鉄道ホビダス

2008年2月アーカイブ

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▲営業開始を前に、小田急電鉄はA4判横開き16ページの豪華なパンフレットを制作。表紙はこのようにたいへんインパクトのあるものとなっている。(小田急電鉄提供)
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3月15日から営業運転を開始する小田急電鉄の新型ロマンスカー60000形MSEの報道向け試乗会が本日開催され、ちょうど別企画でご一緒していた向谷 実さんとひと足早くロマンスカー千代田線乗り入れの旅を楽しんできました。今日はなによりもまず地下鉄線内をゆくロマンスカーの動画をお目にかけたいと思います。

msetag.jpg今日の試乗会の行程は成城学園前から綾瀬への往復。通常は北千住までの営業運転となりますので、北千住?綾瀬間に乗車できるのはまさに千載一遇の機会といえましょう。成城学園前駅の駅ビル4階にあるレストランで向谷さんと昼食をとり、いざ試乗会受付へ。すでに多くのプレス関係者が集まっていましたが、始発の成城学園前以外にも途中の霞ヶ関で乗り込んでくるテレビクルーなどもいるそうで、この新型ロマンスカーの注目度の高さが伺いしれます。
▲試乗会参加証のワッペン。

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▲成城学園前駅に到着しようとする60000形MSE。フェルメールブルーの車体はこのような遠望にもくっきりと映える。'08.2.29

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▲MSEの運転経路と停車駅。新木場への「ベイリゾート」は実際には霞ヶ関でスイッチバックする形の運転経路となる。(東京メトロ提供)
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mseseizyougakuen2.jpg試乗列車の編成は4+6輌の10輌フル編成で、実際の営業運転と同じ。13時58分に成城学園前駅を発車し、途中霞ヶ関駅に停車、綾瀬を15時08分に折り返し、霞ヶ関駅に15時33分、成城学園前駅に16時00分に戻ってくる行路です。いかんせん地下鉄線内は普通列車の間を走るかたちとなりますので、特急といえどもそれほど所要時間は短縮されていません。
▲成城学園前に進入してくるMSE。いよいよ試乗会が始まる。'08.2.29
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代々木上原から地下線に入ると、見慣れた地下鉄ホームをリクライニングシートで“通過”してゆく感覚に新鮮な驚きを覚えます。もちろんホームにいる一般乗客の皆さんも、噂には聞いていたがこれが新しい千代田線乗り入れのロマンスカーか…と一様に驚かれた様子。
今日はぜひ動画でその感動を疑似体験なさってみてください。

■動画
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▲荒川橋梁を渡り綾瀬に向かう試乗列車。営業列車では乗車できない区間だ。'08.2.29
上の画像をクリックすると自動的に動画の再生(約12分)を開始します。
※音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

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▲プレス発表された山陽・九州新幹線直通用車輌のイメージCGとその側面レンダリング。(JR西日本・JR九州提供)
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JR西日本とJR九州がかねてより共同で開発に取り組んできた山陽新幹線と九州新幹線との相互直通運転用車輌の基本仕様がまとまり、量産先行車の製作を前に両社からその概要が発表されました。

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▲ディメンションはN700系と同様ながらエクステリアデザインは個性的。JR西日本+JR九州をイメージさせるロゴマークも新たに設けられる。(JR西日本・JR九州提供)
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新たに製作される山陽・九州新幹線直通用車輌は最新のN700系をベースに8輌化したもので、先頭形状のエアロ・ダブルウィング形(先頭長10.7m)はN700系と同様ながら、九州新幹線内の35‰勾配に対応するため全電動車化が図られています。もちろん山陽新幹線内での最高速度は300㎞/hに設定されています。

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▲車内設備の概要。6号車はハザとロザの“合造車”となる。(JR西日本・JR九州提供)
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注目のエクステリアデザインですが、プレスリリースによると「日本の伝統文化が色濃く残る関西圏と九州圏を結ぶ新しい新幹線として、日本の美しさ、力強さ、りりしさを表す“凛”をキーワードとして日本的なもてなしの心地よさを表現」することをデザインコンセプトに掲げ、以下のようなデザインが施されます。
1:ボディーカラーに、伝統的な陶磁器の青磁を思わせる『白藍(しらあい)』色を使用することで、洗練された美しさを表現。
2:側面ラインに、ボディーカラーとの対比により引き締まったイメージとなる『濃藍(こいあい)』色を使用することで、美しさの中にも力強さとスピード感を表現。
3:漆器の蒔絵に使われる『金』色のラインを重ねることにより、品格とプレミアム感を演出。

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▲エクステリアデザインのイメージ。(JR西日本・JR九州提供)
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さらに今回、JR西日本とJR九州相互直通運転を象徴するロゴマークも新たに設定されます。「相互協力し合い乗り入れを実現するJR西日本とJR九州の両社の関係を、手を携えて交わるような曲線で表現」したものだそうですが、営業開始に向けては、この車体に掲げられるロゴマークとは別途に、親しみのあるロゴマークの設定も検討されるとのことです。なお、インテリアについては詳細は未定なものの、「N700系の上質さ、700系レールスター・800系のくつろぎ感を取り入れた車内設備」を前提に、グリーン席、指定席(2&2)、自由席(2&3)による車内空間の多様化、全席禁煙、喫煙ルームの設置、モバイル用コンセントの設置、車内防犯用カメラの設置などがアナウンスされています。

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▲700系レールスター、800系つばめとの主要諸元比較。(JR西日本・JR九州提供)
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この山陽・九州新幹線直通用車輌の量産先行車の完成は本年秋の予定で、製作はJR西日本が担当、完成後、山陽新幹線管内で各種試験が実施される模様です。

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▲自社工場で車体更新改造中の3号機。右の下回り部には手ブレーキのポストが立っているのがわかる。'83.9.24 P:早川淳一

先日本欄でご紹介した太平洋炭礦の“パタパタの除雪車”をご覧になった北海道在住の早川淳一さんから、“同種”の仲間(?)の写真をお送りいただきましたので、さっそくお見せしたいと思います。

19840504-1n.jpg早川さんによれば「1984年のGWに釧路を訪れた際、まだB型ロコで運行されていた坑外軌道を見に行くと、春採ヤードの片隅に除雪車らしき車輌が停車していました。こんな華奢な車体でロータリー車か?…と、半信半疑でシャッターを切ったのを覚えています。名取さんのブログの車輌とはまた別の車と思われますので、もしかするとこの間の“新製”か“改造”だったのでしょうか。とりあえず一報させて頂きたいと思った次第です」とのこと。写真を拝見するに、たしかにまったく違ったスタイルですが、ゴムの“パタパタ”部は瓜二つ。さらに軸受の形状を仔細に見比べるとこれまた極めて似ています。ひょっとすると十年近い歳月の間に改造された可能性も否定できませんが、だとするとキャブの前後関係が逆になるなど、俄に信じ難い気もします。
▲これが“パタパタの除雪車”の「新種」。えらく華奢な造作で、雪を飛ばすどころか、ローターの回転とともに車輌そのものが倒れてしまいそう…。'84.5.4 P:早川淳一
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▲原形を保つ2号機(左)と車体更新改造を受けた8号機(右)。更新機の方は側窓もサッシ窓化されている。'83.9.24 P:早川淳一

19840504-2n.jpgついで…と言ってはナンですが、と前置きをされて1983(昭和63)年に車体更新が行われた3号機と8号機の写真も頂戴しました。太平洋炭礦坑外軌道の電気機関車は1984(昭和64)年11月に昇圧に伴ってニチユ製16tBB電機(No.161?164)に置き換えられてしまっていますので、更新車体の東芝製8t機はわずか一年ほどしか稼動しなかったことになります。早川さんからお送りいただいた画像には車体載せ替え工事中の写真もあり、今となってはたいへん貴重な記録です。
▲更新改造後の3号機。8号機と比べると手すり形状などに微妙な差が認められる。黄色いV字ラインは更新機の識別用だろうか。'84.5.4 P:早川淳一
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“パタパタの除雪車”の謎はいよいよ深まるばかりですが、なにはともあれ早川さんにはあつくお礼申し上げたいと思います。なお、早川さんは「港町の小さなCOAL TRAIN」と題してご自身のサイト(→続編の1985年春の様子はこちら)に多数の画像をアップされております。 ぜひご覧になってみてください。

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昨年12月10日のスタート以来、多くの皆さんにご活用いただいている“鉄道ホビダス”ですが、今日からさらにもうひとつ投稿型コンテンツが増えることになりました。題して「RM News」。本誌誌面の「News Scramble」と連動した、皆さんからお寄せいただいたニュースで構成するウェッブ版速報です。
▲今日から“鉄道ホビダス”内に「RMニュース」がスタート。トップ画面の中段に新着5ニュースをリアルタイムに表示する。

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▲これが「RMニュース」画面。すでに続々とエントリーが始まっている。(2月26日版「RMニュース」より)
画面をクリックすると最新のニュースに飛べます。

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newstop85a.jpg“鉄ホビ”にはすでに大好評をいただいている「今日の一枚」がありますので、少々その区別に迷われる向きもあるかと思いますので、簡単にその辺をご説明してみたいと思います。まず何よりも「今日の一枚」は、その時の鉄道の情景をアーカイブとして残す、というのが最大の目的です。その時、その場所ではどういう状況になっていたのか、天気はどうだったのか、その時の“鉄道の姿”をカレンダー形式で保存していくのが大きなテーマです。日々繰り返される日常の風景でさえ、時の移ろいとともに必ずや貴重な時代の記録となってゆくはずです。
▲「今日の一枚」と違って1テーマに対して複数の画像が表示できる。紙媒体と異なり紙幅に制限されることがないのもウェッブならではのメリット。(2月26日版「RMニュース」より)

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▲京浜急行に懐かしい色のラッピング車輌が登場。'08.2.25 京浜急行 京急川崎?六郷土手 P:渡邉健彦さん(「今日の一枚」より)

一方、今日からスタートをきった「RM News」は、臨時列車や試運転、イベントなどを「記事」と「写真」で記録することを目的としています。たとえば現在アップされている外川 拓さんのE655系による団臨関連記事「2月25日、東京?伊豆急下田にてE655系“和(なごみ)”による団臨が運転された。同系による東海道・伊東線および伊豆急線入線は、昨年11月8・9日に品川?伊豆急下田で運転された試運転に続き2度目、団臨運用としては初である」のように、写っている列車の詳細記録を残すのが主な目的です。いわば「今日の一枚」が日めくりカレンダーならば、「RM News」は新聞といったところでしょうか。

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▲ついに5000エントリー目を記録したのがこの一枚。小田急の電車デザインコンテスト「ゆめの列車」が春一番の中を行く。'08.2.23 小田急小田原線座間 P:相原大樹さん

ところで、加速度的にアーカイブが増えていっている「今日の一枚」が、ついに昨日エントリー数(アップ数)5000枚を突破しました。直近の全国各地の鉄道写真が1サイト内で5000枚超閲覧できるのはもちろん日本一でしょう。これもひとえにご投稿いただく皆さんのおかげと感謝申し上げます。どうか今後も「今日の一枚」、そして今日からスタートをきった「RM News」をよろしくお願い申し上げます。

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▲小春日和の飛鳥山公園で遊具に囲まれて保存されている都電6080号。朝9時から夕方の16時半までは車内も公開されている。'08.2.17
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飛鳥山公園の静態保存車輌が化粧直しされて綺麗な姿になっていると聞いて、先日デジカメを片手に訪ねてきました。都電のウォッチング・ポイントとしても知られる飛鳥山ですが、“公園”としては上野・芝・浅草・深川とともに1873(明治6)年に太政官布達によって指定された日本最初の公園のひとつだそうです。

asukayama83a.jpgその飛鳥山公園に保存されているのはD51 853と都電6000形6080号です。ともにしばらく前までは荒れるにまかせるような荒廃した姿を晒していましたが、管理する北区が公園全域の整備とあわせて徹底した修復を行い、あわせて両者ともに立派な屋根が設置されて保存態勢が整えられました。さらに最近になって再び化粧直しが行われ、現在はペンキの塗膜も真新しい素晴らしく綺麗な姿を見ることができます。
▲塗装がやり直されて美しい姿のD51 853。残念ながら屋根の柱が邪魔をして順光側からは撮影しにくい。'08.2.17
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D51 853は1943(昭和18)年鷹取工場製。戦中、戦後を関西で過ごしたのち、長岡、酒田と転じて酒田区で1972(昭和47)年6月14日付けで廃車となっています。北区とはとりたてて縁のある機関車ではありませんが、当時の“SLブーム”を背景に飛鳥山公園へとやってきたようです。

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▲欠品はほとんどなく、給水ポンプ(左)回りの配管なども良くわかりモデラーにとってもありがたい。右は先輪部で、フロントデッキのステップに砂箱のようなものが付けられている。保存機といえども仔細に見るといろいろな発見があるものだ。'08.2.17
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一方の都電6080号はRMライブラリー『東京都電6000形』によれば1949(昭和24)年3月19日入籍の新日国工業製。青山車庫に新製配置ののち、大久保、駒込、荒川車庫と転じ、荒川線のワンマン運転化により1978(昭和53)年4月27日付けで廃車となった車輌です。外観のみならず室内も美しくレストレーションされており、あの“チン・チン”というゴングを鳴らす体験も可能です。

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▲都電6080号の全景。現役時代に前面方向幕が大型化され、窓もサッシ化されているのが特徴。かつては目を覆うほど荒廃してしまっていただけに、さまに見違える姿だ。休日ともなれば多くの親子連れに囲まれて大人気。'08.2.17
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保存から20年30年と歳月を経るにしたがって荒れ果て、挙句の果てには解体されてしまう保存車輌が少なくないなかで、この飛鳥山公園の2輌は実に恵まれていると言えましょう。飛鳥山公園といえば徳川8代将軍・吉宗が享保の改革の一環として桜を植え、今日では都内を代表するお花見の名所としても有名です。あとひと月もすればこの2輌の保存車も万朶の桜花に包まれるはずです。

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▲フランスの製糖軌道の起源はそのままドコ―ビルの起源でもある。第3章「動力車」の冒頭を飾るのは500㎜ゲージ3.5tのオリジナル・ドコ―ビルと600㎜軌間のマレー・ドコ―ビル組立図。(“70ans de chemins de fer betteraviers en France”より)

先日、出社すると机の上に私個人宛の大きなエアメールが…差出人はと見ると、フランスの出版社“LR PRESSE”ではないですか。瞬間的にすっかり忘れていた記憶が甦りました。昨年秋にパリの“RAIL  EXPO”に参加した際に予約をしていた書籍が届いたのです。

70ans11a.jpgこのブログでもご紹介しましたが、“RAIL EXPO”会場で久しぶりに再会したレイモンド・デュトンさんにぜひ会わせたい人がいると、なかば強引に引き合わされたのがこの本“70ans de chemins de fer betteraviers en France”(『フランス製糖軌道の70年』)の著者であるEric Fresneさんでした。近々、フランスの製糖軌道の歴史をまとめた本を出版するので見てくれと、“Loco-Revue”誌で知られる“LR PRESSE”のブースへ。そこでエリックさんがごそごそとカウンターの中から取り出してきたのがこの本のゲラ刷りでした。

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フランスで砂糖など採れるのかと思われる向きもあるかも知れませんが、かのインダストリアル・ナローの祖ドコービルは、1873(明治6)年の甜菜(ビート)の大収穫の際にその臨機応変な輸送手段として考案されたもので、さらにフランスにおける製糖業の起源はナポレオンによる甜菜栽培の奨励にまで遡る歴史があると言われています。
▲ビートを満載した鉄聯くずれの貨車を牽いて併用軌道を行く。横の畑には収穫用荷車を牽く白馬の姿が…それにしてもよくぞこのようなカラー画像が残されていたものだ。(“70ans de chemins de fer betteraviers en France”より)

甜菜の栽培はパリ周辺のフランス北部を中心に大発展を遂げ、これにともなってビート輸送用の軌道が網の目のように張り巡らされてゆきます。本書を見ると1930年代頃がその最盛期であったようで、折りしも第一次世界大戦後に不要となった各国鉄道聯隊の車輌が大量にこの製糖軌道線に流れ込んでいます。つまりドコービルを核としながら、ペショやらコッペルやらボールドウィンやら、それこそありとあらゆる600㎜ゲージ車輌がこの製糖線網に集結したわけです。

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▲第一次世界大戦後は各国の鉄聯車輌が製糖軌道に払い下げられ、さながら600㎜ゲージの見本市の様相を呈した。クリーン・リントナー遊動輪装置を備えるドイツ鉄聯機も使用された。(“70ans de chemins de fer betteraviers en France”より)

本書は「歴史」、「組織・運転」、「動力車」、「トレーラー」の4章に分けてその全貌をまとめたもので、144ページ(オールカラー)の中には200枚以上の写真と図面が収められています。ことに車輌図面はすべて7㎜スケール(1/43.5)に統一されており、その辺にはモデラーでもあるエリックさんの拘りが感じ取れます。

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▲内燃機関車もまさに百花繚乱(左)。各種の貨車についても詳細な図面を添えて細かく解説されている(右)。(“70ans de chemins de fer betteraviers en France”より)
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お二人にぜひと勧められては逃れるわけにもゆかず、予約書類もなにもなく現金だけを渡してきただけに、ある面ではドーネーションと割り切って忘れつつありました。それだけに送られてきた本書を手にして再びあの会場の熱気を思い出し、感慨もひとしおでした。エリックさん(かなりお若い方です)の情熱の結晶であるこの“70ans de chemins de fer betteraviers en France”(『フランス製糖軌道の70年』)、仏和辞典を片手にゆっくりと拝見しようと思っています。

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検索機能が年を追うごとにバージョンアップする付録データベースDVDがご好評をいただいている『JR全車輌ハンドブック』ですが、来月、このデータベースと所載の写真・テキストを全面的に活用したニンテンドーDS用ソフト「鉄道ゼミナール ?JR編?」がタイトーより発売となります。

■検索機能の一例
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▲まずはデータベースモードから検索を選択(左)。あらゆる検索機能が設定されているが、試しに「地域」を選択(右)。
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▲日本地図から関東地方を選択(左)。さらに東京を選択(右)。
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▲東京のJR路線図が表示されるので中央線を選択(左)。さらに各種の絞り込み機能の中から「車体色」を選択(右)。
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▲車体色を選択すると各種の色チャートが表示されるので、ここでは「オレンジ」を選択(左)。すると東京地方の中央線を走る車輌で車体色に多少でもオレンジが使用されている車種がすべて写真(『JR全車輌ハンドブック』所収の画像)で表示される。ここでは201系を選択(右)。
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▲201系の画像とともにこのような「概要」が表示される(左)。さらに「詳細解説」と「バリエーション」に進めるので、ここでは「詳細解説」を選択。すると『JR全車輌ハンドブック』の系列詳細解説が表示される。
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▲「詳細解説」の文中の用語をクリック(左)すると今度はその用語の詳細解説が場合によっては写真を伴って表示される(右)。さきほどの「バリエーション」に戻ると、同一系列の走行線区はもとより充当列車も検索可能(右)。

ds13a.jpg「JRの鉄道・車輌に関する知識を楽しく、簡単に身に付けよう!」というコンセプトのもとに開発されたこのDS用ソフト、「鉄道検定」と「車両ガイド」を主機能とした「鉄道ゼミナール」モードと、「車両図鑑」、「鉄道用語事典」、「博物館ガイド」を包括した「データベース」モードからなり、その内容の深さと完成度の高さはちょっとした感動ものです。開発にあたったのはこれまでにも数々の鉄道系ソフトを手がけてきたタイトーの精鋭チームの皆さん。そこにシミュレータ開発で知られる「音楽館」の向谷 実さんが加わり、さらに小誌が『JR全車輌ハンドブック』の膨大なデータと画像を提供しているのですから、そのポテンシャルの高さはご推察いただけるはずです。
▲「用語解説」の充実ぶりも特筆される。ちょっとした用語辞典なみの機能だ。

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▲「博物館ガイド」もついている。検索した博物館の展示車輌も画像と解説で表示される。

ds16a.jpgあまりに多機能すぎてとてもこの場ですべてを語り尽くすことは不可能ですが、なによりも特筆したいのは『JR全車輌ハンドブック』の画像・テキストを基礎とした「車両図鑑」の検索機能です。冒頭でそのフローの一部をお見せいたしましたが、形式や番号、列車名や所属会社といったいわば“定番”のキーワードはもとより、地域や車体色などからの検索機能まで設定されています。ことに車体色は細い帯にいたるまで丹念にインプットされており、その綿密さには正直驚かされます。これによって、まったく予備知識がない方でも、このDSひとつ携行していれば、旅行中に一瞬見かけた車輌でさえ、車体色→地域→線区といった絞込み検索によって素早くその正体を知ることが可能です。
▲「鉄道検定JR編」のおためし検定をご覧あれ…。

「鉄道ゼミナール」モードの「鉄道検定」も侮ってはいけません。「初級」「中級」「上級」の3レベルが用意されており、「上級」を一定以上の成績でクリアすると「特級」、さらにそれをクリアすると「超特級」の問題が設定されています。初期設定の3レベルだけでも手ごわい問題が少なくなく、ぜひとも挑戦してみていただきたいと思います。

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▲おためし検定でもこのレベル。これが最終的な「特級」、「超特級」となると一筋縄ではクリアできない。

構想から十ヶ月あまり、『JR全車輌ハンドブック』の著者、撮影者の皆さんには再使用許諾の書類のやりとりなどたいへんなお手数をお掛けしましたが、現在生産は順調に進んでいるそうで、来る3月27日には全国でこのDS用ソフト「鉄道ゼミナール ?JR編?」(希望小売価格5040円/税込)が発売となります。単なるゲームソフトではなく、縦横無尽の検索データベースとしてもぜひご活用ください。

パタパタの除雪車?

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温暖化を叫ばれながらも今年は例年になく積雪量が多いようで、「今日の一枚」を見ていても“特雪”の勇壮な写真が目をひきます。“ささら電車”こと札幌市交のブルーム式除雪車も大活躍をしており、あとひと月ほど彼らの奮闘は続くに違いありません。
▲これが謎の“パタパタ式”除雪車? ローターの先にゴム製のヒレがついているのがわかる。カマボコ状のボンネット部にはモーターとともにウェイトでも入っているのだろうか…。'75.3.29
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そんななか、ずっと気になっていた太平洋炭礦の“パタパタ式”除雪車(?)のことを思い出しました。釧路臨港鉄道、現在の太平洋石炭販売輸送線(→「太平洋石炭販売輸送を訪ねる」参照)の春採駅の丘の上から一帯に線路を巡らせていた太平洋炭礦(現・釧路コールマイン)の2フィート軌道には、主役のB凸電のほかにもさまざまな得体の知れない(…失礼)車輌たちが蠢いており、それはそれは不思議な光景でした。そして、そのなかでもとりわけ奇妙だったのがパタパタの除雪車(?)です。

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▲こちらはまっとう(?)な回転翼と投雪カバーのついたロータリー式除雪車。自走はできず、太平洋炭礦名物ののっぽ凸電が推進するかたちとなる。'75.3.29
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patapatazyosetusya5a.jpgもともとそれほどの積雪量のない釧路ですが、だからといって脆弱な2フィート軌道にとって除雪は不可欠です。そこで用意されていたのが電動のロータリー式除雪車でした。いっぱしの回転翼を備えたこのロータリー車は、手動のウイングと投雪口まで持ち、まるで国鉄ロータリー車のミニ版のような機能を備えています。その一方、愛嬌のあるキャブの丸窓や、屋根上にちょこんと載せられたパトライトなどは、いかにも炭礦のナローらしい風情を醸し出しており、思わず微笑んでしまう1輌でした。
▲やたらと左右に離れた丸窓とパトライトがご愛嬌。後方にはL電改造の架線修理車が見える。'75.3.29
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▲鋼製ボギー人車と並んだ除雪車。人車は太平洋炭礦の標準型で、かつてはこの人車を連ねた通勤列車も運行されていた。'75.3.29
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patapatazyosetusya4a.jpgところが、構内を見て回っていると、もう1輌のロータリー車らしき車輌を発見、これが何とも不思議な代物でした。回転軸に取り付けられているのはゴム製のヒレのようなもの。ウイングもカウリングもなく、剥き出しのこのヒレが3列縦列で回転軸に取り付けられています。はじめは何かシールドマシンのようなものかとも思ったのですが、ローターの直後には大きなスノープラウも備えられており、やはりどう考えても「除雪車」に違いありません。
▲ロータリー式除雪車のバックビュー。左側にぶら下がっているコードが機関車からの給電用だろうか。'75.3.29
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想像するに、このゴムのヒレで“パタパタ”と軌道上の雪を飛ばすのでしょうが、かたや“まっとうな”ロータリー車が存在するにも関わらず、なにゆえこんな奇妙な除雪車を作ったのでしょう…。残念ながら、本当に除雪車なのかも含めて真相は聞き漏らしましたが、一度この奇怪な車輌が“パタパタ”と除雪作業に励んでいる姿をこの目で見てみたかったものです。

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▲「ゆとり」展望室(スロフ14)から快走する“ロクイチ”の表情を見る。折りしも来年には置き換えが始まる253系N'EXがすれ違う。'07.6.17 P:RM
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本誌最新号巻頭の「3月15日ダイヤ改正 JR東日本客車・機関車の動き」はもうご覧いただけたでしょうか。「北斗星」の減便など、既報のダイヤ改正内容を、車輌の需給の見地から、今後の置き換え計画を交えて詳細に解説いただいたものですが、このJR東日本本社からの解説原稿が届いた際、編集部に大きな衝撃が走りました。それは何よりも文末のこの部分でした。
また、「お召機」であるEF58形直流電気機関車(田端運転所所属)の61号機についてはE655系交直流電車投入に伴い廃車対象として保留車となるが、その後「解体or保存」については未定である。
ついにあの“ロクイチ”に最期の刻が訪れてしまうのです。

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昨年6月の「ゆとり」牽引以降、まったく営業列車に充当されなくなってしまい、さまざまな憶測も乱れ飛んでいたロイヤルエンジン=EF58 61ですが、JR東日本が正式に「廃車対象として保留車」と表明したのはこれが初めてで、機関車ファンのみならずショックは隠しきれないのではないでしょうか。
▲結局、EF58 61号機にとって最後の営業列車牽引となってしまった昨年6月の法政大学のミステリー号。客車も「サロンエクスプレス東京」時代から長年ペアを組んできた「ゆとり」が華を添えた。'07.6.17 横川 P:RM
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今回の改正では「北斗星」減便により尾久車両センターの24系25形客車31輌が廃車となるほか、「夢空間」3輌、「ゆとり」6輌も検査期限とともに姿を消すことになります。また機関車関係もロクイチのみならず、「北斗星」に充当されていた田端運転所のEF81が7輌、「銀河」で運用されていた同所のEF65(PF)4輌も保留車となって順次廃止される予定だそうです。
時代の流れと言えばそれまでかもしれませんが、こと旅客列車に関して“機関車の時代”はいよいよ終焉を迎えることとなります。

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▲唐津線山本駅に停車するキハ6414。1913(大正2)年に鉄道院九州鉄道管理局に配置された汽車会社製工藤式蒸気動車のうちの1輌である。'37.1.7 所蔵:湯口 徹(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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これまでにも消えた地方私鉄や知られざる国鉄車輌など、従来あまりスポットの当てられることのなかった題材を積極的に取り上げてきたRMライブラリーですが、今月と来月の2ヶ月にわたっては究極のマニアックなテーマ、湯口 徹さんによる『日本の蒸気動車』をお届けします。

rml103hyou1.jpg「蒸気動車」という車種に“?”と思われる方もおられると思いますが、端的に言えば蒸気機関によって自走する客車のことです。日本では1905(明治38)年に瀬戸自動鉄道(現・名鉄瀬戸線)が導入したフランス製「セレポレー式」車が営業運転における嚆矢であり、続いて近江鉄道など幾つかの鉄道がオーストリア・ハンガリー(当時)製の「ガンツ式」を採用。そして1909(明治42)年に国産車「工藤式」が完成すると、鉄道院を含め各地の鉄・軌道でその活躍が見られるようになりました。

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▲汽車会社で製造された鉄道院6005形ホジ6010の公式写真。写真右側の台車が動台車。 P:汽車会社(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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rml103boiler1a.jpgしかし、後を追うように内燃機関が発達してくるとその必要性は急速に薄れ、1930年代には多くが廃車されるか客車化されるかして姿を消してゆきました。第二次大戦による石油統制により生きながらえたものもありましたが、戦後間もなく、その歩みは完全に途絶えてしまいます。現在では博物館明治村に静態保存されているキハ6401(←鉄道院ジハ6006)が唯一の現存車です。
本書では日本で活躍した60輌あまりの蒸気動車たちを上下巻に分けて徹底解説。上巻では海外からの売り込みにはじまり、国産蒸気動車発達に至る全体像の解説とともに、鉄・軌道別の使用例を北から順に樺太庁鉄道から初瀬軌道(奈良県)までを収録します。
▲国鉄名古屋工場で復元修復中のキハ6401。機関部の取り外しのために煙突が2ピースとなっているのがわかる。なお、表紙もこの修復時の貴重なカラー写真。'63年 P:国鉄名古屋工場(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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ところでこの工藤式蒸気動車、“両運転台”なのにお気づきでしょうか。そうです、転車台なくしても折り返し運転が可能なのですが、その構造たるや極めてプリミティブなもので、なんと屋根上を這わせたワイヤーによって機関側のレギュレータを開閉する機構となっていました。素人考えでも降雪対策や氷結防止はどうしていたのだろうと心配になりますが、蒸気動車の分布が極端に西日本偏重だったのもその辺と関係があるのやも知れません。

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▲夕張鉄道キハニ1竣功図。向かって左側が機関室である。もちろん鉄道省払い下げ車だが、西日本偏重の蒸気動車の分布のなかでは珍しい存在。(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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湯口さんが切り拓いたと言っても過言ではない「特許」を再検証して傍証を固めてゆく手法はいつもながらお見事で、従来“定説”とされていたものが本書によっていくつも書き替えられてしまっています。今週以降将来にわたって、わが国で蒸気動車を語るからには、決して避けては通れない一冊です。

RMライブラリー『日本の蒸気動車』上巻
B5判・48ページ
定価:1000円(税別)/発売中

6000kansei1a.jpg去る1月16日付けで試運転中の姿を速報した東急電鉄6000系ですが、先日、長津田検車区で報道公開されましたので、改めてその“正規”の姿をお見せすることにいたしましょう。と申しますのは、前回の写真と見比べてみると一目瞭然ですが、車体側面幕板部と裾部に赤いラインが追加され、かなり引き締まった印象となったからです。これは大井町線のラインカラーであるオレンジを用いた残像のような縦方向のパターンと、東急カラーの赤色を横方向に流れるように配色することによって、東急らしさを演出するとともにイメージを一新したものだそうで、先にお見せした試運転中の姿は、最終フィニッシュ直前の装いだったというわけです。
▲楔形の先頭部形状とスカートが印象的なフロントマスク。非常用扉に形式番号、運転台下に編成番号が標記されている。'08.2.7 P:RM(新井 正)
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▲大井町線初の6輌編成でMT比は3M3T。「急行大井町」の行先表示も誇らしげだ。'08.2.7 P:RM(新井 正)
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6000kansei2a.jpg「都会的なシャープさと先進性を表現したスタイリッシュなデザイン」とされる印象的な先頭部は、一見ステンレス製に見えますが、乗務員扉から前は一体のFRP成型品だそうで、ステンレス色の塗装が施されています。その前面に設けられた非常用扉はプラグ式となっており、前照灯と尾灯が一体となった縦型のライトケーシングが表情を一層引き締めています。
▲前面の非常用扉はプラグドア式で、ご覧のように非常用はしごが出てくる。'08.2.7 P:RM(新井 正)
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▲オレンジ系のモケットを用いた車内。吊り手は2種類の長さが用意されており、側窓は熱線吸収・紫外線カットガラスを採用しているため日除けはない。'08.2.7 P:RM(新井 正)
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▲運転士用と車掌用機能を組み込んだモニタ装置が埋め込まれた運転台(左)と、木目調のデザインを採用した運転席背面の仕切(右)。'08.2.7 P:RM(新井 正)
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6000系が充当される大井町線急行運転は3月28日(金)より開始されます。この急行運転により、朝方ラッシュ時(上り)二子玉川-大井町間は現行各駅停車より6分短縮の約18分で結ばれることになります。
●急行停車駅:二子玉川・自由が丘・大岡山・旗の台・大井町
●急行運転時間帯:平日 6時台?23時台/土休日 9時台?20時台

なお急行列車は6輌編成(6000系)、各駅停車は現行どおり5輌編成で運転されます。

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▲クハ6100(Tc2)形式図。大井町寄先頭車だ。(東急電鉄提供)
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▲6000系主要諸元表。(東急電鉄提供)
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この東急6000系の詳細については、今週21日発売の本誌誌上でたっぷりとご紹介しておりますので、どうかお楽しみに。

otachidaihyou1.jpg「今日の一枚」とともにご好評をいただいている“鉄道ホビダス”の投稿型ブログ「お立ち台通信」がついに単行本になります。初めての場所に限られた時間で撮影に出かけるには、的確な現地情報が何より必要です。もちろん安全は最優先。ところが定番撮影地といえども意外と情報が少ないのが現状ではないでしょうか。そんな厳選撮影地ガイドが本書です。“管理人”役の『国鉄時代』山下の不断の努力もあって、同ブログには、現在約580もの手軽で安全な撮影地が、160人あまりの方々から寄せられており、ガイド、アクセス、レンズなどのワンポイントアドバイスに加え、国土地理院1/25,000地形図にもリンクして、大変なご好評を得ています。

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▲国鉄色気動車の宝庫として人気の高い大糸線からは4つのポイントがエントリー。全ページカラーとあって、写真そのものも楽しめる。
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このウェッブ版「お立ち台通信」、撮影地でサイトをプリントアウトしてお持ちになっている方々も多く、単行本化のご要望も多数寄せられておりました。今回の単行本化にあたってはブログに未アップの新規撮影ポイントも多数加えております。「お立ち台」というからには大変ベーシックな印象を受けますが、ご投稿いただくポイントは千差万別で、中には意外な秘蔵ポイントもあります。撮影地は自分で探すもの…とはいえ、やはり最初に訪れる線区では事前に資料が欲しいものです。本書が少しでも安全で楽しい撮影の手助けとなれば幸いです。

178-179.jpgなお、巻頭特集として3月改正で篠ノ井機関区塩尻派出のEF64が廃止されることで一層注目度が高まってくると思われる中央西線のEF64徹底ガイドをお送りしております。同線を知り尽くしたロクヨン・フリークの方々が、美しい写真と的確なガイドでご案内。四季折々、風情ある風景が広がる木曽谷を訪ねてみてはいかがでしょうか。また、架け替え工事が進む余部鉄橋も、4月上旬いよいよ「お立ち台」廃止がアナウンスされ、目が離せなくなりました。本書では現在でも従来の印象で撮影できるポイントを改めてご紹介いたしております。
▲山陰本線は7ポイントをご紹介。もちろん架け替え迫る余部鉄橋は巻頭スペシャルとしてたっぷりとガイド。
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特集に掲載した撮影ポイントが36か所、各ガイドの205か所と合わせると実に241か所の撮影地を盛り込んでございます。A5判というコンパクトサイズですから、カメラバッグに、車のドアポケットにぜひ一冊常備ください。もちろん、全国各地の撮影地はそれこそ星の数ほどあって、とても一冊にまとめきれるものではありません。今後もブログの充実と共に巻を重ねていきたいと考えております。

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▲「SLやまぐち号」ばかりではなく山口線は今や原色DD51重連の撮影地としても脚光を浴びている。
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鉄道ホビダス読者投稿ブログから生まれた鉄道写真撮影地ガイド
『お立ち台通信』vol.1
・A5判変形/244ページ/オールカラー
・定価1200円(税込)
※2月21日発売!

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本誌誌上でもご案内申し上げたとおり、今日は東京・銀座のニコンプラザで「RM×ニコン鉄道写真セミナー」が開催されました。偶然にも「東京マラソン」の開催日とあって、ニコンプラザのある銀座周辺はすさまじいばかりの人出…そんななか、こちらの会場はマラソンに目もくれない鉄道写真ファンの熱気で溢れかえっていました。
▲午前・午後とどちらの部も定員を上回る応募をいただき大盛況の会場。'08.2.17

会場スペースの関係もあって参加人数を限らせていただきましたが、予想をはるかに超える多数のご応募を頂戴し、急遽座席数を増やしたものの、多くの皆さんに涙をのんでいただくこととなってしまいました。抽選からもれた皆様には改めてお詫び申し上げます。

nikonseminar12a.jpg今回のセミナーは「広田尚敬&小山伸也が語るD300鉄道写真テクニック」と銘打たれたサブタイトルのように、ニコンのデジタル一眼レフD300でどう鉄道写真を撮り込むかがメインテーマです。ニコンのデジタル一眼というとどうしてもフラッグシップたるD3に思いを馳せてしまいがちですが、2番手に控えるD300も、とりわけ鉄道写真に関してすばらしいポテンシャルを秘めています。詳しくは機会をみて改めてご紹介してみたいと思いますが、実はニコンさん社内には鉄道写真ファンが極めて多く、このD300の開発に関わった方たちも「趣味は鉄道写真」という皆さんなのです。それだけに、従来機には見られなかった鉄道撮影を前提としたパフォーマンスもいくつか盛り込まれています。
▲会場のニコンプラザ銀座。ギャラリー(ニコンサロン)やメンテナンスサービス部門もある。'08.2.17

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▲広田さんと小山さんの絶妙のトークに聞き入る参加者の皆さん。微妙な測光例など、モニターに映し出される数々の作例の臨場感はライブならでは。'08.2.17

nikonseminar14a.jpgセミナーは広田さんがD300で撮りおろした作品を中心に、小山さんのテクニカルな解説を交え、思わず聞き入ってしまう一時間半でした。ことについ先日特写にお出でになったという釧網本線「冬の湿原号」のC11は、いかにも広田さんらしい絶妙の間を捉えた作品で、さながら写真集『蒸気機関車たち』のひとこまを見ているかのようでした。ややもすると撮り尽くされたと思われがちなイベント運転の蒸気機関車も、撮りようによってはまだまだ未知の境地があることに気づかされた思いです。
▲ニコンプラザ銀座入口に置かれたセミナーのインフォメーションボードにはお二人のポートレートが…。'08.2.17

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▲来場された皆さんからのサインにも気軽に応える広田さん。なかには30年以上も前の著作をお持ちになる方もおられ、“広田写真”の根強い人気を物語っていた。'08.2.17

ちなみに広田さんは来年で鉄道写真を撮り始めてから60年になるそうです。カウントの起点は、少年時代に模型製作の参考にと近所の田町電車区に撮影に行った1949(昭和24)年。鉄道写真生活60年を記念しての数々のプランも練っておられるそうで、そちらも今から楽しみです。

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▲素晴らしい状態に復元されたボールドウィンと協三工業製DL。奥に今年のレストレーション候補のホイットコム製ガソリン機関車の姿が見える。'07.12.2
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一昨年はボールドウィン、そして昨年は協三工業製ディーゼル機関車の修復と積極的な活動を続けている群馬県沼田市の「よみがえれボールドウィン実行委員会」ですが、先日、今年一回目のスタッフ会議が行われ、今年はホイットコム製ガソリン機関車を塗装修復する予定となったそうです。

numatawhitcomb4a.jpg昨年10月には協三製DLの塗装修復完成披露を兼ねて「根利森林鉄道まつり」が行われ、地域の皆さんや遠来のファンでたいへんな盛況だったようですが、私は残念ながら都合がつかず伺えませんでした。それだけに、ぜひ雪の降る前に一度拝見したいと思っていたましたが、幸いなことに12月に入ってからチャンスがあり、丸山会長はじめ皆さんのご案内で現地を訪れることができました。
▲ホイットコムの面相。ラジエータは山田機械製(長野営林局34号機)のものに振り替えられている。'07.12.2
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修復なったボールドウィンと協三製DLを拝見するに、その美しい仕上がりには改めて脱帽でした。お話では県立産業技術専門校の先生の指導を仰ぎながらの作業だったそうですが、年齢も職業も違うボランティアの皆さんが、一年を掛けてここまでするその情熱に、わが国の鉄道保存のひとつの光明を見た思いがします。

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▲生まれは大正時代。車齢80年を超える古典ガソリン機関車の姿は今や工芸品のような味わいを醸し出している。'07.12.2
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さて、今年の修復対象となるホイットコム製ガソリン機関車(長野営林局7号機)ですが、この機関車、1926(大正15)年生まれとボールドウィンに伍するオールドタイマーです。それもそのはず、日本の森林鉄道用内燃機関車の最初の一ページを飾る一党で、奇跡的にここ沼田の林業機械化センターに保存されていたものです。(詳しくは改訂新版『木曽谷の森林鉄道』参照)

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▲キャブも大きく改造されてはいるものの、側面にドアがなく後部から出入りする方式は原型同様。'07.12.2
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ちなみにホイットコム(Whitcomb)はアメリカはイリノイ州にあったメーカーで、1931(昭和6)年にはボールドウィンに吸収されて同社の内燃機関車部門のひとつとなっています。ボールドウィン・ホイットコムとダブルネームの大きなホームベース型鋳鉄製銘板を持つ合併後の製品は欧米各地で目にすることができますが、本機のように吸収合併以前の個体は世界的にもほとんど残されておらずたいへん貴重です。今年は果たしてどんなかたちで修復が進むのか今から楽しみです。

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▲運転室内は驚くほどシンプル。エンジンはオリジナルのブダ製から加藤製作所製に換装されているが、それでもディーゼルではなくガソリンエンジン。'07.12.2
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ところで、来週月曜日(18日)のNHKラジオ第一「ビュッフェ131」のコーナーでこの沼田の皆さんの取り組みを簡単にご紹介できる予定です。今回のゲストは俳優の阿藤 快さん。16時30分過ぎからの4分ほどですが、なにぶん生放送ゆえ変更はお含みおきください。なお、毎度のことながら大阪放送局管内は別番組でお聞きになれません。

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4月からの第三セクターとしての再スタートにあたって新社名を募集していた茨城交通湊線(→生まれ変わる「湊線」参照)の新社名が「ひたちなか海浜鉄道」に決定いたしました。湊鉄道対策協議会(会長:ひたちなか市長)の発表によると、社名応募には150通の応募があり、社名選考委員会での選考を踏まえ、ひたちなか市の第三セクター鉄道であることと、終点の阿字ヶ浦に近い国営ひたち海浜公園や海水浴場を想起させるネーミングであることなどから決定したものだそうです。
▲今から30年前、羽幌炭礦鉄道かと見間違えそうな光景。見渡す限りの茫洋とした風景の中、羽幌からやってきたキハ22が塗色や旋回窓もそのままに活躍していた。'78.4.29 中根?那珂湊
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同時に「将来的にはDMVによる阿字ヶ浦駅からひたち海浜公園までの運行等に期待を込めて」の社名決定であると発表されています。これは昨年6月に国土交通省と茨城県が主体になって立ち上げた検討会の調査結果を踏まえたもので、ひょっとするとJR北海道が生んだDMVの種はこんな所にも芽吹くかもしれません。

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▲蒸機時代の給水塔が残る終点・阿字ヶ浦で発車を待つケハ601。わが国初のステンレス車体の気動車で、ながらく湊線の顔でもあった。'78.4.29 阿字ヶ浦
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なお、社名とともに公募していた新会社社長には58名の応募があり、一次書類審査、二次面接(ひたちなか市長、副市長、収入役、茨城交通代表取締役の4名)を経て吉田千秋さん(43歳)に決定したそうです。吉田さんは万葉線の総務課次長。富山地方鉄道から万葉線に移って数々の施策を実行し、鉄道を核としたまちづくりに積極的に取り組んでこられた方だそうで、新会社での経営手腕が期待されます。
なお、路線名称である「湊線」はそのまま残るそうですので、同線は「ひたちなか海浜鉄道株式会社湊線」となります。

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今日はちょっと嬉しいご報告を…。たまたまヤフーの検索エンジンに「編集長」というワードを入力してみたところ、なんと一番目にこの「編集長敬白」がヒットするではないですか。ご承知のように検索エンジンは、表題はもとよりインターネット上に漂うあらゆるテキストから該当ワードを検索抽出しますが、「編集長」でヒットするサイトは今朝の時点で実に28,100,000件。この天文学的件数の中で栄えあるトップの座となれたのも、日々ご愛読いただいている皆さんのお力と改めて感謝申し上げます。
▲YAHOOで「編集長」を検索すると実に2810万件(右上)がヒット。なんとその一番目に小ブログ「編集長敬白」が!

ちなみに同様のサーチをグーグルで行ってみたところ、365万件中の2番目でした。ヤフーにせよグーグルにせよ、この検索エンジンのアルゴリズムは公開されておらず、いったいどのように順位付けされているのかは不明です。当然ながらアクセス数、ページビューは順位に大きく影響するはずですが、単純にそれだけではなく、数々の要因が加味されてランキングされているものと思われます。順位も刻々と変動しており、夕方の時点では上位ランクこそ変動がないものの、検索結果は30万件も増えて合計2840万件になっていました。

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この「編集長敬白」も900話(エントリー)を超え、最近ではいろいろな検索ワードで抽出されるようになってきました。先日アップした「遠い日の総武流山電鉄.(番外編)」にしても、“流山糧秣廠”で検索するとすでに1・2番目に連続してランクインしています。
▲つい先日アップしたばかりながら、「流山糧秣廠」で検索するとすでにご覧のとおり。

ちなみにこの「編集長敬白」にも検索エンジンが組み込まれているのをご存知でしょうか。右側にある「記事検索」がそれで、ランクを示すものとは趣旨が異なりますが、これまでのアーカイブのテキストは基本的にすべてこのサーチエンジンで検索できるようになっています。そういえば「編集長敬白」で以前見たが…という際には関連する検索ワードを入力してサーチすると、たちどころにそのワードを含む回がすべて表示されます。ぜひお試しください。

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▲201と車体標記のある比較的大型の客車(人車)。ボギーかと思いきや、下回りは2軸で、しかも板バネの軸受にコイルバネを追加している。側面に出入口がなく、どうやら妻面の引き戸から出入りするらしい。'79.2.15
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専用鉄道だけに日本セメント上磯工場は『私鉄要覧』にも記載されており、「目的外使用」として「従業員の家族輸送」が掲げられています。私が訪れた時点では既に“客車列車”は運行されていませんでしたが、構内には大小あわせて4輌の客車(人車)を確認することができました。

kamiisopc202n1.jpg№201?204と車体標記のある客車はすべて形態が異なり、201号は一般的な貨車の足回りを流用したものらしくそれなりの長さがあるものの、残りの3輌はいずれも6t(8t)鉱車を人車に改造したもので、キュービック状をした超小型車でした。当時のフィールドノートをひもといても、これらの車輌に関する詳しい聞き取りは見当たらず、今さらながらに来歴を調べそこなったのが悔やまれます。専用鉄道だけに車輌竣功図も備えられていたはずで、事務所で古いアルバムなどを複写させていただいた折りにそこまで気がまわっていれば…とかえすがえすも残念でなりません。
▲4輌のなかでは比較的近代的な外観の202号。車内には吊り手も見える。'79.2.15
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▲無双窓風の窓を持つ木造単車204号。側面に鉞のような手ブレーキを持ち、客車というよりは緩急車だったのかもしれない。'79.2.15
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ところで203号と204号にはさながら鉞のような側ブレーキが確認できますが、ひょっとするとこの2輌は緩急車としての役割を担っていたのかもしれません。というのも『世界の鉄道』1969年版(朝日新聞社刊)所載の車輌現況表に「客車2、車掌車2」の記載があるからで、強引に当てはめてみれば201号と202号が「客車」、203号と204号が「車掌車」とも考えられます。

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▲203号も同様に側ブレーキを備える。出入口は逆側の側面中央にある。基本的には6t鉱車の下回りを利用したものだろう。'79.2.15
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これらの客車(人車)による定期列車は1963(昭和38)年に廃止(本誌38号「専用線の電気機関車」)されたそうですが、その後も保線用等に使用されることはあったようで、私が実見した時点でも「昭和52年6月」の検査標記が見られました。願わくば2号機をはじめとしたB凸たちがこの珍妙な客車を牽く姿を目にしてみたかったものです。

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▲ヲキと国鉄払い下げのセキを連ね発車を待つ峩朗線下り列車。先頭に立つのは主力の9号機。'79.2.15
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さて、貨車は1967(昭和42)年に2軸鉱車(函館ドック製等)からボギー貨車へと置き換えられましたが、この際に導入されたのが東武鉄道の「私有車」ヲキ1形とヲキフ1形です。「私有車」とは、いうなれば私鉄における「私有貨車」で、極めて特殊な存在です。この場合は東武鉄道車籍の日本セメント(埼玉工場)私有となっていて、国鉄線内への連帯輸送も可能な存在でした。(『トワイライトゾ?ン・マニュアル 1』所収「東武根小屋線とヲキ1形」参照)

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▲ヲキ1形ヲキ16。1967(昭和42)年に東武鉄道から移籍してきた日本セメント埼玉工場私有車ヲキフ1形で、上磯入りに際して車掌室を撤去した部分がデッキになっている。'79.2.15
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oki19a.jpgヲキフ1形は車端にウエハスのような狭い車掌室が設けられている特殊な形態をしていましたが、上磯入りに際して撤去されてデッキに改造されています。転籍してきた旧ヲキ1形14輌とヲキフ1形2輌を統合してヲキ1形と称していましたが、前者は荷重28t、後者は荷重26tと同一形式ながら荷重が異なる奇妙な状況となっていました。なお、このほかに国鉄からの払い下げ車を改造したヲキ2形16輌、セキ3000形10輌が在籍していました。(『トワイライトゾ?ン・マニュアル11』所収「日本セメント上磯のボギー鉱石車」参照)
▲ヲキ2形ヲキ19.国鉄セキ600形を改造したとされる30t積み車。粘土運搬用のヲキ車には冬季の凍結防止用ヒーターが内蔵されていたというが確認はしていない。'79.2.15
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▲再び東洋電機製造㈱横浜製作所に保存されている2号機。冬の陽に輝く日本セメントの社紋と東洋電機の銘板に、再び遙か29年前の上磯に思いを馳せた。'08.2.2
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「上(峩朗)まであがるんだったら次の便の機関車に乗って行きなさい」という温かいお誘いを断って上磯工場をあとにしてから29年、横浜の東洋電機で保存されている2号機との再会は、遠い日の上磯を熱く思い出させてくれたのでした。
上磯工場専用鉄道が廃止されたのは、2号機が横浜の地に保存されてから4年後、元号が平成に改まった1989(平成元)年秋のことでした。

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▲峩朗鉱山から6輌のヲキ車を牽引して上磯工場に戻ってくる9号機。峩朗線の上り盈車牽引定数は250t。30t積のヲキ車にして8輌分だ。'79.2.15
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4輌のB凸電でスタートした上磯工場専用鉄道ですが、電源開発や道路港湾整備に伴う道内のセメント需要の急増に呼応して、機関車も次々と増備されてゆきました。戦中に恐らく統制会経由で割り当てられた7号機(1948年/日立)以外は一貫して東洋電機製電機品を装備した機関車ばかりを揃え、最終的には1961(昭和36)年までに9輌のラインナップが揃うこととなります。

garousenfukusya1.jpgしかし1970年代に入るとメインであった峩朗線(6.6㎞)ルートに原石輸送用のベルトコンベヤが設置され、1973(昭和48)年以降は峩朗鉱山からの輸送量は大幅に減少してしまいます。晩年はもう一方の万太郎沢線(3.4㎞)の方が列車密度が高くなり、私が訪ねた1979(昭和54)年当時は峩朗線が一日5往復、万太郎沢線が一日8往復程度の運転となっていました。
▲6t木製2軸鉱車時代の峩朗鉱山。主力であったこの鉱車はピンリンク・カプラーで、これを牽引する必要から6号機以降の機関車にも2種類の連結器が備えられていた。(上磯工場原図)'79.2.15

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▲本線から見た上磯工場構内。築堤のガードで本線を越えているのが国鉄江差線である。'79.2.15
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sangyoualbum1a.jpg一方、国鉄上磯駅と工場を結ぶ専用線(0.5㎞)は1985(昭和60)年に江差線の貨物営業が廃止されるにともなって休止され、この時点で予備機として残されていた1?3・5号の4輌のB凸はすべて廃車、2号機は東洋電機に引き取られて生まれ故郷の横浜に、最後まで解体を免れた5号機は地元の上磯町運動公園に保存されることとなります。
▲上磯工場全景。9号機が導入された1959年頃の撮影で、工場規模はすでに年産70万トンに迫っていた。(『北海道産業アルバム』1960年)'79.2.15
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▲工場案内に見る構内見取り図(左)。右下が国鉄上磯駅からの専用線(0.5㎞)。右は雪の原野に立つ踏切標識で、かなりリアルな9・10号機のイラストがあしらわれている。'79.2.15
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今さら思えば、私が訪れた1970年代の上磯工場の構内には、B凸から発電制動装備の近代機まで、営業私鉄でもお目に掛かれないほどバラエティー豊かな電機たちが集っていたことになります。ことに東洋電機・東洋工機のコンビで製造された最終増備機9・10号機はとても専用線の機関車とは思えないスタイリッシュな箱型機で、人知れず生涯を終えるには実に惜しい存在でした。

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▲7号機は戦時設計の日立製25tBB電機(1948年製/製番4441)。同形機に京福電鉄福井支社のテキ521、日産化学(須賀貨物駅)の1号機などがある。主に上磯工場内の入換えに使用されていた。'79.2.15
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▲上磯初のBB電機であった6号機(左)は1935(昭和10)年東洋電機・日車製の25t機。戦前製ながら回生制動も備える。右は機関庫内で休む8号機(1952年製)。6号機と同様、東洋電機・日車製25t機ながら、ブレーキ性能等が向上している。'79.2.15
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▲1959(昭和34)年と1961(昭和36)年に導入された9・10号機は初の箱型車体を持つ35tBB。発電制動も備え、9号機が主に峩朗線、10号機が万太郎沢線で使用されていた。前後の前面手すりに挿し込まれた竹箒に注意。79.2.15
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東洋電機製造㈱横浜製作所に保存されている2号機との再会に端を発して、話がどんどん他の機関車へと広がってしまいましたが、どうせならば機関車のみならず客車(人車)や貨車もご紹介すべく、明日はさらに「補遺編」をお送りいたしましょう。

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▲日本セメント上磯工場2号機の29年。車体塗色が現役時代のベージュから黒に変えられたためかなり第一印象が異なる。なお、ボンネット上の鐘は片側にのみ取り付けられている。'79.2.15 日本セメント上磯工場/'08.2.2 東洋電機製造横浜製作所
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日本セメント上磯工場専用鉄道は江差線の上磯駅にほど近い工場から2方向にのびており、9輌もの電気機関車を擁していました。3’6”ゲージの電化専用鉄道としては八幡、三井三池に次する規模と言えましょう。ただ、今でこそ津軽海峡線として“幹線”となっている江差線ですが、当時はとりたてて面白みのないローカル線で、上磯も何かの道中に下車するような駅ではないだけに、決して行きやすい場所ではありませんでした。

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▲上磯工場構内に並んだ電機たち。左から2号機、東洋電機製10号機(35tBB)、東洋電機・日車製6号機(28tBB)。'79.2.15
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上磯駅の西側に聳えるごとく並ぶ工場群が日本セメント上磯工場で、専用鉄道はこの工場裏手から江差線を潜って北側へとのびていました。宗山川沿いに北西へ向かうのが峩朗線、分岐してほぼ180度方向を変えて南西へと向かうのが万太郎沢線で、峩朗線は峩朗鉱山からの石灰石原石を、万太郎沢線は万太郎沢鉱業所からの粘土を運搬するのが主目的でした。

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▲地形図に見る日本セメント上磯工場専用鉄道。宗山川沿いに北上するのが峩朗線、大きく針路を変えて万太郎沢川沿いに南下するのが万太郎沢線。(国土地理院1:50000地形図「函館」「大沼公園」1976年/1974年発行より加筆転載)
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▲現役時代の2号機。櫓に乗ったパンタグラフが目をひく。キャブ側面裾部の東洋電機の銘板は塗装で塗りつぶされてしまっていた。'79.2.15
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kishaasanoel.jpg上磯工場の歴史は古く、1890(明治23)年に北海道セメントの工場として創業、1915(大正4)年に浅野セメント(1947年に日本セメントに改称)に合併され、この頃に原料運搬用の馬車鉄道が敷設されたと伝えられています。1922(大正11)年に3’6”軌間に改軌するとともに電化、この際に導入されたのが東洋電機・汽車会社製の凸電1?3号だったのです。
▲新製当初の1号機。製造当初から鐘が装備されていたことがわかる。巨大な砂箱にも注意。(汽車会社原図)
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kamiisono2syoumen.jpg翌1923(大正12)年には同形の5号機(4は忌番のため欠番)が導入され、1935(昭和8)年に28tBBの6号機(東洋電機・日車)が増備されるまで、本線仕業もすべてこの小さなB凸たちがこなしていました。ただ後年、鉱車の大型化とともに、貫通ブレーキと自動連結器を持たない1?3・5号機は本線とも呼べる峩朗線の運用からはずれ、ピンリンク・カプラ?の2軸鉱車が残っていた万太郎沢線の仕業と従業員輸送列車、そして構内入換えに余生を送ることとなります。
▲2号機正面のアップ。LP42形前照灯はひさし部からステーで突き出す形で装備されている。'79.2.15
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▲僚機3号機と2号機(後方)。1?3号機はほどんど個体差が認められなかった。なお、1年遅れで増備された5号機はついに見ることが出来なかった。'79.2.15
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▲パンタグラフを撤去して休車中の1号機(左)。右は2号機のピンリンク・カプラーと自連とのスペーサー役を担う控え車。'79.2.15
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2号機も自動連結器を持たないため、片側にピンリンク、片側に自連を備えた控車を常に従えていました。いまさら思えばこの控車も古典貨車改造の曰くありげなものでした。

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先日の「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」の道すがら、かねてより一度見ておきたいと思っていた、東洋電機製造㈱横浜製作所に保存されている日本セメント上磯工場2号機を訪ねてきました。指折り数えてみると、この機関車とは実に29年ぶりの“再会”となります。今回はその昔語りを交えて、北海道初の電気機関車であった本機と日本セメント上磯工場専用鉄道を振り返ってみることにいたしましょう。
▲復元保存されてから二十年以上が経つが、さすがに製造会社の工場内とあって保存状態は抜群。空を掴むポールに背景の電線を架線に見立てて合わせてみた。'08.2.2 東洋電機製造株式会社横浜製作所
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まずは東洋電機製造㈱横浜製作所の保存機です。さすがにメーカーのお膝元だけあって素晴らしい状態で保存されており、自社製品に対する愛情がひしひしと伝わってくる下のような説明看板も設けられています。

seasideline1n.jpg「この機関車は、当社が創業して間もない大正11年(1922年)、横浜市保土ケ谷の旧横浜工場でうぶ声をあげました。車体は汽車製造(株)で作られ、国産の電気機関車としては最古の部類に属します。誕生以来63年間、北海道の日本セメント(株)(旧称浅野セメント(株))上磯工場で、セメントの原料となる石灰石や粘土の輸送に活躍しました。
自重16トンのこの機関車には、45キロワットの主電動機が2台架装され、路面電車と同じ直接制御器で運転されます。鉱山で石灰石を貨車に満載し、工場へ向けて急勾配を下るため、前後の車輪の間に電磁吸着ブレーキを装備しているのが特徴です。のちに集電装置をポールからパンタグラフに変更するなど、若干の改造が施されました。
ボンネットの鐘を鳴らしながら、北海道のしばれる山野で働き続けた日々は、決して平坦なものではありませんでした。しかし、上磯のみなさんにあたたかく見守られ、現役で還暦を迎えることができたこの機関車は、どんな華やかな機関車よりも幸せであったに違いありません。
昭和60年(1985年)、日本セメント(株)のご厚意により、生まれ故郷の横浜に帰ることができました。当社では横浜工場の移転を機会に、先人の英知と努力の結晶であるこの機関車を新製当時の姿に復元し、この福浦の地に永久に保存することにいたしました。
昭和60年6月14日 東洋電機製造株式会社」
▲最寄の市大医学部駅に進入して来るシーサイドライン(横浜新都市交通)新杉田行き列車。'08.2.2 市大医学部
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▲保存にあたって集電装置がパンタグラフからポールに復元され、前照灯の位置がいわゆる“おへそライト”に変更されているが、バッファーと朝顔カプラーは現役時代からのもの。'08.2.2
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説明文にもあるように、この機関車は1922(大正11)年に汽車会社と共同で製造されたもので、電機関係は東洋電機、車体関係は汽車会社が担当しています。まず3輌が製造され、この時の汽車会社の製造番号は615~617とすでに三桁に達していますが、蒸気機関車製造が主だった汽車会社にとって本機が最初に手がけた電気機関車でした。その意味では東洋電機製造のみならず、今はなき汽車会社にとっても歴史を画する1輌ということになりましょう。

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▲ボンネット上には鐘が装備されている。これも現役時代からのもの。右は日本セメント社紋下に残るエッチング製の東洋電機製造銘板で、右書きで「大正拾壱年製作」とある。'08.2.2
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保存にあたっては、集電装置のポールへの変更など復元改造が行われていますが、現役当時を知る者にとっては驚くほどは変わっておらず、逆に新製から半世紀以上、ほとんど大きな改造をされることなく使われていたことを再認識しました。
再び説明看板から主要諸元をお目にかけましょう。
自重:16t、最大長:6100mm、最大幅:2150mm、最大高(ポール降下時):3400mm、軌間:1067mm、電気方式:直流600V、1時間定格出力:90kW(45kW×2)、1時間定格引張力:1765kg、1時間定格速度:19.3km/h、主電動機形式:TDK31-C、動力伝達方式:ツリカケ式、歯車比:14:70=1:5、制御方式:直並列抵抗制御、制御装置:DB1形直接制御器、ブレーキ装置:電磁吸着ブレーキ、手ブレーキ、製造所:東洋電機・汽車会社、製造初年:大正11年(1922年)、製造輌数:4輌(1?3、5号)。

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▲中央床下に装備されている電磁吸着ブレーキ。本機は最後まで自動空気ブレーキを持たず、手ブレーキとこの電磁吸着ブレーキのみの装備であった。'08.2.2
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▲リベット止めの板台枠単台車も時代を感じさせる。動輪直径は847㎜。右は連結面のアップで、自動連結器装備の貨車を牽引する際には専用の控車を必要とした。'08.2.2
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この2号機に限らず、個人的にも「B凸」は大好きな車種のひとつ(→「博山水泥のこと」参照)で、これまでにもスクラッチで模型化(→「最初で最後の“Sn”」「明鉱平山、完成せず」参照)したりしていますが、今さら思えばなぜもう少し丹念に全国の仲間を訪ね歩いておかなかったのか悔やまれてなりません。

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▲全駅にホームドアや集中監視制御装置が設置される。(東京地下鉄プレスリリースより)

営団時代から脈々と続いてきた東京都心の地下鉄建設の総仕上げともいえる東京メトロ副都心線が、いよいよ6月14日(土曜日)に開業する予定となりました。

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▲副都心線路線概略図。池袋、新宿、渋谷と3つの繁華街を結ぶ大動脈となる。(東京地下鉄プレスリリースより)
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13goufig5n.jpg新規建設区間(池袋-渋谷間8.9km)を含む副都心線の運行区間は和光市-渋谷間20.2km。千川・要町の両駅には副都心線停車ホームが新設されます。また開業と同時に和光市で東武東上線、小竹向原で西武有楽町線と直通運転が開始され、埼玉県南西部から池袋・新宿・渋谷の副都心まで至る首都圏の新たなネットワークが完成することとなります。さらに、平成24年度には、渋谷から東急東横線とも相互直通運転も予定されており、この副都心線を機軸に、東武・西武・東京メトロ・東急の4社が結ばれることとなります。
▲デジタルディスプレイを用いた案内板イメージ図。(東京地下鉄プレスリリースより)
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▲工事たけなわだった頃の新宿御苑工区。直径10mのシールドマシンが24時間掘削を続けていた。'05.7.13 P:名取紀之
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ところで、かつてこのブログでも「13号線」として建設途上の様子をご紹介いたしましたが(→こちら)、日常歩いている池袋・新宿・渋谷といった繁華街の地下で、日々着々と工事が行われていることにはなかなか思いが及びません。見学させていただいた新宿御苑工区は、まさに新宿の繁華街地下にあり、いつもどおりの賑わいを見せる街路から狭い工事用階段を下りると、地上とはまったく別世界の巨大な工事現場が広がっているのに感動さえ覚えたものです。

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この副都心線はデジタルディスプレイを用いた新たな案内板や、ホームドアの設置、地上までのエレベーターによる1ルートの確保、上下のエスカレーター設置など各種施設も充実しているそうで、まさに東京都心の地下鉄建設の総仕上げに相応しいものといえましょう。
▲明治神宮前駅(左)と新宿三丁目駅(右)完成予想図。新宿三丁目駅ホームは吹き抜け構造となる。(東京地下鉄プレスリリースより)
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また、この副都心線の開業により、池袋-渋谷間が急行で11分、各駅停車で16分程度で結ばれる予定で、当然ながら山手線や埼京線の混雑緩和にも寄与するはずです。
■東京メトロ副都心線概要
開業予定日:平成20年6月14日(土)
建設区間:池袋-渋谷間(8.9km)
運行区間:和光市-渋谷間(20.2km/うち有楽町線の線路を使用する区間は和光市-小竹向原間8.3km)
着工:2001(平成13)年6月15日
駅数:和光市-渋谷間16駅(うち有楽町線の駅を使用する駅は和光市-氷川台間5駅)
駅ナンバリング:F1:和光市、F2:地下鉄成増、F3:地下鉄赤塚、F4:平和台、F5:氷川台、F6:小竹向原、F7:千川、F8:要町、F9:池袋(新線池袋は池袋に改称)、F10:雑司が谷、F11:西早稲田、F12:東新宿、F13:新宿三丁目、F14:北参道、F15:明治神宮前、F16:渋谷
所要時間:池袋-渋谷間16分程度(※急行列車は11分程度)
運行間隔:朝混雑時17本/時(平均3分35秒間隔)
編成輌数:8・10輌編成

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▲副都心線新設・改良駅設備の概要。ちなみに駅ナンバリングの「F1」は和光市駅。(東京地下鉄プレスリリースより)
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1月のエントリーから 1月28日:石北本線 東旭川?北日ノ出。湿り雪の中、単線型の2500番代が雪塊を蹴飛ばしながらやって来た。P:早川裕朗さん(北海道)

すでに本誌誌上でもご案内申し上げているように、今月発売号から、「今日の一枚」にお寄せいただいた写真の中からベストショット「今月の一枚」を選出、誌面にカラー見開きで掲載させていただくこととなりました。第1回目は1月1日から1月31日までにお寄せいただいた写真すべてをノミネート。なんとこの一ヶ月間でのエントリー数は、海外からの投稿も含めて実に661枚にものぼっています。

08_01_24nwatanabetatehiko.jpg改めてご説明申し上げますと、「今日の一枚」は言うなれば投稿型ブログで、投稿フォームに従ってお送りいただいた画像とコメントを小誌編集部にてHTML化してエントリー、公開してゆくものです。ご投稿いただいたその日には撮影日に関わらずすべて新着として公開、翌日以降はそれぞれの撮影日に沿って「撮影日カレンダー」に埋め込まれてゆくというシステムです。つまり過去アーカイブはすべて撮影日によって整理されているわけで、例えば2月1日分は、「今日の一枚」トップ画面右横のカレンダーの同日をクリックするとエントリーされた26枚を見ることができます。まだまだ始まったばかりではありますが、ゆくゆくは○年前の○月○日に鉄道はどんな表情を見せていたのか…かけがえのないビジュアル・データベースとなってゆくはずです。
1月のエントリーから 1月24日:南武支線 八町畷?川崎新町。順光で捉えた貴重な国鉄色。P:渡邉健彦さん(神奈川県)
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1月のエントリーから 1月3日:奥羽本線 赤岩?庭坂。光のシャワーを浴びる400系「つばさ」。P:峯坂和彦さん(北海道)

さて、気になる「今月の一枚」ですが、今週月曜日に編集部内で選考を行い、満場一致で決定いたしました。具体的な結果は本誌今月発売号でのカラー見開きをご覧いただくとして、この3連休に1月分661枚をもう一度見直して、皆さんなりの「今月の一枚」を決め、誌上発表と見比べてみるのも一興かもしれません。

08_01_06n_ishinokoujio.jpgところでメールでの投稿受付というフローそのものもあるのでしょうが、この「今日の一枚」はデジタル入力された、つまりデジタルカメラで撮影された画像が圧倒的です。もちろん中には銀塩写真をスキャニングしてデジタルデータとしてお送り下さる方もおられますが、本誌の作品応募がまだ半数以上フィルムなのとは実に対照的です。
1月のエントリーから 1月6日:フェルトバーンミュージアム/フランクフルト。都会の楽園が今年も活動を開始しました。P:石野康治さん(ドイツ在住)
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そんななか、すでにトップバナーでお気づきのように、小誌とニコンのコラボレーションとして、来る2月17日(日曜日)に広田尚敬さんと小山伸也さんによる鉄道撮影セミナーが開催されます。「デジタル一眼」への一歩を踏み出せないでいる方にとっても、目から鱗のまたとないセミナーとなるはずです。すでに定員を遥かに上回る応募を頂戴しているようですが、応募受付は11日までで、先着順ではなく抽選となっておりますのでチャンスは充分…この機会にぜひお申し込みください。

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▲詳細は上のバナーをクリック。申し込み締め切りは11日まで、お急ぎあれ。

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▲“トロッコ列車”を牽くキハ2011。今回のツアーでもこの編成が登場する予定だという。P:矢野直美
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フォトライターとして活躍中の矢野直美さんから、島原鉄道で貸切列車のツアーがあるので「編集長敬白」で紹介してもらえませんか…とメールをいただいたのは今週初めのことです。矢野さんは昨年8月の広田さんの写真展の際にもご紹介しておりますが(→こちら)、北海道を拠点に精力的に活動を展開している新進気鋭の鉄道フォトライターで、現在は朝日新聞の木曜日夕刊で「鉄子の鉄学」を連載中のほか、JTB時刻表でも連載をお持ちです。

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「2008年春 島原鉄道貸切列車と長崎の旅」と銘打ったこのツアーは、3月一杯で廃止となる島原鉄道南目線(島原外港?加津佐間35.3㎞)の一部区間を含む島原?深江間を特別貸切の“トロッコ列車”に乗車、さらに南島原?加津佐間では特別運転のキハ20(定期列車に併結予定)にも乗車するというものです。また島原鉄道の協力のもと、南島原の車庫を特別見学できるほか、長崎電気軌道での路面電車貸切運行も予定されており、なかなか欲張りな内容となっています。
▲島原鉄道のさりげない日常風景。こんな情景描写も矢野さんならではといえよう。P:矢野直美
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■ツアー概要(詳しくは→こちら
・ツアー日程:2008年3月8日(土曜日)?9日(日曜日)
・旅行代金(4名?5名1室利用):羽田空港発着87,500円/伊丹空港発着77,500円
・利用予定ホテル:長崎・雲仙九州ホテル
・最小催行人員:50名(定員150名)
・旅行主催:JTB法人営業新宿支店

IMG_5877nn.jpg最近では一般メディアを中心に女性ファンがひときわ脚光を浴びていますが、矢野直美さんはちょっと一線を画する、いわば“筋金入り”のファンです。私などではとても持ち歩けない山のような撮影機材を背負い、クルマを使わずに常に鉄道と徒歩で全国を回っておられます。そのバイタリティーにも脱帽ですが、「ゆれて ながれて であう 幸せな瞬間」がテーマと言われるだけあって、人との出会いをひとつひとつたいへん大事にされておられるのも印象的です。新聞連載を拝見していても、必ず出会った現場の方の話が書き込まれており、いかにも女性ファンらしい視点といえましょう。
▲島鉄の“トロッコ列車”で撮影中の矢野直美さん。P:矢野さん提供
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▲電波塔(?)が時代を感じさせる「おもいで」のヘッドマークを掲げたキハ28 2174〔仙ココ〕。小牛田区はかつて実際の修学旅行用気動車配置区で、「おもいで」号発祥の地でもある。'08.2.2 小牛田運輸区 P:RM(新井 正)
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キハ58系の「修学旅行色」を覚えておられるのは40代以上の方に違いないでしょう。かく言う私も「ひので」で修学旅行へ出かけた口ですから、まさに黄5号と朱色3号に塗り分けられた“修学旅行色世代”のひとりです。そんな懐かしの塗色が小牛田運輸区のキハ58・キハ28に復活しました。

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▲黄5号と朱色3号の修学旅行色が目にまぶしいキハ58 414とキハ28 2174〔仙ココ〕。2月4日・5日に復活記念として団臨運転されたほか、今週末の2月9日・10日には「只見雪まつり号」としても運転される予定。'08.2.2 小牛田運輸区 P:RM(新井 正)
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今回白羽の矢が立てられたのは、快速「南三陸」で使用され、その後は保留車となっていたキハ58 414とキハ28 2174〔仙ココ〕。もちろん本来のキハ58系修学旅行用車はキハ58形、キハ28形ともに800番代車でしたが、800番代車はすべて国鉄時代に廃車されてしまっており、今回の2輌は冷房搭載のグレードアップ車です。しかし、細部にまでこだわった塗色変更が行われ、ご覧のように実に素晴らしい状態となっての再デビューとなりました。

kiha58omoidehyouki.syozoku.jpg昭和30年代中盤、気動車の修学旅行用車輌を待望する声は、東北や九州からの修学旅行生の増加とともに日増しに強まり、国鉄ではキハ58形、キハ28形を修学旅行用に仕様変更した車輌を新製して対処することとなりました。そして1962(昭和37)年2月から翌年2月にかけて33輌が製造されたのが800番代車です。キハ58 801?808が直方、809?811が盛岡、812?816が山形、817?819が小牛田、キハ28 801?804が直方、805?807が盛岡、808?810が山形、811?813が小牛田に配置され、直方配置車は修学旅行列車「とびうめ」として筑豊地区から関西方面(京都・大阪)へ、東北地区の車輌は同じく「おもいで」として東京や日光へ多くの修学旅行生を送り届けてきたのです。
▲伝統の「仙ココ」の所属標記も誇らしげ。'08.2.2 小牛田運輸区 P:RM(新井 正)
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▲側面の形式番号の車体標記は白文字ではなく当時の標記規程に則って朱色3号で入れられている。なんと行き届いた心配りだろうか。'08.2.2 小牛田運輸区 P:RM(新井 正)
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この修学旅行用800番代は修学旅行シーズン以外は一般用として使用するため、大きな設計変更はなされていないものの、客室内には食事や学習に便利なように脱着式のテーブルが設けられたほか、修学旅行用電車と同様に、客室に速度計や丸型の電池時計が設置されるなど、修学旅行生への細やかな配慮がなされていました。

kiha58omoidehyouki.tuma.jpg155系電車などと同じく黄5号と朱色3号の修学旅行色に塗られ、多くの歓声を乗せて走り続けてきた800番代ですが、修学旅行用としての運用は昭和40年代後半までがピークでした。それ以降は修学旅行そのものが新幹線利用などに移り変わってゆき、いつしか気動車を延々と乗り続けて目的地へと向かう旧来のスタイルは時代にそぐわなくなってゆきます。特徴的な塗色も1978(昭和53)年の規程改正で取りやめとなり、順次一般色に変更されて、1980年代に入ると完全に消滅してしまいました。
ちなみに、私が最後に800番代の修学旅行色車に乗ったのは会津・只見線のC11がまだ健在だった1974(昭和48)年8月9日、多客臨の「ばんだい53号」のキハ28 812〔仙コリ〕でした。非冷房車ゆえ上野を出る時から窓を全開にし、当時極めて線路状態の悪かった東北本線の激しい揺れにひやひやしながら車内の速度計を凝視していたのを鮮やかに思い出します。
▲塗色変更と各部の検査は郡山総合車両センターで約2箇月をかけて行われた。'08.2.2 小牛田運輸区 P:RM(新井 正)
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今回の修学旅行色車は、今秋から実施される仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合せて企画されたものだそうです。車輌自体の検査期限は今年12月まで。まさに期間限定の有終の花道と言えましょう。

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▲新“成田エクスプレス”E259系イメージ図。(JR東日本提供)
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JR東日本より、今日の定例社長会見で成田エクスプレス用新型車輌E259系の概要が発表となりました。「N’EX」の愛称で親しまれている253系成田エクスプレスが運転を開始したのが1991(平成3)年、早いもので17年の歳月が流れ、日本の表玄関=成田空港へのJRアクセスもついに世代交代の時期を迎えることになります。

NEX002n.jpg今回発表されたレンダリングによると、ボリューム感のある貫通型前頭部がまず目を引き、先代とはまったく異なったイメージを受けますが、側面幕板部の黒と肩部の赤は253系を踏襲しているように見受けられます。車体はアルミニウム合金製、制御方式は当然ながらVVVFインバータ制御方式を採用。最高速度は130㎞/hで、E233系と同様に、信頼性・安全性向上のため電気機器や保安装置など主要機器が二重系化されます。先頭車にはアクティブサスペンション(動揺防止装置)を装備するとともに、全車輌の車体間にダンパを設けて乗り心地の向上を図るほか、床構造も改良して静粛性を高めるそうです。
▲親しまれきたN'EXのロゴはどうなるのかも注目される。'90.12.29 大船電車区 P:RM
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シートピッチも普通車1020㎜、グリーン車1160㎜に拡大、車椅子対応大型トイレや数ヶ国語による案内表示など、いわゆるユニバーサルデザインが全面的に採用されます。また、荷物置場には盗難防止用の鍵が設置されるほか、出入口付近や荷物置場には防犯カメラが設けられ、より一層のセキュリティー向上が図られる予定だそうです。

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▲今から18年前、誕生したばかりの253系報道公開時の颯爽とした姿。車体は鋼製で、今やその点でも時代を感じさせる。'90.12.29 大船電車区 P:RM
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リリースによると投入時期は来年2009年秋以降、4M2Tの6輌編成22本(合計132輌)が製造される予定です(253系は総輌数111輌)。数々の意欲的コンセプトを伴って誕生した先代成田エクスプレス253系は、思えばJR東日本の特急車輌としては最後の直流モーター新製車輌でもありました。その面でも今回の世代交代発表は感慨深いものがあります。

南海8000系登場。

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▲和歌山市方から見た8000系。カラーリングは従来通りブルーとオレンジの帯を配したものが踏襲されている。’08.2.1 住ノ江検車区羽倉崎支区 P:RM(高橋一嘉)
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昨年11月の製作発表以来、関西の電車ファンの熱い注目を集めていた南海電鉄の新型通勤車8000系の鉄道雑誌社向けの報道公開が行われました。小誌編集部からは高橋一嘉君が取材に出向いてくれましたので、誌面より一足先にダイジェスト画像をご覧にいれることにいたしましょう。

nankai8000face.jpgこの8000系は従来の1000系に代わる新型通勤車で、既報の通り、一人当たりの座席幅の拡幅、ホームと床面の段差の縮小、貫通路幅の拡幅、そして車内握り棒の増設など、これまで以上にバリアフリー化を推し進めた車輌となっています。写真でおわかりのように、エクステリアデザインも従来の南海電車とは趣が異なっていますが、室内も片持ち式の腰掛の採用と合わせて、これまでの南海電車とは一線を画する印象となっています。

▲難波方先頭車の8001は前パン・ホロ付きで精悍な印象を受ける。’08.2.1 住ノ江検車区羽倉崎支区 P:RM(高橋一嘉)
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▲立ち座りを容易にする曲線形状の握り棒が設置された車内。’08.2.1 住ノ江検車区羽倉崎支区 P:RM(高橋一嘉)
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ちなみに関西のファンの方なら先刻ご承知のことと思いますが、8000系という系列名は1975(昭和50)年に登場した高野線用のチョッパ制御試作車(現在は6200系に改造編入)が名乗っていたことがあり、今回は2代目の8000系ということになります。

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▲乗務員室の間仕切りを見る(左)。車体断面は裾絞りとともに上部もわずかに内側に傾斜した卵型であることがわかる。運転台は横軸式のマスコン(左)とブレーキハンドル(右)が備わる2ハンドル式。乗務員室は連結時には貫通路と完全に仕切れる構造である。’08.2.1 住ノ江検車区羽倉崎支区 P:RM(高橋一嘉)
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今回登場した編成は両端を電動車とした2M2Tの4輌編成で、従来の1000系との併結も可能。まずは今春から2編成が南海線系統(南海線、空港線、和歌山港線)に投入されるとのことで、今後は南海線の7000系置き換え用として増備が進められることになります。なお、詳細は本誌今月発売号でお知らせできる予定です。

烏來台車の決定版。

uraihyou1.jpg台湾の洪致文さんから『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』と題する新刊を頂戴しました。烏来(ウーライ)は台北から1時間ほどの台北県最南端に位置する景勝地で、烏来の語源がタイヤル族の温泉を意味する古語からきていると伝えられるように、現在では台湾有数の温泉地としても広く知られています。そして古くからこの烏来郷の交通機関として親しまれてきたのが「台車」と称する人車軌道です。現在では車輌も動力化されすっかり観光用となっていますが、本書はこの烏来台車の歴史を、豊富な資料と写真によってひもとく異色の一冊です。
▲『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』表紙。行政院農業委員会林務局発行/230×165㎜判オールカラー252頁/定価350元(日本円換算約1200円)
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▲巻頭の歴史編では多くの貴重な写真を用いて台湾の「台車」の歴史を詳述している。日本時代の台湾総督府が定めた「台湾私設軌道規程」がその基礎となっており、人力や水牛などの畜力(右)はもとよりのこと、“風帆”による風力鉄道(左)も出現したそうだ。かつて本ブログで風車鉄道を紹介したことがあるが(→こちら)台湾にも実用例があったとは…。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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urai3n.jpg今でこそすっかり姿を消してしまいましたが、かつてこの「台車」と呼ばれる人車軌道は台湾各地で目にすることができました。本書所収の洪致文さんの研究によると、その発端は日本時代の1912(明治45)年に台湾総督府が制定した「台湾私設軌道規程」に遡り、同規程が蒸気、ガソリン、電気等の動力を認めず、人力、畜力によるものとしたことから独特の発達が始まったとされます。施行からわずか3年後の1915(大正4)年には台湾全土で延長697マイル(約1115km)、台車総数5363輌にも達したそうですから、民間企業を中心にいかにこの規程が歓迎されたかが伺い知れます。ちなみに、ほぼ同時期に日本本土で施行された「軽便鉄道補助法」(1911年)が爆発的な軽便鉄道敷設ブームを巻き起こすのと機を一にしているのも注目されます。
▲現在はバッテリー動力によって観光鉄道となっている烏来。今では日本からも多くの観光客が訪れる。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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▲洪致文さんが担当した「日本時代台灣的輕便軌道與労資問題」。戦前の日本時代に特異な発展を遂げた「台車」の消長を数々の統計と写真を用いて説き明かしている。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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本書はおおまかに歴史編、携わった人々のオーラルヒストリー、軌道跡探訪、そして第一期工事が完了した烏来台車博物館の紹介で構成されており、歴史的写真がふんだんに盛り込まれています。なかでも注目されるのは百ページ以上を割いている歴史編で、単なるトロッコと思われがちな「台車」が、日本の殖民地政策の中で殖産の手段としてどのような発展を遂げてきたのかが、多くの資料を交えて綴られています。主題である烏来台車にしても、三井財閥による森林開発と製茶事業が誕生の背景にあることが知れます。なお、折込付録として烏来にまつわる戦前の絵図が2点添えられていますが、うち1点は鳥瞰図絵師として知られる吉田初三郎が1935(昭和10)年に描いたもので、これまた貴重な資料といえましょう。

urai6n.jpgところで本書を送ってくれた洪致文(Hung Chih Wen)さんは、台湾鉄道趣味界の若手のホープ…というより今や第一人者のお一人です。台湾の鉄道趣味の開拓者でもあり最長老の古仁榮先生から紹介を受けて最初にお会いしたのが1993年2月のことですから、早いものでもう15年も前のことになります。洪さんは当時、国立台湾大学の学生でしたが、すでに前年に最初の著作である『台湾鐵道傳奇』を上梓、あっという間に数々の賞を受賞され、日本にもその名が聞こえはじめていた頃でした。その後、ご専門の大気科学の学位取得のためカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学、現在では台北で学者としての日々を送っておられます。
▲烏来台車博物館では経験者による伝統的な「台車」の製作方法を記録に残す取り組みも行なわれているという。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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smallrailstothemine.jpgその洪致文さんが先鞭をつけた感のある台湾の鉄道図書出版ですが、この十年ほどで実に多くのテーマが書籍化されてきました。残念ながら途中頓挫してしまった鉄道雑誌もあったものの、質量ともに驚くべき発展ぶりといっても過言ではないでしょう。かつて主要橋梁や隧道にはトーチカが建てられ歩哨が監視していた状況を思うと、まさに隔世の感と言わざるをえません。そんな中、この『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』を手にして久しぶりに本棚から取り出してみたのがチャールズ.S.スモールさんの『RAILS TO THE MINE』です。
▲C.S.スモール氏による『RAILS TO THE MINE Taiwan's Forgotten Railways』(1978年)。台湾の「台車」の世界を総合的に紹介した初めての本であった。

ちょうど30年前、戒厳令下だった台湾の「台車」、つまりは人車鉄道を克明に調査したこの本は、フォトジェニックな写真や手書の美しい線路配線図とあいまって、深く心に刻まれる一冊でした。この本で烏来台車のゲージ(545㎜)がフィート・インチでもメトリックでもなく、和式の尺と寸に基づいている(1尺8寸)ことを初めて知ったのも昨日のことのように覚えています。それだけに今回の『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』巻末の多くの参考文献の中に、このスモールさんの『RAILS TO THE MINE』が見出せなかったのは、個人的には少々残念な気もします。

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▲ランドマークホールならではの大スクリーンを用いた映像放映も会場を盛り上げてくれる。'08.2.2

4年目を迎え冬の鉄道模型イベントとしてすっかり定着した感のある「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」が昨日から始まっています。会場はこれまたお馴染みとなったランドマークタワー隣のランドマークホールです。

IMGP5565an.jpg場所柄と入場無料ということもあってか、年々ファミリー層のギャラリーが増加しているこの「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」ですが、今年はこれまでにも増してたいへんな人気ぶりで、延々と入場制限の列が続く大盛況となっています。このイベントの特徴のひとつともいえる鉄道事業者や車輌メーカーのブースは、オリジナルグッズを買い求めようというお客さんで終日大賑わい、近付くのもたいへんなほどです。
▲会場はランドマークプラザの5階。吹き抜けの回廊から見ると5階だけえらい混雑ぶり。'08.2.2
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▲もちろん弊社もブースを構えて各種書籍とホビダス関連商品を販売中(左)。電鉄など鉄道事業者や車輌メーカーのブース(右)が多いのもこのイベントの特徴。'08.2.2
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なかでも超人気なのが相模鉄道と東急車輛から発売された限定モノの「鉄道コレクション」。相鉄からは5000系2輌セットと6000系2輌セットが、東急車輌(電車市場)からは東急旧7000系2輌セットが限定発売されています。(詳しくは「RMMスタッフブログ」参照→こちら

IMGP5558an.jpg会場の若い熱気に気おされながらも、現役蒸機とともに青春時代を過ごした私たちの世代にとって朗報だったのが、天賞堂がサンプルを発表した10系気動車(1/80)です。同社のプラスティックモデルコレクションの予定品で、アナウンスされているラインナップはキハ11、12、17の3形式。今秋発売の予定だそうですが、DT19のあのリジッドな乗り心地や座面の低い椅子、それに室内の排煙筒カバーなどに“同時代”感を抱く皆さんには待ち遠しい製品となりそうです。
▲天賞堂ブースに展示されたプラ製キハ10系のサンプル。ひときわ注目を集めていた。'08.2.2
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▲カメラカーとサウンドコントローラーを駆使したトミックスのデモ運転にはファミリーギャラリーも釘付け。'08.2.2

この「ヨコハマ鉄道模型フェスタ2008」、明日(3日・日曜日)は11時から18時までの開催です。春節をさ来週に控えた中華街散策と兼ねてご家族でお出でになってみられてはいかがでしょうか。

※「ヨコハマ鉄道模型フェスタ2008」公式HPは→こちら

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▲かつてのクモル+クルを思い出させるキヤ97定尺レール輸送用編成。フロントに設けられたデッキが目をひく。'08.1.31 穂積 P:岡田誠一
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一昨年秋に製作発表されたJR東海の新しいレール運搬用車輌の一部が完成、客車気動車研究家の岡田誠一さんがその試運転中の姿を送ってくださいましたのでさっそくご紹介して見たいと思います。

kiya97.2a.jpg今回落成したのは定尺レール(25m)運搬用の気動車2輌による編成。注目の形式称号は現車の車体標記によればキヤ97-3とキヤ97-103。一昨年のプレスリリースによれば4編成(8輌)が誂えられることになっています。フロントデッキ(?)付のこれまでに類例のない精悍な表情の2輌は背面結合式で編成を組み、荷台部分に両車に跨るかたちで定尺レールが積載されます。やはり車体標記によれば自重は28.6t、製造会社は日本車輌となっています。
▲名古屋駅に姿を現したキヤ97。塗装は警戒色の黄色が中心となっている。'08.1.31 名古屋 P:岡田誠一
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▲一昨年に発表されたレンダリング。こちらは今後登場予定のロングレール用編成で、前頭部形状も大きく印象が異なる。(JR東海プレスリリースより)

JR東海では在来線12線区のレールを浜松と名古屋(名古屋港)の2ヶ所のレールセンターが受け持ち、従来、レール専用貨車(チキ車)を機関車が牽引する方式で交換用レールを運搬、年間約190kmのレール交換を夜間を中心に行っていますが、今後はこのキヤ97一族がその任を担ってゆくことになります。

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▲フロントデッキ回り(左)。特徴的な自連が備わる。右は背面結合の連結面。'08.1.31 尾張一宮 P:岡田誠一
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▲定尺レール用編成は動力車2輌による背面結合式。レールは片側の荷台に固定される形となる。(一昨年のJR東海プレスリリースより)

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▲レール固定装置を持つキヤ97-103の荷台(左)と、対向のキヤ97-3の乗務員室背面(右)。エキゾーストパイプが立ち上がっているのがわかる。'08.1.31 尾張一宮 P:岡田誠一
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▲形式称号の車体標記(左)。車票差しのような枠に注意。積空の換算(右)がちょうど2倍違うのも、レール運搬という特殊な任務ゆえ。'08.1.31 尾張一宮 P:岡田誠一
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▲短いながら乗務員扉より後ろは未塗装のステンレスにブルーの帯となっている。このキヤ97の投入によって今後は機関車の動向も注目される。'08.1.31 穂積 P:岡田誠一
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数ヵ月後には動力車8輌+付随車5輌よりなるロングレール(200m)運搬用バージョン(1編成13輌)もお目見えする予定で、こちらもどんな車輌になるのか今から楽しみです。

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