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2007年3月16日アーカイブ

「くりでん」あの頃。

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くりはら田園鉄道もあと2週間あまりで廃止となります。最後にもう一度足を運んでみたいと思いつつ、残念ながらそのチャンスはなさそうです。恐らく昨年11月の訪問が私にとっての最後の「くりでん」訪問となります。
▲晩秋というにはやけに冷え込むと思っていたら、ついに雪が舞ってきた。ED201の牽く貨物がやってくる頃には辺り一面はすっかり雪景色。'83.11.26

ed201n2.jpg1995(平成7)年4月1日をもって動力を電気から内燃に変更し、社名も「栗原電鉄」から「くりはら田園鉄道」に変更した同社ですが、うまい具合に平仮名愛称の「くりでん」はそのまま平行移動し、違和感のないまま今日に至っています。ただ、私たちの世代にとって、「くりでん」はあくまで「くり田」ではなく「くり電」です。内燃化後も何回となく訪れているにも関わらず、今もってイメージの中の「くりでん」には、気動車ではなく、あの湘南顔のM15形が田園風景の中をのんびりと走っているのです。
▲若柳で休むC171+M171の2連。元西武鉄道のクモハ375・376で、電装解除・降圧のうえ栗原入りしたが、ほとんど使用されることはなかった。'83.11.26

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▲細倉駅で発車を待つED201牽引の上り貨物列車。この4年ほど後に細倉鉱山そのものが閉山してしまったため、貨物輸送自体に終止符が打たれてしまった。'83.11.26

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▲刈り入れも終わり長い冬を待つばかりとなった田園を単行のM15が行く。とりたてて見所があるわけではないものの、改軌後の1960年代から1995年の内燃化まで多くのファンにもっとも親しまれた光景。'79.11.14

1980年代に入ると細倉鉱山の衰退とともに貨物輸送量も減り、この規模の電化私鉄には珍しく4輌も在籍していた電気機関車たちもすっかり体を持て余してしまっていました。それでもナロー時代からの生き残りのED20形が不釣合いに大きい国鉄貨車を牽いて駒場の勾配をよじ登る姿は実に魅力的で、私もその光景見たさに、ペンタックス67を抱えて沿線を歩いたことを昨日のことのように思い出します。

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▲3輌在籍していたED20は2ft6in時代からの生え抜き電機。改軌にあたって台車幅を広げる程度の最低限の改造で3ft6in化したため、上回りと下回りがちぐはぐな実に“魅力的な”スタイルとなっている。なお、ED202が現在でも細倉マインパーク前駅の駅前に保存展示されている。'79.11.14

1921(大正10)年の開業から86年、蒸気軽便から電化、さらに改軌、そして今度は内燃化と数奇な運命をたどってきた「くりでん」も、ついにあと2週間でその歩みを止めます。再び訪れることはかないませんでしたが、せめて遥か東京の地から、撮りためた写真を見ながらその終焉に思いを馳せたいと思います。

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