鉄道ホビダス

2008年3月 8日アーカイブ

早春の大沼界隈。

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▲珍しくくっきりと全容を見せた残雪の駒ヶ岳をバックに、D52の牽く上り貨物が大沼駅を発車してゆく。この小沼を左に見おろす道路沿いの高台は、大沼界隈きっての“お立ち台”だった。'72.4.5 大沼?仁山
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時代を超えた撮影名所として現在でも人気の高い函館本線の大沼公園周辺ですが、蒸機時代を振り返ってみると、積極的に通ったという印象はなく、むしろ北海道を離れる“セレモニー”のような記憶が鮮明です。

oonuma084n.jpgというのも、渡道する際は青森周辺で終日撮影し、夕方の青函連絡船で函館へ渡り、そのまま夜行に乗り込んでしまうのが常でしたから、大沼公園周辺は往路には立ち寄りにくかったのです。逆に周遊券の期限いっぱいに道内を回った帰路、最終日を大沼で半日過ごし、夕方の連絡船で青森へ渡って「八甲田」や「十和田」で帰路につくというパターンが普通でした。それだけに大沼と聞くと私にとって“北海道最終日”のイメージが強く湧き上がってくるのです。
▲240レを牽くD52 138〔五〕。五稜郭区のD52は貨物仕業のみならず旅客列車にも充当されていた。'72.4.5 大沼?仁山
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▲小沼のほとりを回り込むように大沼駅を目指すD51 593〔萬〕牽引の下り貨物。辺りには春の気配が…。'72.4.5 七飯?大沼
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しかも毎年春休みの渡道では、十数日間にわたって厳冬をひきずったままの道北・道東を回ったのち、4月の声を聞いてから道南の大沼へと戻ってくるわけですから、旅の終わりとともに早春のイメージも染み付いてしまっています。

oonuma085nn.jpgそのなかでも一番印象深かったのは1972(昭和47)年春の大沼です。猛吹雪の宗谷本線や釧網本線などをさまよったのち、やはり最終日に降り立ったのが大沼駅でした。大沼公園といえば背後に聳える標高1131mの駒ケ岳がシンボル的存在ですが、この駒ケ岳、冬場はなかなかその姿を見せてはくれません。ところがこの日はまさに雲ひとつない快晴。裾野にいたるまでくっきりとその全貌が見渡せ、またとない撮影日和でした。小沼のほとりの湿原も早春の装い。旅の最後に残ったブローニー・カラーフィルムをマミヤフレックスに装填し、“非電化複線”を行き交うD52たちを満喫したのでした。
▲下り旅客列車とすれ違うD52 56〔五〕。この角度から見るその圧倒的なボリューム感はD52ならでは。'72.4.5
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ちなみに大沼駅上り方は1966(昭和41)年9月30日に開通した下り列車用のいわゆる藤城線(七飯?大沼)と、仁山越えの在来線がそれぞれの新峠下隧道、峠下隧道を出てから“複線”として寄り添う区間。大沼駅を出ると、線路は再び在来線といわゆる“砂原回り”の二手に分かれて森へと向かいますから、この大沼駅上り方の2キロほどがもっとも撮影効率の良い区間でした。

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▲9600(無火)を従えて大沼を目指すD52 204〔五〕。さながら親子のような重連だ。背後は小沼。'72.4.5 七飯?大沼
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当時のダイヤグラムをみると、特急から貨物列車まで今では信じられないほどの列車密度で、まさに「本線」の名に恥じない幹線ぶりだったことがわかります。それはとりもなおさず青函連絡船による本州連絡の喉元だったからに違いありません。線形やロケーションこそ変わらないものの、残念ながら現在の大沼界隈の線路にあの賑わいはありません。

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