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43年前の武庫川線と武庫川車輌。(中)

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▲武庫川駅北方(昨日の地図8地点)より阪神本線との交差部を見る。本線ガードの先に武庫川線ホームが見える。下の写真と比較すると、この時点ですでに三線軌条はなくなっているのがわかる。なお、右に分岐するのは本線との連絡線。'70.6.28 P:澤田節夫
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▲上の写真の5年前の状況。武庫川線ホームには881号が到着しようとしている。まだ武庫大橋からの線は三線軌条のまま残されており、左手前には珍しい三線分岐があるのがわかる。'65.8 P:澤田節夫
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甲子園口から武庫川右岸を進んだ3’6”軌間の専用線は、昨日ご紹介したように武庫大橋で国道線と接続し、今度は三線軌条となって阪神本線の武庫川駅を目指します。今日は引き続いて澤田さん撮影によるその武庫川駅の写真をご覧いただきましょう。

080625n103.jpgお送りいただいた写真は1965(昭和40)年8月撮影のものと、ほぼ5年後の1970(昭和45)年6月に撮影されたもので、見事に「定点観測」となっています。この5年間で最大の変化は、武庫川線の車輌の交代はもとより、国鉄からの直通貨物輸送用の三線軌条が撤去されたことでしょう。軍需工場への物資・人員輸送という本来の使命を物語る痕跡は1960年代後半に消え去ったことになります。

▲阪神本線との交差部を南側から見る。東側(川側)の線路のみ三線軌条となっているのがわかるが、前方左手にカーブしてゆくあたりはすでに草生してしまっている。'65.8 P:澤田節夫
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▲武庫川線武庫川駅に停車中の881号。この時点では手前の線路はまだ三線軌条のまま残されている。'65.8 P:澤田節夫
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080625n105.jpgこの武庫川駅以南、つまり現在の阪神武庫川線に相当する区間は1943(昭和18)年7月からわずか100日余りの突貫工事で建設されたものだそうで、「戦時下貴重な銅線の使用をやめ、本邦最初の試みとして電車線に軟鋼を、パンタグラフの摺板に炭素を同時に用いたこと、さらに乗客の大量輸送のため座席なしの立ん坊電車とした」と伝えられています(レイルロード刊『阪神電車形式集2』所収「輸送奉仕の50年」)。
▲上の写真よりほぼ5年後の同ポジション。車輌は3302に代わり、手前の三線軌条は撤去されてしまっている。'70.6.28 P:澤田節夫
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▲洲先にむけて武庫川駅を発車してゆく3302。左側(川側)の線がかつては三線軌条となっており、西宮(甲子園口)からの国鉄直通貨物列車が行き来していた。'70.6.28 P:澤田節夫
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やはり同書によれば、空襲で頓挫しなければ武庫川尻付近で川を渡り、尼崎の工場地帯を貫いて海岸線に連絡する計画だったそうで、「数基の橋脚を建てただけで間もなく終戦となったので中絶された」と記されています。ひょっとすると武庫川線を核とする臨海鉄道網が実現していた可能性もあったわけです。

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※サイン会のお知らせ
お恥ずかしい限りではありますが、下記日程でサイン会を行ないます。
日時:6月28日14時から
場所:書泉グランデ6F
当日『編集長敬白』をお買い求めいただいた方には些少のお土産も用意しておりますのでぜひお越しください。

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