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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2008年6月 9日

「“国見山”のオアカー」に寄せて…。

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▲国見山の鉱石輸送鉄道は吉津港から伊勢地川を遡るように山間の中央貯鉱槽を目指す。写真は港へと向かう盈車列車。'76.3 P:古村 誠
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5月27日付けでご紹介した「“国見山”のオアカー」をご覧になった古村 誠さんから、お便りと1970年代に撮影された貴重な写真をお送りいただきましたので、さっそくご紹介してみることにいたしましょう。

kunimi004n2.jpg国見山(南島町)の専用線のこと、大変懐かしく読ませていただきました。高校三年最後の休みだった1976年3月、やっと大学受験が終わったのにあれだけ熱心に追いかけたSLはすでになく、悶々とした気持ちの中、確か夕刊フジに紀州鉱山の記事が出て、「これだ!」と思い直ぐに向かいました。紀伊国屋で周辺の五万分の一の地図をチェックするとなにやら怪しげな線路記号が…。何も情報がないまま訪れたのが最初でした。
▲海岸貯鉱槽から推進運転で中央貯鉱槽へと引き返す列車。最後部の鉱車にはとって付けたような緩急室が付く。'76.3 P:古村 誠
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▲中央貯鉱槽で積込み中の列車(左)と、吉津港の海岸ふちを海岸貯鉱槽へと向かう列車(右)'76.3 P:古村 誠
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機関車の付け替えをしないため、逆エンドの緩急車にはブレーキ設備があり、電車のような音のタイフォンを鳴らしていたような気がします。紀州鉱山も楽園のようで、その後の鉱山巡りのきっかけを与えてくれました。懐かしいです。

kunimi002n6.jpg古村さんありがとうございます。国見山三重鉱山三重鉱業所のこの鉱石輸送鉄道は、1980年代以降比較的広く知られるものとなり、小誌でも1993(平成5)年版の「今なお現役」でガイドを交えてご紹介するなど、それなりに“メジャー”な存在となりましたが、1970年代の画像はたいへん珍しく、よくぞお出でになったものと改めて感じ入りました。なにしろ1970年代中盤の紀伊半島といえば、蒸気機関車の姿こそないもののDF50やキハ82の天下で、それなりに魅力的ではあった反面、足の便の悪さは想像以上でした。お便りにも出てくる紀州鉱山にしても、この国見山にしても、紀勢本線を外れた山奥に位置しており、とてもおいそれと訪ねられる鉄道ではなかったのです。
▲1990年代に入ると鉱車は近江鉄道から転入したセキにとって変わられ、この2軸鉱車の編成は姿を消した。'76.3 P:古村 誠
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▲鉱山鉄道とはいえ、両端の貯鉱槽付近以外は極めて牧歌的な里山風景が続いていた。'76.3 P:古村 誠
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今さら振り返ってみれば、当日動いているかどうかさえわからないこういった鉄道に胸ときめかせ、なけなしの金とあり余る時間を注げた体験は、私にとっても何ものにも代えがたい趣味の原点でした。きっと古村さんもそんなきらきらと輝く思い出をたくさん持っておられるに違いありません。

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