趣味の総合サイト ホビダス
 
 

レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2007年5月27日

忘れえぬ駅・平渓線十分。

zyuubunn2n.jpg
国内外を問わずお気に入りの駅を10駅挙げよ…と言われたとすると、私にとって間違いなくランクインするのが台湾の平渓線十分(Shihfen)駅です。今では映画のロケ地として内外に知れ渡り、しかも台湾もこれまでにない鉄道旅行ブームとあって、週末には多くの行楽客が繰り出す結構な観光地となっているようです。
▲十分駅を出た上り列車は老街へと続く商店街の中を併用軌道のように進む。この当時はまだ観光客の姿もほとんど見かけなかった。左端に十分飲食店の看板が見える。'91.5.21

zyuubunnmap2nn.jpg私が最初にこの十分駅を訪れたのは、台湾鉄道趣味界の長老・古 仁榮先生に連れられてでした。古先生は鉄道の写真撮影などもってのほかだった1960年代から、計り知れない苦労を重ねてお一人で趣味を遂行し、日本にも多くの友人を作られました。毎年のように来日され、臼井茂信さんらと一献傾けるのが恒例でもあり、そんな関係から案内役を買って出てくださったわけです。
▲平渓線は台湾鉄路局東部幹線(宜蘭線)の三貂嶺を起点に菁桐まで12.9kmを結ぶ。もともと運炭線として敷設されたもので、沿線には無数の炭礦がひしめいていたが、現在ではさすがにその姿をみることはできない。
クリックするとポップアップします。

zyuubunn1nn.jpg
▲渓谷に抱かれた十分駅の一日は爽快な朝日の中で始まる。右に見える白い建物が駅本屋。交換待ちの気動車はDR2100形で、一見キハ20系列のように見えるが、もとをただせば1931(昭和6)年日本車輌製のキハ07系列の更新改造後の姿。この時点で車齢60年に達していたことになる。'91.5.21

平渓(Pingsi)線は台湾鉄路局東部幹線(宜蘭線)の三貂嶺(Sandiaoling)から菁桐(Jingtong)まで12.9kmを走る典型的ローカル線で、戦前に周辺の石炭資源の運搬を目的に敷設された、いわば運炭線です。1929(昭和3)年に台湾総督府が買収して平渓線と命名され、以後、沿線の大小無数の炭礦から出炭する石炭を台北や基隆港へと送り出してきました。古先生のご案内で訪れたのは、まだこれらの炭礦が細々ながら稼動していた時代で、橋梁の袂に残る監視塔や、駅待合室に掲げられた防空要綱などとあいまって、観光路線どころか純然たる産業路線といったイメージでした。

zyuubunn13n.jpg台北から日本で言うところの旧型客車の「平快」に揺られて早朝の東部幹線を瑞芳へ。ここで平渓線へと乗り換えるわけですが、当時の平渓線はDR2100?2400形と呼ばれる旧型気動車が集中配置されており、これも大きな魅力でした。このDR2100、2200、2300、2400形、姿形はすっかりキハ10?20系列を連想させる近代的なものとはなっていますが、実はどれもが1931(昭和6)?1937(昭和12)年に日本車輌で製造されたキハ07系列機械式気動車の更新改造車。手動のドアが開け放されたまま、激しく揺れながら平渓線を行く姿は今もって強く印象に残っています。
▲商店街から上り方三貂嶺方面を見る。右側の坂を上がってゆくと十分老街と呼ばれる旧市街に出る。'97.10.19

zyuubunn11n.jpg十分駅の最大の魅力は駅北側に広がる線路沿いの商店街にあります。線路沿い…と言うよりはほとんど併用軌道状態で、駅を出た上り列車は商店の軒下をかすめるように“併用軌道”へと進みます。かつてはこの先に新平渓煤礦への側線が分岐しており、商店街を石炭列車が行き交う様は異様ですらありました。
ところでこの線路沿いの商店街にはいくつかの飲食店もあり、軒先を行く列車を愛でながら食事をとることもできます。十分飲食店もそのひとつで、こちらのチャーハンとシジミのスープはお勧めです。
▲線路脇の飲食店で食事をとっていると野良犬が入ってきた。周辺にはやたらと犬が多いが、そこは歓迎光臨、どの店の人も決して追い出そうとはしない。折りしもDELの牽くセキ列車が轟音とともに通過してゆく。'97.10.19

zyuubunn5n.jpg
▲十年前のこの頃は沿線にまだ細々と出炭を続けている炭礦があり、日に何往復かの運炭列車が設定されていた。商店街を分け入るように進むセキ列車はなかなかの見ものだった。'97.10.19

zyuubunn4n.jpg幾度となく足を運んだこの平渓線十分駅ですが、気づいてみるとこの秋で十年のご無沙汰になります。映画のロケ地となったこともあって、いまやすっかり観光名所となり、あの“併用軌道”にもプランターの柵ができるなど、かなり様相が変わってきていると聞きます。旧型気動車DR2100?2400たちも1998(平成10)年には同じ日車製の冷房付新車DR1000形に置き換えられ、さらに最近では派手なラッピングまで施されているそうです。記憶に残るあの十分とはかなりの落差がありそうですが、是非もういちど訪れてみたい駅ではあります。
▲十分駅にも近隣の重光煤礦が出炭していた。といっても小規模な炭礦ゆえセキ1車を満杯にするのも容易ではない。移動機もなく、積み込みを行っていたおばさんたちがセキを手押しで構内へと押し戻す。'96.3.18