鉄道ホビダス

2008年5月アーカイブ

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先週、諸河 久さんの事務所にお邪魔した際に、「ビネガーシンドローム」という言葉を初めて耳にしました。3年ほど前、このブログでも問題提起したことがありますが(アーカイブ「あなたのネガは大丈夫ですか」参照)、ここ数年急激に広がってきている古いモノクロ・ネガフィルムの加水分解現象を「ビネガーシンドローム」と言うのだそうで、専門誌『写真工業』最新号で詳しく解説されているとのこと。

080531n2.jpgさっそく同誌を入手して、日本写真家協会の松本徳彦さんの記事「そこが知りたい フィルムのビネガーシンドローム」を読んでみました。それによると、従来は1953(昭和28)年以前に製造された酢酸セルロース(セルローストリアセテート)を用いたフィルム特有の現象と認識されていた加水分解による劣化が、近年1960年代のフィルムでも散見されるようになり、昨年「わが国の写真フィルムの保存・活用に関する調査研究」を文化庁から委嘱された社団法人日本写真家協会としても問題視しはじめているのだそうです。
▲“発症”したネガ。酢酸臭が強まり、スリーブ周囲のパーフォレーション部よりカーリングが始まっている。
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改めて身の回りの加水分解現象=ビネガーシンドローム事例についてご紹介いたしましょう。まず、最初は外見上は異常が認められないものの、ネガをケースから取り出すとやけに酢酸臭が感じられるようになります。この時点ですでに“発症”してしまっており、後述するように、タチの悪いことに一旦発症してしまったら、現状では基本的に進行を止めることはできません。次にパーフォレーション部からの収縮が始まり、さらに表面にべとつき(糊稠)や結晶の析出が認められるようになります。次第にカーリング(収縮)が強まり、最終的には画像の剥離を伴ってストロー状に丸まってしまい、開くことさえ困難となってしまいます。

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本誌はもとより、『国鉄時代』でも多くの皆さんから古いネガをお借りいたしますが、このところビネガーシンドロームに罹ってしまっていると思われる事例があとをたちません。実は数年前までは、昭和40年以前の特定メーカーの35ミリフィルムだけと認識していたのですが、最近では1970年代、つまりいわゆる“SLブーム”真っただ中のものまで“発症”しているものが見られるようになってきています。メーカーも“傾向”はあるものの決して特定ではなく、諸河さんの事務所で見せていただいた発症例には何とシノゴ(4×5インチ判)さえありました。
▲再び例に挙げて申し訳ないが、「あなたのネガは大丈夫ですか」の際にご紹介した高井薫平さんの『軽便追想』時代のネガ。強烈な酢酸臭とともにストロー状に丸まってしまっている。

言うまでもなく、ネガは私たちの何ものにも代えられない命のようなものです。引っ越しの際にもネガケースだけは業者任せにせず自分で運んだ…というような話も良く耳にします。それだけに蔓延しつつあるこのビネガーシンドロームは死活問題とさえ言えるでしょう。

080531n3.jpgさらに恐ろしいのはこのビネガーシンドローム、“感染”するのです。発症してしまったが最後、抜本的解決策はありませんが、松本さんの記事によれば、対症療法としては、酢酸臭など少しでもビネガーシンドロームが疑われるネガはすぐにほかのネガから「隔離」する。ネガケースを無酸性の紙製のものに替え、低温低湿(理想的には14?18℃、湿度35?45%以下)の環境に移す、などがせめてなしえる処置だそうです。もちろん現在では、症状が悪化する前にスキャナーで取り込んでデータ化しておくのが禍根を残さない最良の方法でしょう。
▲『写真工業』6月号の松本徳彦さんの2ページにわたる記事「フィルムのビネガーシンドローム」。

ちょうど週末。このブログを読まれた方はすぐにネガの保管ケースを再確認されることをおすすめします。しばらく見ない間に、あなたのネガもビネガーシンドロームに罹っているかもしれません。

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さらに進化するDMV。

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▲トヨタ自動車のマイクロバス「コースター」を基本に定員拡大を図った新型DMV外観イメージ図。“DMV920”の車体標記とともに“ダーウィン”のロゴも…。(JR北海道提供)
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昨年4月14日より“試験的営業運行”を行なっているJR北海道のDMV(デュアル・モード・ビークル)DMV911・912(アーカイブ「いよいよ始まる“DMV時代”」参照、試作車DMV901は「“DMV”岳南鉄道をゆく」参照)ですが、1輌あたり16人という定員の少なさが今後解決すべき大きな課題となっていました。このたびJR北海道は、トヨタ自動車グループの協力を得て、定員拡大を図った新型DMVの開発に取り組むことを明らかにしました。

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▲トヨタ自動車グループからの技術的協力の概要。マイクロバス「コースター」の前軸を独立懸架方式から車軸懸架方式へと変更し、耐荷重性を向上させる。(JR北海道提供)
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▲さらに詳しい懸架方式の改造概要。車軸懸架方式は基本的に中型トラック「レンジャー」の技術を用いる。(JR北海道提供)
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トヨタ自動車グループからの具体的な協力内容は、マイクロバス「コースター」(ロングボディー)の足回りを耐荷重性の高い懸架方式に改造してもらい、自動車完成検査証の交付を受けたうえで提供を受けるというもので、JR北海道はこの“種車”をもとにさらにDMV化改造を施すこととなります。

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▲同時に開発を進めるGPSを用いた新たなシステムと、踏切遠隔操作など新技術の数々。すでに位置検知システム等は開発済み。(JR北海道提供)
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鉄道用走行部分を併せ持つDMVの場合、どうしても車輌重量そのものが増加してしまい(DMV911・912形の場合、車輌重量は約6t)、道路走行時の耐荷重がひとつのネックとなっていましたが、今回、前輪の懸架方式を独立懸架方式からトラックと同様の車軸懸架方式に改造することによって、前輪許容荷重は2.6tから3.5tに、総許容荷重も6.4tから7.3tに増大することになります。これによって定員も25人(目標)と、在来車の5割以上の拡大が可能となります。

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▲実用化にいたる今後の試験スケジュール。本格的実用化は平成23年度以降とされている。(JR北海道提供)

さらに、すでに開発済みのGPSを用いた位置検知システムを発展させて、列車間隔制御システムなどを開発するほか、車輌からの踏切の遠隔制御などの新システムにも取り組んでゆく予定だそうです。なお、7月7日から開催される北海道洞爺湖サミットに合わせ、7月4日?10日の7日間、洞爺湖ビジターセンター駐車場において、国内外の報道機関向けにDMVの走行デモンストレーションが行なわれる計画です。北海道が生んだ逆転の発想=DMVも、いよいよグローバルワイドなステージへとさらなる進化を遂げることになります。

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能勢電100周年。

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▲能勢電気軌道時代の風情をとどめる妙見口?ときわ台間をゆく復元塗色車1500‐1550。マルーンとベージュのカラーリングが新緑に良く似合う。'08.5.11 P:高間恒雄
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昨日の神戸電鉄6000系に続いて関西の話題が続きますが、先般RMライブラリー『能勢電むかしばなし』をご執筆いただいた高間恒雄さんから、能勢電鉄創立100周年記念として、旧塗色復活の話題をお送りいただきましたので、今日はさっそく最新の画像を交えてご覧いただきましょう。

DSC_3385n.jpg塗り替えられたのは1500系2連2本。それぞれが以前の塗装2種類に戻されています。1編成(1500-1550)は1500系大型冷房車デビュー時に採用されたマルーンに窓まわりベージュ(昭和58年8月?平成4年8月)、もう1編成(1510-1560)は1994(平成6)年3月から2003(平成15)年8月まで使用されていた能勢電最後のオリジナルカラーに塗り替えられ、両編成ともに「100周年記念号」創立100周年のヘッドマークを掲出して運転されています。
▲能勢妙見宮への参道入口として今も特有の佇まいを残す妙見口駅。'08.5.11 高間恒雄
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去る5月24日には「100周年記念・のせでんレールウェイフェスティバル」のイベント列車として、川西能勢口?平野間を2編成がそれぞれ2往復し注目を浴びたそうですが、この復活塗装はまだまだ来年3月頃まで運転される予定で、夏休みを通して人気を集めそうです。

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▲「100周年記念・のせでんレールウェイフェスティバル」のイベント列車として“本線走行”に臨む1510-1560(上)と1500-1550(下)。もちろん通常は2連の走行シーンは目にすることができない。'08.5.24 滝山/鼓滝 高間恒雄
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なお、この2連は山下?日生中央および山下?妙見口で朝ラッシュ終了後に運転されているもので、阪急接続駅の川西能勢口でいくら待っていても現れないのでご注意のほどを…。日中は川西能勢口からは10分ヘッドで日生中央行きと妙見口行きが交互に運転されていますが、分岐する山下からは直通車は20分ヘッドとなるため、この間に両方向に区間列車が運転されており、通常はこの2連が充当されているそうです。ちなみに、1510-1560は正面デザインが他とはことなりヒゲ付ですが、もとはといえば1500-1550の間に挟まっていた2輌を抜いて先頭車に復元した車輌です。

DSC_4525n.jpg余談ながら、高間さんから伺ったなかで面白いのは、山下?日生中央の区間運転です。図解しないとなかなかわかり難いのですが、乗り換えの便をはかるため、日生中央から山下に到着した折り返し列車は、まず山下駅2号線(川西能勢口方面)で旅客扱い後、お客さんを乗せたまま、一旦逆方向の川西能勢口方向に逆送のかたちで走行して転線し、もういちど山下駅の反対側の1号線ホーム(日生中央方面)に停車して再び旅客扱いをして、日生中央に向いて発車します。まさにビデオ向きのシーンと言えるでしょう。なお日生線内は全線高架のため撮影はむずかしく、山下駅がおすすめ。妙見線はときわ台?妙見口が昔の風情で撮影できるのでおすすめ…とのことです。
▲一般塗色編成にも100周年の記念ヘッドマークが取り付けられている。'08.5.24 多田 高間恒雄
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神戸電鉄6000系登場。

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▲黒を基調とした独特の前面デザインは、よくみると立体的な造形に仕上げてある。この6000系は6月4日からの営業運転が予定されている。'08.5.28 道場南口駅留置線 P:RM(高橋一嘉)
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レイル・マガジン本誌でもイラストをご紹介した神戸電鉄の新型電車6000系が完成し、5月27日に報道公開されました。この6000系は神戸電鉄としては1994年にデビューした5000系以来の新系列で、神鉄初のステンレス車体を採用、これまでの2000系、5000系に比べ外観デザインが一新されており、車体色もステンレスの地色に黒と金、そして神鉄カラーの赤を組み合わせた全く新しいものとなっています。

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▲いよいよ姿を現した神鉄6000系。1000番代の普通鋼製車のグループ、初のアルミ車3000系、クリーム色に赤帯の2000系・5000系に次いで、神鉄電車としては第4の顔ということになる。'08.5.28 道場南口駅留置線 P:RM(高橋一嘉)
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▲従来のイメージを踏襲しつつ快適性が向上した車内。側窓にはUVカットガラスを採用。側扉上には2画面のLCDが千鳥に配置される。'08.5.28 道場南口駅留置線 P:RM(高橋一嘉)
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shintetsu_03n.jpg一方、車内は木目調の壁面、白い天井、グリーンの腰掛など従来のイメージを踏襲していますが、室内空間の拡大、側窓の大型化、1人当たりの座席幅の拡大、側扉上の案内表示器のLCD化など、各部で快適性の向上が図られており、床面も5000系に比べ40mm下げられています。また貫通路への自動扉の採用はロングシート車としては特筆されるものでしょう。ちなみに腰掛は昨今の新型電車の例に違わず片持式となりましたが、座面は従来と同じように厚みのある柔らかいものが採用されています。
▲自動扉となった貫通扉はノブに手をかけるとセンサーで作動する仕組み。各車に配置される車椅子スペースには折りたたみ式の腰掛が設置されている。'08.5.28 道場南口駅留置線 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転台は従来と同じく左手マスコン、右手ブレーキの配置。'08.5.28 道場南口駅留置線 P:RM(高橋一嘉)
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編成は5000系と同じくオールMの4輌編成で、6月4日からの営業運転が予定されています。神戸近郊の通勤路線であるとともに、日本有数の山岳路線でもある神鉄に新たな魅力が加わることになります。

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▲6000系主要諸元表および形式図。(6000系パンフレットより/神戸電鉄提供)
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“国見山”のオアカー。

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▲海岸貯鉱槽付近で休むED2。もと南海のED5108で、1923(大正12)年梅鉢製とされる。前任はさらに古い大阪高野鉄道工場製凸電が務めていたが、この時点ではすでに跡形もなかった。'91.9.22

比較的近年まで命脈を保っていたにも関わらず、なぜか縁が薄かった専用鉄道に国見山三重鉱山㈱三重鉱業所の鉱石輸送鉄道があります。三重県は熊野灘に面した南伊勢町(当時は南島町)に存在した全長3.18㎞のこの鉄道は、とにかく交通不便で、紀勢本線からもひと山離れたまさに陸の孤島に位置していました。

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▲大阪セメント伊吹工場より転籍してきたという2軸鉱車。若松車輌製とされるが、その流転の生涯は謎に包まれていた。上部は嵩上げ改造されている。'91.9.22

紀伊半島自体は、さらに奥深い紀州鉱山へ足しげく通っていたにも関わらず、なぜかこの国見山へは足が向きませんでした。アプローチしにくいこともありましたが、今さら思えば車輌のバラエティーが限られていることも一因だったのかもしれません。

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▲ED2との連結面(左)。編成とは直通制動が可能となっている。鉱車の軸受はもちろん原始的なシュー式(右)。'91.9.22
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1991(平成3)年に訪れたこの時も、レンタカーを蹴ってはるばるやってきたにも関わらず運休中。結局、神前湾の海岸貯鉱槽線に留置されている編成を撮影するだけで引き上げざるをえない体たらくでした。

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▲鉱車の下回りを見る。制輪子が激しく減っているのが見てとれる。車輌中央にポケットのシュートがあるため、空気溜めやブレーキシリンダーは台枠上に位置し、凝ったリンケージでブレーキハンガーを作動させているのがわかる。'91.9.22
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留置された編成は、唯一の機関車であるED2を先頭に、セム1形に似た2軸鉱車を9輌連ねたもの。南海崩れの凸電にはもちろん興味を引かれたものの、この古典的なオアカーにも興味津々で、どうせ運休とあっては車輌のディテール写真でもと撮影したのが今回お目にかける一連の写真です。

080527009n.jpgまたの機会に…と毎度の思いで立ち去ったのですが、しばらくのちにセキ系のボギー鉱車が投入され、この2軸鉱車はお払い箱となってしまいました。いくら電機が由緒あるオールドタイマーとはいえ、うしろに続くオアカーがセキでは…と贅沢な御託を並べているうちに、今度はDLが投入されて非電化に。電機さえ戦列を離れてしまい、結局そのまま再訪するチャンスは訪れぬまま、いつの間にか線路そのものが廃止となってしまいました。
▲シュートの開閉装置部。ストッパーを外すとシュートが開き、チェーンで閉める極めて原始的な方式。'91.9.22
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たまたま行った日に限ってお目当ての車輌が動いていなかったという話はこの世界につきもので、これが国内のみならず海外ともなろうものなら目もあてられません。ただ、この国見山の場合は、考えようによっては、動いていなかったからこそオアカーのディテールをじっくり観察できた、いわばけがの功名と言えるのかもしれません。

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▲「エコーワールド2008 ジオラマコンペティション」エントリー作品から。加瀬康之さんの「東龍野町界隈」は600×400㎜のスペースに11棟のストラクチャーが建ち並ぶ。路地の奥にまで見れば見るほど“発見”があり、思わず顔が緩んでしまう。P:RMM(青柳 明)

1/80スケールの鉄道模型を手がける方なら、「エコーモデル」の名前を知らなかろうはずがありません。1960?1970年代初頭のTMS誌上で、信じられないような工作力とセンスで次々とレイアウトやストラクチャーを発表された阿部敏幸さんが「エコーモデル」を創業されてから35年、その気さくなお人柄と圧倒的な品揃えは、モデラーにとってずっと何ものにも代えがたい存在であり続けてきました。

no2%2Camano.jpgそのエコーモデル初の単独エキジビション「エコーモデル・その世界」展が、来週6月4日(水曜日)から東京・丸の内のトレンドスポット「丸の内オアゾ」内の丸善丸の内本店ギャラリーで開催されます。昭和ブームのはるか以前、まさに昭和真っ只中のアマチュアの時代から、一貫して昭和30年代を中心とした温もりのある情景をレイアウト上に再現しようと努めてこられた阿部さんだけに、今回のエキジビションは“超ミニチュアで見る、昭和の情景”をサブタイトルに、ギャラリーすべてを1/80スケールの「昭和」で埋め尽くそうという壮大な目論見です。
▲エントリー作品から天野 宏さんの「昭和の情景」。リヤカー、電話ボックス、そしてお約束のミゼットが雰囲気を盛り上げる。P:RMM(青柳 明)
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▲増池正和さんの「通りの酒屋 昭和54年冬」は、建植されたばかりのコンクリート電柱や自販機など、自らの心象風景としての「昭和」が30年代ではなく50年代であることをアピール。スクラッチしたビールケースなど各所に小技が効いている。P:RMM(青柳 明)

エコーモデルが協力した映画「三丁目の夕日」にちなむコーナーも必見ですが、何といっても注目なのは、かねてより一般公募していた「エコーワールド2008 ジオラマコンペティション」の受賞作品が実際に見られることでしょう。実は私も審査員を仰せつかっておりまして、すでに特選1作品、入選3作品、佳作5作品、準佳作2作品、合計11作品は決定しているのですが、その結果はオープン初日に会場でご覧いただくことにして、今日は11作品の中からいくつかの場面をダイジェストとしてお目にかけましょう。

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▲「ミシン商会」と名づけられた星野景一さんの作品は、300×170㎜の小スペースに併用軌道前の商家を再現。P:RMM(青柳 明)

ところでこの展覧会、模型だけでなく“写真”も見モノなのを申し添えておかねばなりません。実は阿部さん、1960年代から鉄道ばかりか街の情景にも熱心にカメラを向けられており、今回はそれらの写真も展示されるのです。昭和30年代の交通違反取締りやデパートの内部といった、鉄道には直接関係はないものの、色濃く時代を映し出した写真の数々は、必見であるとともに、「エコーワールド」の原点を見る思いがします。

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▲おでん屋の赤提灯が灯り、よっぱらいのおじさんが立ちション…いかにもエコーモデルのコンペ応募作品らしいウィットは新井一雄さんの「酔曜日の夜」。P:RMM(青柳 明)

6月7日(土曜日)、8日(日曜日)の14時からは会場内のイベントスペースで、『地鉄電車慕情』の宮下洋一さんと、NHK趣味悠々の講師としてお馴染みの諸星昭弘さんによるトークショーも予定されております。司会は私が務めさせていただく予定で、ご両人による“逸品”のご開帳もお願いしております。ぜひお立ち寄りいただければと思います。
■開催スケジュール
2008年6月4日(水)?12日(木) 9:00?21:00
※最終日のみ15:00閉場
■会場
丸善・丸の内本店4階ギャラリー
※JR「東京駅」丸の内北口 徒歩約1分。
■入場料:無料
■主催:エコーモデル
■内容
オリジナル製品展示、有名作家作品展示、「エコーワールド2008/ジオラマコンペティション」受賞作品展示コーナー、「三丁目の夕日」コーナー、「写真で見る昭和の情景」コーナー、「模型で見る昭和の代表的な列車達」コーナー、物販コーナー、休憩コーナー

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▲昨年末、修復に取り掛かる前のホイットカム。ラジエーターは山田機械製、エンジンは加藤製作所製に振り替えられてはいるものの、オリジナルの雰囲気は色濃く残っている。'07.12.2 P:名取紀之
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今年も沼田の「よみがえれボールドウィン実行委員会」の活動が始まりました。一昨年のボールドウィン、昨年の協三工業製DLに続いて今年の修復対象は1926(大正15)年製のホイットカム製古典ガソリン機関車(アーカイブ「今年も始まる沼田の修復プロジェクト」参照)。自重4tと極めて小柄、かつ構造的にもシンプルな機関車だけに、果たして一年の作業でどこまで復元できるのか期待が膨らみます。

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▲まずは隣接線の客車を展示棟内へと移動させるために仮設軌道を敷設する(左)。新品の枕木に新品のレールを締結し、ようやく客車を室内へ(右)。ここまでで午前中の作業は終了。'08.5.18 P:木村一博
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第1回の修復作業は去る5月18日に行われ、今回も広報担当の木村一博さんが詳細なレポートを送ってくれました。それによると、第1回の作業の主眼は展示線の最奥に入っていたホイットカムを今後の作業がしやすい手前に引き出すこと。とは言え、展示線の有効長はほとんどなく、もちろんポイントもないことから一筋縄ではゆかない大仕事だったようです。

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▲昨年修復した協三製DLを客車があった位置まで押し込む(左)。ホイットカムの前に仮設線路を設け、協三がいる横の線路側へと方向を変える(右)'08.5.18 P:木村一博
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展示線は上屋があるため重機で吊ることもできず、結局新たにレールを購入して既設線路の有効長さを伸ばしつつ、ホイットカムの載っている線路を仮設線路で徐々に横に振って手前に引き出す作業となりました。

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▲仮設線路上を手で押してホイットカムを協三の前へと移動(左)。横にはボールドウィンがいるためこのような大掛かりな転線作業となった(右)。'08.5.18 P:木村一博
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whitcomb%2Cfig1n.jpg結局、丸一日かけてホイットカムはボールドウィンと並ぶ最前列に引き出され、次回、第2回目からいよいよ車輌そのものの修復作業に入ることとなります。大正時代に輸入された本機は、森林鉄道用としてはもとより、わが国にとって極めて黎明期の内燃機関車の1輌であり、修復作業の過程で思わぬ発見もあるのではと期待されます。今後の予定は以下のとおりで、今年も飛び込みでの参加、見学が可能とのことですので、興味のある方はぜひお出でになってみられては如何でしょうか。
▲最盛期のホイットカム社製品カタログ(1928年版)表紙。鋳鉄台枠側面に沼田の個体にも見られる矩形のエッチング製製造銘板が見える。

・第2回修復作業 6月15日(日曜日)
・第3回修復作業 7月13日(日曜日)
・第4回修復作業 8月17日(日曜日)
・第5回修復作業 9月14日(日曜日) 
・第6回修復作業 10月5日(日曜日)
※いずれも9:30受付/10:00作業開始

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▲同じくカタログに見るパワートレーン。キャブ床下には変速機とスライドコッターを用いた逆転機が収まっている。

なお、昨年好評を博した「根利森林鉄道まつり」が今年も予定されているそうです。その際には見違えるように綺麗になったホイットカムの姿が見られるに違いありません。
・「2008 根利森林鉄道まつり」(予定)
10月19日(日曜日)/ただし作業の進捗状況によっては10月5日(日曜日)に開催の可能性も。詳しくは決定次第、改めて小ブログでもお知らせいたします。

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▲丸一日をかけてようやくホイットカムをボールドウィンと並ぶ一番前に入換えた。適度な疲労感とともに全員で記念撮影。'08.5.18 P:木村一博
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横浜にC58が走った日。

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▲山下公園の高島貨物線高架橋をゆくC58 1。マリンタワーとホテルニューグランドは当時の横浜の象徴的存在であった。'80.6
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今から28年前、1980(昭和55)年のちょうど今頃、首都圏のファンは高島貨物線で走るC58 1の話題でもちきりでした。横浜商工会議所が横浜港の開港120周年を記念して、高島貨物線の東横浜?山下埠頭間にC58牽引の記念列車を6月13日(金曜日)から15日(日曜日)まで3日間走らせるというのです。

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▲“キリン”と通称されるクレーン群をバックに新港埠頭付近をゆく。現在のみなとみらい21地区も当時はまだ造船と港湾荷役の最前線だった。'80.6
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国鉄本線蒸機がその姿を消してから5年、前年には山口線で「SLやまぐち号」の運転が始まったとはいえ、多くの蒸機ファンにとって茫然自失とした日々は続いていました。そんな中での首都圏での蒸機復活ですから、期間限定とはいえ気運が高まるのも無理からぬことです。使用されるC58 1はC57 1の予備機として前年の7月から9月にかけて鷹取工場で全般検査を受けたばかりで、山口線仕様の集煙装置搭載は別としても、グリーンの形式入りナンバープレートも凛々しく戦列復帰を遂げていました。

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▲国鉄無煙化から5年、待望久しい蒸気機関車がほかならぬ首都圏を走るとあって、沿線各所にカメラの砲列ができた。もちろんデジカメなどあろうはずもなく、改めて写真を拡大してカメラのラインナップを眺めてみると、時代が鮮やかに浮かび上がる。'80.6.15
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C58 1は1972(昭和47)年8月まで20年以上にわたって北見機関区に所属した機関車で、いわゆる“SLブーム”のさなかに渡道したファンにとっては旧友のような存在でもあります。それだけに、ひさしぶりに取り出してきた愛機を構えるファンの姿も少なくありませんでした。

yokohamac58n7.jpgただ、いかんせん東横浜?山下埠頭間は撮影ポイントが限られているうえに、混乱を警戒した規制線が各所に張り巡らされており、決して満足のゆく写真が撮影できる環境ではありませんでした。
実はこの時、私はキネマ旬報社が発行していた『蒸気機関車』誌の学生バイトとして編集アシスタントを務めており、現地に集まったファンの皆さんにインタビュー取材をして回る役目を仰せつかっていました。C58の記念列車そのものより、蒸し暑い万国橋周辺を、慣れないネクタイを締め、テレコを下げてお話を聞いて回った記憶の方が鮮明に残っています。なお、この時の取材成果は同誌1980年9月号(№69)に2ページにわたって編集部名で掲載されております。
▲山下埠頭を出るC58 1。普段は観光客の姿も少ないこの地区にも規制線が張られ、“SL”を一目見ようというギャラリーが詰めかけた。'80.6
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▲東横浜を出る試運転列車。当時C58 1はC57 1の予備機として山口線で活躍していたため集煙装置を搭載していた。'80.6
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話が脱線ついでに、当時私は同誌の読者投稿ページと活版ページの一部を担当させていただいておりましたが、運転直前、5月発売の7月号(№68)活版ページで「C58 1はここを走る」と題した4段抜きの簡単なガイドを紹介いたしました。「両側が海なので景色もなかなかおもしろく」やら「ここからだと氷川丸もよい位置にはいる」やら、まさに今で言うところの“お立ち台”ガイドですが、この著者が誰あろう今『国鉄時代』を編集している山下修司でした。まさか28年後に同じ会社で机を並べていようとは…横浜港のC58の写真を見るたびに、そんな奇遇も思い起こされてなりません。

下津井の忘れ形見。

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▲かなり荒廃してはいるものの、高架下ということもあってか、辛うじて姿を保っているクハ6。1931(昭和6)年日車製の気動車カハ6を電化時に制御車化したもので、外観は鮮魚台付きの気動車そのものである。'00.7.2
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瀬戸大橋をのぞみながら懸命の延命努力を続けていた下津井電鉄が力尽きてから早いもので18年の歳月が流れようとしています。2フィート6インチ軌間の新製電車として注目を浴びた「メリーベル号」落成(1988年)の際は試乗会にもご招待いただき、その昂奮さめやらぬまま本誌新車紹介を編集したのが、つい先日のようです。

shimotui523.2.jpgさて、その下津井電鉄の車輌が山陽新幹線の高架下に保存されているのをご存知でしょうか。「メリーベル号」を含め、最後に残った車輌の多くは今もって旧下津井駅跡に残されているようですが(ただし非公開)、それとは別に鮮魚台付きの制御客車とオープンデッキの木造客車、それに木造ボギー貨車の3輌が瀬戸内市(旧長船町)の新幹線高架下に残されているのです。場所は赤穂線香登駅の西側、国道2号線サービスエリア奥の新幹線吉井川橋梁手前で、一応公園らしいのですが、私が現地に行った8年前の時点ではただ漠然と高架下に置いてある…といった風情でした。
▲山陽新幹線の高架下にひっそりと保存されている3輌の下津井の忘れ形見たち。'00.7.2
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▲ホハフ2は味野町(のちの児島)~茶屋町間の開業にあたって清水鉄工所で新製された由緒あるボギー客車。デッキ部の手すり類は失われているが、廃車は1958(昭和33)というから、現在まで木造のその姿を保っているのは奇跡的とも言えよう。'00.7.2
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あまり顧みられることもなく高架下に残されているのはクハ6、ホハフ2、ホワ10の3輌。クハ6は僚車クハ5が、ホワ10は同じくホワ6が下津井に残されていると聞きますが、ホハフ2は同形車が他所に残されておらず、下津井創業期の車輌としてのみならず、バッファー・リンクの木造ボギー客車としても極めて貴重な個体です。

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▲木造ボギー有蓋車ホワ10もしっかりとその姿を留めている。アーチバー台車にバッファー・リンク式の連結器とディテールの観察にも好題材だろう。'00.7.2
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訪れてから8年…消息を耳にしないだけにその後を案じておりましたが、最近になって再塗装を施されたとのことで、ちょっとひと安心といったところでしょうか。山陽新幹線に乗るたびに、吉井川を目印に「ちょうどこの下にあの下津井の忘れ形見の3輌がいるはず」と思いを巡らせてしまいます。

rm298h1.jpg昨日発売となった本誌298号はもうご覧いただけたでしょうか。今月の特集は毎年この季節の恒例ともなっている「貨物列車」。本年3月のダイヤ改正では、東京(隅田川)→札幌(札幌タ)間3057列車が初めて16時間台(16時間59分)の速達化を達成するなど、各地域の列車の速達化や、東海道・北陸・上越線に新たなコンテナ列車が設定されるなど、コンテナ輸送のより一層の拡充が図られました。またこれにともなって28輌の機関車が新製されたほか、コキ106が150輌、コンテナ(19D、19G、19C、V19C形)が実に4000個新製されるなど、輸送機材の世代交代も急速に進行しています。

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今年もJR貨物のご協力を得てこの改正にともなう列車と車輌の動きを詳しく解説いただいたほか、ファンにとってはたいへん気になる貨物機関車の現況を、直流電気機関車、交直流電気機関車、交流電気機関車、ディーゼル機関車、電車の順に形式別にご紹介いただいております。

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さらに知られざる活躍を続ける首都圏のDE10、大物車が往来する小山の高岳製作所専用線、北陸・伏木界隈の貨物列車の現況をお伝えするとともに、四日市周辺のDD51や石灰石貨物輸送に活躍するDD51、DE10の撮影地ガイドも収録しております。

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もちろん毎年大好評をいただいている別冊『JR貨物全機関車運用表(高速貨物・専用貨物列車最新時刻表付)』も付録しております。

rm298.83.jpgもうひとつ、いよいよ引退が間近となった名鉄パノラマカーの小特集も見逃せません。先般小ブログでもご紹介(アーカイブ「名鉄パノラマカーに乗る」参照)したように、47年もの歴史を持つ名車が来年度までに消え去ろうとしています。しかもこの6月29日(日曜日)に予定されているダイヤ改正で運用編成は激減し、4輌編成3本(12輌)のみとなってしまう見込みです。そうなると乗車はおろか目撃することさえ難しくなってしまうと予想され、今月号では急遽、最新のパノラマカーの現況、撮影地ガイドを貴重な資料を織り交ぜながらご紹介しております。

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このほかデビュー当時のクリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号の塗色に復元されて運用を開始したJR西日本0系新幹線電車や、JR東日本の電気機関車EF65 501の全検出場、JR東日本209系訓練車の登場といった話題も見逃ません。
rm298%2069.jpg好評の連載「“SL甲組”の肖像」は、「奥羽の脊梁を越えて」と題して盛岡機関区北上支区を取り上げます。北上と横手を結ぶ横黒線(現在の北上線)は、東北本線や奥羽本線に支障が生じた場合は迂回経路として真っ先に選ばれていました。そのため一度迂回運転が始まると、支区総出でその任務にあたったと言います。そのような苦労をはじめ、常日頃より奥羽山脈を越える乗務員の苦闘が誌面で甦ります。

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昨年末にスタートを切った「ホビダス・ステーション」のエントリーがついに1000駅を突破いたしました。この「ホビダス・ステーション」は、ご投稿いただいた皆さんの写真で日本全国の駅を埋めてゆこうという壮大なプロジェクトで、駅写真のみならず、地図から航空写真、さらにはその縮小拡大など、クリックひとつで縦横無尽に展開する利便性はまさにウェッブならではのものです。

stn102n.jpgまだお試しになられていない方のために、今日は例として釧網本線の摩周駅を探してみることにいたしましょう。
まず「鉄道ホビダス」トップページから「ホビダス・ステーション」をクリックします(左上)。「ホビダス・ステーション」のトップページ(右上)が出たら、日本地図から北海道の部分をクリックするか、右側の「エリアから探す」で北海道エリアをクリックします。
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北海道エリア内で駅の写真がアップされている路線名が表示(右)されますので、釧網本線のバナーをクリックします

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投稿がすでにエントリーされている釧網本線の駅が地図上に風船のようなマーカーで表示されます(左上)。また右上部分にもテキストで表示されます。なお下部分はその路線で最近に投稿された5駅が表示されます。さらに地図上のマーカーをクリックすると、駅名が表示され(右上)、その駅のページへジャンプすることができます。

stn105n.jpg摩周駅のページが表示されました。駅の写真とともにエリア地図も表示されます。さらにエリア地図内右上の「航空写真」のアイコンをクリックすると、グーグルの航空写真に表示を変えることが可能で、もちろんこれまた拡大・縮小なども自由自在。ここからさらに別の駅を探す場合には右側の検索ウィンドウに駅名を入れて検索すると、該当する駅が登録されている場合は、検索結果が表示されます。(検索結果で表示されない場合はまだその駅が投稿されていませんので、その場合は是非ご投稿をお願いします。)
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この「ホビダス・ステーション」、ふだん通学・通勤で利用する駅から、旅行途中に見かけた気になる駅までどんどんご投稿いただき(基本的に1駅1枚先着順、ただし駅舎改築などの変化があった場合には随時更新いたします)、いずれは日本全国のJR・民鉄駅すべてを網羅する巨大データベースとしてゆくつもりです。現在、わが国の普通鉄道・軌道の駅は約9,000、鋼索鉄道等を含めると約10,000…まだようやく10分の1程度が埋まったに過ぎませんが、決して遠くない将来、「あと○駅」とカウントダウンができる日が来るはずです。

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▲内観イメージ。歴代新幹線車輌とともにモハ52などの姿も…。(JR東海提供)
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かねてより計画されていたJR東海独自の博物館構想がより具体的な形として本日プレス発表されました。リリースによれば、昨年4月、名古屋市から金城ふ頭での「モノづくり文化交流拠点構想」を実現するためJR東海に対して参画の要請があり、これを受けて「JR東海博物館」(仮称)を建設することになったとのことです。

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▲外観イメージ。近代的な建物外観はどことなく高速鉄道車輌をイメージさせる。(JR東海提供)

この「JR東海博物館」(仮称)は、現在の東海道新幹線を中心に、そこに至るまでの経緯、次の世代のリニア車輌の展示を通じて“高速鉄道技術の進歩”を紹介するとともに、鉄道が社会に与えた影響を、経済・文化及び生活などの切り口で『学習する場』を提供することをコンセプトとし、子どもたちが楽しく学べるよう、模型やシミュレーター等を活用するとともに、バリアフリーにも徹底した配慮がなされる予定だそうです。

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▲「JR東海博物館」(仮称)予定位置。名古屋駅から名古屋臨海高速鉄道あおなみ線で終点の金城ふ頭駅下車。(JR東海提供)

注目の建設予定地ですが、JR名古屋駅よりあおなみ線「金城ふ頭」駅下車徒歩2分ほどの名古屋市港区金城ふ頭に、総工費約55億円をかけて延床面積14,100㎡の博物館建物が新築される計画となっています。発表によると展示車輌は35輌程度、その他、シミュレーター、ジオラマ、シアターなどが計画されています。運営方式はJR東海の直営、開業は2011(平成23)年春とアナウンスされています。

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▲近江鉄道ミュージアムの白眉は東海道電化を担ったED14が4輌全機顔を揃えていること。4号機は国鉄時代を彷彿させる茶色に塗り直されて展示されている。'08.5.4 彦根
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近江鉄道ミュージアムで特筆されるのは、東海道本線電化時に米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社から輸入されたED14形(旧1060形)が全機顔を揃えている点でしょう。同じGE製のED11形(旧1010形)に遅れること3年、1926(大正15)年に東海道に投入された本機は、板台枠の台車にマウントされた連結器にデッキが目を引く60t機で、東海道から中央、飯田、仙山線と転じ、1966(昭和41)年までに国鉄を除籍されています(RMライブラリー『国鉄輸入電機の系譜』参照)。

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▲オフセットしたボンネットが特徴のロコ1101(左)と重厚な面構えのED14(右)。写真のED14 3は正面乗務員扉が木製である点に注意。'08.5.4 彦根
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近江鉄道は1962(昭和37)年に2、3号機を譲受し、続いて1965(昭和40)年に1号機、翌1966(昭和41)年に4号機の払い下げを受けて、4輌全機を結集させます。この国鉄→近江の移籍の間に一時西武鉄道が3号機を借り受け、社紋まで標記して使われていたのは、かつて小ブログ上で衝撃のレポートがあったとおりです(アーカイブ「衝撃! 安比奈はED14だった!」参照)。

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▲茶色に塗り直されたED14 4はゼネラル・エレクトリック製電機の特徴でもある田の字窓を側面の一部に残している。なお、本機はまだ車籍を保っている。'08.5.4 彦根
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▲「昭和30年改造」と記されたED14 1の国鉄大宮工場銘板(左)とED4001に残るイングリッシュ・エレクトリック社ディッカー工場の銘板(右)。'08.5.4 彦根
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4輌のED14は正面乗務員扉の形状や側窓の桟形状、ルーバーの形状から正面ナンバープレートの位置まで微妙に異なっており、そのバラエティーに目を凝らすのも一興です。なお、国鉄色の茶色に塗色変更されている4号機と、大宮工場改造銘板の残る1号機はまだ車籍を残しています。

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▲出生工場名から“ディッカー”と愛称されるイングリッシュ・エレクトリック製のED4001は1930(昭和5)年製。東武鉄道が輸入した機関車で、近江鉄道は1973(昭和48)年に譲受している。'08.5.4 彦根
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この5月の公開では“ディッカー”ED4001もパンタグラフを上げた綺麗な状態で展示されていました。もと阪和電気鉄道のロコ1001と合わせ、都合4形式4輌がパンタグラフを上げた姿で撮影できたことになります。係の方も非常に親切で、これで入場料200円とはありがたい限りです。

oumi08517n5.jpgこの近江鉄道ミュージアム、今年は今後、6月14日(土)・15日(日)、7月19日(土)?21日(祝)、8月9日(土)・10日(日)、9月13日(土)?15日(日)・23日(祝)、10月11日(土)?13日(祝)、11月1日(土)?3日(祝)、22日(土)?24日(祝)に開館が予定されているそうです。詳しくは同社HPをご覧いただくとして、ぜひ一度足を向けられては如何でしょうか。

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▲彦根駅跨線橋上から近江鉄道ミュージアムと彦根工場構内を見渡す。画面中央の柵でミュージアムと工場構内が区切られている。工場側手前にはED31 1、2、3、奥にED31 5の廃車体が見える。'08.5.4 彦根
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近江鉄道が所有する11輌の電気機関車のうち5輌がED31です。すでに1、2、5号機は廃車となって除籍されていますが、3,4号機はいまだに車籍を残しているのが奇跡的でもあります。

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▲ミュージアム内に保存展示されているED31 4。ED31は1923(大正12)年の生まれで、車齢85歳を数えるオールドタイマー。'08.5.4 彦根
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近江鉄道ミュージアムではシーズン毎に異なった機関車の運転台を公開しており、先日のゴールデンウィーク期間中はこのED31 4のキャブが公開されておりました。昔、このED31の形式写真を撮りにうかがった際にキャブ内も撮影させていただいたことがあり、同機のキャブに入るのは初めてではないのですが、今回、ふたたびそのプリミティブな運転機器類をじっくりと拝見させていただくことができました。

oumi08518n5.jpg改めてご説明申し上げるまでもなく、ED31は1923(大正12)年に飯田線の前身である伊那電気鉄道が新製した40tBB凸電デキ1形。機械関係は石川島造船所、電気関係は芝浦製作所が担当し、同形6輌が伊那谷で活躍をしていました。戦後国鉄に買収されてED31となり、その後1、2号機は西武鉄道、3?5号機は近江鉄道、6号機は上信電鉄に払い下げられたものの、西武の2輌はわずか5年ほどで近江に再譲渡され、5輌の仲間が近江鉄道に揃うこととなります(RMライブラリー『私鉄買収電機の系譜』参照)。車齢85歳…それにしても、よくぞ1輌たりとも解体されることなく生き残ったものです。
▲機械部分の製造が石川島造船所の手に掛かるためか、どことなく“船舶”の匂いを感じさせる面構え。'08.5.4 彦根
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▲特別公開されていたED31 4のキャブ内を見る。運転室はかなり広いが、中央には巨大な制御器箱が鎮座している。乗務員席からの前方視界は蒸気機関車並みに良くない。絶妙の形状をした手ブレーキハンドル(右)にもご注目。'08.5.4 彦根
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近江鉄道ミュージアム発行のリーフレットによれば、3、4号は1986(昭和61)年10月30日に新八日市?近江八幡間の一般貨物を牽引したのが最後の定期仕業だったそうですが、思えば私が最後に撮った近江鉄道の貨物列車もED31の牽引でした。

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写真ばかりでなく、実はこのED31には少々個人的な思い入れがあります。と言うのも、小学生の頃、このED31の模型をペーパーで自作したことがあるからです。子ども心に妙な形態が印象に残ったこともありますが、なによりも台車がDT10系で容易く手に入るのが一番の理由でした。千枚通しでペーパーにリベットを打ち、それなりの形にはなったものの、あまり走らせる機会もなく、今でも押し入れのどこかに眠っているはずです。
▲台車は釣合梁式のDT10(TR14)系を履く。機関車用というより電車用の台車で、近年でこそほとんど目にする機会はなくなったが、かつては基本の汎用台車であった。'08.5.4 彦根
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訪問時の特別公開がED31と事前に知っていれば、あのペーパーモデルを連れ出して実車と対面させてやればよかった…ふとそんな思いが過ぎるのでした。

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▲ミュージアム内には近江鉄道が保有する11輌の歴史的電気機関車のうち7輌が展示されている。手前両側はED14。'08.5.4 彦根
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国宝・彦根城築城400年祭の一環として昨年開催された「まちなか博物館 近江鉄道ミュージアム」が今年も引き続いて開催されていると聞き、先日拝見しにうかがいました。

oumi08517n6.jpg近江鉄道彦根を訪れるのは6年ぶり。当時、彦根駅東口側は近江鉄道彦根工場のバックヤード的な雑然とした状態で、電車・気動車・貨車など多数の廃車体が入り乱れ、まさにトワイライトゾ?ンで言うところの“魔境”と化していました。それが昨年の「近江鉄道ミュージアム」開館にあわせて整備され、すっかり見違えるようになっていると聞いて出かけてみたのですが、現地に着いてみると、噂に違わず6年前とはまったく様子が変わっていました。
▲再開発が進む彦根駅東口。かつて様々な車輌が留置されていた構内の面影はない。'08.5.4 彦根
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東口にはエスカレーターも整備された連絡跨線橋が設けられ、駅前ロータリーがまさに造成中です。あれほどあった側線の廃車体群は影も形もなくなって、これまた広大な駅前広場に生まれ変わろうとしています。

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▲近江鉄道資料館横の側線にはモーターカーを先頭にした有蓋貨車の編成が保存展示されている。'08.5.4 彦根
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▲館内には閉塞機の実物などのほか公文書など開業時からの歴史的資料の数々が展示されている。また不要部品の即売コーナーもある。'08.5.4 彦根
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「近江鉄道ミュージアム」へはこの東口を出て、今のところは造成中の駅前の空き地を踏み越えてゆくことになります。うかがったのは連休中日の午前中でしたが、朝から家族連れをはじめ次々と来場者が現れ、なかなかの盛況に見受けられました。

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▲当日はED4001、ED31 4、ED14 3、ロコ1101(手前から)の4輌がパンタグラフを上げた状態で展示されていた。またED31 4はキャブ内の見学も可能だった。'08.5.4 彦根
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私鉄の電気機関車が次々とその姿を消してゆくなか、近江鉄道はいまだに11輌ものED級電気機関車を所有しています。もちろん貨物輸送は1988(昭和63)年3月12日(鳥居本?彦根間)をもって廃止となっており、近年までED31が五箇荘の愛知川(えちがわ)側線からのバラスト輸送に用いられることもありましたが、最近はそれも見られないようです。そんな状況にも関わらず、貨物輸送廃止時に所有していたすべての電気機関車を破棄することなく今まで保存してきたのは驚きで、なおかつその歴史的意義を顕彰しようと自らミュージアムを創設したのには頭が下がる思いがします。

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▲鉾田線蒸機の中で、最後まで残ったのはクラウス製の4号機だった。キハ201を加えたミキストが秋の鉾田線を行く。'63.9.21 P:高井薫平(『鹿島鉄道 ?鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線?』より)

毎月ご好評をいただいているRMライブラリー、まもなく発売の第106巻では、昨年多くのファンに惜しまれつつその歩みを止めた『鹿島鉄道?鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線?』をお送りします。

RML106_H1n.jpg鹿島鉄道の歴史は1921(大正10)年10月12日に免許申請が行われた行方鉄道に始まります。社名を鹿島参宮鉄道として常陸小川まで開通したのは1924(大正13)年6月、その後、浜、玉造町と延伸を重ね、鉾田までの全線が開業したのは元号が変わって1929(昭和4)年5月16日のことでした。ちなみに開業時の社名は鹿島神宮への参拝客輸送を意図したものでしたが、ご存知の通り、鹿島神宮はこの鉄道のはるか南東、北浦湖岸に位置しており、実際には途中浜駅から霞ヶ浦を行く航路に接続するルートでした。とはいえ、東京から見れば手前である日本鉄道(現・常磐線)土浦からの航路がすでにあり、また成田鉄道(現・総武線)佐原からの航路も開通していたため、決してメインルートになり得ることはありませんでした。この「名は体を表わさない」状態は1965(昭和40)年の関東鉄道発足により解消されましたが、今もこの「鹿島参宮鉄道」という名称の方が馴染み深い方も多いのではないでしょうか。

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▲その営業距離の割りには鉾田線に足を踏み入れた車輌は驚くほど多く、そのバラエティーも豊かだった。(『鹿島鉄道 ?鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線?』より)
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また、この鉄道には開業時のコッペルや昭和40年代までファンに親しまれたクラウスをはじめ、元東横の流線型ガソリンカー、多数入線した国鉄キハ04・07、北海道生まれの気動車たち、そしてKR-500形まで、機関車・客車・気動車だけでも実に60輌以上の車輌が個性豊かな車輌が入線しては消えていきました。このこともこの鉄道の特徴の一つといえましょう。

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▲気動車王国・関東鉄道の一翼を担っただけに、気動車も百花繚乱の様相を呈していた。ただ、自社発注車は少なく、1936(昭和11)年以降は1989(平成元)年のKR-501形まで実に半世紀も空白が続く。(『鹿島鉄道 ?鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線?』より)
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01pn0856.jpg本書では会社創業に至る経緯から廃止までの歴史を、多くの資料と写真で振り返るとともに、この鉄道を走った全ての機関車、客車、気動車について詳述しております。執筆は沿革部分を中川浩一さんが、また車輌部分は白土貞夫さんが担当されました。また、「鳥瞰図に見る絵師のライバル対決」、「ベルトとプーリーで動力を伝えた石岡機関区付属工場」、「東横電鉄キハ1の思い出」、「パンダ号のこと」など6編のコラムも興味深いもので、この鉄道の魅力を改めて認識させられます。
▲長らく鉾田線の顔であった元東横のキハ1。2輌のうち1輌は1967(昭和42)年に切妻化されており、2輌が顔を揃えたショットは珍しい。'53.4.7 P:中川浩一(『鹿島鉄道 ?鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線?』より)
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廃止から1年あまり、完全に更地と化した石岡駅など、現地では早くもその痕跡が消えつつあると聞きます。在りし日の「かしてつ」をぜひお手にとってご覧下さい。

※今日のNHKラジオ「金曜旅倶楽部」をお聴きになった方から「何か尻切れとんぼだったが…」というメールを頂戴しましたので、少々弁明をば…。実は私がスタジオ入りした時点でも次のゲストの方がお出でになっておらず、オンエア中にあと10分話を繋いでほしいとの指示が。そこで柿沼アナが「音楽のあとも引き続いてお話を伺いましょう」と機転をきかせたのですが、幸いその直後に次のゲストさんが到着。結果として尻切れとんぼな印象となってしまったものです。今日のテーマは「0系新幹線」。実は予定していたプロットはすべて話し終わってしまっており、どう話をもたせようかと冷や汗ものだっただけに、こちらとしては正直なところほっとしました。期せずして「生放送」の大変さを垣間みた気がします。

あの常紋に煙ふたたび。

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▲金華を出て1キロもない151.5kmポスト付近から始まる連続25‰勾配は、R300の急曲線を繰り返しながら、常紋信号場まで延々4キロ近くも続く。遠軽区の9600の後押しを受けながらもD51 608〔北〕の牽く上り貨物は今にも停まりそうな速度で激闘を続ける。'72.3.29 金華?常紋(信)
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このところ蒸気機関車の話題が続きますが、昨日JR北海道から、あの“常紋”に33年ぶりに蒸気機関車の姿が帰ってくるというニュースが飛び込んでまいりましたので、今日はその詳細をお知らせいたしましょう。国鉄現役蒸機を知る世代にとってはまさに“血が騒ぐ”イベントとなるはずで、さっそく渡道プランを練られる方も少なくないのではないでしょうか。

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注目の運転日は6月28日(土曜日)・29日(日曜日)の2日間。運転区間は常紋を挟んだ北見?白滝間で、C11 171が客車4輌を牽引します。もちろん名にし負う常紋越えをC11が単機でこなせようはずもなく、ヘルパーとしてDE10が重連でサポートに当たります。
▲生田原側から常紋隧道を抜けて金華へと駆け下りてゆくD51 1008〔北〕牽引の下り貨物列車。左には引き上げ線で通過退避している上り貨物列車が見える。'72.3.29 金華?常紋(信)
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○運転日:2008年6月28日(土)・29日(日)
○運転区間:北見⇔遠軽⇔白滝
○使用車輌:C11 171+客車4輌(全車指定席) 定員256名
○運転時刻
〔上り〕
北見8:28→留辺蘂9:44→生田原10:14→遠軽10:36‐11:51→丸瀬布12:16→白滝12:44
〔下り〕
白滝13:22→丸瀬布13:50→遠軽14:17‐15:59→生田原16:25→留辺蘂16:57→北見17:33
○編成
北見→遠軽 C11 171+客車4輌+DE+DE
遠軽→白滝 DE+DE+客車4輌+C11 171(逆)
白滝→遠軽 C11 171+客車4輌+DE+DE
遠軽→北見 C11 171(逆)+DE+DE+客車4輌
(指定券発売開始:1ヶ月前の10:00より)

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「SL常紋号」の主要駅発着時刻と編成。当然ながら遠軽でスイッチバックとなって進行方向が変わる。(JR北海道提供)

また、この「SL常紋号」の運転に合わせて沿線ではさまざまなイベントが企画されており、「雨宮21号」が活躍する「丸瀬布いこいの森」(アーカイブ「丸瀬布いこいの森を訪ねる」参照)へも丸瀬布駅からのバス増便などでアクセスが向上する予定だそうです。さらに遠軽周辺の名勝・観光施設をめぐるJR利用者専用アクセスバス「ぐるっと遠軽号」の運転をはじめ、各種記念グッズの販売なども予定されているとのことです。
詳しくはこちら(PDF形式)

足しげく通った常紋ですが、3年ほど前にDD51重連の添乗取材(アーカイブ「常紋の季節」参照)で通過した際は、そのあまりの変貌ぶりに衝撃を受けたものです。『ドキュメント感動の所在地』が伝えるように、あれほど賑やかだった信号場も、今や単なる通過点と化し、もちろん人影はありません。それだけにもう一度、あの“三角山”から羊腸の峠路をゆく蒸機の姿を拝んでみたいものです。

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●16日金曜日のNHKラジオ第1「金曜旅倶楽部」で15時20分頃から5分ほど生放送でお話をします。全国どこでも受信できますので、お時間のある方はぜひお聞きください。
※上のバナーをクリックすると番組案内のHPにとびます。

五月雨の八高線。

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▲1970(昭和45)年秋の無煙化まで、八王子?高麗川間では撮影時間帯に2往復4本のD51重連を捉えることができた。篠つく雨をついて武蔵野の台地を金子へとダッシュするD51重連の2285レ。'70.5 箱根ヶ崎?金子

常日頃から「カメラを手にすれば晴れる」と豪語している自称“晴れ男”の私ですが、もちろん雨に祟られることがないわけではありません。この季節の、今日のような梅雨の走りを思わせる空模様に思い出すのは無煙化前の八高線です。

hachikou705n2.jpg時季的に大した収穫は期待できないとわかってはいても、完全DL化を半年後に控えているとあって、1970(昭和45)年のこの季節は、機会を見つけては八高線へと足を向けました。ところが、なぜか行くたびに雨。秩父連山を遠望する冬の日の清清しさ(アーカイブ「八高線・蒸気機関車最後の冬」参照)とは対象的に、視界は効かないは、露出は出ないはでおのずとモチベーションも下がろうというものです。
▲専貨はD51に任せ、C58はもっぱら一般貨物を担当していた。妙な具合にツツジが画面に入り込んでいるが、次第に強まる雨に木陰に退避しての窮余の一枚。C58は高崎一区の211号機。'70.5 東飯能?高麗川
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▲高麗川には常に何輌もの蒸機がたむろしていた。すでに大宮区の9600の姿はなく、代わりに彼方の転車台付近には真新しいDE10の姿が見える。'70.5 高麗川
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それでも当時は箱根ヶ崎?高麗川あたりをうろうろしていれば、夕方までに15本程度の蒸機列車をファインダーに捉えることができたわけですから、今から思えばパラダイスと言っても過言ではないでしょう。

hachikou705n4.jpg今日お目に掛けるのは、サブカメラとして使っていたミノルタA2にネガカラーを詰めて撮ったもの。トップの後追いといい、メインのモノクロを撮り終わってから比較的ぞんざいにシャッターを切ったものばかりでお恥ずかしい限りですが、改めて見てみるとモノクロよりかえって“雨”のイメージが強く甦ってくるようです。
▲高麗川のホームは日本セメント専用線への発着とその入換えを間近で見られる絶好のポイントだった。'70.5 高麗川
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▲雨の入間川橋梁を行く下り専用貨物。金子坂へと助走する上り列車と異なり、下り列車のD51はカラン、カランとロッドの音だけを響かせて足早に走り去ってゆく。'70.5 金子?東飯能

先日ご紹介した“パリダカ”の増岡さん(アーカイブ「“パリダカ”の増岡さんと足尾・日光のトワイライトゾ?ンを巡る」参照)と同様に、私にとっても八高線は原点のひとつ。当時はまだ高価だった折りたたみ傘を大事に使いながらこの写真を撮り歩いてから38年…とてもそんな歳月が流れたとは信じられません。

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●16日金曜日のNHKラジオ第1「金曜旅倶楽部」で15時20分頃から5分ほど生放送でお話をします。全国どこでも受信できますので、お時間のある方はぜひお聞きください。
※上のバナーをクリックすると番組案内のHPにとびます。

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▲機関支区というより駐泊施設だったのだろうか、簡単なピットを持つ建屋の横に放置されたC19は、近所の子どもたちの格好の遊び場と化していた。'90.7.17
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1990年代初頭、5月の声を聞くとインドネシアへの撮影ツアーの打ち合わせで忙しい日々が続いていました。JTB本社海外産業視察部との共催で1990年7月から開始したジャワ島の製糖工場蒸機撮影ツアー(Sweet Steam Tour)は、インドネシア国営旅行公社(NATRABU)とインドネシア国営製糖公社(PTP)の全面的な協力もあって毎年大好評で、このツアーがきっかけで海外蒸機の虜になった参加者の方も少なくありませんでした。

c1906n2.jpgただ、当時はあまりに情報が少なく、NATRABUに調査を依頼しても蒸気機関車の動向などほとんど雲を掴むような話で、実際に行ってみないとわからない部分が大半でした。これは国鉄線に関しても決して例外ではなく、急速に無煙化が進んだものの、まだどこかの支線で現役蒸機が生きているのではないだろうかという期待も残されていました。その期待のひとつが1970年代までスチームトラムが活躍していたジャワ島東部スラバヤ近郊の支線でした。
▲炎天下に置き去りにされた姿が哀れを誘う。状態からして比較的近年まで可動状態にあったものと思われる。'90.7.17
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▲ジェテの軌道はタッチの差で廃止されてしまっていた。赤道下のジャワでは使用休止となった線路は生活路となっている部分を除いてあっという間に草生してしまう。'90.7.17
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1990(平成2)年のツアーでは、あわよくば入換機でも現役蒸機の姿が…と目を皿のようにして探したのですが、結局望みは砕かれ、唯一“発見”したのが、スラバヤから東へ100キロほど行ったマドゥラ湾沿い、ジェテの街外れに放置されたCタンクの姿でした。

pnkapowerparade.jpgいかにも熱帯らしい上屋だけの庫はすでにもぬけの殻となっており、庫外にC1908のプレートを付けた機関車が取り残されていました。インドネシア国鉄の形式称号はわが国とほとんど同じで、Cは動軸3軸、49までの数字はタンク機を示しており、C1908はC19形の8号機ということになります。“PNKA POWER PARADE”によれば、C1908は1899(明治32)年ハルトマン(ドイツ/ザクセン)製(製番2426)で、国有化前の旧番は108。合計12輌存在したC19形は1970(昭和45)年の時点ではまだ8輌が現役機として活躍していたと記されており、26ページには1971(昭和46)年に撮影された、スチーム・ベルを備えた美しい現役時代のC1908の写真も掲載されています。
▲インドネシアの国鉄蒸機を語る際に欠くことのできない“PNKA POWER PARADE”(1974年)。すべての国鉄機(編入機を含む)のロスターが記載されており、製糖工場の機関車を網羅した“SWEET STEAM”(1981年)とともに今もってバイブル的な存在。ちなみに“PNKA”はインドネシア語の“Perusahaan Negara Kreta Api”=State Enterprise Railwayの略。
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▲C1908は車齢100歳近いドイツ製の20tCタンク機。“PNKA POWER PARADE”によればSemarang Joana Stoomtram Mijからの買収機とのこと。'90.7.17
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インドネシア国鉄の基本ゲージはわが国と同じ3フィート6インチ(1067㎜)。スラカルタ近郊のアンバラワには立派な鉄道博物館があり、現在は動態保存運転も行われていますが、もちろん国鉄線上で現役蒸機の姿を目にすることはできません。あと数年早く訪れていればと、赤道下に置き去りにされたC1908を見ながらそんな悔恨を覚えたのも、もう18年も前のことになります。

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▲長い発車汽笛を吹鳴して日出谷駅を発車、盛大なブラスト音とともに阿賀野川当麻橋梁を渡る8233レ。'08.5.10 日出谷?鹿瀬
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10日は早朝5時過ぎに『国鉄時代』担当の山下がレンタカーを借り出してきて、まずは新津へ。新津運輸区に小野区長を表敬訪問したのち、本誌288号('07年9月号)の撮影ガイドを執筆していただいた矢野登志樹さんの先導でいよいよ撮影地へと向かいます。

08510n202.jpg前日の天気予報で心配された雨はまったく降っておらず、むしろ高曇りの蒸機撮影にはもってこいの空模様ですが、気温は5月とは思えないほど低く、ジャケットを着ても身震いするほど。何を勘違いしたのか半そでだけで現地入りしてしまった山下はかなり寒そうです。ただ、これも被写体が蒸機とあれば天恵で、新緑のこの季節にはなかなか目にすることのできない白煙が期待できそうです。
▲いよいよ8233レの通過が迫る。愛用のカメラを構える前原さんにも緊張が走る。'08.5.10 日出谷?鹿瀬
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▲多くのファンが見守る中、平瀬隧道に向けてダッシュしてゆく8233レ。この時季としては異例の低温だっただけに白煙が綺麗に流れる。'08.5.10 日出谷?鹿瀬

実際、ちょうど田植えが終わったばかりの山里と、まさに“山笑う”という表現がぴったりの萌えるような新緑の山々、そして彼方の残雪の飯豊山とたなびく白煙という願ってもない組み合わせに、多少の寒さは吹き飛ぶ思いでした。

08510n204.jpgそれにしても前原さんのC55・C57に対する思い入れとその知識の深さには改めて恐れ入ります。車内で私と山下が次号の国鉄時代に登場予定のC55 11の話をしていると、「あぁ、大分から若松に転じた試作変形門デフ装備機ですよね」と当意即妙の反応。かつて民主党代表に就任された時に小ブログで“形式ではなく個々の番号で語れる方”とご紹介したことがありますが、まさにその通り、いやそれ以上です。
▲本誌でもお馴染みのプロカメラマンの荒川好夫さん(左)と並んでカメラを構える前原さん。'08.5.10
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▲平瀬集落付近の水田はゴールデンウィークに田植えが行なわれ、可愛らしい苗が水面から顔をのぞかせている。まさに日本の原風景を象徴するような情景がいたるところに展開している。'08.5.10 鹿瀬?日出谷
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すでに撮影地でも前原さんはファンとして知られているようで、あちらこちらから「あ、前原さんが来ている」と声が掛かっていました。普段は国会で激論を戦わせている方が、プライベートの時間は穏やかな表情で皆と一緒に線路端でカメラを構えている、その姿は、“趣味”の大切さを改めて知らしめてくれるようでもありました。

08510n206.jpg8233レの日出谷発車を見送って一目散に新潟駅へと取って返し、上越新幹線(もちろん普通車)車内で地ビール「えちごビール」で乾杯、今日一日の成果を語り合いましたが、久しぶりの“オフ”の24時間に前原さんも大満足のご様子でした。とはいうものの、ご一緒していると携帯電話の鳴る回数の多いこと多いこと。それだけ見ていても如何にたいへんなお仕事かが察せられます。ちなみに前原さんの携帯の“着メロ”は蒸機ファンには涙モノの「客車チャイム」。あのタタタタ、タタタン…というメロディーが国会内にも流れていると思うとちょっと微笑ましくもあります。
▲昼食に立ち寄った山都のお蕎麦屋さん「やまびこ」では近所の人たちまで駆けつけてたちまち記念撮影大会…。'08.5.10
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今日いただいたメールには「とても楽しく、充実した一泊二日の撮影行でした。磐越西線沿線は、日本の原風景のようなところで、すっかり気に入りました。新緑も、とても目に新鮮でした」とあります。またいつの日か、線路端で一緒にカメラを構えられるのを楽しみにしたいと思います。

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▲喜多方を出ると慶徳隧道までの2キロあまりは11.4‰の上り勾配が続く。会津若松から新潟方面に向かう下り列車に対してはほとんど唯一の上り勾配らしい上り勾配だ。'08.5.10 喜多方?山都(8233レ)
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昨年10月には信越本線のC57にご一緒した(アーカイブ「前原さんと「門デフ」C57を撮りにゆく」参照)民主党副代表の前原誠司さんから、この春は磐越西線でヘッドマークなしの「門デフ」C57が走るそうで是非とも撮りにゆきたいのですが…と連絡を頂いたのは運転予定が発表になった直後のことでした。

08510n101.jpgただ、超がいくつ付いても足りないほど超多忙な前原さんだけに、なかなかチャンスがなく、「門デフ」での運転最終日前日の5月10日であれば…ということになったのは、東京の桜もすっかり散ってしまった頃のことでした。しかも何としてでも10日中に選挙区でもある地元・京都に戻らねばならないとのこと。ハードなスケジュールですが、アテンド役の『国鉄時代』担当の山下が綿密に計画を練り、前夜に新潟入りして早朝からレンタカーでご案内することにしました。
▲日出谷駅下り方の阿賀野川当麻橋梁を見下ろす“お立ち台”で列車を待つ前原さん。'08.5.10
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▲磐越西線沿線の田圃は先日の連休あたりから水が入れられて田植えがは始まっている。そこかしこで水鏡に映る「門デフ」の姿を目にすることができた。'08.5.10 上野尻?野沢
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9日夕方、東京駅でおちあい新幹線で新潟へ。新潟・古町の鮨屋でまずは3人で前夜祭。気分良く歩いて万代橋を渡り、途中のコンビニで仕入れた新潟名物“やきそばイタリアン”と缶ビールをホテルの部屋に持ち込んでお決まりの二次会…この辺はいつまで経っても学生時代のパターンそのものです。

08510n104.jpgところで、ヘッドマークが付いていない姿をと仰っておられた前原さんにとってはショックな事態が発生してしまっていました。5月3日に「SLばんえつ物語号」の乗車が50万人を突破し、同日より記念ヘッドマークが掲出されることになったのです。前原さんには直後にこの情報をお知らせしましたが、ようやく捻出した休みでもあるしと、マークの有無に関わらず決行することとなりました。うかがったところでは、前原さんは一度遊説の合間に新津駅で“駅撮り”はしたことはあるものの、本格的に磐越西線の“走り”を狙うのは初めてだそうです。
▲"門デフ”も残すところ一日だけとあって沿線には多くのファンの姿が見受けられた。談笑しているのは会津善和さんとRGGの荒川好夫さん。'08.5.10

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▲実川橋梁を渡って豊美へと向かう8226レ。実川島踏切からの撮影で、写真としては埒もないが、実はかつて日出谷駅を起点としていた実川馬車軌道(アーカイブ「徳沢・日出谷…有名撮影地の知られざる軌道」参照)がここまで並行していたはずの曰くあるポイント。'08.5.10
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ちなみに撮影するファンの側からは敬遠されがちなヘッドマークですが、やはり営業的には不可欠なアイテムのようで、「門デフ」の仕掛け人のお一人でもある新津運輸区の小野英晴区長のお話では、マークを取り付けない日は記念写真を撮りたいファミリー乗客の皆さんからはすこぶる評判が良くないそうです。1999年の運行開始から10年目にして達成した50万人。15年目、20年目、そして100万人、200万人と成長してゆくためにはヘッドマークは大きな使命を担っているのです。

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▲満開の菜の花畑の中をゆく老兵381系「しなの」。大糸線簗場?海ノ口 '08.5.5撮影 照井 樹さん(茨城県)(「今日の一枚」より)

「鉄道ホビダス」をご覧いただいている皆さんのお力によって鉄道の“今”を記録してゆこうという投稿型ブログ「今日の一枚」が絶好調です。すでにアップ数は8000枚に迫っており、日々のページビュー数も加速度的に増加しております。今日はここ数日のエントリーの中から、いくつかの秀作をピックアップしてご覧いただきたいと思います。

08510n2.jpgそれにしても平日・休日に限らず、ほんとうに全国津々浦々、いや海外も含めて、日々の鉄道が写真に記録されてゆくのには感動さえ覚えます。まだ報道発表もされていない車輌のスクープショットから、ほっとする身の回りのスナップまで、鉄道ホビダス編集部では刻々とお送りいただく投稿のアップロードに嬉しい悲鳴をあげる毎日です。
▲GW期間中とあって、いつもより車内は賑わっているようです。鹿児島本線海老津?遠賀川 '08.5.5撮影 矢野 恭さん(福岡県)(「今日の一枚」より)
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▲餘部と鯉のぼり、あと何回見られるか…。山陰本線鎧?餘部 '08.5.4撮影 小野 隆さん(兵庫県)(「今日の一枚」より)

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▲日没後でもボンネットを撮りたいです。北陸本線細呂木?芦原温泉 '08.5.6撮影 井上寛之さん(福岡県)(「今日の一枚」より)

08510n5.jpgそしてひと月に1000枚を超えるエントリーの中から、これぞという一枚を選んで本誌誌上にカラー見開きで発表する「今月の一枚」も3ヵ月目に突入しております。こちらも大きな反響を呼んでおり、第一回の「今月の一枚」に輝いた船越さんは、その後、作品が駅に展示され、さらにそれがきっかけでテレビに出演することになるなど、思わぬ展開も生んでいます。
▲大宮工場での検査を終えたC11 325が、DE10 1535に牽かれて帰ってきました。真岡鐵道下館二高前?折本 '08.5.8撮影 P:石橋良章さん(茨城県)(「今日の一枚」より)
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▲鯉のぼりとレンゲ畑を横目に西へ向かう新幹線。山陽新幹線西明石?姫路08.5.6撮影 高橋広二さん(大阪府)(「今日の一枚」より)

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▲ようやく春の訪れを感じた道東の旅でした。釧網本線中斜里?知床斜里 '08.5.4撮影 P:高橋 明さん(兵庫県)(「今日の一枚」より)

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▲いつも一瞬の青函トンネル最深部の照明がこんなに綺麗だったとは…。海峡線竜飛海底?吉岡海底 '08.5.6撮影 泉谷泰司さん(北海道)(「今日の一枚」より)

すでに4月分の「今月の一枚」の選考は終了しており、結果は21日発売の本誌誌上でご覧いただくとして、ここ数ヶ月、ご投稿いただく写真のレベルがどんどん上がってきているのを実感しております。ウェッブと紙媒体の融合という舞台が整ったことが大きな要因なのでしょうが、今後はさらに一歩進めて、8000エントリーに近付きつつあるせっかくの皆さんのアーカイブを、ウェッブ内に埋もれさせることなく活用させていただく方法を模索したいと考えております。

大連市電は今…。(下)

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▲17年前の大連。満州時代の面影を色濃く残していた世紀街付近を行く3000形3019号。この頃はまだ車輌の更新も行なわれておらず、どこか日本の地方都市を彷彿させる情景が見られた。'91.3.22
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201系統の運行を一手に掌握しているのは民主広場(日本時代の敷島広場)にある民主車庫です。この車庫についてはかつて小ブログでご紹介したことがありますが(アーカイブ「「档案」のこと」参照)、日本時代からの建造物も残る由緒あるものです。

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▲“レトロ電車”として整備された旧3000形。ロックフェンダー式の救助網も健在。現在は7-2267とコンピュータコードのような新区分の車体標記がなされている。'08.3.20 民主車庫
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今回は事前許可を申請していなかったため車庫構内に入ることはできませんでしたが、入口から覗いた限りでは、長春、鞍山、ハルビンの市電などでも親しまれた大連製の“犬顔”1000形更新車の姿も垣間見れました。

dairensiden507.jpgさらに旧3000形の車体更新工事も引き続き行なわれているようで、DL6-W形の大量増備にも関わらず、齢70歳を超えながらも見違えるほど綺麗になった姿が並んでいました。どうやら“レトロ電車”として広く市民にアピールする意図もあるようですが、かといってイベント用車輌ということではなく、一般運用に充当されているのはなんとも嬉しい限りです。
▲同車の客室内。鴨居部には市電創業以来の歴史的写真がパネルになって飾られている。'08.3.20 民主車庫

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▲600V直接制御の基本構造はいまだにまったく変わってはいない。本車は1937(昭和12)年日本車輌製のはずだが、このコントローラーも当時のものであろうか…。'08.3.20 民主車庫

dairenic001.jpgその中でも民主車庫前のデルタ線で試運転をしていた“7-2267”は格別に整備された個体で、客室内に入れてもらうと、窓上には「大連市電の歴史」と銘打った写真パネルがずらっと展示されていました。木調の座席はもとより、運転機器もちょっと過剰なほどに輝いており、もしかすると“模範車”として位置づけされているのかも知れません。ただ、しばらく後には営業線へと出区してゆきましたので、やはりこの車も仕業を限定されることなく一般運用に組み込まれているのでしょう。
▲これが大連市電のICカード(一部画像処理しています)。市電のみならずバスやトロリーバスにも共用となっている。
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dairenic002.jpg旧3000形は基本的なスタイルこそ変わっていないものの、方向幕のLED化やアコモデーションの変更など大掛かりな更新改造が行われていますが、今回驚かされたのがICカードリーダーの搭載です。運転士と車掌(ちなみに必ず女性)が乗っている昔ながらの車内にも関わらず、電停にとまる度に例の“ピッ”というICカード認識音が響き渡ります。このICカード、「明珠カード」と呼ばれるもので、大連銀行でデポジットを支払って購入するものだそうです。市電はもとより、バスなどの公共市内交通共用で利用でき、カードを使った場合は多少の割引もあるとあって一気に普及したようです。
▲出入口部に設けられたカードリーダー。車齢70年を超える旧3000形と最新のテクノロジーの融合がいかにも現代中国らしい。'08.3.20 大連駅前
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▲意外と見落としがちなのが台車。コロ軸受け化された日車ブリル…と思いきや、前後の車輪径が異なるマキシマムトラクションになっている。'08.3.20 民主車庫

今回は市電が目的の旅ではなかっただけに、201路(系統)も半日ほど撮影したに過ぎず、近代化著しい202系統へは足を伸ばすことができませんでした。季節は5月。そろそろ大連名物のアカシアも見ごろを迎えるはずです。大連にお出でになった際は、新旧が混在しながら変化を続ける市電にも注目されてみては如何でしょうか。

大連市電は今…。(上)

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▲急速に勢力を拡大してきた3車体連接のDL-6W形と離合する旧3000形更新車。大連駅前も今や乗用車、バス、市電が入り乱れてたいへんな混雑ぶり。'08.3.20 大連駅前
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先日「ペンタックスK20Dで大連市電を撮る」として若干ご紹介した大連市電ですが、今回は改めてその際に“垣間見た”状況をご覧いただくことにしましょう。

dairensiden506.jpg指折り数えてみると大連市電を訪ねるのは十数年ぶりとなります。旧日本時代の車輌が残っていたハルビンや鞍山からも次々と路面電車が消えてしまい、気がつくと中国東北部で路面電車が残されているのはここ大連と長春の2ヶ所のみとなってしまいました。
▲1937(昭和12)年に上野駅を模して建造されたという大連駅駅舎。奇しくも市電3000形と同い年ということになる。'08.3.21
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▲大連市案内図に見る市電201系統(201路)の路線概要。かつてはヤマトホテルをはじめとした歴史的建物に囲まれた中山広場方面にも路線が伸びていたという。
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その大連市電ですが、相次ぐ路線短縮にも関わらず全面的な廃止を免れ、逆に近年大幅なリニューアルが図られています。路線の新設・延長や、軌道や電停など地上設備の改良に合わせ、自国製の3車体連接構造の低床車を次々に投入、ICカードシステムの導入も実現させて、一気に新世代のLRTへと生まれ変わろうとしています。

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▲華楽広場付近をゆく新鋭DL6-W形連接車。一見欧州製かとおもいきや、地元大連製で、続々と増備が続いている。'08.3.20 華楽広場
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▲今回見た限りでは、同形態ながらDL6-W形には車体塗色が2種類ある。どのように区分されているのかは不明。ちなみに写真は7-3509。'08.3.20 華楽広場
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ただ面白いのは旧型車が完全に置き換えられることなく、一部の車輌が徹底的な更新工事を受けて延命していることです。戦前に日本車輌で製造された旧3000形は、方向幕のLED化や内外装のリニューアル、さらには前面幕板部にアンチークなベルまでぶら下げて、いわば“レトロ電車”として運用に就いています。

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▲民主広場電停に到着した旧3000形更新車7-2273。車齢70年を超えるものの、方向幕のLED化やICカードリーダーの搭載など数々のリニューアル改造を施されている。'08.3.20
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現在の運行系統は興工街と海之韻公園を結ぶ201系統と、興工街と新興工業地区の小平島前を結ぶ202系統の2系統。202系統はすでに新型車輌化が完了していますが、201系統はまだ半数近くが旧3000形で運転されており、趣味的な面白味としてはこの201系統に軍配が上がります。

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▲17年前の大連市電203系統。アカシアの木立に囲まれた世紀街を行くのは“犬顔”が特徴的だった1000形。この当時、市電は遠からず廃止されると思われていた。'91.3.22 世紀街
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今回訪問したのも当然この201系統です。1990年代初頭はまだまだ戦前の面影を色濃く残す静かな街並みを走っていたこの201系統(かつては203系統)ですが、今や高層ビル街を縫うように走る都市型LRTへと大きく変貌を遂げていました。しかもそのフリークェンシーの高さと乗車効率の高さは驚きで、しばらくご無沙汰している間に大連市電はすっかり生まれ変わっていたのです。

EF65 501が全検出場。

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▲秋田総合車両センターで全般検査を施工し、素晴らしいコンディションとなったEF65 501。JRマークも外され今までにも増して国鉄時代のイメージが強くなっている。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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本誌今月号でも詳報したとおり、JR貨物所有の最後のEF65P型特急色機・535号機が現役を退いたのが去る3月31日未明。「富士」と「はやぶさ」をあしらった高崎機関区心づくしの惜別ヘッドマークに涙した方も少なくなかったのではないでしょうか。

65501n102.jpg一方ちょうどその頃、全般検査施工のため秋田総合車両センターに入場していたJR東日本所属のEF65 501号機が、先日、全検を終えて見違えるほど美しい姿となって高崎車両センターへと戻ってきました。同機は言わずと知れたEF65形500番代P型のトップナンバー機。嬉しいことに、往年の姿に近づけるため、側面中央部に貼られていた「JRマーク」は剥がされ、特急色とあいまって、より一層国鉄時代の雰囲気となっての戦列復帰です。また、あわせて側面ナンバーは再メッキ処理がなされ、金属が持つ独特な輝きを取り戻しています。
▲スカートの外板と、曲面ガラスは全面的に交換されている。惜しむらくは前面窓押さえの黒Hゴムか…。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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▲前面のナンバーと飾り帯は銀テープを貼り付け(左)。スノープラウ両端には535号機と同様に白線が追加されている(右)。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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▲2エンド裾部の標記。エンド標記は白ペンキ塗装(左)。右は床下機器目印として車体裾部に添えられた▲マーク。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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65501n105.jpgこのほかにも、前面ナンバーと飾帯は銀テープを貼り付け、製造銘板とエンド標記には白ペンキ塗装が施されています。さらに帰所後には、ブルトレ牽引時代を彷彿させるため、3月末に惜しまれつつ運用から離脱した高崎機関区のEF65 535号機と同様に、スノープラウ両端に白線が追加されています。
▲側面のナンバーは再メッキが施された。製造銘版は白ペンキ塗装。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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▲運転室助士側にはATS-Pが鎮座している(左)。また天井にはデジタル無線機が設置された。曲面ガラスは交換され、透明度がアップしている。デフロスタも健在(右)。'08.5.2 高崎機関区 P:RM(新井 正)
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約2ヶ月半にも及ぶ工程では、全般検査に加え、スカートの外板張替、運転台前面曲面ガラスの交換、そしてJR東日本が導入を開始したデジタル無線機の設置工事も合わせて行われ、「現役機」として今後もいろいろな場面で注目の的となるはずです。

0系R67編成に出会えず。

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▲撮影時間帯に新大阪駅にやってくる0系はこの「こだま620→639号」のみ。休日の朝にも関わらず多くのファンが待ち構えている。なかには携帯で写す通りすがりの人も…。'08.5.5 新大阪

この連休は所要で大阪へ出かけておりましたが、せっかくなので余命半年に迫った0系新幹線、しかもあわよくば先日オリジナル塗色のクリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号の塗り分けに復元されたばかりのR67編成(アーカイブ「0系新幹線復元色車いよいよ登場」参照)に出会えればと、朝の新大阪駅に出かけてみました。

0keioosaka510.jpgところが流石にそう都合よくはゆかず、7時47分着の「こだま620号」でやってきたのはダークグレーとフレッシュグリーンの現行塗色のR64編成。ちなみに新大阪駅に姿を見せる0系は、この「こだま620号」とその折り返しの「こだま639号」(7時59分発)の次は深夜23時21分着の「こだま674号」(折り返しは翌朝6時12分発の「こだま629号」)までなく、わずか2往復4本。この「こだま620→639号」を逃してしまうと、撮影時間帯の0系は皆無ということになってしまいます。
▲7時47分定刻。福山始発の「こだま620号」がファンが待ち構える新大阪駅に到着する。'08.5.5 新大阪

0keioosaka504.jpgそれにしても驚かされたのは、朝早いにも関わらず「こだま620号」の到着を待つファンの皆さんの多いこと。岡山以東で0系を撮影できる唯一のチャンスだけに、最奥の20番線にはカメラを片手にした皆さんが固唾を飲んで到着を待っています。そして入線…復元塗色車R67編成でないとわかった途端にそこかしこで小さな溜息が漏れました。
▲残念ながら今日はダークグレーとフレッシュグリーンの現行塗色R64編成。'08.5.5 新大阪
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0keioosaka502.jpg車掌さんもファンの問い合わせに「必ず(この運用に)入るというわけではないので…」とすまなそうです。現在残されている0系は5編成(いずれも6輌編成)ですので、R67編成が充当される可能性は単純に考えれば確率2割。新大阪駅でクリーム10号と青20号の塗り分けの0系を撮影できるチャンスは、今のところ極めて低いといえましょう。
▲巨大なパンタグラフカバーが目を引く連結面。この部分だけ見ると0系とは思えない。'08.5.5 新大阪
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▲このR64編成は復元塗色に塗り替えられることなく間もなく運用を離脱、廃車となる予定で、恐らく私にとってはこれが最後の邂逅となろう。'08.5.5 新大阪

ただ、今月末にはR61編成が、さらに来月中にはR68編成がクリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号に復元される予定ですから、新大阪駅で見られる確率もどんどん増えてくるはずです。その一方で、今回やってきたR64編成とその僚友R63編成は塗り替えられることなく来月末までには廃車となる予定で、逆に考えれば、ダークグレーとフレッシュグリーンの現行塗色を見られるのは、あと一ヶ月あまりということになります。

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▲先週末の「通洞駅祭り」でお披露目となった足尾歴史館のエンドレス軌道。客車を従えて晴れ舞台に立つのはわれらが“加藤くん”。'08.4.26 P:けいてつ協会
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いささか旧聞にはなりますが、先週末の4月26日(土)・27日(日)に行なわれた「通洞駅祭?わてつに乗って足尾へ行こう!!?」はたいへんな好評裏に幕を閉じ、遠路はるばる来訪される方も多かったそうです。

tuudoumaturi004.jpg今回のイベントのテーマは「トロッコ列車」。第一のトロッコ列車は、わたらせ渓谷鐵道の「トロッコわたらせ渓谷号」、第二のトロッコ列車は足尾銅山観光の坑道見学用の珍しいラックレール式(勾配用)トロッコ列車、そして第三のトロッコ列車は、このイベントに合わせて新しく登場した足尾歴史館の「足尾ガソリン軌道・歴史館線」です。完成間際の状況はすでに「“パリダカ”の増岡さんと足尾・日光のトワイライトゾ?ンを巡る」で動画を交えてお伝えしておりますが、ボランティアの皆さんの弛まぬ努力が実って、予定通り4月26日にエンドレスの2フィート軌道が“開通”しました。
▲キャブには古河鉱業の伝統の社紋“やまいち”マークが描かれ雰囲気を盛り上げる。'08.4.26 P:けいてつ協会
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▲2輌の客車を牽いて快走する“加藤くん”。足尾歴史館の皆さんの手厚い整備で調子も絶好調。'08.4.26 P:けいてつ協会
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残念ながら私はうかがえませんでしたが、ことに4月27日の日曜日は好天に恵まれたこともあってたいへんな賑わいだったそうで、かつて足尾町内を走っていたガソリン軌道を知るお年寄りの皆さんも懐かしくこの新設軌道を見ておられたとのことです。

tuudoumaturi003.jpg現在運行しているのは“加藤くん”こと加藤製作所製4tディーゼル機関車と、向ヶ丘遊園から払い下げられたボギー客車2輌の編成。加藤製ディーゼル機関車はこの展示動態運転を前に、足尾歴史館のメンバーで地元で自動車整備工場を営む町田 洋さんの手によって、エンジン調整やラジエータの補修など手厚い再整備を受け、とても半世紀前の機関車とは思えないほど快調な走りっぷりを見せてくれています。
▲客車はかつて向ヶ丘遊園の園内軌道で使用されていたものを再整備して利用。'08.4.26 P:けいてつ協会
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tuudoumaturi006.jpgところでその町田さんらが中心となって現在取り組んでおられるのが、かつて足尾の町中を走り回っていたAフォード改造ガソリン機関車の復元プロジェクトです。極めて高い技術力を持っていた古河鉱業の足尾銅山工作係が昭和初期に自社で製作した自重3tに満たない小さなガソリン機関車は、その愛らしい姿が多くのファンを虜にし、近年になっても模型化されるなど根強い人気を誇っています。足尾歴史館ではなんとかこの“フォード”の実物大のレプリカを作って、今回完成した歴史館線で走らせようと調査を開始しています。私も手持ちの組立図や部品図のコピーをお渡しするなど微力ながら協力させていただいていますが、 “フォード”の復活が現実となる日を今から楽しみにしたいと思います。
▲足尾歴史館のエントランスには須永秀夫さん製作の約3分の1スケールの“フォード”が鎮座する。'08.3.25 P:名取紀之
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▲わたらせ渓谷は今まさに清清しい新緑のシーズンを迎えようとしている。足尾の山々をバックに走る“加藤くん”もなかなか絵になる。'08.4.27 P:けいてつ協会
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さて、先週の好評を受けて、足尾歴史館では今週末の4連休にも歴史館線で“加藤くん”の公開運転を行うそうです。 昭和の香りの残る足尾の町の散策を兼ねて、訪ねてみられては如何でしょうか。
■足尾歴史館
わたらせ渓谷鐵道通洞駅下車
〒321-1523栃木県日光市足尾町松原2825
TEL/FAX:0288-93-0189

※お楽しみいただいている小ブログですが、連休中は出先の通信事情の関係で休載させていただきます。5月6日より再開の予定ですので、あしからずご了承ください。

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▲東急東横線実写版フルハイビジョン運転シミュレータは子ども用2台を含めて7台がスタンバイ。「リアルさには絶対の自信を持っています。ぜひお試しあれ」と満面の笑みの向谷さん。'08.5.1

この5月に東急東横線の現区間(渋谷?横浜)が開通80周年を迎えるのを記念して、明日5月2日(金)から5月7日(水)まで東急百貨店東横店で「東急東横線開通80周年記念 鉄道フェスティバル」が開催されます。このイベントは総合プロデューサーにお馴染み向谷 実さんを迎え、最新映像を駆使したオリジナルの東横線運転シミュレータをはじめ、ジオラマ展示や写真展など、“東急線の今と昔を感じられる”ことを目指したフェスティバルです。開催前日にあたる今日は内覧会が行なわれましたので、いちはやく会場の様子をご紹介してみましょう。

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▲さっそく挑戦する編集部・小野。もちろんあえなくゲームオーバー。下は初期設定画面で、列車種別を選択したのち、5050系、9000系、Y500系を選択できる。ちなみにここだけの話、向谷さんによると「各停」(菊名?元住吉)が一番難易度が高いとのこと。'08.5.1
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まず注目を集めていたのが、子ども用を含めて7基も設置された東急東横線実写版フルハイビジョン運転シミュレータ。すでに本誌296号誌上では開発にあたった向谷 実さんにその拘りの一端を語っていただいておりますが、5050系をはじめ、9000系や横浜高速鉄道のY500系なども作り分けられており、しかも設置されるシミュレータどれでも列車種別・形式を自由に選択できるのが嬉しい限りです。

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▲エントランスには東急東横線の歴史が、貴重な写真を交えてさながら絵巻のように展示されている。'08.5.1

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▲わかりやすい年表とともに、各駅の歴史写真も展示されていて思わず引き込まれてしまう。写真右は弊社所在地の都立大学駅のコーナー。'08.5.1
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また、東急東横線80周年記念オリジナルパッケージの鉄道コレクション旧7000系と、Bトレインショーティー5050系が特設会場で先行販売される予定で、こちらも人気を呼ぶこと間違いありません。

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▲めったにお目にかかれない歴史的資料の実物も多数展示されている。左は琺瑯製の駅名標、右は記念乗車券の数々。'08.5.1
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■東急東横線開通80周年記念 鉄道フェスティバル
○開催期間 5月2日(金)?5月7日(水)
○開催場所 東急百貨店東横店 西館8階 特設会場(東京都渋谷区渋谷)
○開催時間 10 時?21時/5月3日(土・祝)?6日(火・振休)は20時閉場、最終日7日(水)は17時閉場(入場は閉場の各30分前まで)
○入場料 500円(税込/小学生以下は無料)
○内容
〔体験コーナー〕
・東急東横線実写版フルハイビジョン運転シミュレータ(時間帯別整理券制/1回10分)
・撮影広場
〔展示コーナー〕
・東急電鉄Nゲージジオラマ
・東急東横線各駅今昔史
渋谷から旧・桜木町駅(2004年廃止)まで、東横線の主要駅の沿線や街並みの移り変わりなどを貴重な写真や絵画でたどる。
・東急電鉄コレクション
〔販売コーナー〕(入場無料)
・東急東横線開通80周年記念オリジナルグッズ
・東急線グッズ
大井町線6000系、池上線・東急多摩川線新7000系ストラップや、Tシャツなどの東急線グッズを販売。
・「スーパーベルズ&向谷 実」 夢のコラボレーションCD「東横特急」
東横線の車内アナウンスをアレンジした、新感覚の音楽アルバム(5月8日発売予定)を特設会場にて先行販売。
・東急8000系車輌解体部品
40年近く東急線で活躍した8000系の解体部品を、抽選で販売。
(応募は5月4日(日・祝)10時?11時に東急東横店東館屋上の特設会場で受付。)
・東急電鉄記録写真 「街と駅 80年の情景」
東急電鉄の東横線・池上線・大井町線80周年を記念して、5月2日に発行されるフォトブックを特設会場にて販売。

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▲会場にはT-TRAK Networkの皆さんによるNゲージの東横線モジュールも登場。写真は北野誠之さん作の渋谷駅。'08.5.1

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▲左は野牛弘幸さん作の武蔵小杉駅。世田谷線のモジュール・レイアウト(右)も展示されている。'08.5.1
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会場では同時に、東急沿線情報誌「SALUS(サルース)」編集部が厳選した東急沿線の名店15店舗が出店するグルメイベント「SALUS KITCHEN」も開催されます(入場無料)。百貨店初出店のカフェやベーカリーなど、沿線の人気店の逸品が渋谷に大集合するそうで、ご家族連れでも楽しめるイベントとなります。

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