鉄道ホビダス

2007年7月アーカイブ

「おもちゃ電車」発車!

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▲白い“いちご電車”に対して真っ赤な塗装の“おもちゃ電車”。車号は2276+2706の2輌。'07.7.28 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)
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昨年4月の南海電鉄からの経営移管以降、“いちご電車”の投入やネコ駅長の就任など、次々と新たな施策を打ち出す和歌山電鐵(名称はわかやま電鉄貴志川線)に、今度は“おもちゃ電車”が登場しました。既報のとおり当初のデビュー予定は7月22日(日曜日)だったのですが、参院選とぶつかりそうなため一週間延期して7月29日(日曜日)お披露目としたものの、今度は選挙が一週間延びて結局バッティングしてしまうという“オマケ”付きのデビューです。

2270omoden03n.jpgこの電車は、地元和歌山を拠点にインターネット上でおもちゃの通信販売を手がけるT.J GrosNetが、わかやま電鉄のサポーターとなり実現したものです。車内は“走るおもちゃ屋さん”というテーマの通り、おもちゃの自動販売機、いわゆる“ガチャポン”が10基設置され、わかやま電鉄のオリジナルグッズやおもちゃの販売が行われます。また、大型のショウウインドウも設置され、プラモデルの完成見本など、各種おもちゃの展示も行われます。
▲屋根上はクーラーのキセや配管類まで徹底して赤く塗られている。'07.7.28 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)
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▲貴志方の2706号の車内。右に見えるのがおもちゃ展示用のショウウインド。“いちご電車”同様にサービスカウンターも設置されている。
'07.7.28 P:RM(高橋一嘉)

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▲天然の楢材が多用された車内(2276号)。腰掛のバラエティが楽しく、またカーテンも2種。各車1箇所にスタンションポールも設置されている。
'07.7.28 P:RM(高橋一嘉)

デザインは“いちご電車”に続いて水戸岡鋭治さんとドーンデザイン研究所が担当し、内装には“いちご電車”と同様に天然の楢材が多用されていますが、今回はさらにグレードアップ、腰掛のデザインだけでも8種類以上となり、幼児用のサークルまで設置されるなど、大変凝ったものとなっています。車内に入るとどの席に座ろうか迷うこと請け合いで、乗って楽しい、見て楽しい、“走るおもちゃ箱”ともいうことができるでしょう。

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▲2276号に設置された“ガチャポン”。現在は貴志川線オリジナルグッヅのほか、カプセルプラレール、機動戦士ガンダム、キューピー×Rody、獣拳戦隊ゲキレンジャー 、プリキュア5のカプセルが入っている(左)。各種腰掛の中にはこんな腰掛も。もちろん座席間のパーテーションではなく、座席の真ん中に子供用の木馬のように動物の頭が飛び出している。実質的に子供専用席(右)。'07.7.28 P:RM(高橋一嘉)
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▲2706号の車内中央にはなんとベビーサークルが。大人は入らないように…(左)。2276号の車端の腰掛。こちらはカップルに喜ばれそうだ(右)。'07.7.28 P:RM(高橋一嘉)
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tama2n.jpgこの“おもちゃ電車”、7月29日に貴志駅のネコ駅長“たまちゃん”も列席のもと行われたお披露目式典の後、伊太祁曽発16時20分和歌山行から営業運転を開始しました(おもちゃ電車充当列車時刻表はこちら)。 増発によるフリークェンシーの向上や、話題づくりを伴う各種の積極的な施策によって、わかやま電鉄の利用客は一割近い伸びを見せているそうで、苦戦するローカル私鉄が少なくないなかで、今後はビジネスモデルとしても注目を集めそうです。
▲貴志駅の名物・ネコ駅長の“たまちゃん”は今日も「勤務」だ。'07.7.28 P:RM(高橋一嘉)

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香東川沿いの渓谷に分け入った軌道は、岩崎、鮎滝、関とかつての駅跡をトレースしながら、国道193号線の対岸を自転車道となって続きます。戦前に廃止された鉄軌道としては珍しいほどに判然と軌道跡が残っているのは、主要国道と川をはさんで並行していた線形が幸いしたのでしょう。
▲川の中に忽然と取り残された第四香東川橋梁の橋脚群。60年以上の歳月を経ながらも、塩江温泉鉄道の忘れ形見としてしっかりとその形をとどめている。'07.7.22
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shionoe06n.jpgところで塩江温泉鉄道を走った車輌は、川崎車輌製の片ボギー気動車5輌がすべてです。同社が最初に手掛けた気動車でもあるこの40人乗りガソリンカーは、車体前後を絞った特異なスタイルで、日本離れしたデザインの車輌でした。詳しくは湯口 徹さんの『内燃動車発達史』をご覧いただくとして、これらのガソリンカーは塩江温泉鉄道廃止後、中国東北部にわたり、満州国新京の路面電車として復活を果たします。2軸のブリル21E台車に履き変えて“電車”と化した姿は、かの臼井茂信さんがお撮りになっていますが、戦後の消息は知れません。
▲「道の駅」の観光看板にも「21世紀に残したいガソリン道」として塩江温泉鉄道跡が紹介されている。気動車の姿形も結構リアル。'07.7.22
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▲岩部から終点の塩江には高い橋梁で香東川を一気に越えていた。塩江側の築堤は跡形もないが、ここにもコンクリート製の橋脚が残されている。'07.7.22

shionoe08n.jpgさて、関を過ぎると自転車道はいったん途絶えますが、旧安原駅付近から再び小路となって姿を現します。このあたりまで来ると香東川の渓谷もかなり狭くなり、軌道跡の小路も対岸の国道も小刻みにカーブを重ねて上流へと向かいます。旧中村駅付近を過ぎると香東川は東へと向きを変え、軌道もさらに狭隘な渓谷へと進んでゆきますが、この付近に残されているのが、さながらイースター島のモアイ像のようにずらりと並んだ6基の巨大な橋脚です。第四香東川橋梁の遺構で、地形図や残された絵葉書から判断するに、渡河するための橋梁ではなく、急峻な崖となった川岸をトラバースするための橋梁だったようです。
▲同じ橋脚を別角度から見る。画面前方が塩江方。ずいぶんと高度があるように見えるが、実際は手前の岩部方は山の中腹の隧道に接続していたようだ。'07.7.22
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橋脚はほかにもいくつか残されており、最終区間の岩部?塩江間のものは香東川と国道を跨いでいたかなりの高さがあるものです。旧版地形図によれば、岩部から勾配で高度を稼いだ軌道は隧道で香東川右岸に飛び出し、すぐにこの橋梁で対岸へと渡っていました。

shionoetirashi1n.jpg終点の塩江駅跡は現在の「道の駅」の手前あたりに相当するものと思われますが、残念ながら何の痕跡も見出すことはできませんでした。塩江温泉は現在も結構な賑わいを見せており、湯の香漂う温泉街には観光客がひっきりなしに行き来しています。そのなかで沿線観光案内の看板にまたしても「ガソリン道」の表記を発見。21世紀に残したい地元の近代化遺産としてしっかりと顕彰されているのは嬉しい限りです。「道の駅」で配られている観光リーフレットにも「昭和4年?昭和16年の間は高松市(仏生山)から塩江まで鉄道が通り、ガソリンカーが多くの観光客を運んでいました」と塩江温泉鉄道が写真付きで紹介されています。
▲塩江温泉の観光リーフレットにも「ガソリンカー」はしっかりと記載されている。第四香東川橋梁も「現在も残るガソリンカーの鉄橋跡」として紹介されている。
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▲開業間もない頃の塩江駅付近を走る塩江温泉鉄道の気動車。この遠景からも標準軌であるのと特異な車体構造が見てとれる。絵葉書所蔵提供:関田克孝

駆け足での訪問でしたが、わずか12年ほどで消えたこの塩江温泉鉄道が、「ガソリン道」の名とともに今でも地元の人びとに愛され続けていることがわかったのが、今回のミニ・トリップの最大の収穫だったといえるのかもしれません。

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先週ご紹介したように、高松琴平電鉄仏生山車両所を訪ねた際、もうひとつ、かねてから気になっていた廃線跡も探ってきました。戦前に仏生山から塩江(しおのえ)温泉までを結んでいた塩江温泉鉄道の線路跡です。
▲仏生山駅からまっすぐに南下する道がもとの塩江温泉鉄道の軌道跡。主要道との交差点をはじめ各所に「ガソリン道」の道標が掲げられている。'07.7.22

shionoe02n.jpg現在の琴電仏生山駅前を南北方向に貫く道がかつての塩江温泉鉄道の軌道跡で、そのホームは先日600形の搬出作業が行われた車両所駐車場のあたりに相当するはずです。この軌道跡、仏生山駅前の周辺案内図を見ると、なんの断り書きもなくいきなり「ガソリン道」と表記されており、噂には聞いていたものの、廃止後60年以上を経た現在でも、地元では“ガソリンカー”が走った塩江温泉鉄道が語り継がれているのを実感しました。
▲「ガソリン道」の道標。廃止から60年以上の歳月を経ても、地元ではまだ塩江温泉鉄道が生きている。'07.7.22

shionoe21n.jpgさて、仏生山駅からひたすらまっすぐに南下する軌道跡の道路を進むと、何箇所かの交差点に立派な「ガソリン道」の道標が設置されているのが目に入ります。これまたなんの注釈もなく、謂れを知らぬ者にとっては首を傾げることしきりでしょう。事実、なかには“ガソリン税で造られた道”と妙な解釈をする方もおられるくらいです。
▲先日ご紹介した仏生山車両所からの600形搬出風景。実はこのあたりが塩江温泉鉄道の仏生山駅跡。'07.7.22
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shionoemap2nn.jpg塩江温泉鉄道は讃岐山脈中央の温泉街・塩江と琴電の仏生山を結ぼうと1929(昭和4)年に開業した延長16.1kmの非電化軽便鉄道で、金毘羅参りで賑わう琴電の支線的性格を帯びていました。実際、開業時の社長は琴電の社長が兼務し、本社も高松市内の琴電本社に併設されていたそうですから、まったくの子会社といってよいかもしれません。開業から十年も経たない1938(昭和13)年には戦時統合の波もあって琴電に正式に吸収合併され、琴平電鉄塩江線となり、しばらくは営業を続けていたものの、湯治客輸送を目的とした路線ゆえに不要不急路線として1941(昭和16)年5月に廃止、車輌を含めた資材は外地へと供出されてゆきました。
▲5万分の1地形図に見る塩江温泉鉄道。仏生山からまっすぐに南下した軌道は、岩崎駅付近から香東川の渓谷沿いに塩江温泉を目指す。(内務省地理調査所発行1:50000地形図「志度」/昭和3年修正測図・昭和7年鉄道補入・昭和22年発行より)
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▲加羅土(からと)駅を出たあたりの地点に残る塩江温泉鉄道の隧道。この付近は小さな峠となっており、軌道はこの隧道を穿って岩崎駅へと向かっていた。'07.7.22
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この塩江温泉鉄道の最大の特徴は、その軌間が4フィート8 1/2インチ(1435㎜)だったことです。琴電との連絡を考えて標準軌を選択したのでしょうが、わが国で標準軌を採用した唯一の内燃鉄道でした。

shionoe04n.jpgひたすらまっすぐな「ガソリン道」も3キロほど進むと讃岐山脈の裾部に達します。このもと加羅土駅付近に塩江温泉鉄道の隧道がほぼ当時のままの姿で残されていました。後年設置された「ガソリン道」の道標はともかく、仏生山から来て初めての遺構らしき遺構の出現です。隧道の断面積は意外に大きく、ひょっとすると将来的発展を考慮して琴電の車輌定規を援用したものなのかも知れません。さて、線路はこのあたりでささやかな峠を越え、再び平野部に戻ったのち、岩崎付近で西側から合流してくる香東川(ことうがわ)に寄り添うように、いよいよ山中へと分け入ってゆきます。
▲この伽羅土の隧道(画面中央奥)付近にも「ガソリン道」の道標が見られる。'07.7.22

15年前の「給食軌道」。

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▲バッテリー庫から出庫する2号機(左)と6号機。2号機はその後廃車されたが6号機は現在でも主力として活躍しており、この庫の雰囲気も変わっていない。'92.2.15 P:後藤康之

先日ご紹介したオーストリア・ウィーンの老人ホームの「給食軌道」について、15年ほど前に訪問された後藤康之さんが写真を送ってくださいましたので、今日はその貴重な画像をご紹介してみたいと思います。

lainz201n.jpg「編集長敬白」毎日楽しく拝見しております。老人ホームの「給食軌道」ですがディーゼル機と旧型バッテリー機の写真がありましたのでお送りします。保存車は4号機ですが私が撮影したときには展示されていなかったと思います。現役だったのは同形の2号機でしたので改番したのかとも思いましたが若干改造部分が違うようなのでどこかに部品取りか何かで保管されていたのでしょうか? ディーゼル機は降雪時に使用するとのことでバッテリー機のデッキブラシ風排障器がなくスコップ、箒などが装備されていました。
▲機関車用のスノープラウだろうか、無造作に重ねられた除雪器の数々。'92.2.15 P:後藤康之

お送りいただいた写真を見ると、まだアルゲマイネ(AEG)製の2号機が現役で活躍しており、周囲の風景こそあまり変わらないものの、黄色い警戒色の6号機などと比べると、そのレンガ色の塗色とあいまって、現状とはずいぶんと印象が異なります。ちなみにこの2号機は、現在正門前に保存展示されている4号機(1925年製/製番169)の兄弟(製番170)で、2・3(製番172)・4号機が同年製の同形機のようです。なにゆえ現在も稼動中の1号機(1957年製/製番358)の方が若年なのかはわかりません。

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▲厨房棟付近を単機回送中の2号機。1925(大正14)年AEG製の古典バッテリー機関車である。'92.2.15 P:後藤康之

ちなみに後藤さんはRMモデルズのニュールンベルク・トイメッセ・レポートでもお馴染みのPPLの石塚さんと同メッセにお出でになり、その後ドレスデン近郊のナロー蒸機を見てから、この「給食軌道」に立ち寄られたのだそうです。その時の様子をご紹介していただきましょう。

lainz_dl201n.jpgウィーンに向かい、以前入手したオーストリアの鉄道の本(Oesterreichs Eisenbahnen im Jubilaeumsjahr 1987 国鉄、私鉄、専用鉄道、怪しい線路を網羅しています)に出ていたこの軌道を訪ねました。当時は未だ現在のようにインターネットが発達しておらず、大部分のフェルトバーンはどこにあるのか現地までのアクセスもわからない中、ここはウィーン市内しかも市電で行けるのでここを選びました。現地で門番に怪しい東洋人が来たと思われたようですが「フェルトバーンの写真を撮りたい」と言うとすぐOKとなりました、と言う事はご同業がしょっちゅう来るのでしょうか。
▲スコップやら箒やらを背負ってディーゼル庫で待機しているのはイエンバッハ製の2号機。'92.2.15 P:後藤康之

lainzd1n.jpg運転状況は当時も同じで朝昼晩の上げ下げ都合6回で、はじめに売店で停車して食料を買い込んで食べながら運転しているのも同じでした。ただ同時に2車輌出庫して厨房のあるところから坂の上と下で別々に運転していたように記憶しています。実際に撮影したのは昼の2回のみです(2月ですと朝晩はまともに撮影はできません)。線路は位置も変わりありませんが、機関庫が2線向かって右がバッテリーロコ、中央がディーゼル機を格納しており、もうひとつの庫は今にも崩れそうな小屋があって保線用と思われる運材車のようなトロと予備のピギーバック?車が留置されていました。当時使用されていた機関車は現在も使用されている1、5、6号機のほか2号機(AEG 170 / 1925)とディーゼル機1(Jenbach 1430/1966)と2(Jenbach 1076/1952)でした。
▲こちらは同じくイエンバッハ製の1号機。背面の窓には自動車用の最高速度表示のステッカーが貼ってあるが何と100キロ! '92.2.15 P:後藤康之

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▲冬枯れの構内を「給食列車」を牽いてかいがいしく働く2号機。さながらヒゲのようなブラシ式排障器がチャームポイント。車輌塗色も現在のものより落ち着いていて風景とよく馴染んでいる。'92.2.15 P:後藤康之

後藤康之さん、ありがとうございました。
ウィーンと日本の時差はサマータイムシーズンは7時間。私たちがお昼を食べ終わるころ、彼の地では朝食のデリバリーのため、今日も6号機があの庫を出るはずです。

「後藤新平展」を見る。

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▲江戸東京博物館の常設展示場で特集展として開催されている「後藤新平展」。一般展示場とあわせて半日ゆっくりと楽しむことができる。

昨日は朝から国土地理院関東地方測量部測量成果閲覧室で旧版地形図を検索し、続いて松屋銀座で開催されている「鉄道模型ショウ2007」を訪問、午後は来る8月18日に開催される向谷 実さんとの対談の打ち合わせで江戸東京博物館へ。向谷さんと会場の音響設備の確認などを行った後、今度は品川のキヤノンギャラリーで開催されている鉄研三田会の写真展「鉄道に魅せられて」へ…と東京中を駆けずり回った一日でした。

IMGP2663n.jpgそんななか、向谷さんとの打ち合わせ後30分ほど時間に余裕ができ、まさに忙中閑あり、ぜひ見たかった江戸東京博物館の常設展示室特集展・生誕150周年記念「後藤新平展 -近代日本をデザインした先駆者-」を急ぎ足で覗いてきました。現在企画展として開催中の「大鉄道博覧会」はすでにたびたびご紹介していますが、実はこの24日から同じ江戸東京博物館の6階常設展示場ではこの「後藤新平展」が始まったのです。
▲展示されている「国有鉄道軌間に関する法律案」の原本。総理大臣決裁印に重ねられた墨の×印が、その後の日本の鉄道の発展に大きな意味を持つことになる。

あまりのスケールの大きさから「大風呂敷」とあだ名されたこともあるという後藤新平は、関東大震災後の帝都復興計画をはじめとする先駆的な都市計画で知られますが、私たちにとっては南満州鉄道初代総裁、鉄道院初代総裁、そしてなによりも“広軌論者”の代表として記憶されてきました。今回の展示では後藤新平の生涯を貴重な古文書や写真を中心に辿っていますが、もちろん鉄道関連の展示にもかなりウエイトが置かれています。

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▲後藤新平起案による軌間変更施行順序図など軌間変更案付属図面の数々(1917年)。まさにわが国の鉄道史そのものを物語る一次資料である。
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そのなかでも必見なのが1919(大正8)年3月8日付けの「国有鉄道軌間に関する法律案」原本(江戸東京博物館蔵/初公開)です。国有鉄道の軌間は狭軌とすることを閣議決定しようとするもので、原敬総理大臣が最終決裁印を押しながらも、再度その決裁印を墨で消すという生々しい紆余曲折が見てとれるものです。当時技監を務めていた島安次郎はこの法案に強く反対し、最終的には鉄道院を辞して満鉄へと移ってゆくわけですが、もしこの法案が成立したならば、わが国の鉄道は新幹線を含め今とは大きく様相を異にしていたに違いありません。

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▲後藤新平が揮毫した磐越西線平瀬隧道の扁額も紹介されている。肥薩線の矢岳第一隧道吉松側のポータルにも後藤新平による扁額が掲げられており、これが現在運転されている「しんぺい」号の語源になったことは有名。

この「後藤新平展」、「大鉄道博覧会」にお出でになった際には是非ともあわせてご覧になることをおすすめします。常設展の観覧料金は一般600円と別途にかかりますが、それだけの価値は充分あります。

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▲屋島をバックに志度を目指す600形(もと名古屋市交)624。冷房化とともにラッピング車輌の姿も目立つようになってきた。'07.7.22 八栗?六万寺

旧型車が消え去った志度線は600形、700形、800形のもと名古屋市交トリオによって固められ、すっかり様変わりしてしまった感があります。しかも私が前回訪れたのは“旧型”などという言葉さえなかった十年以上前のこと。まだ屋島ケーブルも営業していた時代ですから、その変貌ぶりにはまさに浦島太郎状態でした。

kotoden12n.jpgかねてから志度線きっての撮影地であった“房前の鼻”の海岸線は現在防潮堤のかさ上げ工事中で、そこを鮮やかなラッピングを身にまとった冷房車が行き交う様には時代の流れを感じざるをえません。それでも終点・琴電志度駅をはじめ、いかにも琴電らしいストラクチャーのいくつかは健在で、志度線はちょうど新旧入り混じった変貌の最中にあるといえましょう。
▲終点の志度駅で発車を待つ722号。手前ではためいているイルカの幟は琴電独自のICカード、その名も「IruCa」のキャンペーン用。'07.7.22

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▲趣ある琴電志度駅の駅舎とその内部。JR志度駅とは国道をはさんで100mほどの位置にある。'07.7.22
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さて、旧型車の動向ですが、現在在籍しているのは6輌(20形1輌、60形1輌、1000形1輌、3000形2輌、5000形1輌)で、動態保存を前提として今橋車庫で保管されている20形23号以外はすべて長尾線所属となっています。このうち8月3日までの増結運用に充当されているのは3000形2輌(300・315)で、60形と1000形は仏生山で休車状態、5000形は動態保存を前提とした全般検査中でした。

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▲志度線に唯一残された20形23号。1925(大正14)年川崎造船所製で、もと近鉄モ5620形である。とりあえず解体されることはなく、動態保存車として仏生山車両所へ移動する予定とのこと。'07.7.22 今橋
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▲来週一杯で運用から離脱する予定の長尾線3000形315号と300号(左)。右は1913(大正2)年天野工場製と現有旧型車中最古の歴史を持つ60形65号。'07.7.22 瓦町/仏生山
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訪問が日曜日だったため、残念ながら運用に入っている姿を目にすることはできませんでしたが、さすがに開業時から走り続けている3000形(1926年日本車輌製)の存在感は群を抜いており、後ろ髪をひかれる思いで琴電をあとにしました。

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▲仏生山車両所では5000形500号の全般検査が行われていた。腐食した車体側板を部分的に切り接ぐなどかなり大掛かりな修復作業で、出場時の晴れ姿が今から期待される。'07.7.22

ちなみに旧型車のなかで唯一かつての赤+クリームの塗装で残されている500号は現在全面的な修復作業中で、遠からず美しくレストレーションされた姿を披露してくれるはずです。ただ、その一方で保存対象から外れた3000形315号は、8月11日・12日に琴平線で行われる予定のさよなら運転を最後に解体されてしまう運命だそうで、残された旧型車の命運もこの夏で大きく分かれることになります。

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▲ひと足先に定期運用から旧型車が消えた志度線今橋車庫では、すべての機器類を外された30形27号が静かに最期の時を待っていた。長年ペアを組んできた28号はすでに解体されてしまっている。'07.7.22 今橋

高松で会合があり、旧型車の置き換えが2週間後に迫った高松琴平電鉄を訪ねる機会を得ました。思えば「琴電」を訪れるのはずいぶんと久しぶりのことで、まずはJR高松駅の変貌ぶりにびっくり。愛用(?)だった駅前広場横のさぬきうどん屋さんなど跡形もなく、近代的な駅ビルの正面には駅前広場が広がっています。

kotoden2n.jpg本誌今月号でも詳細なガイドをお送りしているように、全線の完全冷房化を目指す高松琴平電鉄では、もと京浜急行1000形後期車を新形式1300形として投入、唯一定期運用(増結用)として長尾線に残されていた旧型車を淘汰する計画で、Xデーは8月3日(金曜日)朝の増結運用とされています。まさにファイナルカウントダウンを迎えたなか、まず訪れたのはつい先日、7月7・8日に30形さよなら運転が行われたばかりの志度線今橋車庫です。
▲番号板も切り抜かれた車体はこの日の夜、解体業者のもとへと搬出されるという。'07.7.22 今橋

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▲バトンを渡した600形が並ぶ横で佇む27号。窓枠も外され、特徴であった大きな側窓がいっそう大きく見える。手前に連結されているアントは1994年製ANT20W形。'07.7.22 今橋

もと名古屋市交の600形がずらりと並んだ今橋車庫には、取り外せるものはすべて取り外された30形27号の哀れな姿が…。うかがったところではすでに僚車28号は解体されてしまい、この27号もこの日の夜仏生山車両所から搬入される長尾線611号(志度線転入後は631号に改番予定)と入れ替えで長年住み慣れた今橋車庫を後にし、解体業者のもとへと向かうのだそうです。かつて一世を風靡した京浜急行の名車230形の生き残りであっただけに、残念でなりません。

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▲仏生山車両所からトレーラーで搬出される611号の車体。この日の夜に今橋車庫へと運ばれ、入れ代わりに27号の車体が解体場へと運ばれてゆくという。'07.7.22 仏生山

kotoden6n.jpgさて、一方の仏生山車両所では志度線へと転属する611号の搬出作業が行われていました。瓦町で接続している琴平線、長尾線、志度線の3線だけに、現地をご存知ない方はオンレールで移動できると思われるでしょうが、志度線とはレールがつながっておらず、今橋車庫への車輌の搬入はすべて“陸送”となっています。専用のトレーラー台車に載せられた611号の車体は、狭隘な構内から四苦八苦の末に引き出され、深夜の搬出を待ちます。そして朝日が今橋車庫を照らす頃には、この611号が検修庫の前に置かれ、あの27号の車体は消え去ってしまっているに違いありません。
▲台車はラフターで別のトラックへと積まれて今橋を目指す。'07.7.22 仏生山

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▲報道公開のため初めて上野駅に姿を現したE655系。連結器が収納されている点に注意。'07.7.23 P:RM(新井 正)

655n01.jpg本誌今月号巻頭でいちはやく速報したJR東日本のE655系がついに正式に報道公開されました。このE655系は“ハイグレード車輌”と呼ばれる一般客の乗車を前提とした車輌5輌と、いわゆる“お召”列車として使用される際の“特別車輌”1輌からなる6輌編成で、形式名からもおわかりのように交直流電車です。しかもエンジン、発電機を搭載し、非電化区間にもディーゼル機関車牽引で乗り入れられるものとなっています。
▲圧倒的な存在感で日暮里付近を行くE655系。'07.7.23 P:後藤中也
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▲尾久方の連結器は露出したままとなっていた。非電化区間での機関車牽引時にはこの連結器が有用となる。'07.7.23 P:RM(新井 正)

65502n.jpg通常の車輌基地ではなく、きわめて異例なことに上野駅13番ホームでの報道公開となり、私たち専門誌はもとより、テレビ、新聞各社もこぞって駆けつけ、普段はひっそりとしている昼下がりの13番線は時ならぬ賑わいとなりました。入線してきたE655系はそのボリューム溢れるフォルムもさることながら、光の当たり方で色合いが変化する特殊なボディーカラーと、そこに細く入れられた金のラインが圧倒的な存在感を見せています。残念ながら「特別車輌」の室内取材はかないませんでしたが、ハイグレード車輌を含めて、木質と大きな曲線を用いた室内デザインは、随所に用いられている間接照明やスポット照明とあいまって、これまでにない高級感を醸し出しています。
▲報道公開当日の上野駅13番線は一般の立ち入りが制限されてものものしい雰囲気に…。'07.7.23 P:後藤中也

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▲これが特別車輌の特別室内。木の質感を活かし、和の趣を醸し出している。P:JR東日本提供
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▲同じく特別車輌内の休憩室(左)と次室(右)P:JR東日本提供
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▲こちらは3号車に設けられたVIPルーム(左)。個室以外の3号車の一般席も本皮張りのシートが誂えられている(右)。座席から弁当や飲み物をオーダーできる車内販売システムも備える。'07.7.23 P:RM(新井 正)
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▲1・2・4・5号車の一般席は2列+1列のリクライニングシート(左)。座席に搭載されているモニターでビデオ等はもとより、GPSによる走行位置ナビゲーション、運転台カメラによる前方展望も見ることができる。運転台は基本的にE231・E233系と同様の構造(右)。'07.7.23 P:RM(新井 正)
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655n62.jpg通常は“特別車輌”を抜いた5輌編成(もちろん全車グリーン車)として営業運転に充当される予定だそうですので、このE655系を実体験できるチャンスも皆無とはいえなさそうです。
それにつけてもこのE655系の誕生で、もう一方で気になるのは新1号編成、さらにはかのEF58 61号機の去就ではないでしょうか。今回、JR東日本からは特段に報道発表はありませんでしたが、ファンとしてはなんとも気になるところではあります。
なお、このE655系については本誌次号で詳しくお伝えできる予定ですのでご期待ください。
▲かなりの高運転台となっており、運転室へは3段のステップが設けられている。'07.7.23 P:RM(新井 正)
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▲E655系の編成概要。3号車がVIPルームを備える「定員9名」の車輌となっている。(JR東日本提供)
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東京・両国の東京都江戸東京博物館で開催中の「大鉄道博覧会」は、夏休みの到来とともにいよいよ賑わっていますが、休館日の今日は朝から“大鉄道博覧会フォトコンテスト2007”の審査が行われ、私も審査員のひとりとして参加してまいりました。
▲ひとりひとりの思いのこもった作品ばかりで審査も白熱する。左から審査員の斎藤 晃さん、広田尚敬さん、米山淳一さん。'07.7.23

IMGP2606n.jpg今回のフォトコンテストはひろく「鉄道」をテーマにしたフォトコンテストで、キーワードは“とっておきの1枚”。撮影時期などの制限もいっさいなく、それだけにどんな作品が寄せられるのか、不安と期待の入り混じった審査会開始となりました。果たしてお寄せいただいた作品は実に300作品以上、年齢も5歳(!)から80過ぎご高齢の方までという実にバラエティー豊かなものとなりました。
▲江戸東京博物館の竹内 誠館長(右)もあまりの力作揃いに急遽「館長賞」を設定して熱意に応えることに…。'07.7.23

主 催=財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館
後 援=株式会社ネコ・パブリッシング
協 賛=キヤノンマーケティングジャパン株式会社/富士フイルムイメージング株式会社/株式会社天賞堂

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▲ところ狭しと並べられたノミネート作品の数々。なかには歴史的アーカイブとしても貴重な画像も。'07.7.23

審査に臨むのは主催の東京都江戸東京博物館竹内 誠館長、慶應義塾大学鉄道研究会「三田会」相談役で蒸気機関車研究家としても知られる齋籐 晃さん、今回の博覧会の企画コーディネーターで日本鉄道保存協会顧問の米山淳一さん、言わずと知れた写真家の広田尚敬さん、そして私の5名です。まずは5人に一定枚数の色違いの付箋が手渡され、会議室一面に並べられた作品に、各人それぞれその付箋を貼ってゆきます。何色もの付箋がつけられる作品もあれば、逆に残念ながら一枚も付かないものもあり、毎回のことながらコンテストの悲喜こもごもを痛感する瞬間です。この時点で付箋がなかった作品は残念ながら第一次審査通過ならず…となってしまうわけです。

IMGP2603n.jpg最終選考の結果、一般の部(高校生以上)のグランプリに輝いたのは、実にさりげない一枚の“記念写真”です。意外に思われる方もおられるかも知れませんが、添えられたコメントを噛み締めながらその作品を見ていると、昭和、高度経済成長、そして家族といったさまざまなキーワードが浮かんできて、吸い込まれるような錯覚にとらわれます。通常、複数の審査員によるグランプリ選出の場合、かなりの紆余曲折があるのが常ですが、今回、この作品についてはまさに満場一致でした。
▲私も全作品をコメントまで含めてじっくりと拝見させていただいた。'07.7.23

入賞作品は来る8月9日より東京都江戸東京博物館1階特設会場で展示される予定ですので、ぜひご覧いただければと思います。なお、今回はジュニアの部(中学生以下)のレベルの高さにも驚かされました。デジタル機材の普及も追い風とはなっているのでしょうが、こちらもぜひ注目していただければと思います。

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▲大きく蛇行する大井川に寄り添うようにDD100の牽く井川線上り列車が千頭を目指す。この付近は現在では長島ダムの湖底に沈んでしまっており、付け替えられた新軌道はアプトで一気に高度を稼いでいる。'80.11.3 川根唐沢?川根市代 P:名取紀之

今月のRMライブラリーは、もと大井川鐵道副社長でアプト化に際しての計画責任者でもあった白井 昭さんによる『大井川鐵道井川線』です。現在でこそ寸又峡や接岨峡温泉への足として多くの観光客で賑わう井川線ですが、その70年以上におよぶ歴史は実に波乱万丈なものでした。
※今月に限り、発売が25日頃となります。

RML96001n.jpg大井川鐵道の建設は金谷より進められ、1929(昭和4)年には塩郷に達しましたが、建設の進行にあわせて千頭より奥地の森林、電源の開発を目的にした軌道の建設も進められました。大井川流域の電源開発は大正末期より計画されていたものですが、第二富士電力は1928(昭和3)年頃より大井川の支流である寸又川水系に千頭ダム、続いて大間ダムなど数々の大規模電源開発を具体化し、その前段としてダム工事資材の輸送と、ダム完成後の木材搬出のために千頭?寸又?千頭ダム間約24kmに2フィート6インチ(762㎜)軌間の軌道建設を進めることとし、1930(昭和5)年に着工しました。

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▲井川線の歴史は第二富士電力による寸又川上流の電源開発にまで遡る。輸入ガソリン機関車を投入しての軌道開発秘話はまさに序章にふさわしいフロンティアスピリットあふれるもの。

いっぽう大井川電力は市代に奥泉ダムを建設するために千頭?沢間?奥泉ダム堰堤間にやはり2フィート6インチ(762㎜)軌間のガソリン軌道を建設し、結果として1935(昭和10)年には千頭を起点とした大井川上流域への専用軌道網が完成したのです。これが今日の大井川鐵道井川線のはじまりです。

ikawa2ad.jpg大井川鐵道井川線については弊社刊『私鉄の車両シリーズ⑭ 大井川鉄道』をはじめ、これまでに多くの記録が発表されていますが、本書は車輌面よりむしろ歴史に重点が置かれているのが特徴です。そのなかでは、いわば兄弟関係であった千頭森林鉄道に関してもたっぷりとページを割き、全線の乗車記も収録しております。もちろん車輌に関しても決してないがしろにしているものではなく、全形式の写真・竣功図、さらには「DB1の物語」と題して井川線に今もって残る最後の機械式ディーゼル機関車DB1形にもスポットを当てております。
▲千頭?川根両国間の3線区間は千頭森林鉄道廃止後もしばらく残されていた。3線区間をゆく井川線下り列車。'80.11.3 P:名取紀之
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▲井川線とは切っても切れない関係だった千頭森林鉄道に関してもたっぷりとご紹介。未公開の写真も多く、林鉄ファンにとっても必見。

廃止論議からアプト式の採用、そして産業鉄道から観光鉄道への大転換と、まさに最当事者であった筆者ならではの知見を加えて書き記された本書は、今後、井川線を語る上で欠くことのできない一冊となるはずです。

●明日より週末にかけて出張となるため、お楽しみいただいている本ブログ「編集長敬白」は、23日までお休みさせていただきます。あしからずご了承ください。

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▲横川駅でEF63の連結を待つ181系下り特急「第1あさま」。連結相手は自連を露出した碓氷線専用形式のクハ180。1966年10月改正で、信越本線初の特急として2往復の「あさま」が181系使用で登場した。181系の東海道・山陽・上越線以外への初デビューであった。しかし、碓氷線では無動力でEF63に牽引されるため、8連に制限されたことから特急初の食堂車なしの編成となった。 '67.6 横川 P:浅原信彦(『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第4巻「新性能直流電車(下)」より)

浅原信彦さんの連載「ガイドブック 最盛期の国鉄車輌」をまとめたムック第4弾「新性能直流電車(下)」が来週23日に発売となります。第1巻(戦前型旧性能電車)第2巻(戦後型旧性能電車)第3巻(直流新性能電車/上)につづく4冊目で、山岳線用の急行型電車165・169系、修学旅行用電車167系に続いて、いよいよ国鉄電車の華、181系が登場します。系列数でいうと4系列と、これまでの3巻に比べ少ないように感じられるかも知れませんが、ページ数はむしろ第3巻より多くなっています。

IMGP2562n.jpg特に181系は今さら申し上げるまでもなく、高度成長期における日本の鉄道を代表する存在であり、今日の電車特急の始祖でもある「こだま」型特急電車モハ20系(後の151系)をルーツとする車輌です。本来、この連載の昭和43年10月1日ダイヤ改正、いわゆる“よん・さん・とう”の時点に在籍した国鉄車輌を紹介するものですが、151・181系に関しては浅原さんの思い入れもひとしおとのことで、モハ20系の試運転当時まで遡り、151系、161系と各増備毎の形式別解説や使用列車に言及した、大変読み応え、見応えのあるものになっています。
▲形式図はもとよりこれまで以上に細部写真もふんだんに盛り込んだ誌面。(『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第4巻「新性能直流電車(下)」より)

IMGP2559n.jpg■目次から
直流急行型2扉クロスシート車 165系165系について/165系の活躍/クモハ165-1?141 /クモハ165(試作冷房車)/クモハ165-901?904(碓氷峠用試作車)/ モハ165-1?21/モハ164-1?84/モハ164-501?514(回送運転台付)/モハ164-801?864(低屋根車)/モハ164(試作冷房車)/モハ164-901?904(碓氷峠用試作車)/クハ165-1?206/クハ165(試作冷房車)/クハ165-901?904(碓氷峠用試作車)/クハ164-1?8(クハ153改造)/サロ165-1?134 /サロ163-1?7 /サロ164-1・2 /サハシ165-1?12/サハシ165-51?55/サハ165?1?11
修学旅行専用2扉クロスシート車 167系
167系について/モハ167-1?15/モハ166-1?15/クハ167-1?22
直流急行型2扉クロスシート車 169系
169系について/クモハ169-1?27/モハ168-1?27/クハ169-1?27サロ169-1?19/サハシ169-1?10/169系900番代
直流特急型 181系 181系について/こだま型モハ20(151)系誕生の背景と経緯/こだま型モハ20(151)系の概要と特徴/こだま型モハ20(151)系の活躍/とき型161系誕生の背景と経緯/とき型161系の特徴と概要/181系誕生の背景と経緯/181系の概要と特徴/181系の活躍/モロ181-1?13(モロ151改造)/モロ181-41・42(モロ161改造)/モロ181-101?103/モロ180-1?13(モロ150改造)/モロ180-41・42(モロ160改造)/モロ180-101?103/モハ181-1?6・11?30(モハ151改造)/モハ181-41?43(モハ161改造)/モハ181-101?114/モハ180-1?13(モハ150改造)/モハ180-41?43(モハ160改造)/モハ180-51?60・62・63(モハシ150改造)/モハ180-101?115/モハシ180-3?5・7・10?13(モハシ150改造)/クロ181-12(クロ151改造)/クロハ181-1?5・8?10(クロ181改造)/クハ181-1?12(クハ151改造)/クハ181-41?45(クハ161改造)/クハ181-53(クロ150改造)/クハ181-56・61(クロ151改造)/クハ181-101?109/クハ180-1?5/サロ181-2・3・6(サロ151改造)/サロ180-1・2・4?6・11(サロ150改造)/サハ181-1・4・5(サロ151・181改造)/サハ180-1?24(サハ150改造)/サシ181-1?12(サシ151改造)/サシ181-41?43(サシ161改造)/サシ181-101?103
主要諸元表
▲奥三河の宇蓮川沿いの峻嶮な谷間を走り抜ける165系急行607M「
伊那」。この付近は架線柱も前身の鳳来寺鉄道時代のままであった。'76.3 三河槇原?柿平 P:浅原信彦(『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第4巻「新性能直流電車(下)」より)

威風堂々、“パーラーカー”を先頭に桧舞台:東海道を疾走する「こだま」から、「しおじ」「あずさ」「あさま」、そしてファンには思い出深い「とき」まで、最盛期の国鉄の代表選手、151・161・181系の華麗なる活躍をお楽しみください。
■『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第4巻「新性能直流電車(下)」
・A4判変形(本誌同寸)/220ページ(うちカラー16ページ)
・定価2200円(税込)
※7月23日発売

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▲正門前の花壇には1925(大正14)年アルゲマイネ(AEG)製の4号機がディスプレーされている。この軌道開設時に導入されたものだという。'03.9.26
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この特別養護老人ホーム=アルタ・ウント・プフレーゲハイム・デァ・シュタット・ウィーン(Alters-und Pflegeheim der Stadt Wien)を最初に訪れた時、まず驚いたのが正門前の花壇にディスプレーされているアルゲマイネ(AEG)製の古典バッテリー機関車の姿でした。通常なら“裏方”に徹して消え去る運命にあるはずのこんな古い機関車が正面に飾られている…80年にわたって入所者から親しまれているゆえなのでしょうが、なんとも嬉しい思いに包まれました。ちなみにこの機関車、メーカー形式AB55cと称する自重1.85t(運整3.5t)の蓄電池機(製番169)で、銚子のデキ3の2年ほど後輩となります。

lainz9n.jpgどうやらこの軌道、1925(大正14)年の運転開始当初から蓄電池動力だったようで、記録によれば正門前に保存されているのと同形のAEG製AB55c形バッテリー機関車(8PS)3輌でスタートしたことになっています。現在は1957(昭和32)年AEG製の1号機(GA1/1形10PS/製番358)を最古参に、シュトルプ(Struppe)製の5号機(1981年製/製番1181)、6号機(1983年製/製番1913)、7号機(1994年製・ともに8kW、運整重量3.52t)の4輌が在籍し、「据え膳」列車担当と「下げ膳」列車担当の2輌使用、1輌がフル充電の予備、残りの1輌が完全な予備といったシフトとなっています。
▲教会横を抜けてパビリオン1へと夕食をデリバリーするシュトルプ製6号機。'03.9.26
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▲早朝、単機で出庫した機関車はメインストリートに出ると必ずコンビニ“ANKER”の前で停まる。運転士たちが朝食をとるためで、しばし店内でくつろいだのち、いざ厨房棟へと向かう。今朝の「据え膳」列車の担当はAEG製の古参1号機。'03.9.29

このほかにもイエンバッハ(Jenbach)製ディーゼル機関車(JW15形3.2t)が2輌おり、こちらは保線用に使用されているとのことでしたが、ついにその姿を目にすることはできませんでした。

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▲メインの機関庫は鰻の寝床のような1線の矩形庫で、充電装置もこの庫に備えられている。機関車は一日3回の運用の間にこの庫に戻って充電する。'03.9.26
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それにしてもなにゆえ80年にもわたって蓄電池動力を使い続けているのでしょうか。現代的感覚からすれば環境に配慮した…ということになるのでしょうが、どうもそれだけではなさそうです。類推するに、一日3回決まった時間に決まった距離だけ走る条件にはもともと蓄電池式がうってつけだったのでしょう。
ちょこまかと走り回った機関車たちは、一段落すると庫内に戻ってきてさっそく充電に入ります。そして数時間後、次の食事の時間にはフル充電状態でまた厨房棟へと向かうのです。

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▲こちらはディーゼル庫。イエンバッハ製の小型DLが収納されているはずだが、残念ながらついにその姿を見ることはできなかった。'03.9.26

結局、朝に夕に足かけ5日にわたってこの「給食軌道」を訪れることになってしまいましたが、次にウィーンを訪れた際にもまたぜひ寄ってみたい、そんな思いを抱かせるちょっと不思議な魅力を持った鉄道でした。
なお、この軌道を訪れるにはウィーン中心部から市電62番(Oper?Lainz Wolkersbergenstr間)で終点のひとつ手前Versorgungsheimpl下車、電停がそのまま正門前となっています。改めて申し上げるまでもないかとは思いますが、撮影には事務棟でパーミッションを得ることをお忘れなく。ちなみに今回の一連の写真に“人”があまり写っていないのは、機関車を撮るのは構わないが、入居者や家族は写さないで…と念をおされたこともあってです。

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▲パビリオン15から空車を引き出すAEG製1号機。限られた時間内に全棟を回るには、線形を考慮した“配膳順”が極めて重要。'03.9.29
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現地の状況がまったくわからずに訪れた初日は、その敷地のあまりの広さに呆気にとられ、ようやく発見したお目当ての列車は想像をはるかに超えるスピードであっという間に消えていってしまうといった有様で、まさに垣間見た程度の知見しか得られませんでした。

lainz22n.jpgそれでも構内の最奥にある機関庫兼運転事務室を訪ね、何とか運転時間を聞き出すことに成功しました。なにしろ英語がまったく通じないだけに、あらかじめノートに“Fruhstuck”(朝食)、“Mittagessen”(昼食)、“Abendessen”(夕食)と3食分のドイツ語を書き記しておき、身ぶり手ぶりで聞き出そうというのです。幸い運行主任らしき年配の人はこちらの意図をわかってくれたようで、それぞれ6:00、10:40、15:10と「出区」時間を書き記してくれました。
▲清々しい朝日に照らされてパビリオン7を取り巻くように巡る500mmの軌道。'03.9.27
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▲広大な敷地内は驚くほど緑が多い。教会前の公園(右)をはじめ、いたるところに花壇もあり、うらやましいほどの環境の良さだ。'03.9.29
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lainz32n.jpgこうなればしめたもの…とばかり翌朝は余裕綽々で撮影に臨んだのですが、そう容易いものではありませんでした。と言うのも、まるでコマネズミのごとくちょこまかと走り回る「据え膳」列車が、網の目のように敷き巡らされた軌道のどこへ行ってしまうかがわからないのです。気の毒に思ったのか、運転士さんはキャブの中から次に行く方向を指差してくれはしますが、とにかく想像以上のスピードだけにまともに追いかけることは困難です。見失ったかと思うと、予想もしなかった方向から単機で厨房棟に戻ってきて、食事を満載したコンテナを連結するや、あっという間に今度は逆方向へ出ていってしまう…まるでモグラ叩きのような状況です。
▲敷地の最奥に軌道の運転を司る事務所と機関庫がある。画面左側の平屋が運転事務室。'03.9.27
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▲パビリオン7から厨房棟方向をのぞむ。敷地の背後には広大なウィーンの森が控えている。'03.9.27

これではいつまで経ってもまともに撮影することはできません。そこでふと気づいたのが“配膳順”です。2657人分もの食事を14棟のパビリオンに届けるには必ず決まった順番があるはずです。それを知るにはまず構内の見取り図と線路配置が必要と、2日目は何時間かを費やして全構内を見て回って平面図をメモすることにしました。

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▲構内をつぶさに見て回って書き写した配線図。厨房棟と各パビリオンの位置関係、それに線路配置がわからないことには“追っかけ”がきかない。ちなみに3日目にしてようやくわかった“配膳順”は、パビリオン4→1→5→7→6→8→10→14→13→9→12→16→15→11の順。

3日目の朝、書き写したノートを持って再び運転事務室へ。何か忘れ物でもしたのか…と怪訝な面持ちの主任は、差し出されたノートを見て驚いた様子で矢継ぎ早に話し掛けてきますが、残念ながら何を言っているのかはさっぱりわかりません。こちらが例によって身ぶり手ぶりで“配膳順”が知りたい旨を伝えると、ありがたいことに差し出したペンでさらさらとパビリオン番号を列記してくれました。これさえわかれば完璧です。パビリオン間の通路を抜ければ、どんどん列車の先回りをすることが可能です。かくして、ようやく「給食列車」をじっくりと撮影できる環境が整ったのです。

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▲厨房棟(右)から「夕食列車」を引き出すシュトルプ製6号機。背後に聳える煉瓦造りの教会の時計台からは、毎時澄んだ鐘の音が響き渡る。'03.9.26
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日本からの観光ツアーが必ず訪れるウィーン随一の観光名所シェーンブルン宮殿のちょうど裏手に、ヨーロッパ最大の特別養護老人ホーム=アルタ・ウント・プフレーゲハイム・デァ・シュタット・ウィーン(Alters-und Pflegeheim der Stadt Wien)があります。市電の電停にして3駅分にもおよぶ広大な敷地には、病院、教会、カフェ、そしてパビリオンと呼ばれる17もの病棟・居住棟が点在し、3500人あまりの入居者が暮らしているといいます。

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そしてこの各棟に日々の食事を運んでいるのが、構内に敷き巡らされた500㎜ゲージの軌道です。さながら毛細血管のようにパビリオンを巡る軌道は実にその延長4.2kmにも達するそうで、オーストリア国内に残された現役インダストリアル・ナローゲージとしては屈指の規模です。
▲広大な敷地に点在する各棟には500mmの軌道が引き込まれており、一日3回「据え膳」「下げ膳」列車がやってくる(左)。構内の各所には「フェルトバーン運転中」(Feldbahnbetrieb)の標識が…(右)。'03.9.27/29

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▲かいがいしく各棟を回る「下げ膳」列車。スチル写真で見るとのんびりとした作業のように見えるが、実際はまるで“軽業”のような素早さ。'03.9.27

広い構内のほぼ中央に位置する厨房棟から14棟のパビリオンに2657人分の3食の食事をデリバリーするのがこの軌道の役目です。厨房で作られた食事は、さながら機内食のコンテナのような手押しのキャスター付きコンテナに入れられ、トロッコへと積まれてゆきます。ただ、場所が場所だけにすべてが同じメニューというわけではなく、各棟、さらには各人によって作り分けられており、それぞれのコンテナにはなにやらこと細かなタグが付けられています。これを列車に編成して、間違いなく、しかも食事が冷めないうちにデリバリーせねばならないのですから、想像とは裏腹にめまぐるしい忙しさです。

lainz21n.jpg通常は2輌のバッテリーロコがそれぞれ「据え膳」列車と「下げ膳」列車を担当。「据え膳」列車の方は、各棟に櫛の歯状に入った側線に給食コンテナが載ったトロッコを“突放”、待ち受けた職員が“上乗り”して手馴れた手つきでハンドブレーキを操作、あっという間に建物のなかへと吸い込まれてゆきます。どうやらこの作業性も考えて各側線は分岐器から建物側へ緩い下り勾配となっているようで、逆に急ぐ必要のない「下げ膳」列車は、こまめにポイントを返して空車を引き取りに側線へと入ってゆきます。
▲2657人の食事を一手に賄うのがこの厨房棟。軌道はこの巨大な厨房棟を貫いている。'03.9.26
*この同様のシーン(単機)は下記リンクで動画をご覧になれます。

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▲快走するAEG製1号機。インダストリアル・ナローゲージとはいえ、この軌道ばかりはクリスマスも元日もなく365日働き続けている。'03.9.29

この「給食軌道」、1925(大正14)年に敷設されたと聞きますから、なんと80年以上にもわたって走り続けていることになります。しかも当然ながら365日、朝・昼・晩の3回、決して“運休”することなく走ってきたわけです。それにしても、実際に現地に行ってみるまでは、なんと非効率なデリバリー方法だろうと呆れていたのですが、実状はさにあらず。敷地の面積からしても、複雑に入り組んだ建物のレイアウトからしても、クルマではとてもあれだけ短時間に回りきることは不可能でしょう。それに侮るなかれ、この「給食列車」の速いこと速いこと…。構内道路にはバンプも設けられているため、レンタカーで追っかけることさえ困難です。
今日はわずか30秒ほどですが、本邦初公開、いや恐らくは世界初公開のこの軌道の動画でその活躍ぶりをご想像ください。

動画
30秒ほどの1シーンのみですが、下記リンクよりホビダスTV内の動画がご覧になれます。音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合がございます。
■「給食軌道」動画

いすみ鉄道を行く。

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▲いすみ鉄道大原駅で発車を待つ大多喜行き(左)と上総中野行き(右)のいすみ200形。車輌的にはこのLE-Car7輌がすべてと少々物足りない感は否めない。画面右端に「わかしお」の255系が見える。'05.9.4
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先日の鹿島鉄道廃止は関東在住の非電化私鉄ファンにとっては大きな衝撃でしたが、千葉・茨城方面にはまだまだ魅力的な非電化私鉄が残されています。最近ではテレビや映画などメディアへの露出も多い小湊鐵道はその筆頭ですが、小湊と接続して房総半島を縦断している「いすみ鉄道」の方はなぜかあまり話題にのぼらないようです。

isumi3n.jpg首都圏から近そうに見えて意外と遠い地理的条件もあるのでしょうが、走っている車輌がLE-CarⅡシリーズの同形車7輌のみという点も敬遠材料となってしまっているのかも知れません。ただ、その2点を除けば、いすみ鉄道は非電化私鉄ファンにとって一度は訪ねてみたい魅力に溢れていると言ってもよいでしょう。延長26.8kmの路線は平野部・山間部とさまざまな表情を持ち、駅構内はもとより、周辺に点在する歴史的ストラクチャーも一見の価値があります。
▲JR外房線大原駅。ベンディングマシンと売店が正面を固めてしまってはいるが、本屋そのものはかつての房総東線時代の名残りをとどめる。奥にいすみ鉄道乗り場が見える。'05.9.4
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▲JR側駅舎(左)からいすみ鉄道側(右)へはもともと同じ国鉄駅だっただけに形ばかりの仕切りとラッチがあるだけ。'05.9.4

いすみ鉄道のルーツは大正年間に大原?大多喜間を結んだ夷隅軌道で、昭和になってから国有化されて木原線となったものです。国鉄木原線時代は国鉄初のレールバス=キハ10000(のちのキハ01)が投入されたことで知られますが、奇遇にもこの当時からレールバスに浅からぬ縁があったわけです。

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▲最大の途中駅である大多喜駅で発車を待つ大原行き。木原線のルーツとなったかつての夷隅軌道の拠点でもあり、現在のいすみ鉄道の本社と車庫もここ大多喜にある。'05.9.4
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1988(昭和63)年3月に第3セクターいすみ鉄道としてスタートして今日にいたっていますが、現在使用中の“いすみ200形”7輌はすべてこの転換時に導入されたもので、新しく思えたLE-CarⅡも来年で20年を迎えることとなるわけです。

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▲車内からのひとコマ。何気ない光景ながら、目障りなケーブル類もなく、これだけすっきりとした非電化路線のシーンは今や貴重。'05.9.4

車輌の塗色が象徴するように沿線は菜の花の名所で、春ともなれば小湊鐵道とともに辺りは菜畑の黄色に染まります。最近では紫陽花や向日葵の栽培にも力を注いでいるそうで、各シーズンの車窓風景に彩りを添えてくれています。あまり知られていませんが、いすみ鉄道の大原から小湊鐵道の五井までを通し(途中下車可)で乗れる「房総横断記念乗車券」(大人1600円)や、マイ自転車を列車に持ち込める「自転車手回り券」(210円)なども発売されており、これからの夏の一日、外房線→いすみ鉄道→小湊鐵道→内房線と巡るラウンドトリップも魅力的ではないでしょうか。

「秩父路」のアルミカー。

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▲アルミの無塗装車体に秩父カラーであった茶色の帯を巻いたサハ352。台車も空気バネが奢られ、まさに秩父鉄道自社発注車のフラッグシップ的存在であった。'81.12.19 三峰口

今でこそ国鉄101系を改造した1000系をはじめ、都営地下鉄、西武鉄道と他社からの転籍車輌が主流を占めている秩父鉄道ですが、かつては自社発注のオリジナリティあふれる車輌が大きな魅力でもありました。その中でも白眉と言えるのが急行「秩父路」に用いられていた300系電車です。

ctk3n.jpgデハ100形を中心とした戦災復旧鋼体化改造車が主流をしめていた秩父鉄道に初めて登場した全金属製カルダン車がデハ300形でした。1959(昭和34)年日本車輌製のこの車は、当時流行りの「湘南顔」の前面に、中央寄りにオフセットした2扉セミクロスシートの車体を持つ20m車で、高度経済成長を背景にしたレジャーブームの一翼を担うべく誕生した意欲作です。デハ301+デハ302と303+304の2編成が誕生しましたが、1966(昭和41)年に中間車サハ351・352が新製されて3輌編成を組むこととなりました。しかも2輌のうちの1輌、サハ352にはアルミ車体が試用されたのですから驚きです。
▲1980年代に入ると小田急から来た800系(もと小田急1800形)が普通列車の主力となっていったが、急行運用はもちろん300系の独壇場であった。'81.12.19 武州中川

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▲「秩父路」のヘッドマークを掲げた300系3連。中間にはサハ352が挟まれている。同時代の長野電鉄2000系などとともに、レジャーブームを背景にした地方私鉄の意気込みが感じられる車輌だ。'81.12.19 三峰口

サハ352はアルミ車体を試用したのみならず台車も空気バネ式NA319Tを履き、どちらかというと地味な印象の強かった秩父鉄道に新風を吹き込みました。
実はこのサハ352、1960年代後半から何度か遭遇してはいるのですが、改めて写真を探してみると今回ご紹介するカットのみという体たらくで、いまさらながら何でもっときちっと撮っておかなかったのかと悔やまれてなりません。このサハ352、1992(平成4)年10月に3000系の投入によって廃車となり、その後しばらくは姿をとどめていたものの、結局は解体されてしまったと伝え聞きます。

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今年の10月ダイヤ改正から営業を開始するJR北海道の新型交流特急電車789系1000番代が完成、昨日札幌で報道公開が行われました。同時にもう一車種、特急型気動車キハ261系1000番代も公開されましたが、今日は789系1000番代を中心にご紹介してみましょう。
▲キハ261系1000番代と顔を揃えた789系1000番代車。先頭部形状は基本的に同じである。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)

kamui6n.jpg789系1000番代は、現在、特急「ライラック」「すずらん」で使用されている781系の置き換え用として新造された交流特急型電車で、札幌─旭川間に設けられる特急「スーパーカムイ」を中心に運用されます。編成は旭川・新千歳空港方1号車からクハ789-1000(Tc1)+モハ789-1000(M)+サハ788-1000(TA)+モハ789-2000(Mu)+クハ789-2000(Tc2)の2M3T。このうち、3号車のサハ788-1000は789系として初のT車、4号車は「uシート」車となっています。
▲「スーパーカムイ」の前面LED表示。白いラインが大雪山、青いラインが石狩川をイメージしているという。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)
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車体は形式からもおわかりのように2002年に「スーパー白鳥」用として落成した789系がベース。側扉は高気密式、床下機器はフルカバー化、側窓は樹脂と複層ガラスとなり、冬期運行の安定性の向上が図られています。前面の貫通扉は5輌固定編成としたことから見送られ、非貫通構造となっています。また、スカートがエッジを強調したものとなっているのも特徴です。

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▲10月ダイヤ改正でデビューを飾る特急「スーパーカムイ」用789系1000番代。789系0番代をベースに、ライト形状などが変更されている。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)
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車体色は、清潔感があり、都会的でクールな印象のシルバーメタリックを基調色に、JR北海道のコーポレートカラーのライトグリーンとライラックやラベンダーを連想させるバイオレットの帯を側窓下に添えて、スピード感を表現しており、これにより、同車と共通で使われる785系と連帯したイメージとなっています。

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▲789系1000番代の運転台。ワンハンドルマスコンを採用している。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)
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室内は好評な「uシート」(指定席)を4号車、1?3と5号車は普通自由席となっています。「uシート」はアースカラーを基調とし、腰掛形状に丸みを持たせた優しさと快適性を融合したデザイン。回転式の腰掛は可動式枕、ドリンクホルダー、パソコン用コンセントも備えられ、既存の「uシート」より機能性の向上が図られているのも特徴です。

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▲4号車の指定席車「uシート」の室内(左)。腰掛にはコンセントやドリンクホルダーも備えられている。右は普通席で、腰掛背面にはテーブルが用意されている。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)
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kamui7n.jpgこの789系1000番代は5輌編成×7本が製造され、本年10月1日ダイヤ改正から札幌─旭川間の特急「スーパーカムイ」と、札幌─新千歳空港間の快速「エアポート」で785系と共通運用される予定です。なお、これにともない国鉄初の交流特急型電車781系は引退、「すずらん」は785系に置き換えられることとなります。なお、現行の札幌─旭川間の愛称「スーパーホワイトアロー」と「ライラック」も781系とともに消滅することとなります。
▲キハ281系以降、愛称表示器の上部窓は乗客の前展望用として用意されたものだが、789系1000番代では業務用となった。このため客室から最前部まで行くことはできない。'07.7.11 札幌運転所 P:RM(新井 正)

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昨年末に刊行してご好評を頂戴した『思い出色のバス』の続編『思い出色のバス 2』が完成いたしました。模型界でも高名なベテランファン河村かずふささんの貴重なカラーポジと、日本のバス研究の泰斗である交通ジャーナリストの鈴木文彦さんの深い解説のコラボレーションは、バスファンのみならず多くの方から続刊を望む声が寄せられておりました。

omobasu31n.jpg今回は紙幅の関係から第一巻目でまったく取り上げられなかった「リヤエンジンバス」をフィーチャー。路線車編と観光車編の2章だてで、一冊丸ごとバスの最大主流派リヤエンジン車をたっぷりとご覧いただきます。鉄道の世界でもいわゆる“バス窓”として知られるHゴム支持の明かり窓を連ね、お国ぶり豊かなカラーリングを纏った初期のリヤエンジンバスは、まさに高度経済成長とともに全国を席捲しました。簡易舗装されたばかりの道路をメッキバンパーを輝かせてやってくるその姿には、ボンネット車やキャブオーバー車にはない新しい時代の希望が溢れていたような気がします。

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▲国際興業(左)と東武鉄道(右)のいすゞBA351A形。1950年代後半のいすゞリヤエンジンバスを代表するスタイルであった。(『思い出色のバス 2』より)

 1950?1960年代、リヤエンジンバスにとってもうひとつ忘れてはならないのが貸切観光バスでの活躍です。当初はボンネットバスが主流だった貸切観光バスも、まもなくより多くの定員がとれ、先進的なスタイルの箱型のボディが好まれ、リヤエンジンバスが主力となってゆきました。エアサスペンションやメトロ窓と呼ばれた引き違い窓、そして冷房つきのデラックスタイプ等々…東京オリンピックや大阪万博を背景にリヤエンジンバスは日本の“レジャー”を運び続けてきたのです。

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▲日立市の日産観光(左)と群馬中央バス(右)の三菱ふそうR280形。ともにふそうR200シリーズに多く見られた呉羽ボディーである。(『思い出色のバス 2』より)

■掲載社局
リヤエンジンバス 路線車
国際興業 東武バス 岐阜市交通部 鹿島参宮鉄道 松江市企業局 長野電鉄 姫路市交通局 東京都交通局 川崎市交通局 小田急バス 阪神電気鉄道 三重交通 仙南交通 東濃鉄道 富士急行 千曲自動車 岩手中央バス横浜市交通局 一畑電気鉄道 山陽電気鉄道 宮城交通 阪急バス 大分交通 諏訪自動車 京都市交通局関東乗合自動車 広島郊外バス 広島バス 日産自動車 名古屋市交通局 奈良電気鉄道 尼崎市交通局 松本電気鉄道 大阪市交通局 神奈川中央交通 豊橋鉄道 岩手中央バス 遠州鉄道 京浜急行電鉄 呉市交通局 西日本鉄道 国鉄バス 川中島自動車 日の丸自動車 東武鉄道

リヤエンジンバス 観光車
滋賀交通 国際興業 東京都交通局 新日本観光 吾妻観光タクシー おんたけ交通 仙南交通 駿河観光バス 群馬バス 昭和乗合自動車 全但バス 下津井電鉄 吉川観光自動車 阪神電気鉄道 江ノ島鎌倉観光 横浜交通 国際自動車 冨士自動車 ニュー東京観光 亀の井バス 神姫自動車 澤タクシー 水郷観光交通 オリンピック観光 千葉交通 京阪自動車 神戸市交通局 帝産オート 浜松市交通局 東海汽船 日産観光 両総観光自動車 三重交通 大阪緑風観光 阪急バス 近江鉄道 豊橋観光自動車 川崎市交通局 上田丸子電鉄 日東交通 鏡浦自動車 笠間市営バス 松本電気鉄道 中部観光自動車 京阪国際観光 相模鉄道 伊豆箱根鉄道 仙台鉄道 福島電気鉄道 東九州自動車 西日本鉄道 会津乗合自動車 常総筑波鉄道 神奈川中央交通 大分バス 名古屋近鉄バス 長野電鉄 国際観光 深谷観光 姫路市交通局 中丹交通 イースタンモータース

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▲姫路市交通局のいすゞBX91X(上)と東京都交通局のいすゞBA351D(下)。自治体運営の路線バスの塗色はそのまま時代を象徴している。(『思い出色のバス 2』より)

カラーで甦る昭和中期のバス
『思い出色のバス 2』1960年代・リヤエンジンバス
写真 河村かずふさ
解説 鈴木文彦
A4版 128ページ
定価 2500円(税込)

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千葉県市原市の株式会社日本AEパワーシステムズ千葉事業所内で保管されていた130トン積吊掛式大物車シキ160形がこのたび貨物鉄道博物館に運ばれることとなり、7月4日朝から大掛かりな搬出作業が行われました。貨物鉄道博物館からは岩沙克次館長・吉岡心平副館長をはじめ多くのメンバーが駆けつけ、めったに見られない大物車の分解を固唾をのんで見守りました。
▲吊掛式大物車としては小ぶりな方とはいえ、3軸台車4連の足回りは実際に目にすると圧倒される。ちなみに前回の全検入場まではスポーク車輪だったそうで、その点はちょっと残念…。'07.7.4
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IMGP2215n.jpgシキ160は1955(昭和30)年3月に日本車輌東京支店が富士電機製造株式会社向けに製作した130トン積吊掛式大物車で、全体の構成としては3軸台車4台とまくら枠2組、そして吊掛式の荷受梁からなっています。空車時の車体長さは22,626㎜。大型変圧器の輸送用として落成時は鶴見線安善駅に常備されましたが、工場の移転にともなって1963(昭和38)年9月に京葉臨海鉄道の京葉市原駅常備に変更となり、2002(平成14)年12月に廃車となるまで全国各地に変圧器を送り届けてきました。詳しくは先般3巻が揃ったばかりの吉岡心平さんのRMライブラリー『大物車のすべて』をご覧いただくとして、このシキ160が貨物鉄道博物館入りするにいたった経緯をかいつまんでご紹介してみましょう。
▲正面から見たシキ160の表情。短軸車輪のきりりと締った足回りがよくわかる。1/80スケール16.5㎜では再現できない狭軌感だ。荷受梁幅はほとんど車輌限界一杯に近い。'07.7.4

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▲トラス橋を連想させるシュナーベル式荷受梁と、ずらりと並んだ担いばね式の台車が後年の大物車にはない機能美を感じさせる。端梁間長さは22mほどと吊掛式大物車としては大きい方ではない。'07.7.4
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IMGP2171n.jpg株式会社日本AEパワーシステムズは富士電機・日立製作所・明電舎の3社の出資によって設立された重電メーカーで、シキ160を引き継いだ同社としては歴史的価値のあるこの貨車を何とか解体せずに後世に残せないかと模索していたそうです。そこに名乗りを上げたのが三岐鉄道丹生川駅に隣接する貨物鉄道博物館です。ただ、モノは貨車の王様・大物車、そう簡単には運べません。そんななか、今回は日本AEパワーシステムズのご好意で、搬出・運搬・搬入まですべて面倒を見てくださるという素晴らしい条件での「寄贈」となったのは、なにを置いても特筆せねばならないでしょう。
▲分解前のシキ160の横でテレビのインタビューに応える“プロフェッサー吉岡”こと吉岡心平さん。'07.7.4

貨物鉄道博物館では、このシキ160は鉄道貨物輸送の一分野である特大貨物輸送を象徴する貨車で、現存する吊掛式大物車では国内最古であり、世界的に見ても大物車の博物館での保存例はきわめて少ないことを考えあわせれば、産業遺産保存の観点からも貴重な事例となると、この寄贈をたいへんありがたく受けとめています。

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▲作業は日本通運の特殊輸送チームがあたる。いよいよ50トンクレーンが到着(左)し搬出準備作業が始まる。ただモノがモノだけに荷受梁を吊る準備だけでも2時間近くを要した。'07.7.4

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▲左右の荷受梁はピンで結合されており、まずはこれを抜かねばならない。ようやく抜けはじめたピン(左)と、内側からこのピンを止めていた巨大なナット(右)。'07.7.4

搬出は50トンクレーンとトラック7台によって行われましたが、荷受梁はともかく、まくら枠などまで分解されることは全般検査で車輌メーカーに入場した時以外にはありえず、非常に貴重なシーンの連続でした。ことに左右の荷受梁を繋いでいるピンを抜く作業は手に汗握る緊張感漲るもので、見ている私も思わず力んでしまったほどです。聞けばこのピン、クリアランス0.2㎜で挿入されており、抜く時にもたいへん神経を遣う吊掛式大物車のアキレス腱のような部分だそうです。

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▲しばらく稼動していなかったこともあって結合部が外れにくく、ようやく最初の荷受梁がクレーンで吊りあがったのは作業開始から3時間近く経ってから…。これから7台のトラックに載せられたシキは、さながらコンボイのごとく貨物鉄道博物館を目指して東海道を下ってゆく。'07.7.4
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今回のこのシキ160搬出・搬入の様子は今月発売のRM本誌でたっぷりとご覧いただく予定となっていますが、実は当日はNHKテレビも取材に来ており、後日番組として放映される予定だそうです。詳しくはまたお知らせできると思いますので、どうかこちらもお見逃しなく。

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▲早朝の丹生川に巨大なトラックが続々と到着する。荷受梁は車体幅の関係もあって横に寝かせて運搬されている(左)。そしていよいよクレーンで組立開始(右)。'07.7.6 P:南野哲志
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▲いよいよ組立完成。工場内とはうってかわってのんびりとした田園風景の中で恵まれた余生を送ることになったシキ160。'07.7.7 P:南野哲志
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なお、貨物鉄道博物館ではこのシキ160を8月5日(定例開館日)から一般に公開する予定だそうです。8月5日の初日には10時30分から譲渡式を行なうほか、大物車に関する講演を計画、NHKのテレビ取材も予定されているそうです。また鉄道部品や関連書籍などの即売会も開催されますので、夏休みの一日、シキ160に会いに貨鉄博にお出でになってみては如何でしょうか。

※本エントリーは搬出当日の7月4日に数時間アップいたしましたが、貨鉄博への搬入・設置が安全に完了するまで一時閉じさせていただきました。設置・整備が無事終了いたしましたので、改めてご紹介申し上げる次第です。

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▲温かい電灯色に照らされた会場のシンボル的存在「つばめ」の展望車。バリアフリーを配慮して展望台へはスロープが設けられている。'07.7.9

江戸東京博物館で2ヶ月にわたって開催される「大鉄道博覧会」がいよいよ開幕、今日はプレス発表を兼ねた内覧会が盛大に開催されました。この「大鉄道博覧会」は?東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、読売新聞社が主催し、JR7社が後援するもので、「昭和への旅は列車に乗って」のサブコピーが物語るように、戦後から高度成長期への鉄道と社会の関わりをテーマにした展示が大きな特徴となっています。

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▲盛大に行われた開会式で挨拶に立つ江戸東京博物館竹内館長(左)。鉄道アイドルとしてブレーク中の豊岡真澄さんも登場、一般マスコミの注目を浴びていた(右)。'07.7.9

すでにこのブログでも「下工弁慶号」搬入の様子や、着々と進む展示準備の状況などをお伝えしてきましたが、改めて完成した会場内を見ると、その照明効果もあって、準備時とは打って変わった展示物の生き生きとした表情が印象的です。

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▲これが2ヶ月にわたって開催される特別展「大鉄道博覧会」のエントランス。一歩会場内に入ると巨大な映像が待っている。'07.7.9

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▲かつて交通博物館に展示されていたドアエンジン(左)も展示されている。右は閉塞装置などの実物展示。'07.7.9

内覧会には監修された小池 滋先生、青木栄一先生をはじめ、特別展示コーナーが設けられている星 晃さんもお出でになり、マスコミの皆さんに取り囲まれていました。

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▲会場には国鉄旅客車の生みの親のおひとり星 晃さんのコーナーが設けられ、さまざまな生の資料も展示されている。今日は星さんご本人も来場され、テレビのインタビューに応じておられた。'07.7.9

また、夕方からは鉄道系(?)アイドルとして人気の豊岡真澄さんのインタビューやフォトセッションも行われ、会場は華やいだ雰囲気に包まれました。ちなみに豊岡さんとはこの5月のNHKラジオの特番でご一緒し、3時間近く隣でマイクに向かっていましたが、クローズドなラジオスタジオとは別に、テレビライトとストロボが交錯するこういった会見場での堂々とした対応ぶりに、改めてプロフェッショナルな姿を垣間見る思いがしました。
この「大鉄道博覧会」、会期は9月9日(日曜日)までの55日間。まさに夏休みを貫く一大イベントが、いま幕を開けました。

雄別鉄道記念館のC11。

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北海道の運炭私鉄の多くは炭礦の閉山とともに1970(昭和45)年初頭までにはその姿を消してしまいましたが、道東最大規模の炭礦鉄道であった雄別鉄道もそのひとつで、1970(昭和45)年4月16日付けでその半世紀近い歴史の幕を閉じました。私にとってこの雄別鉄道もわずかに間に合わなかった痛恨の鉄道のひとつで、歴代の在籍機のバラエティーも大きな魅力に思えます。
▲ボランティアの皆さんの手によって塗装の修復が行なわれているC11 65。立派な上屋が設けられているものの冬期の厳しさは察するに余りある。'07.1.21
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▲雄別にはのべ5輌のC11が在籍したが、この65号機は1961(昭和36)年に国鉄から転入したもの。キャブ横には雄別鉄道の社紋が描かれている。背後の記念館正面に掲げられている「阿寒駅」の駅名額は実際に使われていたもの。'07.1.21
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廃止時まで残った機関車のうち、有名な8722は現在でも釧路製作所構内に素晴らしい状態で保存され、広く知られていますが、もう1輌、C11 65が阿寒町の雄別鉄道記念館に保存されています。

yuubetuc11n3.jpgこの1月、「北海道の鉄道と連絡船を保存するシンポジウム」の帰路、奥山道紀さんに空港まで送っていただく際に、この記念館をご案内いただきました。「あかんランド丹頂の里」と名づけられたこの一帯は、阿寒国際ツルセンターや丹頂観察センター、さらには道の駅「阿寒丹頂の里」などが建ち並ぶ観光ポイントです。真冬にも関わらず丹頂鶴のシーズンとあって結構な賑わいでしたが、記念館のあるキャンプ場はオフシーズンとあって人気はなく、記念館そのものも冬季休館中(今年は6~9月の日曜日、および8/1~19のみ開館)で、館内に保存展示されているという雄別鉄道関連の資料は見ることができませんでした。
▲C11の後ろには国鉄のオハ62 95とヨ8057も保存されている。'07.1.21
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お目当てのC11 65は記念館の裏手に客車と緩急車を伴って保存されていました。奥山さんによれば少し前にボランティアの皆さんの手で修復と再塗装が開始されたそうで、フロントデッキ回りなどは実に綺麗に甦っていました。ただ後ろに続くオハ62は塗装も剥げ落ちてかなり荒廃が進んでおり、地元の産業遺産を顕彰するための保存だけに、行政の手によってメンテナンスがなされてほしいと願わずにはいられませんでした。
この記念館には鉄道のみならず炭礦関連の様々な資料展示もあるそうで、ぜひ一度、今度は開館シーズンに再訪してみたいと思っています。

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鉄道友の会(会長・須田 寛、会員約3400名)は、1958(昭和33)年の第一回(受賞:小田急電鉄3000形SE車)以来ちょうど50回目となる2007年「ブルーリボン賞」に富山ライトレールの0600形「ポートラム」を選定しました。また、「ローレル賞」はJR東日本のE233系と西日本鉄道の3000系に決まりました。改めてご紹介するまでもないかと思いますが、両賞は前年中に“営業運転に就いた”新車を対象に、「ブルーリボン賞」は全会員の投票をもとに会員が優秀と認めた車輌に、「ローレル賞」は性能・デザイン・製造企画・運用などの諸点に卓越したものがあると選定委員会(10名)が認めた車輌に贈られます。ちなみに今年のノミネート車輌は11車種でした。
▲見事今年の「ブルーリボン賞」に輝いた富山ライトレール0600形「ポートラム」。ちなみに50年にわたる同賞の歴史の中で純然たる路面電車が受賞するのは初めてのこと。'07.4.30 P:名取紀之
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投票の結果、2007年「ブルーリボン賞」は、有効投票3012票のうち、最高得票の780票を獲得した富山ライトレール0600形が受賞しました。富山ライトレールについては一周年を迎えたつい先日も このブログでご紹介していますが、鉄道友の会のプレスリリースよりもう一度その概要と選定理由をご介してみましょう。

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▲富山ライトレール0600形の車内。バリアフリー化を念頭に細部まで実に心配りのなされたものとなっている。'07.4.30 P:名取紀之

富山ライトレール0600形は、富山港線を日本で初めての本格的なLRT(Light Rail Transit)に転換するために導入された超低床LRV(Light Rail Vehicle)で、「ポートラム」という愛称がつけられています。主要構成は、新潟トランシス製の標準車両を基本とし、路面の軌道区間だけでなく旧富山港線の鉄道線区間を最高速度60km/hで実際に走行することを前提としているのが最大の特徴となっています。
外観は地上側とのトータルデザインにより、立山の新雪をモチーフとしたスノーホワイトを基調色に、アクセントカラーをシンプルに配したものとし、細部のデザインについては公募により決定されています。アクセントカラーを編成ごとに変化させることで、各編成の個性を主張させています。また、開業時からICカードシステムを本格的に導入しており、すべての出入り口にICカードリーダを設置して、各種運賃制度の運用に柔軟に対応可能としています。デザインと機能の両面において、公共交通を活かして進める「街づくり」を担わせる意図を明確にした上で企画された車両であり、全ての車両をこの「ポートラム」で揃えて開業したことも、富山ライトレールの成功へと導いた大きな要因といえます。
少子高齢化の進行が加速する中、地域公共交通の復権が改めて待望される状況において、廃止寸前の地方ローカル線から「都市の装置としてのLRT」としていちはやく再生の一歩を踏み出した富山ライトレールのシンボルとして、この「ポートラム」は鉄道友の会の多くの会員の支持を集めたことから、今回ブルーリボン賞に選定しました。

jree233.jpgいっぽう、ローレル賞に選定された東日本旅客鉄道E233系は中央線用として登場した一般型電車で、今後の標準車輌として首都圏の各線への導入が計画されています。
“利用者にとって魅力ある車両の登場が、最近のコストダウン一辺倒の風潮に一石を投じ、今後の標準車両のコンセプトとして各社に波及することで、利用者重視という姿勢が新しい通勤車両のスタンダードとなることが期待される中、そのリード役としてE233系が存在感を確立していくものと思われ”(プレスリリースより)、「利用者第一の設計コンセプト」、「上質な車内サービス装備の標準化」、「機器二重化による故障対策の実現」といった特徴が、選考委員会において評価されたことから選定されたものです。
▲ローレル賞に選定されたJR東日本のE233系。P:鉄道友の会提供

JRW3000.jpg同じくローレル賞に選定された西日本鉄道3000系は西日本鉄道としては初のステンレス車体を採用した通勤用車輌です。
ステンレス車体の採用とともに、技術面では、車体の鋼体部分の接合の大半に日本の鉄道車輌としては初となるレーザー溶接を採り入れた点、客室設備としては転換クロスシート中心とすることで、従来の西鉄の通勤車輌にない高い車内サービスを実現した点、また、インバータ制御装置の機能を3種類にモード変化をさせることで、故障時の対策を強化している点、短編成用の故障対策システムとして、高度な機器を用いることで、機器の搭載数を押さえる効果をもたらした点などが選考委員会において高く評価されて選定されたものです。
▲同じくローレル賞に選ばれた西日本鉄道3000系。P:鉄道友の会提供

ところで、鉄道友の会は先週末の定時総会において、馬渡一眞前会長の逝去にともなう会長人事を決定、新会長に前JR東海代表取締役社長・会長の須田 寛さんが就任されました。産業観光にも力を注がれてきた須田会長だけに、今後の鉄道友の会の活動がさらに期待されます。

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6月28日付けの本ブログで速報をお伝えした小田急ロマンスカーの50周年記念旧塗装車(7000形)ですが、3000形SE車が営業運転を開始してからちょうど50年目にあたる今日、新宿駅で「ロマンスカー50th記念セレモニー」が行われました。
▲新宿駅1番線ホームでは現在と過去の制服を着用したロマンスカーアテンダントも交えて盛大にくす玉開披が行われた。'07.7.6 新宿 P:RM(新井 正)
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lse22nn.jpg新宿駅地上1番線ホームで11時過ぎから行われた記念セレモニーでは、まず小田急電鉄大須賀社長が挨拶、続いて11時11分にデビュー当時のオレンジバーミリオンとグレーの塗装に甦った7000形7004Fによる臨時特急「旧塗装特別記念号」が入線、ホームを埋め尽くすファンから大きなどよめきが起こりました。続いて現在と過去の制服を着用したロマンスカーアテンダントを交えてくす玉が割られ、乗客代表が特製のバースデーケーキに入刀、セレモニーはクライマックスを迎えました。
▲開式にあたって挨拶に立つ小田急電鉄大須賀社長。'07.7.6 新宿 P:RM(新井 正)

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▲ホームの案内表示に掲出された「旧塗装特別記念号」の発車案内。VSEの次に発車する(左)。右は半世紀前に3000形SE車が掲げたマークを踏襲した前面表示。'07.7.6 新宿 P:RM(新井 正)
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限定400名の限られた枠に当選したラッキーなお客さんを乗せた臨時特急「旧塗装特別記念号」は11時20分に新宿駅を発車、小田原(13時03分着)までの車内では新旧の制服を着たロマンスカーアテンダントによる記念商品の販売なども行われました。なお、既報のとおりこの旧塗装復元車7004Fは今後は定期のロマンスカー運用に充当される予定となっています。

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▲乗客代表やロマンスカーアテンダントによって特製のバースデーケーキに入刀。ホームに大きな拍手がまき起こった。'07.7.6 新宿 P:RM(新井 正)
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▲今日から車体側面に貼られた50周年アニバーサリーステッカー(左)。ちなみにこれは10000形のものだが、運用中の全ロマンスカーに貼付される。右は3000形と50000形があしらわれたバースデーケーキ。'07.7.6 新宿 P:RM(新井 正)
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江戸東京博物館で開催される「大鉄道博覧会」の開幕がいよいよ来週に迫ってきました。会期は7月10日(火曜日)から9月9日(日曜日)までと、この夏休みを貫く大イベントだけに、新聞でも取り上げられるなど日増しに期待感が高まってきています。

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▲今回の博覧会のシンボルのひとつでもある「つばめ」の展望デッキも着々と再現されつつある(左)。右は「鉄道から見た昭和の変遷」に展示される赤帽の荷物。実際に赤帽さんに来館してもらって結わいたというからその拘りはさすが江戸東京博物館。'07.7.4

会場の設営、展示準備も今まさに真っ最中です。「下工弁慶号」と糸魚川からやって来たもと東洋活性白土の2号機(「くろひめ」号)の2輌の実物蒸機が会場入りしてから、急ピッチで各展示ブースが設営されましたが、なんと言っても大注目なのはエントランスのすぐ脇に設置された「つばめ」の展望デッキです。コーディネーターを務める米山淳一さんの拘りもちりばめられたこの展望デッキ、もちろん実物大で、実際に中に入ることも出来ます。オープン後は記念撮影を希望される家族連れで大賑わいになること間違いないでしょう。

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▲はるばる糸魚川から東洋活性白土で使われていた2号機もやってきた。実用蒸気機関車としてはわが国最後の製品とされている。'07.7.4

ところで、先般このブログの「下工弁慶号搬入大作戦」でご紹介した下工弁慶号に続いて、先週末には糸魚川市から「くろひめ」こと東洋活性白土の2号機が会場入りしました。協三工業製の6tBタンク機であるこの2号機は、1956(昭和31)年製の銘版が示すとおり“実用”として新製された蒸気機関車としてはわが国最後のもので、期せずして100歳を迎えた超古典機と最新機が会場内で顔を合わせたわけです。

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▲トラックに載せられて博物館搬入口に到着した2号機。「下工弁慶号」と同様にエアーキャスターに載せられて会場内へと搬入された。'07.7.1 P:岡本憲之

ちなみにこの2号機、糸魚川市から江戸東京博物館入りする前に成田ゆめ牧場へ立ち寄り、同牧場で活動を繰り広げている羅須地人鉄道協会の皆さんの手によって、見違えるようにきれいに化粧直しされています。古い塗装を全剥離して塗装をし直し、砲金部品を磨き出すなど、わずか数日間で信じられないほどの献身的な作業が行われたそうです。

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▲まるで“新品”のように素晴らしい状態に修復された2号機。ちょうど100年前の小型蒸機と最後に誕生した蒸気機関車が両国の地で顔を合わせた。'07.7.4

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▲ひと足先に到着していた「下工弁慶号」も先週末にボランティアの手によって磨き直され、素晴らしくきれいな状態となって開幕を待っている。'07.7.4

先般ご紹介した宮下洋一さんの作品展をはじめ、もと国鉄副技師長で「こだま」生みの親のお一人でもある星 晃さんの特別展示コーナーなど、会場内は欲張りなほど見所がいっぱいです。また、下記フライヤーにも見られるように鉄道映画祭などのイベントも盛りだくさんです。会期半ばの8月18日(日曜日)には向谷 実さんと私のトークショーも予定されていますので、こちらもぜひご期待ください。

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この春発行した新刊2点があいついで「日本図書館協会選定図書」に選ばれました。諸河 久さん、吉川文夫さんによる『新版 総天然色のタイムマシーン』と、椎橋俊之さんの『SL甲組の肖像』(第1巻=残部僅少につき在庫はお問い合わせください)です。

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この日本図書館協会選定図書とは、文部科学省所管の公益法人・社団法人日本図書館協会の専門選定委員が、年間約6万点にもおよぶ新刊書のなかから、公共図書館に相応しい出版物を選定するもので、小誌編集部からはこれまでにも『永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち』などが選出されております。
▲『SL甲組の肖像』盛岡機関区編より。青森区のC61の横を入換中のD51 134〔盛〕がかすめる。電化前の東北本線にはいたるところにドラマがあった。'68.1.14 一戸 P:椎橋俊之
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両書についてはこのブログでもすでに詳しくご紹介(『新版 総天然色のタイムマシーン』『SL甲組の肖像』(第1巻))しておりますが、写真の歴史性もさることながら、『新版 総天然色のタイムマシーン』ではその地方史的側面、『SL甲組の肖像』では聞き取り調査によるオーラルヒストリーの記録性が評価につながったもので、著者の皆さんはもとより、編集担当者としてもよろこばしい限りです。『SL甲組の肖像』の方は現在好調に連載を継続中で、すでに今月発売の瀬野機関区編で42回目を迎えます。秋には連載をまとめた第2巻も完成する予定です。どうかご期待ください。

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レイアウトを志向されているモデラーの方なら、宮下洋一さんのセクションをご存知ない方はおられないでしょう。1990年代に何度も『RM MODELS』誌上で作品を発表いただきましたが、そのたびに衝撃を受け、レイアウトへの思いを新たにしたのは私だけではないはずです。
▲秋の陽が田島口駅を包む。吊り掛け音を響かせて小さな電車がやってきた。時は昭和38年晩秋…宮下さんの傑作「中越鉄道田島口駅」をアパーチャーをピンホール状に絞り込めるように改造したキヤノンFD35㎜で撮影させてもらった。ファインダー越しに作者の“思い”が伝わってくる。P:名取紀之
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▲こちらは「茶色の電車が通る道」と題した小さなセクション。踏切脇の雑貨屋の裏手には洗濯物が…。P:名取紀之

その宮下さんの作品の実物が、来週から始まる江戸東京博物館の「大鉄道博覧会」会場で実際にご覧になれる運びとなりました。誌上では模型としての作り込みはもちろんのことながら、可能なかぎり作者の“思い”も伝わるように誌面展開を図っているつもりではありますが、当然のことながら紙媒体では限界もあります。いうなれば絵画などの美術品と同様に、実際に自分の目で見ればまた違った感動も味わえるはずですので、ぜひこの機会に会場で実物をご覧になってみてください。

miyasita3n.jpgさて、その宮下洋一さんの作品をまとめた『地鉄電車慕情』の改訂新版(税込1500円)が完成いたしました。6年ほど前にムックとして発行し、好評裏に完売してしまっていましたが、今回の「大鉄道博覧会」開催にあわせ、新作を追加してのリニューアル新版となっています。宮下さんが長年にわたって心象鉄道として模型化し続けてきた中越地方鉄道=「地鉄電車」も終着駅・山田の完成をもって最終章となりますが、完結編と銘打つだけあってその完成度は尋常ではありません。メイキング解説「終着駅山田の出来るまで」も収録しておりますので、これから第二、第三の「地鉄電車」を目指そうという方には座右の書となるはずです。
▲同じく「茶色の電車が通る道」より。築堤下の村の消防団詰所に火の見櫓。いつか見たデジャブを感じさせる心象風景がそこにある。P:名取紀之

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▲地鉄電車完結編と銘打たれた終着駅・山田駅前の「大衆食堂」(左)と新作の中越地方鉄道軽便軌道線の夜景(右)。どの角度にも数々の物語が詰まっている。P:青柳 明
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cdbhyousi1n.jpg宮下さんのレイアウトを実際に拝見すると、ぐいぐいと引き込まれる“魔力”のようなものが感じられてなりません。見れば見るほど細かい部分にまで心象風景が溢れていて、かといってそれが過剰なギミックとなっていない心地よさと言いましょうか、ご本人の温和なお人柄に似て、見る者の心まで解きほぐしてくれる…そんな力が宮下さんの作品には秘められているような気がします。

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年鑑として毎年ご高評を頂戴している『JR全車輌ハンドブック』の2007年版の編集作業がたけなわです。本書では毎年華々しく登場する新車を新たに採録することはもちろんですが、塗色の変更等で現状にそぐわなくなった写真の差し替えが、実はご想像を超えるたいへんな作業で、新井副編集長主導のもと、協力デザイン会社も一丸となっての作業が続いています。
▲1輌しかいないクハ188-600番代を先頭にした189系N103編成。現在は信越線の「妙高」で活躍中。'07.6.22 長野総合車両センター P:RM(高橋一嘉)

189_145n.jpg先日もJR東日本長野支社のご協力のもと、編集部の高橋君が今年の『ハンドブック』用の取材をしてきてくれました。長野近辺ではキハE200や燃料電池のテストが進行中のNE@トレインが話題ですが、この日の取材対象は189系と115系。はて、なぜ今189系と115系?と思われる方もおられると思いますが…。189系はN103編成。現在は信越線の普通列車「妙高」に使用されているこの編成の両端には、クハ188-102とクハ188-602というサハ481からの先頭車改造車が連結されています。この番代は現在ではこの各1輌のみとなってしまいましたが、昨年版までは「あずさ」で活躍当時のものが採録されており、これを差し替えるための取材なのです。
▲クハ188-102を先頭にした189系N103編成とクモユニ143、奥には新潟から来た485系“NO.DO.KA”の姿も見える。'07.6.22 長野総合車両センター P:RM(高橋一嘉)

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▲訓練車となった115系N15編成。下り方からクハ115-1222+モハ114-1180+クモハ115-1074。'07.6.22 長野総合車両センター P:RM(高橋一嘉)

次は長野総合車両センターに隣接した訓練センターに移動、115系N15編成を取材。こちらは今年から長野支社の訓練車となった編成で、訓練などで出張する以外はこの訓練センターに常駐しているとのこと。長野色から湘南色に戻され、訓練車でお馴染みの白帯が貼られています。

115cabn.jpgこの日はあいにくの雨となってしまいましたが、各部署の皆様のご協力のもと、無事取材を完了しました。今回の取材に限らず、1輌しかいない派生番代の取材など、わざわざ遠方に出向くことも少なくなく、『JR全車輌ハンドブック』が書店に並ぶまでには、一年間にわたる地道な努力の積み重ねがあります。ご好評をいただいている付録データベースDVDも今年度版からさらに機能が充実。どうか8月下旬の発売をお楽しみにお待ちください。
▲クハ115-1222の車内。運転室の仕切りが大きく改造されている。
'07.6.22 長野総合車両センター P:RM(高橋一嘉)

DB10の制動装置。

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学生時代に貨車移動機の歴史を調べていた際、DB10形の写真を見ながらふと奇妙なことに気づきました。制動装置がないのです。もちろんブレーキが装備されていないわけがないのですが、少なくとも外見から判断するに、通常の制輪子を用いた踏面ブレーキは見当たらず、いったいどうなっているのだろうと、それ以来気にかかってなりませんでした。
▲国鉄工作局発行『車両の80年』に見るDB10。「昭和7年(1932年)貨車の手押(人力)入換代用として川崎、日本、日立の各車両会社で製作されたB形の小型ディーゼル機関車である。機関は池貝及神戸製鋼製4気筒50馬力で4段変速歯車式伝導装置を採っており、牽出時206t、20km/h、時勾配10%で33t(※ママ)の牽引力を有するから、貨車の入換としては十分であろう。車体長6m、巾2.6m、重量10.5t。両数8両」と解説されている。

db10n1n.jpgそんな疑問が氷解したのが『森製作所の機関車たち』の下調べをしていた際に見つけた『The Locomotive Engineering』誌の記事でした。DB10の誕生直後、1932(昭和7)年に書かれた「DB10形式ヂーゼル機関車の構造及作用」と題するこの解説は、残された資料が極めて少ないDB10形の実際をこと細かに伝えてくれるたいへん貴重な文献で、当然ながら長年の疑問であった制動装置に関しても構造図入りで紹介してくれています。結果は、想像通りのいわばドラムブレーキでした。以下、その構造を解説を引用しながらご覧に入れましょう。
▲DB10のディメンション。8輌のうち池貝鉄工所製の4HSD12形機関を搭載したものが7輌、神戸製鋼所製の4Z12形機関を搭載したものが1輌であった。(『The Locomotive Engineering』1932年6月号より)
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▲これが問題の制動装置。逆転機から後軸のドライブスプロケットへの伝動はシングルチェーンであることもわかる。(『The Locomotive Engineering』1932年6月号より)

「制動機は従来のものと異なり車輪を制動せず、歯車装置の中間軸の右側にドラムを固定し、このドラムの両側に制動裏張を有する制輪子を圧し、制動の目的を達する」と前置きされて掲げられた図でその作用を見てみると、運転席の制動テコを引くことによってまず制動引棒①が引かれ、制動テコ②および引棒⑤によって制輪子釣③⑥に取り付けられた制輪子④⑦が回転するドラム⑧を制動するわけです。なお、制輪子釣受⑨は台枠に取り付けられています。

db10n4n.jpgこの「DB10形式ヂーゼル機関車の構造及作用」によれば、「制動率は約50%であるが、同じ制動率でも従来のものに比すればその制動能力は遙に高い」と評価していますが、頻繁に制動をかける入換機という前提を考えると、果たしてその実態はどうだったのでしょうか。ちなみに川崎車輌はこのDB10に酷似したガソリン機関車(10t/BUDA BTU形50Hp搭載)を翌1933(昭和8)年1月に設計していますが、こちらも同様のドラムブレーキを採用する予定となっていました。
▲運転室機器配置。図番の③が制動テコ。ちなみに①が変速テコ、②が逆転レバー、④がクラッチペダル、⑤が砂撒ペダル、⑥がスロットルレバー、⑦が燃料噴射時期調整レバー、などである。(『The Locomotive Engineering』1932年6月号より)
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