鉄道ホビダス

2008年3月アーカイブ

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4年前の3月に貨物営業を終えて休止状態になっている通称「田野浦臨港線」(JR所有の門司港?外浜間0.9kmと北九州市所有の外浜?田野浦間3.6km)の一部が、普通鉄道としてはわが国初の「特定目的鉄道」として再生する運びとなりそうです。
▲関門海峡沿いを走る「特定目的鉄道」の完成イメージ。2009年春にも開業する方針だという。(北九州市提供)
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これは、門司港の古い街並みと新しい都市機能をうまくミックスさせた都市型観光地をめざして北九州市が推進してきた「門司港レトロ」の一環として、同臨港線を観光鉄道化しようとする「門司港レトロ観光列車事業」で、去る3月13日(木曜日)に、国土交通省九州運輸局鉄道部宛に特定目的鉄道としての鉄道事業認可申請が行なわれました。ちなみに、このブログでも何回か取り上げています(→こちら)が、「特定目的鉄道」とは、改正鉄道事業法施行規則第5条2項で「景観の鑑賞、遊戯施設への移動その他の観光の目的を有する旅客の輸送を専ら行うもの」と規定された鉄道に対し、運行本数や運賃などの規制を大幅に緩和する新法です。

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今回の事業認可申請にあたって特筆されるのは、運行事業者(第二種鉄道事業者)を平成筑豊鉄道株式会社、施設保有事業者(第三種鉄道事業者)を北九州市とする「上下分離方式」によった点と、なおかつ使用車輌が南阿蘇鉄道で使用されていた機関車と、3月末、つまりまさに今日まで島原鉄道に在籍していたトラ70000形トロッコ客車が再利用される点でしょう。
▲運行区間はJR門司港駅から和布刈(めかり)公園を結ぶ約2キロ。門司港駅、レトロ中央駅、文字ヶ関駅、和布刈公園駅(いずれも仮称)の4駅が設けられるほか、その先に瀬戸町車庫(仮称)が設置される予定。(北九州市提供)
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北九州市経済文化局門司港レトロ室発表のプレスリリースによれば「門司港レトロ観光列車事業」のアウトラインは以下のようなものです。
(1)概要
観光客の回遊性向上や滞在の長時間化、新たな広域観光ルートの形成を図るため、休止中の臨港鉄道を活用し、門司港駅と和布刈地区を結ぶ観光列車構想の事業化を図ります。
(2)運行内容
【運行区間】門司港駅?和布刈公園駅(駅名は仮称) 約2km 4駅
【運行日】3月中旬?11月下旬の土日祝日、春・夏休み計 約130日
【運行時間】10時?17時
【運行本数】1日14往復 (約30分で1往復)
(3)事業の体系
列車の運行と鉄道線路の保有を別個の事業者が行なう、いわゆる「上下分離方式」とします。また、鉄道事業収入と必要経費の差額を市が運行補助として支出します。

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(4)スケジュール
【平成20年度】 工事(トンネル、ホーム、車庫、沿線修景等)、
        車輌購入・改造、開業監査
【平成21年度】 運行開始(予定)

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▲いわゆるプッシュプル方式の運転となる。北九州市は2008年度当初予算案に車輌の購入改造費用などの関連事業費として2億8千万円を計上している。(北九州市提供)
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すでに休止となっている貨物線の観光鉄道への転換は過去に例がないのみならず、認可されれば改正鉄道事業法に則った「特定目的鉄道」としては2例目となります。もっとも第1例目は愛知万博に際して認可された無人運転バスによる新交通システムで、こちらは期間限定での認可でした。つまり今回の「門司港レトロ観光列車事業」は、永続的営業を行なう普通鉄道としてはわが国初の「特定目的鉄道」となるわけで、その意味でも活路を模索しているローカル私鉄や保存鉄道にとってたいへんインパクトの大きいものとなります。

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▲好天に恵まれた土曜日、折りしも東京は桜が満開。「西尾源太郎さんをしのび汽車を語る会」には100名近い方が集まられた。挨拶に立つのはご子息の西尾恵介さん。'08.3.29

昨日は東京・高田馬場駅前の“BIG BOX”9階のバンケットルームで「西尾源太郎さんをしのび 汽車を語る会」が開かれ、全国から故人と親交の深かった100名近い趣味人の皆さんが集まられました。

shinobukai102.jpg改めてご紹介いたしますと、西尾源太郎さんは1920(大正9)年のお生まれ。東京工業大学を卒業後、当時の鉄道省に入省されたものの、兵役でシンガポールやフィリピンを転戦し、苦難の末に復員。1946(昭和21)年に、ご家族の疎開先、札幌の苗穂工機部(工場)を皮切りに、郡山工機部(工場)、大宮工場、静岡鉄道管理局機関車主幹、本社運転局車務課、技師長室、工作局車両課総括補佐を歴任。その後、十河総裁、島技師長のもと新幹線総局で計画審議室調査役として開業を前にした東海道新幹線の車輌開発に携われました。
▲祭壇には遺影とともにC51をこよなく愛された西尾源太郎さんに因んでC51の模型が飾られた。'08.3.29
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▲最初の挨拶をされる星 晃さん。国鉄工作局時代からともに東海道新幹線開発に携われたお仲間。'08.3.29

静岡鉄道管理局時代には当時東海道で運用されていたEF57の上越線への転用を起案、本社運転局時代にはEF13の車体載せ替えやC54の延命(装備改造)の予算付けなど、その後の鉄道趣味の動向にも大きく影響する采配を揮われておられます。

shinobukai105.jpg1965(昭和40)年に多度津工場長を最後に国鉄を辞され、その後も帝国車輌(のちの東急車輛大阪)取締役、社団法人日本鉄道技術協会専務理事を務められるなど、常にわが国の鉄道車輌開発の最先端を歩んでこられました。また、早くからLRTの可能性に注目され、その開発にも尽力されておられました。もちろん趣味人としても幅広く活躍され、戦後直後から機関車同好会同人として機関誌『MIKADO』に執筆、その後は記名記事のほか“椎野剛一”のペンネームで趣味氏に多くの記事・写真を発表されておられます。さらに鉄道友の会や海外鉄道研究会、日本路面電車同好会などで後進の後進の育成に積極的に取り組まれてこられました。
▲司会進行は私が務めさせていただいた。'08.3.29

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▲数々のアルバムとともに書簡集も公開された。島秀雄さんからの手紙や、宮沢喜一元総理大臣からの書状など西尾さんの広い交際に改めて驚かされる。書簡集に見入っているのは広田尚敬さん(左)。右は長いおつきあいがあった竹島紀元鉄道ジャーナル社社長。'08.3.29
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そんな西尾源太郎さんがお亡くなりになったのは昨年の暮も押し迫った12月23日。享年87歳でした。私はお亡くなりになるわずか3日前に高井薫平さんらとお見舞いにうかがったばかりでしたので、突然の訃報に言葉を失う思いでした。

shinobukai108.jpg国鉄の車輌開発という実務の側におられながらも、鉄道趣味人として常にあたたかい眼差しでファンを見守ってくれていた西尾源太郎さんを慕う声は多く、お亡くなりになってわずか3箇月後の今回の「西尾源太郎さんをしのび 汽車を語る会」開催となったわけですが、日本の鉄道趣味界を代表する100名近い皆さんが馳せ参じられたことで、改めて西尾源太郎さんの存在の大きさを実感することとなりました。
▲発起人会を代表しての宮澤孝一さんの挨拶。左から宮澤孝一さん、宮田寛之さん、高井薫平さん、私、山田修平さん。'08.3.29
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nishiosankouhaku1n.jpgこの「西尾源太郎さんをしのび 汽車を語る会」にあたっては、発起人会(高井薫平・宮田寛之・宮澤孝一・山田修平の各氏と私の5名)で、西尾さんが1943(昭和18)年にお書きになった「国鉄標準軌新幹線用蒸気機関車についての考察」と「蒸気機関車C54の回想」を収録し、表紙を黒岩保美さんが西尾源太郎さんのために描き上げたC54の絵画で飾った記念誌を製作いたしましたが、この両論文を改めて読み返してみると、西尾さんの中で、実務者としての理論的裏付けと、趣味人としての夢が、さながら車の両輪のごとく調和していたことを思い知らされます。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
▲お元気だった頃の西尾源太郎さん。交通博物館の「感謝とお別れの集い」でご一緒した際に西野保行さんに撮っていただいたツーショット。'06.5.15
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▲わたらせ渓谷鉄道終点の間藤から足尾本山までの1.6キロは休止線として施設もそのまま残されている。錆びつきながらも孤独に立ち続ける腕木式信号機に増岡さんも大感激。'08.3.25
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「足尾歴史館」での機関車運転初体験を終え、増岡さんの運転するデリカは今度は足尾本山へと向かいます。間藤から足尾本山までの1.6km区間に残されている線路跡(正確には休止線)を探訪しようというのです。

masuokasan51.jpg歴史館の皆さんのご案内で通常は立ち入れない道床を歩いて本山を目指しますが、途中には橋梁や隧道がそのまま残されており、なかなかの雰囲気です。殊に30.3‰の急勾配上の最後のトンネルはポータル手前に腕木式信号機も残されており、背景の工場跡とともに究極のトワイライトゾ?ンとなっています。
▲本山方から間藤方面を振り返る。この30.3‰勾配はC12にとってまさに最後の難関であった。'08.3.25
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▲足尾本山駅(写真前方)は現在でも古河機械金属の管理化に置かれており立ち入ることなできない。'08.3.25
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▲足尾駅も国鉄時代の面影を色濃く残している。貨物ホームにはキハ35の姿も見ることができる。'08.3.25
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足尾本山を堪能したあとは、細尾峠への足尾銅山馬車鉄道の遺構を見に峠へと向かいます。なにしろ廃止が大正元年と伝えられるだけあって、とても痕跡など残っていないと思っていましたが、そこは地元の歴史館、山中に残る路盤と橋梁跡にご案内いただきました。

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▲足尾駅本屋前のラリーアート特別仕様デリカD:5。コンペティティブな外見とは違って乗り心地はきわめて良好。余談ながら駅前に復活したという郵便ポストにもご注目。'08.3.25
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さて、ここからは一気に日光へと向かいます。足尾から日光側へは以前は究極の峠道・細尾峠にアタックするしか術がなかったのですが、今は「日足トンネル」であっという間のドライブです。そういえば昨今の広域町村合併で足尾も「日光市」となっています。

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▲足尾町内のガソリン軌道と細尾峠へと向かう馬車軌道。馬車軌道は索道を介して細尾峠を越え日光側へと連絡していた。内務省地理調査所1:50000地形図「足尾」「男体山」(昭和21年発行)より加筆転載。
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「峠といえば、碓氷峠の最終日のことも忘れられないですね」と増岡さん。横軽最終日にはカメラをいっさい持たずに、トンネル脇の空き地でコンロでコーヒーをたてながら一日中行き交うロクサンを見ていたとのこと。「写真に撮るのは皆さんにまかせて、何か自分の心に焼き付けておきたかったんですよね」。

masuokasan37.jpgそんな増岡さん、ハードスケジュールのなか、時間を捻出しては、最近でもしっかりと“現場”に立っておられ、昨年は念願だった余部橋梁と、かつて三重連を撮った思い出の地・生野越えを再訪されたそうです。今年は肥薩線の大畑へ行けたら…と尽きぬ思いを語っておられました。
▲大内事付近の山林に残る足尾銅山馬車軌道の路盤。地元の方の案内なくしてはまず発見することは困難。'08.3.25
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▲そしてこれが細尾峠への馬車鉄道最大の遺構。沢を渡る木橋だったのだろうか…。それにしてもこの山奥に巨石を積み上げた明治の技術には増岡さんも絶句。'08.3.25
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ところで、“パリダカ”総合優勝2回という世界的なラリードライバーだけに、さぞや華麗な運転テクニックなのだろうと期待していたのですが、失礼ながら想像とはかけ離れてびっくりするほど慎重な運転です。その辺をうかがってみると「運転はメリハリです。競技のように速く走る時にはひたすら速く走る。でもその必要のない時にはそれなりの走り方をするということですかね」。それにしても交差点などちょっとじれったくなる(失礼…)ほどの慎重さですが、その点を聞いてみると、「競技でも公道でも、常に回りの状況に気を配ることが基本です。おそらく交差点ひとつ通るにしても、普通の人が想像もしてない2つも3つも多くに注意を払っているんだと思いますよ。“パリダカ”の場合、まったく何の目印もない砂漠を一日600キロから走り続けるわけですが、ちょっとでも注意が疎かになればそれこそ命に関わります。そういった中で身についてきたものかもしれません」。

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▲日光いろは坂など足元にも及ばないほどの急坂とカーブの連続の細尾峠。まさにデリカD:5の本領発揮のステージだ。'08.3.25
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そう言えばラリードライバーと蒸気機関車乗務員に共通した点があるとおっしゃっておられましたが、その点を詳しく聞いてみると…。「ご存知と思いますが、ラリーはドライバーとナビゲーターの二人の共同作業です。これはまさに機関士と機関助士の関係そのもので、呼吸がぴったりと合わないと優勝などほど遠いのです」。「ナビゲーターは前を見ずにペースノートを見ながら、ひたすらルートを読んでドライバーに指示をするわけですが、例えば距離、ルートマップでは何キロとなっていてもそれは地図上での話であって、ラリーカーは頻繁にジャンプしたりしていて、タイヤの回転数がそのまま走行距離というわけではないんですね。つまり何の目標物もない見渡す限りの砂漠で、外を見ずに空転している距離も読んでナビゲーションしなければいけないわけです。今の増岡の走り方だと実際の走行距離は何キロだと、そこまで正確に読めてこそのナビなんです」。

masuokasan40.jpg「砂漠の風向きひとつで水温が変わったり、そこらも本当に蒸機と同じです。よく機関助士は投炭しながらでも走っている地点が正確にわかっていると言いますが、ナビゲーターも同じです。機関士は機関助士の、機関助士は機関士の、つまりドライバーはナビの、ナビはドライバーの癖ひとつまで知り尽くし、さらに両者が車輌そのものの状態を常に把握し尽くしている…思えば中学生の時に乗せてもらったC55 47の乗務員さんが原点だったのかも知れませんね」。
▲現在はその細尾峠の地中を日足トンネルが一直線に貫いている。足尾と日光側とはこのトンネルによってなんと20分ほどで結ばれている。'08.3.25
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▲東武日光駅から大谷(だいや)川に沿って路面を走っていたのが日光軌道線。急勾配の路面を電気機関車に牽かれた貨車も走っていた。内務省地理調査所1:50000地形図「男体山」(昭和21年発行)「日光」(昭和22年発行)より加筆転載。
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せっかくの機会ですから、クルマで撮影に行かれる機会の多い皆さんにアドバイスをお願いしてみました。「そうですね、よく撮影地でエンジンを掛けたまま仮眠している人がいますね。あれはエコの面からはもちろん、実は非常に危険なんです。どんなクルマでも停車したままフルスロットルにしておくと十数分でエンジンルームから発火します。ですからエンジンを掛けたまま運転席で仮眠するのは絶対にやめてください。気づかない間にスロットル(アクセル)を踏みっぱなしにしてたなんてことになりかねませんから…」。

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▲独特の構造が今に残る安良沢橋梁。あと2ヶ月も経てば周囲は新緑に覆われてこれほどくっきりと見渡すことはできなくなってしまうに違いない。'08.3.25
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「俯瞰撮影などで林道などを走る方もおられると思いますが、万が一のことを考えると古毛布を一枚積んでおくと良いですよ。それこそエンジンを止めて仮眠する時にも役にたちますし、なによりも泥濘にはまったり、脱輪したりした時にこの毛布をタイヤの下に敷いてやれば脱出可能ですから」。
「それと燃料。これは燃料計が半分になる前に必ず給油する癖をつけといた方が良いです。北海道などスタンドが少ない場所はもちろんですが、いざという時にクルマ本来の航続距離が発揮できないのでは意味ありません」。
「さきほどの機関士と機関助士の話ではありませんけど、クルマの運転もやはり“段取り”です。先々に起こることを見越して運転する、それが大事ですね」。

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▲安良沢橋梁(左)とほぼ同様の構造を持つ田母沢橋梁(右)も道路の上下線に挟まれてかろうじて残っている。それにしても前後の道路はかなりの勾配で、ここを電車が行き来したと思うと改めて驚く。'08.3.25
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masuokasan44.jpg東武鉄道日光軌道線の跡を辿りながら“ゴール”と決めたJR日光駅に到着したのは17時。途中、機関車体験運転に熱中しすぎてのタイムオーバーなどはあったものの、ゴールタイムはしっかり予定通り。ナビゲーター役の私もまずはほっとです。
改めて増岡さんに今日の感想をうかがってみると…「いやぁ、すごい密度の一日でしたよね。廃線跡探訪の楽しさも改めて思い知りました。廃線跡って見ているうちにどんどんイメージが広がり、イメージを創りすぎて見終わったあとにぐったりくるこの感じがたまらないですよね」。いやはや、増岡さんは本当に根っからのトワイライターでした。
▲“ゴール地点”のJR日光駅に到着。東照宮に模して正面玄関に誂えられた「鳴龍」を試す増岡さん。次の“パリダカ”での必勝を祈願したのかも…。'08.3.25
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▲足尾歴史館に到着、デリカD:5を降りる増岡 浩さん。「えっ、あの機関車は何ですか!?」。'08.3.25
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草木ダムの建設によってルート変更となった旧足尾線の線路跡をひとわたり見たのち、増岡さんの運転するデリカは国道122号線を通洞駅へと向かいます。通洞駅の裏手、かつての選鉱場跡に建てられた「足尾歴史館」を訪ねようというのです。

masuokasan29.jpgNPO法人として積極的な活動をしているこの「足尾歴史館」では長井一雄館長のもと、さまざまな企画が進行しています。そのひとつが、かつて足尾町内を走り、住民の貴重な足ともなっていたガソリン機関車を復元しようというプロジェクトです。かつて臼井茂信さんが発表された「フォード万歳」で一躍有名になったこのガソリン機関車は、馬車鉄道の近代化のために足尾銅山工作係がA形フォード・エンジンのパワーユニットを使って製造したもので、かなりの数の同系機が足尾の町中を走り回っていたといいます。
▲かつて足尾の街中を走っていたフォード・エンジンを使ったガソリン機関車。この機関車の復元プロジェクトが始まっている。'08.3.25 写真所蔵:長井一雄(足尾歴史館)
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▲通洞駅付近のガソリン軌道跡。左側の細い路地が軌道跡である。足尾歴史館は画面左上の高台にある。'08.3.25
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残念ながら昭和30年代に入るとガソリン軌道は廃止され、人々の記憶からも遠ざかりつつありましたが、その愛らしい姿を足尾の町の活性化のシンボルにしようと、「足尾歴史館」に集う皆さんが復元プロジェクトに取り組んでいるというわけです。

masuokasan24.jpgすでに歴史館の庭には2フィートゲージのエンドレス軌道が新設されており、来年以降、伝説のフォードがそのエンジン音を響かせてくれるはずです。ただ、そうなるとせっかく軌道が完成しながらも当面動かせる機関車がない…ということで白羽の矢が立てられたのが加藤製作所製の4tディーゼル機関車です。一昨年の武蔵村山市のイベントで展示された(→こちら)ものなので、ご存知の方も少なくないでしょう。
▲足尾歴史館のエントランス。来月の「通洞駅祭」に向けて着々と準備が進んでいる。'08.3.25
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▲まずは私がインストラクター役となって基本的な運転方法をお教えする。ラリーカーならぬ「機関車」を運転するのはさすがの増岡さんも初めて。'08.3.25
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実はこの機関車、これまで詳らかにはしてまいりませんでしたが、私が3人の仲間と個人所有している私有貨車ならぬ“私有機関車”なのです。14年ほど前に神奈川臨海鉄道塩浜機関区横にあった内燃車輌整備会社・森工業さんでフル・レストレーションを行なって動態復元をいたしました。今回は「けいてつ協会」からの要請でこの足尾歴史館にお貸しすることにしたもので、今年は同館の各種イベントで元気に走り回る姿をお目に掛けられると思います。

masuokasan26.jpg増岡さんにご用意した“サプライズ”とは実はこの加藤くんで、ほかならぬ世界的ラリードライバーの増岡さんに「機関車」を運転してもらおうというのです。事前に訪問日程をお知らせしておりましたので、整備を担当してくれている地元のブラザーモータースの町田 洋さんが前日までエンジン調整を行ない、私たちが到着した時にはすでに予熱も済んでいつでも動かせる状態。まずは私が増岡さんを横に乗せて1往復運転してレクチャーを行い、いよいよ増岡さんがスロットルを握ります。ところが…本当に驚いたことに、一度操作を見ただけなのにこちらが呆気にとられるほどスムースに運転されるではないですか!
▲いざ単独運転開始。さすがにあっという間に運転方法を会得、恐れ入りました。'08.3.25
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▲これがわが愛機(?)のキャブ内機器レイアウト。とにかくどれもスパルタンな操作フィーリングだ。'08.3.25
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床からダイレクトに生えたストロークの長いクラッチペダルといい、あらゆる操作系が重く、硬く、スムースでなく…にも関わらず、エンストどころか今まで何回も経験してこられたような運転ぶり。これには見守っている歴史館の皆さんもびっくり、さすが世界的な“運転のプロ”です。

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というわけで、今日は前代未聞の椿事=世界的ラリードライバー増岡 浩さんが運転する加藤くんの動画をお目にかけましょう。
▲上の画像をクリックすると自動的に動画の再生(約2分)を開始します。
※音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

なお、足尾歴史館では「通洞駅祭?わ鐵に乗って足尾へ行こう!」イベントの一環として来月4月26日(土曜日)・27日(日曜日)の2日間(10:00?16:00)、この加藤くんを公開運転する予定です。(詳しくは→こちら

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▲いよいよトワイラ探検に出発! ラリーアート特別仕様のデリカのリアに、私がアメリカで買ってきた“You are following a train lover.”のステッカーを貼ろうとする増岡さん。ちなみにステッカーの意味は直訳すれば「あなたは“鉄ちゃん”の後ろを走っている」となるが、列車や廃線跡などを見つけるたびにパニックブレーキを掛けるやつだから追突注意…といったアメリカンジョーク。'08.3.25
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クルマにあまり詳しくない方でも“パリダカ”と通称されるダカール・ラリー(パリ・ダカール・ラリー)はご存知でしょう。残念ながら今年はルートにあたるモーリタニアの治安状態悪化のため直前に中止となってしまいましたが、その“パリダカ”で2002年と2003年の2回にわたって総合優勝を手にした日本人が増岡 浩さんです。と、ここまでは改めて紹介されなくても…とおっしゃる方も少なくないでしょうが、それではその増岡さんが極めて熱心なレールファン、しかもトワイライトゾ?ン・ファンだと知っている方はほとんどおられないはずです。

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▲桜にはちょっと早いが、わたらせ渓谷鉄道はまさに春爛漫。うぐいすの鳴き声も聞こえる中を716Dが駆け抜けてゆく。'08.3.25 花輪?水沼
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そんな増岡さんから、一日トワイライトゾ?ンの旅をご一緒にとお誘いを受け、一昨日、足尾から日光を巡ってきました。わたらせ渓谷鉄道沿いに足尾線の旧線跡や休止線を見つつ、足尾銅山馬車鉄道の軌道跡を辿って日光側に抜け、さらに東武日光軌道線の線路跡も探検しようという少々欲張りなプランです。

masuokasan03.jpg真っ赤な塗色が目を引くラリーアート特別仕様のデリカで現れた増岡さん、ひさしぶりの“鉄道”に、はなから少々興奮ぎみです。それもそのはず、八高線の金子駅近くで生まれ育った増岡さんは、あの「金子坂」のD51重連を原点に鉄道趣味にのめり込み、中学校に入ると北海道から九州まで蒸機を求めて東奔西走。快晴の駒ケ岳バックに大沼を行くD52の作品は地元・入間市の写真展で金賞に輝いたこともあるほどの腕前です。
▲上神梅駅本屋はまるで40年前にタイムスリップしたような趣あるもの。木製のラッチが泣かせる。'08.3.25
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masuokasan06.jpg蒸機を追って各地を訪れたなかでも、とりわけお好きだったのは冬の常紋だそうで、「あのブラスト音、今でもくっきりと耳に残っています。いやぁ、良かったですね」と、ステアリングを握りながらの話にも思わず熱が入ります。「あの常紋トンネル、行きは信号場の人が電気を点けてくれるけど、帰りは真っ暗ななか手探りで信号場まで帰ってこなければならない…あれが怖かったですね」と、同時代体験している私にとっても思わず膝を叩くお話が次から次へと飛び出して、ロケハンさえもおろそかになってしまいそうです。
▲神戸駅の跨線橋でシャッターチャンスを狙う増岡さん。ちなみに「神戸」(ごうど)は国鉄時代は神戸(こうべ)と混同されかねないため「神土」と表記されていた。'08.3.25
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▲神戸駅はもうすぐ満開の桜に包まれるはず。ちなみに線路はこの先で草木トンネルに入るが、その手前から旧線が遊歩道となって残されている。'08.3.25
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「実はC55 47に旭川から名寄まで添乗させてもらったことがありましてね。まだ中学生だったんですが、一人でC55見たさに宗谷本線まで行ったんですよ」。そう語る増岡さんにとって、ラリーカーの運転と蒸気機関車の乗務は驚くほど共通点があるそうですが、その話は次回以降にご紹介しましょう。

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▲かつてC12重連があえいだ旧線(「C12重連、一度きりの邂逅」参照)跡は草木ダム手前まで遊歩道として整備されている。足尾鉄道時代からのものと思われる煉瓦と石積みのトンネルポータルに感無量の増岡さん。'08.3.25
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masuokasan07.jpgご多聞にもれず1975(昭和50)年の国鉄無煙化とともに行き場(?)のなくなってしまった増岡さん、ELやDLにシフトすることもできず、しばらくは鉄道趣味から遠ざかり、オフロードレースの世界に没頭することになります。しかし、ある時、所属する三菱自動車のテストコースのある帯広で少しオフタイムが取れ、蒸機時代に一度は見てみたかった狩勝峠旧線へと足を伸ばします。この時の感動が増岡さんを今度はトワイライトゾ?ンの世界へと駆り立てたのです。「常紋や冷水峠などの現役時代を見ているだけに、線路跡の勾配と曲線、そして隧道などを見ているだけで、どんどんイメージが広がってくるんですね。それからは時間を捻出しては線路跡探しですよ…(笑)」。
▲遊歩道は巨大な草木ダムに突き当たって終わる。増岡さんはダムも大好きだとか…。'08.3.25
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一番印象深かったのは山小屋に一泊しながら踏破した別子鉱山軌道(「別子鉱山鉄道跡を垣間見る」参照)の上部軌道だそうで、北陸本線の杉津(すいづ)越えや地元の西武鉄道安比奈線などは幾度となくリピートして訪れておられるとのこと。国土地理院関東地方測量部まで旧版地形図を探しにゆくなど、そのトワイライターぶりは筋金入りです。

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▲足尾線旧線探訪を終えてさらにわたらせ渓谷鉄道沿いの国道122号線を北上する。そのハンドルさばきたるや…と思いきや、驚くほどにゆっくりと慎重。'08.3.25
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そんな増岡さんに、今回の“コース”中に私からちょっとしたサプライズをご用意しましたが、そのご紹介はまた明日…。

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▲「こだま」への転用改造を実施中の500系W3編成。注目の車体塗色は現時点では従来の「のぞみ」用から変更されない予定。'08.3.4 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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先日のダイヤ改正でついに東京に姿を見せるのが一日2往復と激減してしまった新幹線500系ですが、今もってその人気は高く、わざわざ充当列車を目指して旅程を組む方もおられるほどです。

tec5008carsph2.jpgその500系が新大阪?博多間で「こだま」として運用されている0系の淘汰用として8輌編成化されることとなり、現在、博多総合車両所でその改造工事が行なわれています。8輌編成化は16輌のうち1・2・3・4・10・11・13・16号車を使用して組み替えるもので、その第一陣としてW3編成が今週末にはその姿を見せてくれるはずです。ただ、残念ながらこの組み替えから外れる5?9・14・15号車は廃車となる運命だそうです。
▲模型さながらに窓埋め改造中の3号車。喫煙ルームとするための作業で、塞がれた窓の客室側には強制ダクトが設けられる。'08.3.4 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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▲6号車となるのはもと10号車のグリーン車。2列+2列の座席配置はそのままで普通車化されることになる。'08.3.4 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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▲搭載を前にしたシングルアームパンタグラフ(左)。搭載される2・7号車にはパンタグラフカバーが新設されている(右)。'08.3.4 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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tec5008carsph6.jpg「こだま」用8輌編成化の主な改造内容は、2・7号車にシングルアーム式パンタグラフとパンタグラフカバー、静電アンテナを追加、3・7号車に喫煙ルームを新設、3号車の車販準備室を業務用室に改造、5号車に転用する旧13号車のパンタグラフ・パンタグラフカバー・静電アンテナの撤去などで、内装については床敷物・化粧材・荷棚を撤去のうえ新品に交換、腰掛モケットもすべて張り替えられます。ちなみにもとのグリーン車を2列+2列配置のまま普通車化する6号車(指定席として販売予定)に関してはグリーン系のモケット、それ以外は現行の偶数号車で使用されている紫系のモケットとなる予定です。
▲客席2列分を喫煙ルームに改造中の3号車。喫煙ルームは7号車にも設置される。'08.3.4 博多総合車両所 P:RM(新井 正)
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先般このブログでもご紹介(「有終の美、青い0系復活へ」)したように、6月下旬から11月にかけてオリジナル塗色に戻された0系3編成が「こだま」に充当されて有終の美を飾ります。「こだま」用500系は、11月の0系ラストランまでに全9編成中5編成が改造され、12月には0系からバトンを受け継ぐ予定です。なお、この改造工事に関しては現在発売中の本誌誌上で細かく取り上げておりますので、ぜひご覧ください。

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▲500系「こだま」用8輌編成の主な改造点。   イラスト:RM(根本貫史)
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※昨日アップした「東武東上線に“TJライナー”がお披露目」に座席転換の様子を収めた動画を追加いたしました。ぜひご覧ください。

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▲奇しくも伝説の「フライング東上」と同じ「青」を用いたラインが印象的な東武50090系。'08.3.21 下板橋 P:RM(高橋一嘉)

東武鉄道東上本線期待の新星「TJライナー」用の50090系電車が、去る3月21日に報道公開されました。すでにご存知かと思いますが、「TJライナー」は夕方?夜間にかけて下りのみ運転される座席定員制列車で、クロスシートとなるのが大きな特徴です。

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▲これまでの東上線のイメージを塗り替える座席定員制「TJライナー」は6月から運行開始の予定。'08.3.21 下板橋 P:RM(高橋一嘉)
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この「TJライナー」に使用されるのが50090系で、その系列名からもおわかりのように従来の50000系シリーズをベースとしていますが、「TJライナー」の運転時間帯にはクロスシート車、それ以外の時間帯はロングシートの通勤用車輌として使用されることから、関東の民鉄では初めてロングシート・クロスシートの転換機能を搭載していることが特徴です。「マルチシート」と呼ばれるこの転換機構は、運転台のタッチパネルから全車一括制御されるもので、クロス時には折り返し駅で進行方向に向けての転換も行われるほか、乗客が足もとのペダル操作によって手動で回転させてボックス状態にすることも可能です(ロングシート時は操作不可)。

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▲ロングシート時の車内(上)。中吊り広告が取り付けられないのも画期的なことと言えよう。下はクロスシート転換時の車内。車内の案内表示器はクロスとなることを考慮して妻面貫通路上にも設けられた。'08.3.21 下板橋 P:RM(高橋一嘉)
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※シート転換時の動画は→こちら

車体は50070系と同じく車体幅:2800mm、車体長:先頭車20130mm/中間車20000mmの4扉構造。扉間は片側6人掛けとなっており、クロス時のシートピッチは1000mmとゆったりしています(袖仕切り前の座席は760mm)。また、車椅子スペース以外の車端部は3人掛けのロング状態で固定ですが、ここも扉間と同スタイルの腰掛で、1人ずつに肘掛が設けられています。

tjliner4n.jpg平日は池袋発小川町ゆき2本、池袋発森林公園ゆき4本の計6本が、また土休日は池袋発小川町ゆき2本、池袋発森林公園ゆき2本計4本が運行される予定。停車駅はふじみ野、川越、川越市、坂戸、東松山、森林公園、つきのわ、武蔵嵐山、小川町の各駅で、池袋から乗車の場合のみ乗車券とは別に300円(予定)の座席整理券が必要です。

▲車端部はロング状態で固定ながら、ヘッドレストや肘掛が装備される(写真は優先席)。'08.3.21 下板橋 P:RM(高橋一嘉)
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ちなみに東上本線におけるクロスシート車は、臨時列車として6000系が入線したこともありましたが、定期列車ではかつての特急「フライング東上」に使用された5310系が伊勢崎線に呼び戻されて以来、実に46年ぶりのことと思われます。奇しくも「フライング東上」用5310系のボディーカラーでもあった伝説の「青」の帯を締めた50090系は10輌編成4本が投入され、6月から運行開始の予定。この6月ダイヤ改正時には東上線と東京メトロ副都心線の相互乗り入れも開始され、94年の歴史を誇る東上本線にとっても歴史的なダイヤ改正となります。

kokutetujidaihyou1.jpg21日発売の『国鉄時代』vol.13の特集は「山陽路を行く」。久々のエリア特集です。巻頭の「かもめ時代」は元糸崎機関区機関士・宇田賢吉さんによるC62牽引の特急「かもめ」を中心とした大型蒸機の楽園の記録。またそれに続く「ある日の乗務記録から」では、宇田さんに機関助士時代の運転の模様を正確無比な記憶で細部まで再現していただきました。C59 129牽引の215列車の福山発車から隣駅備後赤坂までの一区間ですが、密度濃く、読み物としてもまことに興味深いもので、なおかつ資料としても大変貴重な記録です。

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▲春まだ浅い山陽路をC62 1〔広転〕を先頭に疾走する1レ「さくら」。下関到着は8時ちょうどだ。'64.3.15 幡生 P:藤山侃司(『国鉄時代』vol.13より)
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udasanzyoumu.jpg続く藤山侃司さんの「1列車 さくら、西へ」はC62 1に牽引されたブルートレイン「さくら」が下関に向ってラストスパートをかけるスピード感溢れる作品、佐竹保雄さんの「逞しき騎士たちの残像」は、蒸機特急華やかなりし頃の山陽本線西部の作品。ベテランお二方の記録で、活気に溢れた往時の熱気が甦ります。
▲「ある日の乗務記録から ?機関助士時代の思い出」。(『国鉄時代』vol.13より)
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▲D52の後押しを得て瀬野八の大築堤をゆく202レ「かもめ」。先頭に立つのは広島二区のC62 13。'60.3.17 P:宇田賢吉(『国鉄時代』vol.13より)
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「春光の船坂峠」「追憶の瀬野八越え」「華やかなりし大型蒸機」は疾駆する本線大型蒸機にあこがれて旅立った若き日の記録。貴重なフィルムで丁寧に撮影した写真と撮影記からは純粋な蒸機への思いが滲み出て、同様の体験をした者には、懐かしさがこみ上げてきます。また、山陽特急「かもめ」の誕生からDC化までの客車について、方向転換や展望車連結などさまざまなエピソードを交え変遷を追った中村光司さんの「かもめ客車覚書き」は、まさに客車時代の「かもめ」を語り尽くした貴重な資料です。客車ファンのみならず必見です。

senohachi.jpgそして、犬山徹夫さんの「EF58最後の黄金時代」では、1972年、突如ブルートレイン牽引に返り咲いた広島・下関のEF58の活躍ぶりと、その形態を詳細に解説。20系・14系・24系を牽引しヘッドマークを燦然と輝かせ山陽路を駆け抜けた名機の胸躍るシーンは、後々まで語り継がれることでしょう。また本特集では、山陽本線の支線である、赤穂線、津山線、芸備線、福塩線、可部線など、これまであまり脚光を浴びることのなかった線区での蒸機の活躍にもスポットを当て、未発表の作品を中心にご紹介しております。
▲相澤靖浩さんの「追憶の瀬野八越え」は1960(昭和35)年元日の記録。(『国鉄時代』vol.13より)
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▲1972(昭和47)年10月のダイヤ改正でEF58は再び特急仕業に返り咲いた。西のEF58最後の黄金時代。(『国鉄時代』vol.13より)
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DVD2.pdf.jpgn1.jpg特集以外でも高橋 弘さんの「1950年代の保津峡界隈」、村樫四郎さん渾身の矢岳越えの記録「肥薩国境」、堀岡健司さんの磐越東線「三春の里に響く三重連の咆哮」、牧 和也さんの「因美線 物見峠」など力作ぞろいです。
そしてお待ちかねの特別付録DVDは北東北のD51の活躍ぶりを同時録音で記録した「D51 奥中山・矢立峠」、EF58牽引時代の“青大将”編成の「はと」のドキュメンタリー、日向路のC57を中心にした「南九州の蒸機機関車」の三本立て。いずれも未発表の貴重な映像です。今回も本ブログに恒例のサンプル動画をご用意いたしましたので、どうか最新号の雰囲気を多少なりとも味わっていただき、お買い求めいただければ幸いです。
上のDVDパッケージ画像をクリックすると自動的にサンプル動画の再生(約6分)を開始します。
※音声付き(「はと」は音声なし)ですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

●毎日お楽しみいただいている「編集長敬白」ですが、明日より不在となるため今週はこれにてお休みとさせていただきます。来週25日より再開いたしますので、どうかあしからずご了承ください。
敬白

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▲開業を目前に控えて試運転たけなわの日暮里・舎人ライナー。全列車がコンピュータ制御による自動運転となる。'08.3.18
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今日は今月30日(日曜日)に開業する「日暮里・舎人ライナー」の試乗会に行ってまいりました。東京在住以外の方には難読の“重連”のような路線名ですが「にっぽり・とねりライナー」と読みます。東京都が荒川区の日暮里と足立区の舎人地区を結ぶ新交通システムとして1997(平成9)年12月から工事を進めてきた路線で、いよいよ十年越しでの開業となります。

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▲日暮里・舎人ライナー路線概要。(東京都交通局提供)

東京都の区部東北部に位置する足立区西部は、都心に近接した地域でありながら、これまで公共交通機関が充分整備されているとはいえない交通不便地域で、京浜東北線や山手線などの幹線鉄道へのアクセスは全面的にバスに頼らざるをえない状況でした。さらに隅田川と荒川といった大きな河川が道路渋滞に拍車をかけており、この日暮里・舎人ライナーの開業は地域住民にとっての長年の悲願ともいえるものです。

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▲日暮里駅ホームの状況。JR線日暮里駅東口からフロアを上がった位置に日暮里・舎人ライナーの日暮里駅がある。'08.3.18
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▲300形の定員は先頭車51人、中間車52人で5輌編成12本が用意された。右は車内に付けられた新潟トランシスの製造銘板。'08.3.18
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▲乗務員室に相当する最前部にも1+2の客用シートが備わり前面展望はすこぶる良好。'08.3.18
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▲隅田川と荒川の2つの大きな河川を渡る。左が下り列車から、右が上り列車からの展望。扇大橋からの上り列車は首都高速をオーバーパスするためにご覧のような急勾配で荒川を渡る。'08.3.18
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toneriph6.jpg本路線の計画そのものは1985(昭和60)年の「運輸政策審議会答申第7号」にまで遡ると言いますから、実に四半世紀近く前となります。建設は橋脚や駅構造物などのインフラ部をルートにあたる尾久橋通りの整備と合わせて東京都が担当、車輌や電気施設等を都営地下鉄大江戸線の建設を行った第三セクター・東京都地下鉄建設株式会社が担当しています。
▲舎人公園には最大17編成を収容可能な地下車庫があり、下り方の上下線間に出入庫線が設けられている。'08.3.18
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▲到着列車から見た終点の見沼代親水公園駅全景(左)とそのホーム(右)。全駅にホームドアが設置されている。'08.3.18
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営業区間は日暮里~見沼代親水公園間の9.7km。全列車コンピュータ制御による自動運転で、表定速度29km/h、最高速度60km/h、所要約20分で走ります。開業後は平日朝ラッシュ時には5分間隔、日中は7分半間隔での運転が予定されており、そのフリークェンシーの高さとあいまって沿線地域の交通アクセスは飛躍的に向上することになるはずです。

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▲日暮里・舎人ライナー300形車輌諸元表。(東京都交通局提供)
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▲連絡船の終焉とともに80年近くにわたって続いてきた貨車航送の歴史も幕を閉じることになる。貨車甲板に続々と貨車をのみ込んでゆくのは摩周丸。'88.1.16
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青函トンネル初体験の翌朝は「五稜郭準備運転区」を訪問。試乗列車13仕業のほか重連総括の貨物牽引試運転に大忙しのなか構内をご案内いただき、函館駅に戻ってきたのはすでに14時を回っていました。

seikan32.jpg「津軽丸」の大錨とD51の動輪がモニュメントとして置かれた函館駅正面には、“連絡船フィーバー”キャンペーンの大看板が取り付けられているものの、対面を走る函館市電500形には「みんなで残そう連絡船」の文字も見え、青函トンネル開業と連絡船廃止の間で微妙に揺れる函館の街を象徴しているようでもあります。たしかに3月13日以降、五稜郭?函館間はさながら盲腸線のようなかたちで取り残されてしまうわけです。
▲函館駅の「れんらく船のりば」の表示もあと二ヶ月あまり。「今、栄光の航跡をきざんでいます」の横断幕も…。'88.1.16
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改札口を通り、通いなれた桟橋連絡橋を目指します。昨年の夏は臨時便を出すほど混雑していたと聞く連絡橋も今日は人影がまばらです。窓から外を見やると、粉雪の舞い始めたなか、これから乗船しようという20便「摩周丸」への貨車積込み作業が続いています。連絡船廃止とともに消え去る運命の控車ヒ500をはさんで車輌甲板に押し込まれる貨車はすべてコンテナ車で、塗りたてのJR貨物色がひときわ目立ちます。

seikan34.jpg洞爺丸事故以来、青函連絡船に乗船する際のひとつの“儀式”でもある「乗船名簿」を記入。文字が擦れかかった薄っぺらいコピーとなってしまったことに少々落胆しながらも、なにはともあれ連絡船待合室へ。通路には「20便 摩周丸」の案内標を先頭にすでにかなりの列ができています。摩周丸の定員は1140名。ざっと見渡した限り300前後の待合室の旅客は楽々と乗船できるはずですが、どうも皆さん数少ない窓側の席を確保しようという目論見のようです。
▲可動橋を渡り20便「摩周丸」へ。さすがに船体には疲れが滲む。'88.1.16
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しばらくして乗船開始を告げるアナウンスが流れ、人々の列は係員の誘導で桟橋を第一乗船口へと向かいます。函館には2つの旅客用岸壁があり、第一岸壁に接するのが第一乗船口です。先ほど記入した「乗船名簿」を木箱に投げ入れ、普通船室の乗船客はまっすぐ前へ、グリーン船室の乗船客はスロープを上って二階船室へと向かってゆきます。

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▲ドラの音、蛍の光、そして長声一発…、ひたすら繰り返されきた出航の時。'88.1.16
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船内に入ると8艘の連絡船のシルエットをあしらったJR北海道函館支店の黄色い小旗が張りめぐらされ、まさに“連絡船フィーバー”真っ盛りという感じです。まずは座席を確保し、プロムナードと呼ばれる客室甲板に出てみると、航送貨車の積込み作業はすでに終了したようで、次第に強さを増す雪のなかで控車の列と1輌のDD51が佇んでいるのが見えます。

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▲旅立つ人、見送る人、函館桟橋にはいつも心に沁みる光景が繰り広げられていた(左)。船内グリル(右)で海峡の味を堪能できるのもあとわずか。'88.1.16
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15時ちょうど、低いドラの音と蛍の光のメロディーが流れるなか、可動式のタラップが収納され、係留用の太いワイヤーが桟橋係員の手によって外されます。ひときわ長い汽笛とともに20便「摩周丸」の出航です。逆側の船尾にはライトグリーンの船体も鮮やかな補助汽船「ひうら丸」が取り付き、小さな体で懸命に5,375トンの巨体を押しています。自らも船首の方向を変えるバウスラスター装置を駆動させて「摩周丸」は次第に岸壁との角度をとってゆきます。真正面に函館ドックのガントリークレーンが見えはじめた頃には「ひうら丸」がしずしずと離れ、20便はいよいよ函館湾へと乗り出しました。

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▲函館湾を出る青函連絡船「十和田丸」。青森を目指した3時間50分の海峡の旅が始まる。'88.1.16
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函館湾内を旋回し、函館山が左舷後方に遠ざかる頃にはプロムナードで景色を楽しんでいた人々もほとんどが船内へと戻ってゆきました。天候は決して良くないものの、津軽海峡に出るまではさほど大きな揺れもないはずです。20便の食堂「グリル摩周」の営業開始は出航からちょうど一時間後の16時。黄昏の船内から望む海は次第に時化てきており、函館方より青森方の方が揺れがひどいことを考慮すると、オープンから一時間ほどの間に食事にありついておかないと危なそうです。果たしてこの判断は正解で、17時頃にはローリングが強まり船内グリルは休店となってしまいました。すでに日はとっぷりと暮れています。運よく食事も済ませたことですし、座席に戻ってしばし最後の青函連絡船の旅の感慨に浸ることにいたしましょう。 (完)

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▲函館山が静かに遠ざかってゆく。海峡の寒風が春の気配を見せる前に、青函連絡船の歴史は幕を閉じる。'88.1.16
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青森の街をあとにしてから青函トンネル→青函連絡船と足掛け2日、29時間に及ぶラウンドトリップでしたが、もちろん最初で最後の稀有な体験となりました。あれから20年、今度は整備新幹線(北海道新幹線)工事が始まった海峡を、改めて再訪してみたいと思う今日この頃です。

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▲青函トンネルを越えて道内に姿を現した485系試運転列車。「海峡試運転」のヘッドマークには去りゆく青函連絡船のシルエットが浮かぶ。'88.1.15 久根別
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14時21分、新中小国信号場発車。試9727レはいよいよ津軽海峡線に乗り入れ、キャッチコピー「ゾーン539」の由来ともなった全長53.85kmの青函トンネルを目指します。

seikan822.jpgちなみに津軽海峡線は全長87.78kmのうち72kmあまり、実に82%がトンネルで占められています。最初の大平隧道に入った瞬間から車内には歓声が上がりますが、もちろんまだまだお目当ての青函トンネルではありません。続いて全長5.9kmと青函に次いで長い津軽トンネルを潜り、本州内にあるJR北海道所属の唯一の駅・津軽今別へ。この津軽今別駅は青函トンネル工事の青森側工事拠点のひとつで、当初は信号場扱いであったものを開業に合わせて正規の駅に昇格させるのだそうですが、この時点ではまだ乗降設備らしきものは見かけませんでした。
▲ついに青函トンネル。「青函」と書かれた小さな隧道標が車窓をかすめる。'88.1.15
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津軽今別を14時31分30秒定刻に発車。左右に赤い消火栓の箱が並ぶ築堤を進んでゆくと、さきほど分かれた津軽線が再び姿を見せ、あっという間に築堤を潜って右手へと消えてゆきます。

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この辺りから大川平、第一今別、第二今別、第一浜名、第二浜名…と短いトンネルが連続します。そのたびに車内には歓声が上がりますが、次第に“狼が来た”状態となって子どもたちも飽きてしまったようです。第三浜名、第四浜名と潜り、中小国側から数えてちょうど10番目がいよいよ青函トンネルです。
▲青函トンネル内を高速で走り抜ける50系5000番代による試乗列車車内。かなり湿度が高く感じられる。'88.1.15

全長140mと極端に短い第四浜名隧道を出たと思うや、試9727レは鋭いホイッスルを響かせて青函隧道に飛び込みます。トンネルポータル上部には「青函隧道」の立派な扁額が掲げられているはずですが、当然車窓から確認することはできません。

seikan824.jpgトンネルに入ってから8分ほど、左右に細いホームと非常口灯が見えてきます。「竜飛定点」です。この青函トンネルには本州側に「竜飛」、北海道側に「吉岡」と2つの防災拠点である「定点火災対策設備」が設けられています。ちなみにこの2つの定点、3月13日からは施設を整備のうえ、「竜飛海底駅」、「吉岡海底駅」と命名されて開業予定とのことです。
▲「吉岡定点」に3分ほど停車。“ホーム”は人一人がようやく立てるほどの狭さ。'88.1.15
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試9727レは14時43分30秒に竜飛定点を通過、12‰の下り勾配を滑るように“海底”目指して加速してゆきます。竜飛定点通過後8分ほどで海峡中央部に達するはずですが、残念ながら車窓の光景は一向に変化することなく、ひたすら周期的に蛍光灯の光だけが後方へと流れてゆきます。

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▲青函トンネルを抜け列車は新湯の里信号場へ(左)。木古内駅(右)からは在来線に入る。'88.1.15
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14時59分、吉岡定点着。ここは3分ほどの停車時間があり、幅60センチほどの“ホーム”に降り立つことができました。さすがに開業にあたってこのままでは“駅化”できないため、あと20センチほどホーム幅を拡幅する予定とか…。いずれにせよ、この吉岡定点の常温は20℃とあってまったく寒さは感じないものの、かなりの湿度で、なおかつ心なしか潮っぽい空気が充満しています。50系客車の側窓もびっしょりと汗をかいたような有り様。試運転開始当初は屋根上の積雪や結氷がこの付近で溶け出して、ベンチレーターから室内に流れ込むトラブルが続出したと聞きますが、西の関門とともに、海底トンネルの苦労は時代を超えて絶えることがないようです。

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▲黄昏迫る渡島当別付近をゆく試9727レ。車窓には津軽海峡の水平線がいっぱいにひろがる。'88.1.15
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青函トンネルに入ってから45分あまり、進行方向の闇がかすかに明るくなりはじめ、15時20分、試9727レは雪原の高架橋に踊り出ました。ついに津軽海峡の海底を潜り抜けたのです。新湯の里信号場で2分停車。彼方の袴腰岳や蛇行する知内川の風情は、つい1時間ほど前まで目にしていた津軽の風景とは明らかに異なり、列車が北海道の大地に足を踏み入れたことを実感します。

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新湯の里(信)から10分ほど高架橋を走ると左から江差線、右からは松前線が現れ、列車は木古内の町に入ります。ちなみに松前線は1月いっぱい、つまりあと2週間ほどで廃止されることとなっており、江差・海峡・松前の3線が並ぶ光景も今限りということになります。
▲渡島当別ではキハ22形3連の725Dと交換。うしろ2輌は木古内止まりだが、先頭の1輌は松前行き。松前線も1月いっぱいで過去のものとなってしまうだけに、まさに名残りの交換シーン。'88.1.15
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15時34分30秒、木古内を発車。試9727レは江差線を五稜郭へと向かいます。釜谷付近から車窓右手には西日に輝く津軽海峡が広がり、遥か洋上には函館を目指す青函連絡船3便の船影も望まれます。

seikan828.jpg黄昏の函館湾と別れを告げた列車は上磯へ。日本セメント上磯工場を大きく迂回するように築堤を登ると、眼下にはアンダーパスしている上磯工場専用鉄道の電気機関車たちの姿が見えます。16時10分15秒上磯通過。この調子だと函館ももうすぐ…と思いきや、試乗列車はここからが究極の鈍足ぶりとなってしまうのです。久根別で29分、七重浜で19分…よくわからない運転停車が設定されており、函館駅4番線に到着したのはすっかり暗くなった17時16分。換算すれば木古内~函館間41.2kmを1時間40分、実に25km/h程度で走ったことになります。さらに、この試9727列車に限って言えば青森~函館間の所要時間は3時間44分、奇しくも青函連絡船と寸分違わないものでした。
▲JR貨物五稜郭機関区に隣接した「五稜郭準備運転区」入口。0番代21輌、100番代13輌のED79が配置されている。'88.1.15
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3月13日は青函連絡船が廃止されてからちょうど20年目で、それは同時に青函トンネル開業20周年をも意味します。今回は、そのバトンタッチを目前にした1988(昭和63)年1月、津軽海峡線の試運転列車で青函トンネルを潜り、函館からは廃止を目前にした青函連絡船で青森に戻るという、まさに最初で最後のラウンドトリップの体験を、本誌52号(1988年4月号)掲載記事をもとにふりかえってみようと思います。
▲函館湾の航路標識をかすめ津軽海峡へと向かう青函連絡船「十和田丸」。'88.1.16
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▲まるで記念乗車券のような凝ったデザインの津軽海峡線試乗券。「ゾーン539」は当時のキャッチコピーで、539は青函トンネルの延長(53.85km)に由来する。
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9時08分、上野から12時間近くをかけて、ED75 708〔福〕に牽かれた急行「八甲田」は青森駅2番ホームに定時に到着しました。山側の3番線には昨夜この「八甲田」より30分ほど前に同じ上野駅15番線を発車していった奥羽本線経由の「あけぼの1号」が停まっており、海側の1番線には9時33分発盛岡行き「はつかり12号」の583系が並んでいます。「あけぼの1号」を牽引してきたED75 750〔秋〕の機回しを見送りつつ第2岸壁に目を転じると、オレンジと乳白色に塗り分けられた青函連絡船「十和田丸」の鮮やかな船体が見えます。10時10分出航の25便です。その隣の第1岸壁には9時50分出航の貨物便153便の「檜山丸」の姿が目に入ります。

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▲青森駅跨線橋には残りわずかとなった「青函連絡船のりば」の案内表示が…。'88.1.15

seikan814.jpg13時14分、青森駅6番線にマリンブルーの車体に太い白線がひときわ鮮やかな50系5000番代10連による試9726列車が入線してきました。この列車が折り返して試乗する試9727列車となります。先頭に立つのはED79 3。青函トンネル開業のその日まで総勢34輌のED79はすべて五稜郭準備運転区という奇妙な名称の車輌基地所属で、そのためか区名札は入れられていません。開業までに車体塗色を青函特別色に変更する…との観測もあったのですが、結局「赤2号」のままの見慣れた交流電機のコスチュームです。
▲青森駅5番線で発車を待つ試9727レ。先頭に立つED79 3はこの時点では「五稜郭準備運転区」の所属だった。'88.1.15
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ところでこの青函トンネル一般試乗会は前年(1987年)の12月14日より始まっており、すでに一ヶ月あまりが経過しているためか、青森駅の一番山側に入っている列車が「函館行き」であるにも関わらず周囲はあっけないほどに閑散としています。

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▲青森駅をあとにすると試9727レの車窓進行左側には青森運転所の構内が広がる。583系をはじめもちろん国鉄色全盛。'88.1.15

seikan816.jpg13時30分、甲高いホイッスルとともに試9727レは青森駅を発車しました。しばらくは奥羽本線と並走しつつ次第に速度を上げ、左手に青森運転所の構内が広がる頃にはすでにかなりのスピードとなってきました。青森駅から4キロあまり、新設された新油川信号場を過ぎるあたりで市街地を抜け、防雪林に囲まれたいかにも津軽らしい民家を左右に見ながら奥内(おくない)、左堰(ひだりせき)、後潟(うしろがた)と相次いで難読駅を通過し、13時50分、青森を出てからちょうど20分で郷沢駅に到着、対向列車交換待ちのため6分ほどの停車となります。
▲郷沢で三厩発青森行きの932Dと交換。先頭は急行色のキハ58、最後部はお買い物列車“うとう号”の5連。'88.1.15
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郷沢駅に姿を現した対向列車932Dはキハ58を先頭にした5連。在来色のキハ55、ホワイトに赤帯のキハ22、タラコ色に暫定の白帯とJRマークのキハ22、それに“うとう号”と青森地区のローカルDCオンパレードの愉快な編成です。

seikan817.jpg郷沢を発車した列車は無人駅の瀬辺地を通過、右手に並走する国道280号線とともに一気に陸奥湾沿いへと踊り出ます。50系5000番代は窓が開かないため、撮影のために特別に入れてもらっているオハフ50の乗務員窓から覗かせた顔には、身を切るような寒風が容赦なく打ち付けてきます。
▲道床に雪の残る蟹田駅を発車。駅設備はまだ非電化時の津軽線のまま。'88.1.15
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14時06分蟹田着。ここから列車は陸奥湾と離れて北西に針路を変えますが、この付近は開業時には100km/hで運転される区間だけに、試乗列車もかつての津軽線のイメージとはかけ離れた高速で走り抜けてゆきます。

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▲平原に突如として現れる新中小国信号場。ここから列車は新線区間に入る。左端は三厩へと続く津軽線の線路。'88.1.15
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seikan819.jpg中小国駅を通過、平野に出た線路はさながらヤードを思わせる複雑な配線の構内へと進んでゆきます。新中小国信号場です。ここでいよいよ列車は津軽線と分かれ新設された海峡線へと乗り入れてゆきます。ちなみに線路の戸籍自体もここからJR北海道へと変わります。
▲荒涼とした風景の中、津軽今別を通過。彼方に保線基地が見える。'88.1.15
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▲高速で高架線を飛ばす試9727レ。前方に青森を出てから初めてのトンネルである太平隧道が見えてくる。'88.1.15
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14時19分、新中小国(信)着。青森から33.7kmを49分かけて走破したことになりますが、途中の停車時間を除外すれば、この試乗列車も平均速度52km/hとまずまずの俊足ぶりだったことになります。
2分停車ののち鋭いホイッスルとともにゆっくりと動き出した車窓を「無線切替」の標識が過ぎります。いよいよATC区間の海峡線です。左手を、現金にも今までとはうってかわって木製枕木のままとなった津軽線が三厩へと去ってゆき、試9727レは複線となった線路を力強く加速してゆきます。目を見張る壮大なコンクリート高架橋の20‰勾配を大きく右にカーブしながら上りきり、列車は青函トンネルまで断続的に続くトンネル群の先陣をきる太平トンネルへと突っ込んでゆきます。

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▲「感謝の言葉…、涙ぐみました。」 '08.3.8 鳥栖 P:野口昌幸さん(「今日の一枚」より)
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東京は夕方から春雷の混じる強い雨模様となりましたが、今日、3月14日夜はダイヤ改正前夜、23時ちょうどには、東京駅から最後の下り急行「銀河」101レが2000人と言われるファンの見送りを受けて雨の東海道へと走り去ってゆきました。

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▲「茜色の空に向かってブルートレインは終着駅を目指します。」 '08.3.8 曽根?宝殿 P:藤田真利さん(「今日の一枚」より)

今夜は世田谷で行われた向谷 実さんとSUPER BELL”Zのコラボレーションにより来る5月8日にリリースされる東急東横線開通80周年記念CD『東横特急』(仮)の試聴会にお招きいただいたこともあって、残念ながら東京駅の「銀河」を見送りに行くことはできませんでしたが、一般報道を見るにつけ、一昨年3月17日の特急「出雲」の最終列車発車(アーカイブ“「出雲」ついにラストラン”参照)を凌ぐ惜別の人並みだったようです。

08_03_08_ichihashi_takuma.jpgもちろん今日を限りに消えてゆく列車名は「銀河」だけではありません。京都?熊本間を結ぶ特急「なは」、京都?長崎間を結ぶ「あかつき」もラストランとなります。現在はこの両列車は14系と24系の併結列車として運行されていますが、本日をもってこの両形式の併結編成も見られなくなってしまいます。そして何よりも関西発着の九州ブルトレ、東海道を走る客車急行、長崎本線を走る客車列車そのものが消えてしまうこととなります。
▲「去った者、これから去る者。お前達は、一生忘れない!」 '08.3.8 米原 P:市橋琢磨さん(「今日の一枚」より)

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▲左/「関西ローカルのニュースで夜行列車特集が組まれたこともあり、通勤途中のにわかファンも巻き込んで連日の混雑。」 '08.3.13 京都 岩瀬博人さん(「今日の一枚」より)
▲右/「この光景もあと数日…。」 '08.3.10 鳥栖 P:太田光謙さん(「今日の一枚」より)

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▲「長崎の夜景と〈あかつき〉の取りあわせもまもなく見納めです。」 '08.3.10 長崎 P:田中省吾さん(今日の一枚」より)

08_03_09_hamano_taisuke.jpg今月になってから「今日の一枚」へのご投稿も「銀河」「なは・あかつき」関係が急増しており、今日はこの一週間にお寄せいただいた作品のなかから、何枚かをダイジェスト版として再録させていただきましょう。関東から関西、そして九州まで、どれほど多くの皆さんの熱い想いを注がれながら走ってきたか…写真に添えられた皆さんのキャプションからもそんなバックボーンが垣間見られる作品の数々です。
▲「この掲示板もさびしくなります。」 '08.3.9 大阪 P:浜野泰輔さん(「今日の一枚」より)

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▲「別れの春が刻々と迫る。」 '08.3.9 近江八幡 P:岩瀬博人さん(「今日の一枚」より)

明日のダイヤ改正では、列車名こそ消滅しないものの、「日本海」と「北斗星」が現行各2往復のうち1往復が減便されるなど、いわゆるブルトレは最終的局面に立たされてしまったと言えましょう。

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▲早朝の海老名検車区に並んだ小田急の現役ロマンスカー全系列。SE車の誕生から50周年を記念して塗装が復元された7004編成も顔を並べた。'08.3.13 海老名検車区 P:RM(高橋一嘉)
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日本初の地下鉄直通特急列車として注目を集める小田急60000形MSEの営業開始を前に、小田急電鉄の現役ロマンスカー勢ぞろいの撮影が本日行われました。

oer02nn.jpg小田急電鉄の特急車輌は戦後、1949(昭和24)年に登場した1910形(後の2000形)に始まり、1700形、2300形、3000形SE、3100形NSE、7000形LSE、10000形Hi-SE、20000形RSE、30000形EXE、50000形VSEと続いており、60000形で11代目ということになります。今回は現役の7000形LSE以降の6系列が勢ぞろいとなりました。
▲主役の60000形MSEとブルーリボン賞記念マークを付けた50000形VSE。続いて登場した2系列だが、こうして見るとデザインも大きく異なることがわかる。'08.3.13 海老名検車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲左から60000形MSE、50000形VSE、30000形EXE、20000形RSE、10000形Hi-SE、7000形LSE、7000形LSE(旧塗装)。こうして見ると実に壮観だ。'08.3.13 海老名検車区 P:RM(高橋一嘉)
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この勢ぞろいですが、小田急電鉄ではこれまでにも新型特急車が登場する毎に行われている伝統行事ともいうべきものです。なにぶん、各系列を揃え、なおかつ撮影条件のよい場所に停車させなければなりませんから、セッティングされる小田急電鉄の皆様のご苦労は察するに余りあるものです。もちろん、何本もの特急車を1日中運用から外しておくわけにもいきませんし、好条件で車庫線が空いている時間も限られますから、今回も朝7時台の撮影となりました。そんな数多の困難を乗り越えても、自社特急車の美しい姿とその歴史を記録に留めておこうと、エポック毎にこのような場を設定する小田急電鉄の取り組みは、大きな賞賛に値するものと言えましょう。

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▲20000形登場後の1991年11月20日に行われた勢ぞろいの撮影。奥に見える3100、3000形は姿を消し、7000形は塗装変更を経て旧塗装へ復元、そして10000形は一部が長野電鉄に譲渡と、この16年でずいぶん動きがあったことを実感させられる。’91.11.20 P:RM(青柳 明)
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最後の画像は特急化なった「あさぎり」用20000形登場後の1991(平成3)年11月に行われたもので、運用離脱間も無い3000形や、まだ主力だった3100形の姿が見えます。あれから16年で2系列が消え3系列が登場したことになりますが、新型車はいずれも独自のカラーリングとなっており、オレンジ主体だった当時に比べると彩りもずいぶんと変わったことになります。さて次の勢ぞろいの時には、いったいどんな顔ぶれとなっているでしょうか。

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▲新加美駅に到着する201系6連の上り試運転列車。ここ新加美からJR俊徳道までは旅客線化と同時に連続立体化されている。'08.3.7 P:高間恒雄
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今週末の3月15日(土曜日)、大阪の東エリアを南北に結ぶJRの新路線「おおさか東線」が開業します。この路線は関西本線(大和路線)の放出?久宝寺、そして将来的には新大阪を結ぶ総延長約20.3㎞ですが、今回開業するのはそのうち南半分の放出?久宝寺間9.2㎞です。

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▲今回開業するおおさか東線放出?久宝寺間の位置関係と概要。(JR西日本提供)
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この区間は、いわゆる城東貨物線(正式には片町線の貨物支線)を複線化・電化を図って旅客線化するもので、大阪府、大阪市、東大阪市、吹田市、八尾市、それにJR西日本などの出資による第三セクター「大阪外環状鉄道」が第三者鉄道事業者として建設し、JR西日本とJR貨物が第二種鉄道事業者として運営する形となります。なお、工事に際してはJR俊徳道?新加美間の連続立体交差化事業が同時に実施されています。

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▲新加美駅に到着する223系6000番代。開業後は奈良から北新地、尼崎方面へ直通する「直通快速」に充当される。'08.3.7 P:高間恒雄
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oosakahigashi3n.jpg今回の開業区間には高井田中央・JR河内永和・JR俊徳道・JR長瀬・新加美の5駅が設けられ、このうち高井田中央では大阪市営地下鉄中央線、JR河内永和では近鉄奈良線、JR俊徳道では近鉄大阪線と接続していますが、新加美駅も関西本線(大和路線)加美駅とほぼ接する近さとなっています。注目のラインカラーは、先進都市のイメージからメタルカラーの「銀」と、JR西日本のコーポレートカラーの「青」を合わせた「ブルーグレー」とされる予定です。
▲新加美駅正面。在来の加美駅(大和路線)とは目と鼻の先の位置関係。'08.3.7 P:高間恒雄
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▲久宝寺駅に進入してくる223系6000番代のおおさか東線試運転列車。左に関西本線出発信号機が見える。'08.3.7 P:高間恒雄
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oosakahigashi5n.jpg普通列車での放出?久宝寺間の所要時間は約15分、一時間に4本、一日67往復の普通列車(201系および103系6連)と、関西本線、JR東西線に直通する「直通快速」が設定されます。この「直通快速」は朝は奈良→北新地・尼崎間4本、夕方は北新地・尼崎→奈良間4本が設定され、宮原総合運転所所属の223系6000番代が充当される予定です。
▲JR俊徳道駅は近鉄大阪線俊徳道駅と交差する形となる。おおさか東線試運転列車車窓から近鉄俊徳道駅をのぞむ。'08.3.7 P:高間恒雄
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なお、この「おおさか東線」北半分の放出?新大阪間は、4年後の2012(平成24)年春の開業予定となっており、全通の暁には大阪の東エリアの交通体系はさらに大きく利便性が向上することとなります。
余談ながら、久宝寺といえば竜華のD51、放出と聞けば奈良のC11を連想してしまう私などは、これからは文字通り今浦島となってしまいかねません。

siyuukasyazukan1n.jpg1月に10年ぶりの復刻増補版が完成した吉岡心平さんの労作『私有貨車図鑑』が、このたび日本図書館協会の選定図書に選ばれました。弊社鉄道部門としては最近では『総天然色のタイムマシーン』『SL甲組の肖像』に続く栄誉です。この日本図書館協会選定図書は、全国の各種の図書館・読書施設が、図書を選定・購入する際の参考となるように、その主題の専門家約50名に委嘱されて選考されるものです。

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▲今回の増補版から私有貨車に使用されている塗色解説カラーページを増設。車体塗色のバリエーションが適用車種とともに一目瞭然となった。

この『復刻増補 プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑』は、品切れになって久しかった1997(平成9)年発行の『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑』をベースに新たに資料の増補を行い、2006年度末までに在籍する私有貨車全形式を、写真・図面・解説で解き明かす貨車ファン必読・必携の資料集です。

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▲JR化後の形式別車輌数変遷も一覧表として網羅。その増減も手にとるようにわかる。

siyuukasyazukan2n.jpg私有貨車概説、形式索引、専用種別索引、形式別輌数変遷、番号・形式探索表も掲載。また、この復刻増補版ではカラーページを増設し、前回はご紹介かなわなかった私有貨車の色見本も掲載しており、まさに私有貨車を語る上でのバイブルとなっております。
?主な内容?
●私有貨車解説:タンク体の名称解説/タンク体の構造/台枠の構造/ブレーキ装置/走り装置と台車
●車輌紹介:タンク車(タ、タム、タサ、タキ)/ホッパ車/大物車/車運車/その他
●補遺編(カラーページ):平成8年以降に製作された私有貨車の紹介/車輌紹介の補遺/私有貨車の塗色
●資料編:形式索引/専用種別索引/形式別車輌数変遷/番号・形式探索表
●私有貨車コラム:ヨンサントウと2段リンク化工事/第一次台車改造工事/第二次台車改造工事/保安対策のさまざま
▲メカニズムに関する解説も充実。私有貨車の基本的な構造は本書で理解できるはず。

吉岡心平著
『復刻増補 プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑』
A5版 388ページ
定価2400円(税込)

なお、さらにディープな番号別の動静(淘汰年度)をお知りになりたいという声にお応えして、本誌3月発売号より連載「貨車研究室」で形式・番号別の淘汰状況表を掲載する予定ですので、こちらもあわせてご活用ください。

さて、今日はもうひとつお知らせを…。
現在、有隣堂ヨドバシAKIBA店で「ネコ・パブリッシング鉄道書フェア」を開催中です。レイル・マガジン、RMモデルズ、RMライブラリー、国鉄時代の全バックナンバーをはじめ、弊社鉄道書のすべてがお手にとってご覧いただけるかつてない大規模なフェアです。ぜひお立ち寄りください。

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▲かつてないほどの規模で開催中の弊社鉄道書フェア。いま注目の秋葉原にお出での際はぜひお立ち寄りを…。P:久保田 大

有隣堂 ヨドバシAKIBA店http://www.yurindo.co.jp/shop/y_akiba.html
千代田区神田花岡町1?1ヨドバシAKIBA7F
03-5298-7474
■フェア開催期間:3月10日?4月10日

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▲E231系K-04編成と並んだE233系3000番代E51+E01編成。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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201系置き換え用として2006(平成18)年から中央快速線、青梅・五日市線に投入されてきたE233系ですが、昨年の京浜東北線用1000番代に続いて第3のバリエーションとなる東海道線用の3000番代が誕生、本日から営業運転入りいたしました。(→本日のRM News参照)

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▲国府津車両センター作成の誕生記念ヘッドマークを付けたE51+E01編成。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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この東海道線用E233系3000番代は、従来のE231系と同様に、熱海・伊東寄りに2輌の2階建グリーン車を含む10輌の基本編成と、東京寄りの5輌の付属編成からなる15輌編成で、熱海・伊東寄りがTc’車(1号車または11号車)、東京寄りがTc車(10号車または15号車)となっています。

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▲編成中7輌のロングシート車車内(左)と、1.2.9.10.14.15号車のセミクロスシート車車内(右)。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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▲普通車クロスシート(左)と、1.10.11号車車端部に設けられた車椅子対応トイレ(右)。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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▲グリーン車1階は赤系のモケットを採用。腰掛部の床は通路より一段高い構造となっている(左)。右は青系のモケットが採用された2階席。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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GG6O9539.jpg車内設備は、普通車はセミクロスシートの基本配置や便所設備についてはE231系東海道線用に準じ、グリーン車についてはE531系の構成を踏襲しています。また、グリーン車の腰掛は、従来のE231系やE531系と同様ながら、普通車の腰掛は、E231系やE531系に比して座り心地の向上が図られているそうです。さらに、優先席を含む普通車両端の3人掛部分では、荷棚と荷棚前の吊手の高さを他の部分に対して50mm下げ、ユニバーサルデザインを考慮したものとされています。
▲運転台。前面パネルには3つのモニタが並ぶ。基本的な構造は0番代、1000番代と同様。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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▲トイレ設備を備えるサロE233形3000番代(Tsd)。5号車に組み込まれる。'08.2.28 国府津車両センター P:RM(青柳 明)
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▲E233系3000番代編成図。(JR東日本提供)
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このE233系3000番代は、まずは基本10輌+付属5輌の1編成が国府津車両センターに配置され、今日から東京?熱海間の営業運転に充当されています。なお、詳細は本誌21日発売号でご紹介する予定です。

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▲リペイントも済み最終調整中のMW02。ボンネットに付けられたまるでカエルの目玉のようなヘッドライトがチャームポイント。うしろで煙を上げているのはK-36。'06.8.21 Chama
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2年ほど前、ひさしぶりに訪れたロッキーナローの聖地・チャマの機関区(「ナローゲージ・コンベンションの旅」参照)で見慣れぬインスペクション・カーを見つけました。「108」と車体標記のある黄色いこの車輌、どう見てもえらくアンバランスで、言うならばあのギャロッピンググースの小型版といった感じです。

mw02n5.jpg聞くところによれば、ボランティアの人たちによってリペアしている最中だそうで、車体の全塗装も終わり、ちょうど最終的な微調整に入っているところだとか。いったいいつ頃製造されたもので、どんな来歴があるのかも聞いてみたのですが、作業をしているボランティアの皆さんはそんなことにはあまり興味がないようで、自ら手塩に掛けたレストアの成果をひたすら自慢するばかりでした。
▲リアビュー。枕木方向に取り付けられたフューエルタンクが目をひく。'06.8.21 Chama
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▲その室内。リペアされたものだが、いかにも時代を感じさせるベンチシートが良い味を出している。真中のハンドルは手ブレーキで、手前の座席が運転席である。'06.8.21 Chama
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▲なかなか不思議なレイアウトの運転台。最前列左右の座席はパッセンジャー用で、運転席はそのうしろに位置する。つまりドライバーは車輌中央で運転するかたちとなる。'06.8.21 Chama
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mw02n3.jpgのちに調べたところでは、このインスペクション・カー、「MW02」と呼ばれるもので、ミネソタ州にあった巡視用モーターカー、いわゆるスピーダー(speeder)の最大手フェアモント(Fairmont)が送り込んだ“A6Z36”というクラス(銘板によれば製造番号149516)のようです。エンジンはフォードV8。残念ながらいったいいつ製造されたものなのかはわかりませんが、エンジンそのものが戦前のタイプであることから、当然ながらリオグランデ時代からの歴史的車輌に違いありません。
▲車内に残るフェアモントの銘板。残念ながら製造年の記載がない。'06.8.21 Chama
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珍妙なのは外観だけではなく、その室内もちょっと肩透かしを食う奇妙なものです。なんと運転席と思いきや最前列はパッセンジャーズシートで、運転席はそのうしろ、ちょうど客室中央にあります。しかも長いボンネットにも関わらずミッションケーシングが室内にまで張り出しており、最前列席はこれを跨ぐかたちで左右に設けられています。インスペクション(巡視)を本来の使命とする車輌だけに、最前列には線路看視する保線員などが乗り込んでいたのでしょう。

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▲MW02の非公式側。扉とドアのレイアウトは左右とも変わりはない。数年前までは側面後部裾に「MW02」の標記があったようだが、この時点では見られなかった。'06.8.21 Chama

ボランティア組織である“Friends of the Cumbres & Toltec Scenic RR”が1996年から修復プロジェクトを開始、2001年には一応の復元が完了したのだそうで、現在ではこのMW02によるチャータートリップも可能だそうです。この時ご一緒したC&TSRRに関する日本人第一人者であり支援者でもある古川 享さん(JAM会長・もとマイクロソフト最高技術責任者)が、ご自身のブログでこのMW02に乗った話をお書きになっていますが(→こちら)、こんなインスペクション・カーをチャーターしてクンブレス・パスを駆けることができたらどんなにか気持ちの良いことでしょう。

早春の大沼界隈。

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▲珍しくくっきりと全容を見せた残雪の駒ヶ岳をバックに、D52の牽く上り貨物が大沼駅を発車してゆく。この小沼を左に見おろす道路沿いの高台は、大沼界隈きっての“お立ち台”だった。'72.4.5 大沼?仁山
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時代を超えた撮影名所として現在でも人気の高い函館本線の大沼公園周辺ですが、蒸機時代を振り返ってみると、積極的に通ったという印象はなく、むしろ北海道を離れる“セレモニー”のような記憶が鮮明です。

oonuma084n.jpgというのも、渡道する際は青森周辺で終日撮影し、夕方の青函連絡船で函館へ渡り、そのまま夜行に乗り込んでしまうのが常でしたから、大沼公園周辺は往路には立ち寄りにくかったのです。逆に周遊券の期限いっぱいに道内を回った帰路、最終日を大沼で半日過ごし、夕方の連絡船で青森へ渡って「八甲田」や「十和田」で帰路につくというパターンが普通でした。それだけに大沼と聞くと私にとって“北海道最終日”のイメージが強く湧き上がってくるのです。
▲240レを牽くD52 138〔五〕。五稜郭区のD52は貨物仕業のみならず旅客列車にも充当されていた。'72.4.5 大沼?仁山
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▲小沼のほとりを回り込むように大沼駅を目指すD51 593〔萬〕牽引の下り貨物。辺りには春の気配が…。'72.4.5 七飯?大沼
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しかも毎年春休みの渡道では、十数日間にわたって厳冬をひきずったままの道北・道東を回ったのち、4月の声を聞いてから道南の大沼へと戻ってくるわけですから、旅の終わりとともに早春のイメージも染み付いてしまっています。

oonuma085nn.jpgそのなかでも一番印象深かったのは1972(昭和47)年春の大沼です。猛吹雪の宗谷本線や釧網本線などをさまよったのち、やはり最終日に降り立ったのが大沼駅でした。大沼公園といえば背後に聳える標高1131mの駒ケ岳がシンボル的存在ですが、この駒ケ岳、冬場はなかなかその姿を見せてはくれません。ところがこの日はまさに雲ひとつない快晴。裾野にいたるまでくっきりとその全貌が見渡せ、またとない撮影日和でした。小沼のほとりの湿原も早春の装い。旅の最後に残ったブローニー・カラーフィルムをマミヤフレックスに装填し、“非電化複線”を行き交うD52たちを満喫したのでした。
▲下り旅客列車とすれ違うD52 56〔五〕。この角度から見るその圧倒的なボリューム感はD52ならでは。'72.4.5
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ちなみに大沼駅上り方は1966(昭和41)年9月30日に開通した下り列車用のいわゆる藤城線(七飯?大沼)と、仁山越えの在来線がそれぞれの新峠下隧道、峠下隧道を出てから“複線”として寄り添う区間。大沼駅を出ると、線路は再び在来線といわゆる“砂原回り”の二手に分かれて森へと向かいますから、この大沼駅上り方の2キロほどがもっとも撮影効率の良い区間でした。

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▲9600(無火)を従えて大沼を目指すD52 204〔五〕。さながら親子のような重連だ。背後は小沼。'72.4.5 七飯?大沼
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当時のダイヤグラムをみると、特急から貨物列車まで今では信じられないほどの列車密度で、まさに「本線」の名に恥じない幹線ぶりだったことがわかります。それはとりもなおさず青函連絡船による本州連絡の喉元だったからに違いありません。線形やロケーションこそ変わらないものの、残念ながら現在の大沼界隈の線路にあの賑わいはありません。

二代目の名鉄5000系登場。

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名古屋鉄道に新系列の通勤型電車5000系が登場し、一昨日、鉄道雑誌社向けの報道公開が行われました。詳しくは今月21日発売のRM本誌をご覧いただくとして、今日はその概要をお知らせいたしましょう。
▲初代の引退から22年、再び名鉄に5000系が誕生した。車体は最新系列の3150系、3300系に準じたものである。’08.3.5 舞木定期検査場 P:RM(高橋一嘉)
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meitetu5000n2.jpg名鉄では2000系“ミュースカイ”以外の特急列車を平成20年度までに一般車+特別車の「一部特別車編成」に統一する計画で、これに伴い1000系“パノラマスーパー”のうち両端に展望室を持つ4輌編成の「全車特別車編成」は役目を終えることになります。今回登場した5000系はこの1000系の台車、主電動機、制御装置、電動空気圧縮機などの床下機器やパンタグラフ、そして運転台機器などを編成単位で流用して製作されたものです。車体は最新系列の3150系や3300系に準じたステンレス製の3扉構造で、大きな相違点は先頭部が非貫通構造となったこと。これは1000系から運転台機器を流用したことによるものです。客室内は片持ち式の腰掛によるオールロングシートで、両端先頭車に車椅子スペースが備わっています。
▲3150系に比べ非貫通構造となった前面。行先には名鉄では初めてLEDが用いられている。’08.3.5 舞木定期検査場 P:RM(高橋一嘉)
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▲制御装置を搭載するM1車5050形。界磁チョッパ制御のため、床下には主抵抗器が並ぶ。’08.3.5 舞木定期検査場 P:RM(高橋一嘉)
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性能的には機器類を流用しているため1000系と同様で、制御方式は界磁チョッパ制御、制動装置もHSC?Rとなっています。このため3150系などVVVF制御・電気指令ブレーキ車のグループとの併結は行わず、営業運転では1800系、1850系、そして1本のみの1380系との併結運用が想定されているとのことです。また、識別の意味で3150系、3300系とは異なる独自の太い赤帯が前面に配されています。

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▲客室内は片持ち式腰掛を配したオールロングシート構造。窓は車端部以外は固定である。’08.3.5 舞木定期検査場 P:RM(高橋一嘉)
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meitetu5000n5.jpgちなみに私鉄ファンならば先刻ご存知のことと思いますが、名鉄で5000系という系列名はこれが二代目。初代は1955(昭和30)年に登場した名鉄初の高性能車でしたが、二代目とは逆に5300系に機器を譲る形で1986(昭和61)年に全廃されました。
二代目5000系は3月30日頃から営業運転を開始する予定で、今後、平成19年度に4輌組成×4本、平成20年度に4輌組成×4本、そして平成21年度に4輌組成×6本の計14本56輌が製造される予定です。これにより“パノラマカー”7000系の置き換えが進められることになります。
▲運転台機器は1000系からの流用のため左手にマスコン、右手にブレーキ弁のツーハンドル式。’08.3.5 舞木定期検査場 P:RM(高橋一嘉)
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小坂鉄道が運転休止へ。

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またまたローカル私鉄の残念なニュースが飛び込んできました。小坂製錬小坂鉄道(大館?小坂間22.3km)が一昨日、3月4日の列車をもって実質的な運転を終了してしまったのです。
▲3輌のエキゾーストノートを山間に響かせて峠を上る小坂製錬の三重連。'08.2.15 小坂?茂内 P:渡辺勝弘さん(「今日の一枚」より)

小坂製錬はこれまで自社の製錬所で製造した濃硫酸をタンク車で出荷してきましたが、来年度、つまり来る4月からの新型炉の本格稼動にともなって二次産品としての濃硫酸が生じなくなるため、実質的に鉄道輸送する製品そのものがなくなってしまったわけです。

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▲雪晴れに映える名残の三重連。'08.2.22 小坂?茂内 P:大和田浩史さん(「今日の一枚」より)

kosakastn.jpg小坂製錬小坂鉄道には平日2往復の貨物列車が設定されており、小坂?茂内間の第二号隧道をサミットとする峠を越えるために、小坂からの上り列車は補機を連結して3重連として運転されていました。回送機を併結した三重連は別として、牽引定数の関係からの“実質的な”定期三重連としてはわが国最後のもので、それだけにこの三重連見たさに小坂の地を訪れた方も少なくないはずです。また、かつてこのブログでもご紹介(→「茂内駅の腕木式信号機」参照)したように、茂内駅には全国で唯一となってしまった通過信号機が現役で残されていましたが、こちらもついに過去のものとなってしまうわけです。
▲旅客営業が終わってからも小坂駅駅舎はさながら営業時そのままに残されていた。'06.11.23 小坂 P:名取紀之
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小坂製錬は近く正式に国交省東北運輸局に休止を申請する模様で、地方鉄道とはいえ貨物専業、しかも自社貨物輸送のみの専用鉄道的性格の路線だけに、実質的に一昨日の運転が最後となるものと思われます。小坂鉄道の開設は専用軽便鉄道時代の1908(明治41)年。奇しくも開通から100年目に幕を閉じることとなります。

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先の日曜日は貨物鉄道博物館の定期開館日で、春を思わせる暖かい晴天に恵まれ、多くの来館者で賑わったそうです。副館長の吉岡心平さんも自らの「タンク屋しんちゃんのブログ」でその様子を綴っておられますが、RMライブラリー『三岐鉄道の車輌たち』の著者でもある南野哲志さんからは、着々と修復が進む木造有蓋車ワ5490の様子が送られてきましたのでご紹介してみましょう。
▲修復が進むワ5490の段階写真。下から収蔵された当初の状況、台枠部の修復が完了した状況('07.12.2)、そして上が木部の張り替えがほとんど完了した現在の状況('08.3.2) P:南野哲志
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貨物鉄道博物館に収蔵されているワ1形5490号は1906(明治39)年新潟鐵工所製の8トン積木造有蓋車で、北越鉄道(現在の信越本線の一部)向けに新製されたものでした。国有化後、大正時代に10トン積に改造、戦後は近江鉄道で使用されていました。台枠から上は鋼製の柱に木製の板張りで、残された木造有蓋車としてたいへん貴重なものです。ただ、長年風雨に晒されてきただけあって木部の傷みが進んでおり、貨鉄博では昨年10月から有志を募って修復作業に取り組んでいます。

木製なら日曜大工のように…と思うのは素人の浅慮というもので、遠い昔に途絶えた木造車の技術を模索しながらの作業が続いているそうです。なにはともあれ、その進捗状況の一旦をご覧ください。

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▲左:まずは洗浄作業。('07.11.9) 右:鋼製の台枠部を塗装。('07.11.15) P:南野哲志
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▲左:床根太を設置。('07.12.7) 右:床板を張る。('07.12.7) P:南野哲志
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▲左:屋根垂木作成。('08.1.9) 右:屋根梁取替え。('08.1.18) P:南野哲志
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▲左:屋根板張り。('08.1.19) 右:完了に近づいた屋根板張り。('08.1.22) P:南野哲志
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▲左:破風取り付け。('08.2.21) 右:壁板張り。('08.3.3) P:南野哲志
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※詳しくは南野さんのHP(→こちら)で…

ところで写真をご覧になってお気づきのように、このワ5490の車輪は片方がプレートとなっています。南野さんらはなんとかこれをスポーク車輪に揃えたく探していますが、なかなかお誂え向きのものが見つからないそうです。該当するのは「10トン長軸」のスポーク車輪で軸箱は「Ⅵ」。12トン長軸スポークであれば、手近な三岐ワム229などが該当するそうですが、「10トン長軸」となると該当車も少なく、もし入手可能なものにお心当たりがある方がおられましたら貨鉄博あてにお知らせ願えれば幸いです。

ご覧のようにこの木造有蓋車ワ5490の木工事もいよいよ最終段階。あとは、建具を製作すればほぼ完了だそうです。順調に進めば、5月か6月の開館日にはお披露目出来そうとのことで、シキ160の雄姿とあわせて見学においでになってみてはいかがでしょうか。

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「シーネンツェッペリン」と聞いてもピンとくる方は決して多くはないと思いますが、戦前のドイツが誇る高速車輌のさきがけで、1931(昭和6)年6月にハンブルクのベルケドルフ駅とベルリンのシュパンダウ駅間で樹立した230km/hの速度記録は1955年まで破られることがありませんでした。
▲シーネンツェッペリン前夜、ハノーバー郊外で実験に供されるオペルのロケット車。なんと2回目の走行実験中に爆発してついえたという。

08304n2.jpg今日はこのシーネンツェッペリン研究の第一人者であり、ベルリンのドイツ技術博物館学芸部門の鉄道に関する責任者でもあるアルフレッド・ゴットヴァルト(Alfred Gottwaldt)さんによる講演会が上野の東京文化財研究所で開催されました。ゴットヴァルトさんは鉄道建築史、戦時鉄道史、資料復元法などの権威として国際的に知られており、今回は東京文化財研究所の招聘で来日されたものですが、絶好の機会でもあり、日本鉄道保存協会として昨年ニュルンベルクのドイツ鉄道博物館で行われた講演の一部をご披露いただくことにしたものです。
▲シーネンツェッペリンに関する自著を手にしたアルフレッド・ゴットヴァルトさん。'08.3.4 東京文化財研究所会議室

シーネンツェッペリン(Schienenzeppelin)はその名のとおり“軌道上の”ツェッペリンを意味し、葉巻状の流線型車体の後部に取り付けられたプロペラによって走行する特異な鉄道車輌です。飛行船製造を専門とする技師フランツ・クルッケンベルクが、第一次世界大戦後、航空産業が禁止されたためその技術を鉄道の高速化に活用しようと模索したひとつの完成形がシーネンツェッペリンでした。

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▲最後の公開運転を行うシーネンツェッペリン。沿線には世界各国から1万人ものギャラリーが駆けつけたという。なお、左後方に見える鉄骨構造物は世界初の懸垂式モノレールの軌道である。
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BMW製600馬力エンジンでプロペラを駆動し、まさに軌道上を“飛ぶ”がごとく走行するこのシーネンツェッペリンには、自国の保険会社がすべて尻込みしてしまい、結局のところイギリスのロイズだけが保険加入に応じたという逸話も披露されましたが、日本で言えば昭和初期に200km/hオーバーの粘着走行をしようというのですから正気の沙汰とは思われなかったに違いありません。

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▲シーネンツェッペリン開発途上の実験車で、走行中の車輪の粘着を“目視”する作業(左)。なんとこの体勢で時速180km/hまで耐えたというから言葉がない。右はシーネンツェッペリンのインテリアで、かのバウハウスによるデザイン。
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シーネンツェッペリンは先に記したように1931(昭和6)年6月に230km/hの金字塔を打ち立て、次世代へとその技術が活かされるはずでした。しかし、それまでクルッケンベルクの挑戦を支持し続けてきたドイツ国鉄は、200km/hオーバーの運転は当面必要ないとして、無難なディーゼル・エレクトリックによる高速気動車開発へと方針を転換してゆきます。この方針転換は戦前期のドイツ高速気動車特急網へと活かされてゆくものの、速度への挑戦という面では、ドイツは戦後のICEまで雌伏の時を過ごすこととなります。

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▲パワーポイントに続いてドイツ技術博物館保有のシーネンツェッペリン関連映画も上映、熱弁をふるってくれたゴットヴァルトさん。'08.3.4 東京文化財研究所会議室

講演会で最も印象的だったのが、最後に投影されたなんということのない0系新幹線の写真でした。晩年、亡くなる前にかろうじて“Shinkansen”開業のニュースに接したクルッケンベルクは、2つのことを言い残したそうです。ひとつは自分が目指した高速鉄道の夢は正しかったこと、そしてもうひとつはシーネンツェッペリン時代に日本の技術者の来訪があったこと、だそうです。日本の技術者とはもちろんのちの国鉄技師長であり、新幹線計画の中心となった島 秀雄さんにほかならないはずです。
「私たちドイツ人は来日して新幹線に乗るたびにクルッケンベルクのことを思い出すのです」と結ばれたゴットヴァルトさんの言葉が、とりわけ深く胸に刻まれた一日でした。

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先日試乗記をお送りした小田急の新型ロマンスカー60000形MSEですが、このデビューにあわせ、「ロマンスカー・MSE」をリアルに再現した期間限定のカフェ&バー「小田急ロマンスBAR in 大手町」がオープンするそうです。
▲期間限定で大手町に出現予定の「小田急ロマンスBAR in 大手町」のイメージ。(小田急電鉄提供)

東京メトロ線内のMSE停車駅である大手町に設けられるこのイベント会場には、MSEをリアルに再現したカフェ&バーが設置され、ロマンスカーアテンダントの制服を着用したスタッフが、MSEのブルーを模したオリジナルドリンクやカクテル、ロマンスカー車内限定メニューなどを販売するそうです。
なにはともあれ、小田急電鉄から発表されたこのイベントの概要をご紹介しましょう。

■「小田急ロマンスBAR in 大手町」の概要
1.開催期日 2008年3月14日(金)?19日(水) 計6日間
2.開催時間 11時45分?19時45分
※MSEがデビューする15日(土)のみ10時00分から開催
3.開催場所 東京サンケイビル メトロスクエア(住所:東京都千代田区大手町1?7?2)
4.アクセス 東京メトロ丸ノ内線、半蔵門線、千代田線、東西線、都営三田線、大手町駅E1・A4出口直結
5.入場料 無 料
6.主な内容(予定)
(1)小田急ロマンスBAR
青い車体が特長のロマンスカー・MSEをリアルに再現したカフェ&バーを設置し、ロマンスカーアテンダントの制服を着用したスタッフが、MSEのブルーを模したオリジナルドリンクやカクテル、ロマンスカー車内限定メニューなどを販売します。
<主なメニュー> ※数に限りのある商品もあります。
① ロマンスカー・MSEオリジナルカクテル 600円
② ロマンスカー・MSEオリジナルソフトドリンク 350円
③ ロマンスカーVSE弁当 1,000円
④ ロマンスカー・MSEクッキー 500円
(2)箱根の美術館のPRコーナー
箱根の美術館の作品(複製絵画等)をイベント会場内に展示します。
<協力美術館(予定)>
ポーラ美術館、彫刻の森美術館など
(3)「きらり妓」さんによる観光地「箱根」のPR
日本の伝統芸能を伝える箱根の芸妓「きらり妓」さんが登場し、観光地「箱根」をPRします。
【実施日時】 2008年3月14日(金) 11時45分?14時00分
(4)タレント「豊岡 真澄」さんによるトークショー&写真撮影会
鉄道好きタレントとして有名な「豊岡 真澄」さんがMSEを熱く語るトークショーとロマンスBARの前で写真撮影会を実施します。
【実施日時】 2008年3月15日(土) 10時00分?11時00分
(5)鉄道グッズショップの出店
3月15日(土)、16日(日)の両日、鉄道グッズショップを出店します。3月15日(土)に新発売のMSEグッズをはじめ、鉄道ファンやお子さまに人気の各種オリジナルグッズなどを販売します。
<主な商品>
① MSE水筒 2,000円
② MSE弁当箱 1,350円
③ MSE折りたたみ傘 1,050円
 ※上記の商品は、いずれも3月15日(土)新発売
7.お問い合わせ ロマンスカーMSEイベント事務局
フリーダイヤル 0120?017?738
(祝・祭日を除く月?金曜日 10時00分?18時00分)

イベント初日の14日(金曜日)といえばJRダイヤ改正前日でもあり、隣の東京駅からは最後の下り「銀河」101レが東海道の夜へと消えてゆくはずです。「ロマンスBAR」に立ち寄ってから名残の東京駅へ…そんな方も少なくないのではないでしょうか。

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▲新大阪で発車を待つ0系R68編成。先頭の21形7007号は連綿と製造されてきた0系としては末っ子にあたる1985(昭和60)年製。'05.10.15
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山陽新幹線にわずかに残っている0系も本年11月をもってついに引退しますが、JR西日本はこの引退を前に、3編成(6輌編成)をデビュー当時のクリーム10号と青20号の塗り分けに戻すと発表しました。

tec67n8.jpg昨年時点では8編成(R61~R68編成=いずれも6輌編成)が延命していたJR西日本博多総合車両所所属の0系ですが、今年に入ってから2編成が除籍されて、現在では6編成を残すのみとなってしまっています。もちろん全車がダークグレーとフレッシュグリーンの塗色ですが、このうち3編成がオリジナル塗色へと復元されます。プレスリリースによれば、今月から順次改装工事に着手し、6月下旬を目途に3編成の塗色変更を完了する予定だそうで、この3編成は11月の定期運転終了まで営業列車に充当されて有終の美を飾ることとなります。ただ、残り3編成は6月頃までに現塗色のままで廃車となるそうで、6月以降に残る0系はついに3編成のみとなってしまうわけです。
▲「1億人ご乗車記念」絵葉書。裏面には「時速210kmで走る超特急ひかり号」と解説がある。1967(昭和42)7月発行。
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▲「2億人乗車記念」のしおり。抽選券が同封されており、2億人達成当日の乗車客のなかから530名に記念品が当たった。1969(昭和44)年3月。

改装にあたって車内設備は現行のままで変更されないものの、車体をクリーム10号と青20号のオリジナル塗り分けに、屋根部外板もオリジナルの銀色に、さらに床下機器と台車は黒色にと、まさに東海道時代の懐かしい姿が再現されます。11月の定期運転終了後には臨時列車としてのさよなら運転も予定されているそうです。

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▲「新幹線開業15周年記念」絵葉書。角度によって絵柄が変化するもので、'64年は東京オリンピック開会式(左)、'79年は東京サミットの議場(右)が背景に浮かび上がる。「ひかりました。こだましました15年。」のキャッチコピーが懐かしい。1979(昭和54)年10月1日発行。
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1964(昭和39)年以来、0系は新幹線のみならず日本そのものを象徴する存在として走り続けてきました。今回のオリジナル塗色復活の報を受けて、ここにお目にかけるようないくつかのノベルティーグッズを取り出してみましたが、もちろんどれもが0系です。100系が登場するのが1985(昭和60)年ですから、新幹線44年の歴史の中で、半分近い21年が0系の独壇場だったことになります。
ちなみに引退後、1本だけでも編成丸ごと歴史的遺産として後世に残せないものかと願うのは、決して私ひとりではないはずです。

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▲東京メトロ線内を快走する60000形MSEの試乗列車。先頭部から見る通過シーンはまた格別なものがある。'08.2.29
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この60000形MSEは3月15日より平日はビジネス特急として、土休日は観光特急として運行を開始します。もちろん東京メトロ線内では初の座席指定制有料特急です。

mse292n.jpg東京メトロ線内の特急料金は一律200円ですが、東京メトロ線内のみの乗車は出来ない設定で、必ず小田急線・箱根登山線内の料金との合算額となります。また土休日のうち年間30日程度は「ベイリゾート90号・91号」として東京メトロ有楽町線に乗り入れ、本厚木~新木場間が結ばれる予定です。ファンにとっても霞ヶ関駅(運転停車)で一度スイッチバックするかたちとなる運転形態や、有楽町線内での西武・東武車輌との出会いなど興味深い列車となるはずです。ご一緒した向谷 実さんも「今度はぜひ新木場まで乗ってみたいね」とおっしゃっていたこの「ベイリゾート90号・91号」、本年5月から来年2月までの各月第4土曜日から2日間、5月3~5日、8月の第3土曜日から2日間、そして来年の1月2・3日の運転がすでにアナウンスされています。
▲霞ヶ関の駅名表示をバックにご満悦の向谷さん。'08.2.29
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▲2.3mの高い天井がゆとりを感じさせる客室内。ワインレッドのカーペットと電球色のLED照明が落ち着きを演出する。'08.2.29
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▲MSEのロゴが入ったヘッドカバーとバックレストに取り付けられたアルミ製の手掛けが高級感をにじませる。'08.2.29
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今回の試乗列車は残念ながら飲食不可で、車内の供食設備も調整中でしたが、3号車・9号車に設けられたおしゃれな売店には本格的なコーヒーマシンやビールサーバも見受けられ、ウィークデーの帰宅時には利用客の皆さんにおおいに喜ばれるに違いありません。

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▲小田急電鉄制作のパンフレットに見る各種車内設備。(小田急電鉄提供)
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ところで今回、向谷さんには小誌の枠でご乗車いただきましたが、同時にこの春から始まるCS鉄道番組の収録も兼ねており、試乗中ずっとテレビカメラに追いかけられ大忙し。そんななかでもやはり“音”には格別の拘りをお持ちで、インバータ制御音(磁励音)を確認しようと制御装置搭載車輌(M2、M2’、M4)へと移動…するとお誂えの席に宮田道一さんの姿が。さすがにもと東急電鉄車輌部長、皆さん考えることは同じで思わず笑いがもれていました。

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▲出したまま座席を回転できる巧みな設計のテーブルにも興味津々のお三方。左から鉄道アナリストとして活躍中の川島令三さん、RMライブラリーでもお馴染みの鉄道友の会東京支部長・宮田道一さん、そして向谷さん。'08.2.29
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▲北千住から地上に上がり綾瀬を目指すMSE試乗列車。このシーンは昨日の動画でもご紹介。'08.2.29
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それにしても伝統のミュージックホーンを響かせながら東京メトロ線内をゆく姿は、東京の交通網が新時代を迎えたことを鮮烈に実感させてくれるものでもありました。

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