鉄道ホビダス

2007年5月25日アーカイブ

十勝鉄道の保存車たち。

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市内に残っていると聞いた十勝鉄道の4号機を訪ねて帯広を訪れたのは、半年ほど前、冬の訪れを目前にした11月のことでした。帯広駅から南西にのびる大通りは、はるか彼方の信号まで見渡せるほど広々と一直線に続いています。“内地”の人間にはそれが実に新鮮でもあり、また碁盤の目のように区画された市街は目的地を探すのに実に便利でもあります。
▲十勝鉄道4号機とコハ23は意外なほど繁華街に近い住宅地に保存されている。きちんとした上屋が設けられ、定期的に手入れがなされているようで状態は非常に良い。'06.11.5

tokachi5n.jpg4号機と2軸客車コハ23号が保存されている「とてっぽ通」(西7条南20丁目)はあっけないほど簡単に見つかりました。しかも想像していた状況とはまったく異なり、繁華街にほど近い宅地の中ではないですか。説明看板によると、この住宅街を貫く道こそがもとの十勝鉄道の線路跡だそうで、中洲のような遊歩道を挟んで左右に片側一方通行の自動車道が設けられています。お目当ての2輌は写真こそ撮りにくいものの、頑丈な上屋に護られてまことに状態良く保存されており、懸念されたコハの木造車体部にもあまり傷みは見られません。
▲蒸気溜や排気管カバーに付けられた日本車輌のプレートもしっかりと残っている。ただ煙室扉に大書された「4」の文字はちょっといただけない…。'06.11.5
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▲4号機は1920(大正9)年日車製の12t機。実にまとまりの良いスタイルのCタンク機である(左)。コハ23は18人の乗りのオープンデッキ2軸客車で、もと河西鉄道(十勝鉄道清水部線)の出身、なおかつ楠木製作所製と伝えられるの由緒あるもの(右)。'06.11.5
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tokachi6n.jpg広大な十勝平野に広がる畑から砂糖の原料となる甜菜を製糖工場に運ぶ目的で十勝鉄道がスタートをきったのは1924(大正13)年。以後、帯広を起点にさながら熊手のように支線を伸ばしてきました。珍しい3’6”(1067㎜)ゲージと2’6”(762㎜)ゲージのデュアルゲージ区間(新帯広?工場前間)が存在したことでも知られ、最終的に貨車まで含んだ総保有輌数は膨大な数に達しました(その辺の詳細は『消えた轍』(第1巻:北海道)や先日再版が完成した『軽便追想』をご覧ください)。しかもまだまだ詳細不明な車輌も少なくなく、例えばかつて発表した「十勝鉄道10号ガソリン機関車の謎」(『消えた轍』に再録)のように、その点では個人的興味も尽きません。
▲コハ23の「台車近影」(?)。比較的長目の担いばねがリンクによる保持はされているものの、乗り心地はさぞかしリジッドであったことだろう。'06.11.5
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▲「とてっぽ通」と名づけられた軌道跡の遊歩道は、いかにも北海道らしい直線で住宅街の真ん中を貫いてゆく。'06.11.5

tokachi7n.jpg保存されている4号機は廃線時まで予備機として残っていたもので、1920(大正9)年日本車輌製。同社の軽便用機としては最初の自主設計機(『機関車に系譜図』による)で、そのプロポーションの良さはまさに模型にうってつけです。それに続く2軸木造客車コハ23もいかにも模型的。しかもドコービル系小型蒸機のメーカーでもあった大阪の楠木製作所製と伝えられるあって、これまた一見の価値ありです。残念ながら柵で囲われていて車内への立ち入りや詳細な採寸は不可能ですが、いつの日かつぶさにそのディテールを見てみたいものです。
▲この遊歩道がもとの十勝鉄道の軌道跡であることを伝える案内板。帯広市の近代化を支えた製糖産業を顕彰する意図もあるのだろうか、いずれにせよきちんとした保存に頭が下がる。'06.11.5

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