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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2007年7月29日

塩江温泉鉄道跡を辿る。(上)

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先週ご紹介したように、高松琴平電鉄仏生山車両所を訪ねた際、もうひとつ、かねてから気になっていた廃線跡も探ってきました。戦前に仏生山から塩江(しおのえ)温泉までを結んでいた塩江温泉鉄道の線路跡です。
▲仏生山駅からまっすぐに南下する道がもとの塩江温泉鉄道の軌道跡。主要道との交差点をはじめ各所に「ガソリン道」の道標が掲げられている。'07.7.22

shionoe02n.jpg現在の琴電仏生山駅前を南北方向に貫く道がかつての塩江温泉鉄道の軌道跡で、そのホームは先日600形の搬出作業が行われた車両所駐車場のあたりに相当するはずです。この軌道跡、仏生山駅前の周辺案内図を見ると、なんの断り書きもなくいきなり「ガソリン道」と表記されており、噂には聞いていたものの、廃止後60年以上を経た現在でも、地元では“ガソリンカー”が走った塩江温泉鉄道が語り継がれているのを実感しました。
▲「ガソリン道」の道標。廃止から60年以上の歳月を経ても、地元ではまだ塩江温泉鉄道が生きている。'07.7.22

shionoe21n.jpgさて、仏生山駅からひたすらまっすぐに南下する軌道跡の道路を進むと、何箇所かの交差点に立派な「ガソリン道」の道標が設置されているのが目に入ります。これまたなんの注釈もなく、謂れを知らぬ者にとっては首を傾げることしきりでしょう。事実、なかには“ガソリン税で造られた道”と妙な解釈をする方もおられるくらいです。
▲先日ご紹介した仏生山車両所からの600形搬出風景。実はこのあたりが塩江温泉鉄道の仏生山駅跡。'07.7.22
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shionoemap2nn.jpg塩江温泉鉄道は讃岐山脈中央の温泉街・塩江と琴電の仏生山を結ぼうと1929(昭和4)年に開業した延長16.1kmの非電化軽便鉄道で、金毘羅参りで賑わう琴電の支線的性格を帯びていました。実際、開業時の社長は琴電の社長が兼務し、本社も高松市内の琴電本社に併設されていたそうですから、まったくの子会社といってよいかもしれません。開業から十年も経たない1938(昭和13)年には戦時統合の波もあって琴電に正式に吸収合併され、琴平電鉄塩江線となり、しばらくは営業を続けていたものの、湯治客輸送を目的とした路線ゆえに不要不急路線として1941(昭和16)年5月に廃止、車輌を含めた資材は外地へと供出されてゆきました。
▲5万分の1地形図に見る塩江温泉鉄道。仏生山からまっすぐに南下した軌道は、岩崎駅付近から香東川の渓谷沿いに塩江温泉を目指す。(内務省地理調査所発行1:50000地形図「志度」/昭和3年修正測図・昭和7年鉄道補入・昭和22年発行より)
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▲加羅土(からと)駅を出たあたりの地点に残る塩江温泉鉄道の隧道。この付近は小さな峠となっており、軌道はこの隧道を穿って岩崎駅へと向かっていた。'07.7.22
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この塩江温泉鉄道の最大の特徴は、その軌間が4フィート8 1/2インチ(1435㎜)だったことです。琴電との連絡を考えて標準軌を選択したのでしょうが、わが国で標準軌を採用した唯一の内燃鉄道でした。

shionoe04n.jpgひたすらまっすぐな「ガソリン道」も3キロほど進むと讃岐山脈の裾部に達します。このもと加羅土駅付近に塩江温泉鉄道の隧道がほぼ当時のままの姿で残されていました。後年設置された「ガソリン道」の道標はともかく、仏生山から来て初めての遺構らしき遺構の出現です。隧道の断面積は意外に大きく、ひょっとすると将来的発展を考慮して琴電の車輌定規を援用したものなのかも知れません。さて、線路はこのあたりでささやかな峠を越え、再び平野部に戻ったのち、岩崎付近で西側から合流してくる香東川(ことうがわ)に寄り添うように、いよいよ山中へと分け入ってゆきます。
▲この伽羅土の隧道(画面中央奥)付近にも「ガソリン道」の道標が見られる。'07.7.22