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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2007年10月 7日

1号機関車の「惜別感無量」。

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▲鉄道記念物であるとともに重要文化財にも指定されている1号機関車の左サイドタンクに取り付けられている島原鉄道植木元太郎社長自筆の「惜別感無量」のプレート。昭和5(1930)年6月の文字も見える。'07.10.1
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C57 135をはじめ交通博物館から鉄道博物館へと移管された車輌の中には、展示方法が変わったことによって、従来目にすることの出来なかった部分が見られるようになったものが少なくありません。ピット内からインサイドシリンダーやバルブギアを見られるようになった1292「善光」や、回転する動輪を同じくピット内から見られるようになったマレー9856などがその代表格でしょう。

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▲1号機関車はエントランスホールからヒストリーゾーンに入ってすぐの所に展示されており、新橋~横浜間開業間もない頃の情景がフィギュアや音声を交えて再現されている。'07.10.1
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そんな中で個人的にちょっと嬉しかったのは、「1号機関車」の公式側側面が間近で見られるようになったことです。1号機関車の左側サイドタンクには島原鉄道の植木元太郎社長による「惜別感無量」のプレートが付けられていると聞いていましたが、ご存知のように交通博物館時代は機関車ホールの壁面に寄り添うような形で展示されていたため、公式側側面を見ることは出来ませんでした。

sekibetu13.jpg植木元太郎社長直筆によるこの「惜別感無量」のプレートには、1号機関車保存にまつわる遥か80年近く前の逸話があります。
1号機関車は鉄道開業に際して英国から輸入された5形式10輌のうちの1輌で、1871(明治4)年バルカン・ファンドリー社製の製番614。のちに神戸・大阪地区へ転じ、1909(明治42)年の規程改定で150形となったわずか2年後の1911(明治44)年に、160形4輌とともに開業用機関車として島原鉄道に譲渡されました。
▲交通博物館時代見慣れた非公式側側面。鉄道博物館では再現されたホームから公式側側面もつぶさに見ることができる。'07.10.1
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▲新製時にスチームドームが位置していたキャブ直前には単室の汽笛が備わる(左)。サイドタンク上には国鉄式吊り環が見える。右はまさにミュージアム・コンディションのキャブ内。'07.10.1

大正年間を通じて島原鉄道の主力機関車として活躍してきたようですが、昭和初期にわが国最初の営業用機関車を後世に残そうとする気運が盛り上がり、折りしも鉄道開業50周年(1921=大正10年)を記念して東京駅付近で開館した鉄道博物館(初代)に収蔵すべく鉄道省が島原鉄道と交渉を開始。結局、島原鉄道に代替機関車として600形656号(ナスミス・ウィルソン1897年製)を渡すことで交渉が成立し、1930(昭和5)年に鉄道省へと返還される運びとなりました。

sekibetu16n.jpg開業時から島原鉄道を支えてくれたこの機関車には植木社長自らとりわけ強い思い入れがあったようで、その壮行に際して自ら筆を取ったのが「惜別感無量」の銘板です。7月3日に諫早駅で記念式典が挙行され、同12日に甲種輸送で品川に到着した1号機関車には墨痕鮮やかに「送国宝第一号機関車」の幟まで立てられていました。
▲いわゆるバッファー・リンク式の連結器。バッファーの当て面は英国機だけにグーとグーのペア(アーカイブ「バッファーの話」参照)。'07.10.1
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昭和初期にこの1号機関車の保存にかけた人々、そして「惜別感無量」で送り出した社長…。77年後の「鉄道博物館」での晴れ姿を、きっと天国から満足げに見守っているに違いありません。