」となっておりますとおり、ブログの充実とともに巻を重ねていきたいと思います。皆様のご投稿を毎日お待ちしております。

waga_kokutetu_jidai.jpg

090127n001.jpg
▲2台のクレーンに吊り上げられたテンダー上回りがゆっくりゆっくりと台車の上におろされる。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

1979(昭和54)年8月1日から「SLやまぐち」号として活躍を続けているC57 1号機ですが、このたび老朽化したテンダーを“新品”に取り替える工事が行なわれ、昨日、梅小路運転区でその搬入シーンが報道公開されました。

090127n002.jpg
▲梅小路運転区の検修線ではエンジン部分が本線復帰を前に検査中。再び火が入る時には新たなテンダーと組み合わされることになる。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

C57 1のテンダーは形式「12‐17C」と呼ばれるもので、燃料(石炭)搭載量12t、水タンク容量17?。今回、台車は旧テンダーのものを流用するものの、いわば車体に相当する部分はまったくの新製となり、真新しいテンダー上回りはトレーラーに載せられて、早朝の梅小路運転区へと搬入されました。

090127n003.jpg090127n004.jpg
▲新品のテンダー車体はトレーラーで扇形庫に到着(左)。隣接する13番線には仮台車を履いた旧テンダーが顔をのぞかせている(右)。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

090127n005.jpg
▲巨大なクレーン2台によって吊り上げられるテンダー車体。お馴染みの和やかな梅小路の光景もこの時ばかりは緊張感を伴った異質なものに…。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

090127n006.jpg090127n007.jpg
▲トレーラーからとりおろされた新製テンダー(左)はクレーンで慎重に吊り上げられて(右)台車が挿入される。ちなみに台車は従来のものを流用している。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

C57 1号機はそもそもC55 63号機として新製計画されたものの、大幅な設計変更によって新形式C57形となって1937(昭和12)年3月に誕生しました。水戸機関区を皮切りに、宇都宮、千葉と関東で活躍したのち、1954(昭和29)年に新津機関区に転じ、その現役後半生を日本海縦貫線で過ごしました。しかしその歳月は決して平坦ではなく、1958(昭和33)年にはボイラーそのものを新罐に載せ替え、さらに1961(昭和36)年2月には急行「日本海」を牽引中に脱線転覆、入場した長野工場で運転室等を新製する“大手術”を受けています(『梅小路90年史』所載「履歴簿」参照)。今回テンダーが新調されたことで、72年前の誕生時を受け継ぐのは走り装置くらいとなり、そのほとんどが更新されることになります。

090127n008.jpg
▲台車が組み込まれて完成状態となったテンダー。この春以降はこのテンダーが「SLやまぐち」号の主役の一部として活躍を始める。'09.1.26 梅小路運転区 P:高間恒雄
クリックするとポップアップします。

“テンダー”は古くからこの世界では、テンダー付きになる=結婚する…のように連れあい、伴侶を示します。新しい伴侶を得たC57 1号機の活躍は、いよいよこの春から始まります。
(取材協力:西日本旅客鉄道株式会社)

waga_kokutetu_jidai.jpg

1976.02.21atami.jpg
▲昨日ご紹介したモノクロ写真よりさらに4年前、1976(昭和51)年撮影のカラー画像を長谷川武利さんがメール添付でお送りくださった。駅前再整備直後と思われ、ソテツも移植されたばかりのようだ。’76.2.21 P:長谷川武利
クリックするとポップアップします。

昨日の小ブログをご覧になったブログ「わが国鉄時代」でお馴染みの長谷川武利さんから1976(昭和51)年2月に撮影された「熱海鉄道7号機」のカラー写真をお送りいただきましたので、まずはさっそくご覧いただきましょう。周囲に柵も説明板もない、展示場開設間もない時分と思われます。長谷川さんは当時、毎週のように湘南,伊豆方面に157系「あまぎ」を追っていたそうで、この写真もその途中で撮影されたものだそうです。

090125n002
▲現在の展示場の状況。機関車を取り巻く植栽が繁茂してきており、正面がちでないと全体が見えにくくなってしまっている。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

ところでこの熱海鉄道7号機とされる“へっつい”ですが、実のところその出自は諸説あって定かではありません。1919(大正8)年から1922(大正11)年にかけて、家族旅行で幾度かこの軌道に乗った経験をお持ちの小熊米雄さんは、「熱海の軽便鉄道を回顧して」(『鉄道ファン』1962年4月号)の中で「増備された車両のうち機関車は6両で(中略)東京石川島造船所製がNos.2~4、越中島鉄工所製がNos.5,6、従ってNo.7は池貝鉄工所製という仮定が成立し(後略)」と記されておりますが、臼井茂信さんは『機関車の系譜図』の中で「定説では<池貝>または<雨宮>とされるが<越中島>と推定できる」と越中島説を唱えておられます。

090125n011090125n004
▲かつてはペイントだったサイドタンクの「熱海」の文字は現在ではプレートとなっている(左)。右はサイドタンクの給水口部。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

090125n007展示場の説明看板には「熱海軽便鉄道7機関車」と題して以下のような解説文が添えられています。「この機関車は明治40年から大正12年まで、熱海=小田原間の25キロメートルを2時間40分かかって走っていたものです。この鉄道は関東大震災により廃止されましたが、その後、各地の鉄道建設工事に活躍したのち神戸市の国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを熱海市が払い下げをうけ修復して、ゆかり深い故郷へ貴重な交通記念物としてかえってきたものです」。また車輌の要目として「車両の長さ3.36m、高さ2.14m、幅1.39m、重さ3.6t、時速9.7km」と記されていますが、やはりここでも製造会社についてはいっさい触れられておりません。
▲きわめてプリミティブなキャブ内。加減弁は蒸気管に直付けされたバルブ状のもの。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

090125n009090125n012
▲斜めに突き出たL型のハンドルは手ブレーキ(左)。右側運転台で、逆転機は極めて簡単な梃子式(右)。座席もとって付けたような華奢なもの。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

もうひとつ興味深いのは煙突です。保存車はソロバンのタマのような形状のチムニーキャップを載せたストレート・スタックですが、わずかに残された現役時代の写真・絵はがきを見るにつけ、熱海鉄道の“へっつい”はことごとく巨大な火ノ粉を装備していること気づきます。よほど火ノ粉の飛散がひどかったのか、先述の「真鶴」のなかで志賀直哉は「丁度熱海行きの小さい軌道列車が大粒な火の粉を散らしながら、息せき彼等を追い抜いていった」と書き留めています。蛇足ながら“へっつい”の語源ともなったこの「真鶴」、文庫本7ページほどの小品ながら、なんとも味わい深い作品です。

atami090125fig
▲雨宮製3.5t機組立図。典型的ないわゆる“へっつい”で、本機は大日本軌道浜松支社のもの。ボイラー中心高は2ft5in(736㎜)で、まさにヘソの高さ程度。主要なスペックは最大寸法3784×1371×2612㎜(長×幅×高)、シリンダー径95㎜×ストローク254㎜。
クリックするとポップアップします。

最後に雨宮製“へっつい”の組立図をお目にかけましょう。雨宮機はサイドタンク後方下部が切り取られているのが特徴です。

bunner02.jpg

090125n001
▲熱海駅前に保存・展示されている熱海鉄道7号機。いわゆる“へっつい”の生き残りである。JR東日本横浜支社指定準鉄道記念物第一号に指定されている。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

手近な場所にありながら、逆にそれゆえに何時でも行けると訪問機会を逸してしまうことはありがちですが、私にとっては熱海駅前に保存されている熱海鉄道7号機もそのひとつでした。かれこれ28年前にブローニー判モノクロで撮影してはいるものの、細かなディテールまで撮影しておらず、かねてより再訪せねばと思っておりました。場所柄、仕事がらみでの懇親会やら何やら訪れる機会は少なくないのですが、いつも一瞥するだけで「またいつか…」と時間ばかりが経ってしまっていたのです。

090125n008090125n003
▲長らく国鉄鷹取工場構内で一部をカットされた標本として保管されていた本機は、1969(昭和44)年に同工場で修復されて熱海市に戻った。鷹取で誂えられた“ATAMI 7"のプレートと復元銘板。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

090125n006090125n005
▲恐ろしく小さなシリンダーと華奢なロッド(弁装置は内側スチブンソン)。右は床下の灰箱部。’08.9.28
クリックするとポップアップします。

昨年秋、所要で静岡へ向かう際に、思い切って早朝の「こだま」に乗って熱海で途中下車することにしました。熱海駅前の展示スペースは28年前とほとんど変わってはいませんでしたが、手前には昨今流行の“足湯”が設けられ、展示場の周囲には植栽が増えて、撮影するには少々厳しい環境となってしまっていました。

090125n022あらためて現車を見てみると、その小ささはもとより“へっつい”と愛称される低くへばりつくようなプロポーションがなんとも異様です。ちなみに“へっつい”とは、かつて民家の土間に設置されていた“かまど”の異名で、志賀直哉が小説「真鶴」(1920年)の中で「どうだ、このボイラーの小せえ事、恰でへつつひだな」と表現したことに端を発します。この小説は真鶴に住む幼い兄弟が小田原に買い物に行く道中を描いたもので、熱海鉄道(この時点では大日本軌道小田原支社)の描写がたびたび登場します。
▲28年前の熱海駅前。展示場所は現在と変わってはいない。’80.3.7
クリックするとポップアップします。

090125n021
▲この当時は展示場周辺の植栽も少なく、公式側からの撮影もし易かった。それにしても、四半世紀以上の歳月を経ながら、現在でもしっかりと整備されているのは嬉しい限り。’80.3.7
クリックするとポップアップします。

熱海鉄道が最初に実用導入したのは1904(明治37)年のボールドウィン製2.7t機で、機関車全体をさながら屋台のような屋根と側板で覆ったいわばスチームトラムでした。この機関車はサドルタンク機でしたが、異様なほどのボイラー中心高の低さが特徴で、以後の増備にあたっては国内メーカーがこれに倣ったがゆえの“へっつい”誕生だったと思われます。

waga_kokutetu_jidai.jpg

090124n001
▲驚きとともに嬉しかったのは、片野さんがお持ちくださった阪神電車尼崎車庫入換用の奇怪な単車のモデル…そう、この『編集長敬白』で紹介(アーカイブ「阪神の奇怪な電動貨車たち」「“阪神の奇怪な電動貨車”によせて」参照)した高橋 弘さん撮影のあの単車をさっそく模型化してくださったのだ。'09.1.23

昨年6月、丸善丸の内本店で「エコーモデル・その世界展」を開催して広く注目を集めたエコーモデルの阿部敏幸さんと、『1号機関車からC63まで』『吊掛讃歌』でお馴染みの片野正巳さんのおふたりに、鉄道模型の昨日・今日・明日をおおいに語っていただこうと、昨晩ささやかな会合をもちました。

090124n022改めて申し上げるまでもなく、阿部さんは1960年代初頭からホームレイアウト、とりわけストラクチャーやシーナリィの技法に驚くべき新境地を開拓され、次から次へと『鉄道模型趣味』(TMS)誌上に作品を発表されてきました。一方の片野さんはその当時、TMS誌編集部で阿部さんの記事の編集担当をされておられ、まずは“エコーモデル前夜”の話題でたいへんな盛り上がりのスタートとなりました。
▲“エコーモデル前夜”を熱く語る阿部敏幸さん。'09.1.23

090124n021先般の「エコーモデル・その世界展」のパネル展示でその片鱗を垣間見た方も少なくないと思いますが、実は阿部さん、1960年代から1970年代にかけて精力的に全国の地方鉄道を撮影に回られています。ご本人は「写真そのものにはさほど拘りはなく、あくまで模型のため…」とおっしゃられますが、なかなかどうして、マミヤプレス(のちにペンタックス67)に35㎜カメラ2台と、当時の“撮影派”顔負けの重機材を背負っての撮影行でした。しかも作品の数々は、見過ごされがちな情景を独自のカメラアイで捉えたもので、そのアーカイブの蓄積こそがエコーモデルのバックボーンとなっていることは間違いありません。
▲わが国の鉄道模型の歴史をメディアの側から見続けてこられた片野正巳さん。'09.1.23

その阿部さんが伝説のレイアウト「城新鉄道」の“創業”を宣言したのが1959(昭和34)年11月。宣言といっても、もちろんご自身の日記上でのことでした。翌1960(昭和35)年1月にはお年玉でパワーパックを購入、3月にはレールを買って、愛読していた『模型とラジオ』を手がかりに「城新鉄道」の第一歩が踏み出されたのです。ちなみに当時、TMS誌はまだまだ手の届かない憧れの世界であったといいます。

090124n031現在エコーモデルで販売しているストラクチャーや小物パーツ類のほとんどは、阿部さんがご自身の「城新鉄道」のために作ってきたものが原点で、その意味でも、すでに解体されてしまい見ることかなわない「城新鉄道」が、その後の鉄道模型界に及ぼした影響は計り知れないものがあったといえるでしょう。
▲片野さんがお持ちになったモデルでしばし大盛り上がり。おふたりともとにかく根っからのモデラーでおられる。'09.1.23

090124n002
▲最後に尼崎工場の単車をもう一度。何年たっても作風が微動だに“ぶれない”片野さんの世界に改めて脱帽。'09.1.23

塗料が手に入らず、絵具の上にニスを塗って車輌を仕上げた時代から、城新鉄道、TMS誌への投稿、そしてエコーモデル開業と話は進み、あっという間に時間切れとなってしまいましたが、初めてうかがうお話も少なくなく、実り多い週末となりました。実はこの対談、現在企画している単行本の一部として収録予定です。改めてご案内申し上げますのでご期待ください。

bunner02.jpg

090123n002.jpg
惣郷落陽 激しい夕立が上がり、その雲間から夕焼け空が顔を見せた。願ってもない幸運、惣郷の橋の落陽だった。'73.8.15 山陰本線宇田郷─須佐 P:田中一弘さん (近刊『わが国鉄時代1』より)
クリックするとポップアップします。

昨年末にもお知らせいたしましたが、皆さんからお寄せいただいている人気ブログ「わが国鉄時代」の単行本がいよいよ発売となります。気がついてみれば「国鉄時代」が終わりを告げてから、早いもので22回目の春が巡って来ようとしています。国鉄時代を“わが”と語れる方の年齢も自ずと察せられますが、そんな世代の方にとっては、まさに青春が凝縮された宝石のような一冊です。

090123n021ブログ「わが国鉄時代」のエントリーはすでに900近くに及んでおりますが、今回はその中から250あまりをランダムにセレクトいたしました。なかには表紙に採用させていただいた安東大介さんご提供の特殊煙突装備のC62 13牽引の「かもめ」のように驚くべき一枚もあれば、写真的に秀でた傑作、さりげないながら時代を浮かび上がらせる一枚…等々、まさに万華鏡のような一冊となっています。サブタイトルにあるように「こんな時代を生きてきた…」共感を込めてページをめくっていただければと思います。

090123n005.jpg
帰り道 一日の農作業を終えて、家路につく農家の人たち。そのすぐ脇の線路をD51牽引の貨物列車がドラフトも高く通り過ぎて行った。ドヴォルザークの「新世界」を彷彿させる光景。 '70.12.27 日豊本線海崎─狩生 P:松崎昌一さん (近刊『わが国鉄時代1』より)
クリックするとポップアップします。

090123n001.jpg090123n004.jpg
▲ホーム事務室の壁に並んだサボ(左下)、カセットデンスケ全盛時代(左下)、郵便・荷物輸送の思い出(右)…ページをひらくたびに“あの時代”が鮮やかに甦る。 (近刊『わが国鉄時代1』より)
クリックするとポップアップします。

さらにこの単行本では、なんとも懐かしい付録をご用意いたしました。「日本国有鉄道路線図」です。旧型客車の車内に木枠に入って掲げられていた例の路線図で、今回は昭和39年版「北海道」をそのまま原寸で復刻いたしました。この路線図は「東日本」、「中部・関西」、「中国・四国・九州」と4枚で全国をカバーするもので、今後の続刊にも一種類ずつ付録する予定です。

090123n003.jpg
春の朝 前日は京町温泉に泊まり、早朝の吉都線列車を田んぼの畦道で待った。8682レから立ち上る煙が長く尾を引きいつまでも残るほどの無風状態の日だった。 '73.4.1 吉都線京町─加久藤 P:鈴木博之さん (近刊『わが国鉄時代1』より)
クリックするとポップアップします。

“鉄道ホビダス”のブログから単行本が生まれるのは『編集長敬白』『お立ち台通信』に続いて本書で3タイトル目。毎日お寄せいただいているご投稿はまだまだ反映しきれてはおりません。『お立ち台通信』はすでに第2巻が刊行されておりますが、単行本『わが国鉄時代』もこれから2巻、3巻と巻を重ねてゆく予定ですので、ぜひ今後ともご投稿をお願い申し上げます。
■『わが国鉄時代』第1巻 1月30日発売
B5判正寸/180ページ(うちカラー16ページ)。定価1800円(税込)

waga_kokutetu_jidai.jpg

千葉にC57 180がお目見え。

090122n002.jpg
▲景勝地・鋸山をバックに保田付近をゆくC57 70〔佐〕。本機は新津から転入してきたC57だが、皿付きの回転式火ノ粉止めにLP405形シールドビーム、大宮工施工煙室扉ハンドル、形式入りナンバープレートと典型的な千葉局スタイルに見える。わずかに見えるドーム前手すりだけが長野工式施工の名残を留める。佐倉区に最後まで残ったC57の1輌でもあった。'68.8.15 房総西線保田 P:笹本健次
クリックするとポップアップします。

来月2月13日(金)、14日(土)、15日(日)に千葉みなと―木更津間で運転される「SL春さきどり号」が新潟支社のC57 180号機で運転されることとなりました。これは当初予定されていたD51 498が不調のための代替処置ですが、はからずも千葉県内から現役C57の姿が消えて40年目、鉄道百年でC57 1がイベント運転されてから37年ぶりのC57登場となります。

08_09_22_c57_owakare.jpg
▲この房総東線221レ(両国─勝浦)をもって都内発の蒸機旅客列車は廃止となった。薄暮の中C57 105〔岩〕は、歴史の中に走り去った。’69.8.20 西船橋 P:長谷川武利さん (ブログ「わが国鉄時代」より)

1972.10C57-1.JPGこの「SL春さきどり号」はJR東日本千葉支社管内で開催される「おいでよ房総 春!さきどり」キャンペーンの一環として運転されるもので、木更津を朝「DL春さきどり号」として出発した列車は、千葉みなとで今度はC57を先頭とした「SL春さきどり号」として折り返して木更津へと戻ります(下記運転時刻参照)。営業運転初日の2月13日(金曜日)には千葉みなと駅において出発式も執り行われる予定で、沿線は歓迎ムード一色となるはずです。

▲総武本線を走ったC57 1です。鉄道百年の年でした。まだDC時代の「水郷」や「犬吠」が、この付近で顔を合わせていました。東京近郊での初めての蒸気機関車撮影でした。 '72.10.1 佐倉─南酒々井 P:板倉幸弘さん (ブログ「わが国鉄時代」より)

■千葉鉄道管理局管内の蒸気機関車配置の変遷
090122n003.jpg旧千葉鉄道管理局管内、とりわけ房総地区では戦後ながらくC58と8620が主力を占めていました。手元の1960(昭和35)年版動力車配置表では、千鉄局管内のC57の配置は千葉機関区の125、129、160、161、164号機の5輌のみ。佐倉機関区の配置はC58が18輌と8620が12輌でした。佐倉区にC57が姿を見せるのは、常磐線勝田電化によって尾久機関区、水戸機関区等のC57が転配されてからのことで、そう考えると房総でのC57の活躍は1969(昭和44)年の無煙化までわずか十年に満たない歳月だったことになります。私たちファンにとって千葉=C57のイメージが根強いのは、都心発着の最後の蒸機牽引旅客列車となった上野や両国でのC57の姿があまりに強く脳裏に刻まれているからかもしれません。
▲『ドキュメント 感動の所在地2』より
クリックするとポップアップします。

■「SL春さきどり号」編成図
090122fig1.jpg
■運転時刻
090122fig2.jpg
▲JR東日本プレスリリースより。

無煙化2年前、1967(昭和42)年時点での千鉄局管内のC57の配置は、新小岩機関区に33、125、129、160、161、164の計6輌、佐倉機関区に8、31、55、59、70、71、77、85、105、114、134の計11輌(『ドキュメント感動の所在地2』所収「墨東の残煙 総武本線両国口」参照)。すべて1次型と2次型で、180号機のような3次型(170~189)は含まれていません。そう考えると、房総に初めて足跡を印す3次型C57となる180号機が、果たしてどんな出で立ちで登場するのかも楽しみです。

bunner02.jpg

090121n001
▲春の日差しを浴びて林の中からガソ101の列車が併用軌道に踊り出てきた。通学途中の小学生にとっては“日常”の光景に過ぎないのだろうか…。'65.5 酸川野-名家 P:梅村正明 (RML『日本硫黄沼尻鉄道部』下巻より)
クリックするとポップアップします。

青木栄一さんによるRMライブラリー『日本硫黄沼尻鉄道部』は、たいへんご好評いただいている上巻につづき、いよいよ下巻が完成しました。

090121n002上巻では沼尻鉱山の成り立ち、馬車軌道としての開業から第2次大戦までの沿革、沿線、設備、運転についての解説を収録しましたが、続く下巻ではコッペル製の蒸気機関車から、内燃機関車、客車、内燃動車、貨車に至るまで、この鉄道の歴代の車輌について、多くの写真や図面とともに解説をいただいています。特に客車については、昭和25年以降在籍した14輌すべての写真はもちろん、青木栄一さんが訪問時に鉄道事務所で複写された馬車鉄道時代からの1~3の竣功図も収録。また、この鉄道唯一の自社発注ガソリンカーであったガソ101についても、梅村正明さんが撮影された貴重な走行シーンや、湯口 徹さんによる解説も収録するなど、その魅力を存分にお伝えする内容になっております。

090121n003
▲梅村正明さんによる「ガソ101との遭遇」は、動く機会の少なかったガソ101との邂逅を綴ったコラム。土煙をあげて併用軌道をゆくガソの姿は軽便ファンの心に残る。 (RML『日本硫黄沼尻鉄道部』下巻より)
クリックするとポップアップします。

また、開業時に地元で行われたこの鉄道を猪苗代へ接続しようという運動の顛末を、日本硫黄最後の総務部長であった田中新一さんご所蔵の資料によりひも解くコラム「幻の猪苗代駅連絡線始末」(青木栄一)も必読です。さらに、ほとんどの旅客車輌が動員された「スキー客輸送」(梅村正明)もこの鉄道の実像を知る上で見逃せません。

090121n004090121n005
▲下巻では沼尻鉄道に在籍した車輌たちを詳述。蒸気機関車(左)はもとより、客車(左)についても貴重な写真・資料の数々を収録。 (RML『日本硫黄沼尻鉄道部』下巻より)
クリックするとポップアップします。

巻末では、硫黄鉱山と衰退と共に観光鉄道化を目指した鉄道が、「磐梯急行電鉄」と名を変え、そして休止を迎えるまでの顛末について、田中新一さんへの聞き取り調査で判明したこれまでほとんど知られることのなかった内容も踏まえて解説。また、梅村正明さんによる最終日のレポートは、この鉄道の休止がいかに突然であったかが、生々しく伝わるものとなっています。

090121n006
▲こんな軽便でもスキーシーズンともなればたいへんな賑わいとなった。ガソも動員しての豪華7輌編成が沼尻スキー場を目指す。 (RML『日本硫黄沼尻鉄道部』下巻より)
クリックするとポップアップします。

休止から40年以上を経て、今なおファンに絶大な人気を誇る沼尻鉄道。本書はその決定版というべきものです。ぜひ上巻ともどもお手許にお揃えください。

bunner02.jpg

090120n001.jpg
▲すっかり雪に埋もれてしまったSL館。指定管理者として受託・運営に当ってきたリゾート会社が、10月末をもって老朽化や採算性を理由にSL館の指定管理を返上したため、雪下ろしもままならない。P:川合宏幸
クリックするとポップアップします。

これまでにも幾度となくそのピンチをお伝え(→こちら)してきた北海道・夕張市の「石炭の歴史村・SL館」ですが、“大寒”のこの季節、降り積もった雪を少しでも取り除くことが急務となっています。そこで、夕張地区の鉄道遺産の保存・活用に積極的に取り組んでいる三菱大夕張鉄道保存会が同館の雪下ろしツアー(下記「夕鉄バス」リリース参照)を計画しています。札幌から夕鉄バスで廃線跡を辿りながら夕張を目指す体験型ツアーです。

090120n003.jpg夕張鉄道(本社・夕張市)では、鉄道遺産の保存活動を進めている三菱大夕張鉄道保存会の企画・協力により、2月7日(土)にSL館の雪下ろしツアーを実施することとなりました。SL館は「石炭の歴史村」の一部として、1980(昭和55)年に開館。昨年秋に指定管理が返上されましたが、内部には石炭輸送に活躍し、炭礦の人々の足となった夕張鉄道や三菱大夕張鉄道の蒸気機関車や多数の関連資料が保存されています。三菱大夕張鉄道保存会では車輌・資料の保全に関する要望書を夕張市に提出する一方、保存継続への協力も申し出ており、今回のツアー企画となったものです。
▲ツアー参加者への記念品の数々。P:三菱大夕張鉄道保存会提供
クリックするとポップアップします。

夕張鉄道は炭礦最盛期の昭和30年代には、札幌・夕張間の最短経路として賑わいましたが、今なお夕張市民の足「夕鉄バス」として健闘しています。当日は午前8時に往時の夕張本町行き列車連絡バスが発着した札幌大通の同社バス停留所を出発、江別市野幌の夕鉄バスターミナルからは、ほぼ夕張鉄道の廃線跡をたどり夕張を目指す予定です。バス車内では、当時の映像を編集したDVDなどの同会グッズの抽選会のほか、参加者には当時の時刻表を復刻した記念品が配布されます。

090120n002.jpg
実施日:2009年2月7日(土曜日)
行 程:[バス乗車箇所]札幌大通08:00→地下鉄美園→地下鉄白石→本通8→大谷地(タ) →新さっぽろ(タ) →(北翔札学院)→大麻駅南口→野幌駅南口→野幌バス(タ) →高砂駅→南幌ビューロ→栗山駅 ―→夕張(雪下ろし・昼食・温泉入浴)―→札幌大通18:00頃帰着
参加費:昼食・温泉入浴付で3.000円
申し込み・問い合わせ先:夕鉄バス旅行センター 電話011-382-1101
※梯子、スノーダンプについては夕張市で用意いたします。
※服装は防寒着着用のこと。
▲地盤沈下ですっかり傾いてしまった館内の夕張鉄道14号機。万一、雪の重みで屋根が抜けようものなら、壊滅的ダメージを被ってしまうことになる。P:川合宏幸
クリックするとポップアップします。

090120fig.jpg
クリックするとポップアップします。

なにぶん雪祭りシーズンだけに道外からの参加はなかなか難しいかもしれませんが、道内のファンの皆さん、ボランティアを兼ねて参加してみられては如何でしょうか。

bunner02.jpg

090119n013.jpg
▲10時25分、高崎駅2番線に「快速さよならEF55横川」号が入線。隣には大先輩EF55の最後の雄姿を見送るべくC58 363が待ち受けている。'09.1.18 P:桃根 医(『鉄道おもちゃ』編集部)
クリックするとポップアップします。

昨日18日(日曜日)、ついにEF55がラストランを迎えました。上野発の最終となった17日(土曜日)は、上野駅ホームに1500人を超える見送りのファンが詰め掛けたそうですが、本当の最終となった昨日の「快速さよならEF55横川」号の出発式も、高崎駅2番線ホームが埋め尽くされるほどの人出でした。

090119n001.jpg「快速さよならEF55横川」号=9137レの高崎発は10時36分30秒。出発に先立ち2番線ホームでは高崎駅長とタレントの木村裕子さんによる花束贈呈が行なわれ、定刻、駅長の出発合図とともに、あの特徴的なホイッスルを鳴らしてEF55はホームをあとにしました。高崎支社の粋な計らいで隣接する線にはC58 363が待機し、去ってゆくEF55に向かって長笛を一声…見送るファンの「さようなら」「ありがとう」の声とともに、実に感動的なラストシーンとなりました。
▲EF55のストリームラインとC58。長年にわたって高崎で“同じ釜の飯”を食ってきた両雄に別れの時が迫る。'09.1.18 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

実はこの汽笛吹鳴にも拘りがあり、高崎運輸区の横田区長は「はじめから全開で鳴らさず、吹き始めと終わりになるべく哀愁と余韻を残すように」と指示を出されていたそうで、まさにそのとおりの心に残る音色の出発シーンでした。

090119n014.jpg090119n003.jpg
▲発車時刻10時36分発が刻々と迫り、高崎駅長と木村裕子さんの出発合図でEF55はついに最後の旅路へ…。'09.1.18 P:桃根 医/名取紀之
クリックするとポップアップします。

EF55の発車を見送ったのち、11時から東口特設会場でJR東日本高崎支社主催による「EF55ファン感謝祭」が開催されました。及ばずながら私も出演することとなり、タレントの木村裕子さん、JR側からは高崎運輸区の横田区長、同区電気機関車運転指導員の高荷さんの4人でのトークショーが始まりました。

090119n011.jpg
▲出発を見送ったのち、高崎駅東口広場では「EF55ファン感謝祭」が始まった。寒い屋外のテントにも関わらず、驚くほど多くの皆さんにお出でいただいた。'09.1.18 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

090119n007.jpg090119n008.jpg
▲「EF55ファン感謝祭」の部品販売コーナーでは思いもかけない品々が販売され大好評を博した(左)。右は「お宝鉄道部品抽選会」の出品グッズ。旧高崎鉄道管理局のEF55準鉄道記念物看板も! '09.1.18 P:小山 剛(RM)
クリックするとポップアップします。

トークショーと言っても、せっかくお集まりいただいたファンの皆さんに多少なりとも実りのある話をと事前に打ち合わせを重ねていただけに、戦前の品川-大崎-蛇窪(信)-目黒川(信)-品川ルートでの方転の話や、いまだに残る戦時中(昭和20年8月・沼津機関区)の機銃掃射の弾痕の話など、通常のイベントとは一味違った内容になったのではないかと思います。

090119n012.jpg
▲トークショーには高崎運輸区の横田区長(中央)、高荷指導員(右)、木村裕子さん、それに私の4人が出演。前日の「さよならEF55碓氷」号のハンドルを握っておられた高荷指導員からは、長年にわたってEF55を運転してこられた方ならではの貴重なお話も。'09.1.18 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

このトークショー、出演している私にとってもとりわけ興味深かったのは2エンドの運転台を使っての運転の実際で、自ら長年にわたって運転してこられた高荷指導員ならではの臨場感溢れる体験談には、会場の皆さんも一心に聞き入っておられました。ちなみに高荷さん(高崎第二機関区=高二と同じ読みなのも運命的なものを感じますが…)が回想されるには、雨の日の運転が一番たいへんだったとか。なんとEF55のワイパーは両エンドともに今もって“手動”なのだそうです。マスコンを握り、ブレーキ弁に手を掛け、砂ペダルに足を置きながら、なおかつ小さなワイパーを手で動かす…そのご苦労たるや想像を絶します。

090119n009.jpg090119n005n.jpg
▲お宝鉄道部品抽選会(左)やクイズ大会(右)もたいへんな盛り上がりだった。クイズは全8問、少々難し過ぎたかも…。'09.1.18 P:桃根 医/小山 剛
クリックするとポップアップします。

090119n010n.jpg引き続いてノベルティー・グッズのもらえるクイズ大会を行ないましたが、これまたたいへんな盛り上がりとなりました。しかし、少々問題が難しすぎたのか、ストレートに正解される方は少なく、主催者側もやきもき…。ご参考までに問題例を上げると…「現在、高崎にある転車台、実は別の機関区にあったものを移設したものですが、元々はどこにあったものでしょうか」(→正解「山北機関区から昭和19年に移設したもの」)、「JR東日本が保有しているD51 498、C57 180、EF55 1を古い順に並べてください」(→正解「EF55 1(昭和11年)・D51 498(昭和15年)、C57 180(昭和21年)、「JR東日本が所有している新幹線・在来線の電車をすべて連結したらどのくらいの長さになるでしょうか」(→正解「新幹線電車936輌、在来線電車10,734輌で、およそ238キロメートル」=JRによる数値)。
▲抽選会は木村さんと私が交互に当選者を発表。抽選箱の中には驚くほどの応募券が入っている。'09.1.18 P:桃根 医
クリックするとポップアップします。

090119n002.jpg
▲復活以来長年にわたって走り続けた上越線と信越本線、そしてその中心であった高崎を前頭部の飾り帯に合わせて象形化した秀逸なデザインのヘッドマーク。高崎車両センターの愛情溢れるこの手作りヘッドマークを掲げて、EF55はついにそのファイナルランを終えた。'09.1.18 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

13時からは同じ会場で「お宝鉄道部品抽選会」が開催されました。EF55は横川12時13分発の後回9136レでちょうどその13時00分に高崎駅9番線に戻ってきました。横田区長の業務用携帯電話に「定(時到)着」の一報が入り、EF55 1はその瞬間、足掛け73年に及ぶ“本線仕業”を終えたのでした。

numajiri_bunner.jpg

上武鉄道 あのころ。

090116n001.jpg
▲旅客営業廃止から十年あまり、草生した丹荘の社線ホームには朽ちかけた駅名標がかろうじて残されていた。画面左側が国鉄丹荘駅。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

毎年、寒さが一段とつのるこの時期になると思い出すのが上武鉄道のことです。上武鉄道については、すでにRMライブラリー『日本ニッケル鉄道 ―上武鉄道開業から終焉まで―』に詳述されていますが、八高線の丹荘駅と神流川沿いの西武化学前駅の間6.1キロを結ぶミニ産業鉄道でした。

090116n002.jpg産業鉄道とはいうものの専用鉄道・専用線ではなく、歴とした地方鉄道であった点がこの上武鉄道の大きな特徴で、1972(昭和47)年年末まではささやかながら旅客輸送も行なっていました。終点が肥料工場というシチュエーションとあわせて、西の別府鉄道(RMライブラリー『図説 別府鉄道』参照)と一脈通じるものを感じていたのは私だけではないでしょう。
▲丹荘駅ホームで発車を待つ上武鉄道下り貨物列車。先頭にたつのは最新鋭機DB102(新潟鉄工所1969年製)で、上武鉄道最初で最後の自社発注機。晩年の列車はほとんどが同機の牽引であった。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

090116n003.jpg
▲旧寄島駅付近の築堤をゆく上り貨物列車。自重25tのB型ディーゼル機には少々酷なほどの編成輌数である。ちなみにこの日も寒風吹きすさぶ一日だった。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

090116n004.jpg090116n005.jpg
▲大井川鐵道井川線から転属してきたDD104(左)と、最後に八幡製鐵所から転入してきたDD351(右)。ともにそれほど活躍する機会のないままに消えていってしまった。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

しかもとびきり奇妙だったのは、終点の西武化学前駅が“前”どころか工場の“中”に存在したことで、乗るにも降りるにもいちいち守衛所に断って出入りせねばならない実に不思議な駅でした。

090116n006.jpg
▲西武化学前駅構内に留置された車輌たち。手前に解体待ちの国鉄スハ43の姿も見える。それにしてもとても営業鉄道の駅構内とは思えない光景。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

旅客営業を廃止してからも地方鉄道免許のまま貨物営業を続けていましたが、この時分になると旧西武化学前駅構内への立ち入りは極めて厳重に制限されるようになり、構内手前の本線にまで厳重なゲートが設けられ、列車が通過する直前に係員がこのゲートを開けるといった物々しさとなりました。実はこの頃から上武鉄道は国鉄車輌の解体作業を請け負うようになってきており、八高線経由で引き込んできた客車や貨車、時には電車までもが所狭しと解体の時を待っていました。これはニッケル精錬の技術を応用してスクラップ鋼の再生製鉄を行なっていたからで、ガードが厳重になったのも解体部品を狙う不心得者を警戒してのことだったようです。

090116n007.jpgそれにしても、冒頭に記したようになぜこの季節になると上武鉄道を思い出すかというと、上武鉄道を訪ねたのが期せずしてことごとく寒い季節だったからです。とりわけ1月の訪問が多く、吹き飛ばされそうな上州名物の空っ風とあいまって、上武鉄道=寒風のイメージが脳裏に焼きついてしまったのでしょう。今さら思えば、なぜうららかな春や、入道雲浮かぶ夏に訪問しなかったのか不思議でなりませんが、個人的イメージとは得てしてそんなものなのかもしれません。
そんなわけで、今日は26年前のこの時期の写真をお目に掛けましょう。
▲西武化学前駅に到着しようとするDB102牽引の下り貨物列車。上武鉄道の路線は大きな変化には乏しいものの、桑畑や雑木林など、どことなく懐かしい雰囲気の沿線風景が好ましかった。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

090116n008.jpg
▲機関庫は木造1線の小さなものだけ。入りきらない車輌は構内に留置されていた。左からDD104、DB102、DD351。画面前方が丹荘方で、画面左奥に解体場が広がっていた。'83.1.22
クリックするとポップアップします。

この上武鉄道も国鉄貨物の拠点間輸送体系への転換の余波を受け、1986(昭和61)年11月1日付けで八高線丹荘駅の貨物取扱いが廃止されたことから、いわば生命線を絶たれたかたちで同年12月31日付けで廃止となってしまいました。末期は専用鉄道然としてはいましたが、首都圏近郊にこんな地方鉄道が生き残っていたのですから、いまさら考えれば奇跡的だったと言えるのかもしれません。

※週末はJR東日本高崎支社の「EF55ファン感謝祭」に出張のため、小ブログは休載とさせていただきます。あしからずご了承ください。

numajiri_bunner.jpg

09_01_11_kimura_kazuhiro.jpg
▲雪を被った浅間山をバックに「EF55碓氷」号はゆっくりと走り抜けていった。'09.1.11 信越本線群馬八幡―安中 木村一博さん (「今日の一枚」より)

090115n001.jpg
▲「ありがとうEF55」のヘッドマークを掲げてSカーブを行くEF55 1。連続25‰を上りきればいよいよ終点・横川だ。'08.12.28 信越本線西松井田―横川 P:齋藤隆行さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

昨年「名残のEF55を見送る」(→こちら)でも詳しくご紹介いたしましたが、現役JR電機としては最古参のEF55がついに今週末ラストランを迎えます。12月初旬から始まった上越線・信越本線のイベントも順調に回を重ね、12月13・14日の「さよならEF55みなかみ」号で上越線高崎~水上間の営業運転が終了、残すは信越本線での運転だけとなってしまいました。

090115n003.jpg090115nfig.jpg
▲もうすぐ「さよなら」。'09.1.11 信越本線横川 P:川崎淳平さん (「今日の一枚」より) 右はJR東日本高崎支社のイベントリリース。
クリックするとポップアップします。

その本当のラストを飾るのが今週土日、17日と18日に予定されている「さよならEF55碓氷」号です。17日(土曜日)には12系客車6輌とEF64を従えて、上野→横川間、18日(日曜日)には12系客車6輌とDD51を牽いて高崎→横川間でそのファイナルステージを演じます。

090115n002.jpg
▲順光の有名お立ち台をホイッスルサービス付きで通過。ありがとう! '09.1.11 信越本線群馬八幡―安中 P:加藤 潤さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

JR東日本高崎支社ではこの最終日18日(日曜日)に、高崎駅東口駐車場内特設会場で「EF55ファン感謝祭」を開催します。2番線ホームで華々しく出発式が行なわれるほか、鉄道部品販売や抽選会、さらにはトークショーやクイズ大会が予定されていますが、実はこのトークショー(11:00?)には私も出演いたします。高崎運輸区横田区長、長年にわたってEF55を護ってきた指導員の高荷さん、そしてタレントの木村裕子さんと私の4人での賑やかなトークになる予定ですのでご期待ください。

090115n021.jpg

090115n004.jpg
▲EF55+12系+DD51の快速「EF55碓氷」号の横川折り返し回送。EF55 1の後ろ姿を撮る。'08.12.28 信越本線西松井田―松井田 P:稲葉克彦さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

18日日曜日、編成最後部のDD51に護られて「さよならEF55碓氷号」が終点・横川に到着するのは11時18分。この時点で齢73歳のJR最古参電機は、再びその歴史に幕をおろします。

numajiri_bunner.jpg

34年前の Hythe Pier Railway。

090114nn001.jpg
新年幕開けにお送りした世界最古の桟橋鉄道“Hythe Pier Railway”(アーカイブ「最古の桟橋ナロー Hythe Pier Railway」参照)に関して、思わぬレスポンスを頂戴しました。媒体アドレス宛にお便りをお送りいただいたのは東京都にお住まいの猪股伸雄さん。なんと34年前、短期間ながらハイスの町にホームステイし、日常の足としてハイス桟橋鉄道を利用されていたのだそうです。若干退色したエクタクロームの画像とともに、そこはかとなく時代の感じられる心打つお便りですので、お許しを得てご紹介してみたいと思います。
▲フェリー乗り場で折り返しを待つ34年前のピア・トレイン。まだ塗色がブルーとホワイトの塗り分けであったことがわかる。'75.9 P:猪股伸雄
クリックするとポップアップします。

突然のメール、失礼いたします。貴誌ならびに、ホビダスブログ、いつも楽しく拝見しております。私は、50代の一レイルファンです。正月明け、いつものように「編集長敬白」を拝見して、驚きと懐かしさのあまり、このメールを送らせていただきました。

090114nn003.jpg私は、大学生時代に、ハイスの住宅地に住む、高齢のご夫婦のお宅に、短期のホームステイをさせていただいたことがありました(1975年夏、私が20歳の時のことです)。そのお宅から、サウザンプトンや、そこから列車に乗ってロンドンやRomney, Hythe and Dymchurch Railway(RH&DR)まで、足を伸ばしたり致しました。
▲泊めていただいた部屋から見たハイスの住宅街。'75.9 P:猪股伸雄
クリックするとポップアップします。

その際、必ず利用したのが、ハイスの桟橋鉄道だったのです。地元の通勤客と一緒に、海風に揺られながら数分の旅を楽しんだものです。結構な混雑だったように記憶しております。一度は、ロンドンからの帰りに、遅くなってしまい最終のフェリーに乗り遅れたため、サウザンプトンの駅からタクシーで陸路を帰りましたが、大変な時間と金額がかかり(おまけに、タクシーの運転手もハイスへの道をよく知らず)、フェリーと桟橋鉄道のありがたさを実感しました。

090114nn004.jpg
▲ホームステイ先のお宅から桟橋へ向かう道。この周辺の雰囲気は現在でもほとんど変わっていない。'75.9 P:猪股伸雄
クリックするとポップアップします。

当時は、最古の桟橋鉄道ということも知らず、写真も真面目に撮っていないのですが、ブルーと白の塗り分け時代の写真を、1枚だけ添付させていただきます。エクタクロームで退色もしておりますが、ご笑覧ください。

090114nn002.jpgハイスのことについて、もう少し付け加えさせていただくと、私がホームステイさせていただいたご夫婦は、Hetleyさんとおっしゃいます。ご主人は60代半ばで、フォードのコルチナが愛車、私を乗せてハイス周辺の田舎道を100㌔以上のスピードで突っ走る、元気で穏やかな英国紳士でした。奥様も優しい方で、東洋から来た、髪の長い若者を暖かく迎えてくださいました。
▲ホームステイ先のHetley夫妻と若き日の猪股さん。'75.9 P:猪股伸雄

私が初めてHetley家を訪れたのは日曜日の午後だったのですが、あちらでは、日曜は3時のおやつをいただいて、夕食は無し、という習慣を知らず、待てど暮らせど夕食の声がかからなくて、面食らったことも、懐かしい思い出です。そういえば、手みやげに日本製の小さな電卓を持参し、大変喜ばれたのも、時代を感じます。ちなみに私は伸雄なので、nobyと呼ばれておりました。

090114nn005.jpgご推察の通り、当時ご高齢だったご夫婦は、すでに他界され、ご遺族の方とも連絡が取れなくなっております。残念です。ちなみに、このホームステイは、大学(日本大学生産工学部機械工学科です)が企画した欧州研修旅行の一環でした。西ドイツ、フランス、デンマーク、スイス、イタリアなどを1ヶ月あまりで回る旅で、ハイスには1週間ちょっとの、本当に短いホームステイでしたが、とっても印象深い経験でした(それ以来英語は全く上達しておりませんが…)。
▲ハイスの対岸に位置するサウザンプトン駅。「座席毎に出入り扉がずらっと並ぶ車輌は、写真でしか見たことがなかったので、開けると先客が居たりして、大いに戸惑いました」と猪股さん。手前に腕木式信号機が見える。'75.9 P:猪股伸雄
クリックするとポップアップします。

ご参考までに、何枚か写真を添付します。鉄道をきちんと撮っていないのが、お恥ずかしい限りです。
これからも、多様で楽しい記事を期待しております。時節柄、ご自愛の上、ご活躍下さい。

090114nn006.jpg
▲サウザンプトン駅からロンドンのウォータールー駅で乗り換えて訪ねたRomney, Hythe and Dymchurch Railway(RH&DR)。日本では“ロムニー鉄道”の通称で知られる15インチゲージ鉄道だ。起点のHYTHE駅は奇しくもハイス桟橋鉄道と同じスペル。'75.9 P:猪股伸雄
クリックするとポップアップします。

猪股さんほんとうにありがとうございました。まさか30年以上前にあのハイス桟橋鉄道を日常の足として利用され、しかも写真を撮っておられる方からお便りを頂戴できるとは思ってもいませんでしたので大感激です。重ねて御礼申し上げます。

numajiri_bunner.jpg

090113n001.jpg
▲澄みわたった青空の下、モハ5701が宙を舞う。東武博物館に隣接した第二寺島小学校運動場はこの日ばかりは前代未聞のステージに…。'09.1.11 P:善名良行(『鉄道おもちゃ』編集部)
クリックするとポップアップします。

先日ご紹介した近江鉄道ED4001と東武鉄道の元特急車5700系モハ5701号の東武博物館への搬入(アーカイブ「東武鉄道の第1号電気機関車が“里帰り”」参照)が、去る11日(日曜日)未明から行なわれましたので、今日はその搬入時の臨場感溢れる画像をご覧いただきましょう。

090113n002.jpg
▲搬入道路は午前2時から全面通行止めとなって2輌の到着に備えた。狭隘な道路をゆっくりと進むモハ5701。'09.1.11 P:善名良行
クリックするとポップアップします。

090113n003.jpg090113n004.jpg
▲「特大トレーラー誘導中」の表示を掲げて深夜の車体搬入作業が続く。小学校の校門からのぞくED4001の姿はなんとも異様(右)。'09.1.11 P:善名良行
クリックするとポップアップします。

近江鉄道の彦根駅構内で保存されていたED4001は、先週1月8日(木曜日)の夜に台車を載せたトラック2台と車体を載せた大型トレーラー1台で住み慣れた近江の地を出発、翌9日(金曜日)は静岡県内で一泊、10日(土曜日)は東京都内で一泊したのち、早朝午前4時頃に東京都墨田区東向島の東武博物館付近へと到着しました。

090113n005.jpg
▲トレーラーに載せられたED4001の車体が第二寺島小学校運動場に到着。夜明けを待ってとり下ろし作業が開始される。'09.1.11 P:善名良行
クリックするとポップアップします。

090113n006.jpg090113n007.jpg
▲ED4001の車体にワイヤーを掛けていよいよクレーン作業が開始される。'09.1.11 P:善名良行
クリックするとポップアップします。

090113n008.jpg090113n009.jpg
▲まずは台車が軽々と宙を舞って据え付けられる。台車マウントされたカプラーが特徴のディッカーの台車をこんな角度で見られる機会はまたとない。'09.1.11 P:児山 計(『鉄道おもちゃ』編集部)
クリックするとポップアップします。

一方、5700系モハ5701号は保管場所であった東武動物公園駅を10日(土曜日)夜に出発、やはり台車を載せたトラック2台と車体を載せたトレーラー1台に分割されて東武博物館を目指しました。

090113n010.jpg
▲いよいよ車体が吊り上げられる。小学校の校舎とのとり合わせがなんとも奇妙な光景を醸し出す。'09.1.11 P:児山 計
クリックするとポップアップします。

090113n011.jpg090113n012.jpg
▲ゆっくりゆっくりと下ろされるED4001の車体。床下の配管などが手にとるようにわかり、その意味ではモデラーにとっても貴重な映像だろう。'09.1.11 P:善名良行/児山 計
クリックするとポップアップします。

モハ5701はひと足早く深夜3時頃には東武博物館付近に到着。これを前に午前2時からは周辺の百花園入口~向島消防署前間の道路が通行止めとなっています。搬入作業は東武博物館に隣接する第二寺島小学校運動場にクレーンを設置し、夜明けとともに開始されましたが、自重50tを越える電気機関車や元特急車が朝の碧空に舞う様は感動的でさえあります。午前10時頃にはすべての搬入作業が終了し、2輌は東武博物館の西側高架横にモハ5701号(南側)、ED4001(北側)の順で設置されました。

090113n013.jpg
▲モハ5701も無事に台車に載せられた。両車はこの展示スペースでさらなる化粧直しを施され、来るリニューアルオープンの日を待つ。'09.1.11 P:児山 計
クリックするとポップアップします。

東武博物館花上館長のお話では、今後7月のリニューアルオープンまでの間に両車ともに再整備が施され、ED4001に関しては東武鉄道時代の塗色に戻されてお披露目される予定とのことです。

numajiri_bunner.jpg

090112n001.jpg
▲関の沢鉄橋を行くかわかぜ号。かわかぜ号のヘッドマークデザインの逆向きシーンが再現された。'08.12.1 閑蔵?尾盛 P:奥 清博
クリックするとポップアップします。

今日は年末年始のお休みをはさんでご紹介しそびれたお便りから、奥 清博さんからお寄せいただいた大井川鐵道井川線「かわかぜ号」のレポートをお送りいたしましょう。

090112n002.jpg大井川鐵道井川線の「かわかぜ号」ですが、2008年は「編集長敬白」でもとり上げられたように(アーカイブ「かわかぜ号特別便奥泉へ ?動画付き?」参照)、奥泉?千頭と運転区間を拡大した特別便が運転され、ファンにとっては嬉しい年になったのですが、締めくくりに12月1日、井川?千頭の全区間での運転が実現しましたので報告させていただきます。
現有車輌フル稼働となる紅葉シーズン繁忙期、万が一の際の救援用に井川駅に待機させていたDB9を、シーズン終了で川根両国車両区へ帰す際、客車列車を設定するということで今回の特別運転が実現することになりました。運転を前に大井川鐵道の公式ホームページにも「かわかぜ号特別運転」として発表されていました。
▲水位の下がった長島ダム湖にかかるレインボーブリッジを行くかわかぜ号。'08.12.1 奥大井湖上?ひらんだ 
 P:奥 清博

クリックするとポップアップします。

090112n003.jpg
▲紅葉の残る渓谷を行くかわかぜ号。かわかぜ号はシーズン終了で季節列車の設定のなくなった日に走った。'08.12.1 閑蔵?尾盛 P:奥 清博
クリックするとポップアップします。

前日まで運転されていた上りSL列車に接続する季節運転ダイヤを利用し、客車はオープンデッキのスハフ4、6を直前の定期列車に増結して井川へ運び、「かわかぜ号」を組成して、久々のDBでの運転となりました。井川では、運転を前の始業点検でボンネットを開けて整備する様子が構内から見ることが出来ました。

090112n004.jpg盛りが過ぎたとは言え、紅葉の残る渓谷を行く昭和20年代生まれの「今なお現役」車輌。年不相応な派手な塗色も、負けず劣らず異彩を放っていました。回送のついでという今回の運転の性格上、機関車の方向が逆向きの片道運転のみだったのが惜しまれるところですが、井川線のシンボル、関の沢鉄橋通過も久々に実現。くしくも9月14日の私の投稿(「かわかぜ号特別便に寄せて」参照)の希望がかなった形になりました。大井川鐵道の粋な計らいに頭の下がる思いです。
▲運転を前に点検を受けるためボンネットカバーが開けられたDB9。'08.12.1 井川 P:奥 清博
クリックするとポップアップします。

090112n005.jpg
▲川根両国に向かうかわかぜ号。終点千頭ももうすぐだ。'08.12.1 沢間?川根両国 P:奥 清博
クリックするとポップアップします。

奥さんありがとうございました。現役唯一の機械式ディーゼル機関車が牽くオープンデッキ客車…こんな光景が、今年も目にできることを期待したいものです。

numajiri_bunner.jpg

春を待つ上越国境。

090111n001.jpg
▲本務(EF15)次位に無動回送を従えて三重連となった下り貨物列車が第二魚野川橋梁を行く。'80.3.28 土樽-越後中里
クリックするとポップアップします。

1982(昭和57)年11月の上越新幹線開業以前、スキーシーズンともなれば上越線は「小出スキー」「石打スキー」…といったスキー臨でたいへんな賑わいを見せていました。もちろん関越自動車道もまだ全通していませんでしたから、首都圏から上越国境にひしめくゲレンデへのアクセスはもっぱら国鉄上越線が担っていたわけです。

090111n002.jpgしかも「とき」や「佐渡」といった日本海縦貫線連絡の特急・急行が雁行してダイヤを形作っていたのですから、ファンにとっては実に魅力的な路線でした。そして、さらに私たちを魅了したのが水上機関区と長岡機関区に配置されていたEF16たちでした。上越国境でシェルパ役を担うEF16は板谷峠から転じてきたいわゆる“福米型”0番代2輌を含め総勢14輌。水上~石打間で演じられるシェルパEF16の補機運用は、当時の上越線のハイライトシーンのひとつでもありました。
▲越後中里をあとに第二松川隧道への20‰を上るEF16+EF15の上り貨物列車。'80.3.28 越後中里-土樽
クリックするとポップアップします。

090111n003.jpg
▲第二魚野川橋梁を行く181系2008M「とき8号」。ロザ2輌、ハザ7輌、自由席3輌の12輌編成。'80.3.28 越後中里-土樽
クリックするとポップアップします。

そのEF16に転機が訪れたのが1980(昭和55)年、EF64 1000番代の誕生でした。24号機、27号機を皮切りに、まさに櫛の歯が抜けるように廃車が進み、結局、上越新幹線開業を見る前にEF16は形式消滅してしまいます。

090111n004.jpg最後にEF16の姿を目にしたのはその1980(昭和55)3月のことでした。谷川連峰の稜線もくっきりと見渡せるまたとない好天に恵まれた一日、ひっきりなしに行き交うEF16はもとより、181系「とき」、165系「佐渡」「よねやま」…等々、今となっては垂涎の列車・車輌と至福の時を過ごしました。ペンタックス67に装着した200㎜レンズを通してファインダーに飛び込んでくる彼らの姿を、まるで昨日のことのように思い出します。
▲165系の3602M急行「よねやま」。直江津から信越・上越経由で上野を目指す。'80.3.28 越後中里-土樽
クリックするとポップアップします。

090111n005.jpg
▲越後中里を発車する下り貨物列車。先頭に立つEF16のラストナンバー31号機(水上機関区)はこの写真の3ヵ月後に廃車となった。'80.3.28 越後中里
クリックするとポップアップします。

ひるがえって今日、上越線在来線、とりわけ水上~越後湯沢間の閑散ぶりには言葉を失います。EF16が唸りをあげ、181系「とき」が12輌編成で快走した上越国境は、今や遥か昔語りとなってしまったようです。

numajiri_bunner.jpg

090110n22
太平洋石炭輸送販売線(旧釧路臨港鉄道=書籍『編集長敬白』参照)を中心とした釧路地域の鉄道・産業遺産のサポーターとして活躍している「釧路臨港鉄道の会」が、JR北海道と力を合わせて興味深いツアーを計画しています。実施まで日がなく、誌面告知が間に合いませんので、今日は小ブログ上で釧路臨港鉄道の会の皆さんにこのツアーの概要を紹介していただきましょう。
▲春採駅で発車を待つディーゼル・エレクトリックDE601の牽くシャトルトレイン。詳しくはアーカイブ「太平洋石炭販売輸送を訪ねる」(→こちら)参照。'07.1.20 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

釧路臨港鉄道の会が企画からガイドまで全面協力した「冬のSLと石炭のマチ・釧路 ~SL冬の湿原号撮影・乗車と釧路の石炭産業・鉄道名所を体験する3日間~」がJR北海道釧路支社から発売となりました。

090110n001この体験会は、釧路商工会議所、釧路市などでつくる「くしろ圏広域観光推進コンソーシアム」が、産業観光など地域の産業や資源に根ざし、新たな付加価値を持った観光集客の推進を目的に進めている「くしろ海底力(そこぢから)プロジェクト」の事業として行われるもので、釧路の石炭産業や輸送産業について理解を深めていただくことをテーマに「モニター見学会&体験会」を企画しました。
▲DE601を先頭に走る石炭列車シャトルトレイン。'08.12.23 太平洋石炭販売輸送臨港線春採-知人(春採湖畔) P:情野裕良(釧路臨港鉄道の会)

今回のポイントは、釧路ならではの鉄道名所へご案内できることです。いずれも普段立ち入れない鉄道名所や訪問しづらい場所ばかりですが、当会のネットワークも駆使して、実現しました。
いくつかご紹介すると…わが国唯一の坑内掘り炭鉱・釧路コールマインの視察研修会に参加します。構内に入り、坑外軌道(ナロー)を間近で見学、撮影します。ご存知のとおり、同社は発足以来、見学・撮影目的のファンの敷地内立ち入りを一切許可しておりませんが、今回、特別に輸送・運搬施設見学を加えてもらいました。また、炭鉱の概要説明やVTR上映、坑内で着用する作業服やヘルメットの装着体験などで石炭産業を学んでいただきます。

090110n003
太平洋石炭販売輸送の石炭列車を撮影します。車輌基地がある春採駅での撮影見学会は確約で、沿線での走行写真撮影も最大限配慮します。鉄道の性格上、運休の可能性もゼロとはいえず、100%確約できないのが残念なのですが、当日も現場とホットラインで連絡を取り合い、走行場面が撮れるよう最大限努力します。
▲太平洋炭礦時代からの名物=ノッポ電気機関車とバテロコの併走。今なお現役のこの2フーターを間近で見られるのも今回のツアーの大きな魅力。'08.12.23 釧路コールマイン坑外軌道(公道から撮影) P:情野裕良(釧路臨港鉄道の会)

釧路運輸車両所を訪問し、庫に帰区したC11を見学します。長めに時間をとりますので、三脚使用のバルブ撮影にもチャレンジできます。検査灯に照らされた動輪やロッドは、カッコ良いですよ。また、「SL冬の湿原号」を2日目は釧路川鉄橋で、3日目は塘路駅付近で撮影、「厳冬期の沿線撮影にチャレンジしたいけれど経験がなく不安…」という方には特にお薦めです。標茶からの復路は湿原号に乗車します。初日の運輸車両所訪問とあわせ、毎日「煙」を楽しめます。そのほか、坑内電車・機械などが展示される炭鉱展示館の見学や雄別鉄道の保存機8722号の見学、ちょっとしたお楽しみなども計画中です。

090110n005
▲検査灯に照らされるC11のロッド。今回の見学会でも、このような撮影のチャンスが…。'08.2.16 釧路運輸車両所(釧路市立博物館主催「石炭基礎講座特別編」参加時に撮影)
P:情野裕良(釧路臨港鉄道の会)

2月20日(金曜日)発、羽田空港発着で20名様限定、参加費はツイン(2名1室)利用で1名4万4800円(シングル利用は4万6800円)。激安フリープランにはかないませんが、釧路空港から安全な貸切バスで、JR北海道の添乗員並びに当会が全行程をご案内します。雪まつりのある2月の金曜日発としては、お手頃価格に設定できたと思います。

090110n004地元のレイルファンが集まる当会のメンバーが、鉄道好きの気持ちになってご案内します。当会の今年最大のイベントとして気合が入っています。全国の皆様に「鉄道と炭鉱のマチ・釧路」の魅力を知っていただくとともに、当会の目標である地元の人にその魅力を再発見してもらう契機となる期待も込めて、満員で催行したいと思いますので、ぜひご参加下さい!
お申し込み先など詳しくは、JR北海道釧路支社ホームページ掲載のパンフレット(→こちら)をご覧下さい。
▲C11 171の刻印。P:情野裕良(釧路臨港鉄道の会)

一昨年のちょうどこの季節、「北海道の鉄道と連絡船を保存するシンポジウム」で釧路を訪れた際、釧路臨港鉄道の会の皆さんのお世話で今回実施されるツアーとほぼ同行程を体験させていただきましたが、今もって深く印象に残るものでした。お名前を挙げさせていただいて恐縮ではありますが、釧路新聞社の星さん、釧路商工会議所の情野さん、釧路市博物館の石川さん、釧路製作所の奥山さん…釧路臨港鉄道の会に集ったそんな地元ファンの皆さんの、いわば“顔が見える”ツアーだけに、個人的にも絶対の自信をもってお薦めしたいと思います。

keihaku-banner3a.jpg

090109n001
▲近江鉄道ミュージアムで公開展示されていた時のED4001。“ディッカー”と呼ばれるイングリッシュ・エレクトリック製電気機関車の1輌で、国鉄ED36(青梅鉄道買収機)のいわば親戚筋にあたる。'08.5.4
クリックするとポップアップします。

東武鉄道の第1号電気機関車であり、現在、近江鉄道が所有・保存している電気機関車ED4001号が、本年7月にリニューアルオープンする東武博物館で保存・展示されることとなりました。

ED4001ph01.jpg
▲東武鉄道で活躍していた当時のED4001。晩年はこのように端梁に警戒塗装が施されていた。(東武鉄道提供)

一昨日、近江鉄道と東武鉄道の両社から発表されたもので、事業者の枠を超えての歴史的鉄道車輌の保存・展示は画期的なことと言えましょう。

090109n002ED4001ph03.jpg
▲近江鉄道での現状正面。連結器が台車マウントとなっているのも“ディッカー”の特徴。'08.5.4   ▲近江鉄道での現役当時のED4001。(東武鉄道提供)

090109n003東武鉄道のプレス資料によれば、ED4001号は1930(昭和5)年にイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社で製造された50t箱型デッキ付電気機関車で、東武鉄道最初の電気機関車として登場。東武鉄道では、当初はED101号として就役、のちに1955(昭和30)年にED4001号に改番され、1972(昭和47)年まで貨物輸送に活躍していました。翌1973(昭和48)年から近江鉄道に転じ、1986(昭和61)年に引退しています。その後は同社彦根駅構内で保存されており、彦根城築城400年祭の一環として設けられた「近江鉄道ミュージアム」で公開されているのは以前このブログでもご紹介したとおりです。(アーカイブ「近江鉄道ミュージアムを見る」参照)
▲“DICK-KERR WORKS”も文字が中央に入ったE.E.社の銘板。'08.5.4

■ED4001主要諸元
ED4001fig101.jpg
(東武鉄道提供)

また、このリニューアルにあわせて、東武鉄道で戦後初めて新造した元特急電車5700系モハ5701号も新たに展示車輌に加わるそうです。5700系は東武鉄道が戦後初の特急ロマンスカーとして1951(昭和26)年から1953(昭和28)年にかけて12輌が新造され、1951(昭和26)年9月に浅草~東武日光・鬼怒川温泉間の特急電車としてデビューしたエポックメーキングな車輌です。モハ5701号はそのうちの1輌で、日光線特急で活躍した後は伊勢崎線急行に転用され、後年は団体用となって1991(平成3)年7月に惜しまれつつ引退したのはご記憶の方も多いかと思います。

5700ph001.jpg
▲“ネコひげ”と愛称された就役当時の5700系(左)と、貫通ドア付き(1960年改造)となった晩年の5700系(右)。メーカーは汽車会社であった。(東武鉄道提供)

東武博物館は1989(平成元)年5月20日、東武鉄道の創立90周年記念事業の一環として、「交通と文化の東武博物館」として東武伊勢崎線東向島駅の高架下に開館したものですが、開館から20年が経過したことから、このたびリニューアルを行なうこととなったものです。リニューアルにあたっては、これらED4001号、モハ5701号を展示車輌に加えることにより、東武鉄道の歴史を語る最初の蒸気機関車・電車・電気機関車、さらに東武鉄道が戦後初めて新造した元特急電車が館内に揃うこととなります。さらに人気が高い電車のシミュレーションでは映像・運転台機器を新しいものにし、東武鉄道の広大な路線や一日の走行風景を紹介する大パノラマ(ジオラマ)では、2011年に竣工予定の東京スカイツリーの模型も配置し、新たな東武沿線の風景に模様替えを予定しているそうです。リニューアルオープンは今年7月、今から楽しみです。

numajiri_bunner.jpg

Hythe014.jpg
▲120年以上前に構築されたというピアは現代的感覚からすると恐ろしく華奢に見える。当然のことながらこれまでに幾度となく災害に見舞われてきた。桟橋上を行くのは岸へ向かう列車。'08.10.23 
※下記リンクよりこのシーンの動画がご覧になれます。
クリックするとポップアップします。

ロンドン市内から2時間あまり…というものの、実はサウザンプトンのインターチェンジで高速M3からM27号線西行きに入るべきところを東行きのポーツマス方面に進んでしまい、とんだロスタイムを生じてしまいました。しかもしばらく気づかず、どうも周囲が見た記憶のある風景…なんと、かつて訪れたハンプシャー・ナローゲージ・ソサエティーのバーゼルドゥン・ブリックワークス(Bursledon Brickworks→こちら)付近ではないですか。結局このミスコースでハイスの町にたどり着いたのはお昼近くになってしまっていました。

Hythe042.jpgいかにもなイングランドのワインディング・ロードを“FERRY”のサインに従って海岸へと下ってゆくと、ピア・トレインの乗り場には拍子抜けするほど小さな事務所兼切符売場の建物があるだけでした。ただ、付近には町の規模には不釣合いなほど広い駐車場があり、この駐車場が“パーク&ライド”(?)用でした。ハイスのみならず、ソレント海峡沿いの多くの町村からハイス・フェリーを使ってサウザンプトンへ往来する需要が如何に多いかがうかがい知れます。しかもフェリーは6時10分ハイス発から23時サウザンプトン発まできっかり30分ヘッド。これにあわせてピア・トレインも動いているのですから、そのフリークェンシーの高さや恐るべきものがあります。
▲ハイス・フェリーとピア・トレインの案内リーフレット。時刻表を見ればそのフリークェンシーの高さがわかろう。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe018.jpg
▲3コンパートメントに分けられた客車の室内。3人掛けの木製ベンチをはじめ車内は落ち着いたニス塗りとなっている。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe034.jpgHythe035.jpg
▲運転手は往復のたびに機関車と制御客車の間を行ったり来たりせねばならない。風雨の時は結構たいへんそう。右は客室内に掲げられたギネス・レコードの表示。現役の実用桟橋鉄道としては世界最古…と記されている。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe012.jpg
▲平日の昼間でも結構な数のお客さんがフェリー+ピア・トレインを利用している。ハイスの住民にとってこの2フーターは代々続く生活の一部なのだ。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe017.jpg事務所兼切符売場にはおばさんが一人。特に運行管理を行っているようにも見えず、しかもほとんどのお客さんはホーム上の自動販売機でチケットを購入するため、なんとも手持ち無沙汰に見えます。ツナギを着込んだ運転手にあれこれ伺っていると、「そうか日本からわざわざ来たのか。俺の自家用車はホンダ、バイクはスズキで、日本車は良いぞ!」と妙なところで喜ばれてしまいました。ちなみに「私の愛車は1964年式のオースチンで、英国車は良いぞ!」と切り返すと絶句してしまっていましたが…。
▲全線通して分岐器は2箇所しかない。岸側ホーム手前で分岐した側線は隣接する工場へと入る。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe013.jpg
▲お願いして中に入れてもらった工場。工場といっても個人宅のガレージのようなもの。ちょうど制御客車が修理中だったが、木部の張替えなど見ているとさながら日曜大工。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe022.jpg第三軌条のため構内(…というほどの規模ではありませんが)への立ち入りは厳重に規制されていますが、わざわざ日本から来たのなら、というわけで工場建屋内を案内していただきました。工場設備そのものもたいへん由緒あるものだそうで、プーリー・ベルトを用いた工作機械類をはじめ、英国伝統のバックヤード・ビルダーを垣間見るような光景が広がっていました。折りしも制御客車の整備が行なわれていましたが、まさに現物合わせの手作業で、こうやって80年以上にもわたってピア・トレインが護られてきたのかと思うと感無量の思いでした。
▲岸側の車止め。気休め程度のバッファーが付く。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe020.jpg
▲制御客車の前にこのようなタンク車が連結されることもある。これはフェリーの燃料輸送のためだそうで、タンクには1500?のディーゼル燃料が搭載されている。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe032.jpgハイス・ピア鉄道の魅力は、なんと言ってもこの鉄道が保存鉄道ではなく、今もって実用鉄道として機能していることにあります。87年間にわたってその姿を変えることなく、しかも一年365日、早朝から深夜まで運転されているのですから、文字通りギネス級であること間違いありません。昼食をはさんでのわずか数時間の訪問ではありましたが、どう見ても前時代的なこんなナローが生き残っていられることが自体、英国の懐の深さなのかも知れません。
▲ハドソン(HUDSON)製を示すタンク車の軸受。締結ボルトが真新しいが、こうやって何十年にもわたって大事に使われてきているのだろう。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe044.jpgHythe043.jpg
▲歴史的ハイス桟橋を護ろう…とさまざまな取り組みが行なわれている。10ポンドのドーネーションで1メートルのデッキ床板を新調でき、ドナーの名前が永遠に登録されるとのこと。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

では最後にハンディカムで撮ってきたハイス・ピア鉄道の動画をご覧ください。なお、ハイス・フェリーのHPトップ画面(→こちら)にはライブカメラ映像があり、あまり鮮明ではないながら、桟橋の“今”が10秒ごとに映し出されています。日本と現地の時差は9時間ですので、現時刻マイナス9時間(たとえば、日本が夜19時であれば現地は当日の朝10時)を念頭に見ると、30分に1回はあの蛸のような機関車が木造客車を牽いて桟橋上を行き来するライブ画像をご覧になれます。

hythemovie.jpg
※上の画像をクリックするとホビダスTV上の動画がご覧になれます。
(Mac OSXの場合は「今日の一枚 The Movie」からご覧ください。→こちら
再生時間=2分36秒
音声付ですのでクリックする前に周囲の環境にご配慮ください。

numajiri_bunner.jpg

Hythe021.jpg
▲遥か洋上に続くピアを行く列車。軌道は桟橋の南側に敷設されており、北側は歩道となっている。歩く分には無料で、見ていると散歩する人も少なくない。なかには犬の散歩をする御仁も…。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

手押しトロリーで始まったこのハイス・ピア鉄道に動力車が導入されたのは今から87年前の1922(大正11)年のことでした。その経緯は定かではありませんが、なぜか一気に「電化」され、3輌の電気機関車が就役することとなります。

Hythe019.jpgその機関車が現在でも“現役”として使用されているのだから驚きです。しかもこの面妖な形態の電気機関車、その出自はなんと第一次世界大戦時にエィボンマゥス(Avonmouth)マスタード・ガス工廠で使用されていたものだそうで、さらに驚いたことには元々は蓄電池機関車だったのです。ハイス入りにあたって第三軌条集電式の電気機関車に改造されています。メーカーは英国国鉄の制式機も数多く手がけているイングランド中央部に居を構える老舗BRUSH(現BRUSH TRACTION/1865年創業)です。
▲車庫前で休む予備機。機番標記はないが、運用中の個体と形態的にはほぼ同一。それにしても蛸のような丸屋根が不気味…。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe011.jpg
▲桟橋突端のフェリー乗り場で発車を待つ機関車。編成は岸側から機関車+客車2輌+制御客車1輌+無蓋貨車1輌の“ペンデルツーク”で、フェリー乗り場に向かう列車は制御客車でコントロールされる。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe033.jpgHythe036.jpg
▲何とも奇怪な1エンド(?)側前面(左)と、救助用の浮き輪が備えられた2エンド(?)側。葛篭状の箱はいったい何だろうか…。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

特徴的なのは制御客車によって機関車を遠隔操縦できるいわば“ペンデルツーク”運転となっていることで、桟橋突端のフェリー乗り場へ向かう時は制御客車に運転手が乗り込み、最後部の電気機関車をコントロールする形となります。

Hythe026.jpgHythe029.jpg
▲海側(南側)に敷設された第三軌条(200V)と集電靴(左)。えらく華奢なコレクターシューである。右は軸受部で、どうやらリジッドなサスペンションレスの下回り上のコイルバネに上回りが載っているらしい。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe030.jpgHythe027.jpg
▲キャブ床上にデンと置かれた主電動機(左)。メーカー・Brushの陽刻が見える。コントローラー(右)もえらく小ぶりなもの。こちらにもしっかりと銘板が付いている。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe037.jpgHythe038.jpg
▲連結面(左)とキャブ内全景(右)。連結器はプリミティブなリンク式で、客車側には板バネを用いた簡単なバンパーが備わる。運転機器はコントローラーと手ブレーキハンドル程度で実に簡素。乗務員は歩道側に横向きで座る形となる。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

客車はDrewry Car Company製の木造ボギー車で、これまた1922年当時に導入されたものを後生大事に使い続けています。合計4輌のうち2輌は3つのコンパートメント(各6人定員)を持つトレーラー客車、2輌は2つのコンパートメント(6人定員+8人定員)と運転室を持つ制御客車となっています。

Hythe016.jpg
▲対岸のサウザンプトンからフェリーが到着。乗り換えた客を乗せてピア・トレインがハイスの町を目指す。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

現在は機関車、客車ともにグリーンに塗られていますが、1997(平成9)年以前はブルー+ホワイトのデュオトーンに、それ以降はレッド+ホワイトに塗り分けられていたそうです。歴史的なオリジナルとされる深いグリーンに戻されたのはつい最近、2004(平成16)年のことで、ヘリテージ・レイルウェイとしての再認識をアピールしてのことだったようです。

numajiri_bunner.jpg

Hythe001.jpg
▲タタン、タタン…リズミカルな遊間音が今日も桟橋に響く。わずか600メートルあまり(2000フィート)を結んで、ハイス・ピア鉄道の2フーターは87年もの間変わることなく走り続けている。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

あらためまして、明けましておめでとうございます。本年も小ブログ「編集長敬白」をよろしくご愛読のほどお願い申し上げます。
さて、新年早々からナローゲージの話題で恐縮ですが、昨秋のエキスポ・ナローゲージ(→こちら)で渡英した際に訪れた奇妙な桟橋ナローをご紹介してみることにいたしましょう。

Hythmapfig1.jpg以前にも触れたように、英国ナローゲージ・レイルウェイ・ソサエティーが毎年発行しているアニュアル・レポートによれば、イギリスとアイルランドに現存するナローゲージ鉄道は実に439箇所。もちろん大半が保存鉄道やミニチュア・レイルウェイですが、未だに現役の実用鉄道も少なからず含まれています。今回の渡英でも、限られた時間ながら、どうせなら一箇所だけでも“実用”として活躍しているナローに触れてみたいと考えておりました。しかしBord na Mona(ボード・ナ・モナ→こちら)のようなインダストリアル・サイトはさすがにロンドン近郊には存在しません。そんな時にハタと思い出したのがハンプシャー州にある現存最古の桟橋ナロー“Hythe Pier Railway”です。
▲ハイスはロンドンから高速M3を下りA326号線を南下し2時間あまり。地図を見れば湾を挟んだサウザンプトンとの間は陸路だと大迂回となることがわかろう。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe002.jpg
▲これが機関車! ひと目ではどうなっているのか理解できない珍奇な形態。丸い屋根、なぜか張り出した“おでこ”、そしてとぐろを巻く電線はさながら蛸(タコ)を連想させる。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe(ハイス)はロンドン市内からでも高速を飛ばせば2時間程度の道のり。しかもインダストリアル・サイトと違って仮にも営業鉄道ですから、現地に行ってみたものの動いていなかった…などという笑うに笑えない事態も回避できそうです。

Hythe004.jpg古くから軍港として知られ、あのタイタニック号出航の地でもあるサウザンプトンと湾を挟んで対岸に位置するハイスの町は、古くからその生活基盤をサウザンプトンに依存してきました。しかし、直線距離では目と鼻の先であるにも関わらず、陸路では大迂回を余儀なくされるため、19世紀から湾を船で渡るさまざまな術が試みられてきたといいます。さながら河川のような距離だけに渡船なら何の造作もないと思いがちですが、ハイス側は堆積砂が入江を遥か彼方まで埋め尽くし、信じられないほどの“遠浅”となっているため、手漕ぎのボートくらいしか着岸できないのです。
▲ハイスは観光ガイドにも出ていない海沿いの田舎町。30分も歩き回ればすべてを見尽くしてしまうほど小さな市街だ。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe015.jpg
▲到着したフェリーからの客を乗せ桟橋を戻ってくる列車。早朝6時から深夜23時までそのフリークェンシーの高さは侮りがたいものがある。背後はサウザンプトン。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

そこでハイス側に延長2000フィートの桟橋を建設し、その突端からサウザンプトンへフェリーを就航させようという計画が持ち上がったのが1870(明治3)年のことでした。紆余曲折ののち、1879(明治12)年から建設の始まった桟橋(pier)は1881(明治14)年に完成、これを受けて蒸気船による両岸のフェリー連絡が開始されました。

Hythe005.jpgHythe006.jpg
▲桟橋の袂に設けられたささやかな駅舎(左)。ホーム(右)の対面にはこれまた小さな車庫がある。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

この桟橋の完成によって10人乗り手漕ぎボートで一時間以上を要していた両岸の連絡は200人乗り蒸気船によって格段に効率化されましたが、今度はこの延長600メートルにも達する桟橋そのものが大きな問題となってしまったのです。

Hythe007.jpgHythe008.jpg
▲駅舎兼事務所にはチケット窓口も設けられているが、大半の客はホームの自販機(左)でチケットを買う。自販機の横にはドーネーション(寄付)を呼び掛ける看板(右)も。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe041.jpg海上に突き出した吹きさらしの桟橋を延々と歩かされる乗船客にとっては、天候によっては生命の危険さえ感じかねません。そこで1914(大正3)年にはこの桟橋上に軌間2フィートの軌道を敷設し、賓客は手押しトロリーで輸送することとなりました。この手押しトラムウェイがHythe Pier Railwayの原形で、第一次世界大戦後の1922(大正11)年には直流200ボルトで電化・動力化が図られました。現在使用されている車輌は何とこの時点で導入されたもので、基本的に87年間にわたってほとんどそのスタイルを変えることなく生き続けているのです。
▲窓口ではフェリーを利用せずともピア・トレインに乗るだけのチケット(1£)も購入できる。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

Hythe010.jpg
▲遠浅と表現するにはあまりに広大な浅瀬が視界いっぱいに広がる。群れ飛ぶカゴメとピア・トレインの組み合わせは20世紀初頭から何ら変わってはいない。'08.10.23
クリックするとポップアップします。

イギリスをはじめ、ヨーロッパ各国にはこういったピア・トレインが少なからず存在しますが、このハイス・ピア鉄道ほど歴史が古く、なおかつシーラカンス的にその姿をほとんど変えることなく実用鉄道として現代に生き残っている例はほかになく、現在ではかのギネスブックにも現存する世界最古の桟橋鉄道として登録されているそうです。

numajiri_bunner.jpg

090101n001

明けましておめでとうございます。本年も皆さんにとって、そして鉄道趣味にとって実り多い一年となることを祈念いたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。
なお小ブログは6日(火曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか本年もかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。
編集長:名取紀之 敬白

レイル・マガジン

2009年1月   

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.