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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2008年9月 8日

ますます快調、屋鋪 要さんの“保存蒸機撮りつぶし”。

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▲伝説の神居古潭を訪れたのはつかの間の紅葉が最後の輝きを放っていた10月末だった。3輌保存されているうちのC57 201は現存唯一の4次型C57である。'06.10.24 P:屋鋪 要

本誌300号から始まった異色の新連載「めざせ打率10割! 屋鋪 要の保存蒸機撮りつぶし」が好評です。先週は日本テレビ「行列の出来る法律相談所」に屋鋪さんが出演された際にも紹介されるなど、思わぬ“波及効果”も生みつつあります。

yashikisanc5744.jpg私のようにスポーツとはとんと縁のない生活を送ってきた方のために改めてご紹介すると、屋鋪 要さんは1959(昭和34)年大阪生まれ。1978(昭和53)年に三田学園よりドラフト6位でプロ野球大洋ホエールズに入団、その俊足で高木豊さん、加藤博一さんとともに“スーパーカートリオ”として球場を沸かせました。ゴールデングラブ賞5回、盗塁王3回。1994(平成6)年に巨人に移籍し、1995(平成7)年に現役を引退、以後は巨人軍守備走塁コーチを経てスポーツキャスターや少年野球の指導で活躍をされています。
▲C57 44と対面した際の屋鋪 要さん。'08.2.18 P:山本勝豊

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▲滝川機関区で現役だった当時のD51 297。お父様が撮られた写真で、現在は滝川市新町郷土館に保存されている。父親と見た機関車を再び訪ねるのもこの旅の目的のひとつ。'71.8 P:屋鋪 貢

そんな一見“鉄道”とはまったく縁がない、いや対極におられるような屋鋪さんですが、実は子どもの頃からの熱心な蒸機ファンで、お父さんに連れられてC62重連の「ニセコ」を撮りに行くなど、生粋の鉄道少年だったと言います。

yashikisanc582.jpg中学生になると寮生活の野球漬けの毎日となってしまい、鉄道撮影とは縁遠くなってしまいますが、その代わり(?)に蒸機撮影に熱をあげたのがお父様の屋鋪 貢さんです。最初は蒸気機関車好きの要少年を連れていってあげるだけの役だったものが、生来の写真好きの魂に火がつき、次第にご自身で撮影行を重ねるようになります。残されたネガを拝見するに、6×7判と6×6判のブローニーカメラ2台を使いわけ、実にかっちりと撮影されていたことがわかります。
▲訪ねてみると予想外のシチュエーションに保存されていることも少なくない。この三井芦別鉄道C58-2は旭川の「高砂ニュー温泉」の大広間に横付けされていた。画面左が宴会場。

残念ながらお父様は他界されましたが、プロ野球生活を終えてようやく時間的余裕ができた屋鋪さんが思い描いたのは、お父様と一緒に撮影した機関車、はたまた要少年に見せようとお父様が撮影した機関車への再会の旅でした。そしてその背中を押したのが、ご愛読いただいていた本誌117号(’93年6月号)の特集「蒸機こそすべて」だったといいます。同号で関 高生さんが発表された静態保存蒸機22形式481輌の“撮りつぶし”が強く印象に残っており、いつの日か自分も全国の保存機関車をくまなく訪ねてみたいと決意したのだといいます。

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▲D61唯一の生き残りD61 3は留萌市見晴公園にいた。大きな期待とともに訪れた屋鋪さんだったが、肝心の従台車が柱の陰となってしまっていたこともあり、少々期待はずれの出会いだったという。'06.10.24 P:屋鋪 要

到達すべき撮影対象は約620輌。講演や野球教室の指導の傍ら全国各地の保存機を訪ねる旅は今日も続いています。いつも持ち歩いておられるスケジュール帳には細かな文字で撮影記録がびっしり。しかも今後の撮影予定も仔細に書き記されており、屋鋪さんの心意気が伝わってきます。今月発売号の第3回は北海道の旅から…どうかご期待とご声援のほどを。

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