鉄道ホビダス

2008年8月20日アーカイブ

080820-002n.jpg
▲小沢で小休止する倶知安行き上り貨物1196レ。先頭に立つのはのちに深川区に転じて無煙化末期まで生き延びたD51 857〔倶〕。当時の小沢周辺はいたるところで黄色いオオハンゴウソウが咲き乱れていた。'71.8.21 小沢
クリックするとポップアップします。

学生時代の夏休みといえば、前半は遠征資金稼ぎのアルバイトに明け暮れ、お盆過ぎになってから撮影に出掛けるというパターンが常でした。とはいうものの、蒸機時代、夏場は“絵になる”シーンは望むべくもなく、炎天下でさんざん待った挙句、陽炎のような排気を上げてファインダーを通り過ぎてゆく様に臍を噛んだことも一再ではありません。現代の復活蒸機のように真夏に盛大な煙を拝めることなどまずあり得なかったのです。

080820-005n.jpgしかしそんな中で例外中の例外だったのがC62重連の急行「ニセコ」でした。長万部~小樽間の速度種別「通客E7」、つまり10‰上り勾配時の均衡速度67㎞/hで現車11輌の急行を引っ張り上げようというだけあって、季節を分かたず大迫力の奮闘ぶりを目にすることができたのです。その「ニセコ」が三重連で運転されると知ったのは終焉間近となった1971(昭和46)年夏のことでした。やもたてもいられず津軽海峡を渡ったのが、ちょうど37年前の今日、8月20日のことでした。
▲前夜の函館にて。この日、函本山線撮影時の“定番”だった荷43レを長万部まで受け持つのは五稜郭区のD51 737。'71.8.20 函館
クリックするとポップアップします。

080820-001n.jpg
▲C62 2を先頭に夕闇迫る上目名を疾走する103レ急行「ニセコ3号」。標高60mの熱郛から186mの上目名へ…わずかひと駅、7キロほどで高低差126mを高速で駆け上る2輌のC62はまさに“ジェット音”を奏でる。'71.8.21 熱郛-上目名
クリックするとポップアップします。

函館を23時56分に出る「荷43レ」はその名のとおり荷物列車に便宜的に申し訳程度の客車を連結した荷物夜行で、この日は長万部までがD51単機、長万部からのいわゆる山線区間がD51重連の牽引でした。倶知安発が翌21日5時01分、進行右手の車窓に明けやらぬ空に浮かぶ羊蹄山の威容を見ながら、目的地小沢へと降り立ちました。お目当ての三重連は明日22日の104レ上り急行「ニセコ1号」の小樽~倶知安間のみ。撮影ポイントを小沢-倶知安間と定め、今日は“予行演習”を行おうというのです。

080820-004n.jpgさすがに8月後半の北海道だけあって暑さこそそれほどではなかったものの、終日悩まされたのが凶悪なアブ(?)の類の吸血羽虫でした。えらく大きい、ハエの2倍ほどもあろうかという羽虫があちこちにたかっては容赦なく血を吸い始めます。いったん取り付いてしまうと手で引き剥がさない限り吸い続ける凶悪さで、撮影を終えるころには体中が痛痒くなってしまったのを今でも鮮明に思い出します。
▲銀山で上り「ニセコ1号」(104レ)と交換する荷41レが倶知安峠を駆け下りてゆく。思いのほかの高速で眼前を通り過ぎたのはD51 327〔萬〕。'71.8.21 倶知安-小沢
クリックするとポップアップします。

上目名で103レ「ニセコ3号」を撮影後、宿代を浮かすべく、次の荷42レで遠路函館へと戻り、再び荷43レで小沢へと折り返したのですが、果たして「本命」の三重連が痛恨の結果(アーカイブ「痛恨のC62三重連」参照)に終わろうとは、この時点では思ってもみなかったのです。

keihaku-banner3a.jpg

レイル・マガジン

2008年8月   

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2018 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.