鉄道ホビダス

2008年1月29日アーカイブ

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▲旧陸軍流山糧秣廠へと続く専用線。広大な敷地は民間に払い下げられたのちも高い塀に囲まれ、容易に中を伺うことはできなかった。簡易舗装の外周道路を懐かしい230グロリアが通り過ぎる。'79.3.9 流山糧秣廠専用線跡
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昨日まで3回にわたって29年前の総武流山電鉄の情景をご覧に入れましたが、トワイライトゾ?ン本家家元(?)としてはこれだけで終わるわけにはいきません。当時、流山の地には何とも謎めいた専用線跡が残されていたのです。

080124-029n72.jpg平和台駅上り方から本線に平行するように南西に分岐するこの線は、戦前の日本陸軍糧秣本廠流山出張所(流山糧秣廠)への専用線で、「専用線一覧表」によれば延長0.8km。「糧秣」とは現代では聞き慣れない言葉ですが、一言で言ってしまえば軍馬の餌で、これを生産・管理するのが糧秣廠です。千葉県、茨城県と牧草地が多く、かつ江戸川の水運も利用できることから、大正末期に東京から流山へと移転してきたと伝えられていますが、興味深いことにこの糧秣廠移転と流山鉄道の改軌(2’6”→3’6”)はほぼ同時期です。そうです、流山鉄道の改軌は糧秣廠の陸軍物資の省線への直通輸送を踏まえたものでもあったのです。
▲線路は格好の通学路でもあった。背後の市営住宅には軌道敷から直接出入りができるようになっている。'79.3.9 流山糧秣廠専用線跡
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▲荒廃した線路とは対照的に架線柱は凛として立ち並んでいた。木製の架線柱と鋼製の架線柱が混在している点に注意。電気機関車を持たないだけに、この専用線にも電車が入線したのであろう。'79.3.9 流山糧秣廠専用線跡
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敗戦とともに糧秣廠はその役目を終えましたが、広大な敷地は運輸省へと引き継がれ、戦後の一時期、国鉄の用品庫として使われていたといいます。1952(昭和27)年に大蔵省に所管変更されたのち民間に払い下げられたとされていますが、1951(昭和26)年版「専用線一覧表」(『トワイライトゾ?ン・マニュアル8』所収)では「東邦酒類株式会社、専用線種別=側線、赤城停留所分岐」と記載されており、すでにこの時点で民間会社が使用していたことになります。

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▲地形図に見る流山糧秣廠の位置。赤城(現平和台)駅の表記がないが、ちょうど糧秣廠の北東端あたりとなる。ちなみに、かつては江戸川の河岸までナローの軌道がのびていたという。(地理調査所発行1:25000地形図「流山」昭和33年発行より加筆転載)
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080124-028n72.jpg1979(昭和54)年時点でも廃線跡にはずらりと架線柱が立ち並んでおり、“電化専用線”という不思議な光景が展開していました。恐らく1949(昭和24)年の電化時にこの専用線も電化されたものと思われますが、そうなると貨車の出し入れは本線同様に電車(モハ100)が担当していたのでしょうか…。ちなみに流山電気鉄道は当初自前の変電所を持たず、国鉄から“買電”して電気運転を行っていましたが、うがった見方をすれば、この特異な給電方式の背景には旧糧秣廠国鉄用品庫の存在があったのかもしれません。
▲本線との分岐部分を見る。写真前方が平和台駅だが、列車はどういった運転取り扱いでこの専用線に入線したのだろうか。'79.3.9 流山糧秣廠専用線跡
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▲専用線跡は道草の誘惑がいっぱい。思えばこんな学校帰りの子供たちもとんと見なくなってしまった。画面奥に専用線門が見える。'79.3.9 流山糧秣廠専用線跡
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旧糧秣廠線がいったいいつ頃まで使われていたのかは定かではありませんが、貨物輸送量の推移を見ると1964(昭和39)年を境にほぼ半減しており、この頃に休止となったのかもしれません。1975(昭和50)年版の「専用線一覧表」の記事欄には「平和台停留所分岐、使用休止」と記されており、これが手もとの資料で確認できる最後の記録となっています。

nagareyamabook.jpg現在、流山糧秣廠跡はイトーヨーカドーや学校用地となって当時を偲ぶことはほとんどできません。ただ、流山市はこういった地域遺産の発掘にたいへん積極的で、流山市立博物館から調査研究報告として『流山糧秣廠』(1996年)が発行されております。余談ながら、同じ流山市立博物館調査研究報告『懐かしの流山 ?写真でみる日々の暮らし?』(1998年)では、市内の派川利根川改修工事の軌道なども極めて専門的な解説を付して紹介しており、その取り組みには頭が下がる思いです。同市には『総武流山電鉄の話 「町民鉄道」の60年』など数々の千葉県郷土史出版でも知られる崙書房もあり、その面では実に恵まれた土地柄といえるのかもしれません。
▲『懐かしの流山 ?写真でみる日々の暮らし?』流山市立博物館調査研究報告15(1998年3月20日/流山市教育委員会)

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