鉄道ホビダス

2007年5月12日アーカイブ

「八ヶ岳高原号」の季節。

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今から36年以上も前のことになりますが、1971(昭和46)年まで、ゴールデンウィークの幕開けとともに「八ケ岳高原号」の季節が始まりました。新宿発の小海線野辺山行き臨時列車で、優等列車でもないこの列車が今もって多くのファンの記憶に残っているのは、ひとえに小海線内で中込区のC56がその先頭にたったことにあります。
▲時おりカッコーの声も聞こえてくる朝まだき、C56 159〔込〕に牽かれた「八ヶ岳高原号」が33‰を上りつめる。C55以降に生産された制式テンダー機の中で唯一排気室(排気膨張室)を持たないC56のブラスト音はさながら大太鼓を叩くがごとく歯切れがよく、それがまた高原のシチュエーションに似合っていた。'71.6.20 甲斐大泉?清里
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▲「八ヶ岳高原号」は小淵沢?野辺山間23.4kmを実に1時間20分近くかけて上る。現車3輌とはいえ満員のハイカーを乗せた旧型客車はC56にとってたいそうな重荷だったに違いない。'71.6.20 甲斐大泉?清里

1969(昭和44)年秋に川越線821・822列車が無煙化されて以後、首都圏近郊では蒸機牽引の旅客列車の姿は見られなくなってしまい、夏山シーズンの日曜・休日に運転されるこの「八ケ岳高原号」が最も身近な蒸機牽引旅客列車となりました。通常は2往復(うち2本は夜間)の貨物しか設定されていない、しかも国鉄最高標高地点を擁するもっとも風光明媚な小淵沢?野辺山間にC56牽引の旅客列車が走る…それはいま振り返っても夢のような話でした。

nobeyama1n.jpgまだ週休2日制など夢だったこの時代、夏のハイキングや登山、それに冬のスキーなどアウトドア・レジャーは、“半ドン”の土曜日の夜行で目的地に行き、日曜日夜に帰るというパターンが一般的でした。もちろんマイカーなど夢のまた夢で、夏山シーズンの週末の新宿駅はそれはたいへんな混雑ぶりでした。乗車待ちの地下アルプス広場はリュックや登山具を抱えたチロリアンハット(!)の乗客で埋め尽くされ、飯田町客車区は手持ちの客車を総動員して臨時列車を組成していました。
▲「国鉄最高駅1345米67」の標柱がある野辺山駅ホームで休むC56 159〔込〕。'71.6.20 野辺山

nobeyama2n.jpgちなみに1970(昭和45)年夏の新宿駅発中央本線下り夜行のラインナップ(23時以降)を見てみると、
23:00臨時「アルプス53号」(8401M松本行き)、
23:15「アルプス10号」(411M南小谷行き)、
23:30臨時「アルプス54号」(8403M信濃森上行き)、
23:45「アルプス11号」(413M南小谷行き)、
23:55各停(425レ長野行き)、
0:20臨時「蓼科高原」(8431M岡谷行き)、
0:40臨時「アルプス55号」(8401レ松本行き)、
そして1:00臨時「霧ヶ峰高原・八ヶ岳高原」(8435レ岡谷・野辺山行き)
…と10?20分ヘッドの通勤電車なみに山岳夜行が頻発されていたのです。
余談ながら、冬場の「銀嶺」や「?スキー号」(のちの「シュプール」)にせよ、あの頃の“ハイカー”やスキーヤーはいったいどこに消えてしまったのでしょう…。
▲この当時の野辺山はまだまだ週末ハイカーや登山客が訪れる程度の静かな駅だった。もちろん中央高速も開通しておらず(小淵沢IC部分開業は1976年)、首都圏からのドライブなど夢物語であった。'71.6.20 野辺山
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「霧ヶ峰高原号」と併結されてまだ明けやらぬ小淵沢へ到着した「八ヶ岳高原号」は、岡谷へと去ってゆく「霧ヶ峰高原号」を見送り、編成後部の3輌のみがホームに取り残されます。“取り残される”というのも、野辺山編成はなぜか1時間近くもこの小淵沢で停車するからで、その間に小海線始発の小諸行き229Dが先発(5:49)してしまいます。一刻も早く登山をはじめたいであろう人々を乗客とするこの列車が、なにゆえこれほどの長時間停車をするのかはわかりません。

yatugatakekougenngou014n.jpgいよいよC56が先頭にたった「八ヶ岳高原号」は、薄明の高原を激しいブラスト音とともに野辺山を目指します。かつて昭和30年代の「八ヶ岳高原号」は小海行きだったようですが、野辺山以遠の需要が乏しいためか、昭和40年代に入ると野辺山止めとなっています。それにしても33‰の急勾配とR200の急曲線の連続とはいえ、わずか23.4kmの区間を1時間18分、つまり表定速度18km/hほどで走っていたのですから、最新のハイブリッド気動車キハE200が走り出そうという今日の小海線から考えると隔世の感があります。
▲上りの「八ヶ岳高原号」は14時35分には野辺山を後に新宿へと戻る。それでも新宿到着は21時26分、実に7時間近い長旅である。今度はC56 144〔込〕に牽かれて小淵沢へと駆け下る「八ヶ岳高原号」。'71.6.20 野辺山?清里

上り8436レ「八ヶ岳高原号」の野辺山発は14時35分(1970年)。現代的感覚からすればずいぶん慌ただしい設定ですが、これでも新宿帰着は21時26分。冷房さえない満員の旧型客車に揺られての夜行日帰りハイキング、それがあの頃のレジャーの姿だったのです。1972(昭和47)年、「八ヶ岳高原号」は小海線無煙化とともに急行「八ヶ岳51号」に格上げされましたが、DD16牽引に変わった同列車が注目を浴びることは二度と再びありませんでした。

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