鉄道ホビダス

2007年11月17日アーカイブ

c57180n51n.jpg
▲上野尻発電所横をゆく標準デフに戻ったC57 180 の「SLばんえつ物語号」。上野尻ー徳沢間には並行道路がなく、発電所から石坂峠を越えて北上するルートは途中から旧奥川森林軌道の軌道跡と合流する。彼方の飯豊の山々はすでに冠雪している。'07.11.4 徳沢ー上野尻(8226レ)
クリックするとポップアップします。

容易に旧版地形図を手に入れられる現在と違い(「旧版地形図を手に入れるには…」参照)、学生時代は古書店や古書市だけが旧版地形図と出会える唯一の場でした。もちろん地域も年代も体系的・時系列的に入手することなど不可能で、たまたま売りに出ていた図幅を舐めるように見回し、見知らぬ鉄軌道表記を発見すると喜び勇んで購入する…そんな状況でした。

okukawakidou1.jpg
▲地形図にみる奥川森林軌道。本図では飯根付近で表記が途絶えているが、軌道そのものはさらに北方の久良谷沢にまで伸びていたという。(地理調査所発行1:50000地形図「野沢」「大日嶽」(昭和33/32年発行)より加筆転載)
クリックするとポップアップします。

そんな時代に手に入れた地形図に「大日嶽」、「野沢」、「熱塩」、「喜多方」、「若松」といった磐越西線沿線の5万分の1地形図があります。発行年代こそばらばらながら、実はどの図幅にも謎の軌道表記があり、いつかは調べてみたいものと買っておいたものです。

okukawa62n.jpgC57 180の牽く「SLばんえつ物語号」の有名撮影地でもある徳沢駅や日出谷駅からも謎の軌道表記が見られます。大日本帝国陸地測量部昭和8年発行の「大日嶽」を入手した学生時代は知る由もなかったのですが、この徳沢駅から奥川に沿って北上する軌道は、前橋営林局喜多方営林署の所管する奥川森林軌道で、さらに奥地に伸びる久良谷森林軌道と合わせて10キロ以上の延長を持つ、それなりの規模の林用軌道だったようです。
▲廃校となった中町の小学校下に残る軌道跡(写真①)。作業中の農婦は自宅脇を通っていた“山からのトロ”を朧げながら覚えていた。写真は上流側を見る。'07.11.4
クリックするとポップアップします。

okukawa61.jpg
▲同じ地点の下流側。画面右下に奥川が見える。道路は画面左側の一段高い河岸段丘上を通っており、逆に軌道は河川敷に寄り添うようなルートをとっていた。'07.11.4

開設は1912(明治45)年と言いますから、前橋営林局管内(福島・新潟・群馬・栃木・茨城各県)としては浪江森林軌道に次いで歴史ある軌道だったはずですが、残念ながら今日までこの軌道については写真・資料が発見されておらず、その実態は謎に包まれたままです。ちなみに軌道自体が撤去されたのは1960(昭和35)年。本誌11月号でご紹介した伊藤威信さんの紀行「昭和37年11月 晩秋の磐西・沼尻へ」のわずか2年前のことです。

okukawa63.jpg
▲軌道延長から見ればかなり下流側とはいえ、奥川は各所で渓谷のように狭隘な流れとなる。軌道は画面右の崖下を通っていたはず(写真①と②地点の中間)。'07.11.4

さて先日、旧版地形図を片手に現地を訪ねてみました。残念ながら時間の関係で起点側(徳沢駅側)の一部しか見ることはできませんでしたが、何箇所かは判然と軌道跡が残されており、半世紀近くにわたって人知れず走り続けてきた奥川森林軌道を、多少なりとも偲ぶことができます。

レイル・マガジン

2007年11月   

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.