鉄道ホビダス

2008年7月アーカイブ

「絵画館」ふたたび。

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▲弊社ロビーで次なる企画の打ち合わせ中の沼田博美さん。クリアファイルには旅の道すがら世界各地から送ったエアメールがぎっしりと収められている。

本誌101号から実に16年あまりにわたって連載が続いてきた沼田博美さんの「絵画館」が、300号を前に先月号299号でファイナルランを迎えました。

080731n5.jpg最終回を飾ったのは沼田さんが小学校3年の写生の時間に描いた江ノ電。江ノ電沿線で生まれ育った沼田さんにとっては、鉄道趣味の原点であるとともに、その後の膨大なスケッチの端緒ともなる記念すべき一枚です。連載は多少誌面展開を変えながらも、実に198回の長きにわたり、その間には全国各地の“現場”でスケッチ中の沼田さんと読者の皆さんの心温まる交流も展開されていたと伺っています。
▲本誌誌上でもご紹介した近作はオープン直後の鉄道博物館で描かれたものが少なくない。
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▲個人的にはどちらかというと電車がお好きな沼田さんだけに、198回に及んだ連載でも非電化私鉄はむしろ珍しい題材だった。作品は小湊鐵道上総鶴舞駅。

ところで、何回かのスペシャルを除けば、基本的に画題は国内に限っての掲載でした。ただ、長年にわたって広告業界でデザイナーとして活躍してこられた方だけに海外出張も頻繁で、その合間にお描きになった世界の鉄道情景も膨大なストックとなっています。

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▲京浜急行と地元の江ノ電はもっとも数多く描かれてきたテーマかもしれない。ことに江ノ電の作品はポール時代から半世紀近くも蓄積されてきている。
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しかも興味深いのは、単にスケッチブックに描くに留まらず、必ず葉書や封筒、時としては大きな書類封筒にスケッチし、そのままエアメールとして投函されてきたことです。このエアメールもまた膨大な枚数となっており、このアーカイブを活かすべく新たな展開を模索しようと沼田さんと計画中です。

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▲現役車輌のみならず、全国各地の保存車輌を訪ね歩く日々は現在もまだ続いている。狭隘な柵内に入れられ、荒廃した保存車といえども沼田さんの筆にかかれば現役時代の生気を取り戻す。

ところで、「絵画館」で掲載した原画を譲ってほしいというお話もたびたび舞い込んでいるようで、「鉄道ホビダス」でも現在その橋渡しをさせていただいております(→こちら)。ぜひ一度ご覧になってください。

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※明日8月1日金曜日のNHKラジオ第1「金曜旅倶楽部」(→こちら)で15時20分過ぎから5分ほど、書籍『編集長敬白』でも取り上げた「“鐘撞き”の踏切」の話題を生放送でお話します。全国どこでも受信できますので、お時間のある方はぜひお聞きください。

紀州鉄道キハ603を見る。

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▲紀伊御坊で顔を合わせたキハ603とキハ604。両車は1956(昭和31)年10月に日本車輌本店で製造されたキハ601・602に続いて増備された車輌。製造メーカーは新潟鉄工で1960(昭和35)年8月に竣功している。'08.5.21 P:竹内正行
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080730n3.jpg昨日まで3回にわたってお見せした紀州鉄道の現況ですが、ご覧になった竹内正行さんからキハ603の詳細写真をお送りいただきましたので、さっそくお目にかけたいと思います。これまでご覧いただいてきたように、紀州鉄道は運用中の車輌の足回りをじっくり観察できる場所がありません。竹内さんは紀伊御坊の車庫で休んでいるキハ603の足回りを、会社のご厚意でじっくりと撮影することができたそうで、模型的視点からもたいへん貴重な記録となっています。今回は本誌でもお馴染みの気動車研究の泰斗、岡田誠一さんに写真をご覧いただき、専門家ならではの解説を付していただきました。では、今や貴重なDMH17機関+TC2変速機の床下を竹内さんの写真と岡田さんの解説でたっぷりとご覧ください。
▲特徴的なのが運転台で、国鉄の気動車とはマスコンとブレーキ弁の位置が左右逆となっている。これは機関車の運転操作に合せたものと思われる。'08.5.21 P:竹内正行
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▲DMH17C機関。走行用のエンジンで気動車用としては珍しくなった縦型タイプである。一部の資料ではDMH17B(160PS)となっているが、もう一度銘板などを確かめてみたい。'08.5.21 P:竹内正行
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▲写真左/上の箱は制御回路開放器、右側の箱は接触器箱である。機関吊り装置という枠に液体変速機が載せれ、左側からは推進軸が延びている。写真右/DMH17(左)とTC-2液体変速機(右)の結合部分。真ん中の垂れ下がった筒は第2燃料油コシ器と呼ばれるもので、中には濾紙が入っていて燃料の異物を取り除く。左側に赤いキャップは給油口である。ちなみに乾式単板タイプのTC-2液体変速機は、全国的に見ても大変珍しい存在となっている。'08.5.21 P:竹内正行
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▲写真左/DMH17に取り付けられたC600空気圧縮機。元空気ダメなどに圧縮空気を供給する。3シリンダタイプのもので、左側に見えるベルト車を通じて機関の回転数を約半分にして駆動する。写真右/左上がブレーキ装置のA制御弁、その右側(写真中央部)がごみを取り除くチリコシである。下部にある4本の細いパイプは液体変速機(右奥)から続くもので、放熱器または燃料タンクにつながる。液体変速機の変速機油は燃料の軽油と共通であるため、このような配管が必要となっている。'08.5.21 P:竹内正行
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▲写真左/上の丸いタンクは元空気ダメタンクで、中央部の大きな箱は機関冷却水装置(放熱器素)である。熱せられた冷却水、潤滑油、変速機油はここに送られ、機関の駆動軸に取り付けたファンにより冷やす。写真右/台車は日本車輌製のND-208をはく。'08.5.21 P:竹内正行
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▲写真左/台車に取り付けられた逆転機。基本的な構造は戦前のキハ41000形から変わらない。なお、最近の気動車では液体変速機に逆転機能を備えているため、減速機と呼んで逆転機と区別している。写真右/接触器箱のスタータースイッチ(左側)を開けたところ。'08.5.21 P:竹内正行
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■書籍『編集長敬白』が日本図書館協会選定図書に選ばれました!

紀州鉄道は今…。(下)

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▲沿線にはマンションも建って宅地化が進んでいるとはいえ、まだこんな長閑な光景を目にすることもできる。'08.7.20 御坊-学門
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紀州鉄道の前身の御坊臨港鉄道は、紀勢西線の開業に合わせて免許を取得しましたが、特筆すべきは昭和初期のこの時点で、蒸気機関車ではなくガソリン機関車を準備したことです。1931(昭和6)年の開業時点で内燃機関車を使用していたのは、軌道を別とすれば、鉄道ではほかに銚子鉄道の例があるのみでした。

080729n2.jpgこれは創業者で地元の大地主でもあった田淵栄次郎の進取の気性によるものが大きかったようで、のちに戦後の混乱の中で導入した蒸気機関車を森製作所の勧めでディーゼル機関車化改造(177号→DB158)し(『森製作所の機関車たち』参照)、その後の同様の改造に大きな指針を示すなど、路線規模の割には小さくない足跡を残してきました。開業以来70余年、事業主体は変わろうとも、“今なお現役”のキハ603を見ていると、そんな歴史も垣間見えてくるようです。
▲JR線の構内片隅に居候するかのように誂えられた紀州鉄道用0番ホーム。'08.7.20 御坊
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▲JR御坊駅は駅前ロータリーを備える立派な駅舎(左)。ただ駅舎内では紀州鉄道の乗車券は購入できず(右)、見渡した限り時刻表も掲出されていない。'08.7.20 御坊
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▲日高高校と御坊中学の前にあるから「学門」駅(左)。車庫のある紀伊御坊駅は全線で随一の立派な駅舎を備える(右)。'08.7.20
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080729n7.jpgさて、沿線に話を戻しましょう。先述の通り中間駅は「学門」、「紀伊御坊」、「市役所前」の3駅しかなく、紀伊御坊を除いて駅本屋さえない片側一面のホームが作られているだけです。最後に各駅の表情をご覧ください。
▲下り方踏切から紀伊御坊駅構内を見る。一見2線の矩形庫に見える車庫は1線のみでキテツ1が収納されている。左に休車中のキハ604の姿も見える。'08.7.20 紀伊御坊
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▲市役所前(左)も簡単な屋根が設けられているだけの片面ホームで踏切に隣接している。右は終点の西御坊駅。かつてはこのホーム横から大和紡績専用線(作業距離0.9㎞)が分岐していた。'08.7.20
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▲夏の鋭い日差しを浴びて草生した線路を紀伊御坊へと去ってゆくキハ603。夏休みの一日、こんな光景を瞼に焼付けに御坊の地を訪れてみては如何だろうか…。'08.7.20 市役所前-紀伊御坊
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紀州鉄道は今…。(中)

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▲紀州鉄道沿線は意外なほど宅地化が進んでおり、キハ603はその間を縫うようにゆっくりと走る。'08.7.20 市役所前-紀伊御坊
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紀州鉄道に在籍している車輌は3輌。北条鉄道からやってきた富士重工業製レールバス、キテツ1と大分交通耶馬渓線の生き残りキハ603、604です。キテツ1の方は広告ラッピングが施されたりして趣味的には少々興ざめな感がありますが、1960(昭和35)年製のキハ603は、DMH17形のエンジン音とともに古き佳き非電化私鉄を彷彿させてくれる貴重な存在です。

080728n2.jpgこのキハ603、全長18m、正面2枚窓のいわゆる“湘南顔”に懐かしい“金太郎”塗り分けが時代を感じさせます。大分交通時代は先に廃止された国東線用の2輌(602、604)とあわせて4輌の仲間がおり、1975(昭和50)年秋の耶馬溪線廃止時には全車が中津に集結していました。601は「やまびこ」、604は「なぎさ」と愛称が付けられて主力として活躍していましたが、廃止後は603と604がここ紀州鉄道へ、601と602が地元・中津市内のレストランに静態保存され、幸運なことに全車が今もってその姿を留めています。
▲キハ603の面構え。いわゆる“湘南顔”に、まるで眉毛のようにルーバーが誂えられている。'08.7.20 西御坊
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▲未だに白熱灯の客室内。もちろん冷房装置などなく、夏場はバス窓の下の一段上昇の側窓を全開にして走る。10系気動車譲りの座面の低いクロスシートも泣かせる。'08.7.20 西御坊
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080728n4.jpg紀州鉄道にやってきてからも大きな改造を施されることなく、車号もそのままに活躍していましたが、1984(昭和59)年に自動扉化、1989(平成元)年にワンマン化改造を施されています。なおかつHゴム支持だった全面窓がサッシ押さえに変更され、オリジナルの尾灯位置に前照灯が増設されたため、正面の印象は多少異なるものとなってしまっています。とはいうものの、今や超貴重となった白熱灯の客室内や、DMH17形機関に定番のTC2形変速機、さらには独特の偏心台車などはまったく変わっていません。鹿島鉄道なき今となっては、現役残存随一の貴重な気動車と言っても過言ではないでしょう。
▲開放式の運転台。ワンマン機器が追加されているが、概ね大分交通時代と変わってはいない。機関車と同様の右ノッチ、左ブレーキ弁の機器配置に注意。'08.7.20 西御坊
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▲紀伊御坊の側線で休車中の僚車キハ604。予備車と言っても、今や残念ながら部品取り用となってしまっているようで、再起する可能性はなさそう…。'08.7.20 紀伊御坊
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ただ、かつて国東線所属だった僚車キハ604は紀伊御坊の側線で写真のように荒廃した姿を晒しているのが残念ではあります。車籍は残っているものの、再び走る日は訪れそうもなく、今後もキテツ1とキハ603が入れ代わりで運用に就く状態が続くものと思われます。

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▲DMH17のエンジン音を響かせて紀伊御坊付近の市街を行くキハ603。さりげないこんな情景も紀州鉄道の魅力のひとつ。'08.7.20
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わずか2.7㎞とはいえ、保存鉄道ではない現役の営業鉄道でこのキハ603に乗れるのは感動的でさえあります。今では珍しい床下排気のエキゾーストの熱気を感じながら、全開にした側窓に身を委ねていると、所要8分・全線180円の旅が至上のものに思えてくるから不思議です。

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紀州鉄道は今…。(上)

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▲終点の西御坊で折り返しを待つキハ603。20年前に路線短縮されるまでは中間駅だっただけに、踏切横に設けられたホーム一面の駅舎はとても終着駅とは思えない。'08.7.20
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改めてご紹介するまでもないでしょうが、紀州鉄道は何とも不思議な鉄道です。営業距離わずか2.7km。第一種鉄道事業を営む普通鉄道としては芝山鉄道(2.2km)に次ぐ短さですが、芝山鉄道は京成電鉄と相互直通運転を行い、運転業務も京成に委託されていますから、実質的にはやはりこの紀州鉄道が日本一のミニ鉄道ということになりましょう。

080727n2.jpg紀勢本線御坊駅の片隅、0番ホームを出た列車は宅地化の進む田園風景の中をほとんど勾配もなく進みます。2.7kmというとひと駅分の距離に思われますが、途中には「学門」、「紀伊御坊」、「市役所前」と中間駅が3駅もあり、しかも一日26往復とそのフリークエンシーの高さは想像以上です。ただ、沿線は国道42号線を基軸とした道路交通が発達しており、残念ながら時代から取り残された印象は免れません。
▲サボも社紋も手作り感が滲むキハ603の側面。'08.7.20
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▲西御坊駅をかつての日高川方面から見る。線路はいまだに残っており、ゼブラ模様の柵で営業線と廃線が遮断されている。それにしてもこれが2008年、現在の光景とはちょっとした感動もの。'08.7.20
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この非電化の超ミニ鉄道が今日まで存続してきた背景には、親会社で東京に本社を置く不動産会社の存在があることは広く知られています。経営危機に瀕していた前身の御坊臨港鉄道を買い受けて紀州鉄道と改名したのが1973(昭和48)年。以後、鉄道会社という社会的ネームバリューを後ろ盾として、“紀州鉄道”は全国各地でリゾート開発やホテル事業を積極的に推し進めてきています。

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▲日高川へと続く線路は一部の橋梁が撤去されているものの、かなりの部分がそのまま残されている(左)。右は西御坊駅ホーム終端の生活感溢れる光景。'08.7.20
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有田鉄道など同じ和歌山県内の他のローカル私鉄が力尽きて消えてゆくなかで、営業距離が最も短く、営業収入も少ない紀州鉄道が今日まで生き延びてきたのには、他線にはないそんな事情が背景にあります。

080727n6.jpgさて、現地を訪れたのは和歌山県地方の梅雨明けが宣言された夏休み最初の日曜日。平日は8年ほど前に北条鉄道から譲受した冷房付きのレールバス、キテツ1が孤軍奮闘していますが、休日は通学客もないとあって“非冷房”のキハ603が運用に就いています。このキハ603は大分交通耶馬溪線の生き残りで、1960(昭和35)年新潟鐵工所製。DMH17にいわゆるバス窓と気動車ファンにはたまらない1輌です。昼下がりの乗客の面々を見渡すと、地元のお客さんはほとんどおらず、ほぼ全員が紀州鉄道とこのキハ603を“味わいに”来た人ばかり。側窓を全開にして真夏の気動車を堪能しているかのようです。どうやら、休日にキハ603が充当されるのには、観光客やファンへのサービスといった側面もあるのかも知れません。
▲西御坊駅待合室内。御坊方から見たところで、そのまま画面前方の人一人やっと通れる通路を進むと、日高川方に通り抜けることができる。'08.7.20
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▲民家のような西御坊駅を後に御坊へと去ってゆくキハ603。床下排気のDMH17のエキゾーストが線路を覆った夏草を揺らしてゆく。'08.7.20
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それにしても終点の西御坊駅は一見の価値があります。1989(平成元)年4月1日付けでこれより先の日高川まで0.7kmが廃止され、途中駅であったこの西御坊が終点となってしまったわけですが、その“終着”ぶりは何とも唐突です。市役所前駅を出て宅地の裏を走り抜けた列車は、踏切に隣接する狭いホームに到着するや、まさに突然、終点となります。駅舎正面(?)から見える駅名標記はなく、木造の待合室前には自動販売機がでんと据え付けられているのみ。やはりどう見ても終点には思えない奇妙な光景ではあります。

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■書籍『編集長敬白』が日本図書館協会選定図書に選ばれました!

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▲デジタル出力による巨大なプリントも圧巻。世界五大陸100点にも及ぶ作品数だけにたっぷりと時間を掛けて鑑賞したい。'08.7.25

写真家・都築雅人さんの写真展「煙情日記・世界の沿線、汽車の見える風景」が東京・品川のキヤノンオープンギャラリーで始まりました。昨夜は9月1日までという長丁場のスタートを祝してオープニングセレモニーが開催され、浅からぬご縁の私が僭越ながら乾杯の音頭をとらせていただきました。

080726n5.jpg「煙情日記」と銘打った都築さんの海外蒸機を題材とした写真展は今回で4回目、東京では5年ぶりの開催となります。第1回目が1994(平成6)年ですから、14年の歳月をかけて同名の写真展を連綿と続けてこられたわけです。1957(昭和32)年生まれの都築さんは、まさに青春時代に国鉄無煙化を目の当たりにした世代。写真の道を志すきっかけはもちろん蒸気機関車でした。その後、一時は鉄道から遠ざかっていたものの、1982(昭和57)に中国・上海で“現役蒸機”と再会、それからはアジア各国、東欧、中南米、さらにはアフリカ大陸と実に30カ国もの国々で生活の中の蒸気機関車を追い続けてこられました。
▲お気に入りのダージリンの作品を前にした都築雅人さん。世界各国の蒸機を追う「煙情日記」はこれからもまだまだ続くという。'08.7.25
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▲コラージュ調の作品群も見どころ。25年の歳月を掛けて撮り続けてきた作品だけに、海外蒸機ファンにとっては懐かしいシーンも少なくない。'08.7.25

生活の中の…と記しましたが、都築さんの作品はまさにそこがポイント。今回の展示作品でも機関車そのものより、それを支える人々、乗客、沿線の暮らしといった側面が大きくクローズアップされています。

08726n6.jpg四半世紀にわたって撮り続けられてきた作品の集大成だけに、展示作品の多くは銀塩フィルムによるものです。ただ、キヤノンの最新技術によってスキャニング→デジタル出力された巨大なプリントは信じられないほどの高精度、高再現性で、作品の素晴らしさのみならず、そういった最新写真事情を垣間見るうえでもたいへん参考になる写真展といえましょう。展示作品は世界五大陸を網羅した100点あまり。都築さんの蒸気機関車にかける思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい写真展となっています。
▲印象的なエントランスのディスプレー。'08.7.25
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▲会場はキヤノンマーケティングジャパン㈱の本社ビル2階。一ヶ月余りと長い会期だけにご覧になれる機会も多いはず。'08.7.25

■都築雅人写真展「煙情日記・世界の沿線、汽車の見える風景」
会期:7月24日(木曜日)~9月1日(月曜日)
    10時~17時30分 日曜・祝日休館 入場無料
会場:キヤノンSタワー 2階オープンギャラリー
    〒108-8011 東京都港区港南2-16-6 CANON S TOWER
    (JR品川駅港南口より徒歩約8分、京浜急行品川駅より徒歩約10分)
※なお、8月30日(土曜日)13時30分から15時まで3階のキヤノンホールSで都築さんのトークショーが開催されます。撮影秘話など作例写真多数を交えながらの講演です。
定員:300名 申し込みは→こちら

2輌固定編成の223系登場。

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▲城崎温泉方のTc車側から見た223系5500番代。今後は福知山地区の普通電車の顔となるはずだ。’08.7.18 福知山電車区 P:RM(高橋一嘉)
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080725n2.jpgJR西日本では福知山を中心とした山陰本線・福知山線・舞鶴線の普通列車用として223系5500番代を新造、7月22日より使用を開始しました。この電車は従来の113系2輌編成ワンマン車に代わるもので、223系としては初の2輌固定編成。東海道・山陽本線の新快速などで活躍する223系2000番代5次車をベースとしつつ、最高速度を120km/hに抑え、先頭部は「マリンライナー」用の5000番代と同じく連結時の貫通幌設置を前提とした常時貫通構造となっています。
▲京都・篠山口・東舞鶴方のMc車は冬季の霜取り用にパンタグラフを2基装備する。’08.7.18 福知山電車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲出入口部にワンマン対応の整理券発行機が設置された車内。’08.7.18 福知山電車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転室背面には運賃表、中央には運賃箱が設置されている(左)。またMc車車端はロングシートとなっている(右)。’08.7.18 福知山電車区 P:RM(高橋一嘉)
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080725n6.jpg車内はこれまでと同じく転換クロスシート中心ながら、Mc車車端部のみロングシート化されているほか、整理券発行機や運賃箱、運賃表などワンマン機器の設置されているのが特徴といえましょう。また、Tc車の汚物処理装置は真空式となったほか、運転情報記録装置の設置、そして車体強度の向上も図られています。なお、貫通扉と乗務員扉に配されたオレンジ帯はひと足先に登場し、東海道線や福知山線などで活躍する6000番代と同様のデザインとなっています。
▲運転台は足並みを221系に合わせていることを示す表示が貼られ、速度計には120km/hのところに矢印が貼付されている。’08.7.18 福知山電車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲これまで福知山線・山陰本線で活躍してきたサンパチこと113系3800番代「N編成」。この独特の顔もいよいよ見納めとなりそうだ。’08.7.18 福知山 P:RM(高橋一嘉)
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この223系5500番代は16本32輌が福知山電車区に投入される予定で、福知山での編成番号は「F」。これにより独特の顔つきの113系はN編成(3800番代)など体質改善工事未施行の車輌の置換えが進められることになります。

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▲阿多でホユニから郵袋を下ろす郵便局員。南薩鉄道にとって郵便輸送は大きな使命のひとつで、気動車時代となっても郵便荷物気動車が長らく活躍していた。'70.9.12 P:湯口 徹(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線』上巻より)
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毎月ご好評いただいているRMライブラリー、今月と来月は『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記』を上下巻に分けてお届けします。

080724n1.jpg鹿児島交通の鉄道線(旧南薩鉄道)の廃止は1984(昭和59)年ですから、実際にご乗車になられた方も少なくないと思われますが、鹿児島本線伊集院を起点に、薩摩半島の西岸に沿って枕崎までの路線を持っていた鉄道で、枕崎で接続した国鉄指宿枕崎線の反対側を走っていた鉄道ということになります。もっとも、枕崎までの開業は南薩鉄道が1931(昭和6)年、指宿枕崎線が1963(昭和38)年で、枕崎へは国鉄が南薩鉄道の駅構内を間借りする形で乗り入れた形になっていました。

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▲いかにも南国を思わせる枕崎駅の賑わい。上巻では枕崎線、知覧支線、万世支線のアウトラインを紹介、続く下巻では構内配線も掲載予定。(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線』上巻より)
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080724n5.jpg万世線、そして薩南中央鉄道を戦時中に合併した知覧線という2つの支線を合わせた総延長は68.7kmにも及びます。自動車が普及するまでは薩摩半島西岸の交通を一手に引き受けていたわけで、実に多種多様な郵便・荷物輸送用の客車を保有していたのも特徴のひとつと言えましょう。もちろん現在でも保存されているドイツのハノマーグ社製Cタンクをはじめとしたバラエティー豊かな蒸気機関車たちも見どころで、国鉄と同形のC12が地方色豊かなミキストの先頭に立っていたのも“南薩”ならではの光景でした。
▲木造客車2輌を牽引して猛然とダッシュするハノマーグ社製1号機。P:南薩鉄道記念館提供(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線』上巻より)

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▲加世田を発車する2号機の牽く万世支線列車。右には薩南中央から引き継がれたキハ4の姿も見える。'56.8.14 P:田尻弘行(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線』上巻より)
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080724n3.jpg執筆は『軽便追想』などでお馴染みの髙井薫平さんと、これまで本シリーズで九州の私鉄の研究発表を続けてこられた田尻弘行さんのお二人です。実はお二人は今から50年以上前の1957(昭和32)年、『鉄道模型趣味』誌に「南薩鉄道」のレポートを発表しておられ、これが鉄道趣味界での“デビュー”だったそうです。ただこのデビューには秘められたエピソードがあります。知り合って間もない学生時代ゆえ、同誌に原稿を送った髙井さんが相棒である田尻さんの名前を間違えてしまったのです。発行された同誌通巻104号には当然間違った名前が掲載され、お二人にとってはこの件が今日まで喉に刺さった魚の小骨のごとく気になっていたとのこと。その意味で本書の上梓はお二人にとっていつかは果たしたいリベンジでもありました。
▲南薩鉄道が最初に導入したガソリンカーは松井製の簡易半鋼製2軸車だった。(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線』上巻より)

今回は加世田の南薩鉄道資料館のご協力もいただき、2巻に分けて詳しくその実像に迫ります。今月発売の上巻では1914年の開業から太平洋戦争終戦までの沿革と、その期間に入線した車輌、そして2つの支線を含めた沿線の概要を紹介します。また、下巻では戦後の路線廃止までの沿革と車輌、そして設備、開業から終焉までの運転の概要、さらに諸元表などを収録する予定です。どうか上下巻あわせて今はなき南薩線を振り返っていただけたらと思います。

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■書籍『編集長敬白』が日本図書館協会選定図書に選ばれました!

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▲和歌山電鐵の顔として利用者にもすっかりお馴染みとなった“おもちゃ電車”が伊太祁曽を発車する。“いちご電車”、“おもちゃ電車”そして次なる編成は…。'08.7.20 伊太祁曽
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“いちご電車”“おもちゃ電車”の導入をはじめ、「日本一心豊かなローカル線になりたい」と、2006(平成18)年4月の発足以来積極的な施策を繰り広げてきた和歌山電鐵(貴志川線)ですが、今や全国的にその名を知られるようになった最大の要因は貴志駅の猫駅長“たま”の存在ではないでしょうか。

080723n2.jpg今春まで弊社発行のペット誌『NEKO』の編集長を兼務していた関係から、昨年1月には同誌の取材で貴志駅を訪れ、その様子はこのブログでもご紹介いたしましたが(→こちら)、その後も“たま駅長”はフランスのドキュメンタリー映画監督ミリアム・トネロットさん製作の映画「人間の鏡としての猫」の日本代表として取り上げられるなど、日本のみならず国際的(?)にも大活躍をしています。テレビや新聞などで取り上げられることも一再で、いまや貴志川線というより和歌山県自体のアイドルとして抜群の知名度となっています。
▲テレビや新聞各社も詰めかけ、普段は静かな貴志駅も時ならぬ賑わい。'08.7.20 貴志
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▲両備ホールディングス小嶋光信社長より“たま駅長”に表彰状と夏用制帽が授与された。右は飼い主の小山さん。ちなみに画面右端に見えるのが“特別賞与”のペット用ホットクーラー。'08.7.20 貴志
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そんな活躍を顕彰し、去る20日(日曜日)に「特別賞与」の授与と、夏用の帽子の戴帽式が行なわれました。実は私は前日午後に行なわれたニコン主催のトークセッションに出演のためちょうど大阪に出張中で、和歌山方面に別件の用事もあって、せっかくの機会なので“たまちゃん”に再会しようと、このセレモニーを覗いてきました。

080723n4.jpg梅雨明け直後とあって、この日の和歌山地方は朝から油照りの猛暑でしたが、それにも関わらず、貴志駅には報道陣はもとよりセレモニーを聞きつけたお客さんが殺到、たいへんなフィーバーとなりました。“飼い主”でもある駅隣接の商店主・小山さんに抱かれて登場した“たま駅長”は、黒山の人だかりにも怖じけることなく堂々とした様子。両備ホールディングス小嶋光信社長より夏用の制帽を被せてもらい、「特別賞与」としてペット用の夏は涼しく冬は暖かいシートが贈られました。
▲決して広くない駅舎内はファン、報道陣、そして観光客入り乱れて超満員。'08.7.20 貴志
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▲猛暑の中の大役にも関わらず終始愛嬌をふりまいてくれていた“たま駅長”。来年には今度は“たまでん”となってデビューを飾る。'08.7.20 貴志
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ところでこのセレモニーでは小嶋社長より新たなプロジェクトの発表も行なわれました。なんと“たま駅長”をモチーフとした“いちご電車”“おもちゃ電車”に次ぐ第三のテーマ電車、その名も“たまでん”の製作発表です。デザインはもちろんこれまでも実績のあるドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治さん。来春にはデビューする予定だそうで、和歌山を走る"たまでん”は、これまた大きな話題となるに違いありません。

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▲高円寺駅ホーム西端(阿佐ヶ谷寄り)。中央線中野~荻窪間高架線の完成直後、高架道床の地固めのためにやってきた八王子区のD51。左側にはEF13に牽かれて下ってゆく客車列車の姿も見える。'66.4 P:三谷烈弌
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明日23日(水曜日)から、JR上野駅Breakステーションギャラリーで、RMライブラリー第50巻・三谷烈弌(みたに あきひと)さんの『昭和の記憶 カラーで顧みる1950年代の汽車・電車』をベースにした同名の写真展が始まります。

mitanisankodama.jpgすでにRMライブラリー第50巻をご覧いただいている皆さんには改めてご紹介するまでもありませんが、本写真展では、明治・大正期の面影をのこす1950年代の鉄道風景をはじめ、戦後復興から高度経済成長前夜へと、昭和をかけぬけた鉄道情景が三谷烈弌さんの貴重なカラー映像により甦ります。車輌の移り変わりのみならず、その背景となっている町並みや広告の看板、人びとの風俗など、50年という時代を経たいま、「昭和の鉄道」に新鮮な感動や興味を覚えずにはいられません。
▲明日からのオープンを前に準備を終えた会場を視察する三谷さん。バックは伊東から東京へ向かう湘南電車車窓から見た特急「こだま」('58.10 P:三谷烈弌 )。左上の東横線には5000系の姿が…。 '08.7.22
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▲写真展「昭和の記録」のフライヤー。一ヶ月あまりの会期、しかも初電から終電まで上野駅が開いている限り無料で観られるのが嬉しい。
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この写真展、上野駅中央改札上のステーションギャラリーという立地もさることながら、展示作品の大きさも一般の写真展会場とは比べ物にならないほどのスケールで、B0判という通常では考えられない身の丈ほどのパネルを中心としての展示です。また、構内のオープンスペースだけに、初電から終電まで、それこそ上野駅が開いている時間はいつでも観覧可能なところも特筆されます。

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▲晩秋の昼下がり、鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線4号機の牽くミキストが折り返しの入換えに励む。1950年代は東京近郊にもこんな長閑な光景が見られた。'58.11 佐貫 P:三谷烈弌
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ちなみにこの写真展はJR東日本が主催、小誌編集部が協力して実現したものですが、企画・構成は『くろがねの勇者たち』でもプロデューサー役を務められた東京都写真美術館の関次和子さんが担当、プリントはミュージアムプリントで知られる写真弘社が担当しています。カビや退色など、決して状態が良いとはいえないポジからでも、最新の技術ではここまで大伸ばしができるという点にもご注目いただければと思います。

mitanisantoden.jpgBreakステーションギャラリー 企画展
写真展「昭和の記憶 カラーで顧みる1950年代の汽車・電車」
2008年7月23日(水)→8月21日(木)
主催:東日本旅客鉄道株式会社
協力:東京都写真美術館/レイル・マガジン編集部/写真弘社
企画・運営:Breakステーションギャラリー事務局
会場:JR上野駅正面玄関「ガレリア」2階
入場無料・会期中無休
http://www.jr-break.com/gallery/ueno/
企画・構成:関次和子(東京都写真美術館)

▲御成婚奉祝花電車。田村町交差点を渡りNHK(内幸町)前を通り日比谷へ向かう。粛々と進むパレード。この時が花電車専用の車輌を利用した最後となった。東京タワーが建って3年目。'59.4.14 P:三谷烈弌
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時まさに夏休み。会場は上野駅中央改札真上ときわめて足の便も良く、しかも開催時間も初電から終電まで。ご家族でのお出かけのついでに、また会社帰りに、ぜひお立ち寄りください。

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 RM300号完成!

080718n1.jpg今月、本誌『Rail Magazine』はついに通巻300号を達成することができました。1983(昭和58)年12月の創刊以来四半世紀、浮沈の激しい出版界にあってここまで成長できたのも、ひとえに読者の皆様のご支援あってこそで、ここに改めて御礼申し上げます。さて、この記念すべき300号にあたっては、かねてより何とか実現させたいと思っていたプランがありました。沖田祐作さんの膨大な記録「機関車表」のデータベース化です。「機関車表」とは、沖田さんが半世紀近くをかけて築いてきた、わが国に存在したすべての機関車の車歴総覧で、凡人には想像さえできないような努力の末に構築されたものです。

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今回はその膨大な記録の中から国鉄蒸気機関車編をデータCDにして付録いたしましたが、文字にして実に222万字、プリントアウトするとA4判用紙1106枚という圧倒的なボリュームです。
▲インタビュー「機関車表の50年」をお読みになってから特別付録をご覧いただければ、何倍にもその“重み”がご理解いただけるはず。(RM300号誌面より)
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080718n3.jpg巻頭インタビューでは「機関車表」が形になるまでの半世紀をお聞きしています。20代の頃に雑記帳的なメモから始まった車歴調査は、その後謄写版(ガリ版)、タイプ印刷、ワープロ、そしてパソコンと“進化”してきましたが、周辺環境の整備に影響されることなく、沖田さんは毎朝3時半頃には起きて4時頃からこの「機関車表」を打ち続けてこられたのですから想像を絶します。一次資料はもとより、書籍・雑誌、さらには業界紙を含めた新聞各紙にまで目を通し、判明した内容を書き加え続けた成果がこの膨大なデータです。

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かれこれ2年ほど前、300号記念付録の快諾をいただいてデータ・サンプルをお預かりし、大日本印刷、凸版印刷をはじめ、専門のソフトウェア開発会社等にも検索エンジンを含んだデータベース(DB)化を打診してきましたが、残念ながら初期のマッキントッシュの日本語対応ソフト「EGワード」をベースとされていることが大きな足かせとなって容易にはDB化できないことが判明。結局、今回は検索利便性には劣るもののより汎用性の高いPDF化で付録いたしました。
▲これが「機関車表」のサンプル。製造年月日、製造番号から判明した限りの転配履歴、改造履歴、事故歴が綴られている。今月の「蒸気機関車編」はもちろん1号機関車からD61まで国鉄(JR)に在籍した8000輌を超える蒸気機関車を網羅。
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もちろん、誤記や欠落といった不備、さらには個々の出典が不明といったご批判は少なからず頂戴する覚悟ではあります。いみじくも沖田さんご本人がインタビューの中で語っておられるように、この膨大なデータは「“7ならべ”の最初の“7”」です。誰かが“7”を出さない限り“ゲーム”は始まらないわけで、今後この「機関車表」が多くの皆さんの手によってリファインされ、何年、何十年か後に、わが国に存在したすべての機関車の詳細車歴が総覧できる世界に類をみないデータベースが構築できればと願っております。なお、次号301号では続編として国鉄(JR)電気機関車、ディーゼル機関車、さらには暖房車、除雪車、操重車、移動機、それに連絡船などの船舶を網羅した「機関車表」下巻を付録いたします。プリントアウトすれば2号合計で実に1896ページに達する驚異のデータをぜひご活用ください。

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▲著者・高木さん所蔵の貴重な写真もふんだんに反映され、今後、国鉄蒸機の歴史を語る上で欠くことのできない保存版「改稿 国鉄蒸機発達史」。(RM300号誌面より)
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もちろん300号記念号はこのほかにも盛りだくさんです。今から14年前、1994(平成6)年に増刊『日本の蒸気機関車』(絶版)で発表され、その後もバイブルとして語り継がれている高木宏之さんの「国鉄蒸機発達史」を加筆した決定稿「改稿 国鉄蒸機発達史」は本邦初公開の貴重な写真の数々と合わせ、末永く座右に置いていただけるものと思います。

080718n6.jpgさらにこの300号からは異色の新連載も始まりました。プロ野球大洋ホエールズの盗塁王として球場を沸かしてきた屋鋪 要さんの「めざせ打率10割! 屋鋪 要の保存蒸機撮りつぶし」です。ホエールズからジャイアンツに移籍、現在はテレビのスポーツキャスターとしてお馴染みの屋鋪さんですが、実は子どもの頃からの熱心な蒸機ファン。お父さんに連れられてC62重連の「ニセコ」を撮りに行ったのをはじめ、まだ見ぬ現役蒸機に心躍らせた少年時代だったと言います。しかし中学からは寮生活の野球漬けの毎日となってしまい、そのうちに国鉄蒸機終焉の日を迎えてしまいます。
▲プロ野球と鉄道趣味…一見関連性のなさそうなふたつの世界を歩き続けてきた屋鋪さんの新連載にもご注目。(RM300号誌面より)
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この連載はそんな少年時代のリベンジを果たすべく、また、今は亡きお父様への思いを込めて、わが国に残されたすべての保存蒸機を“撮りつぶし”てしまおうという壮大な個人的プロジェクトです。対象は約620輌。屋鋪さんはすでにそのうちの500輌余りを“制覇”しており、現在のところ「打率8割」。果たしていつ「10割」達成なるか…ご期待のほどを。

■ご好評をいただいたジュンク堂池袋本店のトークセッション
昨日開催された本誌300号記念+『編集長敬白』出版記念の広田尚敬さんとのトークセッション「鉄道趣味、そして鉄道写真」は定員を大きく上回るご参加をいただき、好評のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様には改めてお礼申し上げます。
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▲定員40名の会場に50人以上が詰めかけ大入り満員の会場。女性の参加者も多く、広田さんともども感謝感激。'08.7.17 P:渡邉健志
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●7月9日、書籍『編集長敬白』が日本図書館協会選定図書に選ばれました!
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※明日(19日/土曜日)13:15より新大阪セントラルタワー二階(新大阪駅正面・新大阪ワシントンホテルプラザ)のイベントホール「レ ルミエール」で「Nikon Digital Live 2008」のスペシャルトークショーに出演いたします。「今こそ鉄道写真」と題した本誌でもお馴染みの小山伸也さんとのトークセッションです。お近くの方はぜひお立ち寄りください。なお、これに伴う出張のため、小ブログは21日までお休みとさせていただきます。あしからずご了承ください。

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▲笹平でフォトストップ中のEDS13牽引の宇奈月行き32列車。黒部峡谷鉄道の途中駅はほとんどが業務用停車場で、この笹平を含めて通常は一般客が下車することはできない。'08.7.13 笹平  P:伊藤真悟
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先日アップした「黒部峡谷鉄道の保存車たち」で、通常は営業運転に就くことのない凸型電気機関車が、これまた一般には供用されていない2軸開放型客車を牽く珍しいイベント運転が行われることをお伝えしましたが、「鉄道ホビダス」の伊藤デスクが“自腹で”見に行ってきましたので、今日はその様子をご紹介いたしましょう。

kurobeeds02.jpg7月13日(日曜日)に運転されたこのイベント列車には、宇奈月発コースと欅平発コースが設定され、宇奈月発コースは宇奈月12:09発のイベント列車(31列車)に乗車、折り返しは欅平16:01発の一般旅客列車(44列車)・普通客車に乗車して宇奈月に戻るもの。一方の欅平発コースは宇奈月10:05発の一般旅客列車(19列車)・普通客車に乗車して欅平に向かい、折り返し欅平13:53発のイベント列車(32列車)に乗車して宇奈月に戻るというものです。
▲機関車の両エンドには凸型電気機関車運行記念のマークが取り付けられた。'08.7.13 P:伊藤真悟
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▲客車はハ形C車とハフの5輌編成。現役客車としては最古かつ最小のものだが、こういったイベントでもない限りなかなか満足のゆく形式写真は撮れない。'08.7.13  笹平  P:伊藤真悟
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凸型電気機関車と聞けば“今なお現役”の70年選手ED9・10(1934=昭和9年製)を真っ先に思い浮かべますが、ちょっと残念ながら、この日の大役を担ったのは戦後の1957(昭和32)年生まれのEDS13。あの通称黒四ダム建設に際して導入された日立製の15t機です。製造年こそED9・10より四半世紀近く新しいものの、通常は宇奈月駅構内の入換用として使用されていて、本線に出る機会はほとんどないだけに、列車牽引状態の写真を撮れる機会はまずありません。

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▲欅平で折り返しを待つEDS13牽引の32列車。当日は好天に恵まれ、ファンのみならず乗車した家族連れも大満足だった様子。'08.7.13 P:伊藤真悟
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列車の編成はEDS13+ハ形客車5輌で、途中の笹平でフォトストップ(32列車の場合)が行なわれるという粋な計らいもあったそうです。ご承知のように数ある途中駅のうち、通常一般客が下車できるのは黒薙と鐘釣の2駅のみ。それだけに笹平駅ホームに降りられるのも稀有な体験と言えましょう。なお、運行を記念して宇奈月駅では往時の写真が展示されたほか、出発式も執り行なわれました。また、各コース発ともイベント参加者には記念品としてレール型文鎮、イベント列車の行路表、使用車輌の竣功図表などがプレゼントされ好評を博していたそうです。

●7月9日、書籍『編集長敬白』が日本図書館協会選定図書に選ばれました!
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碓氷峠鉄道文化むら再訪。

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▲意外と気づかないが碓氷峠鉄道文化むら入口の時計塔には「あさま」をエスコートするロクサンのブロンズ製モニュメントが…。背後に聳えるのはあのザンゲ岩。'08.7.16

今日は朝から碓氷峠鉄道文化むらに出張しています。この10月に開催される日本鉄道保存協会の年次総会会場のこの碓氷峠鉄道文化むらに、保存協会事務局の交通文化振興財団(交通博物館館長)の菅理事長らとうかがい、事務的スケジュールの打ち合わせを行なうのが主旨です。碓氷峠鉄道文化むらの高橋館長のご案内で、これまで幾度となく訪れていながらまったく気づかなかった事象にも出会うことができ、たいへん意義のある視察となりました。

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▲かつての検修庫にはEF63やEF62たちが現役さながらのシチュエーションで保存されている。庫内の匂いもあの頃のまま。'08.7.16

080716n4.jpg久しぶりに入ったかつての検修庫は、横川機関区現役時代の雰囲気を後世に伝えようとあえて改修を加えずに公開されており、収容されているEF63やEF62たちはもとより、様々な検修用器具類も廃止時の状況そのままに展示されているのが嬉しい限りです。現役時代からこの庫内には幾度となく入ったことがありますが、床に埋め込まれた煉瓦様のものが「木煉瓦」と通称される木製のものだとは、高橋館長から教えられて初めて気づきました。アプト時代から受け継がれてきた静電気防止のための工夫だそうで、こんなところにもわが国初の幹線電化の地としての歴史を垣間みることができます。
▲ピット線周囲の床を見ると小口を上にした煉瓦が埋め込まれている。'08.7.16

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▲ところがこの煉瓦、何と「木煉瓦」(もくれんが)と呼ばれる木製のもの。ご案内いただいた高橋館長のお話では、検修庫内の静電気防止のための伝統的なものとのこと。'08.7.16

さて、ここ碓氷峠鉄道文化むらで開催される日本鉄道保存協会の年次総会ですが、来る10月2日(木)?3日(金)を予定しております。今年は国土交通省による講演や、技術の伝承・鉄道遺産の活用と地域振興といった分科会のほか、スペシャルゲストも予定しております。オブザーバー参加も歓迎ですが、詳しくはまた小ブログでご案内したいと思います。

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▲園内を周回する「あぷとくん」からエントランスを見下ろす。検修庫前に保存されているクハ189はつい最近再塗装を施されたそうで、現役時代を彷彿させる美しい姿となっている。'08.7.16

※宿泊先の通信事情の関係でアップロードが不安定でお見苦しい点があったことをお詫び申し上げます。ちなみに碓氷峠付近はこのところ夕方になると連日の雷雨で、宿泊先の旅館も一昨日から電話回線が不通となり、昨日仮復旧したばかりとのことでした。

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青梅線の季節。

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▲川井のめがね橋として親しまれてきたコンクリートアーチの大丹波橋梁を行く73系。渓谷に響く吊り掛け音が山深い“東京のローカル線”のイメージを一層深く印象付けていた。'74.1.15 川井?古里
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先日、JR東日本八王子支社から、7月19日(土曜日)から「青梅・五日市線観光キャンペーン」が始まり、青梅線初入線となる“NO.DO.KA(のどか)”を使用したイベント列車も企画しているので「編集長敬白」で取り上げていただけませんか…というお電話を頂戴しました。

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▲買収国電、17m級旧国、73系、101系、103系、201系と世代代わりしてきた青梅線も、今ではE233系の独壇場となっている。写真は73系全盛期のひとコマ。'74.1.15 川井
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子どもたちにとっては今週末からは「夏休み」。青梅線も一番の賑わいを見せる季節となります。今でこそ「青梅特快」なども走り、“東京の奥座敷”というよりは通勤圏として大発展を続ける沿線ですが、それでも御嶽以遠はまだまだ大自然に囲まれたローカル線の風情を色濃く残しており、夏休みには多くの家族連れで賑わいます。

080715-001n.jpg振り返ってみれば、1970年代は実に足しげく青梅線に通いました。もちろんED16の牽く貨物列車がお目当てだったのですが、東京とは思えないその雄大なロケーションに魅せられたのは言うまでもありません。撮影面では山影が多く苦労させられた思いが残りますが、モノクロフィルムに残された当時の画像を見ると、その陰影こそが青梅線らしく思えてくるから不思議です。
▲御嶽を過ぎると多摩川は一気に川幅を狭め文字通りの渓谷へと姿を変える。'74.1.15
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▲青梅線と言えば忘れられないのがED16の活躍。奥多摩工業の専用貨物を牽く古老の汽笛が奥多摩渓谷に響き渡っていた。'74.1.15 御嶽?東川井(信)
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道床が白くなるほど往来していた貨物列車が姿を消したのは、1998(平成10)年夏。早いものでもう十年も前のことになります。近年では201系展望電車「四季彩」の運行など、風光明媚な車窓展望を大きなアピールポイントとしてその新たなアイデンティティーを築きつつある青梅線だけに、今回の“NO.DO.KA(のどか)”の初入線(→こちら)も大きな話題となるに違いありません。

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▲これがお目当ての欧州最古の現役内燃機関車・ユンクMS131。在籍2輌のうちこちらは予備機で、工場裏のストックヤードに置かれていた。ちなみに写真を見た『国鉄時代』担当の山下曰く、「集合住宅のゴミ入れかと思った」…失礼な! '07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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お目当てのユンク“MS131”形とはもちろん初対面。1929(昭和4)年から1933(昭和8)年にかけて430輌あまりが製造されたレディーメード機で、ヨーロッパ各地にばら撒かれたそうですが、残存機は個人所有の保存機を含めてもごくわずかです。なにしろ製造初年の1929(昭和4)年といえば、鉄道省最初のディーゼル機関車DC11がエスリンゲンから輸入された年ですから、この機関車がどれほど“古典機”であるかがわかろうというものです。

080714n6.jpgエンジンは10HPの2気筒水冷2サイクルディーゼル。車体中央部に2速のギアボックスとともにマウントされ、その上に運転席が設けられています。つまり進行方向に対して横向きで運転する格好となるわけです。逆転機を介したファイナルドライブはローラーチェーン。前後に突き出した湯船(?)のような奇妙なケーシングは、片方がプリミティブな水冷ディーゼルエンジンを自然冷却するための水タンク、逆側がバランスをとり、かつ死重とするためのポケットで、本機の場合は雑多なスクラップ鉄材が詰め込まれていました。
▲本務機の全貌。残念ながらミル内部は足場が悪く、ようやく画角に収められたのがこの程度。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲ユンクのカタログに見るMS131。こうやってオリジナルと見比べると、ラグリブの2輌はほとんど原形そのものであることがわかろう。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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公称自重は4100ポンド(約1.8t)、運転整備重量は6200ポンド(約2.8t)で、重量のわりには奇妙な“湯船”の分だけ大きく見えます。ちなみに実測値によるディメンションは、端梁間全長:2200mm、車体全幅:1200mm、軌道踏面上全高:1300mm、WB:830mm、車輪径:φ350mmといったところでした。

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▲運転はセンターにマウントされたギアボックスの上に横向きに座る形となる(左)。丸いハンドルは手ブレーキ。右は車体に取り付けられた“LOUIS PATRY”の銘板。中古仲介業者(?)だろうか、その真相は不明。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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残念ながら今日はもう動くことはないとのことで、案内してくれたおじさんとは帰りにオフィスに寄るからと別れ、ともかく全線を歩いてみることにしました。キルンに併設されたミルを出た軌道は、野原の中の道を併用軌道となって進んでゆきますが、これがなかなかの雰囲気です。

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▲心地よい秋のそよ風の中、クレイピットへと続く軌道。ナローゲージ・モデラーにとってはたまらないシーンのはず。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲併用軌道をクレイピットへと向かう500mmの軌道。総延長は500mほどながら、さまざまな表情を見せてくれる。それにしてもこの軌道上を行くユンクの姿を見てみたかった。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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草原を出ると一気に視界が広がり、終点のクレイピットに至ります。全線500mほどでしょうか、実にささやかな軌道で、この軌道だけで原料土を輸送しているとは驚きです。ピットにはこれまた超年代モノと思われるラダーエキスカベータが寂しげに取り残されていましたが、これとて決して“産業遺産”ではなく現役なのがこの軌道の凄さでしょう。

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▲クレイピットでは極めて原始的なラダーエキスカベータが次の稼動を待っていた。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲誰もいない広大なピットを見ているうちに、秋の陽は一気に西に傾いてきた。そろそろパリへ戻らねば…。もう二度と来ることはないであろうこの軌道を後ろ髪を引かれる思いで後にした。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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それにしても、ユンクの働くところをこの目で見たかったと未練たらたらでフィールドを後にし、オフィスへと向かいました。例のおじさんは「明日は動くはずだからまた来なさい」というようなことを言ってくれていましたが、パリから200キロ、いや日本から10000キロ離れたここノルマンディーの地に戻ってくることは二度と再びないでしょう。お世話になった事務所の皆さんにささやかなお土産=箸と千代紙を渡し、ラグリブ煉瓦工場に別れを告げました。
帰路の国道からは、あのエキスカベータの姿が、遥か彼方の西日の中にシルエットとなって浮かんで見えました。

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SNCF(フランス国鉄)のストの影響で、パリの高速環状線の大渋滞に巻き込まれてしまったことが災いし、お目当てのラグリブ煉瓦工場にたどり着いた時には、すでに時計の針はお昼を過ぎてしまっていました。実にパリ市内から4時間以上も掛かってしまったことになります。
▲併用軌道からミル(工場)へと入ってゆく軌道(画面右)。ささやかな築堤で高度を稼ぎ、これまたささやかなトレッスルで2階部分へと引き込まれてゆく。写真は入口のドアが閉まっている状態。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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果たして見学させてくれるものかどうかとオフィスを訪ねると、室内には人気がまったくなく扉になにやらカードが下がっています。どうやら13時半までお昼休みらしく、やむなくこちらもリジュウの町までクルマを飛ばし、手軽なマックで昼食をとることにしました。

080713n1.jpgさて、13時半きっかりにオフィスに戻ると、おじさんがせわしく電話を取っています。突然現れて中を覗き込んでいる謎の東洋人を“警戒”しているようですが、電話が終わるなり、とりあえずはフレンドリーにご挨拶。やはり英語は通じそうもなく、こんな時のために予め用意していた“ユンク”のカタログ写真を見せ、身ぶり手振りで日本からコレを見に来たと説明したところ、おじさん、驚いたのなんの! 俺が案内してやるからついて来い…とばかりにオフィスを出てずんずん工場の方へと導いてくれます。
▲画面右側の建屋がキルンとミルを併設した工場で、2階の軌道へは幅50センチほどの鋼材製の梯子をよじ登らねばならない。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲オフィスでいただいたラグリブ'煉瓦工場の立派な製品案内。キルンは25万個の生産能力を持つそうで、“リリプット”がいるシモ煉瓦工場よりかなり規模は大きい。
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なにやら派手なジェスチャーを交えていろいろと説明してくれているようなのですが、9割方は何を言っているのかさっぱりわかりません。とにかく後をついてゆくと、工場建屋脇の資材置場の狭い梯子を登れとのこと。丸棒のような鋼材で頼りなげに組まれた幅50センチほどの梯子は、汚れ放題に汚れ、カメラバッグを担ぎ上げることさえ一苦労なほどでした。

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▲バックヤード側の入口からミル内部を見渡す。クレイピットからナベトロで運ばれた用土はここからストレーナーを通してビンに落とされる。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE

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▲ミルの奥には簡単な分岐器が(左)。なんとこの軌道の全線を通して唯一のポイントである。右はミル上部よりバックヤード側の入口を振り返ったところ。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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果たしてこの梯子を上がった2階部分に軌道が引き込まれていました。どうやらクレイピットで採掘された用土は、軌道によって直接このミルを併設した工場内に引き込まれるようで、眼下では成型機が耳を覆う大きな音を立てて動いています。

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▲予備のナベトロ。“運用”に就く5輌とこの予備の2輌、それに屋外に捨てやられていた2輌ほどがすべての被牽引車。ただ、このナベトロ、ただものではない。その証がナベ上部に…。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE

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▲ナベ部に燦然と輝く(?)ドコービルの銘板と軸受部の陽刻。そう、このナベトロ、博物館もののオリジナル・ドコ?ビルなのである。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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運搬車はすべていわゆるナベトロですが、このナベトロ、よくよく見ると銘板までしっかりと残ったドコ-ビル社製ではないですか。かつて荒川知水資料館に保存展示されているドコ-ビル製ナベトロをご紹介したことがありますが(アーカイブ「年のはじめはドコ-ビル詣で」参照)、さすが“本国”だけあって現役で活躍している仲間がいるとは驚きです。

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▲そしていよいよお目当ての“ユンク”にご対面…え、ヨーロッパ最古の現役内燃機関車はどこにいるのか…ほら、目の前にいるそれですよ…。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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さて、いよいよ待ちに待った“ユンク”とのご対面ですが、案内役のおじさんが言う(恐らく…)には、朝まで雨が降っていたため、今日は動かないとのこと。どうやらクレイピットの用土が水を含んでしまった状況では運転しないようで、残念至極です。ただ、熱心に案内してくれるおじさんに巡り合えただけ良しとせねばならないのかもしれません。

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▲工場のバックヤードを併用軌道でクレイピットへと向かう500㎜の軌道。かつてはここノルマンディー地方でも随所で見られた光景だったはず。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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昨秋のフランス“RAIL EXPO”の旅では、北部フランスの煉瓦工場の軌道(アーカイブ「リリプットの森」参照)とともに、もう一箇所、ぜひとも訪ねておきたい、やはり煉瓦工場の軌道がありました。パリから190キロほど離れたノルマンディー地方のリジュウにある、これまた決して大きくはない煉瓦工場です。

080711004n.jpgラグリブ煉瓦工場(Briqueterie LAGRIVE)を名乗るこの工場の創業は1896年とされ、いまだに戦前のユンク製内燃機関車を使用していることで欧州のインダストリアル・ナローゲージャーの間ではそれなりに知られた存在です。動態保存を除けば、現役の内燃機関車としてはヨーロッパ最古ということになりますが、ただ、その姿形はとても「機関車」のイメージからはほど遠いと言わざるをえません。それだけに、こんなモノをわざわざ見に行く気が知れない…と仰られるかもしれませんが、私にとっては専門分野(?)だけに一度はこの目で見ておきたかったのです。
▲この行程ではたいへん役に立ったミシュランのルート検索サイト。100m単位の非常な細かさでルートを示してくれる。スピード・カメラ、日本で言うところのオービスの位置も詳細に記載されている。
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▲ラグリブ煉瓦工場会社案内に見る工場位置図。リジュウ(Lisieux)の街外れに位置し、この案内図ではパリからは高速A13を使うように記載されている。
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さて、ノルマンディー地方というと、大半の日本人にとってはあの“ノルマンディー上陸作戦”がまず思い浮かびますが、それから先はというとお寒い限り…というのが正直なところではないでしょうか。私も例外ではなく、あとは世界遺産で有名なモン・サン・ミッシェルの修道院や、セーヌ川下流域の肥沃な平原といった程度の認識しかありませんでした。

08712n4.jpg実際、パリからの高速A13を下りて一般道に入ると、なだらかな丘陵地帯が延々と続き、広大な牧草地や畑が広がるなかを、ひたすら直線の道が続きます。カマンベールチーズが名産品だそうですが、酪農と農業に支えられた典型的なフランスの田舎といった風景でしょうか。途中のスタンドで買った、なぜか奇妙なフレーバー入りのリプトン・アイスティーを飲みながらお目当ての工場を目指しますが、かなり退屈なドライブではありました。
▲正門から見た工場内。右側の平屋の建物が事務所で、外観とは裏腹に、中に入るとOA機器の並ぶ近代的なオフィスとなっている。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲19世紀創業という長い歴史のシンボルでもある煉瓦積みの巨大な煙突。この工場正面側からは軌道はまったく見えない。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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そろそろ目的地リジュウの町に入ろうかという時、ラグリブ煉瓦工場は突然その姿を現しました。地平線まで見渡せるような平地の進行左手に、忽然と巨大な煉瓦作りの煙突が現れたのです。幸い操業中のようで正門は開いています。
毎度のことながらアポなしの突然訪問、しかも言葉もまったく通じない異国の地で、いよいよ撮影交渉を始めねばなりません。

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▲“理想的な”ヘロヘロ度合いの本線軌道。軌間はメトリックゲージの500㎜で、もちろんオリジナル・ドコ?ビル。'07.11.23 Briqueterie LAGRIVE
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▲観覧車をバックに阪神甲子園パークに保存されていた1形「1」号。どのような経緯だったのか、実際の現車は1形27号であったという。'88.5.2 P:宮武浩二
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先日ご紹介した阪神武庫川線の話題はその後も各方面から反響をいただいておりますが、RMライブラリー『全盛期の大阪市電』の著者でもある宮武浩二さんから、今はなき国道線の保存車輌の画像を頂戴いたしましたので、ご本人のご諒解をいただきお目に掛けることにいたしましょう。

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いつもホビタスの情報を楽しみにしております。特に名取編集長の「編集長敬白」は更新をいつも楽しみにしており、阪神武庫川線の話題もたいへん興味深く読ませていただきました。私は残念ながら記録したものがないのですが、20年ほど昔に阪神パークに保存されていた阪神国道線の保存車を撮影しています。あまりよい写真ではありませんが、すでに解体されて現存しないので、何かの参考にでもと思い送らせていただきます。
▲最後まで国道線・甲子園線で働いていた201形215号。「金魚鉢」譲りの大きな窓が印象的な車輌。1948(昭和23)年汽車会社製。'88.5.2 P:宮武浩二
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080711n3.jpg撮影は昭和63年5月2日で、1号については保存展示に際して改番の経緯があるように聞いております。その後この2輌は園内の工事で邪魔になるとかで、あっけなく解体処分されてしまったようです。阪神国道線の電車はほかには71号が尼崎センタープール前駅の北側にある水明公園に、少し離れた蓬川(よもがわ)公園に74号が公民館となって残っています。また、伊丹市にあった79号は三重県のファンに引き取られたと聞いていますが、今ではこの程度しか残っていません。大阪市電のように積極的に販売しなかったことが原因と思われます。
▲簡単な来歴とスペックが記された説明看板が掲げられていた。'88.5.2 P:宮武浩二
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ちなみに、この付近には阪急の71号が尼崎市七松町の七松幼稚園に木造車体のまま現存しており、甲子園裏のC11や阪神電鉄の604、1150(尼崎センタープール前駅高架下)などの保存車も含めると、まとまった数の保存車が現存しています。用途を終えた車輌についてはなにかと気になるもので、特に台車を取られた車輌を発見すると見つけ次第撮影するように心がけております。

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▲1927(昭和2)年「藤永田造船製」と説明看板にある1形。1974(昭和49)年まで主に北大阪線で使用されていたという。'88.5.2 P:宮武浩二
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宮武さんありがとうございました。「金魚鉢」の愛称で親しまれてきた71形保存車が現存するのは嬉しい限りですが、そのスタイルを受け継いだ201形唯一の保存車215号が解体されてしまったのは残念でなりません。保存場所であった阪神甲子園パークは戦前から続いてきた動物園などを擁する遊園地で、国道線の忘れ形見であった2輌の電車は休息室としても使われていたそうです。宮武さんがこの写真をお撮りになった数年後、1991(平成3)年頃には人知れず解体されてしまったようで、その後、阪神甲子園パークそのものが阪神・淡路大震災で被災し、一時は住宅展示場として再生したものの、結局2003(平成15)年には閉鎖されてしまいました。保存車輌といえども、状況の変化でいつ忽然と消え去ってしまうかもしれず、記録できる時に記録しておかねばと改めて思い知らさせてくれる貴重な画像でもあります。

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▲サッポロビール川口工場専用線唯一の動力車=日本通運川口支店DB15。1966(昭和41)年日車製の、当時は“どこにでもいた”標準型機。その後、北王子に転じて(車番はDL15に変更)再会するとは、この時点では思ってもみなかった。'80.10.14
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30年ほど前は足しげく私企業の専用線を訪問していましたが、その対応も千差万別で、まさに当時の社会の縮図を見るかのようでした。往々にして製鉄関連や重化学工業系は、撮影許可をいただくだけでもたいへんな前交渉が必要でした。しかもようやく許可をもらっても、撮影角度まで制限され、場合によっては係の方が三脚に据え付けたカメラのファインダーで画角の確認をされることさえありました。

080710db15n2.jpgその一方、結構おおらかで“余禄”が楽しみだったのが食品関連の工場専用線訪問でした。小学生の社会科見学などの一般見学コースを設定している工場はもちろんのことながら、たいていの工場が試食やお土産を用意してくれていました。そんななかでも一番のお薦め(?)は何と言ってもビール工場で、どの工場でも必ず「せっかく来たんだから出来たてを飲んでいってください」ということになります。
▲ラジエータグリルに日車の社紋エンブレムが付いたフロントビュー。ホーム上にはビールケースが山積みされているのが見える。'80.10.14
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今はなきサッポロビール川口工場の専用線を訪ねた時もご他聞にもれず、撮影が終わると総務の方が別室を用意してくださり、生ビールのジョッキとつまみの数々が…。「お好きなだけどうぞ」とありがたい言葉をいただき、もともとが嫌いな方ではないだけに、ついつい杯を重ねることに…。

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ところでこのサッポロビール川口工場の専用線は、距離こそ短い(0.8km)ものの、東京近郊の専用線としてはなかなか古い歴史を有していました。大正末期に日本麦酒鉱泉の東京工場としてスタートした同工場ですが、昭和5年版の「専用線一覧表」(『トワイライトゾ?ン・マニュアル11』所収)にはすでに「日本麦酒鉱泉会社」側線として記載があります。1933(昭和8)年に大日本麦酒と合併して同社の川口工場、1964(昭和39)年にサッポロビールとなってからも、専用線は脈々と引き継がれてきました。
▲板バネを用いた機関車らしからぬ足回りが特徴で、同系機に自重10t、20tバージョンもあった。キャブ側扉はなく、正面デッキ部から出入りする。'80.10.14
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果たしてどういった経緯でこのサッポロビール川口工場専用線を訪ねようと思い立ったのか、今となっては記憶にありませんが、もちろん試供品のビール目当てではなく、前任機でも残されていればとの淡い期待があったのかもしれません。ただ、車窓から見えるのはいつも日車製の変哲のない15t機(1966年製/製番2550、機関DA59‐8035)1輌のみで、結局それ以外の収穫はなくこの日の訪問は終わりました。

この写真を撮影した7年後の1987(昭和62)年には“川口工場”は埼玉工場と名を変えました。工場内には「川口ビール園」なども併設されて賑わっていたようですが、2003(平成15)年秋に工場自体が閉鎖され、現在では跡地は現在スポーツクラブとなっています。ちなみに専用線の用途廃止は1986(昭和61)年秋だったそうです。

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▲緑の中を汽車は行く。'08.7.2撮影 高橋弘喜さん(岩手県) (「今日の一枚」より)

毎日パソコンを開くと鉄道ホビダスの「今日の一枚」を見るのが楽しみという方も多いと思いますが、昨年スタートしたこの「今日の一枚」が、明日か明後日、ついに1万枚の大台を達成いたします。

08_07_05_usami_yasutaka.jpgとかく誌面に露出する写真は時事性のあるもの、珍しいもの、写真的に優れているものに偏りがちですが、十年、二十年…という長いスパンで見ると、日々身の回りにある当たり前の日常風景こそが大きな意味を持ってきます。そういった思いを込めて、日常の鉄道を皆さんの手によって記録していただこうとスタートした「今日の一枚」ですが、今では毎月1,000枚を超えるエントリーを頂戴するまでに成長することができました。
▲社名と線名を変更のお知らせ。格子窓も歴史を感じる馬橋駅にて。'08.7.5撮影 宇佐美康貴さん(千葉県) (「今日の一枚」より)
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▲最近のエントリーから。ほんとうに多岐にわたる“鉄道の今”が日々蓄積されてきている。 (「今日の一枚」より)

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▲緑の静寂と色とりどりの紫陽花の中を行く登山電車。'08.7.2撮影 風間克美さん(東京都) (「今日の一枚」より)

08_07_01_kato_kazuko2.jpg日本全国、いや、国内のみならず海外からエントリーいただいく方もおられ、まさに居ながらにして各地の鉄道の“今日”を垣間見ることができます。それにしても、日々なんと多くの皆さんが鉄道にカメラを向けていることでしょうか。個々の一枚一枚は断片的であっても、皆の力が結集すると、まさに鉄道の“今日”を語り継ぐ膨大な記録となることが、この「今日の一枚」でいみじくも実証されたことになります。
▲一度は乗ってみたい、レプリカの寝台特急〈カシオペア〉。'08.7.1撮影 加藤和子さん(埼玉県) (「今日の一枚」より)
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スタートにあたって、このブログで「通勤・通学に使っている駅のホーム、そこに入ってくるいつもの電車、そんな記録が積もり積もって後世につなぐ膨大なアーカイブとなれば…大言壮語に過ぎるかもしれませんが、そんな思いも込めての新ブログのスタートです」と書いたのが昨日のことのようですが、“大言壮語”どころか、1万枚からのコンテンポラリーな「鉄道写真」を自由に閲覧できるサイトは恐らく世界にも例がなく、皆さんのおかげでギネス級の素晴らしいアーカイブが構築できたことになります。

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▲見に行きたいけど、明日も仕事だ…。'08.7.1撮影 山形洋一さん(兵庫県)
 (「今日の一枚」より)

さて、今日、9日20時現在のアップ数は9947枚。果たして栄えある10,000枚目に輝くのはどなたのどんな写真でしょうか。ご注目ください!

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生まれ変わる58654。

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▲新製された主台枠とボイラーの仮合わせ作業。日本車輌で新たに作られた主台枠は溶接組み立てとなっている点が時代を感じさせる。'08.6.30 小倉工場 P:宇都宮照信
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2005(平成17)年8月28日の「SLあそBOY」の運転をもって火を落としてしまったJR九州のハチロク=58654号機ですが、復活に向けた本格的な復元作業が開始され、先般、担当する小倉工場で新製された主台枠とボイラーの仮合わせ作業が行なわれました。今日は宇都宮照信さんの写真でその様子をご覧いただきましょう。
■これまでにご紹介した関連記事
「火を落とす58654」
「朗報! 58654が復活!」
「肥薩線視察記」

080708.86n3.jpg1988(昭和63)年7月に同工場で動態復元された58654は、「SLあそBOY」として豊肥本線熊本?宮地間を17年間にわたって走り続けてきました。しかし生まれは1922(大正11)年と、実に80年以上を経ており、各部に不具合が発生していました。なかでも主台枠に生じた歪は致命的で、結局これが3年前の引退を決定付けることとなってしまいました。
▲煙室扉には17年間にわたって阿蘇外輪山を走り続けてきたナンバープレートが…。'08.6.30 小倉工場 P:宇都宮照信
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▲化粧煙突も出番を待っている(左)。「SLあそBOY」時代は煙突形状が物議をかもしていただけに今回は?。右は過熱管が露出した煙室内。上の穴は煙突・ペチコート取り付け座。'08.6.30 小倉工場 P:宇都宮照信
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しかし引退を惜しむ声は日増しに強まり、JR九州が九州新幹線博多開業(2011年)を前に“復活”の英断を下したのは記憶に新しいところです。問題の主台枠は日本車輌によってまったく新しく製造されたそうで、蒸気機関車の「本体」をボイラー部と見るか台枠部と見るかはかねてより諸説分かれるところではありますが、いずれにせよ“平成生まれ”のハチロク主台枠が誕生しようとは、生みの親である島安次郎さんも想像さえしなかったでしょう。

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▲キャブとテンダー。テンダーは水槽の腐食部をステンレス製とするなどこちらも“近代化”が図られている。'08.6.30 小倉工場 P:宇都宮照信
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ボイラーの修復は各地の復活蒸機で実績のある大阪のサッパボイラが担当、内部の腐食が進んでいたテンダー水槽部はステンレス化されるなど、着々と復活への工程が進んでいます。

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▲動輪とテンダー車輪。もちろん動輪のタイヤ厚も、今後充分な耐用年数が確保されている。'08.6.30 小倉工場 P:宇都宮照信
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JR九州ではこの58654復元工事と合わせて、牽引する客車3輌(50系700番代)もリニューアルを図る予定で、総額4億円の投資を予定しています。復活運転開始は来年夏、折りしも開業100周年となる熊本?人吉間、通称“川線”で生まれ変わったハチロクの姿が見られるはずです。

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▲“農村公園8号”のドーム状の覆いの中に保存されているのは1938(昭和13)年神戸製鋼所製のバッテリー機関車BB5と開放式客車。'07.4.29
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この地方には「農村公園」なる農業農村整備事業によって設置された公園が各所にあり、それぞれに番号が付されています。その中の「8号」公園に保存されているのが、戦前のバッテリー機関車BB5と、3輌の2軸客車たちです。

kurobe080707n2.jpgBB5は1938(昭和13)年神戸製鋼所製の9t機で、欅平延伸に伴い、前年からBB1?3とともに新製投入されたわが国としては極めて初期の蓄電池機関車です。中央運転台の両端に大きな蓄電池箱を持つスタイルは工事用機関車といった風情ですが、黒部峡谷鉄道が地方鉄道となってからは歴とした“鉄道車輌”として架線設備のない区間や構内入換えに活躍してきました。現在でも同形最初期のBB1、BB2の2輌が現役として在籍しています。
▲中央運転台を挟んで両サイドに蓄電池箱を備える典型的な小型蓄電池機関車のスタイル。ちなみに、工事用ライトのような前照灯は現役当時からのもの。'07.4.29
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▲ホームを模した足場が設けられており、公園側からの階段を上って客車内にも入ることができる。なお、手前に立てられていた木製の説明看板(?)は崩壊してしまっていた。'07.4.29
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後ろに続く客車はハ28、ハ36、ハ37の3輌で、最後部のハ28以外は開放式の客室内に入ることも可能です。ちなみにこのハ形客車、開放タイプのものはハ形C車と通称されており、黒部峡谷鉄道には現在でも23輌が在籍しているそうです。もとを正せば1925(大正14)年から翌年にかけて製造された2軸貨車を種車としており、定員18名。現役の営業用客車としては最小、なおかつ最古の存在です。

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▲3輌の客車のうち最後部のハ28号のみが雨ざらしとなってしまっており、下立のハフ29と同様にアクリル製の覆いが設置されている。'07.4.29
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▲BB5はキャブ内に入ることもできる(左)。オープンのハ形客車は3人掛ベンチシートが並ぶ。同形車がまだ多数現役で存在するのも嬉しい。'07.4.29
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このほかにも宇奈月町の明日キャンプ場(どやまらんど)にEDとハ形客車(C車)2輌が、黒部市の宮野運動公園にBB3が保存されているようですが、残念ながらこちらは実見してはいません。いずれにせよ、なかなかじっくりと観察できる場所やチャンスのない黒部峡谷鉄道の車輌たちだけに、つぶさに見られるこれらの保存車輌はありがたい存在と言えましょう。

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7月17日(木曜日)夜、ジュンク堂書店池袋本店で、『編集長敬白』出版+RM300号記念として広田尚敬さんとのトークセッション(→こちら)を行います。ネットでのお申し込みはできませんので、同店案内カウンターに直接お申し込みになるか、電話(03-5956-6111)でご予約ください。

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▲半世紀以上を過ごした黒部の山々を遠望しつつ、今は静かに保存されている黒部峡谷鉄道ED8。'07.4.29
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鉄道ホビダスの最新鉄道情報は、全国各地の地方色豊かなイベント情報などますます充実してきていますが、先日個人的にちょっと気になる情報に目が止まりました。来週の日曜日、7月13日に黒部峡谷鉄道でED形電気機関車を使用したイベント列車が運行される(→こちら)というのです。

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▲朝日に照らされて輝くED8+ハフ29。保存されてから十年以上の歳月が経つが、管理がしっかりしており、まるで現役のような矍鑠とした姿である。ただし、形式番号の標記は見当たらない。'07.4.29
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昨年春、久しぶりに訪れた黒部峡谷鉄道(アーカイブ「新緑の黒部峡谷鉄道を行く」参照)では、その圧倒的なロケーションを再認識するとともに、改めてこの鉄道がいかに写真が撮りにくいかも実感いたしました。とにかく起点の宇奈月の駅からして文字通り峡谷にへばりつくようで、ポスターに必ず登場する新山彦橋を除けば、ほとんど撮影ポイントは見当たりません。

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▲「ふるさと水環境鉄道 おりたて駅」の表示があるが、残念ながら車輌の来歴に関する説明はない。なお、本機は1994(平成14)年に保存されている。'07.4.29
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しかも全線20.1km・10駅のうち、一般旅客が乗降できるのは起点の宇奈月、終点の欅平以外は黒薙、鐘釣の2駅のみ。列車写真はもとより、車輌写真の撮影ともなると、その困難さはなおさらです。それだけに、今回予定されているイベントは、途中駅でのフォトストップなども予定されているそうで、実に魅力的に思えます。

070429kurobe4.jpgところで、そんな黒部峡谷鉄道ですが、地元に何輌かの旧型車が保存展示されているのは意外と知られていません。有名な宇奈月駅前・黒部川電気記念館正面に保存されている1926(大正15)年ジェフリー+川崎造船製のEB5のほかにも、4ヶ所に4輌の機関車と合計6輌の客車が残されているのです。
▲いかにも時代を感じさせる板台枠構造の台車。制御装置は直接式。'07.4.29
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▲オープン構造のハフの窓は雨水が入り込まないようにアクリル製のカバーで覆われている。画面奥の集落の付近が富山地方鉄道下立(おりたて)駅。'07.4.29
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北陸自動車道黒部インターチェンジから宇奈月へ向かう県道黒部宇奈月線沿いの「ふるさと水環境公園」に保存されているのは、戦前の黒部第三発電所建設用に新製投入されたED8と2軸緩急客車ハフ29です。ED8は現存するED9・10とともに1934(昭和9)年4月に東洋電機+日車で製造された凸型車体の15t機で、戦前の専用鉄道時代を代表する電気機関車でもあります。今回のイベントにも今なお現役の僚機が登板することになるわけですが、実に車齢74歳、まさに走る博物館級車輌と言うことができましょう。

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生まれ変わる京阪特急。

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▲寝屋川車両基地に勢揃いした京阪電車のニューカラー。4年後の2012年には京阪線全車がこの3塗色に統一されることになる。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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昨日もお伝えしたように、新3000系誕生と目前となった中之島線開業で注目を浴びる京阪電車ですが、在来車の模様替えもいよいよ本格化し、去る5月23日から営業運転を開始した3扉ロングシート車の新塗色車(7200系)に続き、特急車8000系の新塗色車も6月30日から営業運転を開始しました。

080705n7.jpg京阪特急の従来色であるカーマイン・レッドとマンダリン・オレンジは1951(昭和26)年以来の伝統色で、特急色としては実に約半世紀ぶりの変更となります。新しい塗色は上半分:エレガント・レッド、下半分:エレガント・イエロー、その間にエレガント・ゴールドの帯を配したものですが、特に注目を集めるのは編成中央のダブルデッカー車8800形でしょう。従来側面に描かれていた「時代祭行列」のイラストに代わり、金色を円弧状に配した大胆な塗り分けに変身しています。また、3000系の“CONFORT SALOON”に対し、8000系には“ELEGANT SALOON”のロゴが入れられています。
▲番号の引き継ぎを終えた新旧3000系。旧3000系は新たに8531-8081編成とされた。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲十二単や紅葉、祝祭、金蒔絵などを連想させる新塗色に身を包んだ8000系。なお、伝統の鳩のマークはそのまま残されている。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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一方、新3000系の誕生に伴って8000系に編入されることになった在来の3000ですが、こちらも6月27日の新3000系報道公開時に新旧3000系の番号引き継ぎ式が行なわれ、旧3505-3055編成は新たに8000系8531-8081編成となりました。

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▲大胆に変身したダブルデッカー車8800形(左)。京阪特急の象徴でもあるテレビカーのロゴは新デザインの小さなものに変更されている(右)。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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080705n6.jpg080705n5.jpg▲車内は腰掛のモケットが張り替えられ、枕カバーも新3000系と同様の赤い円弧状のものに変更されている。左はダブルデッカー車の車内。右は優先席で、オレンジ系の枕カバーが取り付けられている。なお、モケットは補助席や運転席も同様に変更されている。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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気になる今後の予定ですが、一般車を含めた京阪線全車の塗色変更完了は4年後の2012年の予定とのことで、今しばらくは新旧塗色が競走する姿が見られそうです。

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7月17日(木曜日)夜、ジュンク堂書店池袋本店で、『編集長敬白』出版+RM300号記念として広田尚敬さんとのトークセッション(→こちら)を行います。ネットでのお申し込みはできませんので、同店案内カウンターに直接お申し込みになるか、電話(03-5956-6111)でご予約ください。

京阪新3000系誕生。

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▲花鳥風月の「月」をモチーフにした円弧状の前面デザインで登場した3000系。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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先日は試運転に向け最終的な工事が進む京阪中之島線(「開業を控えた京阪中之島線を見る」参照)ご覧いただきましたが、本日はその開業と同時にデビューする3000系電車(アーカイブ「中之島線開業で京阪が大イメージチェンジ」参照)をお目にかけましょう。

keihan3000.05.jpgこの3000系電車は中之島?出町柳で運行される快速急行用として新製されたものです。車輌全体のデザインコンセプトは文化・風情の香りに現代的感覚を融合させた「風流の今風」とのことで、それを象徴するのが標識灯を大胆に取り込んだ円弧状の前面デザインです。塗色もこれまでの京阪電車の緑系とも赤系とも異なる青系(上半分紺色:エレガントブルー、下半分白色:アーバン・ホワイト、帯銀色:スマート・シルバー)となっています。この配色は3扉・セミクロスシートの中之島線直通優等車輌用のものという位置付けで、水都大阪とともに京ののれんや伝統と格式を紺色がイメージさせる紺色に、白と銀色を加えることで都市のきらめきや石庭における川の流れを感じさせるものとのことです。
▲京阪電車では初めて採用されたLCDによる情報案内装置。停車駅などのほかニュースなども表示される。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲1+2列配置の転換クロスシートが並ぶ車内。配色は濃紺をメインに壁面を桜鼠、床や扉を墨色とする落ちついたもの。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転室背後は8000系と同じく前面展望も良好な2+2のクロスシート。これはファンにとっては嬉しい(左)。腰掛の表地に東レ製のスエード調マイクロファイバー素材「エクセーヌ」が鉄道車輌として初めて採用されていることも大きな特徴。転換クロスの腰掛にはそれを表わすタグが(右)。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転台は左手マスコン、右手ブレーキのツーハンドル仕様。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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一方、車内は1+2列配置の転換クロスシートを中心に、運転席後部のみ2+2配置のクロスシート、その他の車端部はロングシートとなっています。

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▲編成は3M5T(Mc+T+T+T+M+T+T+Mc)の8輌。中之島線開業とともに営業を開始する予定になっている。'08.6.27 寝屋川車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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この3000系は8輌編成6本計48輌が製造される予定。中之島線開業、2年後に迫る京阪電車開業100周年に向け京阪電車の新しいイメージリーダーとして活躍することでしょう。なお、3000系については本誌次号以降で詳しくご紹介する予定です。

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7月17日(木曜日)夜、ジュンク堂書店池袋本店で、『編集長敬白』出版+RM300号記念として広田尚敬さんとのトークセッション(→こちら)を行います。ネットでのお申し込みはできませんので、同店案内カウンターに直接お申し込みになるか、電話(03-5956-6111)でご予約ください。

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▲新大阪駅20番線で発車を待つR61編成の「こだま639号」をモノクロームで見る。モノクロにするとにわかに懐かしい時代の0系が甦ってくるから不思議だ。'08.7.1 新大阪

080703-0.03.jpgこの5月に出会えなかった(アーカイブ「0系R67編成に出会えず」参照)0系復元色車に今週ようやく出会うことができました。と言っても、最後までダークグレーとフレッシュグリーンの塗色で残されていたR68編成もついにクリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号の旧塗色に塗り替えられましたので、0系残存車3編成はすべて復元色になったわけで、今や0系=復元色なわけです。
▲新大阪に0系が姿を見せるのは2往復のみとあって、この日も一般の方を交えて多くの人がカメラ(携帯)を向けていた。'08.7.1 新大阪
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▲R61編成は5月22日から復元塗色第二陣として運用に就いている。塗り替え一ヶ月を経たとはいえ、まだまだ“新車”の光沢を保っている。'08.7.1 新大阪
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JR西日本ではこの0系復元色編成の運用をインターネット上で公開するなど、“ラストラン”に向けたさまざまな展開を繰り広げていますが、6月20日に全3編成が塗装変更完了したのを受けて、「0系新幹線に乗って出かけよう」と題した専用HPトップにもカウントダウン日めくりが設けられ、大きな盛り上がりを見せつつあります。

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▲6連4本、4連6本の計48輌が残されていた頃のパノラマカー。先週まではまだまだ出会えるチャンスは多かった。'08.4.19 前後?中京競馬場前

080703-7000.01.jpg専用HPでの情報発信という面では、名古屋鉄道も総合HPトップから入れるパノラマカー専用のHP「ありがとうパノラマカー」を先週6月27日(金曜日)から立ちあげて、基本運用をはじめとしたさまざまな情報を公開してくれています。6月29日(日)のダイヤ改正によって運用に就く7000系パノラマカーは今日現在4連4本に激減してしまっており、本線豊橋や津島線佐屋などへの運用は消滅してしまいました(アーカイブ「名鉄パノラマカーに乗る」参照)。それだけにオフィシャル・サイトで運用が公開されるのは、乗る方にとっても、写真を撮ろうという方にとっても朗報でしょう。
▲折り返し運用で豊明へと向かう。すでに改正後の現在は豊橋まで足を伸ばす運用はなくなってしまった。'08.4.19 中京競馬場前?前後
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▲どっこい元気な“今日の”201系。「中央特快」として颯爽と快速線を下る。'08.7.3 高円寺
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080703-201.02.jpgところで東京では、すっかりE233系に置き換えられてしまった感のある中央線に、まだ2編成の201系が残されているのをご存知でしょうか。豊田電車区H4編成とH7編成で、両編成ともに元気にほぼ毎日運用に就いています。今日はたまたまデザイナーとの打ち合わせで立ち寄った高円寺で、「中央特快」高尾行きとして快走するH4編成に遭遇しましたが、期せずしてここ数ヶ月の間に0系、名鉄パノラマカー、そして201系と、最後の力走を続ける歴史的車輌の姿をこの目に焼き付けることができたことになります。
▲やはり中央線にはオレンジバーミリオンの塗装車体が良く似合う。高円寺を通過してゆく201系。'08.7.3 高円寺
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▲なにわ橋駅。地上は中之島公園付近で、市立東洋陶磁美術館、中之島音楽堂など文化施設が点在する。壁面は大阪中央公会堂をイメージしたレンガ調のもの。駅部分は全て開削工法の箱型トンネル。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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「水の上の新都心へ」のキャッチフレーズのもと、10月19日の開業に向け工事が進む京阪中之島線が先日報道公開されました。この中之島線はその名の通り、大阪市中心部の旧淀川(土佐堀川・堂島川)の中州である中之島の地下を東西に貫くもので、西側の中之島駅から土佐堀川を潜って京阪本線と接続する天満橋駅までの営業キロ3.0kmの路線です。

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▲渡辺橋から31‰の上り勾配を上っていくと、開削工法による複線トンネルに出る。ここは中之島駅手前の上下線の渡り線部分。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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中之島は大阪を代表するビジネス街であり、市役所や日本銀行大阪支店も存在するエリアですが、これまで島自体には3本の地下鉄が南北に通過するものの、最寄り駅はいずれも南側の土佐堀川の対岸にありました。つまり、かつての市電の停留場を除けば、今回開業する3駅がはじめて島の中に設置される駅ということになります。

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▲なにわ橋から大江橋に向けて伸びる中之島線のトンネル。この上はちょうど大阪中央公会堂の前付近で、線路はそれに合わせてR160のカーブを描く(左)。天満橋からしばらく進むとトンネルを塞ぐ巨大な扉が。これは「止水鉄扉」と呼ばれるもので、災害などによる万が一の土佐堀川からの浸水に備えたもの。なにわ橋駅手前にも上部から落とし込む形のものが備わる(右)。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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▲中之島駅。用地の制約から淀屋橋駅と同じようにホーム切り欠いた1面3線構造(ただし2列車縦列停車はしない)となっている。壁面は中之島線全体の象徴である木が使用されている。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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▲中之島駅のトンネル終端部分にはシールドマシンのカッター部の一部がモニュメントとして飾られている。これは中之島線で最後に貫通した大江橋?なにわ橋間で実際に使用されたシールドマシンのものとのこと。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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列車の運行は京阪本線と一体の直通運転となり、平日昼間時には中之島駅発で毎時8本の列車が予定されています。このうち2本は原則として新型の3扉セミクロスシート車3000系を使用する出町柳行き快速急行です。すでに線路・架線の設置も完了し、待望の試運転も7月末から開始される予定とのこと。京阪電車が中之島を走るまであと3ヶ月です。

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▲中之島線平面図・縦断面図・配線計画図。提供:京阪電気鉄道
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▲天満橋から中之島をのぞむ。大阪の中心に位置しながら今ひとつ足の便が悪かった中之島も新線の開業で大きく変貌を遂げるはずだ。'08.6.26 P:RM(高橋一嘉)
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▲昨年末の初のライトアップイベントのひとコマ。暗闇に20系のブルーがくっきりと浮かび上がる。'07.12.23 P:天竜レトロ・トレインクラブ

6月14日の岩手・宮城内陸地震の際、駒の湯温泉で犠牲となった鉄道博物館の岸由一郎さん(「岸由一郎さん遭難の報せに…」)を悼む声はいまも随所で耳にしますが、ご実家のある前橋市で行われたお通夜の際に、天竜二俣でキハ20をはじめとした保存活動をされている「天竜レトロ・トレインクラブ」(TRTC)のリーダー・山崎義和さんから実に衝撃的なお話を伺いました。

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▲道路側(山側)側面の本塗装中。ナハネ20の塗装は、ここから始まったという。'07.8.5 P:天竜レトロ・トレインクラブ

山崎さんとはこの時が初対面でした。携帯電話の画面をかざしながら「名取編集長ですか」と尋ねられ、何事からんと伺ってみると、山崎さんらが取り組んできた保存活動が新たな段階を迎え、近々イベントを行うことをこの「編集長敬白」で取り上げてほしい…しかし面識もないのにいきなり連絡するのも…と、その仲介をほかならぬ岸さんに頼んだのだそうです。
見せられた携帯電話の画面には、「これから出張にでるので、週明けにでも私の方から名取編集長にメールでその旨を頼んでおきます」といった内容の遭難直前の岸さんのeメールが…。何ということでしょう。すっかり暗くなった斎場前庭で朧げに光る携帯の画面にしばし言葉を失いました。

岸さんは博物館学芸員というお仕事を離れた休日も、プライベートで各地の歴史的車輌や文献資料の保存に奔走されておられました。天竜二俣の山崎さんらの保存活動も、自らメンバーに名を連ねて限りない応援をされていたと聞きます。それだけに、今週末、7月5日・6日(土・日)に予定されているナハネ20形客車車体再塗装完成記念「七夕イベント」も楽しみにされていたに違いありません。
▲道路側(山側)側面の本塗装中。「やってみたい」という気持ちを大切にしたいと、あえてみんなで出来る「ローラー刷毛」を使用したという。'07.8.5 P:天竜レトロ・トレインクラブ
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■ナハネ20車体塗装完成記念「七夕イベント」開催のお知らせ
天竜レトロ・トレインクラブ(TRTC)では、天竜二俣に保存しているナハネ20の車体塗装が完了したのを記念して、七夕に合わせたお披露目イベントを開催いたします。
■日時:2008年7月5日(土)、6日(日)
      5日 13:00?20:30/6日 10:00?15:00
     ※入場無料
■場所:天浜線 天竜二俣駅 改札口を出て、左側すぐ
■内容
○車内公開
○鉄道模型(ジオラマ)
○記念品販売
○ヘッドマーク掲出(キハ20)
○ライトアップ       
 キハ20、ナハネ20の車内を公開。今回はドア開閉、室内等点灯、扇風機作動、ヘッドマーク掲出、ライトアップなども行なう。
 また5日(土)には、地元・浜松城北工業高校のメカトロ研究部SL班の協力により、会場でライブスチームを運行する予定。
■企画・主催:TRTC 天竜レトロ・トレインクラブ

▲線路側(海側)側面の本塗装中にみんなで記念撮影。'08,3,18 P:天竜レトロ・トレインクラブ
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岸さん、あなたからのメールは届きませんでしたが、確かに「七夕イベント」ここで紹介させていただきましたよ。あなたが全国各地に育ててきた保存の夢は、きっと、きっと多くの皆さんが受け継いでいってくれるに違いありません。

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