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RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』。

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▲2輌目に元貴賓車1500(更新前)を組み込んで快走する135ほか4連の急行。P-6最盛期のひとコマ。'57.4.26 P:山口益生(RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』より)
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ついに110巻目を迎えたRM LIBRARY、今月のテーマは東西を問わず今なお電車ファンに絶大な人気を誇る阪急電鉄100系電車を取り上げた『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』です。

080926p6n1.jpg改めて阪急100系、というより「P-6」という方がお馴染みの電車についてご紹介しますと、阪急京都線の前身である新京阪鉄道が大阪・天神橋~京都・西院間の開業に先立ち、1937(昭和2)年から建造した電車です。この新京阪鉄道とは京阪電気鉄道が第2の京阪間の鉄道を敷設すべく設立した会社で、併用区間もある「軌道」であった京阪線に対し、淀川右岸に建設された新京阪線は架線電圧1500V、最小曲線半径600m、最急勾配10パーミル、50kg/mレール使用と、当初から本格的な高速運転を前提とした「鉄道」として建設され、途中分岐して名古屋方面への延伸も目論まれていました。このためP-6も18.3メートルという大型鋼製車体に200馬力の主電動機、12輌まで連結可能なブレーキ装置など、本格的な高速電車として開発され、また当時としては異例の72輌という数が揃えられたことも特筆されます。

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▲“P-6A”と通称された第1次車は全鋼製両運転台の電動車101~120と制御車501~510の30輌だった。ちなみに制御車はT-1とも称された。(RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』より)
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▲P-6華やかなりし頃の正雀車庫全景。僚友P-5や200形の姿も見える。P:吉岡照雄(RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』より)
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本書は阪急電鉄車両部OBであり、実務でもP-6と向き合ってこられた吉岡照雄さんが、ご自身のメモや業務資料に加え、先輩社員の方々から伝えられた話を備忘録の形でまとめられたものです。すなわち、これまで幾度も語られてきたP-6の概要を前提に、現場の立場から改造による変化や固体差などをさらに掘り下げた内容となっている点が大きな特徴です。

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▲制御車の電動車化改造によって誕生したP6-Cをはじめ、後年の改造についても詳述されている。(RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』より)
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▲関西私鉄電車の雄・P-6は1973(昭和48)年3月23日付けで最後の18輌が廃車となり、本線上からその姿を消した。奇しくも社名が京阪神急行電鉄から阪急電鉄に変わるわずか一週間前のことであった。(RMライブラリー『阪急P-6 つばめを抜いた韋駄天』より)
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ちなみに、最近はP-6というと「パノラマカーの6連」を思い浮かべる方も多いと思いますが、阪急100系に対する「P-6」とは新京阪鉄道による部内呼称で、Passenger Car(客車)の6番目(ただし欠番がある)を意味するものです。ファンには有名な「デイ」「フイ」「フキ」といった記号は、第3次車の竣功届に対して鉄道省から「形式称号をつけよ」との照会があった際に対応したもので、実は公式書類以外に使われることは少なかったとのことで、これまた興味深い逸話です。
P-6の雄姿が淀川右岸から消えて今年で35年、実物ファン、模型ファンともにお勧めの一冊です。

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