鉄道ホビダス

2008年4月アーカイブ

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新橋駅前にある創業60年という老舗中古カメラ店「大庭商会」がこの4月30日をもって営業を終えると知ったのは、うかつにも先週末になってからのことでした。二階のあのケースにあった○○は、そういえば××もあったはずなどと押っ取り刀で駆けつけてみたものの、案の定、時遅かりし、すでにどのショーケースも“蚕食”され尽くしたあとでした。

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▲ゼンザブロニカS2は6×6判クイックリターン式マニュアル一眼レフの最終完成型として1965(昭和40)年に誕生した。時あたかも“SLブーム”前夜。まさにブームを駆け抜けた機種のひとつであった。右は引き蓋を半分引いた状態。
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そんななか、せめて記念の品に何かと物色している際に目に止まったのが、階段横のショーケースに束になって置かれていたゼンザブロニカS2の“引き蓋”です。リビルト品らしく鋼線のハンドルのないただのステンレス板といったところですが、実はかねてよりいつかは調達せねばと気になっていたもので、さっそく一枚買って帰ることにしました。

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▲軽量強靭な一体鋳造のスウェーデン鋼が美点のハッセルブラッドに比べると、残念ながらブロニカS2は1.3倍ほど重い。左は引き蓋を半分引いた状態。本来は弓型を描く鋼線製のハンドルが付く。右は巻き上げクランク側。
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というのも、私のブロニカS2はいつの頃からか“引き蓋”が行方不明になってしまっており、フィルムマガジンが外れないばかりか、空シャッターも切れない状態だったのです。お使いになったことのある方ならご存知と思いますが、このフィルムマガジンの引き蓋は、マガジン取り外しの際のロックになっているとともに、基本的にマガジンを外した状態でないとシャッターコッキングができないのです。

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ある日、しばらく使っていないのでせめて空シャッターだけでもと我がS2を引っ張り出してみたものの、あれっ、引き蓋が付いていないではないですか。どこかに無意識にしまったのでしょうが、これがいくら探しても見つかりません。結局その日以降、一度も空シャッターを切ることもなく、我がブロニカS2は20年近くも惰眠を貪ることとなります。
▲引き蓋を強く奥まで押し込むとフィルムマガジンが外れる(左)。フィルムの交換はマガジンを外さずとも可能で、フィルムさえ装填すれば引き蓋がなくてもシャッター・チャージが出来る。
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後日、この手のカメラの“裏技”にめっぽう詳しい方に伺ったところでは、引き蓋を入れず、マガジンも外さずに空シャッターを切る裏技、いや荒技もあるそうです。フィルムマガジンの220フィルム切り替えノブがスプールの回転軸も兼ねており、巻き上げクランクの回転に合わせて空転しますが、このノブを空転しないように強引に押さえ込んで巻き上げるとセルフコッキングが効くというものです。試してみましたが、かなりの力が必要なのと、なにか取り返しのつかない壊れ方をしそうで、決してお勧めはできません。

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▲我がS2が最後に稼動した頃の一枚。倶知安で通票を受ける函館発旭川行き下り121レ。牽引機は小樽築港区のDD51 716で、区名札差に入れられた伝統の「築」と重連総括を示す「重」の文字が懐かしい。拡大するとわかるが、このコマはきちんとフィルムの平面性が出ているようで、平面性とブレさえ押さえ込めば、ニッコール75㎜の解像力はすこぶる良い。'85.1.1 倶知安
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いずれにせよ、大庭商会さんの最後の放出品で、我がブロニカS2には再びあの盛大なシャッター音が甦りました。“ブレニカ”と揶揄された後退式クイックリターンミラーのショック、シャッターコッキング時のガキッという決して気持ちの良くはない音、そして常に悩まされたフィルムの平面性と、多難な印象ばかりが甦ってきますが、それでも私にとって“ハッセル前夜”の日々を共に歩いた大切な一台ではあります。期せずして引き蓋も手に入ったことですし、今度の休みは久しぶりにフィルムを詰めてみることにしましょうか…。

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▲写真展「中国の炭鉱軌道」から。急速に近代化が進んでいるとはいえ、まだまだ中国全土に小規模な炭礦が無数にあり、そこには必ずと言ってよいほど軌道が敷設されている。P:寺本孝広

東京都心のギャラリー「アートスペース・モーター」で寺本孝広さんの写真展「中国の炭鉱軌道」が開催されています。そのタイトルのとおり、中国各地に存在する炭礦軌道をテーマとした写真展ですが、C2形蒸気機関車の活躍で人気を博している芭石鉄道(四川省)などのいわば“メジャー”筋ではなく、ひたすら中国各地の小規模炭礦に息づく名も知れぬ軌道ばかりを追っているのが異色です。

tyuugokunotannkoutetudou203.jpgエネルギー資源に恵まれた中国では、各地に大規模な炭田があり、近年の目覚しい経済発展とともにその需要は拡大の一途を辿っています。しかし、撫順炭礦(アーカイブ「3連接の凸電」「ジテとの邂逅」参照)のように“超”の付くほど大規模な炭礦がある反面、わずかな鉱区の採掘権だけを頼りに出炭を続ける小規模炭礦も星の数ほどあり、そこには必ずと言ってよいほど運搬用のナローゲージ軌道が敷設されています。
▲会場のアートスペース・モーターは3年ほど前に斉木 実さんと米屋浩二さんが写真展「鉄道遺産を旅する」を開催したギャラリー。新富町駅と八丁堀駅のちょうど中間に位置する。'08.4.26
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寺本さんが情熱を傾けて撮り続けてきたのは、こういった小規模炭礦の軌道で、そこに活躍するのはまるで時代から取り残されたようなプリミティブな車輌たちです。集電装置さえ失われた鉱山用電気機関車は運転士が片手に持つ竿を架線に接触させることによって通電し、“狸堀”のような零細坑では真っ黒になった坑夫が炭車を押す…それはわが国では遥か昔に消え去った光景であるとともに、近代化めまぐるしい中国にあっても、遠からず過去のものとなってゆく姿にちがいありません。

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▲コラージュを別にして展示作品は40点ほど。それぞれの作品には解説とともに所在地をプロットした中国地図が添えられている。'08.4.26

それにしてもよくぞこれだけの撮影が可能になったものだと改めて感心しますが、実はその裏には寺本さんの涙ぐましい努力の積み重ねがあります。地図で“あたり”をつけ、単身、乗合バスで現地に入ったあとは、ひたすら撮影許可の交渉…丸一日歩き回ってすべて断られることさえあるそうですから、その情熱というか根気強さには脱帽です。

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▲各地の炭礦で捉えた寸景がコラージュとして最奥の壁面を埋め尽くしている。軌道のみならず、そこにある人々の営みが生き生きと写し出されている。'08.4.26
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その寺本さん、かつて武蔵工業大学在学中はその名も『立入禁止』という伝説の機関誌を編集しておられました。日本国内の工場専用線や製鉄所、鉱山など、市販誌には馴染まない、文字通り立入禁止区域にある鉄道・軌道を実に丹念に調べ上げられており、天草地方の陶石軌道レポートなど本邦初となる発表も少なくありませんでした。また、圧縮空気機関車の研究でも日本油空圧学会の学会誌に成果を発表されるなどしています。

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この一風変わった(失礼…)写真展、今週土曜日5月3日まで開催されております。最終日以外は夜20時までと会社帰りにも立ち寄りやすい設定となっておりますので、連休谷間の一日、ご覧になってみられては如何でしょうか。

209系訓練車を公開。

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▲209系訓練車の2号車側外観。湘南新宿ライナーカラーはもとより、方向幕等がまったくない姿も特筆される。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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本日、JR東日本の「東京・大宮総合訓練センター」のプレス見学会が行なわれ、このたび導入されたばかりの209系訓練車も公開されました。

IMG_1185n.jpgこの「東京・大宮総合訓練センター」はJR東日本の東京支社および大宮支社の運転業務に従事する方を対象に、異常時対応訓練を行なう施設で、東大宮駅から徒歩15分ほどに位置します。27,000㎡近い広大な敷地には運転操縦設備、駅設備、信号設備等を擁し、平成20年度だけでも3400名(駅社員840名、車掌900名、運転士1050名、保守社員550名、指令60名)の訓練入所者を受け入れる予定だそうです。
▲長年にわたって訓練車を務めてきた前任の103系。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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▲1号車はパンタグラフを備える。ちなみにこの2輌は車輌として車籍はなく、従って形式番号の車体標記もない。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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▲営業用の209系では見られない開放タイプの運転室仕切(左)と、運転台(右)。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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▲2号車の車内見通し。基本的には大きな変更はないが、前方の運転室仕切が開放タイプとなったためにかなり印象が異なる。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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▲車端部にはATC装置のほか手旗など訓練用具が置かれている。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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IMG_1042n.jpgそしてこの訓練センター構内の営業線を全長660mに凝縮した訓練線(3駅設備)で使用されるのが209系を2輌編成にした訓練車です。これまでは1996(平成8)年4月に導入された103系を種車にした訓練車を用いてきましたが、あいつぐ新系列車輌の投入や、新しい保安装置の導入などによって、より現状の機能に見合った訓練を行なう必要性から今回の209系訓練車の導入となったものです。
▲クモハ208-76…?…実在しないナンバーも訓練車ならでは。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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IMG_1043n.jpg新訓練車となった209系は1号車+2号車の2連。列車情報管理システムTIMS(Train Information Management System)と同様な表示機能を搭載し、各種保安装置を両運転台に搭載しているのが大きな特徴です。訓練時に用いられる放送装置やCCDカメラ等の映像装置も追加されており、209系と言っても極めて特殊な使命を帯びたものとなっています。なお、車体塗色は湘南新宿ラインカラーとなっているのも特筆されます。
▲「長野総合車両センター平成20年改造」の銘板が車端裾部に取り付けられている。'08.4.28 総合訓練センター P:RM
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▲209系訓練車の主な訓練設備。(JR東日本東京支社提供)
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この209系訓練車は、救済運転の取り扱い、信号機故障時の取り扱い、踏切事故の取り扱い、人身事故時の取り扱い、保安装置故障時の取り扱い、TE装置の取り扱いなど、運転取り扱いの基本的知識・技術、異常時の処置能力および判断力を身につけるために大きな貢献をしてくれるはずです。なお、同訓練センターに設置されている3台のシミュレータも最新の機能に見合った内容にアップデートされています。普段は目にすることのできない施設ですが、鉄道の安全がこういった訓練センターによってしっかりと護られていることを、私たちも再認識したいと思います。

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▲接阻峡温泉駅はアプト開通までは川根長島駅を名乗っていた井川線の主要中間駅。現在でも16:26着→翌10:27発の折り返し列車の設定があり、構内には駐泊設備もある。'08.4.20
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さてその井川線ですが、実は昨年7月より静岡県農林事務所の治山工事のため千頭~奥泉間が運休しバス代行となっていました。この3月29日より全線の運転を再開したばかりで、川根両国、沢間、土本、川根小山といったアプト区間手前で列車の姿が見られるのは8ヶ月ぶりということになります。

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▲道路橋上から見た川根両国の井川線両国工場。静態保存されているDD107の姿も見える(左)。右は千頭駅構内の井川線車輌たち。奥に見えるオープンデッキのスハフ1形はこの連休の5月3~5日には「かわかぜ号」としてDBに牽かれて千頭-川根両国間を走る。'08.4.20
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▲かつての千頭森林鉄道の分岐駅であった沢間駅。千頭からこの沢間までの区間が3'6"と2'6"のデュアルゲージとなっていた。画面前方が千頭方で、右の道路がかつての千頭森林鉄道軌道跡。'08.4.20
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ikawa384.jpgその運休区間にある沢間駅はかつての千頭森林鉄道の分岐駅でもあります。千頭駅裏の貯木場を出た千頭森林鉄道の列車は、デュアルゲージで井川線に乗り入れ、川根両国、沢間と進み、ここ沢間駅から寸又川沿いに渓谷を分け入ってゆきました。地元観光協会が「すまた号」と命名した湯治客輸送列車も走っていたというこの千頭森林鉄道は、東京営林局管内としては最大規模の森林鉄道で、その廃止も1968(昭和43)年4月と森林鉄道としては比較的後年です。現在でも寸又峡温泉に機関車や客車が保存されているのはかつてご紹介(アーカイブ「寸又峡温泉の保存車たち」参照)したとおりです。
▲その沢間駅構内の柵には千頭森林鉄道で使われていたと思われる軽レールが…。'08.4.20
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▲満開の山桜を潜るように接阻峡温泉に到着する下り列車。井川線の下り列車はすべて制御車クハ600形が先頭となる。'08.4.20

途中交換駅の接阻峡温泉、かつての川根長島を過ぎるとさすがに並行道路も険しい山道となり、井川線はまさに深山幽谷の中へと分け入ってゆきます。ことに尾盛-閑蔵間は取り付け林道さえなく、線路は等高線をトレースするかのようにうねうねと森の中を走り続けます。

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▲昔から変わらぬ井川線のハイライト関の沢橋梁をゆく。1954(昭和29)年、高さ100mのこの橋梁の完成をもって井川線が全線開通した。'08.4.20

その尾盛-閑蔵間、第2尾盛隧道と平岩隧道に挟まれた断崖絶壁に架かるのが古くから井川線のシンボルとなってきた関の沢橋梁です。長さ114mの雄大なアーチ橋は水面からの高さ実に100m。近年では通過する列車は歩くほどの速度まで減速し、乗客にその景観を披露しています。それにしても今でこそ客車も密閉タイプとなったものの、最初に訪れた頃はまだまだオープンデッキの旧型客車が全盛で、この橋を渡る時は結構な恐怖だったのを思い出します。

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▲終点・井川で発車を待つ上り千頭行き。井川駅の構内は狭隘な崖ふちにへばりつくように広がる。'08.4.20
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そして最後に訪れたのが終点の井川駅です。井川ダム堰堤に隣接するように設けられたこの駅は、今でこそ観光客で賑わっていますが、本来はダム建設の人員・資材輸送の要衝でした。もっとも実際の貨物ヤードはさらに先に伸びた貨物専用線の堂平と呼ばれる場所に設けられていました。

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▲井川駅本屋(左)と本線の終端部分(右)。ただし、線路は手前で分岐しさらに貨物駅であった堂平まで続いている。井川線本来の使命は井川ダムの建設資材をこの堂平基地まで運搬することにあった。'08.4.20
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ところでこの井川-堂平間の専用線、いったんは軌道撤去されたものの、奥地の小規模ダム建設用資材輸送のために1986(昭和61)年に復活を果たしています。ここを使って小型蒸気機関車の動態保存運転をできれば…と当時副社長だった白井 昭さんからうかがったことがありますが、もし実現していれば、アプトとともに井川線のもうひとつのアピールポイントとなったことでしょう。

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▲ED90を先頭にアプト区間を下る千頭行き。背後には長島ダムの偉容が迫る。'08.4.20 長島ダム?アプトいちしろ
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大井川鐵道本線の蒸気機関車も久しぶりなら、井川線を訪ねるのもほぼ2年ぶりとなります。ただ、その間に白井 昭さんのRMライブラリー『大井川鐵道井川線』を編集していますので、感覚的にはそれほど久しぶりとは思えないのが不思議です。

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▲アプト区間ひと駅間で89mの標高差を克服するだけあって、眼下を行く列車も見事に傾斜して見える。'08.4.20 長島ダム?アプトいちしろ

ikawa420n3.jpgアプトいちしろ駅から坂を上がっていった所にあるアプト区間を一望できるポジションへ。1990(平成2)年のアプト区間開業時、いや開業前の試運転時から幾度となく訪れているお馴染みのポジションですが、ここに来るたびに思い出されるのは交通博物館副館長だった松沢正二さんのありし日のお姿です。日本鉄道保存協会の顧問で交通関係の著作が多い松沢さんですが、実は洋ランの研究家としてもたいへん高名で、植物に関しても信じられないほどの博識をお持ちでした。かつてこのポジションでご一緒した時、撮影の間合いに周辺の草木を丁寧に説明してくださいましたが、私のような者にはただの“雑草”にしか見えない足元の植物を、慈しむように熱心に語られていたのを昨日のことのように思い出します。
▲3輌のED90はそれぞれ異なった汽笛を備えており、その音色で個体識別が可能。'08.4.20 アプトいちしろ
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▲ED90のサポートでアプト区間を下り、再び自力で千頭へと向かうDD201牽引の上り列車。DD201はスイスの姉妹鉄道にちなみ“ROTHORN”とネーミングされている。'08.4.20 アプトいちしろ

早いものでアプト開通から18年、長島ダム周辺も大きく様変わりしました。かつては「閑蔵林道」だけだった沿線道路もすっかり整備され、少なくとも千頭~接阻峡温泉間は初心者ドライバーでも楽々走れる快適な道となっています。あまりの渓谷の険しさから人を阻む=接阻峡と名づけられたという秘境も着実に新しい時代を迎えているようです。

ikawa420n5.jpg余談ながらその閑蔵林道には苦い思い出があります。四半世紀以上も前のことですが、当時はそれほど普及していなかったレンタカーを借りて井川線の撮影に向かった時のことです。例のごとく、自損であろうと必ず警察で事故証明を…と借り受け時に営業所で念を押されたのですが、こともあろうに閑蔵林道で落石にあってしまったのです。ボンネット・リッドが凹む程度の損傷で走行に支障はなかったのですが、さて、事故証明となると…。
▲2001(平成13)年製の展望客車スロフ316。井川線用車輌としては一番新しい車輌である。'08.4.20 アプトいちしろ
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長島の駐在所まで行き、迷惑顔のおまわりさんを連れて現場確認に戻ったものの、今度は肝心の“現場”がどこだったかわからなくなってしまいました。とにかくいたる所落石だらけで、今さら思えばよくぞ普通乗用車であんな林道へ分け入ったのもだと思いますが、とにかく適当(!)に現場を確認して証明書を作ってくれました。ただ、そんなこんなで半日が潰れてしまい、結局、その日の井川線の写真はほとんど残っていません。

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▲横郷付近を行くC10 8牽引の臨時列車。桜も終わり、川根路はもうすっかり新緑に包まれている。ちなみに今回の一連の写真はすべてコンパクト・デジカメによる撮影。'08.4.20 塩郷?下泉
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先日、名古屋からの帰路、ひさしぶりに大井川鐵道を訪れました。前回の訪問がC11 190の炭庫換気窓を見に行った(アーカイブ「C11 190の“換気窓”」参照)一昨年のゴールデンウィークですから、またしても2年近くご無沙汰をしてしまったことになります。

IMGP6429nn.jpg午前中から20℃を超えて初夏を思わせる日差しの下、新金谷駅駅頭は時ならぬ人出でごったがえしていました。今日は「川根茶の日」のイベント開催に合わせてC10牽引の臨時列車も運転されるのだそうで、バスを連ねてやってきた団体観光客を交えてたいへんな賑わいぶりです。人ごみを掻き分けて改札口に辿りついてみれば、定期の「かわね路号」(101レ)はとっくに満席。蒸気機関車の動態保存がいろいろな面で難しい局面を迎えているなかにあって、この賑わいぶりはなによりも心強い限りです。
▲つつじに彩られた家山駅。木製のラッチがこの駅が歩んできた時の流れを想わせる。'08.4.20
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IMGP6435nn.jpg気がついてみれば、国鉄本線蒸機廃止の翌年、1976(昭和51)年に運転を開始した「かわね路号」も今年で33年目を迎えることになります。まだ山口線での動態復活など影も形もなかった時代に、パイオニアとして蒸気機関車の動態保存に取り組んだ大井川鐵道は、わが国のその後の動態復活に大きな道筋を示してくれました。残念ながら今回は出会うことができませんでしたが、最初の動態保存機となったC11 227が今もってシンボル的存在として元気に活躍してくれているのも嬉しい限りです。
▲「川根茶の日」のヘッドマークを掲出した1001レ。この日は最後部に展望車スイテ82を連結した3輌編成。'08.4.20 崎平?千頭
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▲新金谷の車輌区をちょうど見下ろす位置に新道の陸橋が出来ていた。折りしも通り過ぎてゆくのはもと近鉄16000系の下り普通列車。画面右へ伸びてゆくのは構外側線。'08.4.20 金谷?新金谷
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木造の新金谷駅をはじめ、周囲はほとんど変わることなく2年ぶりの再訪を迎えてくれましたが、少しばかり驚いたのは車輌区の上り方に立派な陸橋ができていることでした。

IMGP6361nn.jpg新金谷駅の上り方、ちょうど車輌区の東側あたりからは大井川河岸へと続く構外側線が分岐しており、以前は一帯が茫洋とした荒地でした。それが驚いたことに立派な道路が造成中で、その取付道として大井川鉄道本線を跨ぐこれまた立派な陸橋が新設されています。どうやら構外側線周辺は宅地として開発されるようで、一部はすでに区画整理まで完了しています。陸橋上から見下ろすと車輌区が手に取るように見渡せ、これまでにないアングルが実に新鮮ですが、その一方、文字通りのトワイライトゾ?ンとなっていた構外側線は、踏切を含めてすっかり整備されてしまい、その点はちょっと拍子抜けではありました。
▲同じく陸橋上から新金谷構外側線をのぞむ。この付近は新道の建設とともに宅地開発も進んできている。'08.4.20
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▲大井川第3橋梁を行くC56 44牽引の101レ「かわね路号」。先ごろ復活なったC56も4年ぶりに汽笛を響かせている。'08.4.20

IMGP6476nn.jpgC10 8牽引の「川根茶の日」1001レに続いてやってきた定期101レ「かわね路号」はC56 44の牽引。昨年10月にタイ国鉄仕様となって4年ぶりの復活を遂げた機関車(アーカイブ「C56 44“タイ国鉄仕様”が試運転」参照)ですが、私は復活後の姿を目にするのはもちろん初めて。結構蒸し暑く感じる気温とあいまって、大井川第3橋梁を行くその姿が、かのカンチャナブリとオーバーラップして見えたのは気のせいでしょうか
▲101レの後部につくのは住友大阪セメント伊吹工場専用線からスカウトされてきたED501形「いぶき」。'08.4.20
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489系トップナンバー健在。

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▲国鉄特急色ボンネット車の並びがまだ見られるとは…。予備編成(奥)と顔を合わせたトップナンバーH1編成。'08.4.3 金沢総合車両所 P:RM(新井 正)
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1958(昭和33)年11月、“ビジネス特急”「こだま」は、従来の国鉄車輌のイメージを根底から覆すボンネットスタイルで鮮烈なデビューを飾りました。そうです、1958年ということは今年でちょうど50年、半世紀を迎えることになるのです。

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▲Tc489-1とTc489-501の車体標記。形式記号の頭につく直径40㎜の●印は今や過去のものとなった「横軽対策車」の証。'08.4.3 金沢総合車両所 P:RM(新井 正)

オリジナルのモハ20系(151系)から161系、181系、481系、485系と脈々と引き継がれてきたボンネットスタイルは、1971(昭和46)年に横軽(碓氷峠)対応の489系へと継承されます。最初に誕生したのは先頭車クハ489形をはじめ、モハ488・489形、サロ489形、サシ489形の5形式54輌。なかでもクハ489形はEF63形と連結する関係から向きが固定され、下り方が0番代、上り方が500番代と作り分けられました。

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▲唯一の定期ボンネット運用となった「能登」で活躍を続ける金沢のトップナンバー編成H1(写真はTc481-501)。1971(昭和46)年生まれの現役長老車輌である。ちなみに現在「能登」は必ず国鉄特急色のボンネット車が充当される貴重な列車である。'08.4.3 金沢総合車両所 P:RM(新井 正)
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そのクハ489形0番代、500番代のそれぞれトップナンバーが奇跡的に生き残っている、しかも“今なお現役”として生き残っていると聞き、本誌今月号では金沢総合車両所にうかがい、その姿を詳細にご紹介しております。

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▲ボンネット型特急電車のシンボルのひとつでもある運転席上のライトカバー(左)とボンネット裾部に設けられたMG冷却用の空気取り入れ口。'08.4.3 金沢総合車両所 P:RM(新井 正)
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誕生から37年の歳月が経過しているにも関わらず、同所H1編成の前後に組み込まれたトップナンバー車は、さながらいぶし銀のごとき輝きを放っています。細かい差異はあるものの、基本的はシェープとしては半世紀前から何ら変わっていないボンネットスタイルと国鉄特急色は、時空を超えて生き続けられるデザインの力を私たちに再認識させてくれるかのようです。

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▲Tc489-1の運転室。オリジナルと比べると、各種保安装置が追加されたほか、マスコンがMC53形に交換されている。'08.4.3 金沢総合車両所 P:RM(新井 正)
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現在このトップナンバーをはじめ、金沢総合車両所に配置されている489系は4編成34輌。H1?H3の9輌編成3本が急行「能登」に運用されており、そのほかにラウンジカーの組み込まれていない7輌編成1本が予備として在籍しています。そして驚くべきことにその4編成すべての先頭車がボンネットスタイルで、しかも国鉄特急色なのですから、まさに奇跡と言っても過言ではないでしょう。なお、この金沢総合車両所のトップナンバー編成については発売中の本誌でたっぷりとご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

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先日の中国・遼東半島の旅にはペンタックスの最新鋭デジタル一眼「K20D」と、これまた発売になったばかりの標準ズームDA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡを携行しました。これまでにも「*ist DL2」などペンタックスのデジタル一眼には少なからず馴染んできただけに、初めて手にする「K20D」にもとりたてて戸惑うことはなく、初日から旧知のごとく使いこなすことがでました。
▲大半の電車が折り返す華楽広場電停付近まで来ると、市街地の喧騒が嘘のように静かな街並みが続く。茫々とした夕日がわずかなハイライトとなって市電を照らす。こんなデリケートなライティングにもK20Dはしっかりと応えてくれた。'08.3.20 春海街?華楽広場(DA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡ)
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被写体はひさしぶりに再会した大連市電。かつては戦前の日車製オリジナルのままの3000形や、“犬顔”の現地製1000形などが行き交っていた路線にも、今や連接車体のLRTが幅をきかせつつあり、すっかり様変わりしてしまっていました。大連市電に関しては近日中に改めてご紹介いたしますが、今日はこの市電散策で活躍してくれた「K20D」を詳しくご紹介いたしましょう。

k20ddaienekimae.jpgペンタックスのフラッグシップたる「K20D」の“売り”はなんと言っても有効約1,460万画素の新開発CMOSセンサーです。もちろんさらに画素数の大きなデジタル一眼レフも世の中には存在しますが、大判の誌面が売りの本誌にあっても、これほどの有効画素数があれば充分以上で、見開きにさえまったく問題なく反映できます。しかも他のいわゆるハイエンド機がそれなりに大きく重いのに対して、この「K20D」は質量715グラム(本体のみ)と非常にコンパクト。海外の旅では、数日経つうちにこのコンパクトさが何ものにも代え難いメリットとなって実感されるはずです。
▲大連の旅をともにしてくれたペンタックスK20D+DA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡ。ちなみにこの写真の撮影もペンタックスOptio S4。'08.3.20 大連駅前
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▲民主広場(日本時代の敷島広場)電停を行く戦前の日車製3000形更新車。ペンタックスK20D+DA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡの組み合わせは街歩き+路面電車撮影にはもってこいだ。'08.3.20
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また、明暗差の大きい鉄道撮影にはこの「K20D」が採用したダイナミックレンジの拡大が非常に奏功しており、ことに印象的な朝夕の斜光線を活かす撮影にはもってこいです。さらにボディ内蔵手ぶれ補正機構=シェイクリダクション(SR)が意外なほど心強く、標準レンズで手持ち1/4secまでは確実にブレない…などと日頃から豪語している身にとっても、ありがたい限りでした。

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▲201系統の終点・海之韻公園へと下りこんでくる3000形更新車。近年路線延長された区間で、周囲は海沿いの造成地が続く。'08.3.20(ペンタックスK20D+DA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡ)
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▲上の写真の部分アップ。シェイクリダクション機構が効いて、露出のない厳しい条件にも関わらずブレは見事に押さえられている。'08.3.20

これらのほかにも各種カスタムイメージの設定など新機軸が盛りだくさんですが、鉄道撮影に意外と“使える”のが、高性能デジタル一眼レフにはなぜかほとんど装備されてこなかったライブビュー機能です。コンパクト・デジカメの場合はモニター優先でむしろファインダーがないがしろにされてきたきらいがありますが、逆にデジタル一眼レフの場合、モニターは撮影画像を確認するもので、ライブビュー機能は省略されてしまうのが一般的でした。それだけにこの「K20D」のライブビュー機能搭載はまさにわが意を得たりの思いです。今回もファインダーを覗くことのできない車輌の部分写真などに、さっそく活用させてもらいました。

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▲3000形コントローラーのアップ。このサイトでアップロードできる限界まで画像容量を大きくしているので、ぜひ拡大してご覧いただきたい。ウェッブでは1460万画素の実力のほんのわずかしか伝えられないが、それでもこのポテンシャル。もちろん手持ち撮影。'08.3.20(ペンタックスK20D+DA18-55㎜F3.5-5.6ALⅡ)
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最速約3コマ/秒(連続撮影コマ数最大約38コマ)もよほど特殊な状況下でもない限り充分以上で、なによりもシャッターレスポンスが非常にクイックで、その点でも鉄道撮影にはもってこいです。もちろんセールスポイントとして謳われている防塵・防滴構造も過酷なフィールド撮影が少なくない鉄道写真向けと言えましょう。

詳しくはペンタックスK20Dスペシャルサイトへ(→こちら

名鉄パノラマカーに乗る。

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先週末は名古屋方面に出掛け、久しぶりに名鉄7000系パノラマカーに乗る機会がありました。かつては名古屋本線に限らず、犬山線、河和線等々、移動の足としてとりたてて意識することもなく乗ってきたパノラマカーですが、引退まで一年あまりと聞くと、改めてその存在を意識せざるをえません。
▲名鉄名古屋駅に到着しようとする犬山行きパノラマカー7011F。通常運用にも関わらず、先頭展望室はまるでイベント列車のような賑わい。'08.4.19
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それにしても、噂には聞いていたものの、パノラマカーの人気ぶりには驚かされました。須ヶ口?佐屋間の区間運用(津島・尾西線)あたりでも家族連れを含めて前面展望室は満員。折り返しの間にはその特徴あるフロントマスクをカメラ(携帯電話?)に収めようという人たちでホームは時ならぬ賑わいとなっています。

meitetu7000n2.jpg最盛期には116輌の大勢力を誇った7000系ですが、今や残されているのは6連4本、4連6本の48輌のみ。しかも土休日は6連の運用が極めて少なく、4連運用も充当される営業列車は往時とは比べものにならないほどの激減ぶりです。それでもまだ今のところは、本線は名鉄岐阜?東岡崎間、犬山線は犬山、津島・尾西線は弥富、河和線は河和、知多新線は内海までなどの運用が組まれており(土休日は常滑方面への運用はなし)、各線でその走行シーンを目にすることができます。
▲鳴海で発車を待つ7011F。もと白帯車編成で前面方向板にその名残をとどめる。'08.4.19 鳴海
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ただ、それもあとわずか。6月以降は4連3本を除いて運用を離脱する模様で、そうなると乗るチャンスはおろか、遭遇する機会さえほとんどなくなってしまうと思われます。

meitetu7000n5.jpg名鉄パノラマカーと言えば思い出すのが、本誌41号(1987年5月号)のインタビュー「萩原政男さんのデザインと発展期の国鉄車輌」です。1956(昭和31)年から4年間にわたって国鉄諮問委員としてさまざまな提言を行ない、またインダストリアル・デザイナーとしてEH10などのデザインに足跡を残された萩原政男さんに国鉄分割民営化の機を捉えてお話をうかがおうという企画で、京王帝都電鉄参与を務められておられた合葉博治さん、デザイナーの岡田徹也さんと八王子のお宅に伺いました。
▲よく見ると先頭部ライトケース(ショックアブソーバー)上などには滑り止めが施されているのがわかる。'08.4.19 鳴海
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▲本線はおろか、津島線の区間運用が到着してもこの賑わい。今や老若男女入り乱れてパノラマカーは大人気。'08.4.19 須ヶ口
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主題は国鉄車輌だったのですが、それでもかなりの比重でお話が及んだのが、萩原さんの代表作のひとつ、ほかならぬ名鉄パノラマカーでした。イタリア国鉄のETR300形「セッテベロ」にいたく感激した萩原さんが、折りしも特急車の相談があった小田急に二階運転台のプランを提案したものの実現せず、その後、国鉄臨時車輌設計事務所の紹介で名鉄の新車デザインに関わり、結果として7000系パノラマカーが誕生してゆく経緯には、思わず身を乗り出して聞き入ってしまったのを昨日のことのように覚えています。

meitetu7000n6.jpg名鉄は当初計画していたボンネット形を覆し、萩原デザインに傾倒してゆきます。「前面ガラスを前端まで出して展望室の空間を大きくとるとともに乗客の安全に万全をつくす。前面ガラスも製作・維持効率の悪いカーブガラスをあえて使わず強度も出せる平面ガラスとし、万が一の事故に備え強力なショックアブソーバーを前面に内蔵する(中略)特にショックアブソーバーはむき出しにしますとそれだけで乗客に“危険な車輌”の印象を与えかねませんので、デザイン的に処理することが重要になってきます」(本誌41号より)と語っておられたのがとりわけ印象的でした。
▲神宮前駅の不思議な踏切。左はJR線で、名鉄線との間にわずか2mほどの“空間”がある。'08.4.19
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▲名古屋本線を快走する豊明発犬山行き1791列車のモ7012展望室。なお、列番の「17」は名古屋駅の時刻、「9」は犬山線系統を示している。'08.4.19
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今は亡き萩原さんの温厚な話しぶりを思い浮かべながら、改めて7000系パノラマカーを眺めてみると、誕生から47年、いささかも陳腐化していないデザインの美しさに気づかされます。年末に予定されている0系新幹線の運用離脱、そして来年の7000系の引退と、時代はひとつの大きな節目を迎えているようです。

消える北海道の夜行特急。

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先週末、JR北海道から「道内夜行特急列車の運転終了について」と題されたプレスリリースが発表されました。これまで観光シーズンや年末年始の多客期に臨時列車として運転されていた「はなたび利尻」、「オホーツク81号・82号」、「まりも」の運転を終了するというもので、夜行列車王国であった北海道を知る者としてはなんとも衝撃的な発表です。
▲運転終了がアナウンスされた直後に捉えられた「まりも」。利用客の減少が続いていると伝えられる。'08.4.20 島松?恵み野 石原幸司さん撮影(「今日の一枚」から)
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プレスリリースによると、「はなたび利尻」、「オホーツク81号・82号」に関しては今後の運転を行わないということですので、前者は昨年9月30日稚内22時05分発の札幌行き「はなたび利尻」が、後者は去る3月16日網走22時20分発札幌行き「オホーツク82号」がラストランとなったことになります。いっぽう、「まりも」については“平成20年夏をもって運転を終了”とアナウンスされており、今年の夏休みに運転される列車がファイナルトレインとなるものと思われます。

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参考までにJR北海道のリリースより「利尻」、「オホーツク」、「まりも」系統の大まかな変遷をご紹介してみましょう(詳細は『列車名変遷大事典』をご覧ください)。
▲蒸機ファンにはとりわけ懐かしい「大雪」を引き継いだのが「オホーツク」。ファイナルセレモニーもなく消えていったことになる。'94.5.20 岩見沢 P:RM(高橋一嘉)
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■夜行『利尻』
昭和33年札幌?稚内間に準急列車『利尻』として運転開始
昭和41年急行列車に変更
平成12年特急列車に変更
平成18年3月ダイヤ改正より季節列車化
平成19年9月30日、稚内22時05分発 札幌行き「はなたび利尻」で終了
■夜行『オホーツク』
昭和24年函館?網走間に準急列車として運転開始
昭和33年愛称名が『石北』となる
昭和41年急行列車に変更
昭和43年愛称名を『大雪』に変更
平成4年特急列車に変更、愛称名を『オホーツク』に統合
平成18年3月ダイヤ改正より季節列車化
平成20年3月16日、網走22時20分発 札幌行き「オホーツク82号」で終了
■夜行『まりも』
昭和24年函館?釧路間に準急列車として運転開始
昭和26年愛称名が『まりも』となる
昭和40年札幌?釧路間の急行列車『まりも』として運転
昭和43年愛称名を『狩勝』に統合
昭和56年石勝線経由で札幌?釧路間の急行列車『まりも』として運転
平成5年特急列車に変更、愛称名を『おおぞら』に統合
平成13年夜行『おおぞら』の愛称名を『まりも』に変更
平成19年10月ダイヤ改正より臨時列車化

この3系統の運転終了にともない、列車種別を問わず、道内に残る“夜行列車”は青森?札幌間を結ぶ急行「はまなす」のみ(東京・大阪方面からの夜行特急を除く)となり、始発・終着ともに道内で完結する夜行は皆無となってしまいます。夜の函館駅や札幌駅ホームを陸続と発車してゆく夜行列車群を実体験している世代としては、なんとも感慨深いものがあります。

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▲終着駅妙見(現・妙見口)に到着する52号。現在では車輌もホームもすっかり近代化したが、この付近は今なお緑多く当時の面影を残している。 '58.6.2 P:高橋 弘(RMライブラリー『能勢電むかしばなし』より)
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毎月ご好評をいただいているRMライブラリー、まもなく発売の第105巻は『能勢電むかしばなし』をお送りします。

RML105n.jpg現在では沿線開発が進み、大阪・梅田への直通特急も走る通勤路線となった能勢電鉄ですが、その終着駅が妙見口であることからもわかるように、もともとは能勢妙見山への参拝客輸送を目的に開業した“軌道線”でした。線路の付け替えや車輌の大型化などにより現在のような姿になったのは、沿線の宅地化が急速に進んだ昭和40年代以降のことで、それまではトロリーポール集電の小型電車が未舗装の併用軌道を走る、実にのんびりした情景が展開されていました。

nose3n.jpg現在、30代以上の私鉄電車ファンの方なら、1981(昭和56)年まで川西能勢口~川西国鉄前間だけ紺色とクリーム色に塗り分けられた小型電車が運転されていたのをご記憶かと思いますが、これは軌道時代の名残りとも言える存在でした。また、開業当初は沿線に三ツ矢サイダーの工場があり、電動貨車がその輸送の任を担っていたのも特徴のひとつでした。ちなみに軌道から地方鉄道への変更は1977(昭和52)年、社名が「能勢電気軌道」から現在の能勢電鉄に変更されたのは翌78年のことです。
▲多くの電動貨車が在籍したのも能勢電の特徴のひとつ。この105号は伊予鉄から譲り受けたもので、かつて大阪市電の2階電車が履いていたものとされるドイツ・ヘルブランド製台車を履いていた。'57.6.3 絹延破橋車庫 P:久保田正一(RMライブラリー『能勢電むかしばなし』より)
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▲31形車内。大きな直接制御の制御器、鞄を下げた車掌の姿も今では懐かしい。'58.6.2 P:高橋 弘
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本書では1913(大正2)年の開業時に用意された4輪単車から、昭和40年代初頭にパンタグラフ化される頃までの車輌のあゆみを中心にご紹介しております。執筆は能勢電鉄車両課OBの岡本 弥さん、そして本誌の協力編集者であり沿線住民でもあるレイルロードの髙間恒雄さんで、当事者でなければ知りえなかった裏話も数多く盛り込んだ、たいへん読み応えのあるものとなりました。

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▲鼓滝駅に停車中の能勢口行き50号。現在はこの東側をトンネルで通過するようになり、駅も移動している。 '58.11.2 P:高橋正雄
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なお、能勢電気軌道の会社としての創業は1908(明治41)年5月23日で、まもなく創業100周年を迎えます。この機会に、能勢電100年の歴史を振り返る本書をぜひお手元にお揃えください。

塩田のナロー続報。 動画付

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7回にわたってお送りした「遼東半島に未知の大ナローゲージ網を探る」には、多くの方(もちろんナローファンの方…)から数多くの熱いメッセージを頂戴いたしましたが、今日はそのなかから、寺田牧夫さんからお送りいただいたたいへん興味深いお便りを紹介してみたいと思います。まずはそのメールをご覧ください。
▲車窓から捉えた謎のナロー。遥か彼方にブルーの小さな機関車に牽かれた列車の姿が…。この写真は300mmレンズでほぼノーカット。'84.10 P:寺田牧夫

昨日の普蘭店のナローについてのブログ、興味深く拝見させて頂きました。実は20数年前、1984年10月に朗郷森林鉄道の帰路に、大瀋線列車の窓から遠方をトコトコ走る、貼付のようなトロッコを見つけてあわててカメラを向けました。当時のメモに普蘭店駅到着前と書いてありましたので、北方5?10kmくらいの地点右(西)側だと思います。当時は何も情報も無く、HP上で呼びかけてみましたが、現在に至るまで全く手がかりがありませんでしたが、ブログを拝見して何か関係があるかと思いメールさせて頂きました。

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地図を見ますと海からは少し距離があるようですが、積み荷が白っぽくて塩のようにも見えます。製塩工場へ向かう姿かもしれません。機関車は子供が絵に描いたような機関車で、現在のものとは違いますが、20数年の経年では代替わりも当然あるかと思います。
▲こちらはその後のカットを思い切りトリミングしたもので、35ミリ判カメラで1000mm相当くらいに拡大した換算となるという。L型車体を持つ機関車であることがわかる。'84.10 P:寺田牧夫

最初の写真は300mmレンズでほぼノーカット、2枚目はその後のカットを思いっきりトリミングしたもので、1000mm相当くらいになっていると思います。本線からは1km以上離れているかもしれません。あわてて撮影したためあまり良い絵ではありませんが、ご参考になれば幸いです。

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添付された写真を拝見して、おもわず「やっぱり」と膝を叩く思いでした。と申しますのも、かつて鉄道とはまったく関係ない旅行者のサイトで、普蘭店で散歩中に遭遇した小さな列車が画像付きで紹介されていたことがあり、今回の訪中でもその正体を解明したいと思ったからこその普蘭店連泊だったのです。
▲普蘭店市街に隣接して塩田の表記が見える。鉄路局沈大線が普蘭店駅に入る手前で、寺田さん撮影の塩場と思われる。名前はその名も「大塩場」と称されていた。
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結論から申しますと、またしても遅すぎました。地図でも表記されているように、沈大線普蘭店駅の西には広大な塩田が広がっている“はず”でした。実際、普蘭店駅前のバスターミナルから出るバス路線のトップ=101系統は今もって「大塩場」行きです。バスの運転手に大塩場は…と聞いてみると、「没有」つまり「ない」とのこと。念のため現地に確認に赴いてみましたが、もと塩田らしき広大な干潟は、今や工業団地とマンションの建設ラッシュでした。恐らく数年前であれば復州湾とは違ったL型機がトコトコと走り回っていたのでしょうが、もはやその影すら垣間見ることはできませんでした。

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繰り返しになりますが、遼東半島にはご紹介した復州湾のほかにも数多くの大規模な塩田が存在します。この普蘭店「大塩場」もご紹介した大連復州湾塩場とは別の会社が経営していた塩田のようで、孫副長も「他所の塩場のことは知らない」とのことでした。遼東半島東岸でも数年前に塩田の軌道を目撃したという情報もあり、その実態解明はまさに始まったばかりです。このささやかなブログを端緒として続報がもたらされることを切に期待したいと思います。
上の画像をクリックすると動画(約6分)がご覧になれます。
※音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

というわけで、貴重な情報をお寄せくださった寺田牧夫さんへのお礼も込めて、週末でもありますので、復州湾塩場の動画をたっぷりとご覧に入れたいと思います。なお、もし現地にお出でになろうとされる方がおられましたら、出荷は3?4月と10月?11月がピークで、ことに11月が最盛期であることを申し添えておきたいと思います。聞くところでは第8塩場線などは最盛期には一日20往復以上の運転があるそうです。もちろん、この4月も繁忙期で、いまこの記事をご覧になっているその瞬間にも、各塩場からの列車が渚を走り続けているはずです。

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▲クリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号の懐かしい塗色に復元された0系R67編成。“丸鼻”の顔にはやはりこのカラーリングが良く似合う。'08.4.17 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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3月2日付け「有終の美、青い0系復活へ」で速報したJR西日本の0系復元色編成の第一弾が完成、本日から営業運転入りしています。

0keihakata4.jpg現在「こだま」運用に残されている0系はJR西日本博多総合車両所所属の5本(R61、R63、R64、R67、R68/いずれも6輌編成)。このうちR63、R64編成を除く3編成が0系誕生時のクリーム10号(アイボリーホワイト)と青20号の塗り分けに戻される予定ですが、まず塗色変更が完了したのは現存唯一の先頭車化改造編成でもあるR67編成です。
▲屋根上もしっかりとオリジナルの銀色に戻された。ただし、パンタグラフカバーはそのまま残されている。'08.4.17 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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▲22形7951のサイドビュー。このR67編成は両先頭車ともに先頭車化改造されたレアな編成である。'08.4.17 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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車体塗色のみならず、屋根部外板もオリジナルの銀色に、さらに床下機器と台車も黒色にと、まさに東海道時代の懐かしい姿が再現されていますが、室内のアコモ関係は特に変更はされていません。

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▲2+2配置の客室内と運転台。今回は車内にはまったく変更されておらず、これは他編成とも同一。'08.4.17 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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充当された営業初列車は博多南線(博多南7:14→博多7:24)で、山陽新幹線としては博多9:19発の「こだま638号」で岡山(12:53着)へと向かっています。さっそく「今日の一枚」にもこの「こだま638号」の麗しい走行シーンのご投稿をいただいておりますが、あの青とクリームの塗り分けにななぜかホッとする思いを抱くのは決して私だけではないでしょう。

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▲N700系3000番代と顔を合わせたR68編成。6月に塗色変更予定の編成で、逆にこのダークグレーとフレッシュグリーンの現塗色は6月末をもって姿を消すこととなる。'07.6.26 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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今後はR61編成が5月下旬、R68編成が6月下旬に復元塗色として出場する予定ですが、一方、この6月末までにはR63編成とR64編成が廃車となり、ダークグレーとフレッシュグリーンの現塗色は消滅することとなります。既報(500系新幹線「こだま」化改造たけなわ)のとおり、現在500系の「こだま」転用改造がたけなわで、11月までに全9編成中5編成が改造され、この完成を待って“有終の美”を飾る復元色0系3編成も11月30日をもって引退(その後、臨時列車としてのさよなら運転を予定)することとなります。

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▲最後の春を行く犬山モノレール。路線は道路上ではなく、最急勾配は97‰。森の中を抜ける区間もあり、なかなか変化に富んでいる。'08.4.6 犬山遊園?成田山 P:高橋一嘉
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名鉄は昨年12月17日、モンキーパークモノレール線(通称:犬山モノレール 犬山遊園?動物園間1.2km)の2008(平成20)年12月28日付け廃止を発表しました。このモノレール線は名鉄が経営する犬山市内の遊園地「ラインパーク」(現・モンキーパーク)に動物園が開設されるのに合わせ、「ラインパークモノレール線」として1962(昭和37)年3月21日に開業したもので、跨座式モノレールとしては日本初の営業路線のものでした。今日は、先日このモノレールを訪れた高橋一嘉君の写真とレポートで、犬山モノレールを振り返ってみることにしましょう。

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▲終点動物園駅の入口(左)。駅自体は「モンキーパーク」の敷地内にあり、利用客のほとんどが直接モンキーパークへ入るためか、一般道路からの入口はかなり寂しい。右はトラバーサーが備わる動物園駅構内の検修施設。ちなみに路線上に分岐器はない。'08.4.6 P:高橋一嘉
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モノレールの起源は1821年イギリス人ヘンリー・パルマにより発明されたものとされていますが、都市交通として旅客用のものが実用化されたのは1901年、ドイツ・ヴッパータールでのことです。RMライブラリー94『江ノ電旧型連接車物語』で触れられているように、日本でも昭和のはじめ頃からいくつかのモノレール路線が計画されていましたが、いずれも実現することはありませんでした。戦後、1950年代になるとまず遊園地「豊島園」に懸垂式モノレールの遊戯物が登場、その後、路面電車に代わる新たな都市交通の手段として積極的に研究開発が進められるようになり、1957(昭和32)年に日車製懸垂式を採用した営業路線第一号が東京・上野動物園内に誕生したのはご存知の通りです。

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▲犬山遊園駅を出発する。手前の線路は名鉄犬山線。'08.4.6 P:高橋一嘉
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inuyama003.jpg犬山は営業路線としては上野に次ぐ第2号となりましたが、上野が園内に限られた交通手段であることを考えれば、短い距離とはいえ本格的な営業路線としては犬山がパイオニアということができましょう。この犬山の跨座式は日立製作所が西独ALWEG社と技術提携して開発した「日立アルウェーグ式」と称するもので、この方式は犬山での実績をもとに名鉄も運営に参画した東京モノレールで花開くことになり、やがてこの規格をもとに日本の跨座式モノレールの標準規格がまとめられていくことになります。ちなみに名鉄自身も岐阜?養老間など40kmあまりの跨座式モノレール路線の免許申請をしましたが、結局これが実現することはありませんでした。
▲車内に誇らしげに掲げられた「HITACHI ALWEG」のプレート。'08.4.6 P:高橋一嘉
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▲車内は車体全周が貫通しているためもあって広々と感じる。アルウェーグ式の特徴である台車部分の車内へのでっぱりがあるのは東京モノレールと同様。天井にはファンデリアが並ぶ。'08.4.6 P:高橋一嘉
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▲名鉄電車の御札でお馴染みの犬山成田山の境内を行く。唯一の途中駅である成田山駅も有人駅である。'08.4.6 犬山遊園?成田山 P:高橋一嘉
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現在の犬山モノレールは、開業時に比べ正式路線名こそ変わったものの、1.2kmの路線は開業時と同じ。車輌も塗色は異なりますが、開業時に用意された2編成6輌がそのまま使用されています。日本の跨座式モノレールのパイオニアに乗れるのもあと8ヶ月余り、人気のパノラマカー撮影に犬山方面へお出かけの際には、このモノレール線にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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▲新型車輌3000系(右)と新しいカラーデザインの在来車輌。(京阪電気鉄道提供)

京阪電気鉄道は、中之島線の開業に合わせて京阪線(京阪本線・中之島線・鴨東線・交野線・宇治線)のダイヤの全面改定を行い、「中之島」駅から「出町柳」駅までを直通運転で結ぶ新種別「快速急行」を設定すると発表しました。また、このダイヤ改定にともない、新型車輌「3000系」6編成を新造し、中之島線開業と同時に営業運転を開始します。そしてさらに驚きなのは、これを機に京阪線の全車輌のカラーリングを変更することも発表されました。

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▲新型車輌3000系完成予想図。(京阪電気鉄道提供)

ダイヤ改定は本年10月19日(日)が予定されており、中之島と天満橋を結ぶ中之島線は京阪本線と直通運転を行い、中之島線内は全列車が各駅に停車します。また、中之島からは1時間に8本の列車が運転(うち2本が出町柳駅行き快速急行)、淀屋橋駅からは1時間に16本の列車が運転(うち4本が出町柳駅行き特急)される予定となっています(いずれも平日昼間時)。
1.中之島線ダイヤ
①実施日(予定) 平成20年10月19日(日)から
②運転区間 中之島駅-天満橋駅 3.0km(営業キロ)
③運転ダイヤ(平日昼間時)
・中之島線と京阪本線を直通運転
・中之島駅からは1時間に8本の列車を運転(うち2本が出町柳駅行き快速急行)
※淀屋橋駅からは1時間に16本の列車を運転(うち4本が出町柳駅行き特急)
・中之島線内は全ての列車が各駅に停車

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▲2+1列シートとなる新3000系車内。(京阪電気鉄道提供)

また、新たに設けられた「快速急行」は特急に準じる優等列車で、特急停車駅に加えて守口市、寝屋川市、香里園の各駅にも停車します。所要時間は、中之島から祇園四条までを約60分で結ぶ予定だそうです。

keihan7.jpg●快速急行停車駅中之島、渡辺橋、大江橋、なにわ橋、天満橋、京橋、守口市、寝屋川市、香里園、枚方市、樟葉、中書島、丹波橋、七条、祇園四条(現・四条)、三条、出町柳
※中之島線開業と同時に現・四条駅は祇園四条駅に改称
●快速急行所要時間中之島駅-天満橋駅間 約 7分
中之島駅-祇園四条駅間 約60分
中之島駅-出町柳駅間 約65分
▲新3000系の扉上に設置されるLCD表示器。(京阪電気鉄道提供)

そして、快速急行の種別追加にともない、1列+2列配置の転換クロスシートを採用した新型車輌「3000系」8輌編成が6編成新造され、中之島線開業と同時に営業運転を開始します。水都大阪を意識した紺色をメーンカラーに採用し、京阪初となるLCD(液晶ディスプレイ:Liquid Crystal Display)表示器を扉上に設置し、停車駅などの旅客案内情報や天気予報、ニュースを表示するほか、全車輌にパネルヒータ付きの車いすスペースが設置されます。なお、従来の3000系(1編成)は8000系に編入されるのも興味深いところでしょう。

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▲LCD表示器の表示例。(京阪電気鉄道提供)

①車系3000系  ※従来の3000系(1編成)は8000系に編入
②編成 8輌編成(Mc―T―T―T―M―T―T―Mc)
③最大寸法 先頭車:18,900mm(長さ)×2,782mm(幅)×4,138mm(高さ)/中間車:18,700mm(長さ)×2,782mm(幅)×4,138mm(高さ)
④定員 先頭車:113人(うち座席 37人~38人)/中間車:126人(うち座席45人)
⑤座席 扉間:1列+2列の転換クロスシート/車端部:ロングシート。ただし、運転台後部は2列+2列の転換クロスシート
⑥自重 Mc(制御電動車) 36.5t/M(電動車)36.0t/T(付随車)27.0t~29.5t
⑦構体 アルミ合金
⑧制御装置 VVVFインバータ方式
⑨輌数 48輌(8輌編成×6本)
⑩車体製造所 川崎重工業株式会社

そしてこの3000系の登場に合わせて、既存車輌のカラーリングやロゴも一新されます。特急用車輌は1951(昭和26)年以来上半分が黄色(マンダリン・オレンジ)で下半分が赤色(カーマイン・レッド)、一般車輌は1957(昭和32)年以来上半分が若草色(ライト・グリーン)で下半分が青緑色(ダーク・グリーン)という塗色が約半世紀にわたって親しまれてきましたが、今回①2ドア・クロスシートの特急用車輌、②3ドア・セミクロスシートの中之島直通優等車輌、③3ドア・ロングシートの一般車輌に車輌を区分して塗色を分離し、4月より順次塗装工事を行い、5月より営業運転を開始する予定です。なお、変更後の塗装は以下のとおりとなります。

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1. 2ドア・クロスシートの特急用車輌(8000系・現3000系/88輌)
・上部:赤色(エレガント・レッド)
・帯線:金色(エレガント・ゴールド)
・下部:黄色(エレガント・イエロー)

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2. 3ドア・セミクロスシートの中之島直通優等車輌(新3000系/48輌)
・上部:紺色(エレガント・ブルー)
・帯線:銀色(スマート・シルバー)
・下部:白色(アーバン・ホワイト)

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3. 3ドア・ロングシートの一般車輌(9000系を含む上記以外/574輌)
・上部:濃緑色(レスト・グリーン)
・帯線:黄緑色(フレッシュ・グリーン)
・下部:白色(アーバン・ホワイト)

なお、全車輌の塗り替え完了は2012(平成24)年となる予定だそうです。

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▲半世紀にわたって親しまれてきた京阪カラーも今後次第に消えてゆくこととなる。写真は8000系に編入される予定の現3000系。'08.4.8 淀-中書島 P:髙間恒雄

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▲第8塩場から戻ってくる盈車列車。五島運輸站手前の踏切付近で、このあたりまで帰ってくると海が近いとはまったく思えない風景が展開している。なお、この角度ではわからないが、画面左に道路が並行している。'08.3.21
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並行道路のある第8塩場への本線とは対照的に、第5?7塩場方面への本線は五島運輸站を出たその時からまったく道路のない畑地の中を進みます。しかも1キロほどでその畑地さえも途絶え、線路は荒野と呼ぶに相応しい荒涼とした風景の中を一直線に伸びています。

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▲五島運輸站周辺には広範囲に畑地が広がっており、農業用水路を渡る小さな橋梁がそこここに見られる。写真は第8塩場行きで、橋梁の向こう側の築堤が第5?7塩場への本線。'08.3.22
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ディフェンス・マップで見ると、線路は数キロ先で海を渡って対岸の交流島へ、そしてさらにその先の西中島へと続いているはずですが、望遠レンズで遠望しても、ただひたすら地平線とも水平線ともつかない直線がファインダーを二分しているのみです。

fukusyuuwan913.jpg第8塩場では気の遠くなるような“海の中道”を歩き通したものの、さすがにこの第5?7塩場本線を歩く気にはなりません。だいいち日はすでに西に傾きはじめており、深追いは禁物です。やむなく五島運輸站ジャンクションから2キロほど歩いた丘の上で、来るかどうかもわからない件のミキストを待つことにしました。その間にも、第8塩場方面への列車が遥か彼方を去ってゆくのが見えます。第8塩場本線の方が列車密度が高いようで、こちらの第5?7塩場本線は軌道の整備状態も少々劣るようではあります。それを裏付けるかのように、線路脇に塩の山。どうやら本線列車が脱線転覆して積荷の塩が散乱したようです。
▲いったいどれだけの輌数が在籍しているのだろうか。主力のトロはおびただしい数があるが、ことごとく規格品の同形車。実測による主要寸法は端梁間全長2,200㎜×全幅1,600㎜×全高1,800㎜/WB800㎜/車輪径φ457㎜。'08.3.22
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▲第5?7塩場への本線はかなり軌道状態が悪い。ご覧のような遊間のジョイントもそこここに…。'08.3.22 右は第1?4塩場で見かけた石材製の枕木(?)。これなら朽ちようもない.'08.3.21
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小一時間も待ったでしょうか。遥か彼方に何やら芥子粒のように蠢くものが…。望遠レンズで確認すると列車に違いありません。ついに待ちに待ったミキストかと思いきや、10分近く掛かって姿を現したのは残念ながらレギュラー・トレインでした。

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▲軌道両側に塩の山。どうやらこの地点で派手な脱線転覆をやらかしたらしい。遙か彼方に第5?7塩場のある交流島があるはずだが、とても歩く気にはなれない。'08.3.22
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時計の針はすでに17時近く。五島運輸站へと去ってゆく盈車列車を見送りながら、これでタイムアウト、いよいよ波乱万丈だったこのナローを離れる時がやってきたと感慨に浸りながら振り返ると、地平線の彼方からもう1列車がヨロヨロと続行してくるではないですか!

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▲やっぱり“ミキスト”はやってきた! 他機より少々小ぶりで、なおかつツートンカラーの機関車に牽かれてガラガラと引きずられるように走る客車(人車)の中からは、撮影しているこちらに好奇の目が…。'08.3.22
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▲突き刺したような煙突がチャームポイントの人車と有蓋車。遥か彼方の塩場で一日の仕事を終えた人々を乗せた帰りの列車なのだろう。沈みそうで沈まない大陸特有の夕日を全身に浴びて帰路を急ぐ。五島運輸站はもうすぐだ。'08.3.22
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大陸の夕日を全身に浴びて目の前を通過してゆく待望のミキストを見送りながら、このまったく知られていないナローゲージ網の奥深さを改めて痛感していました。遼東半島の塩田はここ復州湾だけではありません。成田からわずか2時間半、遼東半島の未知の大ナローゲージ網の探訪は、いま始まったばかりです。 (完)

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▲会場となった芝浦港南区民センター。立派なホールを備える公共施設で、公募でお出でになったファンの姿も少なくなかった。'08.4.13

東海道新幹線開業初列車の運転士を務め、なおかつ古くから熱心な蒸気機関車ファンとして主にムービーを撮影してこられた大石和太郎さんと、わが国のライブスチームの普及に尽力されてきた?日本ミニクラブ会長の栗山 弘さんが数年前から制作に取り組んでこられた16㎜映画「鉄道王国 北海道 ?その隆盛と衰頽?」が完成、昨日、東京・港区の芝浦港南区民センターで完成記念上映会が行なわれました。本誌先月号インフォメーションでご案内したこともあってか、会場には公募参加の方もたくさんお出でになっておられました。

eisyakai103.jpgeisyakai102.jpgお二人の鉄道映画共同制作は今から36年前の1972(昭和47)年に遡ります。無煙化までの二俣線を追った「機関車と共に」(1973年)や、三菱美唄鉄道の4110最後の活躍を記録した「美唄の汽車」(1974年)などを皮切りに、近年では「碓氷峠」(2000年)、「津軽の鉄道」(2004年)などをまとめられ、?日本ミニクラブフィルム・ライブラリーとして管理されておられます。
▲エントランスに設けられた受付では無料頒布される立派なパンフレットに驚きの声が上がっていた(左)。右は上映を待つ参加者。'08.4.13

ooishisan101.jpg今回完成した「鉄道王国 北海道 ?その隆盛と衰頽?」(トーキー/光学、60分)は、お二人の共同作品としては16作品目。
まず新橋?横浜間の官設鉄道開業より3年早い1869(明治2)年に敷設された茅沼炭礦の軌道を端緒に北海道の鉄道の歴史を振り返り、次に国鉄隆盛期の象徴として蒸気機関車全盛期の石北本線、石炭産業の衰退による私鉄廃止の象徴として末期の美唄鉄道、そして道内の鉄道を取り巻く昨今の厳しい状況として北海道ちほく高原鉄道の廃止までを追ったドキュメンタリーの3つのストーリーで構成されています。
▲ともにこの映画を完成された栗山 弘さん(左)と大石和太郎さん(右)。(「鉄道王国北海道」パンフレットより)

なかでも圧巻は1971(昭和46)年に遠軽機関区の乗務員に密着した映像で、官舎から弁当を携えて出勤してゆく様子から点呼、乗務までを素晴らしいカメラアングルで追っています。大石さんのお話では、当時の鉄道管理局のみならず組合の協力もあって実現したものだそうで、添乗によるキャブ内の様子はもとよりのこと、フロントデッキから捉えた力行シーンなど、驚きの映像も見られます。

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▲「鉄道王国北海道」のストーリーボード(部分)。常紋信号場の解説ではイラストを使った分かりやすい解説も織り込まれている。(「鉄道王国北海道」パンフレットより)
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美唄鉄道の廃止を追った作品では、廃止後、まだ現役で蒸気機関車が活躍していた大夕張鉄道を訪れた星 修美唄鉄道機関区長が、去ってゆく9600を見送りながら「機関車はやはり動いていなければ…」と寂しそうに呟くシーンが胸を打ちます。

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▲頒布されたパンフレットでは道内の地方鉄道・軌道の消長を路線図を含めて解説されている。もちろん国鉄線の推移も詳述されており、映画のパンフレットとは思えない力作。(「鉄道王国北海道」パンフレットより)
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2部に分かれて好評裏に終了した上映会ののち、場所を自由が丘に移して懇親会が開催されました。映画に出演されていた星もと美唄鉄道機関区長や、前作の舞台となった津軽鉄道の澤田長二郎社長も駆けつけ、賑やかに完成を祝しましたが、残念ながら現時点では今後の公開予定は未定とのこと。60ページにもなる北海道の鉄道の歴史をまとめたパンフレットも自主制作されただけに、ぜひ遠くない機会に多くの皆さんにご覧いただける機会が再び訪れることを願いたいと思います。

キヤ97いよいよ始動。

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▲運用が開始されるキヤ97形。これまでの機関車+チキに代わってレール運搬の工臨に使用されることになる。 '08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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お楽しみいただいている復州湾塩場探訪記は間もなく最終回ですが、その前にちょっとお休みして、今日・明日は最新のニュースをお届けしましょう。まずは、2月1日付けの本ブログで簡単にご紹介し、本誌でも速報としてその姿をお伝えしたJR東海のレール運搬用気動車キヤ97形の試運転が完了し、配置先の名古屋車両区で報道公開されましたので、その様子をお伝えいたします。

kiya9702.jpgJR東海では年間に延べ190kmのレール交換をしており、これまでレール運搬には機関車+チキが使用されてきました。これに代わるものとして開発されたのが、このレール運搬用気動車です。機関車牽引に比べ機回しをする必要がなくなり、最高速度も従来75km/hであったものが空車時:110km/h、レール運搬時:95kmまで向上されるほか、気動車化により保守や検査も効率化され、車輌保守費用も年間で3000万円軽減されるとのことです。
▲運転台部分を見下ろしてみる。キヤ95形同様のデザインながら作業用に小さなデッキが設けられている。'08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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▲キヤ97-101を後部から見下ろす。レール積付装置が良くわかる。'08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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▲デッキ部分のアップ(左)。右は後ろ姿。運転台背後には排気管が立ち上がっている。'08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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まず目が行くのは「ドクター東海」ことキヤ95形の運転台部分のみがフラットカーの上に載っているような不思議な外観ですが、レールの下ろし作業時に使用する定低速運転機能や、暗いところでの乗務員の乗降用に取り付けられた照明など、保守車輌ならではの装備も気になるところです。

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▲マスコンの上に見える小さなレバーはレール下ろし作業時に一定の低速で運転するためのマスコンとのこと。'08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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▲作業時など暗い箇所でのデッキや乗務員室乗降用のLED照明。側面にも作業用の蛍光灯が付く(左)。'08.4.7 名古屋車両区 P:RM(高橋一嘉)
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▲定尺レール用のキヤ97-0(上)とロングレール用のキヤ97-200(下)形式図。(JR東海提供)
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このレール運搬用気動車は、まず、今回公開された定尺レール(25m)運搬車(4編成8輌/1編成で25mレール最大46本を積載可能)が昨年12月に完成、すでに試運転も完了し、いよいよ4月から運用が開始されます。また、続くロングレール(200m)運搬車1編成(動力車8輌、付随車5輌、計13輌編成)も3月に完成しており、美濃太田車両区に配置され7月の運用開始を目指して現在試運転中です。なおキヤ97系については21日発売の本誌最新号で詳しくご紹介できる予定です。

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▲第8塩場を出て“海の中道”をゆく五島運輸站行き盈車列車。線路は一旦画面左後方の半島(?)に入り、大きくカーブして画面右へと進む。第8塩場のローディング・ポイントは画面右遥か彼方。'08.3.22
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それにしても第8塩場はもとより、五島運輸站ヤードにしても、製品の塩は野積みの状態で、素人考えでは雨が降ったら溶け出してしまうのでは…と心配しがちです。しかし実際に山積みとなった塩を手にとってみると、私たちの馴染み深い食塩とはまったく異なり、小豆大くらいの大きな結晶、しかもかなりの硬度で、これならば多少濡れたくらいでは溶け出すこともないでしょう。

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▲横を通過してゆく同列車。見た範囲では五島運輸站?第8塩田間に途中交換設備はないようで、全線1閉塞と思われる。'08.3.22
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ところでこの大連復州湾塩場の塩は、すべてが工業塩だそうです。用途は主に2種。ソーダ工業用と融雪剤用です。ソーダ工業というのが馴染みが薄いのですが、実は塩を原料とする基礎化学素材産業で、か性ソーダ、塩素、水素ガス等々、数多くの産業基礎素材が塩から作られているのです。

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▲広大な面積が矩形に区切られ、随所にこのような水門が設けられている(左)。ただその一区画の面積たるや恐るべき広さ(右)。'08.3.22
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fukusyuuwan701.jpg現在わが国の食料塩も含めた塩の自給率は約15%。昨今問題となっている食料自給率ではありませんが、こちらも自給率は極めて低く、工業塩の大半はメキシコとオーストラリアから輸入されています。「日本ソーダ工業会」のホームページによれば、2006年度の輸入総量の実に94%がこの2国によって占められているそうです。では復州湾の塩はというと、手近な割に現在ではほとんどわが国には入ってきていないようです。その辺の背景を同HPは「かつては年間100万トン輸入されていた中国塩は、中国国内のソーダ工業の発展から、国内需要が急増し、輸出に回せる余裕がなくなり、2006年度はわずか3千トンにまで落ち込んでいます」と解説しています。
▲第8塩田入口付近から五島方面を振り返る。このカーブを曲がった列車は遥か対岸へと“海の中道”を進んでゆく。'08.3.22
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▲第8塩場担当機関車「247-1001」。正面窓は角度のついた2枚窓で、過酷な環境にも関わらずなかなかスタイリッシュ。'08.3.22
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第8塩場の山積みの塩をひとかけら舐めてみましたが、これがしょっぱいだけでなく“味がある”なかなか美味しいものでした。ご存知のように日本では流下式製塩法で作る自然塩がもてはやされており、この復州湾の塩も食料塩として脚光を浴びても良いのではと思いますが、コトはそう簡単にはいかないようです。

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▲五島運輸站を出て最初の踏切を渡る第8塩場行き空車列車。この踏切付近のレールは鉄路局払い下げ品と思しき60kg/mはあろうかという重量級。'08.3.22
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塩田を用いた天日製塩法は貯水池に海水を導いて貯え、さらにこれを何段階かの蒸発池(濃縮池)へ流し、最終的に塩分濃度が高くなったものを結晶池へ移して乾燥・結晶させるプロセスで、結晶までには1?2年かかるといわれています。ほとんど人手を掛けずに大量生産できる反面、この工程ではまったく不純物処理などがされておりませんので、塩化ナトリウム97%以上という国際食品規格上からも食用としては流通できないのだそうです。

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▲第5?7塩田からの盈車列車が長閑な風景の中を戻ってきた。第8塩田と異なり、こちらの路線には並行道路がなく五島運輸站からひたすら歩くしかない。'08.3.22
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第8塩場の掌握しきれない規模に唖然としながら時計を見ると、もう15時を回っています。昨日の時点で、想像を遥かに超える路線網に、今回の旅で全貌を掴むこと自体を諦めてはいましたが、せめてもう1路線だけでも“垣間見て”おきたいものです。となると昨日の夕方車窓から見たミキストが気になりだしました。あの列車は今日も同じ時刻に来るのではないだろうか…第8塩場をあとに、急いで第5?7塩場線へと向かうことにしました。

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▲第8塩場への本線はまさに海の中道と呼ぶに相応しいロケーション。運転規程には最高速度15km/hと記されているが、実際の列車は結構なスピードで“水上”を駆け抜けてゆく。'08.3.22
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五島運輸站機関区の見学を早々に切り上げて、結局今の今までこの目で見ていない「塩場」へと向かいます。孫副長が先導して目指したのは第8塩場。どうやらかなりの距離にわたって並行道路があり、ほかの塩場よりは多少はアプローチしやすいということのようです。

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▲五島運輸站本線ジャンクション付近の概念図。第5?7塩場方面はまったく道路がないが、第8塩場への本線はしばらく道路と並行して塩場を目指す。右が普蘭店方。

それにしてもこの第8塩場への本線も結構な長さです。五島運輸站から並行道路を走る間にも対向列車がすれ違ってゆきます。農村風景の中をしばし走ったのち、急に視界が広がり、線路は長いコンクリート橋で“海”へと伸びていました。

fukusyuuwan511.jpg道路はこの地点で線路と分かれて別の方角へと去ってしまいます。いやはや、覚悟はしていたものの、大海原(?)の彼方まで続いている線路は、もうここから先は歩くしか手がありません。いずれにせよ休日をつぶして案内していただいている孫副長にこれ以上お世話いただくわけにもゆきませんので、丁寧にお礼を申し上げてここでお引取りをいただくことにしました。
「ほんとうにここを歩いてゆくつもりなのか…」というような好奇とも憐憫ともつかない眼差しに送られながら、海を掻き分けるようにどこまでも続く線路を歩き始めました。
▲五島運輸站の取り卸し設備は移動式のラダーエキスカベーターを備えたかなり大規模なもの。推進運転で押し込まれた貨車は、機関車が離れた後はウインチによって移動される。'08.3.22
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▲かつての貯水池なのだろうか、塩場までの道中にも随所に池が見られる。カモが群れる溜池の横を五島運輸站行きの盈車列車が通過してゆく。ちなみに画面左に並行道路がある。'08.3.22
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それにしても今日まで軌道が使われ続けてきた理由を身をもって思い知ったような気がします。干潟の軟弱な地盤に敷設された海面すれすれの軌道敷は、とてもトラックが頻繁に往来できるようなものではなく、1編成26車という輸送力を考えると、この環境では今もって軌道が最も効率的な輸送手段に違いありません。

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▲第8塩場のストックヤード。塩は野積みの状態でいくつもの山となっている。それにしてもひたすら広大で、ついにその全貌は把握できずじまいだった。'08.3.22
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それにしても、気温も摂氏7℃程度と恐れていたほど低くなく、風も微風に終始してくれたから良いようなものの、気象条件によっては“歩く”などもってのほかでしょう。なおかつ潮の香どころか空気そのものが塩っぽく、あまり長居をしたくはない環境ではあります。

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▲第8塩場入口付近から五島運輸站方面を見る。海面すれすれに果てしなく続くこの線路を、また歩いて戻らねばならないと思うと気が遠くなる。それにしても、天気に恵まれたから良かったものの、荒天であれば怖くてとても歩けたものではなかろう。'08.3.22
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それでも第8塩場へは文字通りピストン輸送が行なわれており、撮影効率と言った面ではありがたい限りでした。ほとんど30分ヘッドで列車がやってきます。海面を渡ってゆくような不思議な光景に、髪の毛が塩でガビガビになってゆくのも忘れてひたすらシャッターを切り続けていました。

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▲五島運輸站機関庫。8線の収納線と検修設備を持つ規模の大きなもので、現在は11輌の機関車が配置されているという。'08.3.22
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JR東日本の「スーパーグリーン車」、そして新型スカイライナーと、2日続けて時代の最先端をご紹介したあとだけに、いささか気後れしてしまいますが、話を再び復州湾塩田に戻すことにいたしましょう。

fukusyuuwan420.jpg翌朝、満を持して五島運輸站へと向かいました。途中の金城運輸站で案内役の孫副長と合流、先導されて昨日とは違う道を五島めざして軽快に飛ばします。今日は土曜日。最近では中国でも週休2日制が普及してきているようで、金城運輸站が休業なら孫副長も本来お休みだそうですが、わざわざエスコート役として出てきてくれたわけです。
▲五島運輸站正門。機関区とヤードへの立ち入りはこの守衛所によって厳しく管理されている。'08.3.22
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昨日とは違って守衛所のある立派な正門から構内へ。正門横には金城運輸站との間を結ぶ“本線”が併用軌道となって入ってきています。改めてこの両運輸站間の列車が定期的に運行されていた数年前に来ていられれば…と思わずにはいられません。

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▲検修庫内の車輌たち。奥には派手な塗色の客車(人車)の姿も見える。左の機関車は他機とは違うツートンの塗り分けだ。'08.3.22
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右側に広大なヤードと塩の山を見ながらしばらく進むと、小さな集落の脇にえらく立派な機関庫が見えてきました。目指す五島運輸站機関区です。工場を兼ねた機関庫には8本の線路が櫛の歯状に入り込んでおり、折りしも3号機と5号機が庫外でエンジン調整中でした。

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▲3号機のキャブ内。思いのほかゆったりとしたレイアウトで右側には添乗者用のロングシートも備わっている。クラッチペダルの横はフットブレーキなのだろうか…。'08.3.22
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▲キャブ後方(左)とウィリソン式に類似した簡易自連(右)。自連には足踏み式(?)の解放装置が付けられている。'08.3.22
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聞くところではこの五島運輸站所属機は現在11輌。現車の確認をできたのは6輌ほどですから、少なくとも残る5輌は出払っていることになります。いずれもコロッとした箱型車体の6?7t機ながら、よくよく見ると個体差が激しく、2輌として同じものがないほどです。

fukusyuuwan410.jpgまぁ、それもそのはず、なにしろ“職場”は塩田ですから、工場内で車体更新中のものを見ると、とにかく良くぞここまでボロボロになったと感動するほどに腐食が進んでいます。さび落ちた部分を現物合わせで切り継ぎ、切り足ししているわけですから、歳月とともにスタイルも変わっていってしまうのでしょう。ただ、検修掛に聞いたところでは、かつてはどれも箱型車体ではなくL型だったそうで、確かに下回りに目を転じると、鋳鉄台枠は“加藤くん”などでお馴染みの形状をしています。帰国後、加藤製作所の戦前の納入台帳をひもといて見ると、1942(昭和17)年以降「大日本塩業」向けに軌間762㎜の6t機が複数納入されており、ひょっとするとこの時代の台枠を砂型コピーして今日まで使い回してきているのかもしれません。
▲構内に転がっていた鋳鉄製の台枠。こうやって分離されてみると、基本的な足回りが加藤や酒井の内燃機関車とまったく同じいわゆる“プリムス”タイプであることがはっきりとわかる。'08.3.22
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▲少し小ぶりな2号機はすでに休車のようで、フロントの窓ガラスも割れている。この五島運輸站所属機はどれもこの「247-1002」のような番号標記がされており、末尾から2号機と判断したが、「247」がいったい何を意味するのかはついにわからなかった。'08.3.22
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▲3号機「247-1003」と5号機「247-1005」。3号機は側窓がサッシ化されており、一方の5号機は角度のついた正面の2枚窓が特徴。'08.3.22
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fukusyuuwan422.jpg庫内を見ていると壁面にうやうやしく掲示された「軽軌機車」操作規程と安全管理制度が目に入りました。飲酒運転禁止などの「8つのやってはいけないこと」をはじめ、始業点検は怠りなくとか、続行運転の際は先行列車との間隔を500m以上開けろとか、事細かに規程が作られているのはいっぱしの「鉄道」です。そのなかでちょっと目を引いたのが「冬季厳禁用明火?車」の規程。直訳すると冬場に車輌を?って(いって)はいけない…となります。いったいどういう意味かと思い巡らしてみましたが、ハタと思い当たりました。わが国の小さな専用線などでも、寒冷時のディーゼル機関の始動には油を染ませたウエスに火を点けてオイルパンの下に投げ入れて予熱する“荒技”を見かけることがありましたが、どやらそれを戒めたもののようです。
▲機関庫の壁面に掲げられた運転規程文書。なかなか本格的な規程集で見ていて飽きない。'08.3.22
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まだまだ調べたいこと、聞きたいことは山ほどあれど、慌ただしく機関区見学を終え、いよいよ本命の塩田が広がる海へと向かうことにしました。

■金曜旅倶楽部「鉄道とっておき話」が始まります。
NHKラジオ第1放送「つながるラジオ」の「金曜旅倶楽部」中に、今週から「鉄道とっておき話」のコーナーが始まります。第一回の放送となる明日(11日)は私が担当いたします。15時23分から5分ほどの生放送ですので、お時間のある方はぜひお聞きください。もちろんNHKラジオ第1放送ですので全国どこでもお聞きいただけます。(詳しくは→こちら

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▲日本古来の藍色を山本寛斎氏が現代的にアレンジ。シャープな姿とあいまって速さを象徴する「風」を思い起こさせる「新型スカイライナー」イメージ。(京成電鉄提供)
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今日は14時から、帝国ホテル「孔雀の間」において、京成電鉄「新型スカイライナー」のデザイン発表会が大々的に行なわれました。この新型スカイライナーは平成22年度の開業を目指して整備が進められている「成田新高速鉄道」でデビューするもので、在来線では北越急行と並ぶ時速160km/h運転により日暮里駅?空港第2ビル駅間を36分で結ぶ予定です。また、エクステリア、インテリアのデザインは世界的に活躍中のファッションデザイナー・プロデューサーの山本寛斎氏が担当されており、その面でもおおいに注目されます。

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▲新型スカイライナーのルートとなる成田新高速鉄道概念図。平成22年度の開業を目指しており、開業後は新型スカイライナーと一般特急がそれぞれ1時間あたり最大3本運転される予定。(京成電鉄提供)
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車体デザインのコンセプトは『風』。ウインドブルーとストリームホワイトのカラーリングで、車体先端から肩部に連なるシャープなエッジと窓下の細い2本のブルーのラインでスピード感溢れる「風」を表しています。また、4個のヘッドライトを中央に集めるという新しいスタイルも注目されます。

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▲形式は初代「AE」に回帰。6M2Tの8輌編成だが、将来的には10輌編成化を想定しているという。(京成電鉄提供)
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一方、インテリアデザインのテーマは『凛』。客室内は高いドーム型天井(従来比25㎝高)を採用して開放感を与え、さらに透明感・清涼感を感じさせるガラス素材を活用することで「凛」とした客室空間を生み出すとともに、床の模様は日本の伝統的な柄である市松模様をアレンジし、その配色により波を表現しているそうです。

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▲SKYLINERの頭文字「S」を疾風をイメージして毛筆によりデザイン化したロゴマーク。「i」の文字には日の丸をアイコンとして組み込むことで、日本を代表する空港特急であることをアピールしている。(京成電鉄提供)
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温白色の間接照明には従来の2倍の数の蛍光灯が用いられ、大きくなった窓とあいまって、さらに明るくかつ適度な落ち着き感のある客室空間が演出されます。また、遮音性の高い床材により床下からの騒音を低減させるとともに、先頭車にはフルアクティブサスペンションを採用。横揺れを抑え、乗り心地の向上が図られます。

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▲デザインコンセプトを「凛」とし、ガラス素材を多様した客室内。床はわが国古来の「市松模様」をアレンジし、その配色により波を表現しているという。営業用鉄道車輌としては初となる素材「バネックス」を採用し、底つき感をなくしたという座席も注目される。(京成電鉄提供)
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座席のシートピッチは1,050mmに拡大するとともに、座面幅も現行のAE100形より20mm拡大、シートそのものも人間工学に基づく形状とし、優れたクッション性と通気性を持つ表生地を使用するとともに、クッション材の一部に営業用鉄道車輌としては初の素材「バネックス」を採用し、シャープなデザインを保ちつつも、底つき感のない快適な座り心地を実現しているそうで、こちらもおおいに注目されます。

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▲会場で展示されたモックアップ。先頭車にはフルアクティブサスペンションが組み込まれる。'08.4.9
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一方、空港連絡特急には欠かせない荷物スペースも約1,500mmに拡大し、セキュリティ面から客室から見えやすい位置に配置し、荷物スペースとデッキ部分には防犯カメラが設置されます。このほか乗降口は車椅子対応の1,000mmとし、4号車には自動販売機とカウンターを備えたサービスコーナーを設置、5号車には車椅子スペースを設けるほかAED(自動体外式除細動器)も設置されます。なお、全車が禁煙となります。

skyliner0001.jpg最高時速160km走行の鍵となる台車の開発にあたっては、プロト台車を製作し、試験台での高速回転試験と営業線での走行試験を繰り返し実施、この結果、相反する高速走行性能と曲線通過性能とを高いレベルで両立させることが可能になったそうです。また、高速走行時の安全性を確保するため、放熱性に優れ雨水の影響を受けにくいディスクブレーキを全車輌に採用し、安定したブレーキ性能を確保しています。
▲会場にはデザインを担当した山本寛斎さん(左)のほかに上戸 彩さんも登場。ちなみに上戸さんが今後この新型スカイライナーにどう関わられるのかは「今のところ未定」(三枝鉄道本部長)とのこと。'08.4.9
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この新型車輌で3代目となるスカイライナーの車輌形式は、まったく新しい空港アクセスルートの誕生とこれまでにないデザインに原点回帰の思いを込めて、初代スカイライナーの形式を継承した「AE形」とされます。現車第1編成の誕生は来年5月頃の予定だそうで、新線開業時には8編成が揃うことになります。なお、新線開業後は新型スカイライナー、一般特急がそれぞれ1時間あたり最大3本運行される予定ですが、京成本線経由の在来スカイライナーも一部は残され、なおかつモーニングライナー、イブニングライナーも存続されるとのことです。

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▲こちらは先頭部のモックアップ。実車に使用予定の塗料を用いて仕上げられているそうで、絶妙な色合いが注目を集めていた。'08.4.9
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新型スカイライナーAE形の仕様は次のとおりです。
■形式 AE形
■編成 8輌編成(6M2T) 将来の10輌編成化を想定
■定員 398名(8輌編成)
■車体 アルミニウム合金製
■台車 ボルスタレス台車(先頭車にフルアクティブサスペンションを採用)
■座席 自動回転式リクライニングシート シートピッチ1,050mm、座面幅470mm
■最高時速 160km
■制御方式 VVVFインバータ制御
■ユニバーサルデザイン
  車椅子利用可能な大型多機能トイレ(オストメイト対応)、日本語・英語・韓国語・
  中国語による案内表示
■セキュリティ 防犯カメラ設置(各荷物スペース及びデッキ)

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上のロゴをクリックすると京成電鉄提供によるイメージ動画(約1分)がご覧になれます。
※音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

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今日はJR東日本から、2010年度に予定されている東北新幹線八戸?新青森間開業にともなって新製投入されるE5系に組み込まれる「スーパーグリーン車」(仮称)の概要が発表となりましたので、「復州湾塩場」のナロー探訪記をお休みしてこの速報をお伝えいたしましょう。
▲「スーパーグリーン車」(仮称)の車内イメージ。新幹線車輌としては初の3列座席となる。(JR東日本提供)

プレスリリースによれば、この「スーパーグリーン車」(仮称)は定期列車としては国内初の“ファーストクラス”とも呼べるもので、「室内デザイン、静粛性、照明、シートなど、あらゆる面に徹底したこだわりをもち、鉄道ではこれまで実現しえなかった高級かつゆとりあるプライベート空間を創出するとともに、専任アテンダントによるおもてなしなど、“癒し・やすらぎ”を感じていただける時間をご提供」するとしています。定員は18名を予定、通り抜けを懸念してか、中間車ではなく青森方先頭車10号車に設定(従来グリーン車は9号車に設定)される計画です。

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▲E5系量産先行車の概要。全車輌にフルアクティブサスペンションが搭載される。(JR東日本提供)
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詳細は今後発表になると思われますが、現段階では以下のようなアピールポイントがリリースされております。
・ゆとりあるプライベート空間の創出(3列座席)
・技術の粋を追求した室内静粛性
・居心地のよい照明
・癒される座り心地のシート
・こだわりの空気清浄
・専任アテンダントによるやすらぎのもてなしと飲み物や軽食などの提供

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▲「スーパーグリーン車」と現行グリーン車との比較。ただし、座席数に関しては先頭車輌と中間車輌の対比となるため客室面積が異なり単純には比べられない。(JR東日本提供)

なお、この「スーパーグリーン車」が組み込まれるE5系は、“ネコ耳”と愛称された空力ブレーキ装置で子どもたちの人気をさらった試験車E954形(Fastech 360S)の成果を反映させて新規開発されるもので、“ネコ耳”こそ持たないものの、“アローライン”と呼ばれる特徴的な先頭形状を持つ高速タイプ新幹線電車です。2010年度の開業時には300km/h運転で東京?新青森間を最短3時間10分で結ぶ予定ですが、開業2年後の2012年度にはわが国最高速となる320km/h運転を開始し、同区間の所要時間を最短3時間5分程度にまで縮める計画です。

なお、明日も在京民鉄から注目の新型車輌が発表になります。引き続きご注目ください。

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▲五島運輸站ヤードで組成作業に励む“4号機”。五島所属の本線機は白い車体に赤帯を巻いた姿で、一応番号標記もされている。画面右端がヤード入口で、立派な二階建ての信号扱い所もある。'08.3.21
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時計を見ればまだ14時前。これで打ち止めとあっては、いったい何をしにこんな遼東半島の端までやってきたのかわかりません。しかもさらに追い討ちをかけるがごとく、「明日は土曜日なのでここ(金城運輸站)の運転はない」とまで言うではありませんか。

fukusyuuwan302.jpgかくなるうえは、多少の無理をしても日が落ちるまでの時間を何とか有効活用せねばなりません。そこで第5?8塩場を受け持っている五島運輸站を目指してクルマを飛ばすことにしました。金城運輸站のある復州湾鎮から国鉄瓦五線の終点でもある五島までは十数キロ。今から向かえば少なくとも15時前には現地に到着するはずです。正式には明日見学できるように手配しておくと約束してくれた孫副長と別れ、まだ見ぬ五島運輸站を目指します。いったいどんな場所でどんな車輌が“棲息”しているのか、とにかく現地に行ってみるまでまったくわかりません。
▲信号扱い所二階から五島運輸站ヤードの全景を見渡す。右端を併用軌道で伸びてゆく線は彼方の機関区への出入庫線。'08.3.21
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fukusyuuwan303.jpg左眼下に広大な塩田を見ながら、道路は丘陵地帯のようなアップダウンをひたすら繰り返しながら五島へと続いています。思えば眼下の塩田の先にはこの道路と並行して五島へと続く“本線軌道”があるはずで、数年前まではこの本線上を両運輸站間を結ぶ列車が運転されていたわけです。
復州湾鎮から30分ほど、五島の町に入り、鉄路局瓦五線を踏切で渡ると、左に「五島運輸站」の正門が見えてきました。金城運輸站とは比べ物にならないほど大規模なヤードが広がり、高い塀に遮られてはいるものの、白い車体に赤帯を巻いた機関車たちが忙しそうにシャンティングを繰り返しています。

▲第5?7塩場への本線と第8塩場への本線へのジャンクションである五島は運転関連の施設もかなり整っており、写真のようなシザースクロッシングに入換信号機もある。'08.3.21
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▲第5?7塩場からを戻ってきた盈車列車。塩田は画面左遙か後方で、軌道は沖合いの交流島にまで伸びている。この付近は茫洋とした“満州”の畑が続く。'08.3.21
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これはダメモトで五島までやってきたのが大正解と、まずは撮影ポイントを探します。機関区をはじめとした“正式訪問”は明日にとっておいて、今日は軽いロケハンがわりにこの五島運輸站周辺で小一時間撮影することにしました。

fukusyuuwan313.jpgここ五島運輸站は海上の交流島方面(第5?7塩場)にのびる本線と、遙か北方の第8塩場に向かう本線のジャンクションとなっており、ヤード出入口には立派な信号扱い所が設けられているのみならず、両本線から構内に入る列車に向けての場内信号機(色灯式)まで設置されており、ちょっとした地方鉄道並みの運転設備です。想像以上の規模に呆気にとられていると、さっそく第5?7塩場方面からの盈車列車が戻ってきました。さらにその列車の到着を待って今度は組成を終えた空車列車が第8塩場方面へと出発。これは驚きの列車密度です。
▲金城運輸站ヤードへと入ってゆく盈車列車。サイドのエンジンカバーは開け放されたまま。'08.3.21
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▲塩田とはいえ、ヤードからの何キロかはまったく海が見えず長閑な農村風景の中を走る。彼方を走り去ってゆくのは第5?7塩場への空車列車。手前の線路は第8塩場からの本線で、右に五島運輸站(画面左奥)の場内信号機が見える。'08.3.22
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結局2時間ほどで、次はこちらの線、今度はあちらの線と、撮り逃したものも含めれば十本近くの列車を目撃できたことになります。しかも、撮影を終えて普蘭店へと戻ろうとするクルマの中から遠望した列車は、客車(人車?)らしきものを連ねたミキストではないですか。明日の再訪への期待が膨らみます。

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▲金城運輸站ヤードで待機する“本線仕業機”。直6ディーゼルエンジンを備える6~7tクラスの機関車だが、この金城運輸站所属機にはまったく車体標記がなく、よくこれで個体識別ができるものと感心してしまう。'08.3.21
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ところで、不勉強にして知らなかったのですが、ここ遼東半島の塩田はそのほとんどが日本時代に開発されたものだそうです。手もとにあった『日本地理大系 満州篇』(昭和5年改造社発行)をひもといてみると、「関東州は降雨量少なく空気が乾燥して蒸発が盛んであり、地形は海岸に干潟が多く地質の関係で砂質の粘土であるから、海水の蒸発を早め結晶を容易たらしめるので天日製塩に適する所が多い」と前置きしたうえで、関東州だけで約7千町歩の塩田が存在するが、その中でも普蘭店(復州湾)塩田は3指に入ると記しています。

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▲戦前の遼東半島塩田風景(双頭湾塩田)。左の写真には軌道が写り込んでいる。右は蒸発池、結晶池の状況で、この天日製塩の工程は基本的に現在でも変わってはいない。(『日本地理大系 満州篇』昭和5年より)
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当時は主として大日本塩業株式会社がこれらの塩田を管理していたようですが、すでにこの塩田開発時点で運搬用軌道は敷設されていたと思われます。現在の復州湾塩場の軌道はどれも2フィート6インチ(762㎜)軌間で、これは大日本塩業時代から踏襲されてきたものに違いありません。

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▲米国国防総省発行のいわゆる“ディフェンス・マップ”にはかろうじて復州湾塩場の軌道本線が記載されている。瓦房店と五島を結ぶ国鉄瓦五線(貨物専業)の途中駅=復州湾站近くに金城運輸站があり、本線軌道は第1~4塩場へのびるほか、海沿いを延々と五島へと続いている。五島には別の機関区=五島運輸站があり、こちらは海上の交流島の第5~7塩場と、遥か北側の第8塩場への軌道を統括している。なお、残念ながら金城運輸站と五島運輸站を結ぶ路線は数年前から使われていないとのこと。
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さて、話を戻しましょう。復州湾鎮の町中まで迎えにきてくれたのは「大連復州湾塩場」の孫副長。さすがに話は通っているようで、さっそく目指す金城運輸站へと案内してくれますが…やはり話はそう簡単ではありませんでした。

kinzyouteisyouemn.jpgクルマは巨大な門と守衛室のある工場へと入ってゆきます。事前に製造工程(袋詰とか…)は見ても仕方がないのでとさんざん説明していたはずなのに、ご自慢の工場設備を見せようというのです。改めて“バイヤー”ではないので省略してくれるよう懇願し、ようやく軌道のあるヤードへと戻ることができました。ところが、今さら振り返ればここからのツメが甘かったのでした。
▲金城運輸站正面。製造部門と運輸部門は別組織となっているようで、工場(製造部門)の立派な正門と比べるとかなり差がある。'08.3.22
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▲金城運輸站ヤードで入換え中の列車。組成が終わり次第この列車が塩田へ向けて発車してゆくのだが、とんだ有り難迷惑(?)で結局見れずじまいとなってしまった。'08.3.21
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金城運輸站ヤードで組成に励む機関車たちを気持ちよく写していると、お昼だから食事にどうぞと孫副長。聞けばあと30分ほどで目の前の列車は塩田に向けて発車するらしいので、先回りしてその“走り”を撮ってからと提案したのですが、どうやらすでにレストランを予約してあるらしいのです。あとからわかったのですが、外事弁公室経由だったこともあってか、この日の昼食は工場側がご馳走する計画になっていたようで、「午後も列車はいっぱいあります」という言葉を信じて、復州湾鎮で一番というレストランにお呼ばれすることにしました。

fukusyuuwansyokudou.jpg公式ルート(?)となると有り難迷惑(失礼…)なのがこの手のもてなしです。インドネシアでは外のブラスト音にやきもきしながら延々と歓迎のガムランを聞かされたことがありますが、正直言って“露出のあるうち”は食事などとらなくても結構、それより一刻も早く線路端に戻してもらいたいというのが本音です。それだけに今回も麺類でも掻きこめばそれで充分だったのですが、先方さんとしてはそうはいかないようで、結局、円卓のある個室へ通されることになってしまいました。
▲塩場の“接待”で案内していただいた町中の「春宴酒楼」。なんでも復州湾で一番良いレストランだとか…。'08.3.21
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▲海産物はとにかく豊富で安くて美味しい。塩茹でされた子持ちシャコ(左)も最高ながら、大連といえば名物「海腸」(右)料理。'08.3.21
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yumushi2n.jpg遼東半島といえば中国屈指の海鮮料理の本場です。案内されたお店も海鮮料理店ですが、大都市・大連と違って田舎だけに注文方法も昔ながらのもの。つまり客が厨房にずかずかと入ってゆき、タライに入れて土間に並べられた食材を選ぶというものです。巨大ハマグリやらシャコやらを指差して選んでいると、懐かしい食材が目に入りました。大連名物の「海腸」(ハイチャン)です。その姿形からは想像できないような美味で、なぜか遼東半島付近でしか見かけません。私は大好きなのですが、日本人はまず食さないので、孫副長も「そうか海腸を食べられるのか」とばかり大喜び。わさび醤油をちょっとつけても美味いぞ、とばかりわざわざ特別に用意させてくれました。
▲これが「海腸」。ユムシ目ユムシ科の無脊椎動物で、“海ミミズ”の異名も待つ。干潟の砂地の縦穴に潜んでいるという。見た目からは想像できない美味。'08.3.21
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本格的な海鮮に舌鼓をうち、ビールから白酒(パイチュウ)にまで進んで大満足で午後の撮影を開始すべく再び金城運輸站ヤードへ。ところが構内には機関車の姿はなく、妙にひっそりとしてしまっています。何ともいやな予感がして通訳に急いで確認してもらうと…「今日の運転は終わった」。えっ! 話がまったく違うではないですか。実はこののちわかったことに、案内してくれている孫副長は製造会社の管理者ではあるものの、輸送部門はすでに分社化されていて状況がよくわかっていないのでした。

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▲本邦初、いや恐らく世界初公開となる復州湾塩場金城運輸站に蝟集する機関車群。この金城運輸站が担当するのは復州湾地区の第1?4塩場。'08.3.21
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“灯台下暗し”とはこのことでしょう。まさか成田から2時間半、幾度となく訪れたことのある大連近郊に、まったく未知の巨大なナローゲージ・ネットワークがあったとは…。
先々週お休みをいただいて現地に行ってまいりましたので、今日から数回に分けて、この知られざるナローゲージ網の“断片”をご紹介してみたいと思います。ちなみにあえて“断片”と申し上げたのは、想像以上に規模が大きく、3泊4日の旅程では、その全貌はおろか片鱗を垣間見た程度に終わらざるをえなかったからです。

fukusyuuwanmap.jpgことの発端は昨年秋に遡ります。企業研修で遼東半島を訪れた方から「お好きそうなのを見かけましたが、ご存知ですか」とメールをいただきました。その添付された写真を見て絶句! 日頃から中国のインダストリアルナローに関しても少なからずアンテナを張り巡らしているつもりでしたが、これはまったく知りませんでした。しかも私もメンバーになっている英国のナローゲージ・レールウェー・ソサエティーや、世界各国の産業用鉄道のサーベイでは右に出るもののないインダストリアル・レールウェー・ソサエティはもとより、国内外のインターネット上にもこの軌道に関する情報はまったく流れてはいません。これはなんとしてでも現地に行くしかありません。
▲遼東半島は古くから知られる塩田地帯で、渤海沿岸、黄海沿岸ともに数多くの塩田が広がる。中でも復州湾塩田は屈指の規模。地図中のメッシュになっている部分が塩田。
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もたらされたわずかな情報によれば、場所は大連からクルマで1時間の普蘭店市から渤海沿いを西進することさらに30分ほどの復州湾。大規模な塩田が広がっており、目指すナローはこの塩田から塩を運ぶためのもののようです。

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▲金城運輸站の機関庫はラウンドハウスにでもしたくなるような大規模なもの。エンジン音を響かせて次々と機関車が出区してゆく。'08.3.21
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まずは懇意にしている中国旅行社に下調べをお願いしましたが、これが一筋縄ではゆきませんでした。大連から普蘭店までは高速道路も完備しており、場所こそ行きにくいことはないのですが、現地旅行社を通して工場に見学を打診するとあっさりと拒否。それならばと昨年末には旅遊局経由で再度申し込んでもらいましたが、これまたアウト。化学工場や鉱山ならともかく、青空の下で海水から塩を作っているだけなのになぜ見学させてくれないのでしょうか。あとからわかったところでは、どうやら近代的な工場設備ならともかく、旧態依然とした輸送システムを外国人に見せたくないというのが本音だったようです。

fukusyuuwan103.jpg結局、今年になってから、今度は遼寧省外事弁公室を経由して「国際的な窄軌(ナローゲージ)研究家」(実態に則しているかどうかは別として…)が研究のために立ち入りたいと申し入れ、ようやく公式訪問が可能となりました。もっとも、いざ現地に行ってみると、列車は公道の脇をばんばん走っており、いったいあの面倒な手続きは何だったのかと拍子抜けせざるをえませんでしたが…。
▲バック運転続行で出区線をヤードへと向かう2機。“所属区”によって機関車の塗色が異なり、ここ金城運輸站所属機は赤とクリームのツートンカラー。'08.3.21
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fukusyuuwan106.jpgさて、話を先々週の3月20日に戻しましょう。指折り数えてみると大連空港に降り立つのは実に15年ぶりです。飛行機のタラップを降りて平屋の小さな空港建物まで延々と地面を歩かされたのが嘘のように、今やデューティーフリー・ショップも並ぶ大ターミナルビルとなっているのにびっくり。おまけにかつては服務員の怒号が飛び交っていたイミグレーションも「歓迎光臨」ムードに包まれています。なかでも驚いたのは入国審査が終わると「私たちを評価してください」と日本語のアナウンスが流れること。いったい何かと思いきや、入国審査カウンターの端に5つのボタンがある小さな機械が置かれており、そのボタンを見ると「大変満足・満足・普通・不満・大変不満」のような和文が。つまりいま対応した入国審査官を査定してくれということらしいのです。北京オリンピックを目前に控えて、こんなところにまで懸命に変わろうとする中国の姿が見て取れます。
▲金城ヤードで入換え中の機関車。左の建物は信号扱い所。'08.3.21
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▲信号扱い所二階から金城ヤードを見下ろす。画面後方に山積みされているのが製品の塩。建物に遮られて見えないが、この塩の山の横まで国鉄(中国鉄路局)瓦五線からの専用側線が入ってきている。'08.3.21
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大連市内から整備された高速道路を普蘭店市へ。かつては前進形や建設形が行き交っていた並走する沈大線も、いまや電化高速鉄道と化して自国製の“新幹線”が矢のように追い抜いてゆきます。ただ、普蘭店から海沿いの地方道に入ると、そこには昔ながらの田舎の風景が広がっていました。まず目指すは復州湾地区の第1?4塩田を統括する金城運輸站。現在は旅客営業をやめてしまった国鉄瓦五線の復州湾站近くまで塩田の偉いさんが出迎えに出てくれることになっています。

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▲「東北縦貫線」計画の完成後のイメージ。(JR東日本提供)
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すでに“鉄道ホビダス”の最新情報でご存知の方も多いかと思いますが、先日、JR東日本から東北(宇都宮)・高崎・常磐線列車の東京駅乗り入れ計画が発表となりました。これは上野~東京間の在来線連絡線を新設することによって、東北(宇都宮)・高崎・常磐線の各方面から東海道線東京・新橋・品川方面への直通運転を可能とするもので、これによって、乗り換えの解消や所要時間の短縮が可能となるばかりでなく、並行する山手線や京浜東北線の混雑が大幅に緩和される効果も期待されます。

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▲工事の概要。縦層部は新設在来線(東北縦貫線)が既存の新幹線の上に載るかたちとなる。(JR東日本提供)
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この計画は、神田駅付近の東北新幹線高架橋を重層化し、東京~上野間に新たに線路を敷設するもので、「東北縦貫線」として旧運輸省(現国土交通省)における運輸政策審議会答申第18号によって整備が位置付けられているものです。
では、プレスリリースより工事概要を見てみましょう。
■主な工事内容
① 高架橋新設 約1.3km
(内訳)
・重層部区間:約0.6km(新幹線高架橋の上に新たに東北縦貫線の高架橋を新設する)
・アプローチ区間:東京方、秋葉原方にそれぞれ約0.35km(重層部に取り付けるために、既設在来線高架橋の撤去・新設及び改良を行う)
② 線路改良 約2.5km
(内訳)
・東京駅~神田駅間:約0.9km
・秋葉原駅~上野駅間:約1.6km
(線路改良区間では、既存の高架橋上の線路を改良)
③ 電気設備 電車線・信号設備等の新設・改良
④ その他 防音壁などの環境対策
■工事期間
2008 年5 月から工事に着手し、2013 年度の完成を予定。

72.3jikokuhyou.jpgところでこの上野~東京間の在来列車線ですが、ある程度以上の年齢の方ならご記憶のことと思いますが、35年ほど前までは特段珍しい光景ではありませんでした。古くは桐生発高崎経由新橋行きの快速「あかぎ」(『国鉄時代』vol.9参照)や、さらには前橋発富士行きなどという都心を縦断するロングラン列車もあり、営業列車が上野~東京間を行く姿は日常的なものでした。1970年代に入ってからも「とき」「ひばり」「ひたち」「つばさ」といった特急には東京駅発着が設定されていました。時刻表研究の第一人者で『列車名変遷大事典』の著者でもある三宅俊彦さんに電話でうかがってみると、東北新幹線工事が始まる前の1973(昭和48)3月改正でこの東京発着は途絶えてしまったのだそうで、今回の工事が2013年度に完成とすると、実に40年ぶりに上野~東京間の在来線(列車線)営業列車が復活することとなるわけです。
▲1972(昭和47)年3月改正時刻表に見る東京駅発東北本線優等列車の例。
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▲東京駅14番線に到着した桐生発の快速「あかぎ」。先頭に立つのは“デッカー”の古豪EF50。P:田部井康修(『国鉄時代』vol.9より)
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▲田部井さんのご厚意で収録作品の中から何枚かをお目にかけよう。この写真は高崎駅前停留場を発車する渋川行き電車。複合ビル化した現在の高崎駅からは想像さえできない情景だ。1953(昭和28)年撮影。(田部井康修写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』より)

現在、東武博物館で開催中の特別展「上州を走ったトラム 伊香保電車 田部井康修写真展」に合わせ、同名の立派な写真集が発行されています。残念ながら書店流通はしておらず、ご存知ない方も多いかと思いますので、今日はこの写真集を紹介してみることにいたしましょう。

tabeisyashinsyu3.jpgこの特別展は、東武鉄道が運行した軌道線として日光軌道線とともに広く知られる伊香保軌道線が廃止50年を迎えたのを機に東武博物館が企画したもの。地元高崎にお住まいで、1950(昭和25)年から全廃される1956(昭和31)年まで、この伊香保軌道線を実に600カット以上撮影してこられた田部井康修さんの写真54点、実物資料25点を中心に展示されています。ご紹介する写真集はこの特別展の“図録”的ポジショニングながら、収録作品は展示の倍近い101点に及んでおり、グラフィックなデザインとともに実に立派な写真集となっています。
▲田部井康修写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』表紙。田部井さん自らのデザインだという。
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作者の田部井さんは本誌や『国鉄時代』でもお馴染みですが、電話で改めてこの写真集のことをうかがってみると、随所に田部井さんならではの拘りが散りばめられていることを知りました。ことに表紙はご本人のデザインによるものだそうで、微妙にグリーンを帯びた茶系の地色や、アルファベットで“IKAHODENSYA”と表記したタイトルなどにはとりわけ思い入れがあるとか…。洋書を思わせる趣味の良い意匠は、その面でも博物館発行の写真集に相応しいものとも言えましょう。

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▲高崎市あら町通り赤羽蓄音器店前を走る29号。'53.6.21(田部井康修写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』より)

もちろん収録されている写真も、まさに田部井写真の真髄ともいうべき作品の数々で、オーソドックスな中にも時代性、季節感、そして何よりも“伊香保電車”が走った風土を余すところなく写しとめた素晴らしいものばかりです。

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▲田部井康修写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』の誌面より。上から伊香保線本宿付近、渋川駅前、そして前橋線下箱田付近。

ちなみに、遅ればせながら補足いたしますと、伊香保軌道は、群馬県に明治時代から走り続けた路面電車(トラム)で、1927(昭和2)年に東武鉄道が東京電灯(東京電力の前身)より買収し、東武鉄道伊香保軌道線となりました。渋川を中心として高崎へ伸びる高崎線(20.9km)、前橋へ伸びる前橋線(14.5km)、県内屈指の温泉である伊香保温泉を結ぶ伊香保線(12.6km)の3路線で構成されていましたが、そのなかでも伊香保線は最急勾配56‰と軌道線としては異例の“登山鉄道”で、ことに下りではトロリーポールを下ろして渋川まで駆け下りるという現代では考えられない運転方法がとられていたことでも知られています。

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▲巻末には田部井さんが収蔵されている数々のコレクションも収録されている。最終日のさよならマークは田部井さんデザインのものが掲出されたというから驚き。(田部井康修写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』より)

この写真集『上州を走ったトラム 伊香保電車』、限定部数での発行で、東武博物館で直接購入されるか、同館の通信販売でしか手に入りません。特別展の会期は5月25日まで。博物館で大伸ばしされた写真と展示物に接してから、ミュージアムショップで購入されると、愛着もひとしおの一冊になるに違いありません。

写真集「上州を走ったトラム 伊香保電車 田部井康修写真集」
価  格:2,000円(税込み)
内  容:90ページ 写真101点
発 売:東武博物館
通 販:住所、氏名、電話番号を明記のうえ、2,500円(写真集代2,000円+送料500円)の定額小為替か現金を、下記までご送付ください。
〒131-0032 東京都墨田区東向島4-28-16 東武博物館「伊香保電車写真集」係 ※送料は、3冊まで500円です。
※お客様の個人情報は、写真集発送以外の目的で使用することはありません。
※切手をお送りいただいても受付できませんのでご了承ください。

特別展「上州を走ったトラム 伊香保電車 田部井康修写真展」
会  期:平成20年3月25日(火)?5月25日(日) 
※毎週月曜日休館。ただし、5月5・6日開館、7日休館。
会  場:東武博物館ギャラリー、記念物・保存物展示コーナー一部
展示品:写真約53点、実物資料約15点(ヘッドマーク、タブレットキャリアー、サボなど)
入  場:無料(入館料のみ必要)

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▲流山糧秣廠専用線跡を右に見ながら馬橋を目指すクハ81。この時点では架線柱がしっかりと残っていたことがわかる。'86.8.5 平和台?鰭ヶ崎 P:佐瀬正俊
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去る1月26日から4回にわたってお送りした「遠い日の流山電鉄」にはたいへん多くの反響をいただきました。今日はそのなかからお二方のお手紙とメールを紹介させていただこうと思います。

nagareyamazokuhou2.jpgまずは埼玉県にお住まいの佐瀬正俊さんから頂戴した流山糧秣廠専用線に関する写真とお手紙です。
「編集長敬白を読み、その後の専用線跡の写真を撮っていたことを思い出し、お便りします。写真は昭和61年8月5日に撮ったもので、この時点では、まだ架線柱はしっかりと残っていました。
当時はこの専用線跡が主たる目的ではなく、「あかぎ号」導入によって置き換えが迫っていたモハ1101とクハ52の撮影が目的でした。
同電鉄には「あかぎ号」置き換えの際、再訪しましたが専用線の跡を見出せず、がっかりして帰ったことを覚えています」。
▲糧秣廠線との分岐点を通過するクモハ1210。すでに分岐器は取り払われている。'86.8.5 平和台?鰭ヶ崎 P:佐瀬正俊
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佐瀬さんのお写真を拝見すると、夏草に覆われてはいるものの、私がご紹介した1979(昭和54)年当時の状況とさほど変わってはいないように見受けられます。お手紙によれば「あかぎ号」導入後、つまりは1987(昭和62)年には専用線跡を確認できなかったとありますから、この流山糧秣廠専用線は1986(昭和61)年後半から1987(昭和62)年にかけて撤去されたことになります。

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▲流山の車庫で休む100形たち。線間に残るコンクリート製の給水塔に注意。この頃はまだ蒸気機関車時代の遺構が残されていたのである。1972年頃 P:古村 誠
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nagareyamazokuhou4.jpgもうお一方はメールで多くの写真をお送りいただいた古村 誠さんです。
「編集長敬白楽しく拝見しております。先日の総武流山電鉄の記事を拝見し、懐かしくなり写真を引っ張り出しました。撮影時期は武蔵野線開業直前の1972年ごろから数年間です。
初めて行ったとき、100形の素敵な姿を見て、それから何回か通いました。100形は平日朝のラッシュ時のみの運転だったと記憶しています。一台一台、乗務員扉の高さや、側面のヘッダの有無などに違いがあり、興味はつきませんでした」。
▲水田の彼方を行く2連。とても首都圏とは思えない長閑な情景が広がっていた。1972年頃 P:古村 誠
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▲電子音化されていない“鐘撞き”の踏切と夏服の中学生、ホンダライフ、そして100形…。模型にしたくなるワンシーン。P:古村 誠
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▲流山駅で顔を合わせたクハ52とモハ105(左)。右はモハ102を先頭にした3連。P:古村 誠
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▲武蔵野線建設に当たっては流山線から専用線が設けられて資材運搬が行なわれた。この写真は当時の状況を伝える貴重なもので、手前に無蓋貨車が、そしてその先前方左手に分岐してゆく専用線が見て取れる。1972年頃 P:古村 誠
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nagareyamazokuhou8.jpg古村さんからはフォトジェニックな写真もたくさん送りいただきましたが、変哲がなさそうに見える写真の中にも非常に珍しいカットが含まれていましたので、改めてここにご紹介してみましょう。武蔵野線建設工事にともなう資材送り込み用に仮設された流山電鉄の貨物側線です。これは1968(昭和43)年11月に始まった日本鉄道建設公団による武蔵野線建設資材輸送にともなって馬橋駅基点1.660km地点より敷設されたもので、鉄建公団から内燃機関車2輌が流山電鉄に貸し出され、1972(昭和47)年11月まで流山電鉄線を経由して資材輸送が行なわれました。(拙著『森製作所の機関車たち』参照)
▲完成を目前にした武蔵野線高架橋をくぐるクハ52。1972年頃 P:古村 誠
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▲鰭ヶ崎付近をゆく3連。流山電鉄沿線はこののち急速に宅地開発が進み、今やまったく別世界に生まれ変わってしまっている。P:古村 誠
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それにしても、首都圏でこの流山電鉄沿線ほど変貌を遂げたところも珍しいのではないでしょうか。お二人の写真を拝見しながら、改めてその変貌に思いを馳せました。末筆ながら、佐瀬さん、古村さん、ありがとうございました。

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▲「スマイルトレイン」の愛称のもと新しい西武電車のシンボルとなる30000系電車。 '08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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いよいよ4月26日から新宿線での営業運転を開始する西武鉄道30000系電車の鉄道雑誌社向けの報道公開が、先日、南入曽車両基地で行われました。

seibu3000.3.jpgすでに一般公開や試運転でご覧になられた方も少なくないかと思われますが、この30000系は西武鉄道の新しいシンボルとして「Smile Train(スマイル トレイン)?人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両?」をコンセプトに製造されたもので、開発にあたっては西武鉄道社内の複数の部署のメンバーにより社内プロジェクトが組まれて、多数の女性社員の意見も採り入れられたことが特徴です。
▲新世代の「タマゴ型電車」とも呼べそうな丸みを帯びた特徴的な前面。'08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲側面は青?緑?青のグラデーションのストライプが配される特徴的なカラーリング。'08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)

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外観上は白く丸みを帯びた前面や青?緑のグラデーションを用いたカラーリングに目をひかれがちですが、車体が西武鉄道の車輌としては史上初めて裾絞りを持った幅広車体となったことが注目されます。

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▲袖仕切りや吊り手など「タマゴ」をモチーフにしたデザインが採り入れられた車内。ドア横の握り棒は最近多く見られる半円系のものではなく、独立したパイプになっている。  '08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲高いドーム状の天井も大きな特徴の一つ(左)。ラインデリアは枕木方向に取り付けられている。ハート柄のモケットは優先席(右)。'08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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客室内はドーム状の高い天井やガラス張りの貫通路など、車体が幅広になったことも合わせて広く明るい印象です。また、ユニークなタマゴ型の吊り手や指紋が付かないようヘアライン仕上げとなった握り棒、そしてハート柄が配された優先席など、きめ細やかな配慮が多数見られるのも特徴でしょう。

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▲運転台はLCDにアナログタイプの表示をするタイプとなった。'08.3.6 南入曽車両基地 P:RM(高橋一嘉)
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▲客室扉上部に設置された運行情報表示ディスプレー(左)。貫通路にもコンセプトの“たまご”が描かれている。'08.3.24 P:RM(伊藤真悟)
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この30000系は、まず本年度3編成(8輌編成×3本)の投入が予定されており、5月末には新宿線に引き続き池袋線にも投入されます。今後は101・301系の置き換え用として2007年度から2011年度にかけて8輌編成×12本、6輌編成×3本、2輌編成×3本の計120輌が投入される予定です。2輌編成がどのような姿になるのかも気になりますが、これにより西武鉄道の車輌のイメージは従来の黄色から青と白の世界へと大きくシフトすることになりそうです。

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▲すっかりリニューアルされた各職種の制服。30000系の営業運転開始を前にこちらもすっかりリフレッシュ。'08.3.24 P:RM(伊藤真悟)
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また西武鉄道では3月27日より制服を約20年ぶりに一新しました。一新にあたり、同社では2006年9月に「制服検討委員会」を立ち上げて、デザインや機能性について、こちらも社員の声を反映させているのが大きな特徴です。
なお、この西武鉄道30000系については、今月発売の本誌でオフィシャル解説原稿とともにたっぷりとご紹介する予定です。

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