鉄道ホビダス

2007年4月アーカイブ

nhkph01.jpgNHKラジオ(第一)の午後の生放送「ビュッフェ131」が5月2日“鉄道特番”として放送されます。渋谷のNHK131スタジオと各地を生放送で結ぼうという計画で、私とタレントの豊岡真澄さん、それに古屋和雄アナと有江活子アナの4人がスタジオから各地の皆さんと中継でお話をいたします。

5月2日(水曜日) 15:33?17:55 NHKラジオ第一放送

saitousanlayout1n.jpgdmv011n.jpg
番組内容をちょっとご紹介しますと、まずオープニングは完全自作の大レイアウトをお持ちの齋藤 晃さんのご自宅レイアウトルーム(写真左上)からの中継。スーパーベルズの野月貴弘さんが齋藤さんのお宅に伺っての生放送です。以後、JR北海道のDMV、JR東海の次世代新幹線N700系、南部縦貫鉄道や小湊鐵道の連休イベントなど“旬”の話題をちりばめながら全国を結びます。本誌「余部通信」でお馴染みの服部敏明さんには架け替え工事が始まった余部橋梁の下から実況を、また、わかやま電鉄貴志駅の猫駅長「たまちゃん」にも出演(?)してもらう予定です。

amarubenhk.jpg後半は岩成政和さん福岡健一さんによる「鉄道なんでも相談」も予定されております。連休でお休み…という方も少なくないと思いますので、ぜひゆっくりとお楽しみいただければ幸いです。
なお、翌3日にはNHK BS?hiと総合テレビで「夢のSL記念館」と題した述べ6時間にわたる大型番組が予定されております。こちらは向谷 実さんをナビゲーターに国内外70種類の蒸気機関車映像を紹介するほか、大井川鐵道からの生中継、NHKならではの貴重な保存映像などがたっぷりご覧になれるはずです。いささかNHKの宣伝めいてしまいましたが、どうか両番組をお楽しみに。
「夢のSL記念館」
5月3日 10:00?12:00・13:00?17:00=NHK BS-hi、13:05?13:59=NHK総合(BSと同時放送)

※本ブログは4月28?30日の間休載させていただきます。あしからずご了承ください。

「京都市電1900」との邂逅。

hiroden1n.jpg
先日の九州・岡山出張では、このブログでもご紹介した新日鉄「くろがね線」を垣間見てすぐに新幹線に乗り、今度は広島で下車、所要を済ませたのち慌しく岡山へと向かったのですが、乗り継ぎ待ちのわずかな時間を利用して広島電鉄軌道線で働く懐かしの京都市電と再会することができました。
▲広島駅前で離合するもと京都市電の1908と1909.先行するのは広電のフラッグシップ的存在のグリーンムーバーMax。'07.4.11 猿猴橋町

hiroden3n.jpgレトロ電車101号からグリーンムーバーMaxまで、軌道としては日本一の車輌保有数を擁する広島電鉄軌道線ですが、大阪市電、京都市電、神戸市電、西鉄福岡市内線など、各地で活躍した市電・軌道線電車がそのままの装いで活躍しているのも大きな魅力です。文字通り“動く市電博物館”で、広島駅前の電停に30分ほど佇んでいるだけでも驚くほどさまざまな電車を見ることができます。
▲駅前で発車を待つ1909号はもと京都市電の1925。出身地の塗色そのままに活躍しているのが嬉しい。'07.4.11 広島駅前

なかでも懐かしさがこみあげてきたのが京都からやってきた1900形たちで、側面扉の塗装こそ異なって(京都時代はクリーム一色塗)いるものの、今から30年ほど前の京都市電最後の日々が脳裏に鮮やかに甦ります。

kyoutosiden1n.jpg
▲廃止を半年後に控え、最後の活躍をする京都市電1918。この時点ではまさか30年近くの歳月を経て広島で再会しようとは想像さえできなかった。'78.3.28 熊野神社前
クリックするとポップアップします。

hiroden2n.jpg
▲そしてこれが京都市電1918の現在の姿=広島電鉄1903。冷房を搭載するなど近代化が図られてはいるものの、基本的な外観は驚くほど変わっていない。'07.4.11 猿猴橋町

kyoutosiden2n.jpgこの広電1900形は、京都市電廃止前年に2輌が移籍してきたのを皮切りに、全廃後に13輌が大挙して広島へとやってきたもので、車輌数(連接車を含めた運行単位)的には現在でも広電の最大勢力となっています。形式は京都時代の1900を踏襲しているものの、旧番とは微妙にずれていて(現在の1901?1906が京都1916?1921、1907?1915が京都1923から1931)ちょっと惑わされかねません。
▲烏丸車庫で待機する京都市電1925。上の広島駅前で発車待ちをしている1909の京都時代の姿である。もちろん冷房装置はなく、集電装置もビューゲルで前面には懐かしいリトリーバーが見える。'78.3.28 烏丸車庫
クリックするとポップアップします。

1978(昭和53)年、京都市電最後の年は、まだまだ“LRT”などわが国では影も形もない時代でした。お気に入りだった熊野神社前の喫茶店。粋がって「冷コー」と注文したものの、「アイスコーヒーですね」と聞き返されて、それこそ冷や汗をかいたのもあの年でした。あれから実に29年、つかの間の邂逅でしたが、広島駅前で再会した京都市電1900形には、あの頃の自分までもが染み付いているようにさえ見えるのでした。

inforfig.jpg
2月からスタートした姉妹ブログ「今日の一枚」がたいへん好評をいただいています。この「今日の一枚」は本誌連載「新世紀カレンダー」の連動企画で、皆さんの手で広く“今”の鉄道シーンを記録してゆこうというものです。そんな趣旨ですから“今”を伝える写真なら必ずしも列車写真でなくともOK(ただし撮影から一週間以内にお送りください)。通勤・通学の途上にいつも目にするありふれた光景でも、何年か後には貴重なひとコマとなっているはずで、サーバ上に蓄積された皆さんの写真は、いつしか膨大な「記録」となってゆくはずです。
画面をクリックすると「RMインフォメーション」にとびます。

kyounoitimai.jpgすでに毎日十枚近くの“最新画像”が寄せられ、即日アップしておりますが、被写体への興味はもちろんのことながら、そうか昨日はこんな天気だったんだ…とか、こんな花が咲いているんだ…とか、全国津々浦々の表情を知ることができるのも大きな楽しみです。ちなみに現在は郵送でお受けしている本誌誌上の「新世紀カレンダー」も、今後はこのウェッブ上の「今日の一枚」に集約してゆく計画です。
画面をクリックすると「今日の一枚」にとびます。

さて、2月のスタート時からこの「今日の一枚」と「RMインフォメーション」を同サイト内で展開してまいりましたが、初期画面でインフォメーションが見づらくスクロールせねばならないなど改善を要する点がございました。そこで今週からこの二者を完全に別ブログとして分離いたしました。「RMインフォメーション」では編集部に届いた各種の情報をいち早くアップ、すでに誌上ではご紹介できなかった最新インフォメーションが数多くご覧になれます。実は紙媒体、しかも月刊誌の宿命で、せっかくお寄せいただいたインフォメーションを誌面に反映できないケースが多々あります。4月発売号締切以後にお寄せいただいたこのゴールデンウィークのイベント情報などがその最たるもので、今後はウェッブと本誌をより一層巧みに連動させてゆきたいと考えております。どうかリニューアルした「今日の一枚」と「RMインフォメーション」にぜひご注目ください。

yomigaere07n1n.jpg
昨年、林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターに保存されているボールドウィン製B1リアタンク機が、「よみがえれボールドウィン実行委員会」のボランティアの皆さんの手で見事に修復されてゆく様子は本ブログでも何回かご紹介いたしましたが、今年はやはり同所で保存されている協三工業製ディーゼル機関車(上松運輸営林署No.141)が修復されることとなり、去る4月22日(日曜日)に準備作業が行われました。今日は毎回画像をご提供いただいている木村一博さんの写真で、当日の様子をお目にかけることにいたしましょう。
▲写真は昨年秋、奥の建物建設のため移動した車輌たち。綺麗になったボールドウィンの周囲に協三製DL、B型客車、運材台車がゲタを履かされ置かれている。'06.11 P:木村一博

協三工業製DLとB型客車、それに運材台車は、これまでセンター展示棟入口の駐車スペース脇に保存されていましたが、同位置に新たに建物ができることになり、昨年秋に仮置き場に移動されていました。今回はボールドウィンとホイットコムが展示されている展示棟横の上屋内に約20mの線路を新設し、そこにこれらの車輌を移す作業が行われました。

yomigaere07n4n.jpgyomigaere07n3n.jpg
▲保管されていた15kg/mレールは、まず施工性を考え半分の5mに切断されジョイント用の穴が開けられる(左)。レールの曲がりはジンクロ(治具)を使って細かく修正してゆく(右)。'07.4.22 P:木村一博

yomigaere07n6n.jpgyomigaere07n2n.jpg
▲梯子状にした線路をクレーンで吊り上げ並べる(左)。線路の敷設が完了すると、今度は仮置きしてある車輌たちを吊り上げて線路に載せてゆく(右)。'07.4.22 P:木村一博

yomigaere07n5n.jpg
これで修復を行う協三工業製DLの環境も整い、来月からはいよいよ本年度の修復作業が始まります。「よみがえれボールドウィン」実行委員会では、今年度の作業開始を前に、お手伝いいただける方を広く募集しているそうです。新緑まばゆい根利の森で、一日汗を流してみるのはいかがでしょうか。
▲一日がかりで展示棟横の新設線路に移設された車輌たち。ボールドウィンの横で修復作業の始まるのを待つ。'07.4.22 P:木村一博

〔今年度の予定〕
●第1回修復作業:5月13日(日〕午前9時30分集合、10時から開会行事。のち修復作業
●場所:林野庁森林技術総合研修所林業機械化センター(群馬県沼田市利根町根利)
●会費:年会費=2,000円(個人会員、家族会員)
    修復作業参加費=1回2,000円(昼食、保険料、作業雑費を含む)
●今後の修復作業日程
 第2回 6月17日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
 第3回 7月22日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
第4回 8月19日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
 第5回 9月16日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
第6回 10月7日(日)午前9時30分集合 10時?16時30分頃
●第2回「森林鉄道フェスティバルin根利」
  期日:10月21日(日)午前11時開始
●連絡先:「よみがえれボールドウィン実行委員会」
    事務局 丸山龍一会長  電話0278?20?1818

『軽便追想』ふたたび。

tuisou1n.jpgちょうど十年前の春に初版を出版し、たいへんなご好評をいただいた高井薫平さんの『軽便追想』をこのたび再版いたしました。再版と言っても初版は発売直後に売り切れとなってしまい、半年後には再版しておりますから、正確には第三刷ということになります。現在は慶應義塾大学の鉄道研究会OB会=鉄研三田会の会長をお務めで、本誌増刊『国鉄時代』でも「私鉄めぐりの旅すがら」を連載いただいている高井薫平さんは、古くから知られた軽便鉄道ファン。本書は昭和20年代後半からの十年あまり、全国に残された軽便鉄道を訪ね歩かれた、まさに情熱の記録です。

tuisou2n.jpg
本書には、戦後残った軽便鉄道としては、赤穂鉄道、大分交通豊州線、鞆鉄道、そして士別軌道を除く下記20社22線のありし日の姿が、高井さんならではのあたたかいカメラアイで綴られています。落ち着いたダブルトーン印刷とあいまって、軽便ファンの皆さんにとってはまさに時代を超えた座右の一冊と称せましょう。
▲本書の「花巻電鉄」の項より。大判の誌面にダブルトーンの美しい写真が映える。

〔掲載路線〕
根室拓殖鉄道、十勝鉄道、花巻電鉄、小坂鉄道、仙台鉄道、仙北鉄道、日本硫黄沼尻鉄道、九十九里鉄道、草軽電気鉄道、栃尾電鉄(越後交通栃尾線)、頸城鉄道、静岡交通駿遠線、遠州鉄道奥山線、三重交通三重線・北勢線・松坂線、尾小屋鉄道、三井鉱山神岡鉄道、下津井電鉄、両備バス西大寺鉄道、井笠鉄道、日本鉱業佐賀関鉄道、(付・木曽森林鉄道)

tuisou3n.jpgまえがきにもお書きになっていますが、実は高井さんのこの軽便行脚の根底には模型製作がありました。「なめとこ軌道」と名づけられた高井さんの模型鉄道は昭和30年に開業、TMS誌上でその名をご記憶の方もおられるのではないでしょうか。以後その“心象スケッチ”(まえがきより)のために夜行を乗り継ぎ、北海道から九州までをくまなく回られることになります。ほとんど情報もなく、なによりも旅行自体が今日では考えられないような苦難を伴っていた時代だけに、その情熱には改めて胸打たれる思いです。
▲本書収録の「軽便」分布図。写真は軽便行脚をともにした高井さん愛用のカメラとレンズ。
クリックするとポップアップします。

ところで以前このブログでもご紹介したように、ここ十年ほどでこの時代の高井さんのネガは急速に加水分解現象に襲われ、今日ではプリントはおろかスキャニングするのも困難なものが少なくありません。それだけに本書の再版を手にすると、あの時、印刷用原画として紙焼きを作っておいて良かった…そんな感慨にもとらわれます。

『軽便追想』
・A4判変形224ページ/ダブルトーン印刷/上製本カラーカバー
・定価:5000円(税込)

ふたたび秩父鉄道へ。

chichibu803.jpg
一週間ほど前のことになりますが、RMライブラリー『国鉄蒸機の装備とその表情』などでお世話になっている西尾恵介さんらのお誘いで、ひさしぶりに秩父鉄道を訪ねました。前日までの予報では荒天がアナウンスされていましたが、当日はうって変わって初夏を思わせる晴天、まさに絶好の撮影日和となりました。
▲土曜日とはいえ、武州原谷より上り方では驚くほど多くの貨物列車を見ることができる。野上駅で退避するデキ505牽引の7205レを横目にデキ105牽引の上り7006レ(右)が通過してゆく。左は交換待ちの“芝桜臨電”回送車。'07.4.14 野上

chichibu793.jpg改めて申し上げるまでもないかと思いますが、私鉄の貨物列車、とりわけ旅客営業をしている私鉄(線区)の貨物列車(定期)は今や天然記念物的存在で、樽見鉄道が貨物営業を終えてしまった現在、岳南鉄道、三岐鉄道三岐線、水島臨海鉄道、そしてここ秩父鉄道と4箇所のみ(黒部峡谷鉄道を除く)となってしまいました。その中でも圧倒的な貨物列車本数を維持しているのが秩父鉄道です。
▲電気機関車もさることながら、懐かしの101系電車に出会えるのも秩父鉄道の魅力のひとつ。'07.4.14 上長瀞

chichibu761.jpg
▲デキ506に牽かれた7303列車が影森構外側線へと発車してゆく。ハイライトシーンのひとつながら、設定はあるものの運休が多くなっているのが気がかり。'07.4.14 影森

chichibu762.jpg昨年6月にもご紹介したように、現在秩父鉄道の鉱石列車は三ノ輪鉱山への専用線(影森構外側線)から出荷されるものと武州原谷から出荷されるものがありますが、影森便(三ノ輪鉱山出荷)はダイヤ上の設定はあるものの実際は運休となることが多いようで、この日も構外側線に登ってゆくのは午前中の3便のみといういささか寂しい状況でした。それでも武州原谷?太平洋セメント熊谷工場往復の貨物列車はかなりの本数が設定されており、体感的には1時間に1?2本程度の頻度で目にすることができます。
▲影森構外側線から浦山口方の本線を見下ろす。何とも模型心をくすぐられるシーンだ。前方に架かる人道橋は上り5002レ(パレオエクスプレス)撮影の定番“お立ち台”。'07.4.14 影森
クリックするとポップアップします。

chichibu753.jpg
▲黒谷を発車してゆくデキ506牽引の7303レ。この附近にはのどかな山里の風景が残っており、デキ1やED38が活躍していた時代からお気に入りのポジションのひとつ。'07.4.14 黒谷?武州原谷
クリックするとポップアップします。

chichibu754.jpg貨物列車の魅力もさることながら、秩父鉄道で特筆されるのは各駅の個性と居心地の良さではないでしょうか。ローカル私鉄の駅というと、とかく無人化によって荒廃してしまいがちですが、秩父鉄道の駅は有人で、どの駅も実に綺麗に保たれています。しかも『模「景」を歩く』でも紹介したように、文化庁の指定登録文化財となっているお花畑駅をはじめ、ストラクチャーとしても各駅が個性派揃いです。
▲黒谷駅本屋。秩父鉄道はストラクチャーも見るべきものが多く、しかも駅内外に無粋な広告看板がほとんどないのが嬉しい。ちなみにこの黒谷も有人駅で、花壇など綺麗に手入れがなされている。'07.4.14 黒谷

chichibu790.jpg
▲秩父の象徴・武甲山をバックに古参電機デキ105(7005レ)が発車を待つ。ひと足先に下ってゆくのは三峰口行き1525レ。'07.4.14

この日も桜が満開とあってC58 363の「パレオエクスプレス」を撮影されている同好の士の姿が目立ちましたが、首都圏近郊に残された数少ない魅力的なローカル私鉄として、今後、秩父鉄道はもっともっと脚光を浴びるのでは…そんな思いを抱きながら陽の傾きはじめた秩父を後にしました。

chitosekozan001.jpg
今日は少々エンスージャスティックな話題をひとつ。先般の「北海道の鉄道と連絡船を保存するシンポジウム」でもお世話になった釧路製作所の奥山道紀さんから「鑑定依頼・千歳鉱山」と題したメールを頂戴しました。添付された画像を見ると、そこには何とも謎めいた小型機関車の鮮明な写真が…。まずは奥山さんからのメールをご本人のお許しを得てご紹介いたしましょう。
「三菱大夕張鉄道の機関区助役を勤めた小林氏のアルバムを遺族から預かっていますが、中に別添の写真がありました。当初は大夕張の林鉄のものと思っていましたが、裏面を見ると昭和17年千歳鉱山となっています。千歳鉱山は同じ三菱系列の金山でしたが小熊氏の著作によると日本機械車両製1.2号の他、バグナルが活躍していたようですが、掲載の写真と煙突形状が異なります。撮影が昭和17年であり日本機械車両製造1.2号の新製当初となりますが、これらの車両どちらかなのでしょうか」。
▲これがアルバムに残されていた問題の写真。ボールドウィンタイプの遠心分離式バルーンスタックから森林鉄道と錯覚しがちだが、場所は千歳鉱山。極めて簡易な構造の炭水車は一時芦別森林鉄道から応援に来たバグナルの“ベアトリス”が戦後牽いていたものにも似ており、支笏湖をはさんで連絡していた王子山線の影響も感じ取れる。(写真:小林光志氏所蔵)
クリックするとポップアップします。

千歳鉱山は今では支笏洞爺国立公園となっている支笏湖西岸にあった道内屈指の金山です。1933(昭和8)年に発見され、1935(昭和10)年に中島飛行機系の中島商事によって買収され、翌1934(昭和11)年に支笏湖畔の美笛と鉱山を結ぶ軌道が敷設されたと伝えられています。奥山さんのメールにある小熊(米雄)さんの著作=『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』では軌道延長は8キロ。後年輸送力増強のために湖畔側7キロが複線化され、戦後の1949(昭和24)年にトラック輸送に切り替わるまで使用されたとあります。

titosemine1nn.jpg同書によれば「運輸開始当初はガソリン機関車を使用したが、昭和17(1942)年に液体燃料の入手が困難となったので、蒸気機関車2輌を使用し、更に昭和17(1942)~18(1943)年にかけて、この鉱山附近の御料林(札幌地方帝室林野局樽前出張所、支笏事業区)が伐採されることになったので、木材輸送にこの軌道を使用することになり、木材運搬車が樽前出張所によって準備され、蒸気機関車1両を上芦別出張所から一時配属することになったものである」と前置きされたのち、1942(昭和17)年2月に「日本機械車輌」で製造されたとされる6tBタンク機の写真が紹介されています。この機関車、小熊さんも「かつて陸軍の鉄道連隊で使用していたCサイド・ボトムタンク双合機関車に類似しているので、これらの機関車の改造ではないかと想像されている」とお書きになっていますが、まさに紛うことなき「双合」の生まれ変わりにほかなりません。
▲閉山から十年あまりを経た千歳鉱山坑口跡。かつては3000人もの関係者が生活していたという周辺もすっかり大自然へと還ろうとしていた。この写真を撮影してからさらに十年…、今や坑口の位置さえ特定できなくなっているかもしれない。'97.8.30

臼井茂信さんはこの双合の分離改造こそが謎のメーカー・日本機械車輌工業(のちの市川重工業→旭重工業)最初の“製品”であったと類推されています(『機関車の系譜図』)。今回“鑑定品”となった写真は、残念ながら人物の影になって肝心の足回りが見えませんが、よくよく目をこらすと、外側スチブンソン式のバルブギアや、「双合」特有の丸穴の開いた第2動輪などが見てとれます。さらにわずかに見える楕円形のキャブ前窓や、特徴的な揚水装置も生い立ちを語ってくれています。奥山さんのメールにもあるように、小熊さんのご著書に掲載されている写真はストレート・スタックで煙突形状はまったく異なりますが、両機ともに改造されたスチームドームや無粋な形態の安全弁、さらにはフランジのついた煙室前板などはまったく同一です。つまりこれらを総合すると、この写真は1942(昭和17)年に日本機械車輌が鉄道聯隊の双合機関車を分離改造して作った千歳鉱山1・2号機のどちらか…という結論に達します。

shikotukomap.jpg
「千歳鉱山」の地図表記が見られる最後の地形図より。軌道は支笏湖畔の美笛まで伸びており、鉱石はそこから水運で支笏湖対岸に渡り、さらに王子製紙のいわゆる「山線」で搬出されていた。国土地理院発行1:50000地形図「樽前山」「双葉」(1992年発行)より。
クリックするとポップアップします。

千歳鉱山の軌道はトラック転換によって1949(昭和24)年に廃止され、1952(昭和27)年にはこの機関車も「スクラップとなった」(小熊氏前掲書)そうで、千歳鉱山そのものも1986(昭和61)年に閉山となってしまいました。実は今から10年前に、何か軌道の痕跡が見出せないかとこの山奥の千歳鉱山跡を訪ねたことがあります。今でこそ国道276号線が気持ちよいワインディング・ロードとして美笛峠へと続いていますが、軌道が現役であった頃はそれこそ鉱山関係者以外は近付くことさえない場所であったに違いありません。軌道跡どころか、巨大な鉱さい堆積場を見たくらいで終わってしまった現地訪問でしたが、一度訪れた地だけに、今回奥山さんからお見せいただいた“双合くずれ”の写真はことさら感慨深いものでした。
古びたアルバムの一枚の写真からでも限りなく夢がひろがる…それもこの趣味ならではの醍醐味に違いありません。

e200n9088.jpg
▲側面の“HYBRID TRAIN”のロゴが目をひくキハE200形1号車。正面運転席窓下にも同様のロゴがあしらわれている。'07.4.17 長野総合車両センター P:RM(新井 正)
クリックするとポップアップします。

JR東日本が気動車の環境負荷低減を目指して開発していたハイブリッド車キハE200形がこのほど完成、投入線区の小海線入りを前に長野総合車両センターで報道公開が行われました。同社ではすでに4年ほど前から“NE(New Energy)Train”の開発を進め、キヤE991形で実用化試験を行ってきましたが、いよいよその成果が営業用量産車として実を結ぶことになります。

e200n3n.jpg注目のハイブリッドシステムは、エンジンの機械的動力を一旦電気的エネルギーに変換し、そのエネルギーと蓄電池の電気的エネルギーを組合わせてモーターを駆動するシリーズハイブリッドシステムが採用され、発電用のエンジン発電機、エネルギーを蓄積するための主回路用蓄電池、制御用インバータ・コンバータ装置及び車輪駆動用主電動機から構成されています。力行時はエンジン・発電機からの電力と、蓄電池からの電力を用いて主電動機をインバータで駆動し、ブレーキ時には回生電力を蓄電池に蓄えて有効利用を図っています。主回路用蓄電池は、出力密度が高く軽量高出力とすることが可能なリチウムイオン蓄電池を用い、主電動機はE231系などに使用されている誘導電動機をベースにモディファイされています。1輌の2台の台車のうち、一方の台車が2軸駆動の電動台車、もう一方の台車が従台車となっています。
▲主な性能と特徴。リチウム蓄電池は屋根上に搭載されている。(JR東日本提供)
クリックするとポップアップします。

e200na1.jpge200na2.jpg
▲屋根上のリチウム蓄電池(左)と床下の主変換装置(右)'07.4.17 長野総合車両センター P:RM(新井 正)

e200na3.jpge200na4.jpg
▲機関DMF15HZB-Gと発電機DM113(左)。右は運転台ダッシュパネル左、電車のパン上げスイッチの位置に設けられたシステム起動スイッチ。'07.4.17 長野総合車両センター P:RM(新井 正)

e200n2n.jpgではこのハイブリッドシステム、実際の運転時にはどのように切り替わるのでしょうか。まず、発車時は騒音低減のため蓄電池のみのエネルギーでスタート、速度30km/h程度から蓄電池とエンジンの併用に入ります。力行時には発電エンジンはフル稼動、逆に下り坂走行時には回生ブレーキを用いてバッテリーを充電することが可能です。制動時には発電エンジンを停止。やはり回生ブレーキでバッテリーを充電します。停車後は発電エンジンを停止、補助電源はすべて蓄電池から賄う形となります。

▲ハイブリッドシステムのエネルギーの流れ。(JR東日本提供)
クリックするとポップアップします。

e200na5.jpg
▲エネルギー転換の状況もリアルタイムに表示されるモニター装置を備えた運転台。'07.4.17 長野総合車両センター P:RM(新井 正)

e200na6.jpg
▲客室内。セミクロスシートとなっており、クロス部は2+1のレイアウト。後位側デッキ部には電動車椅子対応トイレが備わる。'07.4.17 長野総合車両センター P:RM(新井 正)

このキハE200形は両運転台・トイレ付で、車体は20mステンレス製、車体幅は気動車線区の縮小車輌限界に対応した2920mmの拡幅車体が採用され、床面高さもホームとの段差を極力減らすために1130mm(キハE130やE233系と同様)に下げられています。座席配置は車端部がロングシート、中央部が2列+1列のクロスシート。もちろん全面的にバリアフリー化を配慮した構造となっています。

■キハE200形主要諸元表 (JR東日本提供)
e200fign.jpg
クリックするとポップアップします。

ハイブリッドシステムを搭載した営業用鉄道車輌としては世界初となるこのキハE200形、当面は3輌が新製され、小海線営業所に配属後、性能試験・訓練運転を行い、夏頃より営業運転に入る予定だそうです。なお、詳しくはRM本誌来月号でお伝えいたします。

ettyuujima2nn.jpg
古いポジを広げていたら、すっかり忘れていた画像に出会う…そんな経験はどなたにもあるのではないでしょうか。今日はそんな一枚をお目にかけましょう。時は今から19年前の夏、炎天下の越中島をゆく“坊っちゃん列車”の姿です。
▲主演の薬師丸ひろ子らを乗せて貨物駅の構内500mほどを往復する“坊っちゃん列車”。蒸し暑い一日で、プロモーションとはいえマッチ箱客車の中に乗っている役者の皆さんもさぞやたいへんだったに違いない。'88.7.31 越中島駅

いったいなぜ東京のど真ん中を“坊っちゃん列車”が走っているのか? 実はこれ、この年の8月6日から全国の松竹系映画館で公開された映画「ダウンタウンヒーローズ」(早坂 暁原作・山田洋次監督)のキャンペーンの一環で、当日は主演の薬師丸ひろ子らも駆けつけ、会場の越中島駅構内はたいへんな賑わいとなりました。映画は戦後の混乱期を舞台としており、道後温泉の遊女(石田えり)を“坊っちゃん列車”で逃がすシーンでこの編成が使用されました。

ettyuujima1nn.jpg
▲簡単なホームもあつらえられた。ちなみに越中島駅(その後越中島貨物駅)も当時はまだまだ物流の中心で、背後には屋根車がずらりと並んでいるのが見える。'88.7.31 越中島駅

ettyuujima3nn.jpgそれにしてもこの機関車と客車、映画のセットにしてはあまりに良くできていますが、それもそのはず、これよりさらに遡ること十年以上前、「坊っちゃん列車をつくる会」の皆さんが働きかけて、松山市内の機械メーカー・米山工業が作り上げた、いわば限りなく本物に近い1分の1のライブスチームなのです。1977(昭和52)年に完成したものの、試運転をしただけで鉄工所の片隅に眠っていたのを松竹が借用したというわけです。映画の撮影は1988(昭和63)年5月20日に旧内子線五十崎駅付近200mほどの区間で行われました。戦後の荒廃を象徴するウェザリング(?)を施された機関車と客車は、鈴なりのエキストラを乗せて立派に“出演”を果たしています。
▲「クラウス」は極めて正確に復元されており、刺賀商会(輸入代理店)の銘板までもがデッドコピーされている。2輌の2軸客車(ハ1形)も驚くほど良くできたレプリカ。'88.7.31 越中島駅
クリックするとポップアップします。

ところでこの機関車と客車、その後は門司港駅(1989年)や宇和島駅(2000年)、さらには松山駅構内(2001年)で公開運転され、2001(平成13)年には北海道に渡って穂別町のイベントで旧富内線富内駅構内を走行していますが、その後は松山市内で保管されています。現在、同形の「クラウス」は梅津寺パーク内に保存されている本物(鉄道記念物)、伊予鉄道本社前と愛媛県総合科学博物館に展示されているレプリカ、そして2001(平成13)年から市内線で運転されているディーゼル機関車版2輌(D1、D14)と合計6輌ありますが、蒸気ボイラーで走行可能なのは本機のみ。またどこかで元気に走る姿を見てみたいものです。

大物車の走る道。 動画付

takaoka_07n.jpg
3ヶ月にわたってお届けしてきました吉岡心平さんのRM LIBRARY『大物車のすべて』は、今月21日頃発売の下巻でいよいよ完結することとなりました。JRの本線上を走り、たいへん目立つ存在ながら、その特殊性ゆえにこれまで全貌が詳らかにされることがなかった車輌だけに、吉岡さんの詳細な解説と貴重な写真の数々は、多くの皆様から大変ご高評をいただいております。
▲古河スカイ前から小山までは住宅地の中、踏切操作のため一旦停車を繰り返しながら慎重に進む。滅多に列車が通らない路線だけに、たまたま通りかかった下校途中の子供達が歓声を上げていた。'07.3.20 P:RM(高橋一嘉)

takaoka_06n.jpgさて、その下巻の表紙写真の撮影に担当の高橋君が小山の高岳製作所専用線に行ってきましたので、今日はその模様を動画を交えてお伝えしてみましょう。

小山駅からDE10がやってきた。こちらもシキ180を牽いている。本日3輌目の大物車である。古河スカイ前で機関車を交換する模様。'07.3.20 P:RM(高橋一嘉)

RML93n.jpg貨車ファンにはおなじみの高岳製作所専用線ですが、ご存知ない向きに説明を加えると、東北本線小山駅から北東の方向にある変圧器メーカー、高岳製作所小山工場まで伸びるもの。『トワイライトゾ?ンマニュアル6』所収の「昭和58年版全国専用線一覧表」によると、古河電気工業専用線:総延長2.8kmと、それに接続する高岳製作所専用線:総延長2.8kmとなっていますから、合わせて5.6kmと、ちょっとした小私鉄並のキロ程があることになります。ただし、運転されるのは高岳製作所からの出荷か貨車の送り込みがある場合だけで、めったに列車の姿を目にすることはできません。さて、以下は高橋君のレポートです。

takaoka_02n.jpgtakaoka_03n.jpg
この日は運動不足の解消も兼ねて、小山駅の観光案内所で自転車を借りて、専用線沿線を巡りました。沿線は古河スカイ(旧古河電工)の前あたりまで、つまり半分位までは住宅地が続きますが、そこから先は開けた部分も多々あり、キハ04あたりが走ってきたら…と思うような光景も見られます。
▲高岳製作所前のヤードを柵越しに見る。本日の主役は日通所有のシキ800B2。手前に見えるブルーの車体は東芝物流所有のシキ810で、しばらくここに留置されている模様(左)。小さなヤードには小さな機関庫も備わる。出てきたのは1号機と書かれた本日の牽引機。協三工業製らしい(右)。'07.3.20 P:RM(高橋一嘉)

takaoka_05n.jpg路線の終点は高岳製作所小山工場に線路が吸い込まれて終わっていますが、その手前に小ヤードがあり、この日は発送準備が整ったシキ800B2と、留置されたシキ810、そして小さな機関庫では2輌の機関車がアイドリング中でした。沿線に戻りしばらく待っていると、ポー、ポー、という警笛を響かせながらDLがシキ800B2を従えてやってきました。長閑な沿線風景だけに、本線上で見るシキとは一味違った迫力があります。
▲自転車を漕いで小山方面に行くと、路線の中ほど、古河スカイの工場前の機回し線で追いついた。私有機はここまでのようだ。'07.3.20 P:RM(高橋一嘉)

takaoka_01n.jpg
▲関東にもまだこんな長閑な光景があったのかと驚かされる。ここに間もなく貨車の王たる大物車がやってくる。'07.3.20 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

自転車で古河スカイ前まで戻ると、すでに1号機が切り離されて機回し中。どうするのかと思っていると、今度は小山駅からDE10がシキ180を牽いてやってきました。ここで牽引機が交代して各々戻るようです。ここから先は住宅地の中、踏切が多く、その操作のため一旦停車を繰り返しながら、時には木々を枝を払いながら慎重に進みます。やがて新幹線の高架が見えてくると小山駅の構内。ただ、駅舎から遠いためか、構内に入るまで比較的長閑な光景が続いていたのが印象的でした。

takaoka_04n.jpg
▲沿線でしばらく待っていると、エンジン音も高らかに1号機がシキ800B2を牽いてやってきた。やはり大きい! '07.3.20 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

私も過去2回ほどこの専用線を訪ねたことがあります。最初は1970年代の後半、お目あては大物車ではなく、当時構内で使用されていた汽車会社製の20tDL(DB201)と、羽幌炭礦鉄道勿来(福島県)から転属してきた25tDL(DC1)の撮影が目的でした。多くの専用線が廃止撤去されてしまうなかで、高岳製作所小山工場専用線がこうやって元気に活躍を続けてくれているのはなんとも嬉しい限りです。
では最後に動画をご覧にいれましょう。

■動画:大物車の走る道(高岳製作所小山工場専用線)
上のリンクよりホビダスTV内の動画がご覧になれます。音声付きですので、クリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合がございます。

9000imagen.jpg来年6月に予定される東京メトロ副都心線開業に向けた、東武東上線からの乗り入れ用車輌である50070系および9000系改造車がこのほど報道公開されました。
50070系はすでに東上線で2本が活躍中の50000系に比べ、副都心線用にATO装置を搭載したことが最大の相違点。外観上はフルカラーLEDによる種別表示が目立つほか、先頭車のみ車体長が130mm延長され20130mm(最大)となっています。この50070系はすでに2本が搬入済みで、本年度中にさらに2本が搬入される予定です。


50070n.jpg
▲50070系。外観上はフルカラーLEDの種別表示が50000系との相違点。'07.4.17 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

9000n.jpg
▲スカートとHID灯の採用で大きく印象が変わった9000系9102編成。'07.4.17 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

50070cabinn.jpg9000cabinn.jpg
▲左は50070系車内。50000系に準じた造りだが、腰掛モケットの柄は新しいものに変更されている。右は腰掛や袖仕切りに加え、側扉、貫通扉も交換され、雰囲気が一新された9000系の車内。LEDの案内表示器は千鳥配置となっている。'07.4.17 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

50070cabn.jpg9000cabn.jpg
▲左は副都心線内でのATO運転に対応した50070系の運転室。運転台上にはホーム監視用のモニターが並ぶ。右は50070系と同じくATO運転対応となり、ワンハンドルマスコンとなった9000系の運転台。'07.4.17 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

9000blindn.jpg一方、スカートの設置で大きく印象が変わったのが9000系の副都心線対応改造車です。50070系と同じくATO装置の搭載とそれに対応した運転台への改造が大きな変更点ですが、客室内も50070系に近いイメージで全面的に改装され、腰掛がバケットタイプの新しいものに変更されたほか、ブラインドも森林をイメージした柄入りのものが新たに採用されています。外観上も前灯へのHID灯の採用、フルカラーLEDによる種別表示、車外スピーカーの設置、パンタグラフのシングルアーム化などがなされています。9000系はドアピッチが異なる試作車9101編成を除く全ての編成が副都心線対応に改造予定とのことです。
▲9000系9102編成には森林公園を沿線にもつ東上線らしく森林の柄入りのブラインドが採用された。'07.4.17 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

C57 180 初の全検出場。

c57180n3.jpg4月29日(日曜日)からの運転再開に向け、「SLばんえつ物語号」用のC57 180号機(新津運輸区)が全般検査を終えて再び元気な姿を見せてくれました。1999(平成11)年春の奇跡の復活から8年。同機としては初めての全検出場となります。昨年11月10日にJR東日本の大宮総合車両センターに入場した同機は、約5ヶ月におよぶ検査を受け、去る4月3・5・6・9日の4日間にわたって同センター試運転線で構内試運転が実施されました。
▲全面的にリフレッシュして試運転に臨むC57 180。今年も数々の名場面を見せてくれるはず。'07.4.9 大宮総合車両センター P:RM(青柳 明)

c57180n1.jpg4日間の構内試運転は、約1.5キロの距離を持つ同センター試運転線上で日ごとに速度を上げて状態を確認する試験が行われ、報道陣に公開された最終日9日には時速50km/hにまで速度をあげて本番さながらの走りっぷりを披露してくれました。しかも試運転線の折り返し地点では、先日のD51 498に続き開館に向けて建設が進む「鉄道博物館」とのツーショット(?)も見られました。10月14日の開館後も、大宮総合車両センターに検査入場した動態保存蒸気機関車が間近で試運転を行う様子が見られるはずで、「鉄道博物館」はその面でも画期的なシチュエーションとなります。
▲時ならぬC57の汽笛が大宮の町に響き渡る。弁調整も終えて軽快なブラスト音を響かせるC57 180。'07.4.9 大宮総合車両センター P:RM(青柳 明)

c57180n2.jpg
▲背後には建設たけなわの「鉄道博物館」が聳え立つ。隣接する試運転線は、まさにこれまでの博物館にはない“行動展示”の場をも提供してくれている。'07.4.9 大宮総合車両センター P:RM(青柳 明)

c57180n4.jpg
▲1946(昭和21)年10月4日に新潟機関区に配置以来、ずっと新潟地区で過ごしてきたC57 180号機だが、もともとの受け持ち工場は長野工場。五角形のドーム前手すりなどに長野工場施工機の特徴を残す。煙室扉ハンドルも現役時代は長野工場施工の“丸十字に2本把手”タイプだったが、復活以後は担当の大宮工場の特徴でもある突き出した十字型となっている。'07.4.9 大宮総合車両センター P:RM(青柳 明)

ところで今年から「SLばんえつ物語号」の12系客車7輌も全面的にリニューアルされました。詳しくは今週発売のRM本誌をご覧いただくとして、展望スペースの拡大など設備の充実とともに、従来の茶色系から濃い青色に塗色変更された客車も注目されます。

「加藤くん」救出大作戦!

kst22n.jpg
3月10日付け「加藤くんをもらってくれませんか?」でご紹介した新発田のデンカセメントの「加藤くん」ですが、おかげさまで安住先が決まり、先日“救出”されましたのでご報告いたしましょう。小ブログをご覧になった何人もの方から問い合わせがあったそうですが、群馬県沼田市で大型鉄道模型製作会社を経営され、「よみがえれボールドウィン」実行委員会の会長も務められている丸山龍一さんが“里親”に決まりました。
▲4月12日、ついにデンカの「加藤くん」が救い出されることに! 新潟から群馬への大救出作戦が始まる。 写真はすべて木村一博さん撮影

搬出は先週木曜日に行われ、自重8tとはいえ、新潟の積み込み側と群馬の積み下ろし側双方に巨大なクレーンを用意するなど、結構大掛かりな作業となりました。今日は、ボランティアとして参加し、一部始終を記録された木村一博さんの写真で当日の様子をお目にかけることにしましょう。なお、木村さんのブログにも状況が報告されていますので、あわせてご覧ください。

kst03n.jpgkst05n.jpg
▲7:45 デンカセメント新発田サービスステーションの片隅で救出を待つ「加藤くん」。台枠にかませてあった枕木の下駄もすっかり朽ち果ててしまい、車輪が地面にめり込んでしまっているような状態。/7:54 事務所にて。この4月から着任の専務さん(左)に譲渡書類を確認していただいて丸山さん(右)が正式に里親となる。

kst06n.jpgkst13n.jpg
▲7:57 25トンクレーン車、大型トラックが到着。いよいよ「加藤くん」救出劇の始まり。/8:44 運搬用に特別に誂えられた桁に載せて移動準備完了。クレーン車のワイヤーが巻かれ、緊張の一瞬。

kst16n.jpgkst24n.jpg
▲8:47 クレーンが回転し「加藤くん」が宙を舞う。/8:50 位置を確認し慎重にトラックの上に下ろされる「加藤くん」。

kst41n.jpgkst43n.jpg
▲9:29 「加藤くん」と一緒に働いてきた「アントくん」(アント15)も一緒に救出することに…。/9:38 「加藤くん」と一緒に新しい住処へ旅立つ。それにしても小さい。

kst27n.jpgkst28n.jpg
▲9:47 搬出前に皆で記念撮影。左からクレーンのオペレータさん、トラックの運転手さん、丸山さん親子、そして現地デンカのお二人。/9:53 古巣の門を出ていよいよ新たな親元へ旅立つ。折りしも桜が満開!

kst31n.jpgkst33n.jpg
▲15:10 一般道をゆっくり走行で移動した「加藤くん」。受け入れ準備の整った丸山さんの工場についに「加藤くん」が到着。/15:59 再び宙を舞う「加藤くん」。近所の方も「何事?」不思議そうな顔で見守る。

kst34n.jpgkst36n.jpg
▲15:59 丸山さん、「加藤くん」を空中で方向転換。/16:23 「よみがえれボールドウィン」の会員さんも駆けつけ、後片付けもそこそこに、中を覗き込む。

kst37n.jpg
▲17:10 清めの酒をかけて設置作業完了。救出なった「加藤くん」を前に皆で記念撮影。

翌金曜日に丸山さんから編集部宛にお電話を頂戴し、加藤くん救出完了をご報告いただきました。また、もともとの“SOS”の発信元であり、まもなくお仕事の関係でアメリカに移住されてしまう笹田昌宏さんからも、今回の救出劇にはほっと胸をなでおろしておりますとメールをいただきました。こうやってこのブログが多少なりともお役にたてたと思うと、私としても感無量です。一度ぜひ幸せ者の「加藤くん」に会いに行きたいと思います。

『消えた轍』ついに完結!

wadati11n.jpg
寺田裕一さんの労作『消えた轍』の第4巻「近畿・中国・四国・九州」編が完成いたしました。改めてご紹介するまでもないかと思いますが、本書は本誌217号(2001年10月号)から269号(2006年2月号)まで、46回にわたって連載した「消えた轍?ローカル私鉄廃線跡探訪?」をベースに、連載では取り上げられなかった路線を新たに加えて単行本化したもので、この第4巻をもって全国を制覇、シリーズが完結いたします。

この完結編となる第4巻では下に掲げた近畿地方以西の21社を収録いたしましたが、改めて個性派揃いなのに驚かされます。路線延長50キロを超える西の気動車王国・江若(こうじゃく)鉄道をはじめ、淡路島の電車・淡路交通、岡山の軽便鉄道網・井笠鉄道、さらには防石鉄道、船木鉄道、荒尾市電といったミニ私鉄まで実に多種多様。モータリゼーションに追われながらも懸命に生きていた地方私鉄最後の黄金時代が鮮明に甦ります。

wadati12n.jpg第4巻 近畿・中国・四国・九州 4月17日発売!
定価:2800円(税込)/172頁(A4変形国際判)
■収録路線:[近畿]江若鉄道・北丹鉄道・淡路交通 [中国]玉野市営電気鉄道・両備バス西大寺鉄道・井笠鉄道・日ノ丸自動車法勝寺鉄道・一畑電気鉄道(広瀬線・立久恵線)・尾道鉄道・防石鉄道・船木鉄道・長門鉄道 [四国]琴平参宮電鉄・土佐電気鉄道(安芸線)・伊予鉄道(森松線) [九州]大分交通(耶馬渓線・宇佐参宮線・国東線)・日本鉱業佐賀関鉄道・山鹿温泉鉄道・荒尾市営電気鉄道・熊延鉄道・宮崎交通

1955(昭和30)年から1976(昭和51)年までの廃止路線を対象としたこの『消えた轍』シリーズ4巻で取り上げた廃止路線は69社83線1564キロ。その後の最近30年間(1977?2007年)では32社39線818キロあまりが廃止され、文字通り“消えた轍”と化してしまいました。つい先日も鹿島鉄道、くりはら田園鉄道などが廃止され、この先もローカル私鉄の受難が続きそうです。寺田さんはシリーズを締めくくる後書きを「“消えた轍”が増殖中であることを憂いつつ…」と結ばれていますが、残念ながら“憂い”はますます現実のものとなりそうです。

既刊好評発売中!
第1巻 北海道
(2007年4月増刷出来)
定価:2200円(税込)/156頁(A4変形国際判)
■掲載路線:根室拓殖鉄道・釧路臨港鉄道・雄別鉄道・雄別炭礦尺別鉄道・北海道拓殖鉄道・三井芦別鉄道・十勝鉄道・旭川電気軌道・羽幌炭礦鉄道・天塩炭礦鉄道・留萠鉄道・三菱鉱業美唄鉄道・夕張鉄道・定山渓鉄道・寿都鉄道

第2巻 東北・関東
定価:2800円(税込)/172頁(A4変形国際判)
■掲載路線:南部鉄道・松尾鉱業・花巻電鉄・秋田中央交通・羽後交通・宮城バス仙北鉄道・仙台鉄道・秋保電気鉄道・庄内交通・山形交通・日本硫黄沼尻鉄道・小名浜臨港鉄道・江名鉄道・茨城交通茨城線・東野鉄道・九十九里鉄道・上武鉄道

第3巻 甲信越・東海・北陸
定価:3000円(税込)/220頁(A4変形国際判)
(2007年4月増刷出来)
■掲載路線:山梨交通・草軽電気鉄道・上田丸子電鉄・越後交通・頸城鉄道自動車・静岡鉄道(駿遠線・秋葉線)・遠州鉄道(奥山線)・田口鉄道・三重交通(松阪線)・東濃鉄道・三井金属鉱業神岡鉄道・富山地方鉄道(笹津線)・加越能鉄道(加越線)・北陸鉄道(能登線・金石線・加南線)・京福電気鉄道福井支社(丸岡線・永平寺線)・福井鉄道(鯖浦線)

kuroganr3n.jpg
▲正面にはスペースワールドのキャラクター“ラッキーラビット”、側面には“ワニさん”(?)の絵が描かれているものの、サブロクとは思えない重量感の電気機関車E8501の牽く列車。本機は手元の資料によれば1976(昭和51)年三菱製の85t機で、スカート(エアによる自動開閉式!)に覆われて見えないが軸配置はBBの4軸。つまり軸重は単純計算でなんと21.25tにも達し、わが国最大。'07.4.11
クリックするとポップアップします。

この「くろがね線」は1901(明治34)年創業の八幡製鉄所八幡地区と、1925(大正14)年創業の戸畑地区を結ぶ延長5.6kmの電気鉄道(直流600V)で、運転開始は1930(昭和5)年と伝えられています。現在では複線の片側が撤去されてしまって単線運転となっていますが、いまだに運転本数も多く(1時間に1往復程度)、まさに鉄(くろがね)の大動脈と言っても過言ではないでしょう。

kurogane9n.jpg
▲上の列車の後補機を務めるディーゼル機関車D704。1975(昭和50)年日本車輌製で、自動操縦装置搭載。こちらも4軸ながら自重は70t。ナンバープレートの角張った書体は蒸機時代からの八幡の伝統。'07.4.11

さらに工場内に敷き巡らされた鉄道網にも目を向けると、その規模の大きさには眩暈すら感じます。戸畑工場内の標準軌消火車牽引機関車を含め、操業以来八幡・戸畑に在籍した機関車はなんと700輌以上! 八幡製鉄所内で使用された蒸気機関車だけでも累計420輌にのぼるのですから尋常の数ではありません。手元に統計がないのでなんとも言えませんが、貨車まで含めればその総車輌数は大手私鉄並みになるはずです。

kurogane4n.jpgしかも官営八幡製鐵所を原点とするだけに新技術の導入もいち早く、溶鉱炉へのコークス運搬鉄道用に電気機関車が導入されたのは1903(明治36)年のことです。わが国最初の幹線電化として知られる碓氷線(信越本線横川?軽井沢間)の電化が1912(明治45)年ですから、実にその9年も前に電気機関車(A.E.G製6tB凸)を導入していたことになります。このように歴史もあり、規模も恐ろしく巨大なこの鉄道がこれまでほとんど知られることがなかったのは、ひとえに製鉄所という環境の特殊性にあります。「くろがね線」を宮田山隧道付近の公道から観察・撮影することは可能ですが、製鉄所内は現在でも立入禁止はもとより、構内に向けての撮影も一切禁止されています。それだけに鉄道趣味誌誌上でも断片的な報告はたまに見かけるものの、まとまった発表はほとんどなされていません(RM本誌ではかつて39号/1987年3月号誌上でこの鉄道を比較的詳しく紹介しています)。
▲宮田山隧道へと入ってゆく戸畑方面行き列車。写真は後補機で、本務機EL・後補機DLのプッシュプル編成で運転されている。'07.4.11

さて、話は戻り宮田山隧道八幡側ポータル前の人道橋です。新幹線の時間もあって結局この撮影ポイント(?)にいられたのは一時間弱。それでも2本の列車を見ることができました。いずれも「85ED-1」という形式の三菱製超弩級ELを先頭に編成後部にこれまた巨大なディーゼル機関車が補機として付く編成です。このDLの“後部補機”は、貨車が貫通ブレーキを装備していないために緩急車(制動車)としての役目を担っています。

kurogane7.jpgkurogane8n.jpg
▲宮田山隧道(1740m)のポータル手前にはウォッチングにお誂え向きの人道橋がある。この橋も戦前からの年代モノらしく、欄干部にはやはりルネッサンス調(?)の鋳鉄製支柱も残っている(左)。右はトンネル上部の道からの全景で、人道橋の向こうに枝光橋、左彼方にスペースワールドが見渡せる。'07.4.11
クリックするとポップアップします。

9時前には後ろ髪を引かれる思いで枝光駅へ。それでも早朝の一時間弱でこれだけの撮影ができたのですから良しとせねばなりません。抜けるような青空の下、もう北九州には夏の気配がしのび寄ってきています。またいつの日か、今度はゆっくりと「くろがね線」を訪ねてみたい…そう思いながら次の目的地・広島へと向かいました。

kurogane22n.jpg
一昨日夜から6月発売号の特集取材で九州へ。博多から小倉、広島、岡山、新大阪と下車、そして東京と久しぶりに東海道・山陽新幹線を全区間乗ることになりました。しかも昨日は朝4時半起きで5時過ぎから取材開始というなんともハードな一日でした。特集の内容は6月発売号をお楽しみに…というわけで、今日は空き時間を利用して“垣間見た”トワイライトな物件をご紹介してみましょう。
▲枝光橋をゆく「くろがね線」の列車。この橋の先で鹿児島本線をクロスする。左上方にはスペースワールドが見える。ちなみにこの枝光橋、現在は左側のワーレントラスの新橋が使用されているが、横にはかつて使用されていた1930(昭和5)年竣工のブレースドリブタイドアーチ橋(東京の白鬚橋と同じ)も残されている。'07.4.11
クリックするとポップアップします。

kurogane5n.jpg早朝の取材が7時前に一段落、小倉駅に戻ってさて朝食でもと思いましたが、移動の新幹線までに2時間弱の余裕があります。そこでハタと思いついたのが新日鉄炭滓運搬鉄道、いわゆる「くろがね線」です。路線のほとんどが囲われていたりトンネルだったりでなかなか観察しにくいのですが、枝光駅付近の宮田山隧道付近は公道や跨線橋上から手軽に線路を見下ろすことができます。数年前に訪ねた時の記憶では、たしか朝7時台から運転が始まっているはず。そうなればゆっくり朝食をとっているなど愚の骨頂とばかり、ハンバーガーを買い込んで博多行きの普通列車に乗り込みました。
▲鹿児島本線枝光駅。「くろがね線」は改札を出て徒歩5分ほど。ホームからも枝光橋が間近に見える。'07.4.11

%EF%BD%8E50306655.jpg
▲地図をクリックすると国土地理院の地形図閲覧サービスにとび、周辺の1:25000地形図をご覧になれます。

鹿児島本線小倉?枝光間は所要時間10分あまり。通学の高校生に囲まれながらハンバーガーに食らいつき、7時半頃には宮田山隧道付近に到着。ここに掲げた地形図でもおわかりのように、「くろがね線」は枝光駅下り方で鹿児島本線をクロスしており、駅から国道を渡ればすぐに線路沿いの道に入ることができます。しかも隧道の手前には観察にはもってこいの人道橋が架かっています。沿線はすべて高いフェンスに囲われているものの、この付近からなら手軽に撮影が可能です。余談ながらこういった時に便利なのがコンパクト・デジカメです。本格的な一眼レフではフェンスが邪魔になって撮影しにくいのが常ですが、コンパクトカメラであればフェンスの間から自在にレンズを出せます。今日お見せする画像もすべて愛用のペンタックスOptioによるものです。

kurogane1n.jpg
▲宮田山隧道を出てくる「くろがね線」列車。かつては複線で、片側に撤去された路盤が残る。折りしも切通し脇の桜が満開! '07.4.11

kurogane6n.jpgさて、待つこと10分ほど、さっそく八幡方からE8501の牽く列車がやってきました。特殊な積荷のためか、騒音等の配慮もあってか、とにかく歩くほどのスピードで列車は進みます。かなり長大な編成の後部にはディーゼル機関車D704が補機として連結されています。こちらも防爆・防音仕様なのか、ディーゼル機関にも関わらずほとんど無音に近い静かさで目の前を通過してゆきました。それにしても両機ともにその大きさには改めて目を奪われます。専用鉄道といってもまったく他線と連絡しない独自の存在だけに、車輌限界もひと回り大きめに設定されているようです。
▲花崗岩を積み上げたルネッサンス様式のデザインが秀逸なポータル。枝光橋とともに現役の産業遺産としても第一級。'07.4.11

この新日鉄「くろがね線」、もとを正せば1930(昭和5)年に完成したたいへん由緒ある専用鉄道で、当初は八幡製鐵所で発生するスラグ等を戸畑地区の埋立て用として運搬するために建設されたものです。1972(昭和47)年に社員公募によって愛称が「くろがね線」と決まり、その後は地元でも「くろがね線」の名前で親しまれています。

7000_01n.jpg全国各地に次々と登場する超低床路面電車の中でも、斬新な姿の完成予想図からひときわファンの注目を集めていた鹿児島市電7000形がついに登場しました。営業開始に先立ち、鹿児島市交通局のご協力により取材することができましたので、さっそくその姿をご覧に入れることにしましょう。
ご存知の通り、鹿児島市電では国産超低床電車の嚆矢となった1000形を2001(平成13)年から導入していますが、今回の7000形は輸送力増強のため全長が18mに延長され、3台車5車体の連接構造になっていることが特徴です。これにより1000形(1017?)に比べ定員が20名多い78名となっています。
▲7000形の顔。強い流線型とHID灯を採用した前灯が印象的だ。'07.4.5 交通局車庫 P:RM(高橋一嘉)

7000_02n.jpg
▲5車体3台車構造の7000形。車体はカーブに沿って滑らかに曲がっていく。車体は写真左からB・D・E・C・Aの順番。'07.4.5 交通局車庫 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

5つの車体のうち、流線型が美しい編成両端のA・B車体は1000形と同じく車軸付きのM台車上に位置する運転室で、中間のC・E・D車体が超低床構造の客室。この内C・D車体は台車のないフローティング構造となっています。中央のE車体はT台車上に位置しますが、車輪間に通路部分を配することで超低床構造としています。中央部のみ腰掛がなく、寄りかかり用にクッション付きのバーが設置されていますが、この部分も他の部分とほとんど遜色ない通路幅が確保されています。また、天井は木目調となり、ダウンライトの採用と合わせて客室に落ち着いた雰囲気を与えているのも特徴でしょう。

7000_03n.jpg
足回りは、1000形では世界初の電動ばねブレーキを搭載し注目を集めましたが、7000形ではこれに主にソフト面の改良が加えられているとのこと。コンプレッサーは1000形と同じく搭載されていません。
▲客室内B車側からA車側を見る(営業前のため床敷物は仮のもの)。中央E車の床下には車軸付きのT台車があるが、それをほとんど感じさせない床面高さと広々とした通路幅が確保されている。'07.4.5 交通局車庫 P:RM(高橋一嘉)

7000_04n.jpgちなみに鹿児島市電の連接車といえば、路面電車ファンならばかつての2車体連接車700形を思い出す方もおられることと思いますが、今回の7000形の「7」はその700形から受け継いだものとのことです。この7000形はすでにアルナ車両から2編成が搬入され、4月下旬から予定される営業運転を目指し、現在試運転中です。天文館付近の繁華街や中央駅から高見馬場にかけての芝生軌道を行く姿はなかなか壮観で、日本の路面電車の歴史の新たな幕開けを感じさせます。
▲A・B車体はM台車上の運転室。流線型となったことで運転席からの視界は大きく向上している。'07.4.5 交通局車庫 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

7000_10n.jpg7000_11n.jpg
▲T台車を履く編成中央のE車体(左)。小さな車体の屋根上にはパンタグラフが載る。右は流線型のA車体を後部から見る。向こうに見えるのは1000形。'07.4.5 交通局車庫 P:RM(高橋一嘉)
クリックするとポップアップします。

なお、この7000形については4月21日発売の『Rail Magazine』誌上で詳しくご紹介しますので、是非ご覧ください。

※明日・明後日と出張となるため「編集長敬白」は2日間休載させていただきます。あしからずご了承ください。

『古典ロコ』の時代。

kotenloco1n.jpgわが国の営業鉄道趣味誌の草分けとしては『鉄道』(1929?1938年)と『鉄道趣味』(1933?1937年)が知られていますが、次第に戦時色が強まるなかで「国策の線に副う」として相次いで休刊、戦前の鉄道趣味界は一気に活力を失ないます。そこに彗星のごとく登場したのが会員制の同人誌『古典ロコ』と『つばめ』でした。

『古典ロコ』創刊号表紙。1940(昭和15)年2月11日発行。「皇紀2600年」を表した表紙デザインは終刊まで一貫して変わらなかった。

kotenloco7n.jpg関東では高松吉太郎さんを中心とした「つばめクラブ」が、関西では西尾克三郎さんを中心とした「クラシカル・ロコ・クラブ」が同人を募り、それぞれ『つばめ』、『古典ロコ』と題する同人誌を発行し始めました。ともに創刊は1940(昭和15)年、『鉄道』が終刊してから一年あまり後のことです。両誌ともA5判の孔版(ガリ版)印刷ながら、写真はなんと一枚一枚印画紙をそのまま貼付してあります。同人(会員)のみに頒布する小部数だからこそ可能な方法でしょうが、それにしてもその手間の掛かりようは現代的感覚では信じられません。
▲創刊号目次。写真は西尾克三郎さんによる寿都鉄道2号機や松森俊介さんの防石鉄道のガソリンカーなど4葉が、青図は金田 茂さんによる北海道炭礦鉄道9・10号機形式図など2枚が入っている。
クリックするとポップアップします。

kotenloco2n.jpg
▲2号に掲載されている松森俊介さんの「会陽と西大寺鉄道」。左上の写真は安保彰夫さんによるRMライブラリー『西大寺鉄道』に再録させていただいている。

kotenloco6n.jpg
▲『古典ロコ』最大の特長は印画紙がそのまま貼付けられていること。上の西大寺鉄道もこのとおり「生写真」である。

手元にある『古典ロコ』をひもといてみると、毎号5?6枚の「生写真」が貼付されています。ブローニー判や手札判乾板の密着が主ですが、主宰されていた西尾さんの手によるプリントなのでしょうか、60年以上を経た今でも変色ひとつなく、まるで昨日プリントされたかの如く鮮やかです。掲載(貼付?)写真のなかにはその後の戦災で原版が失われてしまったものも少なくなく、今となってはたいへん貴重な画像の数々です。

kotenloco3n.jpg高松さんが主宰された『つばめ』が市電・路面電車中心の内容だったのに対し、西尾さんによる『古典ロコ』は「古典ロコ並に私鉄研究の会」(創刊号“巻頭の辞”より)としてのクラシカル・ロコ・クラブ会報という位置付けで、今村 潔、臼井茂信、金田 茂、谷川義春、松森(牧野)俊介といった錚々たる方々が極めて高度な記事を発表されていました。
▲誌名の古典ロコばかりでなく、最新の動静も伝えられている。これは6号に掲載されている「新製蒸気機関車の配属」で「番号:C57 135 落成:昭和15年5月27日 製造所:三菱 配属局:東京」の記載もある。
クリックするとポップアップします。

kotenloco8n.jpg「省1255形式1255探求記」(臼井茂信/10号)に代表される誌名どおりの古典ロコ研究から、「岩井町営軌道見聞記」(若松生/6号)、「住友別子鉱業所鉄道所属機一覧」(金沢二郎/1号)といった私鉄探訪記や資料、さらには「C51の煙突改造機番号及所属区名」(5号)、「2120形機の広軌改造試験」(7号)などの鉄道省関連記事も盛り込まれており、各号わずか30頁ほどながらたいへんな充実度です。ちなみに毎号の奥付には発行日とともに発行部数、さらにはシリアルナンバーがナンバリングされています。各号を改めて見直してみると、部数は90部でほぼ固定していたようで、「非売品 90部限定の内○号」(○はナンバリング)の記載が見られます。
▲1941(昭和16)年2月10日発行の第10号。創刊からちょうど一年、これが『古典ロコ』の終刊号となった。

kotenloco5n.jpg
皇紀2600年(1940年)の「輝かしき年を記念して」(創刊号“巻頭の辞”)勇躍スタートを切ったこの『古典ロコ』ですが、すぐに転機が訪れてしまいます。終刊号となった第10号(1941年2月)の「編輯余禄」にはその辺の苦しい事情が切々と語られています。
「昨秋以来急に防諜取締りが厳になりました。之迄軍機保護法、軍用資源秘密保護法等の法規による撮影禁止より以上に行政上の取締り範囲が多くなり今迄は何等制限もなかった私鉄での撮影も出来ぬようになってしまいました。車輌だけの写真なら許されるだろうと一応は考えられますが車輌を写す為には駅とか機関庫へ行く訳ですからどうしても場所柄禁止されて終うのは止むをえないことでありませう。我々の立場からすれば甚だ残念な事ですが今やとやかく申すべき時ではなく御互に守るべき事は固く守って行き度いと思います」
▲「当初目的として掲げました各地私鉄の研究が時局の急進展により誌上発表を見合わすべきが至当と考えられるに到りました(後略)」と「終刊の辞」が掲げられた第10号巻頭。右頁は本文の「1255探求記」(臼井茂信)の付図として添付された鉄道省1255形の青焼形式図。

かくして『古典ロコ』は10号を数えただけで終刊。同様に『つばめ』も10号で終刊し、鉄道趣味は本当の冬の時代を迎えます。現在の平和、そして鉄道趣味の隆盛ぶりからは想像もつきませんが、いつも『古典ロコ』を手に取ると、逆境のなかで先達がこの趣味にかけた情熱に心打たれ、ともすると忘れがちな“原点”を再認識する思いがします。

一勝地駅にて。

issyouji2n.jpg
先般の肥薩線視察の際、球磨村産業振興課のご案内で一勝地(いっしょうち)駅を訪ねる機会を得ました。一勝地駅は人吉から八代方に4つ目の、いわゆる“川線”側の駅です。
▲本屋改札部から八代方をのぞむ。島式ホームの本屋方1線は撤去(もう1本は交換用に使用)されており、この位置から見るとやけに構内が広々と見える。'07.3.8 一勝地

issyouji3n.jpg1908(明治41)年の開駅以来の木造駅舎が今でも現役で使われており、特筆すべきはその状態の良さです。ご多分に漏れず国鉄末期に無人化され、一時は荒廃しかけていたとのことですが、その後地元農協のJA球磨が駅舎内に支所を設け、駅務委託を請け負って観光案内所の役割も担うようになり、今では素晴らしく綺麗に整備されています。
▲本屋正面。ちょうど人吉球磨地方で盛んなひな祭りシーズンとあって、かつての駅務室内では観光協会によるひな祭り展示が行われていた。'07.3.8 一勝地

issouji4n.jpgissyouji7n.jpg
せっかく歴史的建造物としての駅舎が残っていても、無人化されてしまうと急速に荒廃が進み、訪れる者にとっても決して良い印象がなく、ひいてはその地域自体の負のイメージを植え付けかねません。それだけに球磨村は村内にある肥薩線8駅の整備に積極的に取り組んでおり、訪問時には隣の球泉洞駅でもリニューアル工事がたけなわでした。
▲木造の本屋をとりまく回廊状の軒が残っている(右)。木製の柵も今となっては貴重。'07.3.8 一勝地

issyouji6n.jpgところでこの一勝地地区はブランドとなっている「一勝地梨」をはじめ、苺などフルーツの産地としても知られ、また棚田の景観も見事です。それだけに球磨村としては肥薩線100周年をひとつの契機として一勝地駅への旅客誘致を図りたいところでしょうが、期せずして近年この「一勝地」という駅名そのものが脚光を浴びつつあります。“一勝”するという語呂合わせから、受験生やスポーツ選手に必勝祈願のお守りとして入場券が売れはじめているのです。村ではJRと共同でお守り風の特製入場券を製作、JA一勝地駅支所で販売しています。
▲待合室内には使い込まれた腰掛が…。ともすると荒れ果ててしまいがちな待合室内も、委託を受けたJAの管理で清清しく保たれている。'07.3.8 一勝地

issyouji1n.jpg
わずかな時間の訪問でしたが、来年で築100年を迎えようという木造駅舎が、こういった地元の地道な取り組みによって残ってゆくのは嬉しい限りです。最近、同じ肥薩線の鹿児島県側の大隅横川駅は国の登録有形文化財に指定されており、肥薩線沿線では歴史的建造物に対する見直しの気運がいっそう盛り上がってきているようです。
▲一勝地に到着した人吉行1231D。ホームは気動車に合わせて本屋付近のみ嵩上げされているのがわかる。2年後にはこのシチュエーションの中で58654の姿を見ることができるはず。'07.3.8 一勝地

10nn10.jpg
10月14日(日曜日・鉄道の日)の開館を目指し、埼玉県さいたま市大成地区で建設が進む「鉄道博物館」。その開館までのカウントダウンはついに半年あまりとなりました。前回お伝えしたC57135号機の搬出に続き、その後も交通博物館などから続々と車輌が搬出されています。今月も東日本鉄道文化財団のご協力のもと、新井副編集長が取材にうかがっていますので、いちはやく最新の状況をお伝えしてみましょう。なお、詳しくはRM本誌今月発売号に掲載予定です。
▲建屋北側の外階段からの眺望。大宮総合車両センターの試運転線(左)と高崎線上り線に211系が姿を現した。'07.4.5 P:RM(新井 正)

10nn3.jpg10nn1.jpg
▲交通博物館から搬出、トレーラーに載せられたクハ167のモックアップ(左)。鉄道博物館に到着した1号機関車。外観は緩衝材で包まれて搬送されている(右)。'07.3.6/'07.3.28 P:東日本鉄道文化財団

交通博物館からはC57 135号機に続き、カットモデルのクハ167“なかよし”の搬出作業が行われました。そして、3月中旬には7100形(弁慶号)、開拓使号、続いて1号機関車150形、明治の客車、1290形(善光号)、国鉄バス1号の順で長年住み慣れた東京・神田の地を後にしています。いずれも午前0時頃に出発し約2時間の道のりで大宮に到着、昼間に設置されています。このうち1号機関車150形のレールは、交通博物館で敷いていた双頭レールまでも移設されています。

10nn4.jpg
▲松電3000系が見守るなか、トレーラーに積み込まれる松本電鉄のハニフ1号。’07.3.21 新村車庫 P:飯田敦史

一方、松本電鉄で保存されていたハニフ1形が鉄道博物館に寄贈されることはすでにご報告しましたが、去る3月21日、保管場所の松本電鉄新村車庫でさよならイベントが開催されました。当日は午後2時より松本電鉄から鉄道博物館への引渡し式が挙行され、終了後さっそくクレーンによるトレーラーへの積み込み作業が行われました。

10nn6.jpg
▲C57135が載るターンテーブルの桁が搬入された。展示用のため、左右幅が広くなっている。’07.3.16 P:東日本鉄道文化財団

さて建物作業は、すでに外装・内装共に最終段階を迎えています。1階から3階、そしてその上の屋上まで弧を描く「教育ゾーン」の東側はガラス張りで、建屋のシンボル的存在ですが、その外壁が完成していよいよ姿を現しました。1階から3階の各フロアーからは天気に左右されることなく、目の前を走る205系、E231系、211系などの列車を眺めることができます。

10nn8.jpg歴代の車輌を展示する「歴史ゾーン」にも展示車輌の搬入が始まりました。前述の通り、交通博物館からの1号機関車150形、明治の客車、1290形、7100形、開拓使号の4輌。そして松本電鉄からのハニフ1形ことデ963形の5輌。いずれの車輌も、白いカバーで覆われ、開館の時を待ちます。一方、この5輌の西隣では、4月に交通博物館から搬出されて来る9850形の設置準備工事が行われています。同機はわが国現存唯一のマレー式であるため、その昔、交通博物館では前側3軸(低圧シリンダー側)の動輪とロッドを地上側の動力により回転させて展示していましたが、この姿を鉄道博物館でも再現しようというのです。動力となるモーターは道床の下に設け、道床には動力を車輪に伝達する器具、そして車体を支える柱の設置が急ピッチで進められています。
▲建設が開始された「歴史ゾーン」のホーム。写真は485系が入線する線路とホーム。'07.4.5 P:RM(新井 正)

本誌先月号でピットの完成をお伝えしたターンテーブルも、さっそく桁の搬入が行われています。ここには現在大宮総合車両センターで補修中のC57135号機が展示されることになっています。ターンテーブルの南側では、ホームの建設が2箇所で開始されています。完成すると島式ホームにはクハ481-26+モハ484-61とクモハ455-1、もう一つにはクハ181-45とナハネフ22-1が入線(?)し、在来線優等列車全盛期の姿が再現される予定です。建屋から外に伸びる線路は、今まで「歴史ゾーン」の南東から大宮総合車両センターの試運転線と結ばれた1線だけでしたが、このたび南西方にも1線敷設されてました。これは、厳重な環境管理を行う「御料車の歴史」と結ばれる線路で、4月から開始される車輌搬入に備えて敷設されたものだそうです。

ところで、当初予定されていたD51 189号機に代わって鉄道博物館入りすることになった青梅鉄道公園のC51 5号機。その搬出が5月(予定)となり、同公園での最終展示が5月5日(祝)と決まりました。青空の下で同機を見られるのはおそらくこれが最後となるはずです。なお、同機が搬出された後の青梅鉄道公園には、大宮総合車両センターで保管中のクモハ40054が搬入されることになりました。すでに展示されているED16 1号機と共に青梅線で活躍した形式が公園内で顔を揃えることとなります。

北陸鉄道小松線の春。

komatusen1n1n.jpg
1980年代中盤まで、金沢を核とした北陸鉄道の路線は、まさに“路線網”と言うにふさわしい広がりを保っていました。今ではすっかりその名を耳にすることもなくなってしまいましたが、野町を起点とする石川線は金名線(加賀一の宮?白山下間/1987年廃止、線名の「金名」は金沢と名古屋を結ぼうという壮大なネーミング)や能美線(新寺井?鶴来間/1980年廃止)を含めて「石川総線」と称されるのが常で、車内乗車券類にもその名が明記されていました。
▲短い沿線随一の撮影ポイントだった梯川橋梁を行くモハ3001。橋を渡ると間もなく終点の鵜川遊泉寺駅構内。'84.5.6 軽海?鵜川遊泉寺
クリックするとポップアップします。

komatusen2nn.jpgこの頃、能登線(羽咋?三明間/1972年廃止)や金石線(中橋?大野港間/1971年廃止)などはすでにその姿を消してしまっていましたが、金沢、西金沢、寺井、そして小松と北陸本線各駅で目にする朱色とクリームのツートンカラーの電車は、まさしく石川県を象徴する私鉄情景として強く記憶に残っています。その中では個人的には能美線がご贔屓でしたが、小松?鵜川遊泉寺間わずか5.9kmを結んでいた「小松線」も決して忘れられない存在でした。
▲小松駅に隣接する木造庫で休むモハ3003とモハ3004。小松線にはモハ3000形ばかり5輌が配置されており、通勤・通学時には2連も運転されて結構な稼働率であった。'84.5.6 小松
クリックするとポップアップします。

komatusen3nn.jpg
▲終点の鵜川遊泉寺駅は驚くほど閑散とした小駅だった。それでも当時はちゃんと駅員が配置されていたのには驚かされる。'84.5.6 鵜川遊泉寺
クリックするとポップアップします。

たしか最初の訪問は尾小屋鉄道訪問の帰路だったと記憶しています。北陸本線小松駅からちょっと離れた新小松を起点としていた尾小屋鉄道は、北陸に残された最後の非電化ナローとしてたいそうな人気を博していましたが、同じ小松を起点とする北陸鉄道小松線の方はほとんど目を向けるファンもおらず、すっかり忘れさられたような存在でした。

komatufig.jpg国鉄駅に直角に接するように小さなホームがあり、その先に木造のこれまた小さな庫。線路はほぼ一直線に鵜川遊泉寺を目指していました。車輌は金石線から流れてきたモハ3000形ばかりでとりたてて興味を引くものではありませんでしたが、能美の平野をゆっくりと走る単行の電車はどこか心ひかれる情景でした。
▲小松線の車内乗車券。この小松線に限らず石川総線のものも妙に薄い紙だった。

最後に小松線を訪れたのは彼方の山々にうっすらと雪の残る5月の連休のことでした。金名線を撮影したその足で訪れた小松線は、なにひとつ変わらぬ風景の中を走り続けていました。また来よう…そう思って通り一遍の撮影をしただけで鵜川遊泉寺をあとにしましたが、結局これが私にとっての小松線の見納めとなってしまいました。小松線が廃止されたのはそれから2年あまり後の1986(昭和61)年5月31日のことでした。

200nenshi1n.jpgかねてよりご執筆中とうかがっていた齋藤 晃さんの『蒸気機関車200年史』(NTT出版)がこのたび完成、厚さ3センチを超える大冊をさっそくお送りいただきました。齋藤さんがこれまでにないワールドワイドな視野から『蒸気機関車の興亡』を上梓され第22回交通図書賞を受賞されてから早いもので11年、続編の『蒸気機関車の挑戦』からも実に9年の歳月が流れており、まさに雌伏の時を経、満を持しての第3弾完成です。

koubou1n.jpg
▲前作の『蒸気機関車の興亡』(1996年1月刊)と『蒸気機関車の挑戦』(1998年9月刊)。ともにNTT出版刊。

『蒸気機関車の興亡』が「総論的物語」(本書まえがきより)、『蒸気機関車の挑戦』が「特定のテーマに絞った」(同)内容であったのに対し、この『蒸気機関車200年史』は「特にメカに焦点をあて、進化のプロセスを追跡することに重点を置いた」(同)構成となっています。第1章(「初めて機関車が動いた200年前」)から黎明期の蒸気機関車をたどり、ついで「狭軌鉄道の登場」(第7章)、「バルブとバルブギア」(第8章)、「コンパウンド・エンジン」(第9章)と各国の技術的“挑戦”を再検証したのち、「日本の蒸気機関車」(第10章)を2章にわたって詳述、そののちドイツ、イギリス、フランス、アメリカのお国柄を交えたヒストリーを紹介(第12?15章)し、最終第16章「残された道」で蒸気機関車が技術的になぜ生き残れなかったのかを再考しています。まさにメカを基軸とした200年にわたるワールドワイドな総史といってよいでしょう。

200NN1.jpgそれにしても信じられないのは齋藤さんの探究心とそのパワーです。2004年の蒸気機関車生誕200年を前に本書の構想を練られ、執筆に2年半、イラストの描きおろしに1年、編集校正に1年近くを掛けられたとうかがいます。恐れ入るのはその歳月の長さだけではありません。実は私は途中経過もリアルタイムにお聞きしていたのですが、ご執筆半ばにとんでもないことが起こったのです。なんとパソコンがクラッシュ、書きためられたデータがすべて飛んでしまったのです。常人であればこの時点で戦意喪失するのでしょうが、齋藤さんは再びイチから書き起こされ、今回の出版に漕ぎつけられました。「あとがき」の中で蒸気機関車の技術開発に取り組んだ各国の技術者たちの「限りない情熱」に言及されておられますが、本書完成までの道のりこそまさに「限りない情熱」以外のなにものでもありません。

200NN2.jpg前2作ですっかりお馴染みとなった手描きのイラストもふんだんに盛り込まれています。掲載イラストと写真の総数は390点あまり。すべてご自身が手描きされ、撮影されたものというのも類書とは大きく異なる点でしょう。ことにイラストは筆者ご本人の手によるものだけに見事に要点をビジュアル化しており、構造そのものをわかっていないイラストレーターが描いたものとは決定的に違います。

日本の蒸気機関車に関しては「最後のC62の新製を終えた後1975年までの四半世紀、長期に渡って多くの機関車を使用しながら、その効率向上の努力をほとんどしていない。これだけ手つかずで使い続けた国は、開発力を持った西側先進国ではない」(本書第11章)と相変わらず手厳しい論評もあるものの、これはむしろこれだけ世界の蒸気機関車史に精通し、その中でも日本の蒸気機関車をこよなく愛する齋藤さんだからこそ感じる“歯痒さ”なのかも知れません。

■齋藤 晃著『蒸気機関車200年史』
・B5判変形(230×182㎜)/472ページ/並製カバー掛け
定価:4410円(本体4200円)
NTT出版刊

IMGP0541nnn.jpg
ウェッブ上での検索というとヤフーやグーグルが一般的ですが、こと鉄道に特化してなおかつワールドワイドな検索となると、必ずしも使い勝手が良いとはいえません。そんな時のために「お気に入り」に登録しておくと便利なのが“RailroadData.Com”です。10年以上にわたって世界の鉄道関連サイトをリスティングし続ける巨大なリンク集で、現在、リンク数はなんと5000サイトを超えています。
▲RailroadData.Comのポータル画面の数々。もちろん検索機能も充実している。

IMGP0543nnn.jpgカテゴリーだけでも50近くに分類され、そのジャンルも趣味の枠を超えて多岐にわたっています。ご参考までにそのカテゴリーとリンク数を以下にご紹介してみますが、鉄道会社、車輌メーカー、保存鉄道、博物館から模型鉄道までとにかくありとあらゆるジャンルが網羅されています。なかには橋梁・隧道、信号、保線(Maintenance of Way)、移動機(Critters)、果てはレストラン&ロッジなどというカテゴリーまであります。いったい何だろうと開いてみるとレールファン向けのレストランやホテルの専門サイトが80も! いやはや恐れ入りました。
▲2ステップでフランスのアルストム社のサイト(左)にもアクセス可能。右はちょっとのぞいてみた“San Diego Electric Railway Association”のサイト。

Associations (59 links)
Blogs (3 links)
Books (80 links)
Bridges and Tunnels (30 links)
Contractors (55 links)
Critters (36 links)
Discussion Forums and E-Mail Lists (44 links)
E-Commerce (12 links)
Engineer Experience Programs (18 links)
Engineers and Consultants (75 links)
Freight Railroads (209 links)
General Websites (81 links)
Government Agencies (20 links)
High Speed Trains (41 links)
Historical Societies (205 links)
International (102 links)
Live Steam (196 links)
Locomotives and Rolling Stock (343 links)
Logging Railroads (59 links)
Magazines (87 links)
Maintenance of Way (85 links)
Model Railroads (510 links)
Monorails (59 links)
Narrow Gauge (50 links)
Park Trains (142 links)
Passenger Trains (251 links)
Photo Galleries (185 links)
Rail Trails (65 links)
Railroad Training Programs (22 links)
Railroadiana (157 links) new
Railway Preservation (31 links)
Regional Guides (207 links)
Restaurants and Lodging (80 links)
Signals (54 links)
Software (165 links)
Specific Railroad (195 links)
Stations and Depots (128 links)
Technical and Engineering (57 links)
Tourist Railroads and Museums (743 links)
Track Materials (51 links)
Transit Light Rail and Commuter (211 links)
Unions (47 links)
Videos and Audio (102 links)
Webcams (168 links)

tracksidemotels1n.jpg"Tree"と名づけられた全リンクリストはまさに圧巻。観光鉄道・博物館は実に743リンク、鉄道模型は510リンクにのぼっています。基本的にアメリカ発信のポータルサイトゆえ、どうしても“米高欧低”とはなっていますが、ただヨーロッパの主な鉄道系ポータルサイトはほぼ網羅されており、ほとんどの場合2?3ステップ程度で目的のサイトを探り当てることが可能です。ただ残念なのは、これほど隆盛を極めているにも関わらず、日本のサイトがほとんどリンクされていないことでしょう。英文サイトを開設しているJR各社、?鉄道総合技術研究所(RTRI)、川崎重工などの大手車輌メーカー、梅小路蒸気機関車館などはエントリーされていますが、この“ホビダス”をはじめ、わが国の趣味系サイトはほとんど入っておりません。「日本語」という特殊な言語ゆえいたしかたないとはいえ、インターネットの急速な進歩の中で、アルファベット以外の文字文化は国際的競争力を決定的に失ってしまうのだろうか…ふとそんな不安が心をよぎります。
▲“Trackside Motels&Railfan Lodging”なるこのサイトはファン御用達の線路向きの部屋やら機関区脇のホテルやらを紹介している。

nihontetudoutomonokai1n.jpgひと昔前まで、海外の車輌メーカーの来歴やら生産実績やらを調べようと思ったら、それこそたいへんな苦労を覚悟せねばなりませんでした。辞書をひきひき手紙で用件を伝え、何ヶ月も待ち、へたをすれば現地に足を向けねば埒が空かないことさえあったに違いありません。そんな状況から考えれば、今この瞬間からも世界の5000を超える鉄道サイトにアクセスできる…さらにそれをポータルとして何万ものサイトに辿り着ける現状は夢のようでもあります。
▲10カ国300人を超える会員がいる「日本鉄道友の会」(The Japanese Railway Society)は日本の鉄道を愛する外国人ファンのための組織。すでに15年以上の歴史をもつ。

ちなみに、老婆心ながらこの「RailroadData.Com」、見はじめるとそれこそネットサーフィン状態で止まらなくなってしまいますので、その点だけはくれぐれもご注意のほどを!

n1000n1.jpg
関東大手私鉄の中で最後まで塗装車体を固持してきた京浜急行電鉄に、ついにステンレス車が登場しました。2002(平成14)年2月にデビューした新1000形を仕様変更のうえステンレス車体とし、より一層の高品質・高性能化とともにコストの低減を図ったもので、新1000形6次車と呼ばれる6M2Tの8輌編成です。
▲今回新造されたのは6M2Tの8輌編成。車番は浦賀方(写真右)よりデハ1073?デハ1074?サハ1075?デハ1076?デハ1077?サハ1078?デハ1079?デハ1080。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

n1000n2.jpg従来の新1000形(5次車)との相違点は、車体関係ではまずなによりも京浜急行としては初のステンレスを採用したことがあげられます。ただし、先頭部分、枕ハリ、ボルスタアンカ等の一部には普通鋼が用いられており、外装は赤と白のカラーフィルムの貼付によっています。客室設備としては、妻部のクロスシートを廃してオールロングシート化を図ったことが特筆されます。また、乗務員室後方の座席を廃止して立席スペースに変更したことなどから先頭車の定員は119名に変更となっています。客室設備関係でのそのほかの主な変更点をあげてみましょう。
・天井:FRP製の天井ユニットに変更。
・放送スピーカ:天井中央部に6箇所配置に変更。
・客室窓:1輌のうち4箇所の窓を下降窓に変更。窓ガラスは単層緑色の熱線吸収強化ガラスに変更。遮光カーテンの色をブルー系に変更。
・側引戸:車体メーカーの標準品に変更。客室側の化粧板を廃止。
・客室床:グレー系の床敷物に変更。
・妻引戸:M2uc車以外の各車浦賀寄に設置。扉は車体メーカーの標準品に変更。
・非常脱出梯子:乗務員室後部(客室側)に側出入口用の非常脱出梯子を設置。
▲前面は普通鋼を採用。5次車まで続いていたワイパーカバーが廃止され、「1000」はスリット(増解結時、運転台からの連結器覗き窓として使っていた)ではなく直接標記となった。窓上部の運行番号・種別・行先の表示はLEDを用いている。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)

n1000n3.jpgn1000n4.jpg
▲中間電動車(M1u。uは浦賀方の意)のデハ1074。デハ1079(M1s。sは品川方の意)と共にシングルアームパンタグラフ2基搭載。床下には三菱電機製IGBT?VVVFインバータ制御装置(MB?5121?A)を搭載。なお、デハ1076(M1u’)は品川方にシングルアームパンタグラフ1基搭載。車体裾の車番・社名ロゴ(KEIKYU)はフィルム切り抜きで表示(左)。従来の固定窓を改め、客室窓1輌のうち4ヶ所を下降窓に変更。窓ガラスは単層緑色の熱線吸収強化ガラスを採用。写真ではピラより左側が開く。側面の帯は白ではなくアイボリーで、天地幅は125mm(巻尺持参で計測。800形・1500形といった在来車は白帯で150mm)(右)。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

乗務員室関係では、踏切障害時の乗務員の安全性と運転操作性を考慮して運転台高さと運転席座面高さがそれぞれ150㎜高く変更されています。さらに運転室の奥行きを5次車より200㎜拡大して1810㎜とし、正面ガラスは前面・貫通路・表示器・前照灯(2箇所)の5分割に変更、ワイパーも運転士側は大型一本拭き式に変更されています。

n1000n5.jpg
▲客室内。新造車では1500形以来のオールロングシートになった。客室側の側引戸は化粧板が廃止されてステンレス無地。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

n1000n6.jpgn1000n7.jpg
▲腰掛は従来通りの片持式バケットシートで、座面を厚めにしているのが特徴(左)。優先席は4人掛けのクロスシートから5人掛けのロングシートに変更(右)。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

n1000n8.jpgn1000n9.jpg
▲運転台のレイアウトは従来通り。主幹制御器はT字ワンハンドル(左)。乗務員室の奥行拡大と非常用はしごを収めるため、座席が廃止された(右)。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

n1000n10.jpgn1000n11.jpgn1000n12.jpg
▲事故発生時の乗務員の安全性と運転操作性を考慮したため、運転台高さと運転席座面高さがそれぞれ150mm高くなった。乗務員室の奥行は200mm長くして1810mmに変更(左)。運転士側後部に収められた折畳式の非常用はしご(中)。非常用はしごはアルミ製の伸縮式。重さは14.5kgと軽量で、高さは1600mm?2400mmまで伸縮可能(右)。'07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

機能的には国産のVVVFインバータ制御装置(三菱電機:MAP-138-15V174)を採用、在来の1500形VVVF車化改造車と同一品とすることで部品の共通化が図られています。主電動機も同じく1500形VVVF車化改造車と共通、台車およびパンタグラフの変更はありません。

n1000n13.jpg
▲先輩の600形(中央)・2100形(左)と並んだ新1000形ステンレス車。従来のイメージを踏襲しつつ、新たな京急の“顔”となるか…? '07.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 P:RM(中村 建)
クリックするとポップアップします。

製造は東急車輌。3月31日に営業運転を開始しましたが、当日は自社線内での1往復のみ。当分の間、乗務員習熟・他社線への貸し出しなどが行われ、そののち再度営業に就く予定です。気になるこのステンレス車の増備ですが、今のところは未定とのことです。

■新1000形6次車 主要諸元表  (京浜急行電鉄提供)
n1000fig.jpg
クリックするとポップアップします。

gekko1n.jpg
あの「月光」が復活します。といっても581系の寝台特急ではなく写真用紙の「月光」です。思えば2年ほど前、メーカーの三菱製紙から「月光」の生産終了がアナウンスされた時は、言い知れぬ寂しさとともに、なんとも複雑な心境でもありました。1946(昭和21)年に命名され、戦後の白黒写真印画紙の代名詞的存在であった「月光」が消えてゆく…学校の暗室で、自宅に誂えた簡易暗室で、どれほど多くの時間を「月光」と格闘してきたことでしょうか。ただその一方、撮りためたかつてのモノクロフィルムも、最近ではスキャナーで取り込んでプリントアウトするのが常。気づいてみれば暗室作業とはすっかりご無沙汰してしまっています。私でさえそんな状況ですから、「月光」とてノスタルジーだけでは存続できようはずもありません。
▲まずは第一弾として微粒面光沢の「ブルー・ラベル」と画材光沢の「レッド・ラベル」が先行発売された。写真はA3+のパッケージとさっそくプリントアウトしてみたサンプル。

ところが今年になって何とも嬉しいニュースが飛び込んできました。あの「月光」がモノクロ写真用インクジェット用紙となって復活するというのです。国内感材メーカーの印画紙用原紙のほとんどは三菱製紙のバライタ紙(硫酸バリウム塗布紙)だったと言われるほど絶大な経験を有する同社が、今度はプリンター用に研究開発を重ねてきたというだけに、その懐かしいネーミングとともに期待感も高まります。

gekko2n.jpg色彩で逃げることのできない本当の画質を求め、「黒の発色」と「階調表現」を特に重視したというこのインクジェットペーパー「月光」は、印画紙/微粒面光沢の「ブルー・ラベル」、画材用紙/光沢の「レッド・ラベル」、バライタ調紙/滑面光沢の「グリーン・ラベル」、印画紙/滑面無光沢の「ブラック・ラベル」の4種で構成され、まずは先週3月26日に「ブルー・ラベル」と「レッド・ラベル」の2種が先行発売されました。「ブルー・ラベル」はやや粒状感のある光沢面を有し、顔料インクの印刷品質を上げることを念頭に開発されたものだそうで、一方の「レッド・ラベル」はテクスチャーのある光沢面を有し、独特の風合を残しながら適度な光沢感のある画材用紙を目指して開発されたものとのことです。
▲1960~1970年代、冷黒調バライタ印画紙の代名詞的存在だった「月光V」。いまだにいくつかの空箱が手元に残っている。

この「月光」シリーズ、もうひとつの大きな特徴はモノクロ変換ソフト「GEKKO-DI」と、出力デバイスであるプリンターのデジタルデータの色を標準化カラーマネジメントシステムに準拠した色情報で記述したファイル「月光シリーズ用ICCプロファイル」が無償でダウンロード・インストールできるバックアップ体制が整えられている点です。詳しくは販売を担当する㈱ピクトリコの「月光オフィシャルサイト」をご覧いただくとして、いつかは“紙焼き”をとモノクロネガを死蔵しているお歴々(もちろん私も含めて…)にとっては、この「月光」復活、久しぶりの福音に違いありません。

レイル・マガジン

2007年4月   

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.