鉄道ホビダス

2007年5月アーカイブ

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独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構とフリーゲージトレイン技術研究組合が中心となって研究開発を続けている軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の第二次試験車輌が完成、先日JR九州の小倉工場内で報道公開されました。
▲3月17日に小倉工場に搬入されて以来整備・調整が続けられていた第二次試作車輌がついにその姿を現した。先頭部は第一次試作編成よりさらに流線型となり、1・2号車には新在両用のパンタグラフが搭載されている。'07.5.26 小倉工場 P:宇都宮照信
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fgt2n.jpg異なる軌間、新幹線(1435㎜)と在来線(1067㎜)を自在に往来できるフリーゲージトレインは、1994(平成6)年から鉄道総合技術研究所(JR総研)が基礎研究を進め、1998(平成10)年に第一次試験車輌GCT‐01形(3輌編成)が完成、翌1999(平成11)年1月に山陰本線(米子?安来間)で初の走行実験を行ったのを皮切りに、同年4月からはアメリカ・コロラド州のTTCIプエブロ実験線で最高速度246km/hを達成するなど研鑽を積んできました。2年にわたるアメリカでの試験を通して2000回に及ぶ軌間変換実績を重ね、2001(平成13)年からは日豊本線、予讃線、さらには山陽新幹線(新山口?新下関間)で走行試験を行っています。
▲台車は電子制御による車体傾斜システムを備え、在来線での曲線通過性能の向上も目指す。'07.5.26 小倉工場 P:宇都宮照信
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▲なんと中間車には営業車と見まごうばかりの客室設備が備えられている。こんなシートに座ったまま異なる軌間の“新在直通”を体験できる日も遠くないかもしれない。'07.5.26 小倉工場 P:宇都宮照信

今回完成した第二次試作車輌はこれらの成果を踏まえて誕生したまったくの新車で、新幹線区間での270km/h走行、在来線での曲線通過性能の向上等の試験に供される予定です。編成は第一次試作と同様の3輌編成。在来線区間では交直両用の全M車となっており、車体はアルミニウム合金製となっています。

fgt4n.jpg異なる軌間を「軌間変換軌道」と呼ばれる特殊な軌道構造で連結し、走行中に軌間変換を行おうというのがこのプロジェクトの骨子です。軌間可変機構そのものはすでにタルゴ(スペイン)で実用化されていますが、わが国のような動力分散方式では例がなく、ダイレクトドライブ・モーター(DDM)による独立車輪方式の採用など、数々の新技術が盛り込まれている点が注目されます。なお、この第二次試作編成の開発費は約30億円。夏には日豊本線で走行試験を開始するそうです。
▲試験車輌とはいうもののきわめてシンプルな運転台。残念ながら「車輌」ではないため、現在のところ線路閉鎖をせずに営業線上を走行することはできない。'07.5.26 小倉工場 P:宇都宮照信
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“ジテ”との邂逅。

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先日、ひょんなことから“ジテ”の取扱説明書を目にする機会があり、かれこれ16年も前の撫順炭礦での邂逅に思いを馳せることとなりました。唐突に“ジテ”などと言っても何のことやらお分かりにならない向きも少なくないと思いますが、南満州鉄道が北京?釜山間の直通特急を目論んで製作した4輌編成の電気式ディーゼル動車の通称で、1M3Tの“M”に相当する重油手荷物動車=ジテ1形の形式名が語源です。
▲撫順炭礦専用鉄道古城子駅で発車を待つ101号編成。6輌編成にも関わらずパンタグラフは1基のみ。先頭部には「三八号」と書かれたプラカードが取り付けられていた。'91.3.23 撫順炭礦西礦

jite5nn.jpg時まさに流線型ブーム真っ只中の1935(昭和10)年、日本車輌の手によって4連6編成が製造され、一時は高速試験等に供されたものの、最終的には大連近郊の普通列車に充当されて終戦を迎えたとされます。ところが戦後、電気式の利点を活かして純然たる電車に改造され、露天掘りで有名な撫順炭礦の専用線に転じたのです。1970年代になって“ジテ”の末裔が撫順で生き残っていることが知れ、その後ぽつぽつと情報が寄せられるようになりましたが、本格的にその様子が知れるようになったのは1980年代中盤になってからのことでした。
▲同世代のEF55、モハ52等々と並んで、折りからの流線型ブームの片鱗をうかがわさせるその特徴的な面構えは、名鉄850形にも一脈通じるものがある。翌年以降にやはり日車が満鉄に送り込んだジハ(ケハ)もこのご面相。'91.3.23 撫順炭礦西礦
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▲こちらは113号編成で4輌編成。“正調”ジテは6編成いたとされるが、現地でコピーされた仲間も存在したようで、その素性は複雑怪奇。いずれにせよオリジナルのジテ1は全長12730ミリと小振りで、電車化にともなってストレッチされたとも伝えられる。'91.3.23 撫順炭礦西礦
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かくいう私も撫順の地を踏んだのは1990年代に入ってからのことでした。当時の撫順炭礦はまだまだ蒸機王国で、アルコ製のKD6形など他所ではなかなか見ることのできない貴重な形式も現役でした。ただ当時の撫順はまだ準開放地域に相当し、パーミッションを得ても自由に歩き回って写真を撮れるという状況ではありませんでした。

jitefig1n.jpgそんななか、西露天掘りの近く古城子駅で出会ったのが“ジテ”101号編成でした。ひと目見てそれと分かる個性的な面構えは半世紀以上の歳月を経ても色あせることなく、あの「満鐵」の生き残りとして他を圧する存在感を示していました。残念ながら特徴的な連接構造は解消され、編成も6輌となっていましたが、出会えた喜びは何物にも代えがたいものでした。
▲竣功時の“ジテ”。上はハフ1形とハフセ1形(写真下)の連結面で、連接台車と全周ホロの状態が良くわかる。(『70年のあゆみ』日本車輌/1966年より)
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結局この日出会えたのはこの101号編成のほかに107号編成と113号編成(ともに4連)のみ。一部には現地産のコピーも混じっているとされ、いったいどれほどの仲間がこの専用線に在籍しているのか、その実態は知る術もなく現地をあとにしました。
聞くところでは、いま現在もまだ1編成は現役として残されているそうです。急激な発展を遂げつつある中国で、恐らくは最後に残された「満鐵」の残影に違いありません。

摩訶不思議な岩峅寺駅。

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先日お伝えした西魚津駅もさることながら、富山地方鉄道には魅力的な駅が少なくありませんが、そのなかでも一度じっくりと観察してみたいと思っていた駅に岩峅寺(いわくらじ)駅があります。かつてB滝さんが単独取材した分が『模「景」を歩く』に収録されていますが、私は同行しておらず、B滝さんをして「摩訶不思議…」と言わしめたこの駅を改めて訪ねてみることにしました。
▲岩峅寺をあとに立山線を行く上り電鉄富山行き。ここから富山まではひたすら平野が続く。'07.4.28

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岩峅寺駅は1921(大正10)年3月19日に上滝線の前身である富山県営鉄道の駅として開業、雄山神社への最寄り駅として賑わってきました。現在でも神社を模した木造モルタル2階建ての駅舎が印象的です。
▲堂々とした造りの岩峅寺駅。正面玄関には鬼瓦を戴く軒が張り出している。'07.4.28

iwakuraji3n.jpgこの岩峅寺駅は立山線と上滝線(不二越・上滝線)の接続駅となっていますが、面白いのは両線がV字状に接続する直前に双方のホームが設けられている点です。なぜか富山地方鉄道にはこの方式のホームレイアウトが多く、本線と立山線のジャンクション・寺田駅も同様のレイアウトとなっています。下図のように相対式の立山線のホームの端、構内踏切に続く“渡り廊下”を進むと島式の上滝線ホームに出ますが、このホームも島式のように見えながら通路側の線路は分断されているというなんとも奇妙な構造です。
▲立山線2番線ホームから1番線ホームを見る。右端にちらっと見えるのが上滝線の電車で、さながら渡り廊下のような通路を通って乗り込むこととなる。'07.4.28

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▲上滝線ホームから“渡り廊下”を経て駅本屋方面を振り返る。立山線のホームとはちょうどV字状の位置関係。'07.4.28

階段部分からホームの一部にかけて凝った構造の木造上屋が設けられているのは西魚津駅などと同様で、立山線1番ホームの上屋から“渡り廊下”を経て上滝線ホームの上屋へと続く構造はまさに摩訶不思議なものです。かつては不二越・上滝線から立山方面への直通列車も設定されていましたが、現在では同線はすべてこの岩峅寺止めとなっており、かつて富山地鉄に戦時統合される以前、富山県営鉄道と富山電気鉄道(立山鉄道)が隣り合わせていた…そんな時代を彷彿させる駅構造と言えるかもしれません。

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▲“渡り廊下”の中央部からぐるっと180度、上滝線のホーム(左)と立山線のホーム、そして本屋(右奥)を見回すとこんな感じ(素人の画像統合ゆえ見苦しい点は何卒ご容赦のほどを…)。なんとも奇妙な、そして模型的な展望ではなかろうか!'07.4.28
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一昨日、さいたま市のJR東日本大宮総合車両センターとJR貨物大宮車両所を会場に行われた「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」で「鉄道博物館」入りを目前にした車輌たちが一般公開されました。
▲整備が完了し、久しぶりに青空の下に姿を現したC57 135。まもなく鉄道博物館の屋内転車台に載せられ、屋外で見られる機会はなくなる。後ろには同じく展示車輌クモハ40074の姿も見える。'07.5.26 P:RM(青柳 明)

omfesta2n.jpgなかでも注目を集めたのは去る2月21日に交通博物館から搬出されて化粧直しが行われていたC57 135号機です。なにしろ岩見沢第一機関区で廃車となって交通博物館入りして以来、実に30年ぶりに太陽の下に姿を現すとあって、あの蒸機終焉期を同時代体験した世代も多数駆けつけて見入っていました。この一日限りの「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」が終了すると間もなく鉄道博物館の建物に搬入され、すでに完成している転車台に載せられることになります。まさにつかの間の陽光の下での晴れ姿でした。
▲分解されて交通博物館から運び出されたC57 135は再びしっかりと組み直され、現役さながらの姿を見せてくれた。'07.5.26 P:RM(青柳 明)
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▲鉄道博物館入りを前に美しく化粧直しされてお披露目されたDD13 1とED17 1。歴史ゾーンでは転車台のC57 135を取り囲む形で展示されることになる。'07.5.26 P:RM(青柳 明)
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もうひとつ注目されたのが、昨年7月4日にはるばる津軽鉄道から大宮総合車両センターに運び込まれてレストレーションされていたオハ31 26です。本誌誌上でもお伝えしたように、津軽鉄道芦野公園駅構内に保存されていた時点での同車はかなり荒廃が進んでおり、車体を2分割されて大宮入りした際は、取材陣でさえ本当にこれが直るのか…と不安に思ったほどでした。それが今回、新車と見まごうほど美しく再生されたのですからなんとも嬉しい限りです。

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▲クモハ40も磨き上げられて晴れの日を待つ。右ははるばる津軽鉄道からやってきたオハ31で、この日初めて修復なった姿を見せてくれた。ただ、残念ながら車体標記はまだ入れられていない。'07.5.26 P:RM(青柳 明)
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このほかにも鉄道博物館入りを目前にしたDD13 1、ED17 1、クモハ40074、EF66 11、コキ50000なども公開され、いよいよ夢の鉄道博物館が現実のものとなりつつあるのを実感させてくれた一日でした。

忘れえぬ駅・平渓線十分。

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国内外を問わずお気に入りの駅を10駅挙げよ…と言われたとすると、私にとって間違いなくランクインするのが台湾の平渓線十分(Shihfen)駅です。今では映画のロケ地として内外に知れ渡り、しかも台湾もこれまでにない鉄道旅行ブームとあって、週末には多くの行楽客が繰り出す結構な観光地となっているようです。
▲十分駅を出た上り列車は老街へと続く商店街の中を併用軌道のように進む。この当時はまだ観光客の姿もほとんど見かけなかった。左端に十分飲食店の看板が見える。'91.5.21

zyuubunnmap2nn.jpg私が最初にこの十分駅を訪れたのは、台湾鉄道趣味界の長老・古 仁榮先生に連れられてでした。古先生は鉄道の写真撮影などもってのほかだった1960年代から、計り知れない苦労を重ねてお一人で趣味を遂行し、日本にも多くの友人を作られました。毎年のように来日され、臼井茂信さんらと一献傾けるのが恒例でもあり、そんな関係から案内役を買って出てくださったわけです。
▲平渓線は台湾鉄路局東部幹線(宜蘭線)の三貂嶺を起点に菁桐まで12.9kmを結ぶ。もともと運炭線として敷設されたもので、沿線には無数の炭礦がひしめいていたが、現在ではさすがにその姿をみることはできない。
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▲渓谷に抱かれた十分駅の一日は爽快な朝日の中で始まる。右に見える白い建物が駅本屋。交換待ちの気動車はDR2100形で、一見キハ20系列のように見えるが、もとをただせば1931(昭和6)年日本車輌製のキハ07系列の更新改造後の姿。この時点で車齢60年に達していたことになる。'91.5.21

平渓(Pingsi)線は台湾鉄路局東部幹線(宜蘭線)の三貂嶺(Sandiaoling)から菁桐(Jingtong)まで12.9kmを走る典型的ローカル線で、戦前に周辺の石炭資源の運搬を目的に敷設された、いわば運炭線です。1929(昭和3)年に台湾総督府が買収して平渓線と命名され、以後、沿線の大小無数の炭礦から出炭する石炭を台北や基隆港へと送り出してきました。古先生のご案内で訪れたのは、まだこれらの炭礦が細々ながら稼動していた時代で、橋梁の袂に残る監視塔や、駅待合室に掲げられた防空要綱などとあいまって、観光路線どころか純然たる産業路線といったイメージでした。

zyuubunn13n.jpg台北から日本で言うところの旧型客車の「平快」に揺られて早朝の東部幹線を瑞芳へ。ここで平渓線へと乗り換えるわけですが、当時の平渓線はDR2100?2400形と呼ばれる旧型気動車が集中配置されており、これも大きな魅力でした。このDR2100、2200、2300、2400形、姿形はすっかりキハ10?20系列を連想させる近代的なものとはなっていますが、実はどれもが1931(昭和6)?1937(昭和12)年に日本車輌で製造されたキハ07系列機械式気動車の更新改造車。手動のドアが開け放されたまま、激しく揺れながら平渓線を行く姿は今もって強く印象に残っています。
▲商店街から上り方三貂嶺方面を見る。右側の坂を上がってゆくと十分老街と呼ばれる旧市街に出る。'97.10.19

zyuubunn11n.jpg十分駅の最大の魅力は駅北側に広がる線路沿いの商店街にあります。線路沿い…と言うよりはほとんど併用軌道状態で、駅を出た上り列車は商店の軒下をかすめるように“併用軌道”へと進みます。かつてはこの先に新平渓煤礦への側線が分岐しており、商店街を石炭列車が行き交う様は異様ですらありました。
ところでこの線路沿いの商店街にはいくつかの飲食店もあり、軒先を行く列車を愛でながら食事をとることもできます。十分飲食店もそのひとつで、こちらのチャーハンとシジミのスープはお勧めです。
▲線路脇の飲食店で食事をとっていると野良犬が入ってきた。周辺にはやたらと犬が多いが、そこは歓迎光臨、どの店の人も決して追い出そうとはしない。折りしもDELの牽くセキ列車が轟音とともに通過してゆく。'97.10.19

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▲十年前のこの頃は沿線にまだ細々と出炭を続けている炭礦があり、日に何往復かの運炭列車が設定されていた。商店街を分け入るように進むセキ列車はなかなかの見ものだった。'97.10.19

zyuubunn4n.jpg幾度となく足を運んだこの平渓線十分駅ですが、気づいてみるとこの秋で十年のご無沙汰になります。映画のロケ地となったこともあって、いまやすっかり観光名所となり、あの“併用軌道”にもプランターの柵ができるなど、かなり様相が変わってきていると聞きます。旧型気動車DR2100?2400たちも1998(平成10)年には同じ日車製の冷房付新車DR1000形に置き換えられ、さらに最近では派手なラッピングまで施されているそうです。記憶に残るあの十分とはかなりの落差がありそうですが、是非もういちど訪れてみたい駅ではあります。
▲十分駅にも近隣の重光煤礦が出炭していた。といっても小規模な炭礦ゆえセキ1車を満杯にするのも容易ではない。移動機もなく、積み込みを行っていたおばさんたちがセキを手押しで構内へと押し戻す。'96.3.18

追憶の土室森林軌道。

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新緑の季節になると気になりだすのが各地に残された森林軌道の痕跡です。本当の「通」の方からすると、雪解けから新緑までのわずかな時期がベストシーズンだそうで、木の葉が影を作ってしまう新緑後や、ましてや落ち葉が痕跡を覆い尽くしてしまう秋などもってのほかなのだそうですが、そこまでストイックになれない私などにしてみれば、“山笑う”この季節の森林軌道跡はなんとも魅力的に映るのです。
▲萌えるような新緑の中、華奢な木橋が人知れず自然に還ろうとしていた。9kg/m程度の軽レールだけにゲージはやたらと広く見える。'92.5.5

そんなわけでこのブログでもこれまでに八ヶ岳の森林軌道跡群馬県川場村の軌道跡などをご紹介していますが、今日はいまや訪ねてみようにも物理的に見ることの出来ない山梨県の土室森林鉄道跡をご覧にいれましょう。

tutimuro2.jpg山梨県は隣接する森林鉄道王国・長野県とともに森林資源が豊富で、さぞや国有林面積も広いのではと思われがちですが、実は国有林はほとんどなく、その大半が県有林です。それだけに林野庁所管の森林鉄道(軌道)は存在せず、その代わりに県の林務事務所が運営する独自の森林軌道が数多く存在していました。その総延長300キロ以上、山梨県内のJR線総延長の実に1.7倍を超える森林軌道が敷き巡らされていたわけです。土室森林軌道もそのひとつで、所管は大月林務事務所。大月から松姫峠を越えて奥多摩に抜ける国道139号線の途中、マス釣り場としても知られる小金沢渓谷の先、深城(ふかしろ)という集落を起点としていた軌道です。かつては南側の葛野川沿いに入る小金沢森林軌道と、北側の土室川沿いに分け入ってゆく土室森林軌道が存在したようですが、私が最初に訪れた時点では小金沢軌道の方は林道化されてしまって何の痕跡もなく、土室軌道の奥側半分ほどが残されているに過ぎませんでした。
▲最後まで機関車が入線しなかっただけあって、沢を越える木橋はまるで割り箸細工のよう。このシーンは『トワイライトゾ?ン・マニュアル』第1巻目の裏表紙にも使っている。'92.5.5
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▲土室川森林軌道の位置。2本に分岐する北側が土室森林軌道。大月からの国道139号線沿いはキャンプ場や渓流釣り場が多い。(『トワイライトゾ?ン・マニュアル12』より)

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この軌道を最初に訪れたのは1980(昭和55)年正月のことでした。『木曽谷の森林鉄道』で知られる西 裕之さんのクルマに乗せていただき、ふたりで凍える寒さの軌道跡を終点まで歩き、さらに深城の集落で“聞き込み”に戸別訪問(?)したのを懐かしく思い出します。
▲畜力による軌道は軌間に踏み板が敷いてあるのが特徴。もちろんこの当時はまだ釣り人の往来も少なからずあった。'92.5.5

tutimuro5.jpgその時のフィールドノート(下)をひも解いてみると、当時の状況がまざまざと甦ってきます。最後まで牛で運材台車を牽引していたこと、沢が険しく馬だと速度が出すぎて転落してしまうこと…そんな話をしてくれたお宅では、わずかに残された古い写真を探し出して見せてくれました。林務事務所から台車を借りて、林業を営む集落の人たちが軌道を使わせてもらう…そんな状況でもあったようで、他道府県の林野庁所管の軌道とは異なり、結局、いったいいつ運行をやめたのかも判然としませんでした。恐らくは1967(昭和42)年頃、つまりこの訪問時の13年ほど前だったと思われます。
▲最初の訪問から12年。再訪した土室川軌道は何カ所かが大きく崩落してしまっていた。'92.5.5
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▲1980(昭和55)年正月の最初の訪問時のフィールドノート。B7判の小型ノートに現地での聞き取りを含めて当時の状況を書き付けている。何ともアナログの極みだが、時代を超えて普遍の手法。
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この土室森林軌道を再訪したのは最初の訪問から12年後の1992(平成4)年の5月のことでした。すでに各所で崩落が始まっていて、初回の訪問時から比べるとだいぶ荒廃してしまってはいましたが、好天にも恵まれてトワイライトな(?)一日を過ごすことができました。ところがその数年後、この地区に大規模なダムが建設されることとなり、なんとこれらの軌道跡はもとより、聞き取り調査に歩いた深城の集落そのものがダム湖(現・シオジの森ふかしろ湖)に沈んでいってしまいました(『トワイライトゾ?ン・マニュアル12』参照)。

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▲どれほどの深さなのか知れない沢を跨ぐ崩落寸前の木橋。手すり代わりのワイヤーが渡されてはいるが…。もちろん今やこの光景もダム湖の中のはず。'92.5.5

あれからさらに15年…時の流れの速さには改めてとまどうばかりです。時間軸に置き換えて考えてみると、初回の訪問が軌道の運行終了から約13年後、その初回訪問自体が今からすでに27年も前ですから、深城で伺った“昔語り”以上に古い話となってしまったわけです。

十勝鉄道の保存車たち。

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市内に残っていると聞いた十勝鉄道の4号機を訪ねて帯広を訪れたのは、半年ほど前、冬の訪れを目前にした11月のことでした。帯広駅から南西にのびる大通りは、はるか彼方の信号まで見渡せるほど広々と一直線に続いています。“内地”の人間にはそれが実に新鮮でもあり、また碁盤の目のように区画された市街は目的地を探すのに実に便利でもあります。
▲十勝鉄道4号機とコハ23は意外なほど繁華街に近い住宅地に保存されている。きちんとした上屋が設けられ、定期的に手入れがなされているようで状態は非常に良い。'06.11.5

tokachi5n.jpg4号機と2軸客車コハ23号が保存されている「とてっぽ通」(西7条南20丁目)はあっけないほど簡単に見つかりました。しかも想像していた状況とはまったく異なり、繁華街にほど近い宅地の中ではないですか。説明看板によると、この住宅街を貫く道こそがもとの十勝鉄道の線路跡だそうで、中洲のような遊歩道を挟んで左右に片側一方通行の自動車道が設けられています。お目当ての2輌は写真こそ撮りにくいものの、頑丈な上屋に護られてまことに状態良く保存されており、懸念されたコハの木造車体部にもあまり傷みは見られません。
▲蒸気溜や排気管カバーに付けられた日本車輌のプレートもしっかりと残っている。ただ煙室扉に大書された「4」の文字はちょっといただけない…。'06.11.5
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▲4号機は1920(大正9)年日車製の12t機。実にまとまりの良いスタイルのCタンク機である(左)。コハ23は18人の乗りのオープンデッキ2軸客車で、もと河西鉄道(十勝鉄道清水部線)の出身、なおかつ楠木製作所製と伝えられるの由緒あるもの(右)。'06.11.5
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tokachi6n.jpg広大な十勝平野に広がる畑から砂糖の原料となる甜菜を製糖工場に運ぶ目的で十勝鉄道がスタートをきったのは1924(大正13)年。以後、帯広を起点にさながら熊手のように支線を伸ばしてきました。珍しい3’6”(1067㎜)ゲージと2’6”(762㎜)ゲージのデュアルゲージ区間(新帯広?工場前間)が存在したことでも知られ、最終的に貨車まで含んだ総保有輌数は膨大な数に達しました(その辺の詳細は『消えた轍』(第1巻:北海道)や先日再版が完成した『軽便追想』をご覧ください)。しかもまだまだ詳細不明な車輌も少なくなく、例えばかつて発表した「十勝鉄道10号ガソリン機関車の謎」(『消えた轍』に再録)のように、その点では個人的興味も尽きません。
▲コハ23の「台車近影」(?)。比較的長目の担いばねがリンクによる保持はされているものの、乗り心地はさぞかしリジッドであったことだろう。'06.11.5
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▲「とてっぽ通」と名づけられた軌道跡の遊歩道は、いかにも北海道らしい直線で住宅街の真ん中を貫いてゆく。'06.11.5

tokachi7n.jpg保存されている4号機は廃線時まで予備機として残っていたもので、1920(大正9)年日本車輌製。同社の軽便用機としては最初の自主設計機(『機関車に系譜図』による)で、そのプロポーションの良さはまさに模型にうってつけです。それに続く2軸木造客車コハ23もいかにも模型的。しかもドコービル系小型蒸機のメーカーでもあった大阪の楠木製作所製と伝えられるあって、これまた一見の価値ありです。残念ながら柵で囲われていて車内への立ち入りや詳細な採寸は不可能ですが、いつの日かつぶさにそのディテールを見てみたいものです。
▲この遊歩道がもとの十勝鉄道の軌道跡であることを伝える案内板。帯広市の近代化を支えた製糖産業を顕彰する意図もあるのだろうか、いずれにせよきちんとした保存に頭が下がる。'06.11.5

田口線を語り継ぐ一冊。

tagutisen1n.jpgRM本誌先月号でもご紹介していますのでいささか旧聞とはなりますが、今日は昨今の自費出版のなかでも出色の『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』をご紹介してみたいと思います。本書は地元豊橋市にお住まいの小早川秀樹さんが40年以上にわたって調べ続けられた膨大な記録を写真を多用してまとめたもので、B5判220ページ(しかもその多くがカラーページ!)にもおよぶ大冊です。改めて申しあげるまでもなく、ここ数年、郷土史的視点から失われた鉄(軌)道を掘り起こして一冊にした自費出版本は数多く見受けられますが、一路線をこれほどのボリュームで纏め上げた例はほとんどありません。

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▲本書前半では本長篠から三河田口へと全線の光景が現況写真を交えて120ページあまりにわたって綴られている。その写真の多くが1960年代に撮影されたカラー写真である点も特筆される。(『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』より)

tagutisen2n.jpg豊橋鉄道田口線は奥三河の木材輸送を主目的に1929(昭和4)年に開業した田口鉄道を前身としています。4私鉄が買収されて現在の飯田線を形作る以前、鳳来寺鉄道の鳳来寺口(現在の本長篠)を起点に段戸御料林を目指して延伸を続けた田口鉄道は、1932(昭和7)年に終点となる三河田口に達し、全線22.6kmが開通しました。以後、4私鉄の買収とともに運行を国鉄(鉄道省)に委託、戦後は1956(昭和31)年に豊橋鉄道に合併されるなど、めまぐるしい変転を遂げてきました。なおかつ1965(昭和40)年9月の台風で甚大な被害を受け部分休止、まさに最後まで波乱万丈の歴史を経て、1968(昭和43)年に廃止となりました。
▲豊橋鉄道田口線とそこに接続していた名古屋営林局の森林鉄道路線図。奥三河の山中にこれほどの鉄道網が存在したのは今となっては夢のようだ。(『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』より)
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▲田口鉄道時代のデキ53の貴重な写真も多数掲載されている。年月と情熱を傾けた地元ファンならではの収穫。(『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』より)

tagutisen5n.jpg小早川さんは1965(昭和40)年、まだかろうじて全線が営業していた時代に田口線を訪れてからその魅力にとりつかれ、折りにつけては資料を集め、地元の方々からお話を聞き、未発表の写真を探し、ついにその集大成として本書の発行にこぎつけられたわけです。ページは最初の出会いから田口線調査の経緯、そして全線をくまなく丹念に写真で検証してゆく「田口線を偲びつつ廃線跡探訪」と進んでゆきますが、なんと言っても現況写真との定点観測を交えたこの“探訪”ページが圧巻で、実に120ページ以上にも及んでいます。しかも知られざる採石場側線の話など、まさに地元ならではの逸話もいくつか挿入されていて興味がつきません。
▲巻末には10ページにわたって各形式のきわめて詳細な図が掲載されている。この図面も著者本人の作図というから驚き。(『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』より)

巻末には渥美線で余生を過ごした田口線車輌たちの写真が多数掲載されているほか、CADを駆使した詳細な車輌図面も多数収録されており、全編を通したその充実度は自費出版の域をはるかに超えるものといえましょう。また、これまでにあらゆる雑誌・書籍に掲載された田口線関連の参考記事一覧もびっしりと添えられており、その真摯な編集には頭が下がる思いがします。
一般書店では取り扱いがございませんので、ご入用の方は下記方法にて…。
■『青春のアルバム 豊橋鉄道田口線』
※返信先を明記した用紙と3300円分(誌代2800円+送料500円)の郵便小為替を下記宛に送付。
〒440?0046
愛知県豊橋市仲ノ町99 小早川様方「豊橋鉄道田口線」係

N700系量産車に乗る。

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▲試乗列車となる回7953Aは11時36分に16番線に入線。ホーム先端に陣取ったテレビ各局がその特徴的な先頭部を映し出そうと色めきだつ。'07.5.23 東京

今日はいよいよ7月1日から営業運転に入る次世代新幹線N700系(量産車)の報道試乗会が行われ、私も新大阪まで参加してきました。新幹線初の車体傾斜システムの採用によって東京-新大阪間5分の速達化を実現し、なおかつ電力消費量19%の低減を達成したN700系は、100系以降めまぐるしく変遷してきた東海道・山陽新幹線の今後のスタンダードモデルとなるもので、試乗会に臨むJR東海・JR西日本の意気込みも並々ならぬものがあります。

7953a2.jpgニュースキャスターやカメラマンなどテレビ各局の関係者、新聞・通信社、そして私たち雑誌社など、乗車した報道陣は200名近く。これまでにないほどの大人数での報道試乗会です。11:46に東京を出たZ2編成試乗列車7953Aは途中新大阪での車両部長インタビュー停車(13分)を挟んで、博多(17:20着)まで東海道・山陽新幹線全区間を走り抜けます。名古屋・新大阪・岡山・広島と途中停車駅ではそれぞれの地元メディアが入れ替わり立ち替わり乗り込んできますので、広報担当者をはじめとするJR関係者の皆さんは息つく暇もないほどの忙しさです。
▲試乗列車の車内もテレビクルーらでいっぱい。ただ試作編成のような計測機器が搭載されていないため、車体傾斜システムを動画として伝えるのは至難の業だろう。'07.5.23

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▲2007年後半の東海道新幹線を担うフラッグシップたち。手前から今回試乗したN700系Z2編成、700系C49編成、300系J58編成、そして“ドクターイエロー”こと923系T4編成。'07.5.21 東京第二車両所 P:RM(新井 正)
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昨年すでに動画付きで試作車Z0編成の試乗レポート(下記リンク参照)でご覧にいれていますが、今回は計測機器類を搭載していない量産車ということもあって、最大の特徴である車体傾斜システムはほとんど実感することができませんでした。前回の試作編成試運転時は車体傾斜に入る“秒読み”アナウンスまでありましたから、それなりに身構えた(?)記憶がありますが、実際に営業運転入りしてからは、よほど意識しない限り車体傾斜(1°)はわからないのかもしれません。
●試作車“Z0編成”試乗レポート(車体傾斜システム・運転台動画付き)

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▲天井中央に誂えられたやわらかな照明が印象的な普通車車内。車端部の案内表示器は二段のマルチカラー表示となり、なおかつ文字サイズも拡大されている。'07.5.23

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▲普通車でも窓側席にはモバイル用コンセントが用意されている(左)。右はロザ席。全車にわたって座席番号表示が在来車より格段に大きくなっているのも特徴。'07.5.23
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7953a6.jpgN700系のもうひとつの特長はその車内設備にあります。車内の完全分煙化(3・7・10・15号車に喫煙ルームを設置)が図られたのも特筆されますが、普通車・グリーン車ともにその居住性が格段に向上したことが一番のアピールポイントでしょう。「シンクロナイズド・コンフォートシート」と名づけられた座面と背もたれが連動してスライドするグリーン車のシートには、高輝度LED読書灯やフットレストはもとより、レッグウォーマーまで装備されています。普通車もシート幅を拡大し、テーブルも大型化するなどの配慮がなされています。そして何よりもありがたいのは、グリーン車の全席、普通車の窓側席にモバイル用コンセントが設置されたことでしょう。
▲普通車窓側足元のモバイル用コンセント。今後は出張族の窓側席のオーダーが増えそうだ。'07.5.23

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▲さながらコックピットのようにスタイリッシュにまとめられた運転台。新ATCシステムやその情報を全車同時にデジタル伝送できる制御伝送システムなど安全への信頼度も向上している。'07.5.23 米原?京都

7953a11.jpg実はここにご紹介している画像の多くは試乗列車の車内で画像処理したものですが、あらゆる面でデジタル機器全盛となった昨今、結構往生するのが“給電”です。出先のホテル等で充分充電したつもりでも、デジカメやパソコンの電池容量には常に不安がつきまとっています。それだけに新幹線車内のコンセントは実にありがたい配慮といえましょう。車内LANもすでに設備されており、地上側の設備が完了する2009(平成21)年春からは、車内のインターネット環境も整う予定です。
▲14時19分新大阪駅に到着。わずかな停車時間を利用してテレビ各局のインタビューに応えるJR西日本車両部平田担当部長(右)とJR東海車両部田中担当部長(左)。'07.5.23 新大阪

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▲右からN700系Z2編成、700系C49編成、300系J58編成。'07.5.21 東京第二車両所 P:RM(新井 正)
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現在このN700系は試作のZ0編成を含めて4編成が落成、試運転に入っています。6月16日と17日の両日には800組2000名を招待した親子試乗会も開かれるそうで、“次世代”新幹線はいよいよ“現行”新幹線として東海道・山陽を走りはじめます。

edohaku1nn.jpgこの夏、東京・両国の江戸東京博物館で大規模な鉄道展、その名も「大鉄道博覧会」が開催されます。“昭和への旅は列車に乗って”と副題の付けられたこの博覧会、 戦後昭和史と鉄道の世界を多角的に紹介し、団塊の世代から子どもまで親子3代で楽しめる内容となるそうです。まずは先ごろ発表されたリリースをご覧いただきましょう。
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鉄道は現代における重要な社会基盤として、人々の生活を支え、変化させてきた。なかでも現代日本の最も大きな変革期である昭和30年代は、鉄道と社会生活の関係が大きな変容と発達を遂げた時代。そんな「戦後昭和」を忠実な考証で甦らせるのが、7月10日から東京・墨田区の江戸東京博物館で開催される「大鉄道博覧会」。戦後昭和史と鉄道の世界を多角的に紹介し、団塊の世代から子どもまで親子3代で楽しめるものとなる。
 当時の街並みの一部を会場内に再現するほか、鉄道に関する品々、さらに会場では鉄道に関連した映画や親子で楽しめる模型教室などを開催する予定で、また集団就職の様子を伝える写真など多数展示し、鉄道の楽しさを余すところなく体験することができる。

■会期:2007年7月10日(火)~9月9日(日)
※毎週月曜休館 ただし7月16日(月・祝)、8月13日(月)は開館、7月17日(火)は休館。
■会場:江戸東京博物館 1階展示室
東京都墨田区横網一丁目4番1号 http//www.edo-tokyo-meseum.or.jp
■開館時間:9:30~17:30
※土曜日は19時まで(入館は閉館の30分前まで)

■料金
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*( )内は20名以上の団体料金
*共通券(当日券)は江戸東京博物館とJR両国駅で販売します。
*次の場合は観覧料が無料/未就学児童、身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳、被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付き添いの方(2名まで)
*小学生と都内に在住・在学の中学生は、常設展観覧料が無料なので、共通券はありません。

主催:財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、読売新聞社
企画制作:東映

ageki1n.jpgこの「大鉄道博覧会」でもうひとつ注目なのは「下工弁慶号」が“上京”することでしょう。「下工弁慶号」はかつてこのブログでもご紹介したように、1907(明治40)年(別説もあり)石川島造船所製の超小型Bサドルタンク機(自重5.5t)で、先日まで北勢線の阿下喜駅に隣接する仮設線路で展示運転されていたものです。下町生まれのこの小型機がちょうど100年ぶりに東京に戻ってくるというわけです。展示予定の実物蒸機はもう1輌。糸魚川の東洋活性白土で使用されていた協三工業製Bサイドタンク機(自重6t)もやってきます。こちらは実用蒸機としてはわが国最後の1956(昭和31)年生まれ。100年前の蒸機と最後の新製蒸機が江戸東京博物館で顔を合わせることになるわけです。
▲阿下喜で展示されていた頃の「下工弁慶号」。下松市の保管状態が良かったこともあって、見事に動態復活を果たしてくれた。'04.4.3 P:名取紀之

ところでこの「大鉄道博覧会」の開催に合わせて「大鉄道博覧会フォトコンテスト2007」が開催されます。不肖私も大先輩の皆さんとともに審査員の大役を仰せつかっております。

東京都江戸東京博物館では、「大鉄道博覧会」開催を記念し、ひろく「鉄道」をテーマにしたフォトコンテストを開催します。
 列車はいつも私たちを旅へと運んでくれます。ふだん何気なく利用する列車は、移動時間さえも貴重な思い出に変え、旅に彩りを添えるたいせつなエッセンスです。楽しい旅のワンシーンを演出してくれる「列車」から、皆さまのご家庭で保存されている歴史ある鉄道写真まで、みなさまのとっておきの1枚をお待ちしています。

主 催=財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館
後 援=株式会社ネコ・パブリッシング
協 賛=キヤノンマーケティングジャパン株式会社/富士フイルムイメージング株式会社/株式会社天賞堂

応募資格■ジュニアの部=中学生以下  ■一般の部=高校生以上

応募作品について
■作品はプリントで応募してください。モノクロ・カラーのどちらでも可。サイズはキャビネ以上、四つ切りサイズ以下とさせていただきます。規定外のサイズでのご応募、台紙貼り、スライド、パネル貼りのものは審査の対象外とします。
■フィルムが現存しない作品は複写のプリントでご応募ください。
■応募枚数はお一人につき1枚写真です。組写真は除きます。
■デジタルカメラでの撮影も可能です。この場合、目安として400~500万画素以上のカメラをご使用下さい。トリミングや焼き込みは可ですが、画像の加工、合成は不可とします。
■作品は、撮影者のオリジナル、未発表に限ります。被写体の肖像権については、撮影者が許可を得て下さい。
■入賞決定後、主催者が類似または二重応募と認めた場合、入賞を取り消すことがあります。
■応募作品はご返却いたしませんのでご了承ください。
■応募作品の取り扱いについては、充分注意いたしますが、万一の事故に対する責任は負いかねますのでご了承ください。
■撮影にあたっては、列車往来に十分注意し、軌道内及び当該鉄道事業者が禁止する箇所からの撮影は禁止とし、これに該当する作品は対象外とします。

発表について
■入選・落選についてのお問い合わせはご遠慮ください。
■入賞された方へは、2007年7月下旬まで直接通知いたします。大変申し訳ございませんが、落選の方への通知はいたしません。
■入賞作品は2007年8月9日から9月9日まで、東京都江戸東京博物館1階特設会場にて展示します。

入賞作品の取り扱いについて
■入賞者の方には入賞通知後、作品のネガまたはポジの原板、デジタルカメラの場合はCD-R、MOなどでご提出いただき、主催者が展示作品を制作いたします。画像データの場合、ファイル形式はJPEGのみとします。画像データのファイルは300dpi、最大3000×2400pixel、3-4MB、35×22cm程度とします。APSフィルムを使用した入賞作品の場合は、カートリッジごとお預かりします。原板は当方で管理、保管いたします。原板のご返却は2007年8月中の予定です。
■指定した期日までに原板をご提出いただけない場合は、入賞を取り消す場合があります。
■入賞作品の使用権は主催者に帰属します。入賞作品を主催者が発行する印刷物、電子メディアに使用する場合がありますのであらかじめご了承ください。

入賞商品について
■ ジュニアの部
●グランプリ/1名 ●準グランプリ/2名 ●優秀賞/3名●入選/5名●佳作/5名
■ 一般の部
●グランプリ/1名 ●準グランプリ/2名 ●優秀賞/3名●入選/10名●佳作/15名

*入賞者には賞状及びご協賛いただいた企業からカメラ、映像機器、鉄道雑誌(1年分)など、すてきな賞品が副賞として贈られます。

審査員
竹内 誠(東京都江戸東京博物館館長)・齋籐 晃(慶應義塾大学鉄道研究会「三田会」相談役)・米山淳一(日本鉄道保存協会顧問)・広田尚敬(写真家)・名取紀之(月刊『Rail Magazine』編集長) 順不同・敬称略

応募締切
2007年7月20日(金) 当日消印有効

ご応募先
〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 東京都江戸東京博物館
大鉄道博覧会フォトコンテスト係 電話03-3626-9974(代)

応募作品及びご応募の際の個人情報の取扱について
ご応募いただき、入賞された作品は主催者の広報事業に限り利用させていただきます。また、本コンテストを通じてお客さまからご提供いただいた個人情報は①コンテストに関するお問い合わせ時の対応②入賞時の連絡③展示作品の利用時(作品掲示や広報媒体等に掲載する個人情報は、在住都道府県名と作者氏名に限ります)とさせていただきます。

応募票のダウンロードはこちら(Word)

近江鉄道ED31を思う。

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▲彦根駅構内にずらりと並んだED31たち。伊那電が新製した6輌のうち5輌がここ彦根の地に残された。'02.8.24 彦根

すでに貨物営業はしていないものの、近江鉄道には依然として11輌もの魅力的な電気機関車が残されていますが、今年は国宝・彦根城築城400年にあたることから、地元彦根市が中心となって様々なイベントが繰り広げられており、その一環としてこれらの電気機関車の一般公開も行われています。

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▲ED31 4のプロフィール。電気品は芝浦製作所ながら、車体は石川島造船が担当しただけあって、どうにも鉄道車輌らしからぬ無骨なスタイルとなっている。イメージとしては甲虫のよう…とも形容できようか。'02.8.24 彦根

国宝・彦根城築城400年祭 彦根まちなか博物館」と名づけられたこのイベントは、地元に残る文化や産業遺構を再認識しようとするもので、3月21日のスタートにあわせて近江鉄道彦根駅構内では「近江鉄道ミュージアム」がオープンしています。このミュージアムは同社が保存してきた各種の歴史的鉄道部品を展示する「近江鉄道資料館」を中核に、残された電気機関車などの屋外展示から構成されており、構内に入って同社の古典電機たちをゆっくりと観察することができます。

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▲ED31 4のキャブ内。必要最低限の設備しか持たないプリミティブなキャブは思いのほか広々としている。使い込まれたハンドブレーキハンドルは遥か80年以上前の伊那電時代からのものであろう。'02.8.24 彦根

■近江鉄道ミュージアム
期間:11月25日(日)までの毎週金曜・土曜・日曜日および祝日
時間:10:00?17:00(11月は16:00まで)
場所:近江鉄道彦根駅構内(彦根駅東口階段おりてすぐ)
料金:入場料としておとな200円、小・中学生100円(ただし毎月第3日曜日は小学生無料)

(※詳しくは近江鉄道HPをご覧ください)

oumi12n.jpg近江鉄道には現在でも4形式11輌(ED14 1?4、ED31 1?5、ED4001、ロコ1101)の電気機関車が残されていますが、なかでも人気の高いのは東海道電化の立役者でもあったGE製のED14でしょう。しかし個人的には甲冑を身にまとったような無骨なスタイルのED31がとりわけ印象深く、これまでの何回かの近江鉄道訪問もED31との再会が大きな楽しみでした。
▲4号機は機関士側の正面窓がHゴム化されているがそれ以外は良く原形を留めている。キャブ中央に位置する巨大な箱は制御器本体。'02.8.24 彦根
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ohmi31n.jpg“とりわけ印象深い”のには理由があります。遥か昔、小学生の頃にこのED31をペーパーで自作したことがあるからです。ご承知のようにED31形は1923(大正12)年に現在の飯田線の前身である伊那電気鉄道が新製した国産(芝浦+石川島造船)電機です。詳しくはRMライブラリー『私鉄買収電機の系譜』をご覧いただくとして、電車を思わせるDT10系の釣合梁式台車といい、ほとんど直線構成の車体といい、子供心に“手軽に作れそう”な機関車に思えたのかも知れません。いずれ機会があれば、RM MODELS創刊当時の人気企画「昔のモデルで出ています」ばりに愚作をお目にかけたいと思いますが、とにかくそんな原体験もあって、ED31にはひとかたならぬシンパシーを感じてきています。
▲近江の5輌の仲間の中で5号機は1990(平成2)年12月に廃車処分されている。写真は廃車後十年以上を経て荒廃が進んでいた頃の5号機。ちなみに末っ子の6号機は上信電鉄で箱型車体化されて現存している。'02.8.24 彦根
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改めて見直してみると、1923年製のED31はあの上信のデキ(1924年製)より一年先輩で、国内に現存する私鉄電機の中ではえちぜん鉄道のML6(テキ6=1920年製)、銚子電鉄のデキ3(1922年製)につぐ古参機ということになります。この彦根城築城400年イベントの一環として改めて見直され、末永い保存の気運が高まりつつあることは、いちファンとしても嬉しい限りです。

enodenhyou1.jpgRMライブラリー今月の新刊は代田良春さんの『江ノ電 旧型連接車物語』です。今から5年前、2002(平成14)年に開業100周年を迎えた江ノ電ですが、代田さんによると車輌面でのこの100年は、見事なまでに四半世紀ずつに4等分されるそうです。つまり4輪単車ばかりの第一期、単行のボギー車ばかりの第二期、連接車を中心とした改造車の第三期、そして新造車が次々と誕生した第四期です。

RM LIBRARY94『江ノ電 旧型連接車物語』。表紙はまだポール時代の501編成。

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▲旧型連接車ファミリーの末っ子306号編成の竣功式に臨む極楽寺検車区の人びと。'68.12.5 極楽寺 P:代田良春(『江ノ電 旧型連接車物語』より)

本書はこのなかの第三期、つまり改造連接車だけにスポットを当てた異色の書です。1956(昭和31)年誕生の301号編成から1968(昭和43)年落成の306号編成まで合計8本の改造連接車は、種車や改造内容の違いによってそれぞれが強い個性を持って生まれてきました。しかもその後も集電装置の変更、4輌運転化に伴う連結器の改良、前照灯の移設、車体・機器の更新、台車の交換、そして冷房化と刻々とその姿を変えてゆくことになります。

enoden12n.jpgご執筆いただいた代田さんはもと江ノ島電鉄取締役鉄道部長で、新卒で入社以来長年にわたって江ノ電10.0kmに直接関わってこられました。しかも法政大学小金井キャンパス鉄道研究会OB会(マイロネフクラブ)会長でもあり、その面でも本書は単なる鉄道事業者の側の記述に留まることなく、趣味人としての江ノ電への思いが溢れるものとなっております。お伺いしたところでは、昭和30年代後半、鉄道廃止を検討する立場を直接体験しておられるそうで、廃止論の経緯など、これまで伝えられることのなかったバックボーンも記されていて興味は尽きません。
▲急曲線が連続する江ノ電では、分岐部以外での追従性の良さから長年にわたってポールが愛用されてきた。1964(昭和39)年にZパンタ化が図られたが、直吊式のポール時代にも増して架線保守の重要度が増したという。'58.4 鎌倉 P:代田良春(『江ノ電 旧型連接車物語』より)

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▲501号車体中央部には江ノ電初のクロスシートが設けられた。いかにも湘南らしいスケルトン構造のシートだったが、まもなくロングシートに改造されてしまった。'56.7.8 極楽寺 P:江ノ島電鉄(『江ノ電 旧型連接車物語』より)

enoden14n.jpg昭和30年代のレジャーブーム期から鉄道苦難の時代、そして現在と、あの江ノ電カラーを身にまとった改造連接車たちこそが、ファンのみならず多くの人たちに江ノ電のイメージを植え付けた功労者だったに違いありません。期せずして今年は最古参の旧型連接車303号編成が連接化されてから50年目に当たります。さすがに老朽化を隠し切れず、残された2本の旧型連接車(303・305号編成)が運用を離脱する日もそう遠くないかもしれません。開業105年目の江ノ電は、すでに新500形に象徴される第五期目の四半世紀を走り続けているのです。
▲地上時代の藤沢駅。501号編成と並ぶのは試運転中の601+602。廃止が取りざたされた“冬の時代”を乗り切り、新時代の幕が開こうとしていた。'70.8.20 藤沢 P:代田良春(『江ノ電 旧型連接車物語』より)

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▲地鉄西魚津駅は北陸本線の築堤と立山連峰を見上げる位置にある。折りしも475系国鉄色復元車が走り去ってゆく。ホーム上の駅名標の表記が「にしうおず」から「にしうおづ」に書き換えられた痕跡があるのに注意。'07.4.29

かねてより一度ゆっくり訪ねてみたいと思いながらなかなか果たせなかった富山地方鉄道西魚津駅を見てきました。北陸本線で黒部から富山を目指すと、魚津駅手前から海側に寄り添ってきた富山地方鉄道本線が大きくカーブを描いて北陸本線をアンダーパスして山側へと転じますが、その大カーブ手前に位置するのが西魚津駅です。

nishiuozu5n.jpg北陸本線の車窓からだと築堤上から見下ろす形となり、好ましい風情のこの交換駅がずっと気になっていました。ちょうど模型のジオラマでも覗いているような感覚で、なおさら印象が強かったのかもしれません。
ちなみにこの西魚津駅に限らず、富山地方鉄道には模型にしたくなるような駅が多く、かつて『模「景」を歩く』でもジャンクションの寺田駅を取り上げたことがあります。
▲恐らく70年以上前からの姿であろう駅本屋上部には、右書きの切り抜き文字の駅名が掲げられている。'07.4.29

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▲そのまま模型化したくなるような西魚津駅全景。傍らにはランドマークとなっている大きな木があり、夏には心地よい日陰をつくるに違いない。'07.4.29

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▲木製のまま残るラッチを出ると、対向式の上下ホームにはささやかな上屋が設けられている。積雪対策なのか、凝った骨組みで階段部分を覆うスタイルのこのホーム上屋は岩峅寺など地鉄他駅でも見られる。'07.4.29

nishiuozu6n.jpgこの西魚津駅、開設は1936(昭和11)年8月21日で、富山電気鉄道時代(1943=昭和18年より富山地方鉄道)の築造です。残念ながら1997(平成9)年に無人化されてしまい、各所に傷みが目立ちはじめてはいますが、開業時の気概を感じさせる風格ある本屋をはじめ、特徴的な木造のホーム上屋など一見の価値は充分です。
ところでこの西魚津駅、すぐ西側の魚津自動車学校の前あたりが一面のチューリップ畑になっており、JR北陸本線の有名撮影ポイントとして知られています。残雪の立山連峰をバックにチューリップ畑の築堤を行く…観光パンフレットでもお馴染みのあの場所です。
▲本屋正面側の柱。無人駅となって荒廃しつつあるものの、こんな柱の造作ひとつにも、開業当時のこの駅の風格が感じられる。'07.4.29

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▲到着しようとするのは電鉄富山行き。電鉄魚津が交換不可能なため、無人駅ながら当駅で交換する列車も設定されている。背後に見える築堤は北陸本線。'07.4.29

かつてこのブログでも書いたことがあるように、個人的には富山地方鉄道というと夏の夕方の印象が強いのですが、期せずしてこの日も夏を思わせる気温の夕方でした。夕日に映える西魚津駅の印象は、またしても“地鉄=夏の夕方”のイメージを強固なものにしてしまいそうです。

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▲貯蔵サイロ下で待機する住友セメント広田サービスステーション302号機。全国に多数あった包装所の中ではそれほど大きな規模ではなかったが、今春まで鉄道輸送を続けてきたことで貨物列車ファンにとってはありがたい存在だった。なお、この当時の運転管理は地元の磐梯運送が行っていた。'81.8.7

先般の3月ダイヤ改正で、かろうじて1往復残っていた磐越西線の貨物列車(5291・5292レ)が廃止され、ついにあの“磐西”からも貨物列車の姿が消えてしまいました。この貨物列車は塩川と広田にある大阪住友セメントのサービスステーション(SS)に北陸本線の青海からセメントを輸送するために設定されていたものです。やはりこの改正で高山線坂祝発着のセメント列車も廃止されてしまい、モーダルシフトの趨勢とは裏腹に、ことセメント輸送に関しては、鉄道貨物輸送は冬の時代に逆戻りしてしまったかのようです。

hirotass302n3.jpgところでこの磐越西線貨物列車の目的地である広田のセメントプラントには少々思い出があります。昭和40年代に会津線に通っていた頃、磐越西線の車窓から広田駅構内でちょこまか動き回っている日通色の加藤10t機を幾度か目撃しており、ここにセメント会社の専用線があることは気がついていました。ただこの当時は加藤製作所製の10t規格型機などとりたてて珍しい存在ではなく、途中下車してまで訪ねてみようとは思いもしませんでした。
▲昭和40年代、磐越西線の車内から垣間見た広田包装所(1975=昭和50年よりサービスステーションに名称変更)の加藤10t(1956年製)。この頃はまだ302号の姿はなかった。'74.8.12

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▲同系のカタログモデル機は15t、18t、20tとラインナップされていたが、ファミリーの中ではこの15t機「150-15-B」が一番整ったプロポーションをしているように思う。2軸の連動はチェーンではなく、さながらインサイドギアのような歯車式。'81.8.7
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hirotass302n2.jpgそれがあえて訪ねてみようと考えを改めたのは、加藤10t機の後釜として川崎車輌製の15t機が赴任したからでした。川崎製のB型シャンターは比較的輌数が少なく、なかでも昭和30年代生まれのものは“レア”な存在でした。住友セメント広田包装所に郡山包装所から1959(昭和34)年製の本機が移籍したのを知り、ぜひともつぶさに観察したいものと広田駅に降り立ったのは、今から26年前の夏の日のことでした。
▲広田サービスステーション専用線は国鉄駅(画面右)構内に寄り添うようにのびていた。「専用線一覧表」によれば延長は0.3キロ、作業距離は0.2キロ。'81.8.7
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手元の『住友セメント八十年史』(1987年発行)によれば、広田SSは貯蔵能力3000トンと500トンのサイロそれぞれ1基を備える中堅規模の包装所です。専用線は駅構内に隣接する短いもので、入換機は国鉄機が授受線に置いていったセメント用タンク車をそのサイロ下へと押し込むのが主な任務です。

hirotass302n4.jpgこの15t機、メーカー形式「150-15-B」(150馬力の15tB型)と呼ばれるカタログモデルで、同系機としては最初のロット(1959=昭和34年7月製/製造番号38・39)の2輌です。磐城セメント(1963=昭和38年より住友セメントに社名変更)に納入された両機は、埠頭工場を初任地に1962(昭和37)年に磐越東線大越にある田村工場(同工場は翌1963年稼働開始)に転じ、その後302号機のみが郡山包装所→広田包装所と福島県内を転々としました。同形機は川崎セメントなどにも納入されており、なおかつこの15t機に連なる18t機(150-18-B)や20t機(140-20-B)も以後続々と誕生することになります。
▲川崎車輌カタログに見る「150-15-B」。写真は僚機301で、納入先は前身の磐城セメントとなっている。(川崎車輌カタログ1959年版)
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▲川崎車輌「150-15-B」組立図。本図は翌1960(昭和35)年2月に川崎セメント向けに生産された同形機(製番54・55)のもので、トルコンが新潟製CB100(MS390)に変わっている。ホイールベースの1803.4ミリは71インチのメトリック換算値。(川崎車輌原図)
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今回の磐越西線貨物列車廃止の報を聞くまで、あの住友セメント広田包装所を訪ねた夏の日のことなどすっかり忘れてしまっていました。あれから四半世紀以上、聞くところでは、この広田SSには1993(平成5)年に岩手通運から日立製の20t機が移籍してきて、先日の貨物輸送廃止まで働いていたそうです。ただ、残念ながらその後あの川崎製302号機がどうなってしまったのかは知れません。

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連休前、4月24日付けのこのブログでもご紹介しましたが、群馬県沼田市の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターを舞台に積極的な活動を続けている「よみがえれボールドウィン実行委員会」の今年の作業が始まりました。昨年のボールドウィンに続いて今年のレストア対象はやはり同所で保存されている協三工業製ディーゼル機関車(上松運輸営林署No.141)。好天に恵まれた先週の日曜日、開会セレモニーが賑々しく挙行され、いよいよ2年目のプロジェクトが始動しました。今回もメンバーの木村一博さんからお寄せいただいたレポートをもとにご紹介することにいたしましょう。
▲昨年美しくレストレーションされたボールドウィンの横に今回の修復対象となる141号とB型客車が据え付けられた。挨拶に立つのは丸山会長。'07.5.13 P:木村一博

141nn2.jpgこの協三工業製ディーゼル機関車はもと上松運輸営林署、いわゆる木曽森林鉄道の141号機で、戦前から多数の内燃機関車を擁し、シリアルナンバー(通し番号)で管理していた長野営林局最後の増備機です。西 裕之さんの『新版 木曽谷の森林鉄道』によれば、もとは北海道の北見営林局津別営林署に所属していた機関車で、1962(昭和37)年に同局の森林鉄道が全廃されたことによって1964(昭和39)年4月に上松運輸営林署に移ってきた機関車だそうです。自重10tのそつないスタイルのディーゼル機関車で、主に本線の「みやま号」の牽引などに使用されていたといいます。
▲修復作業はまず浮いた塗装をそぎ落とす作業から始まった。かたや一冬を越したボールドウィンも、埃を払いロッド類を油で磨き上げる作業が並行して行われた。'07.5.13 P:木村一博

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▲錆ついたボルト類を外してボンネットリッドを分解する(左)。台枠の塗装を剥離してゆくとオリジナルの塗色と思われる鮮やかなブルーが現れた(右)。'07.5.13 P:木村一博
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10時から行われた開会セレモニーでは、林業機械化センターの川添所長から、昨年のボールドウィン修復のお礼と今年のプロジェクトに対する歓迎の挨拶があり、引き続いて沼田市長をはじめ地元の方々からも心強い挨拶が続きました。

141nn5.jpg午後からはさっそく第1回の修復作業を開始。まずは141号機の錆落としと浮いた塗装の剥離が行われました。実はこの141号機、木曽時代も何回か塗色が変更されており、最終的な仕上げ塗装をどうするのかが修復作業着手前からの懸案でした。ところが今回塗幕の剥離を開始してみると、黒だとばかり思われていた台枠からは鮮やかなブルーの地色が“発掘”されました。鋳出してあるメーカーの「協三工業」の文字は黄色。恐らく1956(昭和31)年に北見営林局に赴任した当時の“メーカー塗装”なのでしょう。
▲好天に恵まれた今年の作業第一日目。まずは参加者全員で記念撮影。果たしてバックの141号機は紅葉シーズンにはどんな姿に甦っているだろうか…。'07.5.13 P:木村一博

ちょっと作業を進めるだけでもこんな新たな発見があるのもレストアの妙味かもしれません。「よみがえれボールドウィン実行委員会」では引き続き一緒に修復作業をしてくれる仲間を募っているそうです。また、今期は下記の作業日程が予定されており、会員にならなくても自由に見学可能とのことです。
〔今後の修復作業日程〕
・第2回 6月17日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
・第3回 7月22日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
・第4回 8月19日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
・第5回 9月16日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
・第6回 10月7日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
●場所:林野庁森林技術総合研修所林業機械化センター(群馬県沼田市利根町根利)
●会費:年会費=2,000円(個人会員、家族会員)
    修復作業参加費=1回2,000円(昼食、保険料、作業雑費を含む)
●第2回「森林鉄道フェスティバルin根利」
  期日:10月21日(日)午前11時開始
●連絡先:「よみがえれボールドウィン実行委員会」
    事務局 丸山龍一会長  電話0278?20?1818

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今日は東京駅日本橋口にあるサピアタワーで前代未聞(?)の記者発表会が行なわれました。JR東日本、JR東海、JR西日本3社のIC乗車券相互利用に関する合同記者発表で、JR発足20年にして、本州3社が合同でこれだけ大規模な記者発表するのは今回が初めてです。
▲3社合同記者発表会に臨む左からJR東日本小縣常務、JR東海河野常務、JR西日本井上常務執行役員。'07.5.16

さて、今回発表されたのはJR東日本のIC乗車券「Suica」とJR東海の「TOICA」、JR西日本の「ICOCA」の相互利用化が骨子で、さらに東海道新幹線の「エクスプレス予約ICカード」の導入によって新幹線・在来線相互間の移動もシームレスとなります。ご承知のように、すでにJR東日本「Suica」とJR西日本の「ICOCA」は相互利用が可能となっており、今回の連携によって3大都市圏が共用性を持つICカードによって結ばれたことになります。

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▲用意されたコンファレンスルームはプレス関係者で一杯。テレビ各局もクルーを繰り出して取材体勢を整えていた。'07.5.16

現在JR東日本の「Suica」の発行枚数は約2042万枚、JR東海の「TOICA」が約24万枚、JR西日本の「ICOCA」が約291万枚、合計約2357万枚と発表されており、この相互利用開始によって一気に3社1200駅での利用が可能となります。

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▲サービスイン時の「Suica」「TOICA」「ICOCA」のそれぞれの利用可能エリア。JR西日本は岡山・広島エリアに今夏以降、JR東海は静岡エリアに来年3月を目途にそれぞれ拡大を図る予定。(記者発表資料より)
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ただ注目の「PASMO」や「PiTaPa」との相互利用機能は現在のところ盛り込まれておらず、なおかつ「Suica」「TOICA」「ICOCA」の在来線各エリアをまたがっての利用はできない点が要注意です。

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▲今回の相互利用の大きな目玉「エクスプレス予約ICサービス」の概念図。新幹線・乗換改札機からは印字された「座席のご案内」がプリントアウトされて出てくるのも興味深い。(記者発表資料より)
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▲「Suica」や「ICOCA」と「エクスプレスICカード」の組み合わせ型「エクスプレス予約ICサービス」の概念図。これまで“タブー”とされていた「2枚重ね」を逆手にとって活用する形となる。(記者発表資料より)
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今回の相互利用開始に付帯してもうひとつ画期的なのは、東海道新幹線の「エクスプレス予約ICサービス」と在来線用のICカード(「Suica」「TOICA」「ICOCA」)の連携によって、東海道新幹線と3社ICカードエリアの在来線がシームレスとなることでしょう。さらにこれはJR東日本の「Suica」に限定されますが、携帯電話1台で新幹線と在来線を自在に乗り継げる「モバイルSuica特急券」もスタートします。

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▲もうひとつの新機能「モバイルSuica特急券」の購入イメージ図。新幹線に限られるが、特急券も含めたチケットレス化が実現する。(記者発表資料より)
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▲「モバイルSuica特急券」の利用方法例。これは中央線の吉祥寺から東北新幹線→在来線と乗り継いで松島海岸へとモバイルひとつで移動する例。当然車内改札も省略される。(記者発表資料より)
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これらの新システムに対する投資額はJR東日本がモバイルSuica開発費94億円を含む約117億円、JR東海がエクスプレスICカードの開発や利用エリアの拡大などで約135億円、JR西日本が約7億円と、総計250億円以上の巨大プロジェクトとなります。記者発表に立ったJR東日本の小縣常務が「乗車券の革命」と表現されたこの相互利用のサービスインは来年3月! IC乗車券はまたまた新時代へと突入します。

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昨年4月1日に南海電気鉄道から貴志川線を引き継いだ和歌山電鐵(名称はわかやま電鉄貴志川線)は、2701+2271号編成を改造したシンボル車輌“いちご電車”をデビューさせたり、貴志駅長に猫駅長の“たまちゃん”を就任させたりと注目の施策を次々と繰り出してきましたが、今度はその名も「あっとおどろくプロジェクト構想」として「おもちゃ電車」なるものをデビューさせるそうです。
▲「おもちゃ電車」のエクステリアデザイン。連結面側車端部は窓が塞がれ“OMOSHOP”のロゴが貼られる。(提供:和歌山電鐵㈱ DESIGND BY MITOOKA+DON DESIGN ASSOCIATES)
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omocha5n.jpgこの「おもちゃ電車」はおもちゃのインターネット販売で急成長を遂げている地元・和歌山の「TJホールディングカンパニー」をサポーターとする大型支援プロジェクトで、「おもちゃ屋さんを電車の中に開く。おもちゃのミニ博物館が貴志川線を走る。おもちゃのショールーム・ショーケース・情報コーナーが移動する…」等々をコンセプトに、2輌1編成が内外装ともにさながらアミューズメントパークのごとく大改造される予定です。
▲「おもちゃ電車」用に用意された各種ロゴ。(提供:和歌山電鐵㈱ DESIGND BY MITOOKA+DON DESIGN ASSOCIATES)
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▲ウッディーな仕上がりのミニ・ミュージアムとなる連結部内装。和歌山電鐵オリジナルのおもちゃが買えるベンダーマシンも備えられる。(提供:和歌山電鐵㈱ DESIGND BY MITOOKA+DON DESIGN ASSOCIATES)

デザインは“いちご電車”と同様にドーンデザイン研究所。冷房装置キセや連結器胴受まで徹底して真紅に塗られた車体には「おもちゃ電車」の各種ロゴが貼られ、まさに「あっとおどろく」エクステリアデザインとなっています。レンダリングを見る限り、連結面側車端部の側窓は塞がれ、ここに各種の展示スペースが設けられるようで、まさに動くショールームといったところでしょうか。

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▲木目を活かした各種シートが用意される。ベビーサークルまで備えられる予定だという。(提供:和歌山電鐵㈱ DESIGND BY MITOOKA+DON DESIGN ASSOCIATES)

tamachan1nn.jpg外装のラッピングのみならず、これだけ大規模に一企業がスポンサードして編成ごと改造・改装する例はこれまでになく、その面ではほかのローカル私鉄にも大きな刺激になるのではないでしょうか。いずれにせよ、わずか一年ほどでこれだけ矢継ぎ早に“サプライズ”を連発する和歌山電鐵の活力には脱帽せざるをえません。もちろん、とかくこれらの展開を際物視する向きもあるかと思いますが、一時は廃線の運命にあったわずか14.3kmの私鉄が、行政、サポーター企業、さらには市民まで巻き込んで、いわば「第4セクター」として再生してゆこうとする挑戦には、素直に大きな拍手を送りたいと思います。
▲いまや大人気の猫駅長“たまちゃん”のポストカードもできた。4枚入り400円(限定1000セット)で、これは伊太祁曽駅窓口での限定発売。(提供:和歌山電鐵㈱)
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この「おもちゃ電車」のデビューは7月22日(日曜日)。夏休みとともに走り始める実車の姿はまた本誌誌上でもご紹介できることと思います。

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実は今回の黒部峡谷鉄道訪問の“テーマ”は列車写真の撮影ではなく、保存機を含めた車輌写真の撮影でした。現在、黒部峡谷鉄道に在籍する車輌は機関車7形式26輌、客車5形式138輌、貨車9形式171輌、それに事業用車や除雪車と実にバラエティーに富んでいますが、車輌写真、しかも“形式写真”と呼べるようなきちんとした写真はなかなか撮影しにくく、せめて何形式かだけでも納得のゆく形式写真をフィルム(こんな時はフィルム、しかも中判です)に収められればと宇奈月駅に降り立ったのです。
▲黒部峡谷鉄道の定期旅客列車は重連牽引が基本。23輌が在籍する電気機関車の中で、本線営業列車仕業に就くのは箱型車体をもつEDM,EDR,EHRたち19輌。'07.4.29 柳橋?宇奈月

kurobe5n.jpgかつて除雪用に使用されていた酒井工作所製の小型ディーゼル機関車(DB11/1985年廃車)を撮影したくてトライしたことがありましたが、あえなく失敗。列車写真以上に車輌写真が撮影しにくいのも黒部峡谷鉄道の特徴です。昨日記したように一般客扱いをする駅は宇奈月、黒薙、鐘釣、そして終点の欅平の4駅のみ。いずれも狭隘なだけでなく“峡谷”ゆえに光線状態もシビアで、障害なく順光で車輌写真を撮るのは至難の業とさえ言えるでしょう。そんなわけで今回は宇奈月駅ホームでじっとチャンスを待つことにしました。黒部峡谷鉄道は基本的に座席指定もしくは号車指定(普通車)制で、該当列車の改札が始まるまでホームには入れません。ただ、一般営業鉄道である以上「入場券」はあるのではと長蛇の列の出札窓口に並んでみると、やはりありました、140円なりの入場券。さっそく趣旨を告げて改札を入れてもらいホームへと向かいます。
▲宇奈月駅を発車する下り列車。すぐに隧道を潜ると有名な新山彦橋を渡る。宇奈月駅自体が橋上駅のような構造となっており、黒部川側はご覧のような崖となっているため、構内は実に狭い。'07.4.29 宇奈月?柳橋
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▲宇奈月ダム横を柳橋へと進む下り列車。この付近までは黒部川対岸の一般道からアプローチが可能で、この写真は隧道横の駐車スペースから撮影。宇奈月?柳橋 '07.4.29

ところが島式ホームの両側有効長いっぱいに発車列車・到着列車が停まってしまうため、ホームはほとんどブラインド状態。しかも旗持ちのツアコンに誘導された団体客が怒涛のようになだれ込んでくるとあって、じっくりと形式写真を…などという“夢”は木っ端微塵に打ち砕かれたのでした。

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▲宇奈月駅前の黒部川電気記念館前に保存されている1926(大正15)年ジェフリー+川崎造船製のEB5。台枠側面にはエッチング製の銘板もしっかりと残されている。'07.4.29
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それでもじっとチャンスを伺うこと小一時間、ようやく構内入換えにちょこまか動き回っていたEDS13がお誂えの位置に停車してくれました。僚機3輌のEDとともに是非ともきちんとした形で撮影したかった1輌だけに、待った甲斐があったというものです。

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▲粘りに粘ってようやく一枚モノにできたEDS13の形式写真。本機は1957(昭和32)年に日立で製造された15t機で、あの黒四ダム建設の資材輸送に活躍した。凸型車体を持つ旧型電機は本機を含めて現在4輌が在籍している。'07.4.29 宇奈月
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このほか何形式かを押さえることができましたが、残念ながらもうひとつのお目当てであった2軸客車「ハ」の初期型(1925年汽車会社製)の満足ゆく形式写真は撮影することができませんでした。自重、全長、定員ともに最小、しかも現役の営業用客車としては最古の存在だけに、要再トライの個人的課題として次の機会に持ち越しです。

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▲黒部峡谷鉄道は貨車のラインナップも興味深い。左は欅平方面の観光客のゴミ輸送に活躍する無蓋車改造のコンテナ車、その名も「峡谷美人」。今もって発電所のメンテナンスなど重量物の運搬が多いだけに、長物車や大物車のバラエティーも実に豊かだ。写真右は1926(大正15)年汽車会社製の3.6t積み長物車オチ2。'07.4.29 宇奈月

一日だけの訪問でしたが、観光アクセスの「トロッコ列車」としてではなくナローゲージの地方鉄道として改めて見直してみると、黒部峡谷鉄道には輝く魅力があふれています。夏休みに向け、もう一度、黒部峡谷鉄道の存在に注目してみては如何でしょうか。

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連休の一日、ひさしぶりに黒部峡谷鉄道を訪ねました。十年ほど前に黒部峡谷鉄道→関西電力専用軌道(いわゆる上部軌道)→黒部ケーブルカー→立山ロープウェイ→立山トンネルトロリーバス→立山高原バス→立山ケーブルカーを経て富山地方鉄道立山駅に至る大ラウンドトリップをしたことがありますが、思い返せばそれ以来ですから、宇奈月駅に降り立つのも本当にひさしぶりです。
▲黒部峡谷鉄道本線きっての峻険な谷に架かる後曳(あとびき)橋をゆく上り列車。かつて入山者があまりの谷の深さに後ずさりしたことから“後曳”と名づけられたという。高さ60m、長さ64mのアーチ鋼橋で、画面左へR21.5mの急カーブ(同線最急曲線)を曲がって黒薙駅に到着する。'07.4.29 黒薙
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kurobe8n.jpg今年は例年になく雪解けが早く、春の訪れとともに部分開通をくりかえして全線開通にいたる黒部峡谷鉄道も4月28日に全線開通、訪れたのはその翌日でした。
ところで、鉄道誌編集者としても、またナローゲージャーの端くれとしても、申しわけない思いでいつも心の隅に引っかかっているのがこの黒部峡谷鉄道です。というのも、世界的に見ても稀有なスケールのナローゲージ鉄道、しかも営業鉄道であるにも関わらず、趣味の世界ではどうも冷遇されているような気がしてならないからです。一日に20往復以上の列車密度の2フィート6インチ営業鉄道、在籍車輌数は350輌近く大手を除けば私鉄最多、しかも全列車が機関車牽引(!)というのに、誌面に登場する機会も少なく、私鉄ファンはもとより、ナローファンの話題にのぼることさえあまりありません。改めて懺悔してしまえば、RM本誌にしても、「※ただし黒部峡谷鉄道を除く」と脚注を付して“逃げて”しまうことが少なくなくないのですから、反省しきりです。
▲黒部川に寄り添うように走る。近年は韓国や台湾からの団体客が急増しているそうで、この日も多くの海外観光客の姿が見られた。'07.4.29 森石ー柳橋
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▲車窓から残雪の立山連峰をのぞむ。沿線すべてがシーニックポイントといっても良い黒部峡谷鉄道だが、車窓展望ではなく列車の写真を撮影しようとすると意外にポイントは少ない。'07.4.29 森石ー黒薙

kurobe4n.jpg黒部峡谷鉄道がいまひとつファンの話題になりにくい要因のひとつが、撮影のしにくさにあるのかも知れません。屈指のロケーションの中を走りながらも、いざ撮影しようと思うとポジションはほとんど数箇所に限定されてしまいます。というのも並行道路がまったくないためで、しかも10駅あるうち一般客の下車が認められている途中駅は黒薙と鐘釣の2駅のみ。結局のところ列車写真が撮影できるのは宇奈月を発車したところに架かる有名な新山彦橋や、黒薙駅ホームに隣接する後曳橋程度ということになります。
▲新緑の中を絶妙な曲線を描いて進む762㎜ゲージの軌道…ただよく見ると架線がない。そう、これがほとんど知られていない黒薙支線の軌道。'07.4.29
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▲黒薙支線は黒薙駅構内の本線からいきなり分岐して隧道(画面左)へと入ってゆく。かつては黒薙温泉の利用客はトンネル内を通行できたが、現在は急な階段を経て20分ほど山歩きをしなければならない。右はその黒薙温泉の露天風呂。'07.4.29

kurobe7n.jpg宇奈月起点6.5kmに位置する黒薙駅はそれこそ文字通りの“峡谷”にへばりつくように設けられた小駅で、交換設備はなく片面ホームと待合室だけの簡素な設備です。なぜこんな業務駅のような所が乗客扱いをしているのかというと、駅から20分ほどのところに「黒薙温泉」という歴史ある温泉があるからです。あまり知られてはいませんが、実は宇奈月温泉の湯もすべてパイプラインでこの黒薙温泉から供給されており、その量たるや100℃のお湯が1分間に2000リットル! 今もって列車でしか訪れることのできないたった一軒のこの温泉宿目当てに黒薙駅に降りる人は少なくありません。
▲黒薙温泉から黒薙支線をのぞむ。画面左下が露天風呂で、画面中央の山腹に黒薙支線の路盤が見える。運が良ければこの露天風呂につかりながら“ディーゼル機関車の牽くナロー列車”が遠望できるはず。'07.4.29
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ところでこの黒薙駅にはもうひとつの役目があります。それはここから分岐する黒薙支線のジャンクションとしての役割です。この支線は黒部川の支流・黒薙川の上流にある黒薙第二発電所への資材運搬のために設けられた非電化線で、現在でも週に数回ディーゼル機関車の牽く専用列車が行き来しているそうです。

「八ヶ岳高原号」の季節。

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今から36年以上も前のことになりますが、1971(昭和46)年まで、ゴールデンウィークの幕開けとともに「八ケ岳高原号」の季節が始まりました。新宿発の小海線野辺山行き臨時列車で、優等列車でもないこの列車が今もって多くのファンの記憶に残っているのは、ひとえに小海線内で中込区のC56がその先頭にたったことにあります。
▲時おりカッコーの声も聞こえてくる朝まだき、C56 159〔込〕に牽かれた「八ヶ岳高原号」が33‰を上りつめる。C55以降に生産された制式テンダー機の中で唯一排気室(排気膨張室)を持たないC56のブラスト音はさながら大太鼓を叩くがごとく歯切れがよく、それがまた高原のシチュエーションに似合っていた。'71.6.20 甲斐大泉?清里
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▲「八ヶ岳高原号」は小淵沢?野辺山間23.4kmを実に1時間20分近くかけて上る。現車3輌とはいえ満員のハイカーを乗せた旧型客車はC56にとってたいそうな重荷だったに違いない。'71.6.20 甲斐大泉?清里

1969(昭和44)年秋に川越線821・822列車が無煙化されて以後、首都圏近郊では蒸機牽引の旅客列車の姿は見られなくなってしまい、夏山シーズンの日曜・休日に運転されるこの「八ケ岳高原号」が最も身近な蒸機牽引旅客列車となりました。通常は2往復(うち2本は夜間)の貨物しか設定されていない、しかも国鉄最高標高地点を擁するもっとも風光明媚な小淵沢?野辺山間にC56牽引の旅客列車が走る…それはいま振り返っても夢のような話でした。

nobeyama1n.jpgまだ週休2日制など夢だったこの時代、夏のハイキングや登山、それに冬のスキーなどアウトドア・レジャーは、“半ドン”の土曜日の夜行で目的地に行き、日曜日夜に帰るというパターンが一般的でした。もちろんマイカーなど夢のまた夢で、夏山シーズンの週末の新宿駅はそれはたいへんな混雑ぶりでした。乗車待ちの地下アルプス広場はリュックや登山具を抱えたチロリアンハット(!)の乗客で埋め尽くされ、飯田町客車区は手持ちの客車を総動員して臨時列車を組成していました。
▲「国鉄最高駅1345米67」の標柱がある野辺山駅ホームで休むC56 159〔込〕。'71.6.20 野辺山

nobeyama2n.jpgちなみに1970(昭和45)年夏の新宿駅発中央本線下り夜行のラインナップ(23時以降)を見てみると、
23:00臨時「アルプス53号」(8401M松本行き)、
23:15「アルプス10号」(411M南小谷行き)、
23:30臨時「アルプス54号」(8403M信濃森上行き)、
23:45「アルプス11号」(413M南小谷行き)、
23:55各停(425レ長野行き)、
0:20臨時「蓼科高原」(8431M岡谷行き)、
0:40臨時「アルプス55号」(8401レ松本行き)、
そして1:00臨時「霧ヶ峰高原・八ヶ岳高原」(8435レ岡谷・野辺山行き)
…と10?20分ヘッドの通勤電車なみに山岳夜行が頻発されていたのです。
余談ながら、冬場の「銀嶺」や「?スキー号」(のちの「シュプール」)にせよ、あの頃の“ハイカー”やスキーヤーはいったいどこに消えてしまったのでしょう…。
▲この当時の野辺山はまだまだ週末ハイカーや登山客が訪れる程度の静かな駅だった。もちろん中央高速も開通しておらず(小淵沢IC部分開業は1976年)、首都圏からのドライブなど夢物語であった。'71.6.20 野辺山
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「霧ヶ峰高原号」と併結されてまだ明けやらぬ小淵沢へ到着した「八ヶ岳高原号」は、岡谷へと去ってゆく「霧ヶ峰高原号」を見送り、編成後部の3輌のみがホームに取り残されます。“取り残される”というのも、野辺山編成はなぜか1時間近くもこの小淵沢で停車するからで、その間に小海線始発の小諸行き229Dが先発(5:49)してしまいます。一刻も早く登山をはじめたいであろう人々を乗客とするこの列車が、なにゆえこれほどの長時間停車をするのかはわかりません。

yatugatakekougenngou014n.jpgいよいよC56が先頭にたった「八ヶ岳高原号」は、薄明の高原を激しいブラスト音とともに野辺山を目指します。かつて昭和30年代の「八ヶ岳高原号」は小海行きだったようですが、野辺山以遠の需要が乏しいためか、昭和40年代に入ると野辺山止めとなっています。それにしても33‰の急勾配とR200の急曲線の連続とはいえ、わずか23.4kmの区間を1時間18分、つまり表定速度18km/hほどで走っていたのですから、最新のハイブリッド気動車キハE200が走り出そうという今日の小海線から考えると隔世の感があります。
▲上りの「八ヶ岳高原号」は14時35分には野辺山を後に新宿へと戻る。それでも新宿到着は21時26分、実に7時間近い長旅である。今度はC56 144〔込〕に牽かれて小淵沢へと駆け下る「八ヶ岳高原号」。'71.6.20 野辺山?清里

上り8436レ「八ヶ岳高原号」の野辺山発は14時35分(1970年)。現代的感覚からすればずいぶん慌ただしい設定ですが、これでも新宿帰着は21時26分。冷房さえない満員の旧型客車に揺られての夜行日帰りハイキング、それがあの頃のレジャーの姿だったのです。1972(昭和47)年、「八ヶ岳高原号」は小海線無煙化とともに急行「八ヶ岳51号」に格上げされましたが、DD16牽引に変わった同列車が注目を浴びることは二度と再びありませんでした。

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今年10月14日(日曜日・鉄道の日)の開館にむけ、埼玉県さいたま市大成地区で建設が進む「鉄道博物館」。その開館までのカウントダウンは本誌誌上で毎号リアルタイムにご紹介していますが、オープンまで5ヶ月あまりとなり、展示車輌の搬入も今まさにたけなわです。そこで、今日は本誌よりひと足早く、最新の状況をダイジェストでお伝えしてみることにいたしましょう。
▲「歴史ゾーン」に搬入されたED40 10号と9850形9856号。両車輌ともに特徴ある足回りを下から見学ができるピットが用意されている。'07.4.27 P:RM(新井 正)
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286n2n.jpg外装工事の足場を外した「教育ゾーン」には、ついに「鉄道博物館」のロゴとシンボルマークが姿を現しました。36輌の実物車輌が展示される「歴史ゾーン」には、すでにご紹介したように7100形(弁慶号)、開拓使号、150形1号機関車、明治期の客車(模造)、1290形(善光号)の5輌が搬入されていますが、今回新たに交通博物館から初代1号御料車、初代2号御料車、東京総合車両センターから10号御料車、12号御料車、9号御料車、7号御料車 (設置順)が搬入されました。これらの御料車はいずれもガラスで仕切られ独立した空調・消火設備の元で管理・展示されることになります。
▲「教育ゾーン」の外壁に姿を現したシンボルマークと「鉄道博物館」のロゴ。埼玉新都市交通(写真右)からも見ることができる。'07.4.27 P:RM(新井 正)

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▲保護材に包まれてトレーラーで「鉄道博物館」に到着した「初代2号御料車」。'07.4.9 P:東日本鉄道文化財団提供
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このほか、すでに設置されている開拓使号の隣には、交通博物館で展示されていた9850形9856号と大宮総合車両センターの入口に展示されていたED40 10号が搬入されています。ED40には当然ラックレールも用意されています。さらに「歴史ゾーン」の南側には、交通博物館正面に飾られていた0系21形25号車のカットモデル(先頭から6.75m)も設置されました。

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▲交通博物館の建屋から搬出された9850形は、クレーンによりトレーラーに載せられた(左)。右は交通博物館から「歴史ゾーン」へ移設された0系21形25号車の先頭部。’07.4.12 P:東日本鉄道文化財団提供

「教育ゾーン」と「北エントランスゾーン」の間に設けられる予定の「ミニ運転列車」の工事も急ピッチで進んでいます。本格的な信号保安システムの中で、本物そっくりのミニ列車を運転して、運行システムの安全性、正確さなどがどのように保たれているかを体験的に学ぶことができるのが、この施設のセールスポイントです。

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▲「ミニ運転列車」は線路敷設直前まで出来上がっている。横の大宮総合車両センターの試運転線にはEF6459号機の姿が見える。右はコンクリート枕木が敷設された「ミニ運転列車」北側の丘。ちょっぴりトワイライトなゾーンだ。'07.4.27 P:RM(新井 正)

建屋の東側、大宮総合車両センターの試運転線の横では、博物館用搬出入線の敷設工事も開始され、いよいよ夢の博物館は夢から現実へとその姿を整えつつあります。

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▲復原完成後の外観イメージ。上は南ドーム側より、下は北ドーム側より。(提供:JR東日本)

かねてより準備が進められてきた東京駅丸の内駅舎の復原工事の起工式が5月30日に執り行われ、いよいよ世紀の大工事が始まることとなりました。すでにこのブログでも幾度かご紹介していますが、丸の内のシンボルでもある煉瓦作りの本屋は1945(昭和20)年5月の戦災で屋根や3階部分の大半を焼失、その後応急的に復旧されたままとなっています。辰野金吾博士設計の本来の姿は南北に丸屋根のドームを戴いた総3階(一部4階)作りの荘厳なもので、今回の復原工事はこの創建時の姿に戻すことを主眼に行われます。

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▲復原工事の概要図。戦災で焼失した屋根と3階部分(図の赤色部)を復原するとともに、地下部分を新設する。この新設地下部分と駅舎は免震ゴムとオイルダンパーを利用した免震装置によって結ばれる。(提供:JR東日本)
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この東京駅丸の内駅舎は2003(平成15)年には国の重要文化財にも指定されており、JR東日本ではこの文化的遺産である歴史的建造物を未来に継承するとともに、東京駅周辺の開発エリア“Tokyo Station City”の中核としても活用すべく、以下のような計画概要を発表しました。

tokyostn.fig3.jpg〔復原の概要〕 (抜粋)
・現存している駅舎の外壁など主要部分を可能な限り保存・活用し、創建時の姿に復原。
・戦災時に焼失した屋根と3階の外壁を新たに復原。また、駐車場、機械室などを設けるため、地下1、2階を新設。
・南北ドーム内部の見上げ部分を、古写真や文献資料などをもとに復原。コンコース部分は現代の機能にあわせたデザインとする。
・駅舎の耐震性能を向上させるために、現存する駅舎の構造体への加工を極力少なくする工法として免震構造を採用。
・総事業費は概ね500億円を予定。
▲丸の内駅舎を核とした“Tokyo Station City”全体完成予想図。(提供:JR東日本)
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〔施設の概要〕 (抜粋)
・復原後の駅舎は、既存の駅舎同様に駅施設、ホテル、ステーションギャラリーとして使用。
・ホテルについては、日本の表玄関という立地や重要文化財の中に存する強みを活かしたホテルとする。また、日本を代表するセントラルステーションに相応しい客室(約150室)、レストラン、宴会場を検討。
・ステーションギャラリーについては、展示空間と合わせた設備面の整備を行い、これまで以上に重要文化財である丸の内駅舎を身近に触れながら見学できる快適な展示施設とする。

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▲南北のドームの見上げ部分も創建時の装いを模して復原される。花飾りや鳳凰型のレリーフ、鷲型の彫刻、兜型のキーストーンなど、さながら万華鏡のような見上げ部が甦る。(提供:JR東日本)

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▲発表された施設の概要。延べ床面積は実に2倍以上、ギャラリースペースは3倍に広がる。(提供:JR東日本)

計画によるとこの復原工事の完成は4年後の2011(平成23)末。かつてこのブログでもご紹介した東京ステーションホテルのレストラン「ばら」バー「カメリア」のような、歴史と風格を感じさせる空間が生まれることをいまから楽しみにしたいと思います。

都電9000形が完成。

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3月27日付けの本欄でも搬入時の状況をお知らせいたしましたが、東京都電ひさびさの新車として注目を集めている9000形電車がいよいよ完成、昨日荒川営業所で報道公開されました。
▲報道公開された9000形。旧塗装の7022号とともに都電では目立つ存在となりそうだ。'07.5.8 荒川営業所  P:RM(高橋一嘉)
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▲木目調でまとめられた車内。手すり類も真鍮風に仕上げられている。'07.5.8 荒川営業所  P:RM(高橋一嘉)
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to9000n13.jpg既報の通り、9000形は都電荒川線の活性化策のひとつとして、観光客をターゲットとした“レトロ調”の内外装でまとめらたことが大きな特徴で、モニタールーフ調の屋根や楕円形の窓をあしらった車体側面、それにライニングを施した塗色が目を引きます。車内も木目調の床や真鍮風の手すり、さらにはクラシックなイメージのシート織物など、一般車にはない凝った装飾が施されています。またイベントにも対応する仕様になっており、車内にはイベント時に使用する20インチLCDも設けられています。
▲イベント時に使用される運転席背面の20インチLCD(カバーを外した状態)。'07.5.8 荒川営業所  P:RM(高橋一嘉)
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▲荒川車庫横で建設中の車輌展示施設。7504号とともに化粧直しを終えた5501号PCCカーがすでに搬入され、公開を待っている(左)。右はレトロ調への改修工事中の三ノ輪橋電停。'07.5.8 荒川営業所  P:RM(高橋一嘉)

この9000形9001号は5月下旬から営業運転に投入され、団体などでの使用時以外は在来車と共通で通常の運用に使用されるとのことです。同時に荒川車庫の旧型車展示施設や三ノ輪橋電停のレトロ調改修工事も完成の予定で、初夏の荒川線はファンにとっても注目のスポットとなりそうです。
なお、9000形については今月発売の本誌『Rail Magazine』で詳しく紹介する予定ですので、是非ご覧ください。

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▲東岩瀬駅には富岩鉄道開業時からの駅本屋がそのまま残されている。もちろん現在では使われておらず観光施設として残されているに過ぎないが、80年以上前に築造された買収私鉄の駅と最新のLRTのミスマッチがなんとも楽しい。'07.4.30 東岩瀬
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富山ライトレールに乗ってみて、改めて驚かされるのはそのフリークェンシーの高さです。平日は5時30分の始発(岩瀬浜発)から23時15分の終電(富山駅北発)まで10?15分ヘッドでダイヤが組まれており、車輌定員80人とはいえJR富山港線時代から比べればその本数は3倍以上、しかも後述する「フィーダーバス」との連携で早朝から深夜まで実に利便性の高い“面”のトランスポーテーションとしての展開がなされています。実際に夜21時過ぎの車内で乗客の方にお話を伺ってみても、それまでは一杯加減でちょっと帰りが遅くなったりすると二千円以上のタクシー代がかかっていたものが、ポートラムの開業以来助かっている…といった声など、すこぶる評判は良いようです。

portram13.jpgさて、終点の岩瀬浜駅に降り立つのは私にとって実に32年ぶりです。側線が敷きめぐらされたかなり広い構内の西端に片面の旅客ホームがあり、そこに旧型国電が吊り掛け音を響かせながら出入りしていた印象がありますが、新生ライトレールの岩瀬浜駅は思わず「えっ!」と声を出してしまうほどの小駅、いや“電停”となっていました。もちろんポイントもなく、本線がぶっつりと途絶える形で終点となっています。ただ駅設備は小さいながらもスタイリッシュにまとめられており、ポートラムと合わせたトータルデザインとして完成度の高いものとなっています。
▲一周年イベント会場に隣接する岩瀬浜駅もたいへんな賑わい。'07.4.30 岩瀬浜

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▲残雪の立山連峰をバックに岩瀬運河を渡る。かつては工業地帯の運河といった感じだったこの運河も、今やレジャーボートが行き交うトレンディースポットとなっている。'07.4.30 競輪場前?岩瀬浜

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▲岩瀬浜駅にほど近い岩瀬カナル会館で行われた開業一周年記念イベント“Happy! Happy! PORTRAM”(左)。各車の車体側面には一周年を記念してポートラムのキャラクターである“とれねこ”も描かれていた。'07.4.30

連休中はこの岩瀬浜駅にほど近い岩瀬運河脇の「岩瀬カナル会館」を会場に、開業一周年イベントが盛大に繰り広げられていました。ちょうど季節は富山湾名産の“しろえび”漁の最盛期とあって、会場は岩瀬の漁師さんらによる“しろえびコロッケ”や大漁鍋の実演販売などで大盛り上がり。もちろんポートラム関係の各種グッズ販売や写真展などもたいへんな賑わいとなっていました。

portram14.jpgところで現地に行って改めて驚いたのが、「フィーダーバス」と呼ばれるライトレール接続バスの存在です。岩瀬浜駅前を起点として水橋漁港前までを結ぶ「岩瀬・大広田・浜黒崎ルート」と、蓮町を起点として四方(よかた)方面を結ぶ「四方・草島ルート」のふたつがあり、ともにほぼ30分間隔で運行されています。ポートラムから乗り継ぐ場合は運賃が半額(100円)に設定されているなど、たいへん使い勝手の良い設定となっており、こんな展開も功を奏して想定以上の集客を得ているのでしょう。
▲ポートラムに高頻度で接続してLRTを基軸とする“面”のトランスポーテーションを展開する「フィーダーバス」。後ろは岩瀬浜駅。'07.4.30 岩瀬浜

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▲路線図や時刻表などをコンパクトにまとめたB6判24ページの冊子(左)は各駅に置かれていて実に便利。さらに土・日・祝日にはバスと県営フェリー、そして万葉線をリンクした「万葉線・富山ライトレール回遊ルート」(右)も設定されている。'07.4.30
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▲頒布冊子に見るポートラムとフィーダーバスの展開図。東は水橋漁港、西はもとの射水線車庫があった四方にまで路線が伸びているのがわかる。'07.4.30
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さらに嬉しかったのは土・日・祝日に実施されているという「万葉線・富山ライトレール回遊ルート」です。これは岩瀬浜から「新港東口ライトレール接続線」と呼ばれるバス、さらには県営の富山新港フェリー(無料)を乗り継ぎ万葉線の越ノ潟に連絡するエクスカージョン・ルートです。この「新港東口ライトレール接続線」の多くはかつての富山地方鉄道射水線のルートで、以前このブログでもし射水線が現存していれば一大周遊ルートができたかもしれないのに…とかなわぬ夢を語ったことがありますが、バスを介すことになったもののその夢はまさに現実となったことになります。

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▲一方こちらは伏木富山港をはさんで対岸の万葉線越ノ潟駅。県営富山新港フェリー(画面右端が乗り場)と新港東口ライトレール接続線バスを乗り継いで岩瀬浜へと連絡している。折りしも最新鋭のMLRV-1000形(アイトラム)が高岡へと発車してゆく。'07.4.30 越ノ潟
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かつて広大なヤードが広がっていたJR富山駅北口側は、いま北陸新幹線工事の真っ最中です。予定では開業は2014(平成26)年。これにともない在来線と富山地方鉄道の富山駅乗り入れ部分も高架化され、それを機に富山ライトレールはJRをくぐって南口の富山地方鉄道市内線と接続する運びとなります。市内線南富山駅前から富山駅、ライトレール岩瀬浜へ、そして「回遊ルート」を介して万葉線高岡へ…7年後にはまさに理想のLRT=ライト・レール・トランジットが完成するに違いありません。

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▲富山駅北からインテック本社前電停付近までは実に気持ちの良い街路を進む。電柱の地中化など都市景観への配慮がLRTをより一層魅力的に浮かび上がらせている。'07.4.30

JR富山港線を引き継ぎ、富山市がインフラの整備・改良等を、新会社・富山ライトレール株式会社が運行管理を受け持つ、いわゆる「公設民営方式」でスタートを切ったわが国初の本格的LRT(Light Rail Transit)「富山ライトレール」が去る4月29日で一周年を迎えました。このブログでも「生まれ変わる富山港線」として開業前にご紹介したことがありますが、実は私自身はその後現地を訪れる機会がなく、開業一年目にしてようやくその盛況ぶりを目の当たりにすることができました。

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噂には聞いていましたが、フリークェンシーの高さはもとより、バスをはじめとした他の公共交通機関との“面”での連携、ICカード(Passca=パスカ)の導入や、果ては親しみやすいキャラクター(とれねこ)の設定まで、システムとして実に良く考えられており、改めて驚かされました。まさにこれからのLRTを語るうえで欠くことのできない、お手本のような存在といっても過言ではないでしょう。実際営業面でも大健闘しており、開業から本年3月末までの利用客数は165万1730人。一日平均にすると4900人で、目標としていた3400人(=2002年度の富山港線一日平均利用者数、2005年時点では2200人)を大きく上回っています。
▲起点の富山駅北で発車を待つ“ポートラム”。通常は2列車が並ぶことはなく、右は一周年記念イベント専用車。連休とあってご覧のように乗車待ちの長蛇の列が…。画面左にJR富山駅北口が見える。'07.4.30

portram4n.jpg総延長7.6kmのうち、もとの富山口?下奥井間の奥田中学校踏切から富山駅北まで1.1km区間は新設された「軌道」ですが、これが“街並み”としても実に素晴らしい調和を見せています。一方、旧富山港線を引き継いだ奥田中学校前?岩瀬浜間6.5kmは「鉄道」で、軌道から鉄道に乗り入れた列車は路面とは打って変わった俊足ぶり(最高運転速度60km/h)で終点・岩瀬浜を目指します。
▲一周年記念イベントの期間中、沿線では各種のイベントが繰り広げられた。'07.4.30 富山駅北

portram5n.jpg富山港の「ポート」と路面電車の「トラム」を掛け合わせて“ポートラム”と愛称される車輌は7輌。7色のシンボルカラーを纏う80人乗りの車輌は、新潟トランシスがボンバルディア社のライセンスのもとに新製した2車体連接低床車で、そのスタイリッシュな外観と素晴らしい静粛性が特筆されます。ちょうど一周年に合わせて第一編成(TLR0601)がラッピングされて特別電車として運行されており、その姿を目にすることもできました。
▲一周年イベントを地元メディアが連日報道したこともあってか、連休中の“ポートラム”はとにかく大賑わい。乗車待ちの列が延々と続く。'07.4.30 富山駅北

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▲南口の地鉄ホテルより北口の富山ライトレールを俯瞰する。ゆとりを持って整備された街路を“ポートラム”が走る。ちなみに手前のJR敷地では北陸新幹線の工事がたけなわ。'07.4.30
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泉北高速鉄道7020系誕生。

otk7020frontnn.jpg中百舌鳥から和泉中央まで14.3kmを結ぶ泉北高速鉄道(大阪府都市開発)では、1996(平成8)?1998(平成10)年にかけて導入した7000系に続く後継新型車輌7020系を新製、4月30日から営業運転を開始しました。この7020系は7000系をベースとしながらも、さらに、車内空間の快適性・利便性の向上、省エネルギー化による環境負荷の低減を図った車輌で、まずは6輌編成1本が投入され、将来的には4輌編成、2輌編成のバージョンも誕生する予定です。

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▲3000系の置き換え用として登場した7020系。今回は6輌編成だが将来的には4連・2連も製作される。'07.4.26 光明池車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲車内。腰掛は片持ち式となり、中間部にスタンションポールが設置されている。'07.4.26 光明池車庫 P:RM(高橋一嘉) 
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otk7020lcdnn.jpg外観デザインは従来車7000系と同様に、白いボディーに泉北高速鉄道のシンボルカラーであるブルーの濃淡の帯を配したもの。客室内は車内のドア上に、文字だけでなく画像による多彩な案内情報を表示する液晶式(LCD)の案内表示器を設置しているのをはじめ、おおむね以下のような改良が施されています。
・混雑するドア付近通路部に吊手を追加するとともに、吊手の高さを3種類とし、従来のものより低い高さの吊手を設置。
・出入り口付近及び座席の中央に、スタンションポール(握り棒)を新設。
・視認性を高めるため、優先座席を明確に色分け。
・各車輌に車いすスペース設置。
・一人当たりの座席シート幅を、20㎜広げ、460㎜に拡幅。
・窓ガラスには、紫外線をカットするUVカットガラスを採用。
・ドアの開閉を知らせるドアチャイムを新設。
機能的にもVVVF制御装置に最新の技術を採用することで省エネ化を図り、空調装置の冷媒にはオゾン層破壊に影響のない代替フロンを使用するなどの配慮がなされています。
▲初めて採用されたLCDによる案内表示器。現在は各扉上に1画面だが、2画面対応の準備工事が施されている。'07.4.26 光明池車庫 P:RM(高橋一嘉)
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senpoku2n.jpgちなみにこの泉北高速鉄道という路線、関東在住の皆さんにはあまり馴染みがないかもしれませんが、大阪府南部・堺市から和泉市にかけての丘陵地帯を宅地開発した泉北ニュータウンの足として、大阪府を中心とする第3セクター「大阪府都市開発」が事業者となって1971(昭和46)年に開業(中百舌鳥?泉が丘間)した路線で、開業当初は600V電圧(1973年1500Vに昇圧)の電気鉄道でした。当初から南海高野線と相互乗り入れ運転を行っており、1995(平成7)年に最後の延伸区間である光明池?和泉中央間が開業、今では一大通勤路線として重要な役割を担っています。今回誕生した7020系も泉北高速鉄道線(中百舌鳥?和泉中央)及び南海高野線の一部区間(難波?中百舌鳥)で運用される予定です。
▲7020系の増備によって3000系は次第にその姿を消してゆく。'06.3.25 P:名取紀之

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▲光明池駅全景。左へ分岐してゆくのが車庫線で、その先に光明池車庫がある。'06.3.25 P:名取紀之

※本ブログは連休中5月3?6日の間休載させていただきます。あしからずご了承ください。

西武鉄道が30000系を発表。

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西武鉄道から今年度末にデビューする新型通勤車輌「30000系」の概要が発表になりましたので、さっそくご紹介してみましょう。この30000系は現在運用中の3ドア車101系および301系の置き換え用として、今年度から2011(平成23)年度にかけて120輌が新製されるもので、今後の西武鉄道通勤車輌の基幹形式となるものです。
▲発表された30000系のレンダリング。やわらかで「たまご状」にふくらんだ面でやさしさを表現する前面形状をはじめ、これまでの「西武電車」のイメージを一新するものとなる。(提供:西武鉄道)

seibulogo1n.jpg「Smile Train(スマイルトレイン)?人にやさしく、みんなの笑顔を作り出す車両?」をコンセプトに、新生西武を象徴する車輌として設計されたというこの30000系は、「生みたてのたまごのようなやさしく、やわらかなふくらみ」をイメージしてデザインされています。先頭部形状はやわらかく「たまご状」とし、トラディショナルな丸形前照灯にこれまでにない細長の尾灯、さらにこれまた曲線を描くスカートによって、微笑ましく親しみやすい“顔”をイメージしているとのこと。アルミダブルスキンの車体は、さきごろ発表された新シンボルマークとコーポレートカラーのグラデーションによって、これまでにない印象を創りあげています。
▲この春から全面的に採用された西武鉄道の新シンボルマーク。(提供:西武鉄道)

外観のみならず機能的にも、より信頼性の高い車輌情報管理装置の採用や、ユニバーサルデザインへの配慮、各ドアにLCD表示器を取り付けて各種情報を配信するなど“新生西武を象徴する車両”にふさわしいものとなります。大型ガラスを採用した貫通引戸や抗菌加工を施された吊り手や握り棒など、女性の視点が積極的に盛り込まれていることも特筆されるでしょう。第一陣8輌編成3本の竣功は来年1月とアナウンスされており、今から楽しみです。

■30000系車輌概要  (提供:西武鉄道)
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NHKラジオ(第一)の午後の生放送「ビュッフェ131」が明日5月2日“鉄道特番”として全国放送されます。渋谷のNHK131スタジオと各地を生放送で結ぼうという計画で、私とタレントの豊岡真澄さん、それに古屋和雄アナと有江活子アナの4人がスタジオから各地の皆さんと中継でお話をいたします。

5月2日(水曜日) 15:33?17:55 NHKラジオ第一放送

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