鉄道ホビダス

武庫川線アンソロジー。(上)

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▲“わんぱく”を絵に描いたような子供たちの遊び場と化していた武庫川駅専用線方構内。三線軌条だった左側の線には三線分岐の痕跡が残る。1979年夏 P:古村 誠

先週の「43年前の武庫川線と武庫川車輌」をご覧になった茨城県にお住まいの古村 誠さんから、「武庫川線アンソロジー」と題したお便りを頂戴いたしましたので、まるで予知しておられたかのような最新のレポートも交え、今日と明日の2回にわたってお目にかけることにいたしましょう。では、まず古村さんのお便りから…。

080629n2.jpg武庫川線を取り上げた「編集長敬白」たいへん懐かしく拝見しました。と申しますのも、私は親の仕事の関係で、幼稚園年中組だった1962(昭和37)年から翌63年にかけて上甲子園(阪神国道線と浜甲子園線の分岐点のすぐ近く)、63年から1966(昭和41)年にかけて甲子園口に住んでいて、国鉄西宮から甲子園口を経て武庫川沿いに河口まで続く廃線跡と阪神武庫川線、それに阪神国道線には無量の愛着があります。同地を去ってからもこれまでにも数回訪れ、直近ではこの4月にも訪れたばかりです。
▲武庫川団地前駅ができる前のこの頃、洲先駅から先にはまだ三線軌条が残されていた。1979年夏 P:古村 誠
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▲武庫川駅を武庫川の堤防上から覗く。当時はまだ阪神本線武庫川駅とは構内連絡しておらず、一度改札外に出て乗り換えねばならなかった。1979年夏 P:古村 誠
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1964(昭和39)年といえば東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業した年です。我が家には初めて自家用車(700ccのパブリカ)が来て、ドライブに連れて行ってもらいました。ガソリンはリッター50円程度だったと記憶しています。当時は廃工場や防空壕跡など“トワイライト”なものがまだ多く残っていましたが、その中でもこの廃線跡は気になる存在でした。

080629n5.jpg私が住んでいた頃、国鉄緩行線は旧型3扉車で、モーター音を唸らせて走っていました。その当時、この武庫川沿いに続く線路は、もとは西宮で東海道線から分岐していたと聞きました。私が小学1~2年の頃、甲子園口駅に緩行の折り返し線を増設した際、下りの列車線を南にずらすのにその跡を使用したと聞いており、私が意識した頃には西宮-甲子園口間の痕跡はなく、甲子園口から武庫川沿いに線路跡が残っていました。

▲海が近いことを思わせる松林の中を続く軌道跡。1979年夏 P:古村 誠
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▲かつては武庫大橋で国道線(野田~東神戸間26.0km)とも連絡していた。写真はさらにその先、北大阪線(野田-天神橋筋六丁目間4.3km/1975年廃止)を行く31形34号。P:古村 誠
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時は過ぎて1979(昭和54)年の夏休み、鉄研仲間でもあった親友が郷里の広島から東京まで車で戻るのに同乗させてもらったとき、再びこの廃線跡を訪ねました。武庫大橋の駅はもう残っていませんでしたが、線路跡は大方が残っておりました。武庫川駅~洲先間の営業線も時代から取り残されたようにゆったりと走っていたのが記憶に残っています。この時点では、まだ武庫川団地前駅は開業しておらず、洲先から先は廃線跡のままで、その区間にデュアルゲージの線路が残っていました。

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