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あれから20年。青函トンネル→青函連絡船、最初で最後のラウンドトリップ。(下)

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▲連絡船の終焉とともに80年近くにわたって続いてきた貨車航送の歴史も幕を閉じることになる。貨車甲板に続々と貨車をのみ込んでゆくのは摩周丸。'88.1.16
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青函トンネル初体験の翌朝は「五稜郭準備運転区」を訪問。試乗列車13仕業のほか重連総括の貨物牽引試運転に大忙しのなか構内をご案内いただき、函館駅に戻ってきたのはすでに14時を回っていました。

seikan32.jpg「津軽丸」の大錨とD51の動輪がモニュメントとして置かれた函館駅正面には、“連絡船フィーバー”キャンペーンの大看板が取り付けられているものの、対面を走る函館市電500形には「みんなで残そう連絡船」の文字も見え、青函トンネル開業と連絡船廃止の間で微妙に揺れる函館の街を象徴しているようでもあります。たしかに3月13日以降、五稜郭?函館間はさながら盲腸線のようなかたちで取り残されてしまうわけです。
▲函館駅の「れんらく船のりば」の表示もあと二ヶ月あまり。「今、栄光の航跡をきざんでいます」の横断幕も…。'88.1.16
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改札口を通り、通いなれた桟橋連絡橋を目指します。昨年の夏は臨時便を出すほど混雑していたと聞く連絡橋も今日は人影がまばらです。窓から外を見やると、粉雪の舞い始めたなか、これから乗船しようという20便「摩周丸」への貨車積込み作業が続いています。連絡船廃止とともに消え去る運命の控車ヒ500をはさんで車輌甲板に押し込まれる貨車はすべてコンテナ車で、塗りたてのJR貨物色がひときわ目立ちます。

seikan34.jpg洞爺丸事故以来、青函連絡船に乗船する際のひとつの“儀式”でもある「乗船名簿」を記入。文字が擦れかかった薄っぺらいコピーとなってしまったことに少々落胆しながらも、なにはともあれ連絡船待合室へ。通路には「20便 摩周丸」の案内標を先頭にすでにかなりの列ができています。摩周丸の定員は1140名。ざっと見渡した限り300前後の待合室の旅客は楽々と乗船できるはずですが、どうも皆さん数少ない窓側の席を確保しようという目論見のようです。
▲可動橋を渡り20便「摩周丸」へ。さすがに船体には疲れが滲む。'88.1.16
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しばらくして乗船開始を告げるアナウンスが流れ、人々の列は係員の誘導で桟橋を第一乗船口へと向かいます。函館には2つの旅客用岸壁があり、第一岸壁に接するのが第一乗船口です。先ほど記入した「乗船名簿」を木箱に投げ入れ、普通船室の乗船客はまっすぐ前へ、グリーン船室の乗船客はスロープを上って二階船室へと向かってゆきます。

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▲ドラの音、蛍の光、そして長声一発…、ひたすら繰り返されきた出航の時。'88.1.16
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船内に入ると8艘の連絡船のシルエットをあしらったJR北海道函館支店の黄色い小旗が張りめぐらされ、まさに“連絡船フィーバー”真っ盛りという感じです。まずは座席を確保し、プロムナードと呼ばれる客室甲板に出てみると、航送貨車の積込み作業はすでに終了したようで、次第に強さを増す雪のなかで控車の列と1輌のDD51が佇んでいるのが見えます。

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▲旅立つ人、見送る人、函館桟橋にはいつも心に沁みる光景が繰り広げられていた(左)。船内グリル(右)で海峡の味を堪能できるのもあとわずか。'88.1.16
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15時ちょうど、低いドラの音と蛍の光のメロディーが流れるなか、可動式のタラップが収納され、係留用の太いワイヤーが桟橋係員の手によって外されます。ひときわ長い汽笛とともに20便「摩周丸」の出航です。逆側の船尾にはライトグリーンの船体も鮮やかな補助汽船「ひうら丸」が取り付き、小さな体で懸命に5,375トンの巨体を押しています。自らも船首の方向を変えるバウスラスター装置を駆動させて「摩周丸」は次第に岸壁との角度をとってゆきます。真正面に函館ドックのガントリークレーンが見えはじめた頃には「ひうら丸」がしずしずと離れ、20便はいよいよ函館湾へと乗り出しました。

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▲函館湾を出る青函連絡船「十和田丸」。青森を目指した3時間50分の海峡の旅が始まる。'88.1.16
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函館湾内を旋回し、函館山が左舷後方に遠ざかる頃にはプロムナードで景色を楽しんでいた人々もほとんどが船内へと戻ってゆきました。天候は決して良くないものの、津軽海峡に出るまではさほど大きな揺れもないはずです。20便の食堂「グリル摩周」の営業開始は出航からちょうど一時間後の16時。黄昏の船内から望む海は次第に時化てきており、函館方より青森方の方が揺れがひどいことを考慮すると、オープンから一時間ほどの間に食事にありついておかないと危なそうです。果たしてこの判断は正解で、17時頃にはローリングが強まり船内グリルは休店となってしまいました。すでに日はとっぷりと暮れています。運よく食事も済ませたことですし、座席に戻ってしばし最後の青函連絡船の旅の感慨に浸ることにいたしましょう。 (完)

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▲函館山が静かに遠ざかってゆく。海峡の寒風が春の気配を見せる前に、青函連絡船の歴史は幕を閉じる。'88.1.16
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青森の街をあとにしてから青函トンネル→青函連絡船と足掛け2日、29時間に及ぶラウンドトリップでしたが、もちろん最初で最後の稀有な体験となりました。あれから20年、今度は整備新幹線(北海道新幹線)工事が始まった海峡を、改めて再訪してみたいと思う今日この頃です。

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