鉄道ホビダス

東武鉄道啓志線のこと。(上)

keishiph3.jpg
東京23区内といえども、歴史的にはいまだにその実像がはっきりしない、いわば“謎の鉄道”がいくつか存在します。そのなかでも路線延長6.3㎞と長く、しかも旅客輸送まで行っていながら、写真はもとよりその輸送実態さえほとんど解明されていないのが東武鉄道「啓志線」です。
▲34年前、返還直後のグラントハイツ全景。現在の光が丘公園から都立田柄高校方面をのぞんだ状況で、左の広大な空き地が「啓志駅」跡にあたる。'74.6
クリックするとポップアップします。

東上線上板橋駅から現在の光が丘地区を結んでいた「啓志線」は、敗戦後の米軍駐留、朝鮮戦争、そして返還というめまぐるしい歴史の狭間に沈み、その存在さえほとんど忘れ去られていました。そんな啓志線にはじめてスポットライトをあてたのが、ほかならぬ“トワイライトゾ?ン”でした。連載4回目、1990年12月号でとり上げた「消えた“啓志”」は大きな反響を呼び、これを端緒として、従来まったく発見されていなかった列車写真が発掘されるに至りました。後年発行された『東武鉄道百年史』(1998年)や『RAILWAY 100 ?東武鉄道が育んだ一世紀の軌跡?』(1998年/東武鉄道社史編纂室)にもその成果は反映されており、“トワイライトゾ?ン”の功績のひとつとして今も誇らしく思っております。この正月、現地を再訪いたしましたので、ここで改めてもう一度この「啓志線」を振り返ってみることにいたしましょう。

keishimap1na.jpg
▲1万分の1地形図に見る啓志線。東武東上線上板橋駅下り方で分岐した啓志線は川越街道を突っ切って西進、自衛隊練馬駐屯地の南をかすめて「田柄たんぼ」と通称された広大な農地の中を走り、グラントハイツ手前で熊手状に分岐している。地形図上の表記は「東上貨物線」だが、昭和30年代の市販住宅地図のなかには「啓志」の文字が記載されているものもある。地理調査所発行1:10000地形図「練馬」「石神井」(1959=昭和34年発行)より加筆転載。
クリックするとポップアップします。

都営地下鉄大江戸線の終点・光が丘は、現在では大規模な団地と多くの商業施設が立ち並ぶ一大都市と化していますが、もとを正せば戦時中に「本土空襲」に備えて急造された日本陸軍の飛行場でした。1943(昭和18)年10月に開設されたこの陸軍成増飛行場には飛行第四七戦隊(3中隊編成、のちに体当たり専門の震天制空隊も編成)が居を構え、二式単座戦闘機「鐘馗(しょうき)」70?90機をもって飛行3分以内に皇居上空まで到達するのを使命とする防空体制をとっていたと伝えられます(『練馬区史』1981年)。

keishiph2.jpg
▲戦後の練馬の象徴でもあったグラントハイツ暖房工場の巨大な2本煙突。上級仕官住宅であったグラントハイツは開設当初からセントラルヒーティングで、この暖房工場がその中枢を担っていた。なお、2本煙突と暖房工場建物はこの写真を撮影した翌年に跡形もなく取り壊されてしまった。'74.6
クリックするとポップアップします。

1945(昭和20)年3月9日と4月5日にB29の空爆を受けながらも、成増飛行場はそれほど大きな被害を受けぬまま敗戦を迎え、8月24日には早くも米軍が視察、ただちに占領軍第2230部隊が進駐し、上級士官向けの家族住宅を建設することとなりました。うがった見方をすると、米軍ははなから都心に近いこの成増飛行場を接収して活用することを目論んでいたのかもしれません。

hikarigaoka1n.jpgさて、この米軍仕官住宅建設に伴う輸送ルートとして浮上したのが、東武東上線上板橋駅下り方の北部信号所から分岐して旧陸軍第一造兵厰練馬倉庫(のちの陸上自衛隊練馬駐屯地)まで伸びていた専用線の延伸です。なにせ進駐軍の命とあって建設工事は国鉄(運輸省)新橋工事区が担当、昼夜をわかたぬ文字通りの突貫工事の末、1946(昭和21)年3月に上板橋駅から旧成増飛行場跡地の米軍住宅建設予定地まで延長6.3㎞の鉄道が完成しました。わずか半年ほどで用地の接収から線路敷設までを完了させたわけで、単純に考えても一箇月に1キロ近い勢いで延伸させていった計算となります。
▲光が丘現況。商業施設群を南北に貫く道(画面中央の橋)がもと成増飛行場の主滑走路(延長1200m)である。右下のバスが停まっている所が都営大江戸線の光が丘駅出口。後方の煙突は清掃工場のもの。'08.1.6
クリックするとポップアップします。

keishiph1.jpg
▲解体を前に荒廃したグラントハイツ内の倉庫群。いったい何の建屋だったのかは知る術もないが、建築様式からしてひょっとすると日本陸軍成増飛行場時代からの建造物だったのかもしれない。'74.6
クリックするとポップアップします。

完成した路線を使って同年3月25日から建設資材輸送が開始されました。「横浜の米軍物資輸送本部から、山手線外廻り経由で、直通の二輌連結車が三○分おきに運転された」(承前『練馬区史』)とされるこの住宅建設工事は、米軍から要請を受けた東京都が「成増建設事務所」を設け、全国の大小建設会社80社と、のべ280万人の労働者、70万袋のセメントを投入する未曾有の大建設工事となったのです。

レイル・マガジン

2008年1月   

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.