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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2007年4月21日

千歳鉱山の“双合くずれ”。

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今日は少々エンスージャスティックな話題をひとつ。先般の「北海道の鉄道と連絡船を保存するシンポジウム」でもお世話になった釧路製作所の奥山道紀さんから「鑑定依頼・千歳鉱山」と題したメールを頂戴しました。添付された画像を見ると、そこには何とも謎めいた小型機関車の鮮明な写真が…。まずは奥山さんからのメールをご本人のお許しを得てご紹介いたしましょう。
「三菱大夕張鉄道の機関区助役を勤めた小林氏のアルバムを遺族から預かっていますが、中に別添の写真がありました。当初は大夕張の林鉄のものと思っていましたが、裏面を見ると昭和17年千歳鉱山となっています。千歳鉱山は同じ三菱系列の金山でしたが小熊氏の著作によると日本機械車両製1.2号の他、バグナルが活躍していたようですが、掲載の写真と煙突形状が異なります。撮影が昭和17年であり日本機械車両製造1.2号の新製当初となりますが、これらの車両どちらかなのでしょうか」。
▲これがアルバムに残されていた問題の写真。ボールドウィンタイプの遠心分離式バルーンスタックから森林鉄道と錯覚しがちだが、場所は千歳鉱山。極めて簡易な構造の炭水車は一時芦別森林鉄道から応援に来たバグナルの“ベアトリス”が戦後牽いていたものにも似ており、支笏湖をはさんで連絡していた王子山線の影響も感じ取れる。(写真:小林光志氏所蔵)
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千歳鉱山は今では支笏洞爺国立公園となっている支笏湖西岸にあった道内屈指の金山です。1933(昭和8)年に発見され、1935(昭和10)年に中島飛行機系の中島商事によって買収され、翌1934(昭和11)年に支笏湖畔の美笛と鉱山を結ぶ軌道が敷設されたと伝えられています。奥山さんのメールにある小熊(米雄)さんの著作=『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』では軌道延長は8キロ。後年輸送力増強のために湖畔側7キロが複線化され、戦後の1949(昭和24)年にトラック輸送に切り替わるまで使用されたとあります。

titosemine1nn.jpg同書によれば「運輸開始当初はガソリン機関車を使用したが、昭和17(1942)年に液体燃料の入手が困難となったので、蒸気機関車2輌を使用し、更に昭和17(1942)~18(1943)年にかけて、この鉱山附近の御料林(札幌地方帝室林野局樽前出張所、支笏事業区)が伐採されることになったので、木材輸送にこの軌道を使用することになり、木材運搬車が樽前出張所によって準備され、蒸気機関車1両を上芦別出張所から一時配属することになったものである」と前置きされたのち、1942(昭和17)年2月に「日本機械車輌」で製造されたとされる6tBタンク機の写真が紹介されています。この機関車、小熊さんも「かつて陸軍の鉄道連隊で使用していたCサイド・ボトムタンク双合機関車に類似しているので、これらの機関車の改造ではないかと想像されている」とお書きになっていますが、まさに紛うことなき「双合」の生まれ変わりにほかなりません。
▲閉山から十年あまりを経た千歳鉱山坑口跡。かつては3000人もの関係者が生活していたという周辺もすっかり大自然へと還ろうとしていた。この写真を撮影してからさらに十年…、今や坑口の位置さえ特定できなくなっているかもしれない。'97.8.30

臼井茂信さんはこの双合の分離改造こそが謎のメーカー・日本機械車輌工業(のちの市川重工業→旭重工業)最初の“製品”であったと類推されています(『機関車の系譜図』)。今回“鑑定品”となった写真は、残念ながら人物の影になって肝心の足回りが見えませんが、よくよく目をこらすと、外側スチブンソン式のバルブギアや、「双合」特有の丸穴の開いた第2動輪などが見てとれます。さらにわずかに見える楕円形のキャブ前窓や、特徴的な揚水装置も生い立ちを語ってくれています。奥山さんのメールにもあるように、小熊さんのご著書に掲載されている写真はストレート・スタックで煙突形状はまったく異なりますが、両機ともに改造されたスチームドームや無粋な形態の安全弁、さらにはフランジのついた煙室前板などはまったく同一です。つまりこれらを総合すると、この写真は1942(昭和17)年に日本機械車輌が鉄道聯隊の双合機関車を分離改造して作った千歳鉱山1・2号機のどちらか…という結論に達します。

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「千歳鉱山」の地図表記が見られる最後の地形図より。軌道は支笏湖畔の美笛まで伸びており、鉱石はそこから水運で支笏湖対岸に渡り、さらに王子製紙のいわゆる「山線」で搬出されていた。国土地理院発行1:50000地形図「樽前山」「双葉」(1992年発行)より。
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千歳鉱山の軌道はトラック転換によって1949(昭和24)年に廃止され、1952(昭和27)年にはこの機関車も「スクラップとなった」(小熊氏前掲書)そうで、千歳鉱山そのものも1986(昭和61)年に閉山となってしまいました。実は今から10年前に、何か軌道の痕跡が見出せないかとこの山奥の千歳鉱山跡を訪ねたことがあります。今でこそ国道276号線が気持ちよいワインディング・ロードとして美笛峠へと続いていますが、軌道が現役であった頃はそれこそ鉱山関係者以外は近付くことさえない場所であったに違いありません。軌道跡どころか、巨大な鉱さい堆積場を見たくらいで終わってしまった現地訪問でしたが、一度訪れた地だけに、今回奥山さんからお見せいただいた“双合くずれ”の写真はことさら感慨深いものでした。
古びたアルバムの一枚の写真からでも限りなく夢がひろがる…それもこの趣味ならではの醍醐味に違いありません。