鉄道ホビダス

大変貌を遂げた晴海・豊洲地区を歩く。(上)

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▲ピーク時の170万トン/年(1967年)には及ばないものの、まだまだかなりの輸送量があった頃の都港湾局深川・晴海線の晴海埠頭ヤード。右端には1961(昭和36)年日立製の異色機D60-4の姿も見える。'79.5.9
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▲上の写真から10年後の同地点。ついに東京都臨港線にも最後の時が訪れた。D60-8に牽かれて越中島へと発車してゆく最終列車。'89.2.9

今日は江東区の森下文化センターが主催する市民講座「素晴らしき鉄道の世界」の講師を仰せつかり、豊洲文化センターを起点に、晴海や小名木川周辺の鉄道遺構などを受講生の皆さんと見て回ってきました。

harumikoato.jpg江東区といえば、錦糸堀車庫をはじめとした都電網が思い浮かびますが、今日の主テーマは東京港臨海部に独自の発展を遂げた東京都港湾局の臨港線です。昨年もこのブログで「消えた都営鉄道」としてご紹介していますが、東京都(東京市)の臨港線の歴史は意外なほど古く、1930(昭和5)年にまで遡ります。のちに国鉄に移管されたいわゆる芝浦貨物線がその嚆矢で、戦後の1953(昭和28)年になって国鉄小名木川貨物線を延長する形で「深川線」が建設されました。
▲そして同地点の現況。近年まで残っていたという機関庫もなくなってしまっている。ただ、踏切付近のレールは土に埋もれながらもかろうじて残っていた。'07.11.10
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▲手書きの「さよなら専用線」の紙が貼られた東京港埠頭公社専用線事務所(左)と同地点の現状(右)。'89.2.9/'07.11.10
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この深川線建設にともなって、国鉄は接続拠点として越中島貨物駅を新設(1958=昭和33年)、東京都もこの深川線を基幹として晴海埠頭への「晴海線」、豊洲地区への「豊洲物揚場線」、「豊洲石炭埠頭線」を延伸してゆきました。

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▲1万分の1地形図に見る最末期の深川・晴海線と豊洲石炭埠頭線、豊洲物揚場線。豊洲地区では豊洲鉄道運輸が運転管理を行なっていた。(国土地理院発行1:10000地形図「新橋」/昭和59年発行より加筆転載)
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一方、国鉄に移管した芝浦貨物駅の西側には「芝浦線」、日之出桟橋に「日の出線」を新設、東京都港湾局臨港線は昭和30年代には、深川・豊洲・晴海地区と芝浦地区を合わせて総延長24キロに達するまでになりました。もちろんこの都営線を頼って数多くの会社専用線が敷設されましたので、そのすべてを合わせると、東京港臨海部には全国屈指の臨海鉄道網が存在したことになります。

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▲昨年「消えた都営鉄道」でもご紹介した“春海橋”は、まるでここだけ時間が停まったかのように現役時代のまま残されている。ただし、クレーンが林立していた背景は高層ビル群に姿を変えている。'07.11.10

ただご多分に漏れず国鉄貨物輸送衰退の余波を受け、芝浦貨物駅の廃止によって日の出線・芝浦線が1985(昭和60)年に廃止、豊洲地区でも同年中に豊洲物揚場線が廃止され、翌年には深川線の一部と豊洲石炭埠頭線全線が廃止されてしまいました。これで残ったのは深川・晴海線(越中島?晴海埠頭間11.7km)だけとなってしまったわけですが、この最後の区間も1989(平成元)年2月9日をもって廃止となり、ここに都営臨港線の半世紀にわたる歴史は幕をおろしたのです。

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▲晴海機関区には2線の矩形庫があった。最後まで残されたのはD60-7とD60-8の2輌だけだった。後方に月島運動場の照明灯が見える。'79.5.9
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あれから18年、豊洲地区は信じられないほどの大変貌を遂げ、「物揚場」や「石炭埠頭」などという言葉とはおよそ縁遠いニュータウンへとその姿を変えています。臨港線跡地は道路化されるなどして今や遺構を見出すことも困難ですが、晴海運河を渡る「春海橋」だけはレールを撤去されることもなく、当時の姿そのままで残されています。

harumisaisyuubihana.jpg今回の“現地踏査”の最大の目玉はこの春海橋訪問です。持参した現役時の写真と見比べていただき、歳月のなかで何が変わり、そして何が変わっていないのかを現地で探っていただこうというわけです。橋梁そのものは何ひとつ変わらずに運河に架かっていますが、背後の風景は恐ろしいほどに一変してしまっています。かつてキリンと通称されるクレーンが林立していた石川島播磨重工業側の埠頭は高層ビル群と化し、対岸の石炭埠頭側には遥かお台場パレットタウンの大観覧車のイルミネーションがきらめいています。
▲最終列車の出発を前に“ミス東京港”から花束贈呈。ラストランナーとなったD60-8のキャブに輝く東京都のマークに注目。東京市以来のこの紋章も今では遠い過去のものとなってしまった。'89.2.9
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春海橋を渡った中央区側にあったかつての晴海機関区周辺は、まだ再開発されずにかろうじてその痕跡を留めており、ここではトップでお目にかけたような“3時代定点観測”も可能でした。

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