鉄道ホビダス

“あの日”から20年…。

IMGP0498nn.jpg
いまから20年前の1987(昭和62)年3月31日、それは決して忘れることのできない一日でした。日本国有鉄道最後の日。この日をもってこの国から「国鉄」が消えたのです。
▲奇跡の復活を遂げたマイテ49 2が四半世紀ぶりに東京駅10番線に姿を現した。22時13分、「いい日旅立ち」のメロディーにのって牽引機EF65 1134のホイッスルが高々と鳴り響き、ついに「さようなら国鉄」のテールサインが国鉄最後の夜に消えてゆく…。'87.3.31 東京駅

IMGP0493nn.jpgIMGP0491nn.jpg
▲クライマックス「旅立ちJR西日本号」を一目見ようと10番線ホームは黒山のひとだかり。右は超プレミアムものとなった「旅立ちJR号」乗車証明書。'87.3.31 東京駅

すでに数日前から首都圏の「国電」などには「さようならJNR」のヘッドマークが取り付けられ、最終日の31日は朝からテレビ局各局が特番を組んで生中継を繰り返すなど、全国民がこの歴史的一日に釘付けになっていたといってもよいかもしれません。

IMGP0502nn.jpg
▲夜が更けるにつれて東京駅構内はただならぬ喧騒に包まれた。ホームも階段もコンコースもとにかくどこもかしこも人、人、人…。'87.3.31 東京駅

IMGP0488nn.jpgそんななか、私はRMの編集部ではなく、文藝春秋社の編集部に詰めていました。実は、いまだから詳細が明かせますが、当時まだ新進気鋭だった文藝春秋社のスポーツ誌『Number』とコラボレーションを組んでいたのです。この国鉄最終日に全国各地で一斉にイベントやセレモニーが行われ、しかも注目すべき記念列車が何本も走るとあって、果たしてどうやって取材態勢を組むべきか考えあぐねていた時に、『Number』誌から協力依頼が舞い込んだのです。同誌は増刊として「さよなら国鉄・ニューJRスタート記念号」を企画、類似企画の他誌より一日でも早く発売すべく計画を練っていたものの、いかんせん専門外の分野ゆえ、企画を取りまとめ、「徹夜」で解説を仕上げられる援軍を探していたのです。

IMGP0503nnjpg.jpg
何回かの打ち合わせの結果決まったのは、私と当時副編集長だった長谷川章さんがヘッドクウォーター役として文藝春秋に出向き、取材の段取りから写真の選定、解説原稿まで仕上げる代わりに、未使用写真の使用権を頂戴するというバーター案でした。
▲国鉄最後の夜に小雪が舞う小樽ではとんでもないサプライズが用意されていた。C62 3の復活である。さよならイベント会場と転車台の間200mほどの区間を、午前0時をはさんで7回ほど往復した。'87.3.31 小樽築港

IMGP0512nn.jpg当時同社はいわゆる写真スクープ誌を休刊にしたばかり。いわば修羅場をくぐってきた気鋭のカメラマンが遊軍として多数おり、まず彼らを全国各地に送り込むことからスタートしました。といってもカメラマンとしては優秀であっても皆さん鉄道に関しては“素人”です。ここのイベントではこんな写真を、こちらの場所ではこんなシーンを…とすべてカンプを作って指示するたいへんな作業でした。もちろん当時のことゆえ写真はすべてフィルムです。現在のデジタルであれば即座に転送してもらえますが、フィルムとなると現像まで考えねばなりません。とにかく一刻を争う“生フィルム”をどうやって全国各地から回収してラボに入れるか、さらには現像が上がってきたフィルムを“瞬間芸”のごとく選別し、切り出し、解説を書き込んでゆかねば間に合いません。当時の『Number』誌編集長とともに、足掛け3日にわたって同誌編集部に缶詰になっていたのを思い出します。
▲“本丸”国鉄本社ビルの「日本国有鉄道」の文字が一文字一文字取り払われてゆく。'87.3.31 東京・丸の内

IMGP0511nn.jpgIMGP0507nn.jpg
▲最後の国鉄本社達示に従い、全車輌に一斉に「JRマーク」が貼られた。同時にJR北海道に引き継がれる青函連絡船では船籍を示す「東京」の文字が「函館」に書き換えられてゆく。'87.3.31 幕張電車区/函館

かくして『Number』増刊号は校了、今度は大車輪で『Rail Magazine』本誌の編集に取り掛からねばなりません。気が付けば周りにはJRマークを添付した電車が行き交っています。3月31日をはさんでの数日間、静かに感慨に浸るどころか、まさに寝食を忘れての日々でした。

IMGP0506nn.jpg
▲午前0時、鉄道発祥の地である東京・汐留貨物駅では、わざわざ持ち込まれたC56 160の汽笛が橋本運輸大臣と杉浦国鉄総裁の手によって吹鳴された。まさに「日本国有鉄道」の終焉を告げるとともに、新生JR誕生の瞬間だった。'87.4.1 汐留

それでも合間を縫って見にいった東京駅と汐留の様子はいまもって鮮明に目に焼き付いており、とりわけ汐留貨物駅の構内に響き渡ったC56の汽笛は感無量でした。
あれから20年。変わったこと、変わらないこと…ただひとつ言えるのは、この鉄道趣味の世界から、国鉄という「共通言語」が消えてしまったことです。

レイル・マガジン

2007年3月   

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2018 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.